全9781件 (9781件中 1-50件目)
Aさんの会社では、「明るく元気な職場」をスローガンにして、明るい挨拶を励行しています。Aさんの属する営業部でも、営業に出る時と戻った時には、必ず「行ってきます」「只今、戻りました」と、全員が挨拶をしています。そして事務所のスタッフも「行ってらっしゃい」「お帰りなさい」と挨拶を返しています。ところが、その挨拶に違いがあることに気づきました。「行ってきます」にたいする「行ってらっしゃい」が、大きく元気な場合と、そうでない場合があるのです。その違いは「行ってきます」の声の質にありました。明るく元気な「行ってきます!」には、明るく元気な「行ってらっしゃい!」が返ってきます。ところが、元気のない「行ってきます・・・」には、「行ってらっしゃい」も弱々しく、張りがありません。「挨拶は山びこと同じだな」と気づいたAさんは、お客様にたいしても、社内においても、いっそう明るく元気な挨拶を心がけるようにしています。・・・挨拶というものは、山びこのように、元気がよければ元気のいい返事が返ってきますし、そうでなければ、それなりの返事が返ってしまいます。できることなら、元気のいいものを発するほうがいいのかもしれません。それが周囲にとってもいいことにつながっていくわけです。元気のよすぎるのもあまりよくはないですので、ほどほどに元気がいいようにしていきたいものです。私は、できるかぎり元気のいい発言をしていきたいと思いました。以上です。(2009年7月1日)
2024.05.31
コメント(0)
著者は、フルタ製菓でフィギュアつきの菓子を出すことになります。フルタ製菓といえば・・・過激というか奇妙奇天烈というか、インパクト絶大なキャラが登場するCMを出すことがあります。それがあまりにもカオスがかっていたりしますので、私としては楽しみのひとつになっていたりします。その14に続きます。江口寿史著「江口寿史の正直日記」河出書房新社刊 2015年
2024.05.31
コメント(0)
物を大切にし、感謝する実践のひとつとして、車に挨拶する人が増えています。A氏もその一人で、車に乗る時は「よろしく頼むよ」と言い、車庫に入れ終えると「今日もありがとう」と声をかけています。ある日、いつものように車に挨拶した時のことです。車に挨拶するだけではなく、「ドライバーである自分自身にも、何か声をかけるようにしたらよいのではないか」と思いました。しばらく考えた末に、「私は世界一のドライバーになる」と言いきかせることにしました。A氏の考える「世界一のドライバー」とは、決して自己を起こさないよう安全運転を心がけることです。車への挨拶と自分への声かけをするようになって、これまで以上に注意深く、ていねいな安全運転ができるようになりました。最近では、車と自分が一体であるような感覚を得るようになり、「車にも生命が宿っており、家族の一員のように思えるようになった」と言うA氏。現在も無事故・無違反運転を継続しています。・・・車を運転していると、事故は避けられません。しかも、事故になったらけっこう面倒臭いことになってしまいます。そんな事故を避けるためにも、せめて自分だけでも交通ルールをきちんと守っていかなければならないのです。信号を守るのはもちろんのこと、一次停止をするところではきちんと停まらなければなりません。その他、決められた交通ルールというものを、必ず守らなければなりません。こうしたことをすることで、自分のほうから事故を起こさないように気をつけていきたいものです。私は、交通ルールを守るようにしたいと思いました。以上です。(2009年7月31日)
2024.05.30
コメント(0)
初めて会った人と接したとき、この人の年齢って、どれくらいだろう?・・・なんて思うことがあったりします。イメージ通りだったらいいのですが、なかにはそうでなかったりするのです。私が実際に会った人の場合、年上かな・・・なんて思ったりするのですが、年齢を聞いてみると、自分よりも年下!・・・というのがあったりします。そういうのがあると、自分もけっこうトシをとってしまったものだな・・・なんて、ショックを受けてしまったりします。その13に続きます。江口寿史著「江口寿史の正直日記」河出書房新社刊 2015年
2024.05.30
コメント(0)
年末が近づくと、お酒を飲む機会も多くなってきます。昔から「酒は百薬の長」といい、健康を促進し、人間関係を円滑にする効用がありますが、つきあいかたを間違えると大変なことにもなりかねません。人間とお酒とのつきあいは古く、そのメリットとデメリットは多くの格言が示しています。「ワインは神も人間も元気にする」(旧約聖書)、「酩酊は一時的発狂である」(ピタゴラス)、「バッカス(酒の神)はネプチューン(海の神)うおりも、ずっとたくさんの人間を溺死させてきた」(ガリバルディ)。また、ユダヤの格言にはお酒についてのユニークな戒めがあります。「1杯目は人が酒を飲む。2杯目は酒が酒を飲む。3杯目は酒が人を飲む」「ブランデーは悪い使者である。胃に向けて送り出したのに、間違えて頭のほうに行ってしまう」「酒が入ると秘密が出ていく」。美しいお酒のたしなみかたを学び、酒に飲まれることなく、溺れることなく、なごやかな人間関係を築きたいものです。・・・お酒というものは、酔っ払ってしまうことがよくあります。そうなってくると、なりふりかまわない状況になってしまい、あとで後悔することにつながってしまいます。そうならないためにも、お酒を飲む量というものを、なんとか少なくするように努めるほかありません。私の場合は、そんなに飲めないというか、飲みすぎると気分が悪くなってしまうばかりですので、飲みすぎて吐いてしまう事態にならないように気をつけていきたい所存です。私は、気分が悪くなるほど飲まないように気をつけていきたいと思いました。以上です。(2001年11月30日)
2024.05.29
コメント(0)
私は、喫茶店をよく利用します。喫茶店に行っては、ホットコーヒーとケーキを頼んでは、そういったものを飲み食いしながら読書に興じる・・・なんていうことをやっております。私がよく行くのは、スタバといった、チェーンになっているところ。そういったところは、利用する人がたくさんおりますので、気兼ねなく長時間くつろぐことができます。とはいえ、たまにそういったところ以外の喫茶店を利用することもあったりします。こうしたお店というものは、たいていは店内にコーヒーのいい匂いに包まれていたりします。しかも、そこで出されるコーヒーも極上に美味かったりするのです。たった一人でいる時が多かったりして、そういう意味合いでは居心地が悪かったりするのですが、それを差し置けば、いい雰囲気であったりするのです。その12に続きます。江口寿史著「江口寿史の正直日記」河出書房新社刊 2015年
