ベガルタ仙台 0
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今回の映画は、前作に引き続き地域格差というものがテーマとなっております。ギャグとして描かれてはいるものの、本質を突いているな・・・と、私は思っております。地域格差があるだけに、隣接する地域においては対立が生じることがよくあるわけですが、それを象徴するものがあります。それが、ダービーというものです。ダービーとはサッカーの公式試合のうち、同じ地域どうしのクラブ、もしくは隣接する地域のクラブが試合をするものです。サッカーというものは、ボールがゴールに入ることで得点が入ります。試合中はなかなか点数が入ることがないだけに、ひとたびゴールが生まれると、その時点で熱狂が生まれます。これがダービーともなると・・・試合が盛り上がるのはもちろんなのですが、試合の外でも相当盛り上がる・・・どころか、ヒートアップするのです。観客どうし・・・サッカーではサポーターといいますが、そのサポーターどうしが挑発するのは当たり前だったりします。それがトラブルに発展してしまう・・・なんていうことはよくあります。まあ、世界のサッカーを見てみると、もちろんダービーともなるとトラブルが起きるのは当たり前のことで、ケンカなんてまだかわいげがあります。もっとすさまじいことがよく起こったりするものです。人を殺したりとか暴動が起きたりとか戦争が起きたりとか・・・。この映画のなかでは、浦和と大宮によるものがありますが・・・国内のダービーのなかでも苛烈なものがあったりします。まさにダービーのなかのダービー!ともいえるでしょう。まあ、映画では綱引き対決になってはおりますが、選手のなかには、実際にそのクラブで選手として活躍していた人物も紛れ込んでおりますので、本来のダービーよりも本気度は非常に高かったりします。・・・東京への通行手形が撤廃されてから3か月が経った頃。埼玉県内ではある揉め事が起こっていた。それは、埼玉から東京へと到達する五つの路線がストライキを起こしたのであった。その要因としては、埼玉ならびに千葉の周辺を結ぶ武蔵野線を設置する構想である。そのような揉め事を解決するためにも、麻実麗(あさみ・れい)は埼玉に海を作る計画を立案する。そのためにも、和歌山の白浜海岸の白い砂を持ってくるべく、千葉から和歌山へと船で向かうのであった。・・・冒頭で、五つの鉄道路線がストライキする場面がありましたが、それを見て宮城のことを思いました。それは、仙台を中心にした交通事情です。鉄道路線を見てみると、まさに仙台を中心にしているのが特徴となっております。仙台市営地下鉄は南北線と東西線が仙台駅で交わっており、まさに仙台を中心にしているのです。JRの路線もそうですね。東北本線は言わずもがなですが、仙石線は仙台からですし、仙山線もいったんは東へと進路を向けるのですが、途中からは東北本線を通り越して西へと向きを変えます。主要な道路もそうだったりします。国道4号線もそうですし、仙台を起点とする国道45号線や48号線がありますし、国道286号線もそうだったりします。そんななかで、武蔵野線のような道路というものが、仙台には実在しております。それが、仙台北環状線というものです。泉区の高森というところから八乙女を経て、そこからは大きくカーブを描くようにして西側にある折立(おりたて)というところまで到達します。あとはこういうものが鉄路で実現できればな・・・なんて思うのですが、仙台一極集中である現実があるだけに、実現は不可能であるのかもしれませんです。
2023.11.26
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さて、今回のトランスフォーマーは、ビーストウォーズの戦士たちが登場します。ビーストウォーズと言えば、テレビ東京で放送されたアニメですね。海外で放送されたものなのですが、内容が超シリアスなものだけに、そのまんま翻訳して放送したら、メインとなる視聴者である幼児たちには伝わらない…そう思ったスタッフ陣は、声優さんのアドリブを容認したようです。そのためか、非常にたのしいものとなっております。次回作のメタルスでは、さらに暴走していって、これまたオモシロイものとなっております。ただ、そのさらに次回作であるリターンズでは過激になりすぎたようです。それはともかくとして、この経緯があってか、吹き替え版では、その時に出演していた声優さんが再び出演しております。吹き替え版の声優さんと言えば、ミラージュを担当していたのが、藤森慎吾です。かがみの孤城では、主人公であるこころの担任を演じておりました。ただ、軽薄なところがあって、親から信用されなくなってしまいましたが。そんな藤森が演じたミラージュは、口が軽いのが玉にキズなのですが、それでもいざというときには助けてくれる、そんな頼もしい相棒となっております。それにしても、クルマからロボットにトランスフォームするのはもちろんのこと、たとえ後ろ方向に走らざるを得ない時には、前方向に変形してしまいます。そればかりではなく、様々な車種にもトランスフォームできたり、分身までできます。さらには、クライマックスのときには「あること」もできるようで、今までのシリーズにはなかったもので、トランスフォーマーの可能性というものを垣間見た感じがしました。・・・ノアは、仕事の面接に向かうものの、門前払いをされた。そこで、知人のつてで、長い期間駐車場に放置されている車をくすねることになった。ところが、その車はヘンな挙動をするのである。ようやくにして車内に入り込むことができたのだが、どんな操作をしてもうんともすんともいわない。すると、突如としてカーラジオから放送が聞こえた・・・と思いきや、その車が急に動き始めたのだった!・・・あらまあ・・・オプティマス・プライムがやさぐれてしまったようです。7年もいたら、人間の本質というものを垣間見てしまったようです。そりゃあ、人間不信にもなりますわな。まあ、ノアもそのとばっちりを受けたひとりであるようで、仕事の面接で門前払いを喰らっております。これには以前の職場での評判というものを知っておく、というのがあるためなのですが・・・心機一転で真面目に働こうとしても足枷になってしまっているようです。とはいえ、この映画のラストで面接を受けた職場ですが、なんとか採用してもらえたようです。ただ、この面接をした人物・・・とあるアニメのキャラクターになっているようです。そのアニメは、かつて同じトランスフォーマーとコラボをしたことがあります。どうやら、ノアはこれからまた戦いに巻き込まれていきそうです。
2023.08.13
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今回の映画の主要な登場人物を演じているのが、高橋文哉と桜田ひよりです。まず高橋ですが、仮面ライダーゼロワンで主演を演じたのが最初です。売れないお笑い芸人である飛電或人(ひでん・あると)は、ひょんなことから仮面ライダーに変身することになっただけでなく、家業を継ぐというかたちで、ゲーム会社の社長に就任することになります。この仮面ライダーゼロワンのあと、様々なドラマや映画に出演しており、俳優として活躍しております。たいして桜田ですが、私にとっては、NHKラジオのボキャブライダーでおなじみだったりします。オープニングテーマが特撮っぽいところがあるだけでなく、お相手がマックス・パワーと、これまた特撮ヒーローっぽい名前をしていたりします。解説は日本語でしてくれるのですが、ちょっとお茶目なところがあるようで、とくに「恐怖」にまつわる単語を紹介する際、フフフ・・・きょうふぅ・・・と、エコーをつけて語っていたりしております。このボキャブライダーは、テーマに則った単語を4つ紹介する5分の番組なのですが、内容が非常に濃ゆいです。私は放送の内容をノートにまとめているのですが、それを読み返すと、思わずうなってしまうことがけっこうあったりします。これからも、この番組を聴き続けていきたいな、と思っております。それと、桜田は数多くのドラマや映画に出演しているのですが、そのなかで「祈りの幕が下りるとき」にも出演しておりました。脚本家の女性が中学生だったときのものを演じておりました。・・・女子生徒である黒田は、机のなかに、1枚のメモ書きを見つける。折り曲げられた状態となっており、よく見てみると、移動教室でこの席に座る君へと書かれている。さらにこのメモ紙を広げてみると、好きだ! 瀬戸山と書かれていたのである。思わずポッとなる黒田。黒田は、早速返事を書いては、瀬戸山の靴箱に入れたのである。それが繰り返されるようになったのだが、ある時、1冊のノートが黒田の机のなかに入っていた。そのノートを開くと、瀬戸山によるメッセージが書かれていた。そこには、このノートによってメッセージのやりとりをしていって、全てのページがうまったら、改めて告白する、と書かれていた。ただ、その相手が、松本だ、というのである。あのぅ〜・・・私、黒田ですけど・・・そんな想いを抱きながら、黒田が松本の代わりとして、このノートを使って交換日記をすることになったのである。・・・ブワッハハハハハハ!なかやまきんに君は反則だって!生徒たちがスマホで芸人さんの動画を見ていたのですが、よりによってなかやまきんに君のものだったわけで、それを知ったときには、思わず声に出して笑うところでしたよ。(ちなみに、ダンディ坂野も出演しておりましたが、どこにいました?orz)さすがに本当に声を出して笑ったら超ヤバいことになりますので、笑いをこらえるのに必死になっておりました。このなかやまきんに君ですが、高橋が演じた仮面ライダーゼロワンにおいて、一番最初の怪人として登場しました。怪人といっても、ヒューマギアとよばれる人型ロボットでありますが。このなかやまきんに君が、怪人になってしまった悲しみというものを演じきったということもあり、非常に評判がよかったです。そのためか、のちに映画版などで再登場を果たしております。このほかにも、クラスメートの一人の服装が、高橋が演じた或人を彷彿とさせるような、ジャケットのなかにパーカー(※)を着込む・・・というものになっております。あとは、仮面ライダーリバイスのオマージュもあったりします。瀬戸山はサッカー部に入っていたものの辞めてしまったり、FC東京のサポーターをしていたりしているのですが、FC東京と横浜FCの違いがあるものの、共通点があったりします。そんなわけで、この映画は、松竹の制作でTBSがからんでいるのですが、東映の制作でテレビ朝日がからんでいる・・・と、思わぬ勘違いをしてしまいました。それと、ボキャブライダーのオマージュもあります。黒田が英語が得意なのはそうですし、放送部ならびにラジオの出演がそうだったりします。そのほかにも、オマージュがあるかもしれません。どれがそうなのかを探し出して、思わずニンマリするのもいいかもしれませんね。・・・・・・と、こんなしょーもねえことをお話ししたのですが、最後にマジメなものをガツンとお話することにいたしませう。黒田は、自分の意見を持てなかったりします。そのせいで、あらぬトラブルを巻き起こしたりすることがあります。そういうのがあるためか、自分の意見というものを、シッカリと持たなければならないわけですね。そうすることによって、自分のアイデンティティーというか自覚というものを持つことになりますし、なによりも、相手に対してもトラブルを生み出さないことにもつながっていきます。かくいう私はといいますと、黒田と同様に、自分の意見というものを言い出せない・・・というのがあります。まあ、言い出すことができないようにされてしまった、というのもあるのかもしれませんが。そんな私ではあるのですが、そうしたなかでも自分の意見というものをシッカリと持つようにして、なおかつ、きちんと口に出して言えるようになりたいな、なんて思うのです。そのために、このブログというものをやっているわけですから。しかも、このレビューそのものも、映画にまつわるものが一番最初だったのですから。※・・・英語ではHoodieというそうです。ちなみに、英語でParkaといったら、フードつきの防寒着のことを指します。(ボキャブライダー2023年3月7日放送分より)
2023.07.16
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今回の物語はルーブル美術館を舞台にしたものです。このルーブルがあるのはフランス・・・ということで、まずはこんな話からしたいと思います。この映画を観たあとにこのレビューを書こうとしたのですが、いかんせん夜勤明けでちょっと寝たあとにこの映画を観てしまったので、体力が尽き果ててすぐに寝てしまいました。その翌朝、食事をしていたときに見ていたニュースで、関西空港から飛び立ってパリへと向かおうとしていた飛行機がトラブルを引き起こして関西空港へと引き返した・・・というのがありました。飛行機を見てみると、先端の部分が凹(へこ)んでおります。そこに鳥がぶつかってしまって、そうなったのでしょう。これで興味をひいたのが、引き返した場所です。その場所というのが、なんと宮城県沖だった、ということです。私はてっきり、西側を通るのかと思いましたよ。そういったほうがフランスに近いのか、ということで。インターネットで地球儀のようなものが見ることができるものでチェックしたのですが・・・そういう行き方をすると、かえって遠回りになってしまう事態になってしまいます。で、フランスまで直線で行ける方法・・・となると、ロシアの上空を通過することになります。まあ、このご時世ですから、そのまま通ってしまったなら、たちまち撃墜される恐れがあったりします。そこを避けるために・・・ということで、関西にある関空からわざわざ宮城県沖を通って、アラスカにあるアンカレジを経て、そこから改めてフランスへと向かうことになったのでしょう。本来ならば、見終わって家に戻ったらすぐに書くところではあったのですが、書くネタができた、ということでこれでよしとしませう。・・・岸辺露伴は、ある1枚の絵を入手するために、美術品のオークションに参加することになった。その絵とは、黒一色で塗られたものであるという。ただ、よっく見てみると、なにかが描かれているように見えるのである。塗られている黒に特徴があるため、露伴は、作品を描くための参考として購入しようとしていたのである。こんなものに興味がある人なんていないのでは・・・なんて、そうタカをくくっていたのだが、ほかに一人、食らいつくようにパドルを上げ続ける人物がいた。どんどんと値が釣り上がっていくのだが、ついに露伴がその作品を手にすることができたのである。その作品を家に持ち帰ったのであるが、何者かが家に潜入して盗んでいったのである。その男が山に逃げ込んで、その作品の裏紙を破ってみると、本来ならそのなかに本物の絵画が隠されていたはずなのに、それがなかったのである。その代わりとして、ルーブルにあった黒 後悔と、フランス語で書かれていたのである。その後、その男は不可解な死を遂げるのである。そんななか、山のなかでこの作品を見つけた露伴は、書かれていたメッセージを見て、あることに気がついた。それは、ルーブル美術館に、この絵のもととなった本物の黒い絵というものがある、ということ。しかも、その絵は、露伴にとっても心当たりがあるらしい。その絵を追い求めるべく、ルーブル美術館へと向かうのであった。・・・今回の物語としては、黒という色がテーマとなっているようです。黒といったら、もう簡単に一言で言ってしまえるほどの単純な意味として捉えることができます。液晶ディスプレイでは、赤と緑と青の三色を使って様々な色を構成しているのですが、その3色の要素がともにないような状態のことを指します。そうなってくると、液晶ディスプレイそのものの色が黒・・・ということになりますね。ただ、そんなかんじで一言で黒・・・といっても、実際には様々な黒というものがあるようです。今回の作品で追い求めていた黒は、ホンモノの黒・・・そう、黒のなかの黒、ともいうべきのものです。光を吸収してしまうほどの、真っ黒な黒です。実際にも、ある鳥の羽がそのような黒をまとっているようですが、この作品のなかでは、「あるもの」からとった、とされております。ただ、禁忌なものとなっているようですが。とはいえ、そんな黒一色で描こうとしても、絵画としては成り立たないようで、様々な黒を使っているようです。明るい黒、暗い黒、艶のある黒、マット(反射しない、光沢感がない)な黒、暖色系の黒、寒色系の黒・・・もっといろいろな黒というものがあるようなのです。そのためにも、作中に描かれている日本画においては、各画材メーカーから出されている「最も黒い黒」のほかに、ほかのいくつかの顔料を取り寄せては、自ら調合した、とのことです。さらには、黒だけのカラーチャートまでつくった、とのことです。・・・今回の物語の舞台は、フランスにあるルーブル美術館です。まさに美の殿堂!ともいえる立派な建物です。今回の物語は、画面サイズがエラくデカい特別なところで観たのですが、まさに息を呑むほどに圧倒されました。まさに、美術館の建物自体がコレクションの一部である、ということを認識させられました。他の美術館ならびに博物館も、建物がそうなっている・・・ということがありますので、そういった施設を訪れる際には、この点もあわせて体感するといいのかもしれませんね。・・・今回の物語では、日本画も登場してきます。日本画といえば江戸時代に描かれたもの・・・ということで、そのなかには浮世絵もありますね。この浮世絵が、日本が開国をした時期に、フランスの地において絶大な人気を博します。色使いなどの面において、これまでヨーロッパになかったものがあった、ということで、そうなったようです。後に日本ブームを引き起こすこととなり、この一件がパリを芸術の都と化したことにつながっていったのでしょう。そう考えますと、この物語は、日本がフランスにいい意味で影響を与えた・・・というものを感じ取ることができた・・・と、私の勝手な見解ではあるのですが、そう思った次第です。
2023.05.29
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今回の映画は、辻村深月(つじむら・みづき)による物語が原作です。そういえば・・・辻村といったら・・・あ!そうそう。朝霧カフカの「文豪ストレイドッグス外伝 綾辻行人VS.京極夏彦」にチャッカリと出演しておりました。そんなお茶目さんな辻村によるものとなっております。この物語は本屋大賞を受賞しております。私は、単行本として発売された当初は、この物語に手をだすことはありませんでした。主人公が手酷いいじめを経験する・・・そんなイメージが頭を過った、というのが理由です。しかし、このように映画化されるのを機に、観てみようじゃないか、と思ったのと同時に、改めて読んでみようじゃないか、と思った次第です。で、実際に観てみたら、ムチャクチャグッとくる話でした。最後の最後は思わずボロボロ泣いてしまいましたよ。主人公のこころをはじめとして、おなじ境遇をもっている少年少女はあわせて7人。その境遇を最後に待ち受けている出来事をきっかけとして克服する、というのがひとつです。そして、いずれもおんなじ中学校に在籍している生徒であるのですが、実は在籍している年がバラバラだったりします。そのため、こころをケアするフリースクールの先生が、こころを除いた6人のうちのひとりであった・・・それを知ったときにゃあ、おもわずボロボロと・・・映画で泣かされたなんていうのは、「ナミヤ雑貨店の奇蹟」以来ですよ。東野圭吾だけでなく、辻村深月にも泣かされるとは思いもよりませんでした。・・・ある事情により、中学校へと行けなくなってしまった安西こころ。フリースクールで、喜多嶋という先生と面談をすることになった。その翌日、学校に行こうとしたものの、体調が優れない・・・行きたいと思うのに行けない・・・そう感じたこころは、またもや学校を休んだのであった。自分の部屋にいたこころは、鏡がアヤシく光っているのを見つける。それに手を触れると、自分の体が鏡に吸い込まれてしまう。気づいたときには、目の前にお城が。周りを見渡すと、一面が海である。まさに島に浮かぶ孤城である。目の前には、狼の面を被った少女がいた。その少女から問答無用で引きずられるこころ。そうして城のなかに入れられると、ほかに6人の少年少女たちがいた。ここで、狼の面を被った少女から説明を受ける。・7人の少年少女には、それぞれ部屋が割り当てられており、その部屋を含めて城のなかは自由に行き来してもいい。・翌年の3月30日までに、鍵を見つけ出すことによって、自分の願いを叶えることができる。この時点で、島の孤城での滞在は終了となり、ここでの記憶は全て消去される。未達の場合は、記憶は残されたままとなる。・ただし、この城に行き来できるのは、日本時間において午前9時から午後5時まで。これを厳守すること。午後5時を過ぎても城に残った場合は、狼によって食い殺されるという。また、連帯責任として、全員が同様に食い殺されることになる。これまで、学校ならびに家庭に居場所がなかった7人は、この孤城を非常に気に入り、たびたび訪れてはくつろぐようになったのである。そんななかで、7人全員が同じ中学校の生徒であることが判明する。12月も下旬にさしかかった頃、7人のうちのひとりが、3学期の始業式のときに、全員で学校に集合しないか、との提案をした。それに従ったこころであったが、誰一人も集まってくることはなかった。後日、7人全員が集まったときにも、全員が同じ体験をしたことを語ったのである。そして期限の日である3月30日・・・その前日の29日のこと。お別れパーティーのための買い物をしてから、道路向かいにある東条の家を訪れ、話をしたのである。名古屋に引っ越すことになるとのこで4月1には引っ越してしまうという。そんな東条と別れたあと、こころは家に戻ろうとしたところ、こころの部屋に異変があるのに気づく。こころの部屋にある鏡が割れていたのだ。わずかに残った鏡からは、参加者の一人の姿が浮かび上がっている。その一人によると、ある人物が5時を過ぎても城を出なかったばかりに、狼に食い殺されてしまったという。しかも、こころを除いた5人全員も連帯責任として同様に食い殺されることになってしまうという。大変な事態となった城に向かうため、こころは残された鏡から城に向かうのであった。・・・参加者となった7人は、たしかに同じ中学校の生徒ではあるのですが、在籍している年が離れております。それぞれ7年おきとなっておりますので、古い人と新しい人との差は、じつに42年ということになっております(※1)。しかしです。この42年という長い年月であってさえも、いじめというものは存在するのです。実をいいますと、私は、この映画・・・というか、この物語を目の当たりにしたときに、自分のトラウマを感じてしまいました。実際にいじめられていた・・・というのもありますし、作中にもあった、いじめた人間がいじめられた人間の自宅まで押し寄せてきた・・・というのも経験したことがあります(※2)。こころをいじめるような人間というものは、現在においてもおりますし、過去にもおりますし、ましてや未来でも存在することでしょう。まあ、「いじめられるのはいじめられる側に問題がある」なんていうのを聞くことがあります。私だって、気に食わない人間がいたら攻撃したくなる衝動に駆られることはありますよ。しかし、それを実行してしまったならば、それがいじめに発展してしまうのは、明らかなことです。「相手を攻撃したい」という衝動をグッとこらえる・・・そうした理性というものを、きちんと持つことが一番大切である・・・と、私はそう思います。それができないから、いじめというものがなくならないのです。私も、憎悪とか憎しみといった負の感情を持っておりますので、そうしたものを表に出さないように気をつけなければならないな・・・と、正月の日に思った次第です。※1・・・該当する年が7つもあるのですが、ひとつだけ例外があって、その年の人がおりません。そのかわりとして、同じ年の人が二人カブっております。※2・・・当然ながら、私は家に押し寄せられた側のほうです。押し寄せてきた人間にたいしては、学校が「しかるべき対処」をしてくれました。
2023.01.01
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今回の映画ですが・・・今年(2022年)の夏にその存在を知っておりました。夏になると、読むべき100冊を紹介する冊子というものが、それぞれの出版社から出されるのですが、そのなかでKADOKAWAのものに、今回の映画のものがあったわけなんですよ。そのなかの表紙で、主人公の鈴芽(すずめ)が描かれていたのですが、ちょっと不思議に感じたことがありました。それは、鈴芽が着ていた制服です。ワイシャツなのですが、半袖の袖の部分にですね、緑色のラインがあしらっているんですよ。しかも、胸ポケットの部分もおんなじように緑色のラインがあしらっております。このワイシャツがセーラー服っぽく感じてしまいました。冬服にいたっては、上衣のブレザーが緑色になっております。さながら仙台育英学園の女子生徒のものを彷彿としているようなものとなっております。男子生徒の半袖のワイシャツも、女子生徒と同様になっているようですので、上衣のブレザーも同様に緑色になっているようですね、多分・・・。・・・鈴芽が登校する際に、イケメンとすれ違った。気になった鈴芽は引き戻ってみると、そのイケメンは、廃墟のある場所がどこかを尋ねてきたので、案内することになった。その廃墟のプールの中央部分に、なぜかドアが置かれている。そこをちょっと開けては覗いてみると、そこには星がまたたく夜空が広がっていた。思わずドアの中に入ってみても、そこは元の位置のまま。振り返ってドアを見ると、やはり夜空のある外である。ふと足元を見ると、そこには猫の置物が。それを手にしてみると、なんと生きた猫に変化した!その猫はそそくさと逃げていってしまった。そんなことがあってから、鈴芽は学校へと向かったのであるが、食事の最中に外が騒がしい。カラスがギャアギャア騒いでいるのである。それだけでなく、おぞましいバケモノのようなものが天に向かって伸びているのである。しかも、それは重力を失って地面へと倒れてしまい、それが大きな地震を引き起こしたのである。すかさずあの廃墟に向かった鈴芽。すると、そこにはイケメンが必死でドアを閉めようとしていたのであった。鈴芽もいっしょになってドアを閉めたのだが、イケメンは腕に怪我を負ってしまう。鈴芽は、イケメンを自宅へ連れて行って応急処置をしたのである。すると、そこにあの猫がやってきて、鈴芽、好き。おまえ、嫌いとしゃべって、イケメンを椅子に変えてしまい、そのまま逃げてしまったのである。イケメンを人間に戻すために、猫の行方を追うことになった鈴芽であった。・・・今回の映画は、東日本大震災をテーマにした・・・とされております。そのためか、鈴芽の自宅がある宮崎から、愛媛の松江、そこからさらに神戸、東京、そして岩手県沿岸へと到達していきます。そういえば、「君の名は。」も、同様に東日本大震災を暗にモチーフにした、とされております。私はレビューをしなかったものの、実際に小説を読んだことがあります。その際に感じたこととして、石巻の小学校の出来事を彷彿しているな、というのがありました。その出来事とは、避難はしたものの、そのまま待機したままにしてしまったがために、かえって津波の犠牲になってしまった、というものです。大きな地震が起きたことによって避難することになったのですが、その場所となったのが、学校の校庭です。それから大津波警報が発令したのですが、これがあったにもかかわらず、校庭で待機をしたままにしていたのです。その結果として、津波がやってきて、そこで待機していた生徒並びに職員が全員犠牲になってしまったのです。転じて「君の名は。」では、地震津波の代わりに彗星が落ちて町が全滅してしまった・・・となっております。その全滅した町に住んでいた少女が、3日前の東京に住んでいる男性に乗り移っては、これから起きる彗星の一件を回避するべく村の住民を避難させるように依頼するのです。で、3日後、その村の防災無線で避難するように放送をするのですが、その最中にオトナがやってきては、その放送を中止させてしまったのです。その結果として、彗星は落ちてしまい、村は全滅してしまうことになります。この「君の名は。」を読んで、オトナというものは、どうしてこうも頭がカタいのか・・・と、後味の悪い思いをしました。なぜオトナはマニュアルを頑なに守ってしまい、想定外の出来事に対処できなかったのか。なぜ想定外のことが想像できなかったのか。石巻の小学校の一件なんて、想定外の津波がくるとなれば、「なにかあったら校庭に避難」だけでは済まなくなってしまうことが、私には想像ができました。なんたって、東日本大震災が起こるずっと前から、松島に津波がきたらひとたまりもない、と、私は既に予想を立てておりました。まあ、これに関しては、私が予想をしていたよりは被害が少なくて幸いしたのですが、松島以外の場所では、残念ながら私の予想どおりになってしまったようです。ともあれ、東日本大震災をはじめとして、これから起こりうるであるとされる南海トラフ、そのほかにもたくさんありますが、そうした想定外の災害などというか、そういうことが仮に起こった場合、予測できない想定外の出来事というものが起こるものだと認識して、咄嗟の判断で即行動ができるようにしなければならないのです。たとえ「軽率だ!」なんて言われてしまうことがあるのかもしれませんが、人命には変えられません。とにかく命令に逆らってまで、命を優先にするしかないのですから。
2022.11.14