2024.05.29
コメント(0)
これまで22社もの赤字会社の再建を成功させた、日本電産社長の永守重信氏は、再建の鍵は「働く人間の意識改革にある」と断言します。永守氏は多くの会社債権を手がけていくなかで、ピンチに陥った企業の共通項目として働く人間の意識の低さをあげ、改善策として「社員の出勤率を高めること」と「職場の整理整頓を徹底する」の二つを励行しています。社員が会社を休まなければ能率は上がりますし、職場が整然としていれば業務はスムーズに進行します。そして結果として会社の業績が上がり、それに比例して社員の意識も高まっていくわけです。また「業績がアップしている会社は電気を消しても明るい」と氏が語るように、社員の意識の向上は、社内の雰囲気にも直結します。企業をピンチに陥れるのも、繁栄の道を歩かせるのも、社長以下そこに働く全ての人間の意識ひとつにかかっています。「自分はなんのために働くのか」をいつも心に掲げ、一致団結して繁栄の道を歩いていきたいものです。・・・本文のなかで、「社員の出勤率を高めること」というのがあります。社員が会社を休まなければ能率が上がる、というものです。誰かが休んだら、その人の代わりに誰かがその仕事をやらなければならないことになり、休むということは、誰かの迷惑を及ぼすことにつながるのです。病気とか用事、はたまた有給休暇を消化しなければならない、といった事情を除いては、できるかぎり休まないようにしなければなりません。そのためにも、自分の体調に気をつけて生活をしていくほかありません。誰かに迷惑をかけないよう、むやみに休まないようにしていきたいものです。私は、休むことがないように気をつけていきたいと思いました。以上です。(2001年11月29日)
2024.05.28
コメント(0)
著者は、ファンヒーター1台だけでは寒い・・・ということで、石油ストーブを買うことになります。この石油ストーブ・・・昔ながらのものではあるのですが、お湯を沸かすことができるので重宝している、とのことです。東日本大震災を経験している身としては、この昔ながらの石油ストーブは、ぜひとも用意しておいたほうがいい、と思っております。寒い冬の際は、暖をとることができるのですが、なによりも、ガスコンロが使えなくなってしまった事態に陥っても、この石油ストーブでお湯を沸かすことができますし、ちょっとした調理もできたりするのです。停電などの事態が起きても大丈夫なように、こうしたことをして、リスク回避をするべきであったりします。その11に続きます。江口寿史著「江口寿史の正直日記」河出書房新社刊 2015年
2024.05.28
コメント(0)
著者は、仕事の待ち合わせで、トラブルを起こしてしまいます。著者は、井の頭公園入り口で待っていたのですが、誰もいません。しばらく待ってから電話をしてみると、他の人は井の頭動物園入り口で待っていたそうです。こうした待ち合わせのトラブルって、よくあったりします。私も、こうしたものはよく経験してしまっております。どうやら、待ち合わせができる場所が複数ありそうなところだと、こうしたトラブルが起こりやすいです。誰もが容易にわかりやすい場所・・・例えば、改札口が1カ所しかない駅とか、紛らわしい名前でない場所などを待ち合わせの場所にしたほうがいいようです。あとは、着いたら、電話やらLineなどですぐに「○○に着きました」なんていう連絡をしたほうがいいのかもしれません。それならば、相手にわかりやすいかもしれません。その10に続きます。江口寿史著「江口寿史の正直日記」河出書房新社刊 2015年
2024.05.27
コメント(0)
華やかな外での営業に比べると、社内で行う事務の仕事はなんとなく地味な感じがするものです。内装関連用品の卸を業務とするI社の営業所に勤務する、女子事務員のYさんとMさんは、営業マンたちが毎月のノルマ達成に必死になっている姿を見て、「なにか手伝えることはないか」と考え、「電話による注文とり」を思いつきました。事務の仕事をしていて、お客様の注文の状況を見ていれば、消耗品が切れるだいたいの時期はわかります。その頃を見計らって「そろそろいかがでしょうか」と声をかけるわけです。この「電話作戦」が、50万円の売り上げにつながり、営業所はノルマ達成ができたのでした。「私たちは特別なことをしたわけではありません。ほんの少しだけ営業の人たちのお手伝いをしたかっただけ」と彼女たちは明るく語ります。自分の役割を一歩だけ越えた働き。社員一人ひとりのそんな努力が、やがては大きな成果となって実を結ぶのです。・・・一見したところ非常に地味なものであっても、それをこつこつと積み重ねていけば、大きな実力になっていくようです。私は、英語の勉強をちまちまと毎日欠かさずやっておりますが、昨日の試験では、なんとか解けた・・・というか、大半は理解できるようになりました。これも、ひとえに地道に取り組んだ成果であるわけで、これからもこの取り組みを続けていくように心がけていきたいです。私は、地道な努力を続けていきたいと思いました。以上です。(2001年11月28日)
2024.05.27
コメント(0)
西荻窪にドドールができた、ということで、著者は非常に喜んでおります。松島海岸駅の前に、新たな施設がオープンしたのですが、そこにスタバができました。ここ松島にスタバができるなんて・・・非常に嬉しかったものです。塩釜方面に車で行く際には、そこに立ち寄ってはドライブスルーで挽きたてのホットコーヒーを買ったりしておりました。ところがです。いざそこでコーヒーを買おうとそこに立ち寄ったら、何かがヘン!そう。そのスタバが閉店してしまったのです。これにはショックを受けてしまいました。せっかくスタバができたというのに、閉店してしまったのは、しごく残念無念です。スタバ亡き後、車に乗っている際には、コンビニで挽きたてコーヒーを買うようにするほかなくなってしまいました。その9に続きます。江口寿史著「江口寿史の正直日記」河出書房新社刊 2015年<オ・マ・ケ>その後、代わりにタリーズコーヒーが開店しました。たしか、ここの社長って、塩釜の出身で、しかも母親が松島出身で利府在住だ・・・ということでした。これでまた車に乗っていたときに、淹れたてコーヒーを楽しむことができるようになりました。
2024.05.26
コメント(0)
滋賀県にあるフィットネスクラブ「ラック栗東」(高森幸子社長)は、独自の社員教育と経営保身で業績を伸ばしています。なかでもユニークなのが、全ての業務が終了した後に全員が回覧する「気づきノート」です。社員やアルバイトが業務中に気づいたことや問題点を記入し、社長と各部署の責任者が内部を確認して、こまめに改善点を洗い出すそうです。たとえば「水を怖がる子どもをリラックスさせるために、紙芝居を見せてはどうか」という一人のアルバイトの意見が、早速次の日に実行され、子ども達に好評を博し、以後、順調にスイミングスクールが実施できたこともあるそうです。その他にも、インストラクターが課員の健康状態をチェックして、栄養補助食品の販売をしたり、社員が手作りのチラシを配布することで、年間1千万円の経費節減に成功。現在では年間1億円の営業利益を上げているそうです。同社のある地域は、同業他社5軒が乱立する激戦区ですが、「大型ではなく名門を目指す」と社員達は、ますますきめ細かいプログラムの作成に励んでいます。・・・残しておきたい情報があったら、是非ともノートやメモなどに記録として残しておいたほうがいいようです。あとで問題などが起きたときに、そのノートやメモに書かれていた情報を読み返して確認をとることが容易にできます。記録がなかったら、あとで大変なことになってしまうかもしれません。あとでラクになるために、積極的に記録をとっていきたいものです。私は、なにかあったらノートなどに書くようにしたいと思いました。以上です。(2001年11月27日)
2024.05.26
コメント(0)
FAXやパソコン、携帯電話の普及により、現代人のコミュニケーションのスタイルは大きく変わりました。ところが最近では、そうした電子機器による通信に加えて、郵便の取り敦明量のなかでの個人宛の私信も増えているそうです。この現象は、若者たちがEメールを双方向の単純な連絡用に、お詫びや手数をかける頼み事には手紙を、と使い分けているためと見られています。情報通信に詳しい今川拓郎教授(大阪大学)は「Eメールを使ってみて、手書きの温かさや、正式な文書機能といったEメールでは代用できない部分に気がついた若者が、手紙のやりとりを活発に始めたのではないか」と分析しています。話し方から人柄が伝わるように、メモの残し方ひとつからでもその人間の人となりが伝わります。電子機器による通信と手書きの通信を上手に使い分けることで、血の通ったコミュニケーションをはかりたいものです。・・・たしかに、このご時世では、電子機器が普及しているだけでなく発達しているため、全てをデジタル化にすることはできております。とはいえ、時にはそんな電子機器にたよるのではなく、手書きで記録を残したりする必要があったりするかもしれません。デジタル化してしまうと、必要になるときに電子機器を操作しなければならないことになります。もし、その電子機器が壊れてしまったら、その必要な情報を知ることができなくなってしまいます。紙に書いておくと、その紙が劣化してボロボロにならないか、燃やされないかぎり、情報はずっと残ったままになります。いつでも見ることができるように、紙に情報を書くようにしていきたいものです。私は、必要な情報を残すときには紙に書いて記録するようにしたいと思いました。以上です。(2001年11月26日)
2024.05.25
コメント(0)
その著者が飼っている犬なのですが・・・メス犬とお見合いをするのですが、飼っている犬が仲良くするどころか牙をむいて襲いかかってしまう、とのこと。臆病で神経質すぎるようで、しかもワガママで思い通りにならないとすぐに癇癪を起こしてしまうそうです。これでは嫁の来手なんてない、なんて著者は思ってしまいます。かくいう私の場合も、嫁の来手なんて全然ありません。自分のほうは、嫁の来手ができるように、陰で泥臭く努力をしているようなものですが、自分の知られざる本性というものは、女性にたいしてはあんまりよくないところがあったりするかもしれません。仮に私と結婚しても、必ずしもシアワセになることはあり得ない・・・そう、女性に思われてしまっているのかもしれません。その8に続きます。江口寿史著「江口寿史の正直日記」河出書房新社刊 2015年
2024.05.25
コメント(0)
ストレス社会といわれる現代、「癒し」への関心は年々高まりつつさります。日比谷クリニックの酒井和夫院長によると、人が癒やされるのは大きく分けて二つの方法があるそうです。一つは専門家の指導を受けながら、自分をある種の極限状態に追い込む方法で、例えば「断食」をすると、本能が目覚め、脳が活性化して鬱が治り、免疫力が増大し病気すらも治ることがあるといいます。もう一つは「自分にとって楽しく、かつ集中できるもの」を見つける方法で、運動で癒やされる人もいれば、俳句や絵画などで癒やされる人もいることでしょう。校舎の方法で癒しを行う場合に心がけることは、それを楽しみながら継続して行い、生活の中に定着させることです。人は何かに熱中している時、リラックス状態や禅の瞑想状態とほとんど同じ脳波が流れ、心身がリフレッシュされ、今までにない知恵やものの見方ができるようになるそうです。ストレスを上手に乗り切って、喜びに満ちた人生を切り拓きましょう。・・・ストレスだらけの生活をしているなかにおいて、癒しを求めることは大切であったりします。その癒しを得るためには、本文のようなやり方があったりするのですが、そういったものを長く続けるようにしていったほうがいいのかもしれません。できるだけ自分にとって楽しくできるものを、細く長く続けていって、ストレスに負けないようにしていきたいものです。私は、ストレスに負けないように、癒しを求めるようにしたいと思いました。以上です。(2001年11月25日)
2024.05.24
コメント(0)
亀の頭・・・といいますと、文字通り、亀の頭のことかと思いますが、これ、男性の股間にあるイチモツの部分であったりします。著者が飼っている犬の股間のその部分が、小ぶりの梅干しのように、赤く丸く腫れてしまった、とのことです。なんでも、ペットショップに預けていた際に、メス犬に発情してしまって、その部分がデッカくなりすぎて、先にあるソレが引っ込まなくなってしまったのです。たしかに、私は禁欲生活をしているようなものですが、それでもムラムラッとくることがあったりします。白い液体がある一定溜まってしまうと、それを出すように指示を出すために、えっちい思いをさせているのでは・・・なんて、あらぬことを思ってしまったりします。その7に続きます。江口寿史著「江口寿史の正直日記」河出書房新社刊 2015年
2024.05.24
コメント(0)