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私は、オープンしてから1年経過した新しい映画館で、今回の映画を観ました。チケットを買って中に入ると、そこはスクリーンの入り口がびっちりと並んでいる、そんな不思議な空間になっています。さながら映画にまつわる映画の世界にでも入り込んだような感じがします。これだけでワクワクしてきます。さらに驚いたのが客席です。他のところは違って、グレードがアップしております。しかも、その客席は、1席ごとに独立しているのです。しかも、両脇にはパーティションがあります。このパーティションには紐がついており、これを引っ張ることでパーティションを収納したりすることができるようになっております。これだけでもスゴいというのに、グレードアップした席まで用意されております。通常の料金のほかにさらに500円払うことで利用できるようになっております。いやあ、映画館というものは、進化をするものなんですね〜。・・・1998年。月島雫は、作家を目指しながら出版会社の編集者をしている。雫は、小説のコンクールに落選したばかりか、編集の仕事でも大ポカをしてしまう。失意にあった雫は、プロのチェリストとなった天沢聖司に会うために、イタリアへと渡ることにしたのであった。・・・この映画のなかで、雫は担当していた作家さんにたいして手直しをするように依頼します。しかし、その作家さんがこの手直しをしたうえで率直な意見を求めてきたのですが、それにうまく答えることができなかったようで、この作家さんの担当を外されることになってしまうのです。手直しになった要因としては、雫の上司が「少年誌向けマンガのような要素を追加するように」・・・というムチャクチャな指示を出したものによるものです。これに反対することができなかった雫は、やむを得ず・・・本心としては仕方がなく作家さんにお願いすることになったわけです。まあ、これに関しては、上司が悪い!と言えます。作家さんが書いたものを反故にして、違う展開にするように・・・ということなのでしょう。しかし、どんなことであれ、上司の指示というものは絶対です。逆らったらどうなることやら。ましてや、雫の上司はパワハラじみていたりします。1998年の頃ですから、それが許されていた・・・というか、まかり通っていたのです。私も、同様の経験をしたことがあるためか、上司にモノが言えない私はもどかしい思いをしております。・・・25歳になった雫は、自分の夢というものを捨てようとしております。雫にとっての夢は、小説家になること。そのために、夢というものを追い求めておりました。しかし、25歳になってしまった今、夢を求めるのをやめて、現実を直視しなければならない、と感じております。まあ、私なんて40を大幅に超えてしまいましたので、崖っぷちどころかすでに崖に転落してしまった身です。そのため、夢なんて持つ資格なんてないのかもしれません。しかし、そんな私であっても、ささやかな夢とか希望とかいうものを持つようにしなければならないのかな、と思っております。現実ばかりを追い求めてそういったものを持っていなかったら、自分の張り合いというものがなくなってしまう恐れがあるのかもしれません。そういった夢とか希望とかを持つようにして、前向きになっていきたいな・・・と、私は思っております。
2022.10.23
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今回の物語って、以前から気になっていたものなんですよ。この物語のシリーズの表紙のイラストって、非常にキュートなものになっており、そのイラストを見るたびに思わずキュン♡となるんです。このイラストを描いていたのが、中村佑介です。このイラストが、アニメとして動くわけなんですから、これは是非とも見なければ!・・・と思った次第なのです。この物語・・・森見登美彦(もりみ・とみひこ)による小説が原作、とはなっているのですが、それだけではなかったのです。実は、今回の映画の脚本を担当している植田誠が、「サマータイムマシン・ブルース」という舞台を創り上げます。2005年には実写映画化されることになります。これをベースとして、森見が「四畳半神話体系」の人物たちを登場させるかたちで小説化するのです。このような経緯が、今回の物語を彷彿としているな・・・と、私は興味深く感じました。・・・銭湯に行っていた主人公の男が下宿に戻ってくると、小津が罰ゲームの裸踊りをやれと言い出す。羽貫さん・・・って、女性もいるなかですっぽんぽんで風呂桶つかって踊るというのはどうか・・・ということで、小津と小競り合いになる男。その最中、小津がそのはずみで飲みかけになっているコーラのペットボトルを倒してしまってエアコンのリモコンにこぼしてしまう。このリモコン・・・かなり年季が入ったシロモノであるらしく、修理することは不可能である。翌日、下宿にやってきた明石さんが、この下宿付近で撮影した映画をチェックしたところ、小津が二人も写っていたのである。手前側にいるのが、映画の撮影に臨んでいた小津。そして、下宿の2階には、もう一人の小津がいるようだが・・・。そんななか、2階の廊下に雑然と物が置かれているところに、ヘンなものが埋もれていた。それは、タイムマシーンであるらしい。科学が発達した現代においても、タイムマシーンという技術は未だに確立されていない。このタイムマシーンが本当に動くのかどうか・・・小津が試しに乗ってみるtというか消えたしッ!んで戻ってきたしッ!!小津によると、本当に昨日へとタイムスリップができていた、とのこと。どうやら、これは本物のタイムマシーンであるようだ。それを見た下宿の住居者たちは、1日前に戻って、壊れていないエアコンのリモコンを取りにいくことになった、のだが・・・。・・・この後、下宿の居住者たちはタイムマシーンに乗って、エアコンのリモコンをとりにいくわけですが、それをいいことに過去で自由に振る舞ってしまいます。その結果として、辻褄の合わない事態というものが発生してしまうのです。これではマズイと思った主人公は、なんとしてでも辻褄を合わせようと奮闘することになります。けっこうハチャメチャな展開となってしまうのですが、最後の最後で、きちんと辻褄が合うようになりますので、そこらへんは安心していいでしょう・・・というか、どういう風になるのか・・・楽しんでほしいポイントとなっております。・・・この物語では、タイムパラドックスになるものがいくつかあるのですが、そのなかに、河童様伝説・・・というものがあります。実はこれ、下宿があったところが、かつては沼だったらしく、99年前にタイムスリップした城ヶ崎先輩がそこにハマってしまい、その結果としてそうなってしまった・・・というのがあります。このエピソード・・・ですが、ここ松島でもありえそうなものとなっております。高城の町並みは、現在はこうして人が住んでいたりしている場所とはなっているのですが、かつては海だったところなのです。これに関しては、「樅の木は残った」のブックレビューでお話したところであります。仮に舞台がここ松島だとして、遡れる年数を3ケタにした場合・・・遡った年数によっては、この物語同様、城ヶ崎先輩は泥まみれになっていた可能性があります。いや、それどころか、もっと遡ってしまった場合、海の中にいる・・・なんていう事態もあったりするのです。城ヶ崎先輩には申し訳ないのですが、こうしたタイムパラドックスもあるのかな・・・なんて、思ってしまった次第でした。
2022.10.01
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今回の映画は、伊坂幸太郎の「マリアビートル」を豪華にハリウッド映画にしたものです。ということは、「アイネクライネマハトムジーク」以来・・・となるでしょうか。これまでに、伊坂の作品は数多く映画化されており、主に仙台が舞台となるものが多いです。しかし、今回のものに関しては、本来は盛岡行きの「はやて」となるところが、行き先が盛岡ではなく京都になります。しかも、その列車の名前が、ゆかりとなります。まあ、列車の名前も人の名前と同様で、その列車に託す想いというものが託されておりますが、この列車の名前にも、そんな想いというか由来があるわけです・・・というか、この映画では重要なものとなっているわけですが・・・。それはともかくとして、この映画って、R15+に指定されております。ということは、過激な暴力シーンが内包されている・・・という意味があります。私は、このテのものって、苦手なんですよ。なんてったって、「無限の住人」にて、開始5分にして退席したことがありますから。それに、テレビの2時間サスペンスも、飯がマズく感じるほど苦手なのです。そんな自分がこの映画を観たらどうなるか・・・そんな不安を抱いて、この映画を観ることにしたのでした。・・・「レディーバグ」というコードネームを持った殺し屋の男が、ある使命を抱いて東京駅から新幹線に乗り込んできた。その使命とは、その新幹線にあるアタッシュケースを回収し、次の駅で降りること。男は、まんまとそのアタッシュケースをゲットして、次の品川駅で降りようとした。すると、その目の前には男が立っていて、その男が突然襲いかかってきたのであった!・・・ということで、戦々恐々な想いをしながらこの映画を観たわけですが・・・。たしかに、過激でエゲツない暴力シーンがてんこもりでした。清々しく感じるほどです。真田広之カッコいい・・・(そっちかよ!)まあ、それを差し置いても、いつもの伊坂ワールド全力ゼンカイ!と言えるほど、原作には忠実となっているようです。そのほかには、伏線というものが、最初から最後までビッシリと敷き詰められております。スタッフロールのところまで引っ張るのかよ!・・・なんていうものも。さすがは、イギリスのミステリー賞でノミネートされたほどの作品。2時間ほどの上映時間でしたが、それ以上もあるのか?と思えるほどに内容が濃厚でした。これが好評だったら、次回作の「AX」もまたもやハリウッドで映画化されるんじゃないの?なんて思ってしまいました。それと、この作品の前作である「グラスホッパー」は、すでに日本で映画化されておりますが、もしかしたらもしかしたら、こちらもハリウッドでリメイクされるのでは・・・なんていう期待があったりします。たぁ〜のしみだなぁ〜〜〜<オ・マ・ケ1>この小説は英語に翻訳されています。タイトルは映画同様ですが、日本語表記は映画とは異なり「新幹線」となっております。<オ・マ・ケ2>この映画では、東京から京都へと向かう新幹線となっております。ということは、JR東日本の車両ではない・・・ということになってしまいます。とはいうものの、映画で登場する車両は、原作に忠実なものとなっております。要するに、ノーズの部分が、車両の大半を占めるような、そんな外観となっております。これは、東北新幹線で使用されているE5もしくはE6と同様のもの・・・もしくは、試験車両であるアルファXに似たようなものとなっております。その他には、九州新幹線の「かもめ」のように、車両に名前が直接書かれている・・・なんていうことがあったりします。<オ・マ・ケ3>登場する殺し屋のなかに、プリンスというのがいます。原作では男子中学生でしたが、映画では女子高生(?)となっております。なぜ「?」となっているのかはツッコまないでくださりませwwwそれはともかくとして、このプリンス・・・安達祐実に似ているなぁ〜・・・なんて思ってしまいました。演じているのが、ジョーイ・キング(Joey King)です。パンフレットに書かれている経歴を見ると、幼い頃から演技のキャリアを積み重ねたとか・・・。まさに安達祐実に通じるところがあります。こうして映画で見てみると、やっぱりカワイイですし、制服風の服装も萌え萌えして、なおさらカワイイです
2022.09.04
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今回の映画は、私が東野圭吾というものを初めて知ったものとなっております。まあ、公開当時は見ることはありませんでしたが・・・。ということで、地上波のド深夜に今回の映画が放送されることになったのを知って、改めて見ることにしました。その前に、原作を読みまして、そのレビューをこの場でやりましたので、まずはこちらのほうをご参照ください。その1・読み終わった直後の感想その2・自粛とにもかくにも、原作を読み終えて、私は盛大に大笑いしてしまいました。いえね、生物兵器を巡ってのシリアスなサスペンス劇が展開されることになるのですが、最後の最後にて、まさかの盛大なオチが待ち受けることになったんですよ。そこでねwwwもうwwwああーおかしーwwwコホン原作を読んでですねぇ、そんな印象を持ったわけなんですよぉケホッで、物語の展開を知ったうえで、この映画を観ることにしたのですが・・・。原作でも怒濤の展開を見せるほどガンガン飛ばしまくっていったのですが、映画のほうはというと・・・最後の最後で盛大に笑わせるところを、最初っから笑わせにいってますね。まさに「これでも喰らえぇ!」と言わんばかりに笑わせるポイントを用意しております。そうだったら、原作読み終えたあとに映画をみればよかったなぁ〜・・・なんて思ってしまいました。あ、そうそう。全体をとおしては基本的には原作どおりではありますが、最後の最後の部分において、若干違っているというか変わっているところがあります。そこがどう違うのかを原作と比べてみるのも一興である、といえるでしょう。・・・とまあ、大ウケしたところだけをお話するのはどうかなぁ・・・と思ってしまいましたので、ここではちとマジメなことをひとつ。これは原作にもあったのですが、ある中学生の妹が亡くなっている・・・というのがありました。その妹の死因がインフルエンザだった・・・とのことです。その妹は、心臓に持病があったのですが、それでもピンピンとしていたのです。しかし、インフルエンザに罹ってしまって、そうなってしまったとのこと。現在では、コロナウイルスが世界中で猛威をふるっております。ともすれば、インフルエンザなんてたいしたことないだろう・・・なんて思ってしまいがちです。しかし、インフルエンザもムチャクチャ恐ろしいものですよ。こうして死に至ることがあるわけですから。私も、まさに実体験をしておりますから、そのインフルエンザの恐ろしさを目の当たりにしております。そのためか、今年・・・というか、もう去年の話になりますが、コロナウイルスのワクチン接種に加え、インフルエンザのワクチン接種をしてきました。以後、毎年必ずやるようにしたいな・・・と思っております。
2022.01.02
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今回の映画は、松竹映画100周年を祝うものとなっております。監督を務めるのは山田洋次です。実は、50周年を祝うものとしてつくられた「キネマの天地」というものも監督していたようです。そんな映画なのですが、原作は原田マハの同名の小説です。しかし、原作とは思いっきり内容が異なっております。原作では、映画ファンのゴウが、ブログ上で海外の批評家と映画評のやりとりをすることになっているのですが、さすがに映画化するにあたって映像化しにくいところがあったようです。そこで、映画として映えるためにどうすればいいのか・・・ということで、監督の山田と脚本担当の浅原雄三が共同でシナリオを再構築したようです。つまり、現代パートと過去パートの二つの構成でストーリーを構築させたわけです。まあ、これは原田マハの物語ではよくやっているものです。というか、これが物語を濃密なものにしているわけですので、私としては納得いくものとなっております。これにかんしては、この映画のシナリオを原田マハがさらに再構築してディレクターズカット版として出版されているようです。後日読むことにしております(註:2021年8月13日時点では、私はそもそもの原作をまだ読んではおりません。もうじき読むことにしております。ディレクターズカット版を読むのは数ヶ月後になる見込みです)。特筆すべきは、主人公であるゴウ・・・現代パートのゴウを、もともとは志村けんが演じる予定であるところです。ところが、御存知のとおり、新型コロナウイルスにかかってしまい、3月に亡くなってしまいます。その代役として、志村けんの盟友でもある沢田研二が担当することになりました。これによって、映画をよりグッとくるものにしただけでなく、志村けんの供養も兼ねたものとなったようです。特にある場面であの曲が流れたときには・・・私はホロリと涙を流してしまいました。もうひとつ特筆すべきものがあります。それは、過去パートのゴウを、菅田将暉が演じている点です。菅田将暉といえば、仮面ライダーWにてフィリップを演じておりました。つまり、桐山漣と一緒に主役を務めていたわけです。そんなわけで、二人で一人の仮面ライダー・・・ではなく、二人で一人のゴウ・・・ということに成った次第です。もともと、仮面ライダーWは、三条陸の脚本によって激アツな展開となり、最後には思いっきり泣かされてしまいましたが、今回も同様に思いっきり泣かされてしまいました。原田マハの物語は、同様にイイ話が多いのですが、泣かされることもしょっちゅうあったりします。どこか通じるところがあったのかもしれません。・・・ラグビーワールドカップが開催されていた2019年。ゴウはシルバーセンターで働いてはいるものの、ギャンブルにはまっており、多額の借金をしていた。そのためか、家族からは見放されていたのである。ある日、家族から文句を言われて家を飛び出したゴウは、いつものように近所の映画館へと向かった。既に閉館時間であったのだが、そこで翌日に放映する映画の試写をすることになっていた。ゴウは店主のすすめもあって見ることにしたのである。そこに写し出されていたのは、出水宏監督の「花筏(はないかだ)」・・・くしくも、ゴウが助監督を務めていたものである。・・・ゴウは才能があったようで、初めて監督としてメガホンをとることになります。ところが、奮闘しすぎていたのでしょうか。台本にはメモがビッシリと書きまくられております。映画の撮影はナマモノであるらしく、こうしてがんじがらめにしてしまったら、撮影時にとっさの判断ができなくなってしまう、とのことです。そればかりではなく、あまりの緊張のためか、トイレに駆け込みまくっており、体調が万全ではなかったりします。さらには、先輩から助言ばかり聞かされて、自分の考えをまげてしまったりします。そういうのが重なって、結局のところ、ゴウはセットの高いところから落下して怪我を負ってしまいます。たしかに、監督というのは、物語を構築することも仕事のひとつなのですが、それよりも大事になってくるのは、自分の意見を曲げないうえで、スタッフをビシッとまとめていく手腕・・・というものになるのです。まあ、これは上司になるのと同じことがいえるわけで、どうやって人をまとめなければならないかに苦心しなければならないわけです。私もゴウと同じように、人の上にたつ器ではなかったりします。とはいえ、仮に私が上司になったときに、きちんと組織として成立できるように人をまとめていかなければならないのかを考えていかなければならないのかもしれません。まずは、人のことが言えることをきちんとやる・・・それが上司になるためのまず第一歩となるのでは、なんて思っております。
2021.08.13
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今回の映画には、柴田恭兵が出演します。フウ一族(いちぞく)の執事として、レイモンド・フウ亡き後の後継者探しに奔走することになります。それにしましても、ずいぶんと老けたなぁ・・・なんて、ガックシきました。「あぶない刑事」などでも共演していた舘ひろしも同様に老けてしまっておりますので、当時を知る私にとっては、非常にショックを受けております。それだけ、年が経ってしまった、ということでしょう。しかし、それでも柴田恭兵は柴田恭兵です。まず、第一にカッコいいです。それにシブいです。ともすれば、主人公のダー子たちを抹殺することになるのでは・・・と思ったのですが、そこはそこ、それはそれで、結局はそうなることはなく、「やっぱいつでもカッコいいわ〜」と、男ながらに思ってしまいました。・・・製薬会社に架空の薬を売りつけようと、パートナーの女性とつるんで乗り込んだダー子。しかし、失敗したようで警備員から追われる身となっていた。そこで、親族から暴行をうける女の子を見つける。身寄りがなく、悪い親族から欺し稼業をやらされていたようである。それを見かねたダー子は、その女の子を引き取ることにした。そんななか、世界でも名高い大富豪が亡くなり、その後継者を探している・・・という情報を得る。3人の子供がいるのだが、相続できるのは、亡くなった大富豪の隠し子であるという。名前はミシェルという。ともすれば女性の名前であるのだが、男性にも名付けることができるという。かくして、膨大な額の手切れ金を手に入れるべく、女の子をミシェルに仕立てあげ、大富豪のもとへと訪れることになったのであった。・・・正直に懺悔しますと、この映画、あまり期待はしていませんでした。私はドラマをあんまり見ませんので、興味がなかった・・・というのがありました。しかし、クライマックスを迎えたときに、この思いは払拭することになります。ダー子を含めた3人が命を落としてしまうことになるのですが、その後、なぜか3ヵ月前に遡ることになります。そこで、実際になにをしていたのかが描かれるのです。実は、暗殺役の芸人によってナイフで刺されるのを想定して、あらゆる工作をしていたわけです。さらに話は遡って2年前・・・この物語の前の作品では、香港が舞台となっていたようです。そこで、ダー子たちが食堂でしゃべっていたのですが、そこに、今回の物語の人物のひとりが、その話を聞いていたようです。それが、今回の物語の発端ともなっていたようで、まさに口をアングリすることになってしまいました。気持ちいいほどに、ものの見事に欺されたわッ!・・・今回の物語では、大富豪が亡くなった後の後継者争いが勃発することになります。ともすれば、骨肉を争う修羅場になりかねない事態です。そんななかで、お金持ちってどういうことだろう・・・とか、尊いとか卑しいとかってどういうことだろう・・・とか、そういったことを思ってしまいました。要するに、本物ってどういうことだろう・・・ということですね。私も、本物になるためにはどうすればいいのか・・・ということを、毎日欠かさず考えているわけですが、いやはや、その答えは、まだわかっておりません。簡単に出ればいいのですが、そうたやすくは出ないものです。これからも様々な努力を自らに課して、本物になるためにはどうすればいいのかな・・・ということを模索していきたい・・・とは思っております。
2020.09.02
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今回の映画は、「パタリロ」でおなじみの作家さんです。パタリロ・・・アニメで見たことがありましたねぇ〜。パパンと2拍子拍手をしたあとにひれ伏して片足を後ろにあげる盆踊りのような踊りが印象深いです。で、原作となったマンガですが、1983年に描かれ、1986年に短編集として出版化されています。ただ、この原作は未完となっているようです。執筆当初は埼玉に住んでいたようで、途中で別の地に引っ越しをしてしまいます。そんな自分が埼玉の悪口をここで描いたら・・・というのがあったようで、途中で執筆を断念します。・・・父、母、娘の3人が、娘の結納のために埼玉の農道を軽トラックでひた走っていた。相手は現在浦和在住。それ故、車の色を赤にするほどのコッテコテのレッズサポである。結婚後は、憧れの東京で生活する予定となっている。その車中、地元埼玉のFM局の番組において、あるエピソードが語られていた。それは、過去に、埼玉が東京に反旗を翻したものである。ただ、娘は、たんなる都市伝説にすぎない・・・と、バッサリと斬り捨てたのであった。アメリカに留学していた麻実麗(あさみ・れい)が帰国してきた。そんな麻実が転校してきた学校では、東京ファーストの地域格差がひどいところであった。東京23区は当然ではあるが、その次には東京都下のほかに、東京ではないもののブランド力が高い横浜も、それなりの地位を確立している。しかし、埼玉の扱いはむごいほどに酷い。麻実は生徒会長の壇ノ浦百美(だんのうら・ももみ)に会うのだが、埼玉県人にたいする態度が鼻についた麻実は、偶然を装って百美を転ばしてしまう。それに根を持った百美は、全校生徒への麻実の紹介時に嫌がらせを敢行する・・・ものの、百美の鼻を明かす結果となった。なにかと敵対する百美だったが、二人っきりになったときに麻実からキスをされる。そこから麻実への態度が変わってしまう。二人が豪華なパーティーに参加しているときに、突如埼玉警報が発令される。麻実の家政婦がそこにいたのである。その家政婦は、もちろん埼玉県人であった。麻実と百実は、その家政婦を助けだすのだが、そこで麻実は生粋の埼玉県人であることを百美に明かす。そして、「真の目的」を語るとともに、埼玉県の汚名を晴らすために行動を起こすのであった。・・・この映画、徹底的に埼玉をディスっております。つまり、バカにしているところがあります。ギャグマンガっぽいところがあるため、終始そうなってしまうのでは・・・と思うのですが、埼玉と茨城の闘争の場面あたりから、その路線は変わります。それは、自虐したくなるほど嫌な場所であっても、よく見てみると、いいところがある・・・ということ。名物があったり、誰もが知っている著名な人物がいたり、意外と捨てたもんじゃないな、というものです。つまり、地元はいいもんだ・・・という、そんな「地元愛」というものが、この映画にはあるのかもしれませんね。実は、この映画、海外でも評判が高いです。というか、このような地域格差は海外でもけっこうあります。国内ならまだしも、陸続きなうえに隣同士でいくつもの国があるのが当たり前なだけに、国どうしでの地域格差というものがあるわけです。そんなわけで、日本国内のできごとであっても、「あ〜あるある!」と、共感できるところがあったのかもしれませんね。・・・と、このように、地元愛について考えさせられるところがあるわけですが、ここで、私の地元にたいする思いを語ってみたいと思います。私は実際に松島に住んでいます。はたからみると、「いいところに住んでますねぇ〜」なんて言われそうです。しかし、産まれたときからこの地に住んでおりますので、認識はちょっと違っております。それは、ここは、どこにでもある小さな町にすぎないということです。たしかに、観光地はありますし、ちょっと歩くだけで風光明媚な海を望めることができます。しかし、住んでいる場所は、観光地と呼ばれる場所ではありません。周りは小高い山に囲まれており、海を望めることはままなりません。当然ながら、家やアパートはありますし、店やらビルやらがあったりします。車だってバンバン走っております。それに、電車は走っています。東北本線は通っておりますし、仙石線も通っております。仙石線は関東で走っている車輌がガンガン走っている・・・といえば聞こえがいいですが、実情は関東の「お古」であることは否めないですし、本数だって1時間に2本・・・仙台駅に行くのでさえあれば3本という少なさ。この場で徹底的にディスりたくなるほどに、コンプレックスを持っているんです。とはいえ、この映画を観た後に、ふと振り返ってみると、この地のよさはいくらでもあったりします。まず、私の出身地をひとこと言うだけで、誰もがあ〜!あの日本三景の!なんて、一発でわかってくれます。それに、名所はいくらでもあります。なかには、隠れた名所もあったりするのです。あの「どんぐりころころ」の舞台ともなった地でもあったりします。さらには、ゆかりの著名人がいたりします。千葉雄大は多賀城出身・・・ということになっておりますが、父親の実家がこの地にあることから、幼少のときには、よくここに来ていたようです。現在は地元の親善大使をつとめております。それに、この地ではなく、近くの市や町になるのですが、山寺宏一や大友康平、それにサッカー選手だった加藤久もそうだったりします。塩釜も利府も松島も、おなじ地区としてとらえれば、けっこう有名人はおりますね。ダメ押しに、仙石線も捨てたもんではありません。風光明媚な海の側を走りますし。埼京線で採用されている保安システムである「ATACS」は、仙石線で開発されたものです。埼京線を走る車輌の前面にID番号が書かれているものがありますが、それがATACS対応の車輌となっています。ほかには、地下駅となっている京成上野駅は、かつての仙石線仙台駅をモデルにした・・・とされています。この仙石線・・・実は、地下鉄浅草線にさきがけて、初めて地下へと通じることになったものだったりします。当初の予定では、東北本線の下を交差して、宮城県庁あたりまで到達する予定だったのですが、断念することになったのは至極残念ではありますが。そんなわけで、自分の住んでいるところを徹底的にディスって自虐に走りたくなる自分ではあるのですが、この映画を見終わった後は、「ああ、地元っていいところなんだな」という、そんな清々しい気持ちに浸ることができるようになりました。
2020.04.07