ビリヤードのプロプレーヤー、ジャネット・リーさん(30歳)、彼女は脊椎が曲がって変形する脊柱側わん症のために、これまで脊髄、首、肩などに8回も手術を受けました。腰まで届く長い髪も、背中に残る手術の傷を隠すため。ニューヨークの下町に生まれ、韓国人の両親のもとに育った彼女は18歳のとき、初めて見たビリヤードの魅力に取りつかれたそうです。以来練習を重ね、92年にプロ入り。1年半後には世界ランキング1位に輝きました。2001年も元気にトーナメントに参加する彼女は「私が大会に出場することが、同じ病気の人や、若い女性、韓国人、そして米国人に勇気を与えるはず。だからぜひ勝ちたい」と語ります。また彼女は6年前に「ジャネット・リー基金」を設立し、集まったお金は脊柱側わん症協会などに寄付しています。周囲の人々を勇気づけるために、トレーニングに励む彼女の活躍や、これからも続くことでしょう。・・・私なんて、本文のように、誰かを勇気づけることができるような行為をすることはままなりません。そんななかでも、せめて現在取り組んでいる仕事だけでも、一生懸命にやることしかないのでは、と思っております。そういうことをすることで、誰かを勇気づけることができるのかもしれませんので、とにもかくにもやるようにしていきたいものです。私は、今の仕事をきちんと取り組むようにしたいと思いました。以上です。(2001年11月24日)
2024.05.23
コメント(0)
著者の妻は、爪と肉の間に、そうめんを突き刺してしまっております。そうめんを茹でていた鍋を洗おうとしたとき、一晩おいてしまって干からびてカッチカチになってしまったそうめんでそうなってしまった、とのことです。かくいう私も、同様のことを経験しております。私の職場では、製品が紙でできたテープにつながれたものが使われます。それを機械で切ったあと、カット屑として容器に入れらるのですが、それをそのまんまにしておくと山のような状態となり、それがいつしかカット屑を落とすパイプの通り道まで積もり、結果としてその通り道が詰まってしまいますので、手をつかって山を崩して詰まりを防ぐのです。その際に、カットした端子の部分が爪と肉の間に突き刺さってしまうことがあったりします。これ、けっこう痛いですよ。突き刺さった箇所を見てみると、血がにじんできたりしております。自ら好き好んでそういうことをやることは、まずないわけですので、そうならないように、気をつけていくほかないのです。その6に続きます。江口寿史著「江口寿史の正直日記」河出書房新社刊 2015年
2024.05.23
コメント(0)
自動車の生産から廃棄まで、全ての家庭において環境に与える悪影響を軽減するために、国内の自動車会社が相次いで新たな環境評価法を導入しています。材料の生産から始まり、工場での組み立て、実際の走行、廃棄に至るまで全ての段階で排出されるガスや、重金属の量を評価し、軽減させようというこの手法は「ライフサイクルアセスメント(LCA)」と名付けられています。トヨタ自動車では、6月に発売したミニバン「エスティマハイブリッド」で、初めて開発段階からLCAを導入し、全行程での二酸化炭素の排出量を通常のガソリン車と比較して33%削減することに成功しました。他から受ける評価や批判に耳を傾け改善することも大切ですが、それ以上に今、企業とそこに働く私たちに求められているのが、自己改善のための努力といえるでしょう。仕事を通していかに社会や地球環境の保全に貢献していくか、改善のための小さな努力の集積がやがてはおおきな成果につながるのです。・・・職場においては、作業をする際のルールというものがあります。作業をする際には、そのルールにのっとってやらなければならないのですが、このルールをふまえたうえで、いかに効率よく作業することができるか、ということを、自分で考えて実践していかなければならないのです。いくらルールにのっとっているからといって、やっている作業が効率の悪いものであったならば、時間がかかってしまいます。効率よく動くからこそ、少ない時間でより多くの仕事ができるようになるのです。どう動くかを考えていって、自分がやらなければならない仕事をよりよくしていきたいものです。私は、自分の作業をさらに効率よくできるように考えながら仕事をしていきたいと思いました。以上です。(2001年11月23日)
2024.05.22
コメント(0)
著者は、とあるコンサートに観に行く際に、時間を間違えてしまいます。チケットには16時開場と書かれております。ところが、著者は6時開場と勘違いしてしまったようです。まあ、私の場合は、仕事上、0時から24時で表記するものに慣れきっておりますので、こうした勘違いは起きないのですが、仮に、0時から12時の表記となる午前・午後のものに完全に慣れきっていた場合、著者と同じような勘違いを起こすかもしれません。その5に続きます。江口寿史著「江口寿史の正直日記」河出書房新社刊 2015年
2024.05.22
コメント(0)
ビルの外壁やガードレールの表面に薄く塗るだけで、それらが簡易発電所に早変わりする「塗布型太陽電池」の開発が話題になっています。開発したのは、神奈川県川崎市にある国際基盤材料研究所で、研究に従事しているのは佐々木正さんという86歳の老技術者です。佐々木さんはシャープ株式会社の副社長を経て、7年前に同研究所を設立。シャープ次代は、小型電話区や液晶装置の開発に情熱を注いだそうです。この塗布型太陽電池が実用化されれば、超高層ビルの外壁に塗るだけで、そのビルで消費する電力をまかなうことも夢ではないそうで、多くの人々が完成を待ちわびています。86歳という高齢にもかかわらず、新製品開発に取り組む佐々木さん、彼の胸には「仕事を通して社会のお役に立ちたい」という願いが燃え続けています。人の役に立つ喜び。それは世代や境遇を越えて、より良き仕事への無限のエネルギーを与えてくれるのです。・・・私はまもなく50に到達しようとしているのですが、こうなってくると、何をやっても無駄なことになってしまうのでは・・・なんて、思ってしまいます。しかし、本文のように、かなりの年齢になったとしても、熱意を持っていれば、なんとか行動がとれる、ということになるのかもしれません。私は、現在の職場でなんとかまともに働けているようですので、これで自惚れることなく、よりいっそうきちんとした仕事ができるように謙虚な気持ちでとりくんでいきたいところです。私は、歳をとっても仕事ができるようにしていきたいと思いました。以上です。(2001年11月22日)
2024.05.21
コメント(0)
私も、歯医者に行っては治療を受けることがあるわけですが、その際に麻酔をされることがあります。著者は、歯の治療を道路工事に例えていたりします。たしかに、ドリルのような専用の機器を使ってキュイイイイイインと言わしめてやる治療は、まさにそうだったりします。特に、歯の神経を抜く時のものは、麻酔をしたとしても痛く感じます。とりわけ私の場合は骨が厚くなっている、とのことなので、そうした傾向があるようです。そんなつらいことを体験したくないのであれば、全身麻酔をすることもできるそうです。どうやら、別の病院で、ではなく、治療してくれている歯医者さんでその場でできる、というらしいです。この話は初めて聞きました。できることなら、やんごとなき事情によって歯を抜くことが避けられなくなってしまったときに、この全身麻酔のお世話になろうかな・・・なんて、気弱な私は思ってしまうのです。その4に続きます。江口寿史著「江口寿史の正直日記」河出書房新社刊 2015年
2024.05.21
コメント(0)
著者は、Macを導入してイラストを描いております。まずは、手で描いたものをスキャナーでとりこみ、そのうえで専用のイラストソフトを使って色を塗っていくのです。こうした手法をやっている人って、けっこういるようです。色を塗るだけでなく、手で描く段階から、MacをはじめとしたPCを使って・・・ようするに、ペンタブというものを使ったりもしているようです。まあ、最近はタブレット端末も普及しておりますので、直接これを使って描くことも多かったりします。その3に続きます。江口寿史著「江口寿史の正直日記」河出書房新社刊 2015年
2024.05.20
コメント(0)
私たちは、自分の行動を客観的に見ることはできません。自分自身では、間違いなく正しいことをしているつもりでも、それが本当に相手や周囲に好印象を与えているとは限りません。「人の振り見て我が振り直せ」の思いでしていても、我が振り自体は、自分ではなかなかわからないものです。仕事上の間違いは、上司や同僚が教えてくれますが、言葉遣いや挨拶など、作法のことは、よほど親身に思ってくれる人でないと教えてはくれません。では周囲の人が快く教えてくれるような自分自身になるには、どういう心がけが大切になってくるのでしょう。その秘訣のひとつは日頃から、なんでも教えてくださいという姿勢を、言葉で表すようにすることです。例えば「今の応対はきちんとできたでしょうか?」「お辞儀はきれいにできていましたか?」などというように、普段から周囲に素直に尋ねる姿勢を持つことが大切です。自分が素直になったぶんだけ、周囲も快く応援してくれることでしょう。・・・相手がよくないことをしたとします。それを見たら、注意をしたくなるのですが、はたして自分はどうなのか?・・・なんて思ってしまいます。自分ができていないのに相手に注意するとなると、それでは自分が言ったことに重みを載せることはできません。まずは、相手がよくないことをしているのを見たら、自分はそうならないように気をつけるようにするのです。そうして学習していって実践することによって、相手に注意する際に重みが出てくるのです。相手を注意する前に、まずは自分を律するようにしていきたいところです。私は、周囲の人の言動を見て、自分の言動を正していきたいと思いました。以上です。(2001年11月21日)
2024.05.20
コメント(0)
著者の展示会は、仙台でも開催されておりました。私が気になっていたクレディセゾンの店員の女性・・・しかも、等身大のものがあったりして、見に来てよかったな、なんて思っております。しかも、展示会のものは全て撮影OK!とのことで、私もバシバシと写真を撮りまくっておりました。さらに、展示会に観に行っていた人から撮影を頼まれたりもしましたし。そんな展示会であったのですが、ななななんと!通販をしてくれるとのことです。期間限定ではあるのですが、この仙台での展示会のポスターを含み、著者のイラストから様々なグッズを売ってくれる、とのことです。買っちゃおうかな・・・なんて、貧乏人があれこれと思ってしまっております。その2に続きます。江口寿史著「江口寿史の正直日記」河出書房新社刊 2015年※この本は、2005年に刊行された単行本に再構成を加えたものです。
2024.05.19
コメント(0)
2001年9月1日、日本マクドナルドが、全国約3700店全店で手話による接客を可能としました。これは同社の同年7月の株式上場に伴い、「店舗を通してパブリックカンパニーとして社会に貢献できることはないか」と始めたものです。各店舗のマネージャー全員とアルバイトの一部が、2ヵ月かけて手話を習得。各店に手話で対応できる店員が、常時一人から3人勤務する態勢をとりました。「ありがとうございます」「ご注文は何になさいますか」「ごいっしょにポテトはいかがですか」などの基本的な手話での接客対応の他に、「お水をもらえますか」といったお客様の手話も理解できるよう、トレーニングを重ねたそうです。価格競争が激化するなか、ともすると疎かになりがちなサービスをより充実させ、社会に貢献しようという同社の姿勢は、新たなマクドナルドファンの獲得にもつながることでしょう。私たちも、お客様のニーズに応えるきめ細やかな仕事を心がけたいものです。・・・日本語はもちろんのこと、本文にあった手話もそうなのですが、言葉を覚えるということは、非常に地道な努力というものが必要となっているようです。私も、こうして毎日ちまちまと努力をし続けているのですが、上達しているとは思えておりません。しかし、ここで諦めたら、なおさら上達することはままなりませんので、あきらめることなく、ひたすら努力し続けていくしかないのかもしれません。毎日コツコツをやり続けて、いつしか上達できるようにしていきたいものです。私は、これからも地道に努力し続けていきたいと思いました。以上です。(2001年11月20日)
2024.05.19
コメント(0)