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私は仙台駅をよく利用します。とはいえ、最近はペデストリアンデッキを利用することは少なくなっています。仙石線を利用する場合は、仙台駅に降りるときは乗り換えをするか、東口側に行くかぐらいしかないです。西口側に行く場合は、あおば通駅まで行けばいいだけの話です。東北本線ならびに仙石東北ラインを利用する場合は、間違いなく仙台駅で降りることになるのですが、その場合はペデストリアンデッキを通らずに、ホームから地下へと通じる階段を通って、その地下にある改札口から出てまっすぐ突っ切り、地下鉄の改札口の脇を通って、そのまま地下道を通るようにしています。これですと、雨風はしのぐことができますので、非常に便利だったりします。そんなわけで、今回の映画を宮城先行上映として観ることになったのですが、おなじみの仙台駅の光景です。ストリートミュージシャンである斉藤さんがいる場所も、よく存じている場所です。しかも、今回観に行った映画館であるTOHOシネマズ仙台までシッカリと映っていました。しかし、ひとつだけ現在とは違っているところがあります。仙台ロフトのビルに巨大なモニター画面があるのですが、現在では撤去されてしまっています。その代わりとして、隣にある緑色のビルの上部に、新たなモニター画面が登場しております。ちなみに、作中で登場する高校は、おなじく出演しているサンドウィッチマンの母校である仙台商業高校となっています。かつては男女別となっていたのですが統合され、現在の地に移転していまs・・・って、泉中央付近かいッ!(今更気づくなwww)それと、ひとつだけツッコミをいれさせてください。紗季と佐藤さん、バスに乗り込もうとして、あるバスプールに行こうとしていますが、そこ、降車用のものでっせwww・・・佐藤は仙台駅のペデストリアンデッキで街頭アンケートをしている。ショッピングビルにある巨大モニターでは、ヘビー級ボクシングの試合が放送されており、周囲ではギャラリーを形成して固唾を飲んでいる。そのかたわらで、どっかのストリートミュージシャンが歌を歌っていた。佐藤がその歌に聴き入っていると、リクルートスーツ姿の女性も同様に聴き入っていたのである。佐藤がその女性に気づいたやいなや、アンケートの依頼をすると、快く応じてくれた。手に「シャンプー」と書かれていたのが印象的であった。後日、佐藤が友人の織田一真(おだ・かずま)と一緒に知人の結婚式に行った帰りに渋滞にハマってしまった。道路工事がおこなわれていたせいである。二人でイライラしながらそこを通ると、佐藤はそこで交通整理をしている女性に気づいた。あの時のアンケートに応じてくれた女性だ!佐藤はすぐさま車を駐めて、その女性に引き出物でもらったシャンプーを手渡すのであった。それから10年後。佐藤とその女性は親交を深めていた。佐藤は女性を食事に誘った。そこでなにか言いたかったのだが断念し、店を出たあとで言い出したのである。しかし、その答えは、「今はちょっとまってて」。それ以降、女性は佐藤と会うことはなくなってしまった。そんなこんなしているうちに、10年前にチャンピオンとなったボクシング選手のチャンピオン奪還戦が開催されていた。あの時と同様、仙台駅のペデストリアンデッキは興奮のるつぼと化していた。それと同時に、あの時のストリートミュージシャンもそこにいて歌を歌っている。佐藤がその歌に聴き入っていると、その近くで、あの女性も一緒に聴き入っているのに気づく。そして、女性がバスに乗ろうと立ち去ったのに気づいた佐藤はその後を追うのであった・・・。・・・今回の映画の原作となった小説では、以下の6つの章で構成されています。アイネクライネライトヘビードクメンタルックスライクメイクアップナハトムジークこの映画では、これらの章が複雑に入り交じった状態で構成されているわけですが、そのなかには、ストーリーの順番が入れ替わっていたり、端折られていたりするものがあります。それがどこなのかは、実際に原作を読んでみて楽しんでみてください。原作では、大まかにみてみるとボクシング選手がメインとなっているのですが、映画では、一番最初の「アイネクライネ」に登場する佐藤さんの物語がメインになっています。原作においては、佐藤さんが工事現場で女性と再会したところで話が終わってしまっていますが、そこから先をシッカリと描いておりますので安心して下さい。ただし、これを書いている時点では、まだ全国公開はされていませんので、ここではどういう風になったのかは語らないことにします。こちらもお楽しみにしてほしいところです。また、映画では仙台出身のサンドウィッチマンが登場することになっています。私がその詳細を知らない状態で原作を読んだのですが、一番最後の章である「ナハトムジーク」において、ボクシング選手がインタビューをされている場面があります。そこで、ある漫才師がボクシング選手にインタビューすることになっています。そこで登場するのかな?・・・と思っていたのですが、全然違っていました。映画では、さすがに女性のアナウンサーがしていました。サンドウィッチマンは違う配役で出演しております。しかも、存在感は抜群にありますので、そちらも注目していただきたいところです。最後にもうひとつだけ。佐藤さんが街頭アンケートをしていたときに会った女性は、リクルートスーツ姿でした。その姿を見て、「やっぱスーツ姿の女性って萌えるなぁ〜♡」と思いました。実は、この映画を観に行った日に、仙台駅に向かう時と、家に帰る時のいずれの時の車内において、そんなスーツ姿の女性と鉢合わせになりました。「やっぱえーなー」と思いましたよ。さすがに話しかけるわけにはいかなかったです。怪しまれること間違いなしですもん。そんなタワけたことを思いつつ、電車に乗っていたり、仙台駅周辺を通っていたりしているわけですよハイ・・・
2019.09.15
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今回の物語は、テレビドラマ化されております。いつかは見てみたいなぁ〜・・・と思っていたら、ようやく見ることができました。さすがはスカパー!今回も、その恩恵に授かることにしましょう。で、今回は2012年にTBSにて制作された2時間のテレビドラマです。大まかなストーリーは原作どおりなのですが、違っている点がいくつかあるようなので、ここでお話することにしましょう。ちなみに、原作のレビューはコチラ♪まず、主人公二人が仙台在住だったのですが、これが端折られています。そのため、仙台を訪れる・・・ということはありません。二人は夫婦だったのですが、これがそうではなくなり、物語の最後で男がプロポーズすることになります。また、悪徳医師の村下猛蔵の出身地が語られることもありません。それと、舞台となる病院は千葉県の東側・・・つまり、房総半島の北東に位置していたのですが、これが静岡になっています。また、この物語に登場する薬は、アルコール依存症のためのものでしたが、これがアルツハイマー症のためのものとなっており、作中の雰囲気も痴呆症の問題を扱ったものとなっております。さらに、悪徳医師が事件の直後に死んでしまう・・・というものが、逮捕されることになっています。そんなわけでしたが、このドラマを見終わっての印象は、著者である宮部みゆきの「R.P.G.」の続編だ・・・というものでした。原作を読んだ時には続編のようにはみえなかったのですが、このドラマでは、主人公となる男女二人と接する人たちが、全員何らかの役割を持っていた・・・というのがありました。いや、主人公二人も、ある意味役割を担わされたかたちになったので、正確には悪徳医師に接する人たちが…と言ったほうがいいのかもしれません。これで「R.P.G.」と「レベル7」の2冊を買ったときに抱いた印象を実感できたわけで、溜飲を下げた次第です。
2019.08.23
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私は、この映画の次回作である「〜シャドウズ」を見ております。まあ、実際に映画館に行って、リアルタイムで観たわけです。で、前作のほうは見逃してしまったかたちにはなったのですが、今回、スカパー!・・・正確にはザ・シネマとよばれるチャンネルで放送されることになったので、あらかじめ予約録画して観ることができました。ケーブルテレビにハードディスクレコーダー・・・スケジュールさえ合えば観ることができるわけですから、技術の進歩って素晴らしいものですね!・・・エイプリル・オニールはテレビ局でレポーターを担当している。本当は、大スクープを狙おうと躍起になっているのだが、テレビ局のひとたちは誰も評価してくれない。ある夜、エイプリルは港でフット軍団が暗躍しているところを目撃する。すると、突如として謎の「4人組」が出現して撃退するのである。その4人組はカメの姿をしている。エイプリルはテレビ局の同僚に報告するのだが、誰も信用してくれない。その後、エイプリルは再び謎の「4人組」を目撃する。そして、スマートフォンで激写した・・・のであるが、それに気づいた「4人組」は、エイプリルにたいしてスマートフォンを破壊するように指示をだした・・・のだが、妥協して、「4人組」が映っている画像を削除するにとどめたのであった。さらに後日、今度はエイプリルが「4人組」から呼び出された。エイプリルがそれに従ってついていくと、ネズミのスプリンターがいた。「4人組」とは、レオナルド、ラファエロ、ミケランジェロ、ドナテロの4人のカメ忍者であり、その4人を育てたのがスプリンターだったのである。スプリンターは、エイプリルがある事件において助けてくれたのを覚えており、そのときの感謝をしたのであった。そうこうしているさなか、突如として爆発が起きて・・・。・・・この映画は「忍者」の要素があるだけあって、英語オリジナル版であるにもかかわらず日本のものがガンガン登場します。 なかでも圧巻だったのが、シュレッダー。 日本人なだけあって、日本語がペラペラだったりします。 そのうえで、英語をバリバリと話すんですよ。 もう一度言いますが、英語オリジナル版ですよ、奥さんッ! こんなふうに、シュレッダーのように英語ができるようになりたいな・・・と、日本人の私は思っていたりします。・・・さて、この映画の主人公となっている4人のカメ忍者ですが、じつはエイプリルの父親が研究をしていた施設にいた子ガメでした。スプリンターもそこにいたわけです。で、ミュータジェンと呼ばれる物質を投与されて、かのような姿になったのです。4人のカメ忍者の名前は、いずれも芸術家の名前からとっています。エイプリルによって名付けられました。スプリンターのほうはといえば、日本人の忍術家であるハマト・ヨシに飼われていたそうで、ハマトが殺された後は施設に収容されてしまったようです。エイプリルは、この4人のカメ忍者とスプリンターにたいして、餌を与えたり、研究所で火事が発生した時には助けたりしています。いわば命の恩人である・・・といえますね。・・・歴史は繰り返すというのがありますね。これを英語で言うとどうなるか・・・。This is a history.となるそうです。歴史というものは、ある意味、愚かな行為の繰り返しともいえます。だから真剣に歴史というものをしっかりと学ばなければならないのです。それでも、残念ながら歴史を真剣に学ぼうとせず、過去に起こったことと全く同じことを繰り返してしまうのです。これが人間というものの「性(さが)」というのかもしれません。だからこそ、「愚かな行為を繰り返す」という愚行が、「歴史そのものである」・・・と、英語圏の人たちは考えているんだなぁ〜・・・と、まざまざと考えさせられた次第です。
2019.07.28
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平成天皇の誕生日は12月23日です。私はこの日を「クリスマスイブイブ」と勝手に呼んでおります。クリスマスは12月の25日ですね。で、クリスマスイブは、その前日の24日となるわけです。ということで、さらに前日である23日が「クリスマスイブイブ」・・・という次第なのです。しかし、平成が今年の4月末で終焉を迎えることにともない、天皇誕生日だった12月23日を祝日としない・・・とすることに決定されました。新しい天皇の誕生日は新たに設定するものの、12月23日に新たな代替の休日は設定しない、というのも決定されております。さすがにこれ以上休日を増やすというのはいかがなものか・・・という意見がチラホラと出てくるような事態ですので、これはやむを得ないことではあります。しかし、平成の天皇誕生日をなくすかわりに、せめてクリスマスの時期に・・・25日もしくは24日に休日を設定してほしかったなぁ〜・・・とは思います。・・・この映画に、ある「日本のもの」が登場するのに気づいたでしょうか。実は、おじさんの屋敷の庭に、提灯がぶらさがっております。ええ。ロンドンの屋敷の庭に日本の提灯が・・・です。提灯といえば、初詣や夜桜の時期に、神社の境内にぶら下がっているものなのですが、なんとクリスマスの時期にぶら下げているようなのです。 やはり、海外でも提灯は美しいものだ、ということなのでしょう。 クリスマスに提灯・・・アリかもしれませんね。全般的に、美しい風景で彩られているのですが、なかでもいちばん美しく感じたのは、冬の風景です。寒い冬のさなか、雪が積もった風景は、格別なものがあります。地元である松島において、五大堂や観覧亭などといった名所は当然として、山林のみならず住宅地であっても、雪が積もっている光景を見ると、どれもが美しく感じてしまうのです。こういうものを目の当たりにすると、松島の美しい時期というのは、まさに冬なのだな・・・と感じるのです。冬は寒いのがいやな点ですが、先述のように冬の松島の風景は格別なものがあるうえに、牡蠣などといった美味しい食べ物があったりしますからね。それに、あの豪華列車の四季島も、この松島に停車するのは冬であるこの時期ですしね。・・・クララたち3人の姉弟は、父親からプレゼントをもらった。クララの姉は母親の形見のドレス、弟は兵隊のオモチャであった。クララは・・・というと、卵形のオブジェである。しかも、鍵が掛けられている状態で、その鍵がないのである。クララたち家族は、おじさんの屋敷で開催されているクリスマスパーティーに参加することになった。そこでクララは、ロープが張られているのを見つける。そのロープをたどっていくと、なんと不思議の国に入ることができた。ロープをさらにたどると、その先に鍵が掛けられているのを見つける。クララがその鍵を取ろうとしたその瞬間・・・。・・・美しい風景に美しい音楽・・・このテの物語では、全てにおいてほのぼのとしたものがあります。しかし、ストーリーとしては童話らしく、エゲツない部分をも描いていたりします。それは、「人間の汚い心」といってもいいでしょう。これがあるからこそ、童話たりえるもの・・・といえるのかもしれません。そういった意味では、「仮面ライダー」に通じるものがあるのかもしれません。あれに関しては、一見したところ「子供向け」という印象があるのですが、ストーリー的には、まさに「大人向け」という印象を私は抱いています。私が幼少の頃に、リアルタイムで見ていた時があったのですが、生身の身体を機械に改造する・・・という時点で、「この物語は自分には合わないな」と思ったものです。酸いも甘いも体験した今だからこそ、この「仮面ライダー」の良さを実感できるのかもしれません。
2019.01.03
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2017年、東北本線は開通して130年が経ちました。正確にいえば、1887年に郡山から塩竈までが開通した・・・ということになります。この塩竈駅ですが、現在の塩釜駅とは違います。現在の仙石線本塩釜駅の場所に存在し、岩切から陸前山王を経て、そこから新線と併走し、国府多賀城駅を過ぎたあたりから分岐していく・・・という、かつての貨物線のルートをたどっていました(国府多賀城駅は貨物線が廃止された後に開業)。現在のものは後年に開通した新線にあるもので、1956年に開通されました。その後、1890年に岩切駅から分岐して利府駅を経るルートをたどる形で一ノ関駅まで延伸されます。そのなかに、松島駅があるわけですが、こちらも塩釜駅同様、現在のものとは違う場所にありました。近くに陸上自衛隊の駐屯地があることから、軍事的な目的も兼ねてそこに駅を設けたのでしょう。そのため、観光地のある松島海岸駅近辺からはエラく離れた場所にありました。それでも、ご丁寧にも三重塔ともいえるような観光案内所があったのですが、2006年頃に解体されたそうです。このほかに特筆するべきものは、この松島駅から観光地である海岸地区にむけて電車が走っていた、ということです。その名も松島電車。1922年、松島駅から五大堂前までを愛宕橋、松島高城、新富山という駅を介して走行していました。いわゆる旧型の電車を使用していたそうです。残念ながら経営は破綻寸前だったようで、債権者が夜中にレールなどを撤去してしまって走行不能に陥ってしまいました。それに加えて、戦況の悪化もあり、1944年に廃止と相成りました。それを踏まえると、今回の映画は、松島でも実現可能ではあるな、と思います。松島は観光地というのもあるのですが、その一方で瑞巌寺や雄島や富山(とみやま)観音などといった霊験あらたかな場所がたくさんあります。それに、風光明媚な松島湾を走行する仙石線もあることですので、黄泉国へ行く電車だって実現できますよ。え?この松島に実際にオバケや妖怪がでるかって?私、かつてはお墓の近くに住んでいたのですが、そんなものは一度も見たことがありませんよ。ただ、蛇はよく見ていましたけどねorz・・・亜紀子は小説家である正和のともに嫁いだ。正和の自宅は鎌倉にあるのだが、夜になると妖怪が出没するのである。夜に市場が開かれていたので亜紀子は正和と一緒に行ったのだが、そこに近所のオバサンと出会う。実はすでに亡くなっているのだが、ある契約を取り交わすことによってこの世にいることを許されているのだ。そして、1日に1度だけ、ある駅から発車する江ノ電によって黄泉国に行くことになることもしるのである。ある日、正和は行きつけの居酒屋のママから厄除けのお札をもらう。それを玄関に貼り付けるように言われたのだ。その後、亜紀子が家に戻ったのだが、お札の効力により家に入れない。実は亜紀子は幽霊にされており、身体は誰かに乗っ取られてしまったようなのだ。亜紀子はイケメンの死神によって江ノ電に乗って黄泉国へ旅立ってしまう。後日、その正和は亜紀子の「遺体」を見つけ出す。実は、突然亡くなった女性が、娘が気がかりで亜紀子の身体を借用したそうなのだ。亜紀子の身体を見つけた正和は、自ら幽霊となって、黄泉国へ旅立ってしまった亜紀子を探すべく江ノ電に乗るのであった・・・。・・・一平くぅ〜ん、あんたそこでなにやっとんねん!・・・というのが、まず第一にツッコミをいれたところです。一平くんとは、愛媛FCのホームゲームに登場するマスコットキャラクターです。もともとは地元のお店のキャラクターだったのですが、愛媛FCのホームゲームの試合前にゆるキャラ徒競走をしたときに爆走を演じ、ゴール寸前でまさかの肉離れによって転倒!担架に担がれて退場してしまったのです。その光景が愛媛FCのサポーターのみならず、全国のJリーグサポーターの心を掴んでしまい、一躍人気者になってしまったのです。で、今回の映画では、正和の長年の編集者であった上田が余命1ヶ月を経たずに亡くなるわけですが、死神との契約がままならなかったこともあり、その代替えとして妖怪に転生することになりました。それがカエルだった・・・というわけで、上述のツッコミとあいなったわけです。仮に飲み物を飲んでいた時に上田がカエルの妖怪に初めて転生するシーンをみてしまったら、確実に飲み物を噴くところでした。幸いにも通路のある席であり前の席とはいくぶん離れていましたので、実際に噴いても前の席の人に迷惑を及ぼすことはなかったでしょう。次に、亡くなった人を案内する死神について。榎田ユウリの小説に「ここで死に神から残念なお知らせです。」というものがあるのですが、そこでもイケメンの死神が登場します。今回の映画では、中性っぽい印象があったのですが、ちょっとググってみるtえええええええッ!演じていた安藤サクラは、なんと女性でしたorz私てっきり男性だと思っておりました。スーツ姿があまりにも凜々しかったもので、男にしか見えませんでした。じ、じつにかっこよかったなぁ〜アハハハハ(言い訳)亡くなった人は、イケメンの死神によって江ノ電に乗って黄泉国に乗るのですが、その風景は絶景そのものでした。仙石線は、風光明媚な松島湾を走行するのですが、その光景をはるかに超越するほどの絶景です。映画でその風景を見て、「ま、負けた・・・orz」と思いました。松島湾は船に乗って楽しむことができるのですが、仙石線に乗って楽しむことができます。それに加えて、名所も数多くあります。それに加えて、江ノ電にあるような、海と道路が隣接する光景もありますので、こちらも楽しむのもいいでしょう。・・・とまあ、ツッコミどころが満載の映画ではありました。も、もちろん、「いい意味での」ということですよ。最後に・・・ということで、夫婦について語ってみましょう。なんらかの縁があって男と女が出会い、友人となり、そこから恋が芽生えてきて、いつしか結婚することになります。なかには芽生えた愛情が冷え切ってしまって、残念ながら離婚することを余儀なくされることもあるのですが、そうならずに死に別れるまで幸せいっぱいになることもあるのです。亜紀子は正和に対して「貧乏でも一緒にいるよ」と言ってくれています。結婚すると、生活するためには、どうしてもお金が必要です。子どもができたら尚更なことです。私のような薄給の身では、子供どころか妻さえも養えることができません。そのことがあるため、結婚には躊躇してしまいます。とはいうものの、外国では、「結婚するにはお金なんて必要ない。必要なのはフライパンだ」などというようなことがあるそうなのです。結婚さえすればなんとかなる・・・ということなのでしょう。私は女性からは見向きもされることはないわけで、ましてや「売れ残り」とも言われるような状態。それでもめげずに自分を磨き続けていこう・・・とは思っておりますよホント。
2017.12.24
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東野圭吾かぁ〜・・・。これまで数多くの本を読んでいるにもかかわらず、この人が書いた本は1冊も読んだことがありませnって、それってダメじゃん!!・・・というselfツッコミはさておいて、東野圭吾といえば、ミステリー小説を数多く手がけているイメージがあります。しかも人気がある・・・というのも知っています。友人からも「オススメの作者だ」ということを聞いています。そんなわけで、私にとっての初めての東野作品となるわけですが・・・盗人3人組のリーダーはどっかで見たことがあるなぁ〜と思いました。仮面ライダーオーズに主人公の相棒であるアンク役を演じていたのでは・・・と思っていたのですが、今インターネットでググってみたら勘違いでした。アンク役を演じていたのは三浦涼介で、今回の映画に登場していたのは山田涼介でした。とんだニアミスだよコンチクショウ!物語の舞台が2012年だ・・・ということもあり、使用されている携帯電話は、私にとって見覚えがあります。それは、私がかつて持っていた、カシオ計算機から発売されていたau向けのタフネスなスマートフォンでした。しかも色もおんなじ赤でした。しかし、この携帯電話、ちょっと使っただけで電池の減りが激しかったのが欠点でした。こうして我慢して使っていたのですが、いつしか電源を供給する役割があったmicroUSBの端子部分がおかしくなってしまい、充電することができなくなってしまいました。しかも悲しいことには、カシオ計算機の携帯電話開発事業がNECの携帯電話開発事業に統合されます。さらに悲しいことに、そのNECの携帯電話開発事業が撤退することになってしまい、事実上カシオ計算機のタフネス携帯が消滅することになってしまいました。その後、京セラがカシオ計算機の後を引き継ぎ、タフネス携帯を発売することになるのです。・・・1969年。戦後のめざましい発展により、商店街にはチンドン屋の明るい音楽が流れ、人々には笑顔が溢れていた。その街中に「ナミヤ雑貨店」と呼ばれるお店があった。そこでは優しいオッチャンが店主をしていた。店の入り口の左側には掲示板があり、そこには各自が書いた「悩み相談」が貼られており、オッチャンがそれに返事を書いているのであった。このほかに、深刻な内容の場合は、店が閉まっている時にシャッターの投函口に手紙を入れることになっており、その返事は建物左脇にある牛乳箱の中に入れるようになっていた。ただし、その返事の手紙が入っていると思われる牛乳箱の中は決して覗き込まない・・・ということが暗黙のルールとして存在していたのであった・・・。2012年。若い男性3人が盗みを働き、車に乗ってトンズラしようとしていた。ところが、この車がエンストを起こしてしまったため、走って逃げることにした。その際に、ひとりの男が見つけたという廃屋に隠れることにした。長い間、誰も住んでいなかったため、室内はものすごく汚い。そんな状況に不満を持ちながらも一時の休息をしていた時に、シャッターの投函口から手紙が投函されてきた。驚いて外に出ても人影なんてあるはずもない。そんな中、その手紙を読んでみると、昨日、ジョン・レノンが死にました。ん?ジョン・レノンが死んだ??いつの話だ???1980年????おかしな話である。今は2012年だというのになぜジョン・レノンが?こんなヘンな話はおいといて、サッサと逃げよう!・・・と思ってさらにトンズラするのだが、なぜか街中をグルグル走り回るような状況になっており、最終的には、なぜかさっきまでいた廃屋の前にいるのであった。再び廃屋の中に入り、そこにあった雑誌を見ると、この廃屋のことが書かれていた。この廃屋の店主が悩み相談をしていて、相談ごとがあったらシャッターの投函口に投函し、その返事が牛乳箱に入っているそうである。ならば・・・ということで、3人は手紙の主に対して返事を書き始めるのであった。音楽で成功する人間はごく一握りの人間だけである。せっかく家業の魚屋があるわけだから、それを継いだほうがよい・・・と、返事を書いたわけだが、手紙の主は意志が相当堅い。何度目かの手紙を投函した時に、その男は自身が作った曲をハーモニカで演奏し始めた。どこかで聴いたことがあるようなないような・・・その曲は、3人にとって心当たりがあるものであった。この手紙にたいする返事を受け取った「魚屋のミュージシャン」はどういう反応をしたのであろうか。そして、その後の人生にどのように影響を及ぼすことになったのであろうか。さて、悩み相談の返事を書いていた店主のオッチャンだが、返事を書く際には相当悩みに悩んで書いていたらしい。ある時、不倫して子供を身ごもっていた女性が、この子供を産むべきか堕ろすべきかを相談してきた。オッチャンは相当悩んだあげく、「子供を幸せにする覚悟がなければ産まないほうがいい」とアドバイスするのであった。その後、オッチャンは腹部に痛みを覚えて入院することになったのだが、末期の膵臓ガンで、余命3ヶ月であるらしい。入院している最中、ある新聞記事を目にする。それは、子供を産むべきか堕ろすべきかを相談した女性が交通事故で死亡した・・・というもの。幸いにも子供は無事であったらしい。オッチャンはこの記事を読んで非常に落胆するのであった。オッチャンは、息子に遺書を託す。それは、オッチャンが亡くなってから三十三回忌を迎えた日に、ナミヤ雑貨店のお悩み相談を復活させてほしい・・・というもの。その際に、以下の「お題」を出すように指示を出した。ナミヤ雑貨店の悩み相談は、あなたのお役にたったのでしょうか?それから、オッチャンは自分がいた店に戻るのであった・・・。・・・んほーーーーーーーーーー!!全世界の俺が泣いた!「君の膵臓がたべたい」を読んだ時にもボロクソに泣いたのですが、今回の映画は見ている最中泣きどおしでした。最初の前半部分にあった「魚屋のミュージシャン」の話なぞ、「もしかして成功するのでは・・・?」と思って見ていたら、まさかの出来事で「ああいうこと」になってしまい、さらにはそこから先の話があった・・・ということで、この時点で本当にハンカチのお世話になっちゃいました。いや〜、本当に泣けました。さらには、あらゆる話が、ものの見事につながっており、これでも思いっきり泣けましたね。東野圭吾の作品は人気がある・・・ということは、友人から聞いておりましたし、インターネットで見てみても、その評判はすこぶる良い印象があります。今回、初めてその作品に触れましたが、本当に素晴らしいものがありました。これからこの人の作品を、文庫本なりなんなりで読んでみたいと思います。「魚屋のミュージシャン」は、その名のとおりミュージシャンを志望していたわけですが、成功するのは「ひとにぎり」だけだ・・・という現実があります。そんななかでひとり奮闘して努力し続けているわけですが、そのときに出会った女の子が「必ずこの曲は後世に残ります!」と語っていました。さまざまな「もの」を作り上げる以上、後世に残る「もの」を作れることが作者冥利につきる・・・というもの。そのためには、誰にでも愛されるものを目指していかなければならないわけです。私は今回のように映画を観た時のほかに、本を読んだり展示会を観に行った時に「レビュー」として、こうして書いているわけですが、はたしてこれらのものが後世に残せるものであるかどうかは、はなはだ疑問です・・・というよりも、この時点でそういうことを思ってしまっては「おこがましい」のも甚だしい・・・というもの。とはいえ、こうして書くからには、やはり誰からも愛されるようなものを目指さなければならないのです。決して自画自賛して自惚れることなく、謙虚な姿勢で研鑽をし、読み応えがあって楽しく感じて貰えるようなものを書けるようにしていきたいです。さて、この「魚屋のミュージシャン」ですが、その後、音楽の道を続けます。そして4年後、とある児童養護施設に慰問をします。しかし、その日の夜、その施設は火事に見舞われ、子供が取り残されてしまいます。その男が子供を救出したものの、焼け倒れた材木で身動きがとれなくなってしまい死んでしまいます。その子供の姉は、男性の遺志を継いで歌手となり、慰問をした時に男性が歌った曲に歌詞をつけて歌うのです。その歌の名がREBORNなのです。
2017.09.24
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著者は憶(おも)いだしている。小さい頃、近江国のその寺に行った記憶を・・・である。その本堂の向かって左側にある座席に、老人が呼び寄せた。「わしがいますわっているここに、太閤さんが腰を下ろしていた。鷹狩りの装束をなされておった・・・」その老人は、この場所で大閤秀吉が幼少の石田三成と出会った頃の「いきさつ」を訥々と語るのであった。著者は、この物語・・・つまり、「関ヶ原」という、とほうもない人間喜劇・・・もしくは「悲劇」をかくにあたって、どこからてをつけてもよいものか、ぼんやり苦慮していた。しかし、ヘンリー・ミラーは、「いま君はなにか思っている。その思いついたところから書き出すとよい」といったそうだ。そういうぐあいに、話をすすめよう・・・。・・・・・・というわけで、ブックレビューに続き、今回の映画である「関ヶ原」の映画レビューも書くことにするわけですが、ブックレビューで基本的な「あらすじ」を書いてしまったわけで、映画では多少はしょっているところがあるとはいえ、おおかたは同じだ・・・といえますので、いつもやっているような、「イントロダクション」・「あらすじ」・「感想」の3部作を構成させる・・・という芸当は、今回はできません。さあ困った・・・というわけで、ちょっと趣向を変えて、先に「あらすじ」を書いてしまって、これから先は今回の話にまつわるものをいくつか書いてみようと思います。とはいっても、ブックレビュー・映画レビューとも、「あらすじ」は、エラくはしょってしまって、キチンとした「あらすじ」とは言い切れないところがあるのですが、そこは笑ってゴマかしてしまうことにしましょう。アハハハハ・・・(^^;)・・・今回の舞台は関ヶ原なのですが、なぜその地だったのか?関ヶ原のすぐ西には石田三成の居城であった佐和山城がありました。そこから京都までは歩いて半日程度の距離であるそうです。三成としては、そこで家康率いる東軍を食い止める必要がありました。本来ならば、そこよりも東にある尾張・三河あたりで食い止めたかったのですが、東軍の動きが想定よりも速かったそうです。そこで、西軍の拠点を大垣城に置いたのですが、戦略上の理由から城を捨てて野戦に切り替える必要に迫られました。その場所こそが関ヶ原だった・・・というわけです。関ヶ原の合戦において重要な人物となるのが小早川秀秋です。この秀秋が東軍に寝返ったことによって、アッサリと決着がついてしまいます。秀秋は朝鮮出兵の際、首級を10個も取ったにもかかわらず、逃亡したことにより問題となり、減封ならびに転封の処分を受けます。その際に、家康からは「ここは我慢だ・・・」といわれ、グッとこらえて、この処分を甘んじて受けます。そして関ヶ原の合戦の際には、家康からは東軍に寝返るように言われたのですが、最後の最後まで拒否をしていたようです。映画の中では、東軍からの兵士が命がけで秀秋がいる本陣までかけつけているにも関わらず・・・です。三成が捕らえられて門前に晒された状態のときに秀秋が面会した時も、秀秋が三成に対して涙ながらに詫びていました。しかし、原作小説を読んだり映画を観たりして疑問に思うのは、なぜ小早川秀秋ひとりが東軍に寝返っただけで、いともアッサリと決着することになったんだろう・・・ということ。実は、西軍の中には東軍に寝返った軍があったほかに、なんと戦闘に参加しなかった軍がいたそうなのです。「傍観している」とか、「念仏を唱えて武運を祈る」といえば聞こえがいいのですが、要はサボタージュですね。そうした状況の中での秀秋の寝返りは、まさに西軍にとっては痛恨の出来事であった・・・といえます。すべては、関ヶ原合戦前に、充分な「政治的な下準備」をぬかりなくやった徳川家康が一枚上手だった・・・といえます。・・・この映画の中で、こんなセリフがありました。「正義で世の中は動かん!」残念ながら、現在の世の中は、実際にそうなっています。いくら正論を唱えていても、それが通用しないことはよくあるもので、歴史が証明しています。武力・腕力といった物理的なものだけでなく、金銭や権力などといったものもひっくるめて、そういった「力」があるものが「正義」であるわけです。あえて「正義」とカッコ書きにしたのは、それが「正しいこと」ではなく「間違ったこと」であっても「正義」として通用してしまうのです。今回の映画の中でも、石田三成が思っていた「正義」は、脆くも通用しなかったのです。残酷ながらも、このようにして、現実は展開していくわけです。過去もそうだったのですが、現在でもこのような状況は起きていますし、なによりも未来でも起こりえることなのです。現時点でもそういう状況あるなかで、私のような「このような人たち」がどんな正論を言ったとしても、なんの解決策になるわけではありません。ましてや「未来への提言」になる価値なんてあるわけありません。とにかく、「まずは自分自身が正しい行動ができるようになること」だけを考えて、これからも努力し続けるほかありません。まあ、現時点ではそこまではいっているわけではないので、ひたすら精進するほかないのですが・・・。