今回の物語の主人公である青年の年齢は、20歳にプラスアルファをしたくらいです。で、同僚の田川という男は、50歳を越えている、とのこと。つまりは、田川は青年の倍を生きている、ということになります。かくいう私は、来年には50の大台にのってしまうのですが、今年の新入社員は20歳にいくかいかないかです。ということは、新入社員は私の歳の半分しか生きていない・・・ということになってしまいます。というか、自分って、知らないうちに、そんなに年寄りになってしまったのか・・・と愕然としてしまいます。・・・青年が職場で作業をしている傍らで、何やら商談をしている。聞くところによると、印刷に使う紙を吟味しているとのこと。ちょうど青年が活字を作っているところだ・・・ということで、その意見を参考にするべく、青年もその商談に参加することになったのである。その商談が終わったあと、小使いの男から、弔堂へ行くように頼まれたのである。その道すがら、いつもの芋屋にいくと、いつも会う鶴田が外出しており、そのかわりに老人がいた。この老人は、もともとの主人であるという。青年がこの老人と話をしているときに、さらに来客がやってきた。同僚からの紹介で弔堂へと行きたいとのことだが、老人はその弔堂に行ったことがあるという青年に、そこへの道案内をすすめたのである。その後、青年はその来客と一緒に弔堂に行くと、青年は頼まれたものを受け取ることができた。そして、来客の男を見た弔堂の主は再び低頭した。「それで」本日はどのようなご本をご所望でしょうか・・・。・・・多賀城の博物館で、シルクロードの特別展が開催されております。中国の博物館が所蔵しているものが展示されている、・・・いうことで、非常に貴重な品々が展示されております。そのなかにおいて、いくつかの手紙やらお経やらが展示されております。いかんせん千年前からのものであるわけですので、保存状態がいいものもあれば、悪いものもあったりします。要するに、紙が劣化してボロボロになってしまい、読めるところが欠けていたりするのです。このように、紙というものは、保存状態によっては、このように劣化してしまう、という欠点があります。もちろん、新しいものであっても、火があったらすぐに燃えてなくなってしまう、という欠点もあったりしますが。今回の物語においては、本という形にするために使う紙をあれこれと検討しているわけですが、印刷したときに見栄えがよくなることはもちろんのこと、できる限り、永く保存がきくようなものを吟味しているのです。保存がよければ、1年2年はもちろんのこと、10年20年・・・できることなら、100年200年、さらに欲を言えば、1000年以上も保つものが望ましかったりします。まあ、そこまで保存がきかなくても、新たに筆写したり刷り直せば、これでも永く記録として残すことができるわけで、そんなわけで印刷という技術というものを確立させていく・・・というのが、青年に課せられた使命になっているようです。京極夏彦著「書楼弔堂(探書廿弐 永世)」 小説すばる2024年6月号
2024.05.18
コメント(0)
テレビやDVD、インターネットなど、現代ではさまざまなビジュアル機器が発達・普及し、誰もがそれらを手が得るに楽しめるようになりました。しかし、それと同時に、最近では「現代人の読書離れ」も進んでいるようです。全国学校図書館協会が発表した平成12年「読書調査」によれば、中学生では約3千9百人のうち43.0%が、高校生では4千3百人中の58.0%が「1ヵ月に1冊も本を読まなかった」と回答しています。読書は私たちの心を育てるうえで、大切な役割を担っています。幼い頃に童話を読みながら、ワクワク・ドキドキした経験のある人も多いことでしょう。そうした感動を繰り返すことによって、完成や想像力が自然に磨かれていくのです。「読書は心の栄養」とも言われます。一日のなかに必ず食事の時間があるように、「読書の時間」も設けてはいかがでしょうか。通勤電車の中や休み時間など、ちょっとした合間のなかに手頃な時間が見つかるものです。本と出会う機会をつくり、人生をより豊かなものに高めていきましょう。・・・「本を読まなくなった」とはよく聞くものです。たしかに、私ですら本を読む時間を持つことがままならない時があったりしますので、どうしても読み進めるペースというものが滞ってしまいがちです。それが本を読めなくなってしまうことにつながってしまいそうです。そういう状況のなかにおいても、なんとかして本を読む時間というか機会を作る努力をしなければならないのです。10分でも・・・いや、5分でもかまわないと思います。できることなら10ページ以上・・・それでも難しいならば1ページ2ページでもいいかもしれませんが、とにもかくにも本を読む時間を作り出していくのです。忙しいさなかでも時間をつくっていって、本を読み進めていきたいものです。私は、本を読む時間をどうにかして作り出していきたいと思いました。以上です。(2001年11月19日)
2024.05.18
コメント(0)
今回の物語は、海外からやってきた女性が、街中をいろいろと探索していっては、調べものをしていきます。この女性がやってきたところというのが、ユーゴスラヴィアというところです。ユーゴスラヴィア・・・といえば、戦争が起こったところでありました。このユーゴスラヴィアというところは、イタリアの東にあるところなのですが、私はてっきり、そういう国があって、そのなかに、県とか州とかいったものがある、ということかと思っておりました。しかし、実際にはそうではなく、いくつかの国で構成された連邦となっていたようです。その国というのが、スロヴェニアクロアチアセルビアモンテネグロボスニア・ヘルツェゴヴィアマケドニアです。うん。聞いたことがある国がいくつかありますし、そのなかのいくつかは、同じ時期に戦争になっていたところであったりします。ユーゴスラヴィアのうち、ユーゴというのは「南」を意味しており、「ユーゴスラビア」で「南スラヴの」ということになります。つまりは、「南スラヴ人の民族」の国どうしが連携したものが、ユーゴスラヴィアということになります。本来ならば民族どうしですから、それぞれの国が仲良くすることができるだろう・・・なんて思うのですが、決してそうではなかったようです。すでに第二次世界大戦が始まるころには、国同士が仲違いするようになってしまったようです。それがズルズルと引きずってしまい、1991年に独立をするために内戦が勃発してしまうのです。よく民族どうし・・・というか、国民どうし仲良くしましょう・・・なんていうことがあったりしますが、このユーゴスラヴィアのように、爆弾となりそうなものを抱えている状況であった場合、潜伏期間を経たのちに、内戦という形で爆発してしまいそうです。これが国や地域でのことであったりするわけですが、人間関係においても、そうしたものって、よくあったりするものです。ちょっとしたものであっても、それが怨みとか憎しみとなってしまい、それを長い期間ふつふつと堪え忍んだのち、いつしかそれが爆発してヤバいことをしてしまう・・・なんていうのがあったりします。そうした怨みとか憎しみとかを、何らかの形で取り去ることができればいいのですが、現実的には、そううまくいくことはできません。これが人間関係の難しさ、ということなのかもしれません。米澤穂信著「さよなら妖精」東京創元社刊 2004年
2024.05.18
コメント(0)
出張で特急列車を利用したKさんの体験です。発車間際に列車に乗り、自分の指定席に行くと、そこにはすでに4人の婦人が座っていました。グループで旅行に出かけるのでしょう。にぎやかに話が弾んでいたようですが、Kさんに気がついた一人の婦人が「すみません、すぐに替わりますから」と言って、立ち上がりかけました。「せっかくの旅行なのだから、4人一緒のほうが楽しいだろう」と思ったKさんは、自分から申し出て、その婦人と席を交換しました。切符を交換して席を移ろうとする彼の後ろから、「いい人と巡り会ってよかったね」という声が聞こえました。どんなに小さな行為でも他人を喜ばせるのは、気持ちがよいものです。今年還暦を迎えたKさんですが、普段でも電車を利用するときには、よほどのことが無い限り優先席には座りませんし、小さな子どもを連れたお母さんや高齢の人には率先して席を譲るようにしているそうです。ご婦人達の喜びの声を背に、和やかな一日を過ごしたKさんでした。・・・たしかに、列車に乗るときには、優先席というものには、よほどのことが無い限り座ることがなかったりします。そのほかには、店の駐車場には車椅子マークがついた駐車エリアがあったりしますが、こちらもよほどのことが無い限り、というか、たとえ他が満車になったとしても、そこに停めることはしません。そういうところであるのに、そのエリアに車を停める人というのをよく見かけます。それを見て、アチャチャーと思ってしまうのですが、自分だったら、絶対ににそういうエリアに停めることがないように気をつけなければ、と思っております。何のためにそういう駐車エリアがあるのか、そして、列車の中では優先席があるのか、そういうことをよく考えていきたいものです。私は、よほどのことが無い限り優先席や駐車エリアを利用しないようにしたいと思いました。以上です。(2001年11月18日)
2024.05.17
コメント(0)
大野七郎久高改め樺山久高は、朝鮮出兵の後に帰国して、樺山家の当主となりました。しかも、妻である妙も許されたようです。そんな久高は、帰国して以来、ただ空虚を抱えて過ごすようになったとのこと。この久高の生きざまを見て、私はひとりの武将・・・同じ朝鮮出兵を経験した武将のことを思い浮かべてしまいます。その名は山岡志摩。伊達家の武将です。山岡は松島の地に館を建てて実際に治めていたのですが、政宗が米沢から岩出山へと移ることになったときも松島の領地はそのまま伊達家のものだったようです。そんな山岡も政宗といっしょに朝鮮出兵に赴き、そこで妻となるシーマ姫と出会うことになります。その後、豊臣秀吉により名前を志摩に改められることになります。後に、山岡は松島と岩出山にお寺を作ることになるのですが、その要因として、この朝鮮出兵の一件があったのかもしれません。出兵というからには、死人が出るのはあたりまえのこと。しかも、殺すわけですので、相当エゲツないことになるのは想像することがたやすいです。そんなわけで、山岡も久高と同じような思いをしたのでは、と思うのです。日本での戦いのほかに、この朝鮮出兵によって殺した人たちを慰霊するほかに、殺したことにたいする懺悔の意味も、このお寺を建てた想いのなかにこめられたのかもしれません。川越宗一著「天地に燦たり」文藝春秋刊 2018年
2024.05.17
コメント(0)
スピードと変化が要求される現代にあって、何を基準に生きれば良いのか、心の拠り所を失っている人も多いことでしょう。そこで今日は誰でも持っている三つの鏡について、考えてみましょう。一つ目の鏡は、望遠鏡の役割を果たす鏡です。この先数十年にわたる自分の人生をどう生きるか、数十年後の自分の姿をきちんと映す鏡です。二つ目は双眼鏡の役割を果たす鏡です。1年後2年後という近未来の自分を映し、そのために今の自分に何が必要なのかを見据えることです。三つ目は顕微鏡の役割を果たす鏡です。現在の足下をしっかりと見据え、自分が何をしたらいいのかをしっかりと認識することです。鏡の大きさには個人差があるかもしれません。しかし誰しも持っているこれらの鏡を曇らせないよう、常にしっかりと磨き上げていれば、心の拠り所を失うことはないのです。不動の信念をもって日々を懸命に、喜んで生き抜きたいものです。・・・私はこうして毎日あれこれとやっていたりするのですが、さすがに今のままでいい、とは思っておりません。仕事がうまくいっているからといって、それでいいや・・・とは絶対に思ってはいけないのです。常に謙虚になり、自惚れない・・・これを意識しなければならないのです。そのためにも、常に自分に努力を課していって、人間的に成長をし続けていきたいものです。私は、これからも努力をし続けていきたいと思いました。以上です。(2001年11月17日)
2024.05.16
コメント(0)
今回の物語は、豊臣秀吉が挙行した朝鮮出兵のものです。ここでは、大野七郎久高が主人公とされております。樺山家から婿養子に入ったとされております。島津家の家臣の一人です。朝鮮への・・・ということで、朝鮮国が舞台となっております。それだけでなく、日本だけでなく朝鮮にも関わりがあった琉球国も関わってきます。ということは、久高がメインになって活躍するのでは・・・と思っておりましたが、実際に読んでみると、この物語の図太い背骨となっているのが、朝鮮国の明鐘という男です。朝鮮国における被差別民である白丁という身分であったようですが、ひょんなことから論語をはじめとした教えを学ぶことになり、朝鮮出兵により朝鮮国が崩壊するやいなや、国の役人になります。この朝鮮国では、身分を撤回するようなものがあったようなのですが、いざ身分が卑しい人間がいたとしたら、「こいつといっしょにいるのはいやだ」ということがあり、実質的にはうまく機能していなかったようです。こうしたことは、よくあったりします。オリンピックに際しても、特定の国の選手がいたとき、他の国の選手が辞退する・・・というのがあったりします。このように、差別というものは、今なお根深く残っているようです。その3に続きます。川越宗一著「天地に燦たり」文藝春秋刊 2018年
2024.05.16
コメント(0)