2017.09.03
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映画館でアニメを観るのは久しぶりです。じつに20年ぶり・・・というものです。その時は、「もののけ姫」や「エヴァンゲリオン」を観ていました。いずれも非常に話題になっていたもので、なおかつ待ち行列もまさしく「長蛇の列」になっていました。エヴァンゲリオンといえば、元々はテレビ東京系列で放送されていたもので、そこで放送された当時は、私が住んでいる地域にはテレビ東京系列局なんてありませんのでリアルタイムで視聴することはありませんでした。そういった地域にいる場合は、そこに所在するテレビ東京以外の系列局で放送することになります。ここ宮城ではフジテレビ系列の仙台放送で放送されていましたが、私はその放送局で視聴しませんでした。隣県である福島県にあるTBS系列のテレビユー福島で放送されているもので視聴をしていました。実は私の家では、宮城のUHF局の写りが悪く、逆に福島の放送局のほうが鮮明であったので、もっぱら福島の放送局ばかり視聴していました。なので、宮城にいながら福島の情報ならびにCMはガッチリと把握していました。ちなみに、ガイナックスでは福島に制作スタジオを設置したそうです。そのほかに、エヴァンゲリオンの主題歌を歌っていた方も同じ福島出身だったそうで、福島の放送局で観ていた私としては、非常に納得しているものを感じています。・・・巨大な木のなかに施設らしきものがあるのだが、そこで火災が発生している。その最中、一人の少女が青く光る石のようなものを持ち去ろうとしていた。執拗に追ってくる相手を振り払うがごとく空飛ぶ箒に乗って逃げ切った・・・のだが、小さな島に墜落してしまう。その際、青く光る石のようなものが飛び散り、芽がでて、瞬く間に大きな木に成長していったのだ。どうやら何かの種であるようだ・・・。メアリーは叔母であるシャーロットの家に引っ越してきた。引っ越しの後片付けがまだ終わっていないうえに、家の手伝いをしようにもうまくいかない。ある日、メアリーは外出する時にシャーロットから用事を頼まれた。それは、ピーターに品物を届けることであった。シャーロットはメアリーのためにピーターの家の所在を書いたメモを託したのであった。ピーターはメアリーのことを「赤毛の猿」とはやしたてていた。ピーターにバッタリと出会ったメアリーはぞんざいに品物を渡したのであった。その後、メアリーは野原でサンドイッチを食べていたのだが、そのときに黒い猫と出会って仲良くなった。この黒い猫が山の中に行っちゃったのでメアリーはそれについて行くことにした。すると、青く光ったすずらんのような花を見つける。あまりにもきれいなので摘んでみると、そこからたちまち白いもやが出てきたのだった。しかも所々で電撃が発生する。翌日、その花を家の人に聞いてみると、その花の名前は「夜間飛行」と呼ぶらしい。なんでも、魔女がなんとしてでも手に入れたい花である、とのことであるのだが・・・。メアリーが外出すると、ふたたび黒い猫が現れた。また山の中に行くのでついて行くことにした。また同じ場所に来てしまい、摘み取った花に触ってみると、粘着のある液体が出てきて・・・。その後、よく見ると、そばにある大木のなかに箒がある。それを手にすると、その箒は生命が入り込んだように動き始め、手にしたメアリーを道連れに空に飛び出していった。その箒は一気に上空に昇りあがり、積乱雲を目指していった。その中心点までいったと思ったら、こんどは下降していく。そこは見慣れない海洋地帯だったのだが、しばらくすると孤島を占拠する大きな施設に到着したのだった。そこは魔法使いを養成するエンドア大学であった。メアリーがあたふたしているうちにその大学の新入生となってしまったのだが、その大学の規則の第1条には、こんな決まりがあった。不法侵入者は変身魔法の刑に処す大学の校長を務めるマダムがメアリーを新入生として出迎えてくれ、大学内を見学させてくれた。最終学年の教室で透明人間の魔法の授業があったのだが、そこでメアリーは才能の片鱗を見せつけ、マダムから太鼓判を押される。この大学では魔法を科学として研究している。そんななかで、鍵などで厳重にしている施設がある。そこで何かの悲鳴が響くのだが、同行した魔法科学者のデイは「実験には失敗がつきものだ」と言い放つ。メアリーは大学入学の手続きをするために校長室に行った。そこにメアリーが見た花が描かれた飾り物を見つけたのだが、そこに触れると動きだした。その中には本があるのだが、見慣れない文字が並べられていてサッパリわからない。どうやら魔法の呪文が羅列されているようである。上機嫌であるマダムに対してメアリーは「花のおかげ」としゃべった際、そのマダムの表情は一変。「その花はどこにある?」と詰問してきた。しかも、「手にしているのは何だ?」とも言われたため、メアリーはとっさにピーターの家の所在が書かれたメモを渡してしまう。そうこうしてメアリーは家に帰ってきた。が、どうも様子がおかしい。ピーターが行方不明になったそうだ。しばらくすると、蝶が飛んできた・・・とおもったら、それはマダムが送り込んだものだった。ピーターはマダムに囚われてしまったようだ。メアリーは前日に摘んだ花を手にして再びエンドア大学に行く。マダムは青い花を奪ったのだが、それを使って変身魔法の研究を再開しようとしている。その実験材料としてピーターが使われることになっているようだ。そういうなかで、メアリーはピーターを助けにいく。しかし、逃げ出す時にマダムとデイによってふたたびピーターは捕らえられてしまう。メアリーは「もとの場所へ」と魔法の箒に命令をするが、ピーターの所に戻ろうとしなかった。しばらくすると小さな島に到着した。その家は、メアリーを待ちかねていたようであった。部屋の中には、写真がいくつかあったのだが、そこには若き頃のマダムとデイが映っていた。しかも、メアリーとそっくりの女の子まで・・・。そんな中、マダムが襲いにやってきた。騒然とする中、メアリーは大きな鏡に手を触れてしまった。するとそこにはシャーロットの姿が映し出されたのだった・・・。・・・マダムとデイは、元々は教育熱心であったようです。しかし、青く光ったすずらんのような花を見つけたことにより、人が変わったようにおかしくなってしまうのです。この物語では、変身魔法というものが登場するわけですが、人間の成長においても、なんらかの変身とか変化とかがあるわけです。そうしたなかで、仮に成功したりとか、自分にとって得になりえる「力」や「宝」を得たりした場合、慢心したり、相手をぞんざいに対応したりなど、おかしくなってしまう場合がでてくるものです。そうならないためには、どんなことがあっても謙虚であり続けることが大切になるのではないでしょうか。成功したり、得をしたりしても、「これでいいんだ」と思っては絶対にいけないのです。成功したり得をしたりしたからこそ気を引き締めて、より謙虚にならなければならないわけです。5月に、ある時代劇映画を観に行ったときは、その映画の内容があまりにも酷すぎたので、開始5分で退席してしまった・・・という粗相をしてしまいました。今回の映画は本当にいい作品であるので非常にホッとしています。ここにきて「これは観たい!」と思える映画がいくつか登場する予定ですので、満を持して臨んでいきたいです。
2017.07.16
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今回の映画の原作者である遠藤周作は、幼少の頃にクリスチャンとなったという経緯があるため、主にキリスト教に基づく人生観を描いたシリアスな長編小説で有名です。その一方で、自らを「弧狸庵(こりあん)」と名乗り、肩肘張らないユーモアエッセイをしたためることもあります。映画の話題に入る前に、そんな弧狸庵閑話のひとつをご紹介しましょう。女優さんのような、レベルの高い女性というと、美食家でもあると同時に、人前では絶対にオナラや「大きいほう」なんて絶対にしない!・・・というイメージがつきまといます。実際に、「そういうことはしない」と公言する、おしとやかな方もいるにはいるのですが、中にはアッケラカンと「女優だって天丼を食べますわ」とか、「下痢もしますしおならもしますわ」などと語る「豪の方」もいるそうで・・・。なかでも、あのデビ夫人がお風呂のなかでオナラをした・・・なんていうこともあったそうです。1970年代の頃の話ですので、若いうえに相当美しく気品の高い女性であったわけですが、そんな美人でもお風呂でオナラをしていたわけです。あ、デビ夫人ならびに遠藤周作の名誉のために申しますが、これは遠藤周作が直接デビ夫人から伺ったものです。それに、証人として瀬戸内晴美も立ち会っていた・・・とも語っておりました。・・・日本で布教活動をしていたフェレイラが捉えられて棄教させられたあげくに、日本人の女性と結婚して子供を設けた。ロドリゴはその真相を探るべく、ガルペとともに日本に向かうことに。なんでも日本はキリスト教信者に対しては厳しい姿勢で応じていたようで、ロドリゴたちが日本に行くということは「命の保証がないほどの危険な行為」であることを意味していた。日本に向かうために、中国から密航船をチャータしてもらった。その際にナビゲーターとして雇ったのは、現地唯一の日本人であったキチジローという男。なんでも、飲んだくれなうえに、「キリスト教を信じていない」と言い切っているのだが・・・。日本に到着したロドリゴは、想像以上の現実に愕然とする。そんななか、小さな小屋にかくまわれながらも、住民たちの慰みに寄与するのだった。その後、ロドリゴはガルペと別行動をとることに。しかしロドリゴは捉えられの身になってしまい、隠れ信者たちの拷問ならびに処刑を目の当たりにするのだった。さらに、隠れ信者を助けようとしたガルペまでも犠牲になってしまうところまでも・・・。そういった過酷な状況のもとにあったロドリゴが、ついにフェレイラと対面することになったのだが・・・。・・・さすがにシリアスな内容の小説が原作なだけあって、相当重苦しく感じる展開でした。それが度を過ぎて、過酷な展開にもつながってしまいます。とくに雲仙からわき出る熱湯を体にかけるといった拷問シーンや、火あぶりや海にさらしたりなどの処刑シーン、さらには突然斬首させられるものがあったり、など・・・。PG-12指定にされているだけあります。しかし、そういうものがあったからこそ、「宗教とはなんぞや」という、この映画のテーマが活かされているわけです。今回の映画は、約100席の部屋で鑑賞したわけですが、封切りしたばかりであるわけか、ほぼ満席御礼となりました。私は後からチケットを購入したのですが、そのせいで前の席しかとれませんでした。前の席に座るとスクリーンの大画面が視界におさまらないわけで、非常に見づらい印象をうけてしまいました。大画面でみるのはいい・・・といえば聞こえはいいのですが、さすがにコレには閉口させられました。この映画は、映画界の重鎮であるマーティン・スコセッシが監督を担当しているだけでなく、著名なキャストが出演しています。日本からは浅野忠信、窪塚洋介、イッセー尾形などが顔を並べます。とくに、ガルペ役を担当したのが「スターウォーズ〜フォースの覚醒〜(エピソード7)」に敵役として出演していたアダム・ドライバー。こいつのせいで、今回の映画がスターウォーズを彷彿とさせてしまったのはナイショですwww・・・岡本かの子という人物がいます。前衛芸術家であった岡本太郎の母親です。1889年に神奈川の大地主の長女として生まれました。夫は岡本一平といい、漫画家でもありながら、文章にも長けていたそうです。ところが結婚後、一平は収入を一切家庭に入れることなく、編集者や作家仲間との飲み会に使ってしまい、家庭が崩壊してしまいます。それにより、かの子は精神を病んでしまい、精神病院に入院する事態に陥ってしまいます。そのような地獄を味わったかの子は、宗教を求めることにしました。最初はキリスト教にも救いを求めたのですが、かの子の質問に対して牧師は「一緒に祈りましょう」と、ただ祈るだけに終始する始末だったそうです。その他に、仏教にも救いを求めています。そこではかの子が納得できうるだけの答えを教えてくれる・・・ということもあり、かの子は仏教を深く学ぶ事になったのです。その後、学び取った仏教の世界観の知識を駆使して小説を書くことになります。逝去するまでの3年という短い期間で、著作数もそんなにあるわけではないのですが、それでもキラリと光る傑作が多いそうです。長崎の代官であった井上筑後守は、キリスト教を弾圧する役割をしていたのですが、それでもキリスト教をある程度理解していました。しかし、日本ではキリスト教はふさわしくない・・・と判断しました。それは、長崎において、大名が4人の外人の愛人を愛でいる話をもちだし、愛人たちの醜い人間性がキリスト教によってもたらされたのだというわけです。岡本かの子といい、井上筑後守といい、いずれもキリスト教を学んだことがあったわけですが、学んだ後で「これはあわないな・・・」と判断するにいたったわけです。同じ教えであっても、あう人とあわない人がいるわけで、信じるか信じないかは人それぞれなんだなぁ〜と思った次第です。・・・今回の映画にもあるとおり、人間はいくらでも残酷なことができる生き物です。それは太古の昔からそうでしたし、現在であってもそうです。そのような刹那的な「この世」のなかにおいて、さまざまなものを見たり聞いたり読んだりしたうえで、よく考えるわけです。その結論としてまとめたものを話したり、文章にしたり、物という形にしていきます。そういった一通りの活動の一環として「宗教」というものがあるのでは・・・と、私は思います。刹那的な「この世」で、どういう言動をとればいいのか。正しい行動とは。そういったものを追い求めていくことが目的となっていくわけです。そのほかにも、親や親戚、ならびにお世話になった人が亡くなったとき、そういった人を偲ぶため、また永久的に故人を決して忘れないためにも、「この世」のほかに「あの世」というものを創造したのでしょう。そういう側面が宗教にあるため、自分が信じている宗教はもちろんのこと、他の宗教も尊重してあげなければならないわけです。自分が入っている宗教を否定するのはもってのほかとして、「他の宗教だからダメだ!」とか、「イヤだから弾圧しよう」などと思ってはいけないのです。そうなってしまうと、今回の映画のような惨事を繰り返すことにつながってしまうのです。当然ながら、宗教が反社会的な活動をしても決していけません。そんなことをしていては、宗教の意義がなくなってしまいます。私は神を信じることはしませんし、「あの世」やら前世などといったものも信じることはありません。しかし、自分の菩提寺となっている宗派を大切にしなければならないし、当然ながらキリスト教やイスラム教などといった他の宗教もキチンと理解して尊重する姿勢を持ちたいと考えています。そういった観点があるため、私は自分独自で新しく宗教を創る・・・といったことは決してやらないです。ましてや宗教の教えを学ぶために出家などをすることはありません。世の中のことを知らせてくれる「活字の本」は、ほぼ無限にあるわけですから、宗教にたよることなく教えを吸収することは可能です。私はこれからも数多くの本を読み続けて、現実を踏まえたうえで、理想を追求していきたい所存です。当然ながら、宗教にまつわる本も読んでいって、他の宗教に対して偏見を持たないように努めていきます。そんななかで、今現在私ができることといったら、読んでいった本、観に行った映画、それに美術館や博物館などの特別展のレビューを書くことくらいです。実際に目に通したものにたいして、読み応えのあるものを書いていきたいな・・・と、こちらも努めていきます。・・・さて、冒頭にご登場いただいた瀬戸内晴美ですが、岡本かの子による小説を読んで多大なる影響を受けたそうです。なかでも仏教の世界観には眼を見張るものがあった・・・とのことです。さらに仏教の世界を知りたい・・・ということで、なんと出家して「瀬戸内寂聴」として僧侶になってしまいました。その後、著作の仕事をする傍らで講話を開いており、仏教の世界をユーモアを交えながらわかりやすく解説してくれています。参考文献:遠藤周作「わが青春に悔いあり・弧狸庵閑話」瀬戸内寂聴「寂聴 観音経〜愛とは〜」
2017.01.22
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文学やマンガを取り上げている「ダ・ヴィンチ」の2016年11月号には、若本規夫の伝説をベースとしたミニ小説が掲載されていました。若本規夫といえば、シブい声が特徴で、男が惚れ込む漢(おとこ)を演じれば右に出るものがいない!と言わしめるほどのベテラン声優です。ところが、時にそれが度を超えてしまい、エキセントリックな演技によって、数々の名言・・・いや、迷言を連発してしまっています。雑誌に掲載されたミニ小説でも、その本領は発揮されており、動物園のゴリラを恐れさせたり、新人の声優さんに愛のシゴキをしたりなど、やりたい放題やっておりました。そんな「ダ・ヴィンチ」2016年11月号でしたが、そのほかに、今回の映画について特集が組まれておりました。その名前は「ぼくのおじさん」。北杜夫原作の児童文学で、北自身のユーモアが溢れるほのぼの、かつちょっぴりほろ苦い展開の物語となっています。この中で、おじさんを演じた松田龍平と、その恋ライバルを演じた戸次重幸の対談が掲載されており、和気あいあいとした雰囲気で撮影が行われていたようです。特にハワイでのロケでは一番和気あいあいとしており、戸次がエリーの働く農園の監督を演じている人からウクレレを奪い取ってず〜〜〜っと弾きまくっていたそうです。・・・小学校に通う雪男(ゆきお)は、連休の間の宿題として作文を課された。テーマは「身の回りにいる大人の人について」。実はその宿題の中で一番よかったものを全国作文コンクールに出展することになっていた。副賞はハワイ旅行。雪男のクラスメートはすぐに題材を見つけることができたのだが、雪男はごくごく平凡な家庭ゆえに、なかなか見つけることができなかった。ところが、居候しているおじさんからセコい理屈をこねてマンガを買ってくることを依頼している姿を目の当たりにし、ついにおじさんのことをテーマとして書く事になったのだ。おじさんは雪男の家で居候しており、何かと理屈をこねたりするものの気の利いた言動ができず、家族からは白い眼でみられていた。ある日、雪男の両親は見かねておじさんに見合いをするようにしたわけだが、そのなかで母の姉である節子おばさんが強引におじさんを女性に会わせようとすべく、おばさんが経営しているギャラリーでの写真展におじさんと雪男をさそうのであった。そこでバッタリ出会ったのが、目的の女性であるハワイ日系4世のエリー。双方ともゾッコンとなってしまったのだった。聞けば、これまでカメラマンの仕事をしていたのだが、この仕事を辞めて、祖母が経営していたハワイのコーヒー農園を継ごうとしている・・・とのこと。おじさんは「ホノルル大学に留学するかもしれない」とつぶやいたが、実際にそうなるわけではない。本気でハワイに行くべく、空き缶を集めてはハワイ旅行の懸賞に応募するものの、見事に外れてしまうのだった。それに対して、雪男が考案した、おじさんにまつわる作文が一番面白いということで全国作文コンクールに出展することになり、なんと結果が優秀賞となってしまった。その副賞としてハワイに行くことができたのであった。ハワイに行ってもおじさんは相変わらずで、道に迷ったり、タバコを買おうとしたものの英語があまり堪能でなかったばかりに大麻を買ってしまって警察のご厄介になったりして、またもや迷惑をかけてばかりいた。そんなさなか、雪男はエリーの部屋の机に、伏せた状態で置かれていた写真立てを見つける。そこにあった写真には、東京でギャラリーに行く前に立ち寄った老舗のお菓子屋で、行列の客にお茶とお菓子を振る舞っていた男が写っていたのだった。・・・この映画を観て、「なんか自分を見ているような・・・というか、自分が映画でありのままの姿を演じているんじゃないか」と、身につまされた思いで見てしまっていました。まず、見た目がソックリで、ヒゲをちょっと伸ばせばおじさんソックリの姿になってしまいます。それだけではありません。状況的にもまったく同じで、なんやかんやと注意されたり文句を言われたりしているところも自分とソックリでした。ただ、おじさんとは違うのは、ぐうたらであるか、陰で泥臭く努力をして、なおかつ職場では死にものぐるいで働いているかの違いです。まあ、周囲からとやかく言われようとも、誰も見ていないところでだけは、誰もマネができない努力をしたほうがいいわけです。周囲から「遊んでいるように見える」とか「認識が甘い」と言われて正直悔しい思いをしたわけですが、それでくさることなく、だからこそ「誰も見ていないところで死にものぐるいで研鑽してやる!」という気持ちを持つことができたわけです。誰が見ても飄々として、実はそうではないんだ!という気持ちを大切にしたいと思っています。戸次演じる恋のライバルはエリーが見限っていたわけですが、結局は弟にお店を譲り、老舗ゆえに避けていた百貨店への出店に応じ、その見返りとして百貨店がエリーの農園と契約することになりました。その結果として、おじさんと結婚することになっていたエリーは恋のライバルとヨリを戻すことになりました。おじさん残念!・・・と、ちょっぴりほろ苦い結末と相成ったわけです。しかしッ!雪男の担任である女性の先生が、作文をとおしておじさんに興味を惹かれたらしいです。もしかしたら、おじさんもハッピーエンドにたどり着くことができる・・・のかもしれませんね。「ちょっとまったああああああ!」な、なんなんですか、あなたは!「『なんなんですか』は、俺の台詞だ!よくも俺を散々コケにしてくれたようだな!」こ、コケにしたのは謝ります。ごめんなさい。「むう、俺の名誉を傷つけようという趣旨は感じられないので許すことにしよう・・・が、お・ぬ・すぃッ!聞けば、『ユーモアがあって、読み応えのある文章を作りたい』と申すではないかあぁぁぁ」そ、そのとおりです。「ならば、それに免じて、これからトレーニングをしようじゃないかあああ」え、あ、はい!「それじゃあ、俺のマネをするがいい」はい。「ぶるおうらあああああああ!うりぃぴいいいいいと・あふたあああぁぁ・みいいいいいぃぃ・・・」ぶるおうらあああああああ!「たわけが!そんなマイナス10次元の表現では、真のユーモアなんぞ会得することなど笑止ッ!!」そうなんですか・・・。「ああ、そうだともおおおぉぉ。1次元とは、初めて『ゴリラが恐れをなす』レベルであるということだッ!もう一度!」ぶるおうらあああああああ!「バッカモオオオオオン!そんなへっぴり腰じゃまだまだマイナス5次元だ!もう一度ッ!!」ぶるおうらあああああああ!「顔を真っ赤にして声を発するとは・・・これでようやくプラスの1次元だ。自分の恥を恥じることはない。もっと自分の魂をはき出すかのごとく声を出すのだああああ!」ひいいい「これで音をあげるでない!『学問に王道なし』というではないか。『ユーモアに王道なし』でもあるぞ。貴様には素質がある。もっと鍛え上げてあげようぞ!」あ、ありがとうございます!「さあ、もっと魂の叫びを聞かせるのだあああああああ!!!!!!!」こうして、若本規夫御大による愛のシゴキは、夜が明けるまで続いたのであった・・・。合掌
2016.11.06
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戦国BASARAでは、真田幸村と猿飛佐助が登場します。佐助が「御館さまああああああ!」と叫ぶと、その御館さまである幸村が愛に溢れる鉄拳で応えてくれます。実は、そんな真田幸村は宮城県にも縁があるそうで、大阪夏の陣の際、敵側にいた片倉小十郎に子女を託したそうです。その中の一人の娘が片倉小十郎の息子と婚姻の関係を結ぶことになったわけです。そういう事情があったかどうかは定かではありませんが、戦国BASARAにおいて、真田幸村、猿飛佐助、それに伊達政宗と片倉小十郎が主役級の扱いになっているようです。・・・ある日、男が若い女を拉致して神社に立てこもった!周囲が騒然としている中で、ある男が悠然とその現場に立ち入ってきた。その男の名は真田幸村。周囲の人間は「お〜っ!これなら大丈夫!」と安堵の声を漏らしていた。幸村が神社に入るやいなや、幸村は説得するのか・・・と思いきや、男に対して「こんなのはもうやだ。煮るなり焼くなり好きにしろ・・・」とボヤくのであった。実は幸村が名を馳せたのは、幸村自身の実力ではなく、男前な風貌に加えて、度重なる幸運があったからであった。男は幸村を見て「これは・・・」と思った。男の名は猿飛佐助。「実はこれから事をおこすのだが・・・」とつぶやく幸村に対し、佐助は「ならば俺が何とかしよう!ウソを突き通してホンモノにしようぜ!」と豪語し、自分を含めて以下の人物を集めたのだった。変幻自在!猿飛佐助雲煙飛動!霧隠才蔵怪力無双!三好清海韋駄天走り!三好伊三槍一筋!由利鎌之助豪放磊落(らいらく)!筧(かけい)十蔵最年少!真田大助真田流剣術指南役!望月六郎謹厳実直!海野六郎9人そろって、真田九勇士!・・・と、ここで背後で爆発が起きそうですが、なんとまだ一人たりない!後に、勇士を騙(かた)っていた根津甚八も加わり、これで真に「真田十勇士」を名乗る事になったのだ!時は関ヶ原合戦後、豊臣秀吉の息子がまだ生き残っていたということがあり、徳川家康はこれを殲滅せしめようと大阪城で陣を張っていた。それが世に言う「大阪冬の陣」である。幸村は大阪城近くに「真田丸」とよばれる砦を造り、徳川軍を防いだのであった。後に徳川軍が和解をするものの、その条件として大阪城の堀を埋めることになったのだった。その後、徳川軍は豊臣家が不満を募らせているという理由で再び大阪城を攻め落とそうとした。これが「大坂夏の陣」である。堀を埋められたら豊臣家は敗北が約束されたのも当然のこと。真田十勇士は決戦前夜、酒を交わして最後の夜を味わいながら団結をするのであった。この戦いの結果は無残にも豊臣家が敗北し、幸村以下数名が命を落としてしまう。猿飛佐助は豊臣秀頼と淀君を大阪城の秘密倉庫にかくまったのだが・・・。・・・あらかじめ言っておきますが、この映画は実写です!なのに、冒頭部分はなぜか本格的なアニメ仕立てになっており、「あれ?これって全編これで通すつもりか?」と思ってしまいました。しかし、しばらくすると、※あと数分で実写パートの本編になります。しばらくお待ちくださいとのテロップが出てきますので、まずひと安心しました。さらにエンドロールでも驚愕の展開がありますので、刮目(かつもく)すべし!・・・と言いたいです。さらに驚愕したのは、その出演陣。徳川家康を演じたのは八代将軍吉宗を演じたことがある松平健。猿飛佐助を演じたのは中村勘九郎。淀君を演じたのは大竹しのぶ。忍者集団のお頭を演じたのは「くもじい」こと伊武雅刀(いぶ・まさとう)。ふむふむ・・・。それだけではありませんでした。クールな忍者である霧隠才蔵を演じたのは、「侍戦隊シンケンジャー」の松坂桃李。オネエな武士の筧十蔵を演じたのは、「轟々(ごうごう)戦隊ボウケンジャー」の高橋光臣。そして、財務はなんでもござれい!の海野六郎にいたっては、「仮面ライダーディケイド」の村井良大(むらい・りょうた)。なんと戦隊・仮面ライダー出身の出演者がてんこ盛りでした。特に村井・・・というか、門矢士(かどや・つかさ)、あんた、なんつう「役割」を担当しているねん!真田幸村といえば、戦国時代屈指の名将といえるでしょう。しかし、本人は「実はそんなにたいした人物じゃない」と語っています。実は名将と評価されたのは、幸村の男前な風貌と、それに加えて奇跡的とも呼べる幸運が幾重にも重なったから・・・というのが真相(?)だったようです。まあ、たしかに、そうともいえますよね。小学校だか中学校だかの国語の教科書にて、赤い甲冑を着用して名を馳せた武将の話がありました。ところが、赤い甲冑がなかったため、どこにでもある黒い甲冑を着用して戦ったら、瞬く間にやられてしまった・・・ということになってしまいました。それだけ、異彩を放つ風貌は重要な要素があるのかもしれません。真田幸村がやったことは、実は虚構に溢れていたわけですが、猿飛佐助は「ウソだらけでもいいやん!ウソを突き通せば、いつかはウソはホンモノになる!」と豪語しています。人間誰しも・・・かの偉人でさえ、最初からホンモノだったわけではなかったと、私は思うのです。まわりにあった物事を真似ることから始まり、それを毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日やり続けることによって、ようやく周囲から認められる存在になれるわけです。「ふん、そんなの二番煎じだ!」「どっかで見たことがあるなぁ・・・」などという評価を得るかもしれません。しかし、そんな意見に屈することなく、地道に地道に地道に地道に地道に地道に地道に地道に鍛錬を繰り返すことによって、いつしか自分しか持ち合わせることができない大切な要素が生まれてくると思うのです。それが独自性となり、周囲をアッと言わせるようになるわけです。そういう独自性が生み出せるよう、私もこれからも泥臭く努力し続けていきたいな・・・と意気込んでおります。
2016.10.30
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IMAX・・・という上映システムがあります。通常の映画館の画面よりも巨大で、音声も四方八方からクリアに聞こえてきます。まず劇場に入ってスクリーンのデカさに驚きました。ただでさえデカい室内なのに、壁一面が「スクリーンそのもの」と化しています。そのデカさに思わず声を出してしまいました。映像のキレイさにも驚きました。髪の毛1本1本、細かい部分までハッキリと見て取れます。しかも、今回登場するカメの4人の他に、敵のサイやイノシシのジューマン(!)までもリアルで、さながら着ぐるみでも作ったのではないか!・・・と思えるほどの出来映えです。さらに3Dにすると顕著で、このせいで画面のデカさはそっちのけになってしまいましたが、それと引き替えとしてちょっと離れているとはいえ間近で見ているような錯覚を覚えました。銃弾やらホッケーのパックが正面に向かって飛んできた時に、思わず身を避けてしまいました。そんな凄いIMAXを3Dで鑑賞したのですが、料金的にはこんな形になっています。映画入場料+IMAX料+3D料+3Dメガネ料私はあらかじめコンビニで前売り券を購入しましたので、通常1800円のところ1400円となります。IMAX料金は500円で、3D料は300円。さらにIMAX用3Dメガネが100円です。ちなみに、このIMAX用3Dメガネは持ち帰ることができて、次回鑑賞する時は引き続き利用することができます。当然ながら、その時は料金はかかりません。さて、それをふまえて計算してみると・・・1400円+500円+300円+100円=2300円・・・と、ちょっと割高になってしまいますが、それだけの価値はあります!!ぜひこの超絶体験を味わってみて欲しいです!!・・・ちょっくらひと仕事を終えたレオナルド、ラファエロ、ミケランジェロ、ドナテロの4人のカメニンジャたちは、楽しみにしていたプロバスケリーグの試合を見るべく宅配ピザを片手に天井裏に。そこに前回の闘いでヒーローの座を譲ったヴァーン・フェンウィックがいた。そこでハーフタイムに登場するのだが、それを面白く思わないラファエロとミケランジェロは豆鉄砲でヴァーンを小突く。ところが食べていたピザが落ちてしまい、選手が足を取られて転倒してしまい、4人はトンズラすることに・・・。エイプリルの調査により、前回の闘いの首謀者であったシュレッダーの護送車を狙う計画を知り、その阻止をするべく向かう。しかし計画はすでに実行されており、それを阻止しようとバトルが開始される。阻止されるか・・・と思いきや、シュレッダーが目の前で忽然と消えてしまうのだった。敵の研究所に紫色の液体があったのだが、ひとたび注入すると、体のDNAに宿っている動物に変化することができるものである。ロックステディはサイに、ビーパップはイノシシに変化するのだが、4人のカメニンジャたちは人間に変化することができる。しかし、ドナテロがその話をレオナルドにしたとき、レオナルドは「口外するな」と釘をさした。ところがそれを知ったミケランジェロはレオナルドに憤慨し険悪な雰囲気に。敵が目をつけているデブリ(debris:宇宙ゴミ)が収蔵されている自然歴史博物館に出向くことになっていたのだが、怒ったレオナルドはミケランジェロとミケランジェロに同調するラファエロの帯同を禁じ、ドナテロと一緒に行くことになった。憤慨するミケランジェロはラファエロをひきつれて、さらにエイプリルと今回の一件で知り合った元護送車運転手ケイシーをも巻き添えにして、紫色の液体が押収されている警察に潜入することに。ミケランジェロたちはなんとか警察に潜入することができ、紫色の液体を見つけることができた。ところが、そこにはサイとイノシシに変化したロックステディとビーパップが待ち受けていたのだった・・・。・・・今回の映画を前述のIMAX対応の劇場で鑑賞したわけですが、もうすごいのなんのって!お値段以上の価値がありました!アクションも凄まじいのもがありましたし、何よりも芸が細かい!序盤でハロウィンの仮装パレードがありましたが、そこにはトランスフォーマーのバンブルビーのコスプレが登場します。しかも車にトランスフォームするという芸達者ぶりを披露します。これは監督がトランスフォーマーを担当したことのあるマイケル・ベイだからなのかもしれません。そのほかには、飛行機内でのバトルの際に、ロックステディが「豚でも空が飛べたぜ!」と言ってのけてました。これは「飛べない豚はただの豚だ・・・」のオマージュなのかもしれません。さらには4人のカメニンジャ。現代の技術なのでCGなのですが、あたかも着ぐるみでできたかのような精巧さがあります。細かい毛まで見て取れますし・・・。その最たるものが、甲羅やバンダナに書かれている漢字です。まず目についたのが、ラファエロのバンダナの頭部にある「憤」。レオナルドのバンダナには「公」、そして甲羅には「息子」。他にもいろいろ書かれていたのですが失念してしまいました。とにかく、そこまで細部にまでこだわっている事に対して思わず唸ってしまいました。日本人だったらニンマリすること間違いナシです!血のつながっている兄弟であっても、考え方がまちまちのは致し方ないです。それ故に衝突がおきることもしばしばあるものです。しかし、そうであっても時にはそれを乗り越えてチームワークで乗り越えることができるのも事実です。そういった兄弟愛というものは素晴らしいものだな・・・と感じました。そのほかに、紫色の液体によって4人のカメニンジャたちは人間になることができたのですが、最終的にはそれを拒否します。本来あるべき姿とはいったい何なのか・・・ということも感じることができます。いや〜っ、映画っていいですねぇ〜。映画を通して様々な教訓を学び取ることができますから。まさしく、Movies taught us.ですねぇ〜。taught us・・・tortoise・・・陸ガメ・・・お粗末orz
2016.08.28
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前作「HK〜変態仮面〜」を鑑賞するにあたり、以下の2点を情報として仕入れていました。1.主人公を演ずる鈴木亮平が、この映画のためだけに、涙ぐましい努力をして肉体改造をしたこと。2.ヒロインを演ずるのは、仮面ライダーフォーゼにて同様にヒロインを演じていた清水富美加。しかもブレザーではなくセーラー服姿となること。冬服だったらなおさらよかったのに・・・。全体的に、主人公がヒーローになるいきさつが描かれ、様々な刺客を倒し、最後は最強のラスボスを倒す・・・という、ジャンプ伝統のヒーロー映画である、ともいえましょう。ところが、中盤での「ある男」の登場によって、この映画の展開は劇的に変化してしまうことになります。その男の名は、安田顕安田顕演ずる戸渡という男は、真面目な数学教師で、個別指導をするほどの教育熱心で、周囲から慕われる存在です。ところがこの男、内心は変態の血が流れているようで、ブリーフいっちょうの姿でパンティをかぶって「ニセ変態仮面」に変身し、周囲を盛大にドン引きさせてしまうのです。私は、この映画に安田顕が出演するとは全く知りませんでしたし、ましてやあそこまでハッチャケてくれるとは思いもよりませんでした。もはや鈴木亮平や清水富美加の存在は霞んでしまい、安田顕を応援してしまいました。まさしく「安田顕があっての変態仮面だ!」と言ってもいいのではないでしょうか。今回も安田顕は登場してきます。安田顕の変態度は前作からさらにパワーアップしてくれるのか?ということを期待しながら鑑賞することにしました。・・・狂介と愛子は大学生になった。狂介はピザ配達のアルバイトをしているが、20分という時間以内に配達できたためしが1度もない。店長は最後のチャンスとして、お得意様の客への配達を命じることにした。しかし、狂介は配達途中で銀行強盗を目撃し、いつも持っている愛子のパンティーを被り変態仮面に変身し、犯人を成敗する。このことによって狂介はクビにされてしまう。狂介が土下座しているさなかに店長が頭を踏みつけるのだが、その行動に恍惚を覚えてしまう狂介であった。キャンパスライフにおいては、愛子は狂介と距離を置きつつあった。変身して活躍する狂介に嫌気がさしたのである。ついにはパンティーを返してもらうように願いでる。そんなさなか、パンティーがなくなるという事件が発生。狂介が女子学生のパンティーを取り戻そうとしたのだが、その光景を愛子に見られてしまい、距離はますます遠のくのであった。また、狂介や愛子達を教えている女教授が狂介に接近したことも追い打ちをかけるひとつにもなった。そんなある日、パンティーを盗み出す男が現れた。狂介は変身せずに戦うものの、なすすべがなかった。その刹那、ポケットには女教授宅に訪れた際に思わずズボンのポケットに入れてしまった、女教授のパンティーがあった。狂介はそのパンティーを被って成敗するのであった。その時に前回倒したはずの大金玉男(おおがね・たまお)が生きていたことを知る。別のある日、狂介のクラスメートである真琴正(まこと・ただし)が授業中に突然なにものかに操られるごとく教室を離れてしまった。ついた先が、大金玉男の研究所。真琴に事実と虚偽を織り交ぜながら狂介の正体を伝え、怪物に変身させてしまう。その後、世界中のパンティーが奪われてしまう事件が発生。その事件に真琴が変身した怪物が関与しているのがわかった。狂介がその怪物を成敗しようとするものの失敗してしまう。おまけに闘いの疲れがでてしまってダウンしてしまう。狂介が眠っている時に、枕元に父親が現れた。その父親は、「飛騨の奥地にいる変態仙人を訪れるといい・・・」というアドバイスを狂介に送るのであった・・・。・・・さて、今回の映画の感想ですが、この一言に尽きます。またもや安田顕に全てをもってかれたあああああああああああああああ!!!!前作に比べて、変態度がさらにアップしています。家の前には巨大な天狗の面がドオオオオン!とそびえています。それだけではありません。家の中に入ると、パンティーがいたるところに飾られています。これだけでも警察に摘発されてもおかしくありません!しかも、なぜ未だにパンティーがあるかというと、すべて未使用品であるからだそうです・・・って、それでいいのか?????wwwさらに、目の前にあるスイッチを押すと、鞭が動き出して変態仙人安田顕のケツをしばくのです。さらにさらに、安田顕が正座をする時は、江戸時代の拷問に使われる三角形に切られた木材をいくつか並べたものに正座をし、膝の上には重い石をのせてしまっています。挙げ句の果てには、パンティーではなくブラジャーを被ってしまいます。そのせいで見えなくなるわけですが、それを第六感・・・つまり、超音波を感じることで克服することができたそうです。序盤において、苦痛に感じた展開があったことは否めません。しかし、それをチャラにしてくれるほどの安田顕の存在感は見ていて痛快に感じました。安田顕にアッパレをあげたいです!!!!もし仮に、さらに次回作が登場するとなった場合、安田顕はさらなる過激な変態プレイを我々に披露してくれるのか・・・非常に楽しみにしているところです。(オ・マ・ケ)この映画の醍醐味と言えば、敵を屈辱的な気分にさせる成敗シーンである!・・・といえます。今回でもその破壊力は絶大で、少ない観客数でありながらも盛大に笑いの渦が巻き起こっていました。特に、前述のパンティーを盗み出す男とのバトルシーンにおいて、男が狂介のパンティーを奪い取るために、吸引力を最大限に引き上げています。そのとき、頭に被っているパンティーや履いているパンツがその吸引力の餌食にされているばかりでなく、狂介の「おいなりさん」までその影響をうけているのです。パンツに覆われていて「影」という形にはなっているのですが、それが「プル・プルプルプル・プルプル・・・」と動くわけです。妙に生々しい・・・というかリアルだなぁ〜・・・と、感心しながら、観客の笑いの渦に巻き込まれて盛大に大笑いさせていただきました。
2016.05.22
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猫というものは、かくにかわいく、なおかつめんこいものです。まず写真で見てもかわいいですし、実際に「ニャァ〜」という鳴き声で近寄ってきたら、それはたまりません。ニュースにて、猫を飼っている家にて、猫が寝ている人を起こす行動について報じていました。まず小手調べに「おはよう」と言うがごとく、「ニャァ〜」と鳴いてきます。それで起きないようなら、前足で寝ている人の顔をなでてあげます。それでもダメならシッポで顔をワサワサやります。それでもダメなら高いところから顔面ダイブ!極めつけはお尻やタマタマを顔に押しつける・・・。やられた当人にとっては、ある意味屈辱的なものとなりますが、第三者である私にとっては、非常に微笑ましく思える光景で羨ましい限りです。・・・郵便局に勤める主人公は、ある日末期の脳腫瘍であることが発覚する。しかも余命幾ばくもないという。失望のさなか自宅に戻ると、姿が自分と瓜二つの自称「悪魔」がいた。困惑する主人公に対して、「明日中に命を落とすことになる」と宣告されてしまう。しかし、その代わりとして、世の中にある物をひとつだけなくすことで命を1日ずつ延ばすことができるという。当然ながら、自分から指定することはできず、悪魔が決めることになる。まずは電話。最後に電話をかけるなら誰にする?・・・ということで、電話したのが主人公の元恋人。唐突に電話したものだから、最初はぎこちなかったものの、これまでのことを思い出しながら会話していく。キッカケは、主人公が家でレンタルした映画を見ている最中に恋人が間違い電話をしたことから始まる。実はその恋人は同じ大学で同じクラスの人たっだ。次に映画。こちらも同じ大学の同じクラスの男で、教室で映画雑誌をむさぼり読んでいるところを主人公が見かけて話しかけたのがきっかけである。以後、男からオススメの映画DVDを会うたびに貸してくれたのだった・・・。悪魔がなくしてしまった物は、なくなった時点から存在がなかったことにされただけでなく、過去の時点でもなかったことにされたのである。その結果、電話がきっかけとなった元恋人や映画DVDをかしてくれた男とは全く縁がなくなってしまった。そういう状況に陥ったとき、主人公は二つの過去を思い出す。ひとつは、恋人と一緒に海外で出合った男のこと。ざっくばらんに会話をし、良き友人として別れた直後に交通事故で命を落としてしまう。もう一つは、亡くなった母親のこと。母親といえば猫の思い出があったわけで・・・。・・・この映画では、電話、映画が消えてしまいます。こういったものは、人の命とは直接関係がないと言ってもいいかもしれません。しかし、その人の命とは関係ないとしても、人間関係においては非常にかけがえのないものとなるのです。例えば電話。ちょっとした間違い電話によって恋愛が生まれ、いつしか所帯をもつまでにつながることがあります。例えば映画。読んでいる雑誌を見かけて話しかけたことによって、かけがえのない親友となることができます。このほかにもプロスポーツを応援したり、飲み屋に行ったり、学校に通ったり会社に勤めたり・・・などということによって、ちょっとしたきっかけが生まれ、人と知り合い、友人ができ、彼女ができたりするわけです。こうしてみると、たとえ命と直接関わることがないとはいえ、人生にとっては非常にかけがえないものになってくる・・・とも言えます。人生にとってかけがえのない親友がこれからもできるように、電話や映画、はたまたプロスポーツの応援など、そういったものに関しては大切にして扱ったりしていきたいな・・・と思いながら映画をほっこりとした気持ちで鑑賞しました。
2016.05.22
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宮城県黒川郡大和町。「大和」と書いて「やまと」・・・と読みたくなるのですが、正しくは「たいわ」と読みます。「大きな和の町」を願って、こういうふうに名付けられました。仙台市の北側に位置しているためか、仙台のベッドタウンという性格も持ち合わせています。そのほかに、古川や松島にも近いので、冬場はかなり寒くなる・・・というのを除けば、住む場所としてはこの上ない場所であるともいえましょう。藩政時代は、出羽街道と松島道の分岐点であるということで交通の要所であったそうで、もともとは重要な土地であった・・・ということがいえます。その藩政時代には、村の数は全部で49あったそうです。吉岡代官所が統轄する黒川区分の村が38、高城代官所が統轄する大谷区分の村が11です。1872(明治5)年、大区小区制の施行にともない、黒川郡は宮城県第4大区となり、それぞれの村は12小区に割り振られることになります。その2年後である1874(明治7)年、区の改編を行い、黒川郡は加美郡とともに宮城県第3大区となります。そこで、7小区に割り振られます。さらに2年後の1874(明治9)年、またもや区の改編を行い、黒川郡は名取郡と宮城郡とともに宮城県第2大区となり、黒川郡の村は3小区にわりふられます。そのまた2年後である1876(明治11)年、郡区町村編制法の施行にともない、大区小区制が廃止され、黒川郡は加美郡と共に黒川・加美郡役所の所轄となり、郡役所を今村に設置することになりました。1889(明治22)年に町村制が施行され、これまでの村を再編し、吉岡町、落合村、鶴巣村、宮床村、吉田村、大松沢村、大谷村、粕川村、富谷村、大衡村が発足しました。1954(昭和29)年に大谷村の一部が志田郡鹿島台町(現:大崎市鹿島台)に編入されます。同年に大松沢村、大谷村、粕川村が合併し大郷村が発足。1959(昭和34)年には大郷町となります。1955(昭和30)年に吉岡町、落合村、鶴巣村、宮床村、吉田村が合併し大和町が発足します。残る富谷村は・・・というと、他の村との合併をすることなく、1963(昭和38)年に富谷町となりました。大衡村はともかくとして、富谷村が大和町と合併しなかったことによって、大和町の地形が吉岡のところでくびれた格好になってしまったわけです。その富谷村はのちに富谷町となるわけですが、平成大合併のときでも市に昇格する資格である人口5万人を達成する見込みがあったとのことで、他の市町村との合併をしなかったそうです。そして富谷町は念願の人口5万人を達成し、2016年に富谷町は富谷市へと変貌を遂げることになるのです。・・・夜な夜な、夜逃げをする家族がたびたび現れているという。そのような夜逃げしている家族が浅野屋の前を通りがかっているのを見た浅野屋甚内は、その家族を呼び止めて・・・。仙台藩吉岡宿交通の要所であるこの宿場町は、このように夜逃げをする家族が現れるほど財政は窮乏を極めていた。それは、吉岡宿が伝馬役と呼ばれる藩の公人を送迎したり、物資の運搬を担う働きを持っていたからにほかならなかった。その経費を藩ではなく、宿場町が受け持つことになっていたのである。京の都から吉岡宿に戻ってきた茶師・菅原屋篤平治は、穀田屋十三郎と再会した折、突然乗っていた馬を役所から奪われてしまう。飲み屋の席でそのことをボヤいていた時に、お上にお金を貸し付けて利息を得ることを思いつく。その利息を伝馬役のための資金にするのである。その額は金1000両・・・つまり、5000貫文(1貫文は1000文なので、実質は500万文)、現在のお金に換算するとざっと3億円という金額となる。思いついた時点では手元にそんな大金を持っていなかったのだが、名乗り出た人たちが所持しているお金の他、売り物になる所有物を泣く泣く売っぱらってお金にした。その所有物の中には、なき母親の形見である着物の他に、ある人のご自慢の春画のコレクションもあったという・・・。そのような苦労をしてまでなんとか5000貫文を工面し、いざお上に融資の許可を取り付けようとしたものの、無碍に却下されてしまう。そのような失意のなかで、「浅野屋甚内が死の間際に語った」というエピソードが語られる。それは、夜な夜な僅かのお金を貯め続け、伝馬役の資金のために寄付をしよう・・・というもの。その話が宿場町のみならず役所をも動かし、なんとか許可を得ることができた。その代わりとして、「5000貫文」を「金1000両」とだけ書き変えるだけでよい、とのことであった。しかし、それは仙台藩出入司(しゅつにゅうつかさ)・萱場杢(かやば・もく)の罠であった・・・。・・・松島町と大崎市鹿島台の境界付近に、品井沼とよばれる沼がありました。そこにはいくつもの川がつながっており、ちょっとした雨でも洪水を引き起こしていました。それではさすがにまずい・・・ということで、江戸時代から品井沼の干拓事業が開始されました。その際に活躍したのが、鎌田三之助です。明治時代、当時の帝国議会の議員になったことがありますが、この干拓事業のために、鹿島台村の村長になりました。今回の映画と同様に鹿島台村の財政は火の車で、鎌田は無給で執務を行っていました。そのかいがあって、品井沼干拓にとって重要になる高城川の明治潜穴を完成させました。この事業は、戦後になって高城川が吉田川の下をくぐる「吉田川サイフォン」が完成するまで続いてきたのです。これは、松島町ならびに大崎市鹿島台の小学生が地域学習として学ぶものです。地元宮城県では、穀田屋十三郎たちのような「無私の日本人」は実在したのです。ところが、今回の映画の元ネタとなった実話は、私は全く知りませんでした。小学生の頃の担任の先生は、まさしく大和町吉岡に住んでいたのですが、授業のなかではこの話を一切することはありませんでした。それもそのはずで、お金を提供した人たちは、自慢ぶって口外することを厳に慎むようにしていたわけです。たしかに、いくら偉業をなしたからといって、自慢げに口外しまくったりしていたら、いずれはそれが自惚れに変化していくのです。それがおのずと周囲に害をなすようになり、最後には最低の評価を得ることにつながってしまうものなのです。そういうのを目の当たりにすると、さすがに幻滅してしまいます。やはり、どんなにすごいことをやってのけても謙虚な姿勢を持ち続けることができる人のほうに尊敬します。私は、そのような人間になれたらいいな・・・と思います。そのためにも、「自分はそんなにエラくないんだ!つねに冷静沈着に、そしてなおかつ謙虚な姿勢を持ち続けていきたい!!」と、自分に言い聞かせていきたいと思っています。お金がない!そんな状況の中において、一番手っ取り早く解決できる方法が、「お金を作ってしまう」という方法です。仙台藩では、その権限があったわけですので、実際にそうしています。ところが、その結果として金貨に対する銅貨の価値が下がってしまい、吉岡宿側では、その埋め合わせとして、さらに800貫文を工面するハメに陥ってしまいます。ニセ札を作ったり、銀行強盗や窃盗までしてお金を工面するのはもってのほかですが、公(おおやけ)にお金を作ってまで借金をチャラにする方法は、まさしく「百害あって一利なし!」と言ってもいいでしょう。吉岡宿側のように、自分ができる方法で、なんとかお金を工面したほうが健康的でいいのかもしれません。今回の映画は、内容が非常に濃いうえに、クスリと笑える場面があり、なおかつジ〜ンと感動できる場面があり、非常に楽しめたものでした。今回の映画の原作本である「無私の日本人」を入手しておりますので、読み終わった後にレビューとしてまとめてみたいと思っています。(オ・マ・ケ)この映画では、宮城県でラジオやテレビで活躍している本間秋彦が出演しています。スーパーベルズの楽曲において「モーターマン仙石線」などで登場していますので後存知の方もおられるでしょう。実はこの人、過去にラジオパーソナリティーにまつわる「F」という映画の中で、全国のラジオパーソナリティーのひとりとして出演されています・・・が!思いっきり目立っていた印象があります。今回の映画でも、「あるシーン」において出演しています。まあ、「水の滴るいい男」とは、まさにこういうことをいうのかもしれませんね・・・(遠い目)(オ・マ・ケ その2)「殿、利息でござる!」といえば、羽生結弦を取り上げなければなりません。地元宮城に実在した話を取り上げたことで話題になっているこの映画ですが、そのほかに目玉となっているのが、地元宮城出身である羽生結弦が伊達家の当主役として登場することです。「皇帝」の異名をとるフィギュアスケートの世界チャンピオンだけあって、殿様に扮した羽生は、じつに凜々しく、そのオーラ・・・というか威光は絶大です。どんなベテラン俳優が演じても、そこまでの威光は出せないのではないか・・・と思ってしまうほどです。登場してから上座に座るシーンに置いて、穀田屋十三郎達は恐れおののくわけですが、それが「演技」といえるほどのわざとらしいものではなく、まさしく本当に恐れおののいているかのような錯覚をうけました。私も劇中の状況になった時はともかくとして、ナマの羽生結弦を見たら、本当にああいう感じになってしまうかもしれません。もしかしたら、「フィギュアスケートの世界チャンピオンである羽生結弦が映画デビューした」ということを、全世界がニュースとして報じているのかもしれません。全世界の女性達は、フィギュアスケートの世界チャンピオンが地元にゆかりのある殿様に扮した、その凜々しい姿に心を奪われるかもしれません。
2016.05.15
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笹野高史といえば、私は線香のCMのイメージが強いです。喫茶店のマスターをしている笹野が、遠方の知り合いのために線香の引き出物を達者な自筆を添えて贈る・・・というものです。そんな笹野が、手裏剣戦隊ニンニンジャーにて、兄・妹・親戚からなる5人のメンバーの祖父役として出演していました。世界に名を轟かせるラストニンジャだけあってメンバーに対しては冷酷に接していましたが、これは生きるか死ぬかのシビアな忍者の世界ゆえのもので、本心としてはメンバーの成長を温かく見守っていました。そんな祖父の元で、5人のメンバーは修行に励み、戦いを経ながら新しい技や巨大ロボットを編み出していきます。最終決戦時に祖父は命を落としてしまいます。最後は5人のメンバーがラストニンジャになる夢を断念し、自分の目標に向かって新しい一歩を踏み出していきます。この物語には、「守・破・離」というテーマがあったわけです。この物語が佳境を迎える頃、ある笑撃的なニュースが飛び込んできました。それは、今回の映画に笹野が出演することが決定した・・・というもの。ニンニンジャー同様にじいさん・・・もとい、ジジイを演じるのでは・・・と思ったのですが、蓋を開けてみればなんとババアを演じるとか・・・。BBAと書いて「ババア」ッスよ、「ババア」!これを知って「呆れた」という感情を通り越して「よくやった!もっとやれ!」と感じてしまいました。まあ、歌舞伎の世界でも「女形」というものがありますし、現在放送されている動物戦隊ジュウオウジャーに出演している寺島進もかつては女性のスーツアクターを担当したこともあったそうなので、名優たるもの男性のみならず女性も演じ切らなければならないのでは・・・などと思ってしまいます。・・・とあるド田舎の一軒家・・・。たまたま訪れていた玄奘は、住人のジジイとババアから山田太郎の更生を依頼された。太郎はジジイとババアの実の子ではなかったらしい。16年前、ジジイとババアが農作業中、あらぬことか子作りに励んでいた時に、太郎が突如として天から落下してきたらしい。成長するにしたがって素行が悪くなる一方で、現在では手がつけられないほどの「ならず者」になっていた。太郎が家に帰ってきた時、玄奘は太郎に石を持たせるように仕向け、その石に太郎の妖力を吸い込ませることで収拾を図った。その後、玄奘は太郎を引き取り、なんとしてでも更生させるべく旅にでることになったのであった・・・。玄奘たちが、とある町に着いた時、周囲を微笑ませて熱狂の渦に巻き込ませていた一人のイケメンがいた。名を「龍翔」という。多額の寄付金を募っているのたが、その陰には「暗い影」がつきまとっていた。なんでも太郎に対しては根深い恨みがあるそうで・・・。・・・この作品が週刊少年ジャンプに掲載されていた1988年当時によく読んでいたのですが、「よくぞ世界観をそのまま映画化したな・・・」という「呆れ」・・・もとい「思い」を抱きました。バカバカしいったらありゃしない!いや、私はまんざらではありませんのでご安心を。こういうノリは大好きです。ちなみに、最強である山田太郎に対抗できる酔拳の達人である中村泰造役には温水洋一が担当しています。物語の最後では太郎を撃沈せしめています。仮に泰造役を先述の笹野が演じた場合、「忍術使ったら、そりゃ太郎は勝てないわな・・・」と納得してしまうところではありますが、それは私の妄想の産物です。ジジイとちちくりあっている笹野の姿はなかなかサマになっていたと感じてしまったのは、私にも801好きな「腐女子」の傾向があるからかもしれません。くわばらくわばら・・・。
2016.02.28
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この映画を見るために映画館に行った時に印象に残ったことをひとつ。映画館のグッズ売り場では、スターウォーズ関連のグッズが所狭しと並んでいたわけですが、その中で、日本人としては見覚えがあるものが目につきました。それは、反乱軍のエンブレムです。日本航空の丸い鶴のマークを基調としたもので、使われている色はたったの1色のみ。それでいて、今まで見たエンブレムに比べてシンプルでありながら強烈なインパクトを放っていました。当然ながら、日本によくある家紋から発想を得たものと容易に想像できます。かつての東京オリンピックのエンブレムは非常に単純であったのですが、かなりの強烈なインパクトを放っていました。そのデザインを考案した人間は、日本の家紋のコレクションを所持していて、新しいデザインを生み出すために非常に研究していたそうです。あ、今回の東京オリンピックのエンブレム問題のように、すでにあるデザインと似ているからダメだ!・・・とは言っておりませんのでご安心を。あくまでも、日本の家紋はデザインが秀逸で、なおかつすんごく奥が深くて味わい深い、ということを感じたものですから・・・。・・・遠い昔、はるか彼方の銀河系で・・・。ルークが消えた???ルーク・スカイウォーカーがなぜ行方不明になったのかは誰一人もわからず、誰も彼もが消息を探し出そうと躍起になっていた。30年前に第2デス・スターを破壊し、なおかつルークとダースベーダーとの因縁の対決が終結し、さらには皇帝も亡きものとなったものの、現在では銀河帝国の残党であるファースト・オーダーと呼ばれる組織が暗躍していた。砂漠の惑星ジャクー。反乱軍のポー・ダメロンは、ルークの所在を示す地図を手に入れるためこの惑星の村を訪れていた。その最中、ファースト・オーダーの襲撃に遭い、ポーは丸い形をしたドロイドBB-8に地図のデータを託す。ファースト・オーダーの兵士は村を焼き払い、住民を皆殺しをしていたわけだが、その中に殺害を躊躇する兵士がいた。名前はFN-2187。後にポーから頭の2文字からフィンと呼ばれるようになった。ポーはファースト・オーダーに捉えられた後に拷問を受けていたのだが、フィンによって助け出された。しかし、逃げ出したときに乗り込んだ戦闘機は攻撃を受けてしまい、ジャクーに不時着してしまう。それと同時にポーは行方不明になるのだった。ジャクーで廃品回収を生業としていたレイは、ある日砂漠の中をさまよって他の同業に捕まえられそうになったBB-8を見つけ出し行動を共にすることに。その後フィンとばったり出会うことになる。逃亡したフィンを探すべく躍起になっていたファースト・オーダーはジャクーにいることを判明し、猛攻を仕掛けることに。レイ達はそこから逃げるために、半ばポンコツとなりかけていた、かつての名機ミレニアム・ファルコンに乗り込んで逃亡を図る。うまく逃亡したものの、大型船に捕獲されてしまう。そこにはファルコンの主であったハン・ソロとチューバッカがいたのであった・・・。・・・ここではあえて名を秘しますが、終盤にエピソード4〜6に登場した「ある登場人物」が命を落としてしまいます。「おおおおおお!なんてっこったあああああああああ!」さすがに映画館の中で大声を叫ぶわけにはいきませんので、心の中で叫び泣きましたとも・・・。これによって、ある登場人物がさらに暗黒面に堕ちてしまうことになるのですが・・・。最後の最後に、某所で行方不明になってしまったわけですが、次作において、よりパワーアップしてレイ達の元に立ちはだかることになるでしょう。エピソード4〜6において、壮大な親子ゲンカが展開されたわけですが、今回のエピソード7〜9においては、いとこ同士の壮大なケンカが勃発してしまいます。にしても、あの登場人物がなぜネガティブな精神に影響を受けて暗黒面に堕ちてしまったのか・・・といった謎が生み出されました。次回作以降でその謎は解明されることになると思うのですが、それまではじっくりと待つことにしましょう。
2016.01.10
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スーターウォーズといえば、宇宙を舞台にした壮大なスペースオペラではあるのですが、その中に和風も取り入れられている・・・とも言われています。ジョージルーカスが黒澤明監督の作品から多大なる影響を受けたからそうなったのかもしれません。まずは服装。ジェダイのは騎士というよりは、武士から取り入れられたと言われています。ライトセーバーは日本刀を模したものであるのは人目瞭然です。ダースモールのあの顔は、歌舞伎の隈取(くまどり)をモチーフにしているそうです。ちなみに、ロックバンドK.I.S.S.のド派手なメークもそうらしいです。ダースベーダーのコスチュームデザインは、伊達政宗の甲冑をモチーフにしているとのこと。たしかにあの甲冑は独特で、ロボットアニメのモチーフにもなったほど。海外にもレプリカを所有している人がいるとかいないとか。私は仙台市博物館でレプリカを手にしたことがあるのですが、兜にある三日月のオブジェは多少グラグラしていました。激しく動いても破損しないように、ある程度の「あそび」を設けている印象を受けました。さらにはアラミダ女王の服装は大奥そのもので、髪型は文金高島田を大胆にもデフォルメしたものです。これに眼鏡をかけたら思いっきり塩沢ときじゃないですかその他に和風テイストを感じるのは、フォースです。武士道というものが存在しているとおり、武士は礼儀作法や相手を思いやる気持ちなどを重視してきました。そこからさらに発展させて、物を自在に操り、そしてまた相手の気持ちを容易に察したり夢で未来を垣間見ることができるようになったわけです。ようやく全6作品を鑑賞し終えました。これで心置きなくエピソード7を見ることができます。来週が楽しみだなぁ〜♪・・・遠い昔、はるか彼方の銀河系で・・・。ジェダイ・マスターのクワイガン・ジンとその弟子オビワン・ケノービは特使としてナブーに派遣された。その道中、通商連合に面会をしたのだが、共和国への不信を買ってしまい、襲撃を受けるとともに乗ってきた船も破壊されてしまう。二人は仕方なく通商連合の船に乗り込んで、一路ナブーを目指すことに。ナブー到着後、クワイガンはナブーの原住種族で、集落を追放されたジャージャー・ビンクスと出会った後、集落の偉い人から潜水艇の提供を受けることに。そして首都シードに潜入してナブー元首アミダラ女王を救出し、共和国元首惑星コンサントへ向かう。ところが、封鎖線を突破する際に船が損傷し、やむなく砂漠の惑星タトゥーインに降り立つことになった。修理のための部品を購入するために部品屋を訪れた。幸運にも修理に必要な部品はあったものの、クワイガンが所持していたお金では購入することができない。そのお金を稼ぐためにポッド・レースというギャンブルに、部品屋で働いていた幼い少年の奴隷アナキン・スカイウォーカーを出場させる。アナキンには並み居るジェダイをはるかに凌ぐほどの強大なフォースを所有していた。卑劣な罠に屈することなくアナキンは見事優勝し、無事必要な部品を入手することができた。それと同時にアナキンを奴隷から解放させた。船の修理が完了した後、クワイガンはアナキンを同行させることにした。強大なフォースを所持していることを見込んでジェダイの修行をさせるためである。一行はコルサントに到着し、アミダラは緊急会議に出席してナブーの現状を報告するとともに惑星の即時解放を訴えた。ところが会議は無益な議論をダラダラ続ける有様だった。汚職と密約が横行して議会がまともに機能しないためである。これに失望したアミダラは、ナブー選出の元老院議員パルパティーンの案を受け入れ、最高議長を不信任とし、戦況の実施を要項する強硬手段に打って出た。一方、アナキンはというと、ジェダイ聖堂にて評議会から面接を受けていた。評議会はアナキンの修行を認めることはなかった。また、クワイガンの弟子にすることも許さなかった。幼いとはいえアナキンの年齢が高すぎたということと、精神的な弱さを指摘されたからである。アミダラは議会終了後、解放作戦を行うためにすぐにナブーに戻ることになった。クワイガン、オビワン、アナキンもそれに同行する。ナブー到着と、アミダラは先住民族と交渉するが平行線のままである。そこに従事していたお供の一人が名乗り出て・・・。・・・エピソード1では、純真無垢なアナキン坊やが登場します。しかし、歳を重ね、様々な経験をするうちに次第に汚(けが)れていき、ついには暗黒面に堕ちてしまいます。人生とは、かくも過酷な運命を用意しているのだろう・・・と私は思ってしまいます。そのような過酷な運命をどのように克服していくかが、人生をよくするか悪くするか左右されることになるのかもしれません。私の人生に比べれば、アナキンの人生は大したことがありません。ただ単に、皇帝からそそのかされて暗黒面に堕ちてしまったにすぎません。仮に私がスターウォーズの世界に生きていたのであれば、皇帝の甘い誘惑がなくても余裕で暗黒面に堕ちてしまう自信があります。しかし、だからといって決して暗黒面に堕ちることはないでしょう。それは、ルーク同様、どんな状況であっても希望を見出したい一心であるからに他ならないですから・・・。
2016.01.04
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今回は第1作目。1977年に公開されました。それ故か、特撮の技術は現在のものと比べて劣っているところがあるかもしれません。しかし、それがかえってスターウォーズの作風に合っている・・・と私は感じております。私の感性が映画にマッチしているのか、もしくはただ単に私が古めかしいオッサンだからなのか、それは定かではありませんが、はてさて真偽のほどは如何に・・・???・・・遠い昔、はるか彼方の銀河系で・・・。火焔の星・ムスタファー。アナキン・スカイウォーカーは分離主義者の幹部を皆殺しにする。アナキンを追ってきたパドメはアナキンの変貌ぶりに落胆する。パドメが乗ってきた機内に密かに潜伏していたオビワン・ケノービーはアナキンと対峙する。激しい攻防の末、オビワンはアナキンを敗北せしめて、両足並びに左腕を斬り落とす。アナキンは溶岩流るる場所にズルズルと引き寄せられ、溶岩の熱によって炎を纏ってしまう・・・。パルパティーン議長改めシス卿ダース・シディアス皇帝は変わり果てたアナキンを回収し、手術を行わせた。もはやそれは「改造」と言ってもいいほどのレベルであった。ダースベーダーの姿になったアナキンは、皇帝からパドメの死を聞かされる。アナキンは自らの行動を今更ながら酷く後悔するのであった・・・。皇帝とダースベーダーは、新たに建造している要塞を目にしている。それは後にこう呼ばれることになる。デス・スター、と・・・。時は流れ、かつて平和であった銀河系は銀河帝国による圧政の元にあった。そんな中、反乱軍同盟のスパイがデス・スターの設計書を密かに盗み出した。スパイの一人であるレイア・オーガナは、設計書のデータとオビワン・ケノービへのメッセージをR2-D2に託したのであった・・・。R2-D2と相棒のC-3POは、脱出ポッドによって砂漠の惑星タトゥイーンに漂着する。そこでバザーに出されてしまっていたのだが、オーウェンとベルーのラーズ夫妻とともに暮らしていたルーク・スカイウォーカーによって買われる身となった。ルークは家に戻ってR2-D2の修理をしている最中に、レイアのメッセージを再生させてしまう。「助けて、オビワン・ケノービ・・・」詳細を知りたいがうまく再生することができない!オビワン・ケノービって一体誰?ベン・ケノービという変人だったら近くに住んでいるのだが・・・。その夜、R2-D2はこっそり家を抜け出してオビワンの元に行こうとするのだが、盗賊に襲われてしまう。後を追ってきたルークとC-3POも同様に襲われてしまう。しかし、近所に住んでいるベンに助けられる。実はベンの正体はオビワン・ケノービ本人であった。オビワンはルークたちを自宅に招き、自分のことのほかに、かつての弟子であったというダース・ベーダーの話をする。オビワンはレイアのメッセージを受け取り、早速惑星オルデランへ行くことに。ルークを誘おうとしたが、叔父が許してくれないと断ってしまう。しかし、ルークはR2-D2とC-3POを売っていたバザーが帝国軍に襲撃されたのを見ると、一目散に自宅に戻ったが、すでに焼き払われた後で、叔父夫婦は変わり果てた姿で殺害されてしまっていた・・・。全てを失ったルークはオビワンと共にオルデランに同行するために宇宙空港に。そこで密輸商人のハン・ソロとウーキー族のチューバッカと出会う。ソロの宇宙船ミレニアム・ファルコンで帝国軍の追跡を振り切って一路オルデランに向かう。ルークたちはオルデランが存在する地点に到達したが、惑星そのものがなくなってしまった。いっこうに口を割らないレイアに業を煮やした帝国軍が、虚偽の取引をし、口を割った時点で問答無用に破壊してしまったためである。付近にデス・スターがあったのだが、そこから発せられた磁場によってズルズルと引き寄せられてしまう。引き離そうとしてもエンジンがオーバーヒートを引き起こして破損してしまうだけなので、諦めて捉えられることに。R2-D2の解析により、デス・スター内部にレイアが監禁されていることが判明。ルーク、ソロ、チューバッカは兵士ならびに捕虜に扮して潜入することに。対するオビワンは、心当たりあるフォースを感じ、単独で潜入することになったのだが・・・。レイアを無事に救出したルークは、反乱同盟軍の基地があるヤヴィン第4衛星に到達。そこでデス・スター攻略を策定することになった。デス・スター攻略作戦実行する間際、ソロは礼金を受け取ったやいなや、無責任にもさっさと基地を立ち去ってしまった!デススターの攻略は思う以上に難しく、帝国軍の迎撃は激しいものであった。1機、また1機・・・と味方の戦闘機が撃ち落とされ、絶望に浸されていたルークであったのだが、思わぬ援軍が現れて・・・。・・・今回の映画はエピソード4です。・・・ということは、後年に公開されたエピソード3の続編にあたるものとなっており、4が公開された時期に何とも思わなかったシーンが、今となっては「あ〜あ、なるほど!」と思わず納得したりニンマリしたりできます。特に、レイアとダースベーダー、ルークとダースベーダー、さらにはオビワンとダースベーダーが対峙していた時には、思わず「おいおいおい・・・」などと思ってしまったものです。エピソード3まで見てしまったら、4と5はこういうイメージを抱いてしまっても致し方がないのではないでしょうか。「宇宙を舞台にした、壮大なる親子ゲンカである」と・・・。
2016.01.03
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昨日はスターウォーズ全4作品を観ようと頑張ってみたぜぇ〜♪朝6時半からエピソード5を見始めたぜぇ〜♪ご丁寧にも、このように1作品を見終わるごとにレビューをちまちまと書いてやったぜぇ〜♪でも、1つの作品につき2時間以上も時間がかかる超大作だったぜぇ〜♪そのせいか、3作品を見終わった時点で体力を使い果たしてしまったぜぇ〜♪その結果、夕方6時から朝の6時まで丸々寝てやったぜぇ〜♪orzわいるどだろぉ〜♪・・・遠い昔、はるか彼方の銀河系で・・・。クローン大戦勃発から4年が経過。その大戦の渦中、パルパティーン最高議長が独立星系連合軍に捕らえられてしまう。アナキンとオビワンは議長の救出に向かう。その際にドゥークーと対決するが、アナキンはドゥークーの両腕をライトセーバーで切り落とす。しかし、議長はトドメを刺すこと指示し、アナキンはドゥークーの首を切り落とす。帰還したアナキンは、妻パドメと寝ている最中に、パドメが出産で死んでしまう・・・という夢を見てしまう。ジェダイにとって予知夢は絶対不可避のもの。これを回避するためにはどうすればいいのかを模索することに。ジェダイ評議会は、長年権力の座にあり続ける議長に対して良くは思っていなかった。そこで評議会は議長と親しかったアナキンをスパイとして情報を探ろうとする。議長はアナキンに対して、パドメを救う方法があると提案する。それは、アナキンが暗黒面に堕ちることである。その甘くてドス黒い誘惑に屈したアナキンは、評議会の長であったメイス・ウィンドゥを倒し、暗黒面に堕ちて名前を「ダース・ベーダー」と改名してしまう・・・。その後、議長は議会の場で共和国の解体と再生を行った。銀河帝国の誕生である・・・。・・・ついにアナキン・スカイウォーカーが暗黒面に堕ちてダース・ベーダーとなる時がきました。当然のことながら、私がイメージしていた展開とは全く異なっていました。私がイメージしていたのは・・・皇帝に完膚なきまでにやられて暗黒面に堕ち、後にダースベーダーを名乗るというものでした。半分当たって半分間違っていた・・・ということでしょうか。世の中、なにかを長く続けていると、どうしてもマンネリが起こりやすくなります。その結果として現状に満足してしまうもので、そこから腐敗が生まれてしまうわけです。そこをどう打開するかが腕の見せ所ではあるのですが、それがいかに大変であるかは容易に想像できます。ましてや巨大な組織になってしまうと・・・。ならばと大きな変化が必要となるわけですが、当然のことながら大なり少なりの苦痛が伴ってくるものです。あちらを立てればこちらが立たず・・・といったことが起こり得るものです。本当に難しい問題であることには間違いないようです。結局のところ、アナキンが暗黒面に堕ちてしまっても、パドメの死は免(まぬが)れることはありませんでした。結局はアナキンの行動は無駄に終わってしまったことになります。いくら後悔しても後の祭り。覆水盆に返らず。どうあがいても元に戻すことはできません。そうなるのであれば、現実を受け止めて暗黒面に堕ちなかった方がいいのに・・・と思ってしまいます。しかし、そんなことがまかり通ってしまったら、全9部にもわたる超大作が成り立たなくなってしまいます。モヤモヤとしたジレンマが私の脳裏をよぎってしまいます。
2016.01.03
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スターウォーズは全9部構成になっているそうです。そのうち4〜6部までが先に制作されました。それがルーク・スカイウォーカーと宿敵ダースベーダーの戦いがメインとなっています。後日になって1〜3部が制作されました。そのせいかもしれないのですが、制作フタッフが変わっていたり、最新CGも使っていたりしているせいか、4〜6部の作風と違う印象を受けました。序盤はそういった違和感を抱いて観ていたのですが、次第に慣れてきたようです。「習うより慣れろ」という言葉があるとおりなのかもしれませんね。・・・遠い昔、はるか彼方の銀河系で・・・。旧態依然として、なおかつ腐敗が進む銀河共和国。そんなところを見限って、数千の星系が離脱を表明する事態に発展した。その多くは元ジェダイであるドゥークーを中心に分離主義勢力を形成していた。共和国の軍隊保有の是非を問う元老院議会での投票のため惑星コルサントを訪れたうら若き元老院議員パドメ・アミダラは爆破テロに遭遇し、パドメ自身は難を逃れたものの「おとり」となった者や護衛に犠牲者を出してしまう。パルパティーン最高議長の計らいで、オビワン・ケノービとアナキン・スカイウォーカーがボディーガードをする事になった。その夜、パドメが刺客にやられそうになるもののそれを回避。刺客を追跡し口を割らせようとしたが、その刺客は別の刺客に殺されてしまう。オビワンは刺客にとどめを刺した凶器から別の刺客が属するアジトの場所の手がかりを見つける。その場所は惑星カミーノ。ただ、その惑星の位置は何者かによって抹消されてしまっていた。ジェダイの何者かによって抹消されたらしいのだが・・・。ヨーダが教えていた子供達によってその位置が判明し、オビワンは惑星カミーノに向かう。惑星カミーノにはクローン人間を製造するプラントがあり、亡きジェダイ・マスターであるサイフォ・ディアスがそこに10年前に極秘裏に生産を依頼していた。そこで生産されているクローン人間の遺伝子のホストこそが刺客にとどめを刺した張本人であった。オビワンは捕獲を試みるものの反撃を喰らい失敗。刺客による惑星ジオノーシスへの逃亡を許してしまう。オビワンもジオノーシスへと足を運ぶ。一方のアナキンはといえば、パドメのボディーガードとして惑星ナプーに同行した後、母の行方を捜すため故郷である惑星故郷タトゥイーンを訪れていた。その際にオビワンからの通信を受け、ジオノーシスへと向かう。・・・この1〜3部において、アナキンがいかに暗黒面に落ちてしまうかが描かれているわけですが、それを象徴する出来事となってしまったのが、くだんの母親の件です。奴隷として囚われていたものの、のちに解放されて水耕農をしている旦那さんと再婚したそうです。しかしその幸せもつかの間、盗賊に誘拐されてしまったとのこと。アナキンが必死に探し出して見つけ出したものの時すでに遅しで、アナキンの腕の中で息絶えてしまいました。それに怒りを覚えたアナキンは、部族ごと皆殺しにしてしまったそうです。母親をこんな目に遭わされてしまったら、子供としては同様な想いをしてしまうのは致し方ないことです。当然ながら現実にそんなことをしてはいけないわけで・・・。それを差し置いても、フォースを正しき道に使うべきジェダイがそんなことをしてしまってはジェダイの名が汚れてしまうというもの。道を極めるべき人間がよくないことをしては絶対にいけないわけです。何らかの職をしている人間だったら、痴漢などの破廉恥な行為や、ましてや犯罪や殺人をしては絶対にいけないのです。1回しかやっていなくても人生を台無しにしてしまうのですから・・・。
2016.01.02
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テレビ神奈川に「SakuSaku」という番組があります。かつて私が横浜に住んでいたときに、毎日録画までして観ていました。その中で、マスコットを操縦している通称「黒幕」が画面に登場する際、「13日の金曜日」に登場するジェイソンの仮面を被った上に黒いマントを羽織ってました。そして時たま手を幽霊のようにヒラヒラさせてビームを放っていました。これがまさしく皇帝の攻撃だったわけで、ようやく元ネタがわかってニンマリしていました。また、この他に「壺くん」「バットくん」という黒幕のお供もおり、ともに赤い仮面に赤いマントを羽織ってます。同じく映画に元ネタが登場しており、同様にニンマリとしてしまいました。・・・遠い昔、はるか彼方の銀河系で・・・。前作において、ソロは帝国軍の策略にはまって冷態保存されるハメに陥った。その後輸送船でどこかへと送られていった・・・。クラウドシティでの戦闘が終了してから1年後、C3-POは惑星タトゥイーンを牛耳っているジャバ・ザ・ハットのもとにいた。ルーク・スカイウォーカーの使者として馳せ参じたのだが、ひょんなことから通訳兼奴隷のような扱いを受けることに・・・実はこれ、ジャバの宮殿のなかにあったソロを奪い返すための作戦だった。帝国軍は森の惑星エンドアの軌道上に第2デス・スターを建造していた。これが完成してしまったら反乱軍は手の足も出ない状況に陥ってしまう。この第2デス・スターはエンドアに設置されていた基地によってシールドを張っている状態になっている。まずはその基地を破壊した上で、別働隊で第2デス・スター内部のコアを破壊する作戦をとった。その最中、ルークは単身で帝国軍に出向き、皇帝の元へ。そこで反乱軍が殲滅されている光景を見させられ、皇帝からは暗黒面に堕ちることを勧められる。「どんなことがあっても暗黒面に堕ちない!」と意を決したルークは、ダースベーダーとともに壮大なる親子ゲンカを引き起こすことに・・・。・・・・・・とまあ、「親子ゲンカ」とはいうものの、「親が『悪』だ!」とは言い切れないのがこの映画の見所でもあります。親であるダースベーダーも紆余曲折あって悪に徹することになったわけですし・・・。それはエピソード1〜3に委ねることにしましょう。だいいち、ほんの些細なことがきっかけで全世界を巻き込む親子ゲンカが勃発してしまっては、関わってくる人たちが多大な迷惑を被ることになりますし・・・。
2016.01.02
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スターウォーズこれはいくらなんでも私も存じています。・・・が!全編を一通りみたことはどの作品もない!という体たらくです。あったとしても、パロディーである「スペースボール」という映画を見た程度。私がこれまで見てきて覚えているのは以下の通り。・ダースベーダーとルーク・スカイウォーカーの一騎打ち・ルークの片腕がダースベーダーによって切り落とされる・雪原でルークが凍死しそうなときにまたがっていた動物を殺して内臓の中に入れて暖をとらせる・ダースベーダーが艦長を何らかの力で息絶えさせ、別の人物を新たな艦長に任命する・ルークがダースベーダーの火葬をする・・・程度なものです。つい最近になって、スターウォーズの最新作が上映されたこともあり、「まずは全作品観てみること!」と、友人から課題を課されたこともあり、友人からはDVDを2つ与えられました。それがエピソード2とエピソード3です。そして、フジテレビ系列である仙台放送で新年なりたての時間帯から2作品放送されました。それが今回のエピソード5とエピソード6です。ちなみに、日本テレビでも同じ時間帯で同じものが放送されていたそうですが、こちらは関東地区のみでの放送でした。のこりはエピソード1とエピソード4なのですが、実は日本テレビ系列で最新作公開に合わせて2週連続で放送されていました。いずれも結末だけは夜勤の勤務前にシッカリと拝聴しました。こういうことになるのであれば、あらかじめ録画すればよかったと後悔していますが、まさしく後の祭りです。・・・遠い昔、はるか彼方の銀河系で・・・。反乱軍に属するルーク・スカイウォーカーが帝国軍の要塞デススターを破壊してから3年後、帝国軍は猛攻をし、反乱軍は氷の惑星ホスに潜んでいた。しかし、いつしかバレてしまい帝国軍の攻撃にさらされることに。ソロ、チューバッカ、レイア、C3-POは空母に乗り、ルークは戦闘機で脱出を図る。ソロたちは帝国軍の軍艦と遭遇するもののからくも逃げ切り、小惑星群をくぐり抜けた後に惑星に潜伏する。しかし、その中にいた生物の中にいたことに気づき、すぐに撤収する。ルークはオビワン・ケノービの亡霊により、惑星ダゴバに向かいヨーダからジェダイになるためにフォースの修行をするように説得される。惑星ダゴバはガスに覆われた惑星であり、視界不明瞭のため沼に不時着してしまう。そこに小さな爺さんが現れる。フォースの修行をせがむルークに対してクドクドと文句を言っていたが修行をすることにする。修行の最中、ルークは友人の危機を知り、修行半ばで惑星を飛びだってしまった。一方、ソロたちは空母の整備のために、友人であるカルリシアンが治めるクラウドシティのある惑星ペスピンに向かう。そこでソロはカルリシアンと旧知の仲を温めるのだが、会食の場にはなんとダースベーダーの姿が・・・・・・「力」というものは確かに必要なものです。しかし、使い道次第では良い方に向かう場合もあれば、悪い方に向かう場合もあるわけです。ルークとヨーダとの修行の場でもそういったやり取りがあるわけで、フォースにはどんなものにも宿っているので、それを利用してあげるのが大事だ・・・ということを語っています。それは、ものを大切に扱えば最大限に発揮させることができるし、逆に粗末に扱えばソッポを向かれるが如く効果的にはなってくれない・・・ということだと私は思うのです。私は貧弱な体ですので、人並みの力は発揮できそうもありません。しかし、ものを大切にし、なおかつ相手を思いやるようにすれば、こんな自分でも力は発揮させることはできるのではないか・・・と思うのです。当然ながら、私利私欲のためにそういうことをしては絶対にいけないのは、言うまでもないことですが・・・。
2016.01.02
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私がゲームセンターのゲームにハマったのは、高校1年生の頃です。スーパーマリオなどのファミコンのゲームをちょっとかじっただけではあるのですが、その中にグラディウスというゲームがあったわけです。綺麗なグラフィックに衝撃的で鮮烈なミュージック・・・弾に当たると死ぬのはもちろんのこと、地形に接触すると同様に死ぬというシビアさも兼ね合わせてはいるものの、このゲームに魅了されました。初めてゲームセンターに入った時、そのグラディウスがありました。しかもなぜかグレードアップしている!タイトルはグラディウスIII〜伝説から神話へ〜サブタイトルからしてカリスマがかっていました。早速100円を投入し、プレイしてみました。最初に2つの選択肢が表示されます。・ビギナーモード(入門)3ステージエンド・テクニカル(ノーマル)初めてプレイするにもかかわらず、無謀にも「テクニカル」のほうを選択しました。Destroy them all!うおっ!声が出た!パワーアップアイテムをとってスピードをあげてみると・・・Speed up!また喋った!しかもBGMにはコーラスがかかっている!ゲームの進化はすごいでしゅね!しかし、初っぱなの編隊の攻撃はスーパーマリオのクリボーよろしく容赦なく、のっけから撃沈されてしまいました。そしてステージに入った途端に敵の猛攻は激しく、弾まみれになってしまいまたもや撃沈。即座にゲームオーバーになってしまいました。さすが「伝説から神話へ」というサブタイトルがついただけのある、カリスマがかった難易度が高いゲームです。そのときからこのゲームにのめり込むようになりました。途中3面ボスのビッグコアMk-IIIを3年もかけて撃破したりしたものの、アイスキューブの猛攻や最終面の破壊不能なガーメイド、さらには灯台障害、最終脱出の高速ステージなどに心が折れてしまい、結局AC版でのクリアはできませんでした。それでもこのゲームが大好きで、通勤時にこのBGMはよく聞いています。・・・今回は、80年代のゲームをベースとして物語が展開されているのですが、シューティングゲームをベースとしたこれはいかがでしょうか・・・。お願い、私の惑星(ほし)を助けて。私は、惑星イースクエアの、イレーネ・・・ここ最近、このようなテレパシーが聞こえることで世界が騒然となっていた。最初のうちは「空耳だろ!」と、聞こえた人間をバカにしていたのだが・・・。それからしばらく経った頃、突如としてシーラカンスやマッコウクジラ、タツノオトシゴの形をした巨大戦艦が全世界を襲撃した。「ここは海でも水槽でもないのになぜ?」そのような疑問を呈しながら逃げ惑うしかなかった。時を同じくして、魚介類の形をしない戦艦が飛来してきた。他の戦艦と違って世界を襲撃することはなく、逆に見つけ次第、圧倒的な戦力であっさりと撃破していった・・・。じつはその戦艦は、ある人物を探していた。その人物は「ゲームが上手いこと」ただそれだけである。そのため、過去のいくつかのゲームをクリアしたら日本円にして1億円の賞金をプレゼントするキャンペーンを展開する。このキャンペーンで見いだした人物に惑星イースクエアの将来を託すことに。サポートするアンドロイドも用意された。見た限りいたいけな少女の風貌をしている。その人物が乗り込むのは惑星グラディウスを平和に導いた名機ビックバイパー。少女は伝説のソルバルウをベースに開発されたR−GRAYに乗り込む。本人は気楽な気持ちで承諾し、一路惑星イースクエアに向かう。しかし、本人はその身に降りかかる過酷な運命を知るよしもなかった・・・なぁ〜んちゃって。今回の映画はこういうストーリーではありませんのあしからず。てへぺろ・・・1.9.8.2. ゲームセンターガ、マルゴト、ヤッテクル。近所にゲームセンターが開店し、子供たちはこぞってゲームに熱狂していた。その中でも、サム・ブレナーは友人のウィル・クーパーを道連れに、数々のゲームにのめり込んでいった。動体視力がよいうえに、敵キャラクターの行動パターンを的確に把握することができたため、瞬くスーパープレーヤーへの道をたどるようになった。そんな中でゲームの世界大会に出場することになった。この大会にはNASAが協賛していて、名も知らぬ生命体の友好の証として、この模様を録画したものを宇宙探査衛星に搭載することになっていた。この大会でサムは二人のスーパープレーヤーと出会う。一人はレディー・リサ命のワンダーキットことラドロー・レイモンソフ、もう一人はこの大会の決勝で対峙することになるファイヤー・ブラスターことエディー・ブラント。サムはエディーとのドンキーコング対決で決勝に挑むものの、接戦の末に負けてしまう・・・。2015年。サムは家電量販店をしていた。妻に逃げられたバツイチでもあった。そんなサムがゲーム機ならびにテレビの設置をするためにある一件のお宅を訪問した。その家にはヴァイオレット・ヴァン・パッテンという女性が住んでおり、その息子としてマティがいた。サムが設置完了の旨をヴァイオレットに報告しようとしたところ、クローゼットでヴァイオレットが泣きじゃくっていた。なんと夫がシナモンと称する女性に不倫をして逃げてしまったそうだ。それをなだめるサムだったが、歯を磨いていないことを理由に険悪なムードに。そんな中、二人とも別件でいずれもホワイトハウスに来るように・・・との指示を受けた。グァムにおいて、未確認飛行物体によって軍の基地が破壊されたとの一方が入ってきた。サムによると、それはギャラガと呼ばれるゲームのザコキャラだという。こんな事が「おおやけ」になると大事になってしまう・・・そんな想いが充満してホワイトハウスは騒然となった。時を同じくして、今度はインドでも同様のことが起こるとの一報が入ってきた。「こんなのは偶然だろう」という憶測が飛び交い、何の行動もとらなかったが、実際に事件が起きてしまった。この時はアルカノイドというゲームのパドルがボールを出して建物を破壊していた。そして3度目・・・。三度も起きるとなると大問題になってしまうため、発生する可能性があるイギリスに出向き、敵の襲来を待つことになった。案の定敵がしてきた。その敵はセンチピートと呼ばれるゲームのムカデだった・・・。サムたちは軍隊の協力を得てこれを撃破。これで1勝2敗。ならば、これならどうだ!・・・と言わんばかりに次に投入されたのがパックマン。見た目はかわいいが食い意地は旺盛で、あるものを見境なく食い散らかしていく。これに対抗するのはミニクーパー4台。サム、ラドローのほかに、かつてサムを負かし、現在は収監されているエディ、さらにはパックマンの生みの親である岩谷教授(!)の4人でパックマンに挑む!対戦するやいなや、パックマンは人を襲うために作ったんじゃない。もっとかわいいヤツだ・・・と、岩谷教授は説得しようとするものの、パックマンはそれに応じることなく、岩谷教授の腕まで食べてしまう。説得がダメならパックマンのルールで戦うしかない!・・・ということで、パワーアップエサを食われてピンチに晒される事があったものの、辛くもこれに勝利を収める。これでようやく世界の平和は守られた。ところが・・・。祝勝パーティーの最中、ある不穏なメッセージが会場を騒然とさせる。サムたちはズルをしたから今度は容赦しない。後日ギャラガと呼ばれる母艦がニューヨークに現れ、そこから様々な敵キャラクターが出現して街を襲い始める!戦闘中に出会ったQバートというキャラクターから聞いた話では、33年前に衛星に搭載されていたビデオに問題がある、とのことだったが・・・・・・80年代にゲームをやりこんでいた方には感涙モノの一作になっていると思われます。1982年当時のコナミとタイトーのロゴがその頃のものになっていたのを拝見した時には激アツになっていました。しかも、パックマンの生みの親である岩谷徹氏も出演されていた・・・とのことで、パックマンとの絡みのシーンで泣き笑いをしていました。ところが、このシーンではご本人はご登場されていませんでした。冒頭にチョイ役として出演しています。ゲームを愛することには国境なんてない!ゲームは世界を救う!・・・そういう想いを抱くことができた作品でした。私はそんなアツい思いを抱き、FC版グラディウスII、SFC版グラディウスIII、AC版ツインビー、AC版グラディウスI、AC版サンダークロスIIのサントラを聴きながら帰宅の途につきました。
2015.09.20
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彦根藩士である志村金吾は、井伊直弼の護衛を担当する役に就いた。プライベート時の井伊直弼は、茶や和歌、そして書をたしなむ知識人で、志村は意外な一面を持ち合わせている井伊直弼を心底から慕うようになった。安政7(1860)年3月3日、桜田門外の変が起きる。その際に井伊直弼は暗殺死される。本来ならば志村もこの責任を負って切腹させられるはずだったが、両親が自害して果てたために、切腹を免れる代わりに脱走した水戸藩士5名のうち1名でもいいから首級を揚げるように彦根藩から厳命される。それは、切腹を許可されないことを意味していた。可能な限り調べを行っているものの、一人、また一人と死罪にされてしまい、志村は憤りを感じる。生存者が1名となったところで廃藩置県が起こり、明治時代に突入した。これによって彦根藩は存在しなくなったものの、それでも志村は慕ってきた井伊直弼のために生存者を探し続けてきた。志村の友人であった内藤新之介の働きもあり、以前評定所御留役に就いていた法務省の秋元和衛によって自宅に呼ばれる。その当日は桜田門外の変が起きた日と同様、雪がしんしんと降り続けていた。志村は秋元の自宅へ向かう時に通りがかった新聞社で、この日から仇討ちが禁止される法律が施行されることを知る。そして秋元の自宅にて、志村は桜田門外の変の詳細を知ることになる。それと同時に、唯一の生存者の所在も知ることに。佐橋十兵衛・・・事件当日に徳川将軍から直々に提供された槍を奪い取り、志村との戦闘で左胸に傷を負っていた。現在は名前を直吉に改め、人力車を引く仕事に就いている。その夜、志村は佐橋に会う。佐橋が引く人力車に志村が乗り、いくつかの会話を行う。そうこうしているうちに、ある場所にたどり着いた。その場所は「柘榴坂」。皮肉にも桜田門外の変で戦い深手の傷を負った数名の水戸藩士が自刃した場所であった・・・。・・・桜田門外の変が起きる日に、襲来を予告する訴状が井伊家に届き、厳重な警備をした方がいいのでは・・・と周囲が騒ぎ立てますが、当の井伊直弼は「これでやられるのも天命。普段どうりの警備で十分だ」というような発言をしています。結局は暗殺されるのですが、「これも本望」と思っていたようです。このように、人生にはいいこともあれば悪いこともあるわけです。本来だったらいいことばかり起きればいい・・・とは思うのですが、長く人生をやっていれば、そんな都合のいい話ばかり・・・ということはありません。大なり小なり悪いことは起きるものです。仮に悪いことが起きたらどうすればいいのか・・・というと、やはり井伊直弼のように天命だと思って身をゆだねるしかないようです。それで死ぬのも最悪な結果になってしまうのも、全て自分の人生はこれまでだと達観するのだ、と・・・。人生は有限である、と言えます。それ故に井伊直弼はこのようなことをいっているわけです。ならば・・・と、私は思います。ならば、その限りある人生の中で、自分はどれだけ精一杯に生きることができるか・・・ということを考え続けなければならない、ということを・・・。自分が死ぬ間際に、どれだけ自分の人生に満足して納得することができるか・・・これが命を与えられた自分に課せられた課題だと思うのです。まずは今の生活を有意義なものにして、なおかつ陰でやっている努力をこれまでも継続してやり続ける・・・これが私の義務だと思っています。・・・とまあ、現時点では自慢して自画自賛してもしょうがありませんので、現状に甘んじることなく、なおかつ絶対に自惚れることなく日頃の生活をしていきたいな・・・と思う今日この頃です。参考文献:映画「桜田門外の変」パンフレット
2014.09.27
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今回の映画は、桜田門外の変に関する浅田次郎の小説を映画化したものです。当然ながら、この映画には史実とは異なるフィクションの要素もあります。以前、この事件にまつわる映画のレビューをしましたが、その時に勘違いしていた点もいくつかあります。というわけで、その時の補足をする・・・という意味合いも兼ねて、ここで改めて史実を振り返ってみたいと思います。この事件が起こった「そもそもの原因」は、中国で起きたアヘン戦争です。イギリスはインドで木綿を生産するようになったついでに、お茶を飲む習慣を持つようになりました。その茶葉は主に中国で作られており、イギリスは中国にお金を払って購入していました。ところが、いくら金持ちであるイギリスであってもさすがに中国に払うお金が尽きかけてしまいました。そこで考え出したのが、中国にはお金の代わりに麻薬であるアヘンを与えることです。その結果、中国では国民がアヘン中毒になっておかしくなる人が横行しました。これ以上アヘンがはびこるとさらにおかしくなると判断した中国はイギリスに対してNoを突きつけます。これに怒ったイギリスは武力によって中国を押さえつけ、植民地化してしまいます。この一方を聞いた日本は、「のんきに鎖国をしている場合じゃない!」という雰囲気で動揺します。つまり、鎖国をやめて開国をしよう・・・とか、世界列強と同様に軍隊を持たなきゃならん・・・とか。この状況の中で、老中井伊直弼は開国を強行しようとします。当然ながら、それに反対する人間もいたのですが、そういう人間を粛正してしまいます。これが世に言う「安政の大獄」です。これではいけない・・・と感じたのは幕府側です。その中でも水戸藩は、井伊直弼を暗殺しようという非常に物騒な計画を実行してしまいます。これが「桜田門外の変」です。さて、井伊直弼がどのように暗殺されたか・・・。水戸藩と彦根藩との戦闘のどさくさに紛れて黒沢忠三郎が井伊直弼の駕籠に向かって短銃を発砲します。この時の銃弾が井伊直弼の太腿から腰にかけて貫きました。その後、水戸藩側が数人がかりで駕籠に向かって刀を突き刺し、後に有村次左衛門が井伊直弼の首級を揚げることになります。さすがにこの事件を包み隠さずさらけ出すと、日本国中がタダでさえ大混乱に陥っているのに、さらに火に油を注ぐような事態に陥ってしまいます。そこで、公(おおやけ)では井伊直弼の病死としておいたのです。水戸藩の中では、この事件を企てたということで賛同する人も多かったのですが、表向きは幕府や彦根藩のことを考えて、「水戸藩としてはこの事件に関わりがない!」という立場をとりました。その結果、襲撃を実行した水戸藩士18名に関しては、すでに脱藩したものとみなされたために、とっ捕まえて死罪にする・・・という方針にしたそうです。この桜田門外の変以降、日本は「幕末」という激動の時代に突入します。そして慶応3(1867)年3月に大制奉還が行われ、その後旧幕府軍と政府軍による鳥羽伏見の戦いと戊辰戦争を経て、「幕末」という時代は終焉を迎えます。そして、開国をしたと同時に日本は強くなっていき、いつしか世界と渡り合うことになったのです。井伊直弼がやろうとしていた「開国」は、結局のところ明治政府によって実施されることになります。「それじゃあ、水戸藩士がやったことって無駄骨だったんじゃないか!」と憤慨する人もいるかと思うのですが、私はこう思います。この桜田門外の変は、元を正せば世界の出来事から始まったわけで、日本は「世界の中の日本」であることが痛烈に理解できる事件である、といえるのです。歴史の教科書にたった一言だけ書かれている出来事に過ぎないのですが、日本のみならず世界にも多大な影響を及ぼしたのです。それだけに、この事件の重要度は非常に高いと思えます。水戸藩側では18名が実際にこの事件に関わっています。<直接的な戦死者>稲田重三・・・事件時の戦闘で死亡。<戦闘後に自刃した者>鯉渕要人(こいぶち・かなめ)・・・事件時に負傷し、直後に自刃広岡子之次郎(ひろおか・ねのじろう)・・・事件時に負傷し、直後に自刃山口辰之介・・・事件時に負傷し、直後に自刃。果敢に井伊直弼の行列へ切り込む有村次左衛門・・・事件時に負傷し、直後に自刃。井伊直弼の首級を揚げる。<自訴した者>○自訴後に死亡した者佐野竹之介・・・事件時に負傷し、直後に龍野藩脇坂家に自訴。重傷のため直後に死亡黒沢忠三郎・・・事件時に負傷し、直後に龍野藩脇坂家に自訴。取り調べ後に三田藩九鬼家に移され、そこで病死齋藤監物(さいとう・けんもつ)・・・事件時に負傷し、直後に熊本藩細川家に自訴。後日負傷のため死亡○死罪に処された者大関和七郎・・・事件時に負傷し、直後に熊本藩細川家に自訴。死罪に処される杉山弥一郎・・・事件時に負傷し、直後に熊本藩細川家に自訴。厳しい取り締まりの後に斬刑に処される森山繁之介・・・事件時に負傷し、直後に熊本藩細川家に自訴。その後斬刑に処される森五六郎・・・事件時に負傷し、直後に熊本藩細川家に自訴。その後臼杵藩稲葉家に預けられ、死罪に処された蓮田市五郎・・・事件時に負傷し、直後に龍野藩脇坂家に自訴。その後細川家へ預け替えられ取り調べを受ける。その後斬首に処される<脱走した者>○死罪に処された者関鉄之介・・・この事件の指揮を執る。脱走するものの越後で捕縛され、斬刑に処される岡部三十郎・・・事件の見届け人。水戸城下で潜居し、吉原で捕縛。その後斬刑に処させる○切腹した者広木松之助・・・無傷の状態で脱出し、その後逃亡生活を続ける。処刑された仲間の三回忌の時に切腹○最後まで生き延び、天寿を全うした者海後磋磯之介(かいご・さきのすけ)・・・無傷の状態で脱出し、その後逃亡生活を続ける増子金八・・・無傷の状態で脱出し、その後逃亡生活を続ける・・・と、こうしてかつて観た映画のパンフレットを元にざっとまとめてみましたが、意外な点が2点ありました。ひとつは、これだけの戦闘の中で、本来の意味での戦死者はたったの1名であったことです。映画の中でかなりの殺しあいをしていたわけですから何人かは斬られていたはずですが、実際にはこのような結果になっていたようです。もう一つは、生存者が存在していたこと。井伊直弼を護衛するはずだった彦根藩の関係者は責任をとって全員切腹され、なおかつ水戸藩士側の18名も戦闘中に死亡したり、生存した人間も全て捕縛されて死罪にされた・・・と思っていました。これは私の思い違いであったようです。今回の映画では、さすがに史実とは異なる点がいくつかあります。史実では捉えられた水戸藩士は全員死罪にされていますが、それが切腹したことにされています。また、直接的な戦死者数や逃亡した人数などの、劇中で登場した「事の顛末」にでてくる具体的な数字は史実に従っていますが、最後まで生き延びた人間の数は、わずか1名となっています。それが今回登場する架空の人物である佐橋十兵衛です。
2014.09.27
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前作(京都大火編)の続き。隣の部屋ではこの前作が放映されていましたが、それでも、見る人が結構いました。当然ながら今作を見る人がたくさんおり、383名収容できるところを3分の2を埋めていました・・・ということは、255名入っていた、ということですね。2進数の世界ではキリがいい数字である、と言えるでしょう。文字通り長蛇の列となった1997年の時の「エヴァンゲリオン」や「もののけ姫」と比べればまだいいとはいえ、それでもかなりの大入りではないのかな・・・と思っています。・・・浜に打ち上げられた剣心を助けたのは、剣心の師匠である比古清十郎であった。剣心は3日間の眠りから覚めた後、清十郎から飛天御剣流の奥義を乞うことに。しかし、その前に、清十郎から剣心の身にこれまで何が起きたかを問うために剣の腕を試すことに。その一方、行方不明になっていた薫は、住民によって浜に打ち上げられたのを発見され、病院に担ぎ込まれていた。それに安堵されていたのもつかの間、またもや行方不明になってしまう。しかし、すぐに発見され、同行していた弥彦と佐之介とともに東京に戻ることを決意する。己を殺して焼いた明治政府に対して恨みを抱いている志々雄は、京都の大火を陽動作戦として、明治政府を殲滅せんがためにすでに東京到着していた。その際、伊藤博文との交渉にて、剣心を指名手配させた後、公開処刑させることを約束させた。そんなさなか、剣心が無事東京の神谷道場に到着して安堵したものの、すぐに警察から包囲されてしまう。警察と争う理由がない剣心は、アッサリと捕まってしまう。公開処刑当日。場所は志々雄の軍艦がある浜辺。そこで残虐非道な罪状を述べられた後、剣心の処刑が今まさに執行されようとしていた・・・。・・・剣心は師匠から奥義を学ぼうとするのですが、その際に師匠が、剣心が体験したことを確認するために剣の腕を試そうとしています。剣術を極めている師匠の前では、いくら百戦錬磨の剣心でさえも歯が立ちません。完膚なきまでにやられてしまいます。そして、師匠から「自分に欠けているものは何か?」という課題を出されます。これに答えられないようでは情け容赦なく殺す・・・とまで言われてしまうのです。このやりとりを見ていると、自分がやっている努力というものは、いくら必死にやっていたとはいえまだまだ「甘ちゃん」であると言えます。確かに私自身も「ある意味」過酷な体験を余儀なくされましたし、これからどういう人間になるべきなのかを見いだし、さらにどういう努力を自らに課さなければならないかを認識しています。それも毎日欠かさずです。しかし、それでもまだまだである、とも言えるのです。本当の意味で強くなりたいのであれば、そしてまた本当の意味で慕われたいのであれば、相当な「覚悟」が必要なのではないか、と思うのです。それも生半可なものではないものを・・・。私自身も相当の覚悟を臨んで生活をして、努力を続けています。しかし、時たまダラけてしまうときがあります。当初の目標は何なのか、そして自分はどういう人間にならなければならないのか・・・そういったことを毎日自分に自問自答していって、自分の体にムチ打ってこれからも精進しなければならないのです。・・・佐渡島方治は、この決戦が終了した後自首します。裁判の中で明治政府が幕末時に実際にやっていた暴挙などを暴露したり、志々雄がめざした弱肉強食論を展開しようとしました。ところが、そのための裁判をさせてもらえないばかりか、明治政府が佐渡島の能力をとことんまで利用しようとしたことに落胆を覚え、牢獄で自決をしてしまいます。その死の目前、佐渡島はある夢を見ます。そこは三途の川・・・とはいっても、一面に花が埋め尽くされているわけでなく、その代わりとして人骨が無数に埋め尽くされています。そのなかで呆然と立ちすくんでいる佐渡島に声をかける人物がいました。志々雄と駒形由美です。これから三途の川を渡って、数多くの「ならず者」をモノにして地獄を制覇しようと目論んでいます。その計画に乗らないか・・・と佐渡島に持ちかけます。「この世」に絶望していた佐渡島にとって、志々雄の提案に首を横に振るわけがありません。感動にうちひしがれ、志々雄と共に三途の川を渡ることになります。その後志々雄たちが「あの世」の中で、どのような狼藉の限りを尽くしたのか・・・「この世」にいる我々には知るよしもありません。
2014.09.14
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以前から漫画の雰囲気を損なうことなく実写映画化されていたということで前評判が高かったこの映画。評判通りの素晴らしい内容でした。登場人物はもちろんのことながら、世界観、果てはスピーディーなストーリー展開まで、漫画のとおりでした。この映画の中で、「どこかで見たことがあるセットがあるな・・・」と思っていたら、この映画でも使用されていた山形でのオープンセットを使用していたとのこと。撮影地は大半が熊本なのですが、その他にも数多くの撮影地を使用していたそうです。それだけ、リアリティーを追求していた、ということでしょう。今回は、最新のデジタル4K投影機を使用した劇場でこの映画を観たのですが、画質がものすごく綺麗でした。髪の毛一本一本が見れるだけでなく、出演者の小さなホクロまでくっきりと見ることができました。3Dもいいけど、このような最新技術を駆使した大画面の映画もいいなぁ・・・と思う今日この頃です。・・・剣心が薫の道場の居候としてなじんでからしばらく経ったころ、明治政府より直々に相談を持ちかけられる。呼び出した張本人は時の明治政府のトップである大久保利通。大久保は剣心に対して京都に出向いて志々雄真実を討ち取ることを相談した。志々雄真実・・・剣心が表舞台で戦っていたと同時に影の人斬り役を買って出た。性格は残忍そのもので、自らの功名心と支配欲のためなら何でもやる「ならず者」である。徳川幕府との戦いにおいて絶大な功績を残すものの、勝利した後は味方によって無残にも殺され焼かれてしまう。志々雄が手掛けた戦歴の中には、明治政府の存在を覆してしまうほどの残忍なものもあったらしく、口封じのためにこのような目に遭わされてしまった。ところがそのような状況であっても奇跡的にも生き延びて裏社会で暗躍していた・・・。この大久保の相談に対して剣心は即答を避けたため、5月14日に大久保の屋敷にて改めて回答するように指示をした。5月14日。大久保が自分の屋敷に戻る際に、馬車の中で突如暗殺された。暗殺を企てた連中がいたそうであるが、実はそうではなく志々雄一派のメンバーにやられたらしい。それに加えて、多数の警察官も志々雄一派によって無差別に殺害されるという事件も相次ぐ。さらに伊藤博文から「もうお前しかいない」という大久保の言葉を伝えられる。これに応えるかのように、黙って薫の道場を去って京都に出向くことに。道中、ある村で逆刃刀を盗み出そうとした女の子と出会う。それと同時に、夫婦が惨殺されて吊されてしまう光景を目の当たりにする。聞けば志々雄一派の一頭がやったことであったそうだ。これに怒りを覚えた剣心はその残党を一網打尽にする。この地で志々雄と出会うのだが、この時にある事情により楽以外の感情を喪失した瀬田宗次郎との戦いにより、逆刃刀を破損させてしまう。京都についた剣心があてもなくぶらぶらしていると、前日に出会った女の子とばったり出会う。その女の子は「葵屋」と呼ばれる料亭で働いていて、名前は巻町操である。実はこの葵屋の実態は徳川幕府の情報諜報部隊である御庭番のアジトであり、操もそのメンバーの一人であった。葵屋のオーナーである翁は剣心に協力する姿勢を示した。剣心は翁に対して、逆刃刀を制作した人物を探すように依頼した。御庭番によってその人物を発見したものの、すでに故人となってしまっていた。そのかわり、子孫が包丁などの生活品を生産する刀鍛冶を営んでいるそうである。剣心がその子孫の元を尋ねて逆刃刀を制作するように依頼するものの、無碍に断られてしまう。ところが、志々雄が有する「十本刀」の一人によって子孫の子供が誘拐されてしまい、剣心は戦いを挑む。悪戦死闘を繰り広げている最中、子孫が神社に祀られていた逆刃刀を探し出し、剣心に手渡した。これによって剣心は見事勝利をし、無事新しい逆刃刀を入手することができた。志々雄は京都を大火に陥れようと画策しており、日時も決めていた。警察は威信をかけて大火を阻止せんがため、十分な警備を備えて応えようとしていた。そして京都大火決行の日。夏祭りに合わせるかのような、見事な花火が空を染め上げた。それは大火を開始する狼煙の花火だった・・・。・・・志々雄との戦いが完全に集結した後に、剣心が「弱肉強食の世界は終わりにするでござる」と語っていたのですが、現実はその言葉と反するように、日本政府は志々雄と全く同じ轍を踏むことになります。明治政府を立ち上げた後、諸外国と同等の力を作り出すために「富国強兵」というスローガンの元に日本を強くしていきました。ところが日露戦争によって強国ロシアに勝ったことで、軍部はやりたい放題やって、狼藉の限りを尽くすようになりました。中には、志々雄がやっていたような残忍な行動を取っていたらしく、中でも酷かったのが広島に本拠を構える連隊だったそうです。その理由により、真っ先に原爆を落とされてしまった・・・ということがあったらしいです。志々雄は自分の功名心と支配欲のためになりふり構わず暗躍した・・・とはいうものの、本心としては賞賛して欲しかったに違いありません。それを無残に殺されたあげくに焼かれてしまうとは、志々雄ならずとも復讐に燃えるに違いありません。私は殺されて焼かれてしまうといった残虐なことはされませんでしたが、それでも似たようなことをされました。その職場に対しては怒りや復讐心を持っているのは事実です。実際の所はその職場に対して妨害をしたり危害を加えたりしたいと思うのですが、良心によってグッとこらえて我慢しています。そのようなことを実際にしたら悪くなるのはその職場ではなく、手を出した自分のほうになってしまうのです。そうなってしまったら自分がバカを見ますので絶対にやりません。その代わりとして、その怒りや復讐心を自分の成長のエネルギーとして使用しています。日本を取り巻く諸外国の状況は、あいも変わらずきな臭くなってきているようです。こちらが会話をしようとしても拒否をされたり、人のことが言えないことを平気でやったりしています。こちらが下手に出れば図に乗ってくる。そのような状況の中で日本はどういう姿勢で臨めばいいのか・・・。この問題は非常にデリケートで、そう簡単に解決することはできません。これからはその真価が問われることになるのでしょう。・・・実際に敢行された京都の大火。しかし、解せないことが数多くあります。その中のひとつが、本来ならば志々雄自らが出向いて実行に移すこと。これをしなかった・・・ということは、他に目的があったのかもしれない。大火の渦中の中、薫が宗次郎によって誘拐されてしまう。それに気づいた剣心がその後を追う。追った先は志々雄が密かに用意した戦艦。剣心は薫を助け出そうと奮闘するものの、薫が海に落ちてしまい、剣心も助けようと海へ・・・。とある砂浜。剣心は気を失って海辺で横たわっていた。そこに近寄る一人の男。逆刃刀をじっくりと見定めた後に剣心をじっと見据えている。そして剣心を抱きかかえてどこかに立ち去っていく・・・。この男の正体とは・・・。そして、剣心とこの男との関係とは・・・。さらに、薫の運命は・・・。志々雄との戦いはまだまだ続く。
2014.08.24
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この映画が公開されるにあたって、東京・日本橋でジャパンプレミアが行われました。主役のジャック・レイナーにニコラ・ペルツ、ニコラの声を担当した中川翔子、さらには応援大使の武井壮が登場し、熱烈にアピールしていました。その中でも、ニコラは羽衣のような、あわや「おっぱい」が見えそうになるほどのダイタンで超セクスィーなオレンジ色のドレス姿で登場し、会場の男どもを釘ヅケにしました。私もその姿を朝のニュースで拝見しましたが、もちろんながら大興奮!その日の「夜のオカズ」として美味しくいただきました。だってしょうがないじゃないですか。男だもの。・・・4年前の戦闘にてセンティネル・プライムの野望を阻止したオートボット軍だったが、現在は人類から冷遇を受けている。なんでも、「オートボット軍こそが真の侵略者だ!」という噂が全人類にはびこり、魔女狩りの如く全てのオートボット軍を静粛するべく国の組織は動いていた。軍医であるラチェットはその餌食にされて殺されてしまった。ケイド・イェーガーは、テキサスの片田舎で暮らしている「自称発明家」。娘であるテッサ・イェーガーを高校卒業まで育てるため、近所から電子機器の修理を生業としていた。ある日、廃業した映画館の中にポンコツのトレーラーが鎮座していると言う情報を得て、そのトレーラートラックを引き取ることに。このトラックを修理している内に、これがかのオプティマスプライムであることを知る。オートボット軍排除の声がやまない中ではあったのだが、それでも何とか修理しようと試みることに。トラックの修理が完了しそうなる寸前、ケイドの友人であったルーカスが金目ほしさにこの事実を報告してしまい、襲撃を受けることになってしまう。テッサがすんでの所で殺されそうになる寸前、危機を察知したオプティマスが颯爽とその場を救う。この時、テッサの恋人であるプロドライバーのシェーン・ダイソンによって親子共々助かることに。結局ケイドの家はこの襲撃によって大破し、どこかのガソリンスタンドで身を寄せることになる。捕まえたトンボ型ロボットが撮影した映像の中に、ラチェットら破壊されたオートボット軍の姿の他に、KSI(Kinetic Solutions Incorporated:反トランスフォーマー組織。表向きはそう呼ばれていない)と呼ばれる企業が関わっていることが判明し、その企業に出向くことに。KSIでは、「ある物体」をベースとしてトランスフォーム技術を研究しており、オプティマスプライムに似たロボットをつくろうとしていた。ところが毎回失敗している模様。ケイドはKSIに潜入するべく、シェーンと、「乗り物」としてバンブルビーと乗り込むことに。ところが、そこで流されていたビデオでバンブルビーを批評していたことから、バンブルビーは逆上して暴れてしまい、潜入がバレてしまう。その騒動のさなか、潜入していたケイドの正体がばれてしまいジェームズ・サヴォイによって捕まってしまう。ジェームズはケイドを尋問し、如何にオートボットを憎んでいるかを訥々と語る。そのさなか、オプティマスが乗り込んできてケイドとシェーンを助け出した。その戦闘のさなかでオプティマスとシェーンは捉えられて戦艦の中に囚われてしまうものの、ケイドとシェーンによって助け出されることに。オートボット軍によって開発拠点を破壊されたKSIは、もう一つの拠点である中国・北京に移り、開発を続行する。だがまたしても戦闘は続く。その戦闘は激しさを増し、火種は香港にも飛び火した。人類対オートボット・・・という戦いの図式は、いつしか人対人、オートボット対ディセプティコンと複雑になっていく。さらに戦況が激しくなり、オートボット軍の戦況が思わしくなくなってきた頃、オプティマスは戦艦の中に囚われていた「あるもの」を目覚めさせ・・・。・・・技術の進歩はめざましいものがあり、日進月歩どころか日進秒歩ともいえる状況になっています。最近のニュースで、紙状の物体が様々なものに変形する・・・という話題が登場しました。この映画では「トランスフォーミウム」という物体がこれに変わるものとして登場してきます。この技術にせよ力にせよ、扱う人の「心」がこれらを薬にもし、また毒にもするものなのです。良心があれば薬になり、逆にそういうのがなければ毒になる算段です。こういったものを「倫理観」というのですが、これを大事にするかどうかで世の中に多大なる影響を及ぼすことになるのです。今回は軍の責任者であるジェームズが4年前の戦いで姉を失っていることから、オートボット軍を憎むようになり、かような状況を作り出してしまったわけです。さらに、KSIもトランスフォーマー・アニメイテッドのように、サンプルとしてメガトロンを使ってしまったのもよくなかったのです。利用していたつもりが逆にメガトロンに利用されてガルヴァトロンに改造させてしまった・・・と、「ミイラ取りがミイラになる」状態になってしまったのです。企業にとっての「倫理観」というものは非常にナーバスなもので、いくら口酸っぱく提唱しようとしても、いくら啓蒙させようとしてもなかなか良くはならない場合が多いのです。提唱したり啓蒙させる側が謙虚できちんとしていることと、提唱されたり啓蒙される側も謙虚できちんとしていること・・・この両者が共に謙虚できちんとしていることこそが倫理観をよりよいものにしていくのではないか、と思うのです。・・・と、私ごときがこう言っても世の中は変わることは現時点ではありません。私はそこらへんにいるぺーぺーの派遣社員の一人に過ぎません。より大きな影響力が出せるように日頃から努力をし続けていくしかないのです。
2014.08.10
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かつて横浜に住んでいた時のことです。平日の夜中に、アパートの1階にあるコインランドリーに行って洗濯をしようとしたら、スーツ姿をしているのですが、なんと頭にストッキングをかぶって洗濯をしている男がいました。この姿を見て気持ち悪い思いをした上に怖くなって、一目散に立ち去ってから警察を呼びました。そんな恐ろしい体験をしたことがあるので、ハイレグ状態で前を隠した上にパンティーを被った、そんな変態仮面を見たら、全速力で逃げ切りたくなります。もしそれでも走ってこちらに向かうものなら、絶叫を上げて超逃げきるべく猛ダッシュしたくなります。プライドもなにも減ったくれもありません。とにかく逃げ切ります!!・・・ハードボイルドを漂わせる硬派な刑事である色丞張男が、犯人を追いつめるためにSMクラブに潜入した。そこで犯人がSM嬢から屈辱を受けていた。そのSM嬢が仕事を荒らしたと言って張男を亀甲縛りにした挙句に鞭で仕打ちをすることに。実は張男はドMで、この仕打ちに恍惚を覚えてしまう。その後両想いとなって結婚し、狂介を設ける。張男は砲弾を一身に受けて殉職するが、その時も恍惚を覚えていたという・・・。狂介は高校生になり、体格が良くて強そうに見えるものの、いかんせん弱かった。そのハンディを克服するべく、拳法部に入部したものの、それでも弱いままだった。そんなある日、狂介のクラスに転校生がやってくることになった。名前は姫野愛子。非常にかわいい女の子で、狂介は食事に誘おうと画策する。その日の放課後、近所で強盗が発生する。なぜか愛子はその強盗に巻き込まれてしまう。愛子を助けようとした狂介は現場に潜伏する。凶悪な犯人に対抗するため仮面を探そうとしたが、なぜかそこにあったのは女物のパンティ。狂介は良心の葛藤を持つものの、結局は被ってしまうことに。すると、ド変態の両親のDNAが狂介に眠っていた能力を開花させ、ついに変態仮面となって犯人を撃退させてしまう。それ以後、人を助けたり犯人をやっつけたりと、狂介がやりたいことをついに実現することができるようになった。ある日、とある転校生がやってきた。その男の名前は、大金玉男(おおがねたまお)。様々な武道部に道場破りをやっていた。しかし、そこで変態仮面に返り討ちにあってしまい、その逆襲としてさまざまな刺客を送り込む。しかし、その刺客たちが変態仮面に全く持って歯が立たなく、ついにある人物を送り出すことになった。産休の代替の数学教師としてやってきた十渡(とわたり)という男。十渡は愛子の為に数学の個人授業をすることになったが・・・。それと同じくして、変態仮面が女性に見境なく痴漢行為をする事件が立て続けに発生するようになった。十渡と変態仮面の関係は・・・?そこまでして狂介の高校に執着している大金の真の目的とは一体・・・?・・・今回はパンフレットを購入せずに、内容を何も知らずにこの映画を見たのですが、この一言に尽きます。安田さんに全てを持ってかれたあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーー!!!安田さんは、水曜どうでしょうの中で北海道テレビ放送のマスコットであるOnちゃんの中の人になって、大泉洋からとび蹴りを喰らったりしています。それと同時に、体はムッキムキに鍛えており、この体をモチーフとしたドラマを作ったりしています。そんな経歴を持っているだけに、安田さんが登場した時にはイヤな予感しかしませんでした。思わず携帯電話でキャストをチェックしてしまいました。安田さんはいろいろとエキセントリックなことをやっていますので、変態仮面の敵としてはまさにうってつけの役者さんだといえるでしょう。見ていてこれはすげぇ・・・と。そして、「こいつはただの変態ではない。本物の変態だ!」もうこれは誰にも勝てない。そう思いました。いやあ、安田さん、グッジョブでした!もし次回作が出たら、誰が敵役になるのかな・・・なんて妄想してしまいます。本気でおバカをやると、こうも面白いものが出来上がるもんだな・・・という良い例を垣間見た映画でした。いやあ、下ネタはいいですねぇ~
2013.04.13
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2011年11月11日に日本テレビ系列でこの映画を放送します。実は、公開された昨年に、私は友人と一緒にこの映画を見てきました。9月に公開されたのですが、非常に暑かった覚えがあります。この映画が主に撮影されたのは横須賀です。私は、かつて長期の出張に行ったときにそこを訪れたことがあります。冬でも温暖で、非常にいいところでした。映画を見ていて、見覚えのある場所を見つけては一人狂喜していました。また横浜に住んでみたい、と思うのですが、それと同時に横須賀にもまた訪れたいというのもあります。その際には、京浜急行の快特、それも2100形と一部の新1000形・・・つまり、発車時に奏でられるドレミファインバーターの軽快な音を聞きながら行ってみたいと思います。外国帰りのギタリストを水嶋ヒロ、いじめられっこで天性の声を持つボーカルに佐藤健を起用しています。これだけでピンとくる方はいるでしょうか。実は水嶋ヒロは仮面ライダーカブトの主人公、そして佐藤健は仮面ライダー電王の主人公をそれぞれ担当していました。それだからこそ、私はどう見ても仮面ライダー電王のサイドストーリーとして見ていました。佐藤健が歌うシーンがあるのですが、なぜかそこだけ歌声が出ません。見る人の想像に任せることになっています。そこで、私は松山ケンイチが声を担当しているイマジンが佐藤健にのりうつって、デトロイトメタルシティで披露した歌声を響き渡らせる・・・というのを想像してみました。さらに佐藤健をいじめているグループを仲間で撃退するシーンでは、モモタロスたちが全員メンバーにのりうつって撃退する・・・と想像してみました。特に、千葉に至っては、「うぉっ!モモタロスとキンタロスがのりうつっている!!」と狂喜乱舞していました。さらには、水嶋ヒロに至っては、心に響く名言をいくつか残しています。その際には、「これって、おばあちゃんから教えてもらったのかな?」と思ったものです。これだけは言っておきましょう。私は、見ている作品に他の作品を見立てる・・・こういう映画の見方も「アリ」だと思っています。お金を払ってみてますもの。精いっぱい楽しみながら見てみましょう。・・・田中幸雄・・・通称コユキはそこらへんにいる高校生。学校内ではいじめられており退屈な日常を過ごしていました。ある日、悪い人に嫌がらせを受けていた一匹の犬を助けます。その際に、その人にボッコボコにやられてしまいますが、その犬の飼い主に助けられます。その飼い主の名は、南竜介。この出会いをきっかけにして、竜介と知り合い、竜介の仲間とも知り合い、バンドにも参加することになります。ある日、コユキが竜介からもらったギターを学校のグループから壊されてしまいます。その修理をするお金を工面するために、竜介の知り合いの箱製造会社でアルバイトをします。実は、そこの社長(カンニング竹山)はかつて技巧派のギタリストとして有名な人間でした。コユキは、その社長からギターのテクニックを叩き込まれることになったのでした。竜介は、ある天才なギタリストからもらったギターを持っていました。それは、数個の「ある穴」が開いていました。このギターにはあるいわくつきの話があります。このギターを巡って、竜介とそのメンバーはある組織から命を狙われることになります。さらに、あるライバルにその組織が関与していることがわかりました。そのライバルから、ある野外ロックフェスにて観客数で負けたほうが自分のグループを解散させられる、というゲームを提示されました。それは、ライバルにとって有利な条件で行われるものです。果たして竜介たちのグループは不利な条件のもとライバルにうち勝つことができるのでしょうか・・・。・・・この映画の中で、竜介の妹である真帆が、グループが作成したプロモーションビデオを動画投稿サイトに投稿するシーンがあります。この行為はいたってごくごく小さな行為です。しかし、この行為を地道にやっていくことによって大きなうねりとなり、竜介たちのグループを世間に認めてもらうことになるのです。私がやっているこのブログは、私自身が社会のためにいい仕事をするのに必要な努力をするためにやっている活動の一環として行っています。それと同時に、知名度もコネも金も能力も経験も何もない、しがない年収200万円にも満たない派遣社員である人間が、以前の会社でゴミ同然に捨てられて世間から見放されてしまい、自分が正しいのか間違っているかどうかを試すために、毎日欠かさずに行っているのです。現時点では、毎日そこそこのアクセス数をいただいております。これに満足せずに、社会から認められるように仕事をし、ごく普通の収入がもらえ、ごく普通の生活ができるように、さらに必死になって努力していきたい、と思っています。
2011.11.11
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今日はこの映画の公開開始日です。私は木金が休みになっているので見ることができました。当然ながら、明日からの土日はしっかりと働(や)らせていただきます。さて、トランスフォーマーと言ったら、1985年から始まった「戦え!超生命体トランスフォーマー」が起源になります。アメリカで放送されたものを日本で放送したものです。子どもに媚びないダンディーなストーリー展開が大好きでよく見てました。続く「2010」も同じくアメリカから輸入されたものです。コンボイ司令官(オプティマスプライム)が死んでしまって新たにロディマスが司令官になります。その後アメリカで放送したものではなく日本で制作したものが展開されたのですが、日本っぽくなって、しかも子供に媚びるものになってしまってガッカリした覚えがあります。それ以来このシリーズを見なくなってしまいました。しかし、それから20年後に再び見るようになりました。それは2003年に放送された「マイクロン伝説」です。たまたま関東へ出張していた時にテレビ東京のチャンネルを見ていたらやっていたんです。主題歌もいい感じで、なおかつアメリカとの合作だったこともあり、なかなかいい感じでした。2010年に「アニメイテッド」が放送されました。いかにも「Made in America」と呼べるようなコテコテのアメリカンアニメ(なんじゃそりゃ)でした。20年前に期待していたものがようやく見ることができたのでものすごく楽しく見ていました。そして現在。パンフレットによると、アメリカで新たに新作が放送されているそうです。日本での放送がいつになるかはわかりませんが、ワクワクしながら期待して待つことにしましょう。「目黒のさんま」ではありませんが、「トランスフォーマーのアニメはアメリカ製に限る!」そう言いたいです。・・・1969年。アポロ11号は月面着陸に成功します。これは、人類にとっての第一歩となる偉業です。しかし、この月面着陸には、ある極秘任務がありました。それは、月に墜落したある宇宙船の調査でした。現代。地球を終の棲家にしたオートボット軍は、アメリカ軍の要請で特殊任務を任されて世界中を忙しく飛び回っています。それに対してサムはというと、アメリカ政府から援助を受けて大学を卒業することができ、カーリーと呼ぶ女性と同棲することができたものの、すんなりと就職することができません。結局はカーリーの上司のコネで働き口を見つけることができました。その会社で、ある男性から月にまつわる情報を知ることになります。しかし、その男性はディセプティコンの手下によって「自殺」を見せかけて殺されてしまいます。その情報を手に入れたサムは、アメリカ軍の基地に出向くことになり、再びオプティマスたちと再開することになります。その情報とは、月面に宇宙船がある、ということでした。さっそくそこに行くと、オプティマスのかつての司令官であったセンチネル・プライムが動かない状態で横たわっていました。そしてその近くには「柱」と呼ばれるものが5本ありました。センチネルを生き返らせて詳細を聞くと、その柱は「ワープ装置」であり、このほかに何百本もある、ということでした。しばらくしてから、センチネルはメガトロンと会い、「あること」を画策します。そこから展開がおかしくなっていき、オートボット軍を追放する動きにまで発展していきます。そしてカーリーは上司に拉致されてしまい、「トランプタワー」と呼ばれるビルにこもってしまいます。それと同時に、5本ある「柱」を近くのビルのてっぺんにセットして「あること」を実行しようとします。サムはカーリーを助けるためにトランプタワーへ、そしてオートボット軍たちは「あること」を阻止するために「柱」がセットされているビルへと、ディセプティコン軍が立ちはだかるところへと果敢に向かうことになるのです。さあ、戦いの始まりだ!!・・・今回、3D映画を始めてみましたが、感想をひとこと言わせてください。「3Dすげーーー!!」現実で見るよりもはるかにリアルに見えてしまい、あたかも舞台装置がすぐそこにあるような錯覚におちいりました。「これを舞台でやるとすごくお金がかかりそうだな」なんていらぬ心配をしたほどです。その3D効果もあるのですが、戦闘シーンがとにかくド派手でした。それよりもすごかったのが、サムたちが終盤にピンチに陥っていた時です。あまりの展開のすごさに初めてハラハラドキドキできました。「センチネル」と聞いて、私はイヤな予感しかありませんでした。センチネルは「アニメイテッド」に出てきているのですが、高慢で自分の指示で部下を振り回すエリートガード、というものでした。この映画では、老練そうなキャラクターとして登場しています。あのオプティマスでさえ尊敬しているほどのキャラクターだったのですが・・・。最後にあるちょっとしたことを。ある男がファックスを操作しながらこんなことを言っています。「これ日本製?複雑すぎてわけがわからん」日本製の携帯電話は世界中から「ガラパゴス携帯」と揶揄されています。便利だからと言っていろんな機能を持たせすぎているからです。世界中から「携帯電話だから電話さえできればいいやん」という声が聞こえてきそうです。誰もが簡単に使えるものを作ることが日本にとっての使命になるのかもしれません。
2011.07.29
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今日は赤穂浪士が吉良上野之介を討ちいった日でもあります。だからと言って、忠臣蔵に関する映画を見た・・・わけではありません。ましてや「最後の忠臣蔵」を見たわけでもありません。まだ公開前ですし。今日は、1回目の上映に限って1200円で見られる日になっていたので、友人に誘われて見に行きました。その名も「武士の家計簿」まずはそのパンフレットに驚きました。パッと見はソロバンです。じつはそのソロバンはケースのようになっており、そこから取り出すと帳簿みたいなものになっており、それがパンフレットになっています。・・・明治時代、軍隊で会計を担当している猪山(いのやま)成之は、忍ばせていた手紙を取り出して子供時代・・・いや、それ以前のことを思い出していました。江戸時代末期、父である直之が農民の怒りを目の当たりにし、農民が差し出した資料を基に御蔵米の不正を調査し始めました。徹底的に調べ上げて報告したものの、上司の怒りを買って能登に左遷させられることになりました。ところが怒りが収まらない農民が立ち上がって暴動を起こしました。それをきっかけに、直之の職場にあった帳簿を片っ端から調べ上げられ、上司は罷免させられます。唯一正しく記録していた直之の能力を加賀藩の当主の目に留まり、左遷を取り消して昇進することになりました。しかし、昇進するということになると、お金が羽が生えたように消えてなくなる・・・それほどお金を使うことになるわけです。成之の4歳の祝い事である「袴着の祝い」でお金が足りなくなる、という事態に陥り、鯛の代わりに絵を描いてしまうなどで何とかやりくりをしました。この「袴着の祝い」で発覚した借金を何とかなくそうと、必要なもの以外のすべての家財道具を売り飛ばしました。これを機に、家計簿をつけ始めることになりました。その記録は、猪山家の生活の記録でもありました。時は流れて、オープニングシーンに戻ります。久しぶりに実家に帰り、直之をおぶって散歩をしたりします。そしてラストシーンは、「そろばん侍」として生まれた成之らしいオチで幕を落とすことになります。・・・2010年と幕末とでは時代背景が全く違うんではないか・・・そう思いの方もいるでしょう。しかし、私はそうは思いません。2010年は北朝鮮が韓国の領土を攻撃した・・・幕末では中国でアヘン戦争が起きている。海外ではTPPが話題となり、日本が揺れに揺れている・・・幕末ではアメリカが開国を要求し、条約を締結しろと迫ってくる。不景気で働けない人がいて、閉塞感を感じる・・・幕末では大政奉還が起こり、それまでの価値観ががらりと変わる。生身の人間が生活しているのですから、どんな時代背景があろうとなかろうが、本質は変わることはないんだな・・・そう思います。また、現状に満足して生活するのではなく、質素倹約してつつましく生活することは大事なこと、そう思うわけです。そろばんは今の世の中でも完全に役に立つと強く思います。パソコンを毎日使いまくっている私ですら、ちょっとした足し算や引き算だったら、そろばんの珠を思い浮かべて暗算することがあります。そろばんをやってよかったなと、そう思うわけです。私はExcelのVBAマクロに関してブログを書いていますが、そろばんと同じように大事なものだと思えます。私がこのようなことをやっている意義はあるのではないか、この映画を見て思います。同じ時代のことを描いている「桜田門外の変」とセットで見ることをお勧めします。
2010.12.14
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歴史の勉強で誰もがその名を知っている「桜田門外の変」。その一部始終を映画化したのがこの映画です。・・・1860年(安政7年)3月3日、江戸城の桜田門の外で水戸藩から脱藩した元水戸藩士が井伊直弼を討ちます。俗にいう「桜田門外の変」という事件です。しかし、話は井伊直弼を討って終わり・・・ではありません。この事件が終わった後に、この事件が起こるまでのバックグラウンドストーリーが展開されます。そしてこの後には、あまりにも残酷すぎるアフターストーリーが展開されることになります。・・・時代劇は「勧善懲悪」というパターンが定着していますが、真実は常に残酷なものであります。悪人となった井伊直弼はもちろんのことですが、これにかかわった元水戸藩市は全員討死、切腹、刑死になります。生き残った者は逃亡しましたが、それはごくわずかです。さらに井伊直弼を守れなかったということで、生き残った彦根藩士も全員切腹になります。この事件に協力的だった薩摩藩、島根藩も事の重大さにより裏切ることになります。この事件を指揮した関鉄之介は、彼をかくまっていた温水洋一演ずる使用人にも裏切られ、ついに捕まり斬首させられます。関をかくまっていた情人の「いの」までもが捕まってしまい、拷問の末に刑死させられます。国を動かす、ということはまさに命がけであります。人を一人殺すと、それに関わった人たちは碌な結果にはなりません。これは現代でも同じことです。全くいいことはありません。しかし、ここまでしなければならなくなるほど、国は切羽ずまった状況にあった、ということです。清の国は、アヘン戦争によって列強国にいいようにやられてしまい、清の二の舞にはなりたくはない、というのが幕府にはあったはずです。井伊直弼もその考えは持っていたようです。しかし、方向が間違っていた。もっと反感を持たれない方法があったのではないか、と思います。現代に生きる我々は、もっと歴史を学ぶ必要があるかもしれません。日本だけでなく、世界の歴史にも。・・・と、高校時代に世界史日本史が苦手になった私がこんなことを言っても何の説得力が生まれるはずはないのですが、それでも歴史を勉強したいと思ってます。さいごに、これを書く前にインターネットを見ていた時に発見したニュースをひとつ。日本航空で希望退職を募っていたのですが、その期限が迫ってきました。もうすぐ機長になる一歩手前だった50代の副機長が、部長から退職勧奨を受けることになりました。機長だったら、退職しても他の航空会社でも引手あまたなのですが、副機長は・・・。しかも50代・・・。真実はあまりにも残酷すぎます。
2010.10.24
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徳川家斉の十七男である清水斉道は、心身ともに不安定であり、その療養としてお供となった瀬田助次郎の故郷である瀬田村に行くことになりました。そこで、天狗と呼ばれた「雷」(らい)と出会います。初めて出会ったときは剣を交えましたが、いつしか交流を深めることになります。療養がうまくいったこともあり、斉道は江戸に帰ることになります。そのとき、斉道は「また戻ってくる」と雷に伝えます。いつしか、斉道には紀州徳川家に婿として迎えられることになり、紀州に行くことになります。そうなると、雷とはもう会えなくなることになります。それを雷に伝えようと、瀬田村に向かうことになります。その日、瀬田村は祭りの日でした。斉道と雷は遂に再会することができます。別れることになったとき、雷は斉道をかどわかそうとしますが、かなうことはできませんでした。そして18年後・・・。・・・斉道の気持ちは、すんごく痛いほどわかります。精神を病んでしまった母親に手ひどい仕打ちを受けたら、母親に対してトラウマを持ってしまいます。ああいう家族だったら、子供はかわいそうです。ああならないような家族を作っていきたいな、と思います。ラストのシーンに、ある人物の切腹シーンがあるのですが、刺すところが思いっきり映ってます。おもいっきりブッスリ刺しちゃって、血しぶきも・・・。血に弱い人は要注意です。ツンデレ好きなドMな方にお勧めの映画かもしれません。
2010.10.24
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この映画は、ズームイン!SUPERで宣伝していました。なんでも、時代劇を作っていきたい、という意気込みで作ったという意欲作だそうです。ビッグコミックの表紙はこの映画の主役を演じた役所広司で、そこに添えられた一文にはこんな事が書かれています。ラスト50分、全体が巧妙な罠と化した宿場で戦い抜く姿はまさに死闘。全体が巧妙な罠と化した宿場巧妙な罠はい、見るの決定!極悪非道を尽くす悪人に対して巧妙な罠を仕掛けてたおす・・・爽快ですね。・・・稲垣吾郎演ずる、時の将軍の弟で明石藩主である松平斉韶(なりつぐ)は、暴政の限りを尽くします。まさに極悪非道であり、残虐非道であります。殺すだけではなく、残虐な行動を平気でします。この斉韶を暗殺するべく密命を受けたのが、役所広司演ずる島田新左衛門。この計画を遂行するべく、島田を含め12人を集めます。ただし、計画を実行するべくとある宿場に向かう途中でもう一人が参加することになるので、合計で13人になります。暗殺の舞台となるのは、美濃の国の「落合宿」と呼ばれる小さな宿場町。そこで様々な準備を行い、斉韶一行が来るのを虎視眈々として待ちます。ついに斉韶一行が落合宿にやってきました。島田がそろえたのは自分を含めて13人。対して斉韶一行がそろえたのはなんと200人!(注:パンフレットでは300人となってますが、映画では200人となってます)これからラストまでの50分間、壮絶なる修羅場の幕が切って落とされます・・・。・・・かつて「ホームアローン」と言う映画がありました。これは家の中で子供がかわいいイタズラで泥棒を撃退する、と言うものでした。しかし、今回の「十三人の刺客」では、「かわいいイタズラ」と言う言葉ではすませられない程の豪快な仕掛けで魅了します。また、殺陣も間合いを詰められるところはとことん詰めて、見る物にインパクトを与えます。特にベテラン松方弘樹の立ち回りは見事です。もちろん、他の人も見事の一言です。この50分間、文字通り修羅場の中の修羅場です。序盤は巧妙に仕組まれた大がかりな仕掛けで相手をなぎ倒していきます。そして後半は、人を切って切って切りまくります。この50分、CM一切ナシのノンストップ放送で見ることをおすすめします。このラストは、見る物をスカッとする爽快感あふれる物になってます。DVDがでたら迷わず買いたい!そう思います。P.S.ただし、この映画PG12指定になっており、見るに耐えない場面が一部あります。これは全て爽快感あふれるラスト50分間への布石になるものです。我慢して見ましょう。
2010.09.26
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一青窈・・・私はテレビ神奈川のsakusakuを見たことがありますので、「ひととっち」と呼ばせていただきます。ひととっちは、すごく素敵な曲を歌うのですが、いざsakusakuに出演しようとすると、わざと緑色の柄がある服を着たがります。sakusakuを撮影するスタジオは、背景を合成する必要があるため、辺り一面を緑色にしています。緑色にしているところに背景が来るようになっているため、緑色の柄を着ると、その部分が背景として透けてしまうわけです。それをひととっちがおもしろがってわざとそういう服を着て出演するわけです。これがひととっちのおいしくて面白いところです。この映画の基となったひととっちの「ハナミズキ」。私が関東にいたときに、sakusakuでPVを拝見しました。大きなハナミズキの木を背景にしてひととっちが歌っているわけです。非常にすばらしかったです。もちろんCDも買ったのは言うまでもありませんが。蛇足ですが、後日コンサートの時にハナミズキの鉢植えを来場した人全員にプレゼントしたらしいです。さて、私がこの映画を見ようとしたのは、その前日に、職場の人間に文句や嫌みを言われ、だれもいなくなった時に、これまで蓄積された怒りをぶちまけたことにあります。大きな声を出して蹴りを一発かましました。ただそれだけです。ぶちあげた後は平然と黙々と仕事をしようと思ってました。しかし、誰一人いないと思われたのですが、ぶちまけた直後に文句を言った人間を含め私のところに来て、「そんなことで暴れてはどうしようもない。今すぐ帰れ」と言われました。すぐに本社の方に戻り、社長に正直にそこで起きたことを報告しました。その後、ぐだぐだ文句を言わずに指示された仕事を遂行したのは言うまでもありません。このまま我慢していたら確実に誰かを殺していた・・・冗談ではなく、本気でやっていた。これではさすがにやばい!そう思ってふと思いついたのが、その日に公開されていたこの「ハナミズキ」。これを見て泣いて、人間らしい感情を取り戻したい!そんな気持ちでいっぱいでした。休みになったらすぐに見に行こう・・・そう思ったわけです。さて、この映画を見に行く車の中で、過去にsakusakuで放送された曲を聴いていたのですが、当然ながらひととっちの「ハナミズキ」も入れていました。それを聞いていたときに、まず最初に涙を流しました。映画館に着いたときに、「ハナミズキ」の予告を流していました。ここでもあの曲が流れていたので、そこでも涙を流しました。上映する場所につき、映画が始まりましたが、そこでも涙が流れました。・・・話は1996年の夏から始まります。電車が突然止まっていまい、どうしてもあるところに行かなければならない女の子・・・紗枝のために、男の子・・・康平は仮免しかもっていないにもかかわらず紗枝を乗せて運転してしまいます。運転が未熟であり、途中で事故を起こしてしまいます。実は紗枝は大学の推薦入試に行くところでしたが、これがきっかけで不合格になってしまいました。当然ながら、康平は父親に殴られてしまいます。そこからおつきあいが始まり、紗枝は進学塾へ、康平はバイトをしながら一緒に帰ったりします。一生懸命勉強した甲斐があり、ついには念願の志望校へ合格することになります。それは紗枝と康平が離ればなれになる・・・という事を意味します。そこから10年の長い歳月を我々が追っていくことになるのですが・・・。・・・私は、高校生になってからと言うもの、女友達すらいない状況が続いていますので、正直言ってこの映画にあまり共感することはできません。それでも、「恋をする」と言うことはどういう物なのか、そして10年という長い間も異性を思うという一途さ・・・そんなことを考えされられました。また、「ハナミズキ」のもう一つのテーマでもある「911」。もう9年にもなるのですが、テレビでそのことを見ると今でも鮮明に思い出されます。こんな事、絶対にやっちゃいけないと思うのに、なぜやってしまうのか・・・もしかしたら私もやりかねないのでは・・・非常に考えされられます。最後にハナミズキの木の前で紗枝と康平が再会し・・・そして当然ながらエンディングにひととっちの「ハナミズキ」・・・「そこ、泣くとこですよ!」(by北見純一)思いっきり泣きましたね。涙がボロボロ出ました。「ハナミズキ」・・・本当によかったです。ひととっちの楽曲を基にして映画にする・・・これ本当によかったです。またこんな事をやってほしいですね。「もらい泣き」とか「大家(ダージャー)」とか・・・。変化球で「江戸ポルカ」でも・・・(笑)。見てみたいもんですなぁ・・・。
2010.09.13
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