最近のコンビニは、物を売るだけでなく銀行の出先のような機能や、インターネットなどで注文した品物の受け取り拠点としても利用されています。品物の受け取り方法は、宅配便などで「時間指定」をすれば自宅に配達してくれるのでより便利なはずですが、わざわざコンビニに出かける人の心理は、別のところにあるようです。コンビニの荷物受け取りサービスを利用しているUさんは、「時間指定でも、時間ピッタリに届くわけではないので、来るまで家で待っていなければならない。それよりは、自分の都合のいい時にコンビニで受け取るほうが便利です。それに私は一人暮らしなので、家のドアを無防備に開けたくないんです」と言います。物に不自由しない今日、物に恵まれる豊かさよりも、自分の要求をどれだけ満足させてくれるかという観点で、人は見せや会社を選ぶようになっています。今後ますます個別化し、高度化していくであろうお客様の「心の満足度」に対応できるかどうかが、企業繁栄の鍵となるでしょう。・・・他のところとは違うウリというものを見出さなければならないのですが、そのひとつとして、本文のような、自分の要求をどれだけ満足させてくれるか、というものがあったりします。いくら他のところとは違うもの・・・といっても、相手にとってみれば、自分の要求がみたされていなかったら、さすがに利用したくはないです。相手がどういうものを求めているのかを見定められるようにしていきたいものです。私は、相手の要求を把握できるようにしたいと思いました。以上です。(2001年11月16日)
2024.05.15
コメント(0)
今回の物語の著者である川越宗一は、新聞の連載にて「パシヨン」という物語を連載しておりました。単行本としてPHP研究所から出版されております。この物語ですが、江戸時代において、キリスト教を信じているだけでむざむざと処刑されてしまいます。そのなかで、小西マンショを苛烈な拷問のうえ獄死させた井上筑後の守政重は、その後に職を辞することになります。そして、政重は隠れキリシタンをかくまっているという浄土宗のお寺を訪れ、キリシタンの教えというものを聞かされるのです。そのキリシタンの教えというものは、生前にいいことをすれば天国に行けて、悪いことをすればインヘルノというところに堕ちる、というものです。仏教では、生前にいいことをすれば極楽に行けて、悪いことをすれば無間地獄に堕ちる、といわれております。このことから見てみるならば、キリスト教と仏教の「根っこ」というものは同じ、つまりは、同じ宗教である、といえるのです。しかし、この日本・・・とりわけ、江戸時代においては、仏教はとくに何もなく、キリスト教を信じているだけで、処刑というかたちで殺されてしまう、というのがまかり通ってしまっていたのです。こういうところから、宗教というものはどういうことを目指していけばいいのか、ということを考えなければならないのかな、なんて思ってしまいます。その2に続きます。川越宗一著「天地に燦たり」文藝春秋刊 2018年
2024.05.15
コメント(0)
「大変ぶしつけなご相談、お願い事かと存じますが・・・、放射線、化学療法についてもっと知りたいので、他の病院も受診したい」食道癌で入院して4日目のOさん(52歳)が、前夜何度も書き直したメモを手に切り出すと、手術を強く勧めていた担当医師の顔色がさっと変わりました。「それなら、すべて別の病院で治療してください」。その医師の突き放したような口調にOさんは退園にショックを受けました。結局Oさんは、医師がインターネットなどで癌相談を受け付ける「キャンサー・ネット・ジャパン」から紹介された病院で、放射線、化学療法を受け職場復帰を果たしました。「たくさん情報を集め、納得して治療を受けたかっただけなのに、担当医には重いが通じなかったようだ」と、彼は当時を振り返ります。「自分が入院して、初めて患者の気持ちがわかった」と語る医師の言葉を耳にしますが、人の気持ちは、自分がその立場にならないと分からないものです。優しさと想像力を働かせて、相手の心を汲める人間になりましょう。・・・本文は、医者の例だったりしますが、自分が医者でなくても、相手にたいしての応対でも言えることでもあったりします。自分が相手と同じような境遇を経験したことがある場合は、相手のことを思いやれる言動ができるのですが、そうでない場合は、逆に思いやらない言動をするときがあったりします。たとえ自分が相手と同じ境遇を経験しなくとも、相手のことを思いやることで、相手を思いやれる言動ができることがあるかもしれません。相手のことを思いやれるようにしていきたいものです。私は、相手を思いやれるようになりたいと思いました。以上です。(2001年11月15日)
2024.05.14
コメント(0)
これにて、図書館戦争は完結となります。これにともない、正義にまつわるお話をしたいと思います。正義というものはたしかに正しいものがあります。しかし、これが時として悪い方向へと突き進んでしまうことがよくあったりするのです。正しいからといって、手を出したり、ましてや武器を持ち出したりしたら、暴力となってしまいます。それだけでなく、「正義」という意味合いを、自分の都合で勝手気ままに解釈してしまったら、その影響は悪い方向へと向かってしまい、その時点で「悪」へと変わってしまうのです。そういうことがあったりすると、本当の正義というものは、存在しないように思えてしまいます。本当に正しいものというのはどういうものだろう・・・そういうことを常に頭の片隅に置いておきながら、常に考えるようにして、自分が正しいと思っていても、それを相手に強要することのないように注意して、正義が悪い方向へすすまないようにしていきたいところです。有川浩著「別冊 図書館戦争Ⅱ」KADOKAWA刊 2008年
2024.05.14
コメント(0)
そのストーカー騒ぎは、なんとか解決をみせたのですが、その後、柴崎はさらなるトラブルに見舞われてしまいます。図書隊の男子寮に、柴崎のコラ画像が配られてしまうのです。もしや先日のストーカーが報復でやっているのでは・・・なんていう疑惑があるようですが。とにもかくにも、理由はどうであれ、こうした卑劣な行為はやらないように気をつけなければな、なんて思ってしまいます。私も状況によってはよく思わない事態というのがあったりしますが、そこはそこで、グッとこらえるようにしております。罠に嵌めるようなマネは絶対にやらない・・・そう自分を厳しく律していくほかないのです。その5に続きます。有川浩著「別冊 図書館戦争Ⅱ」KADOKAWA刊 2008年
2024.05.13
コメント(0)
郁が堂上と結婚をすることになり、女子寮から退去することになります。その後釜として、水島という事務員が入ることになります。そのような状況のなかで、柴崎の身にトラブルが降りかかります。それも二度も。まず一つ目が、図書館におけるストーカーのつきまといです。いくらストーカーとはいえ、図書館の利用者ということで、そのストーカーを即座に排除するわけにはいきません。そんななかにおいて、対策を施したりするのですが、相手もさるもの、新たな手口を考えたりするわけで、手に負えなくなってしまったりします。挙げ句の果てには、足を怪我しているからといって、借りた本を返さない・・・ときました。ずいぶんとイヤラシいことをやっているよな、なんて思ってしまいます。私なんて、女性に見向きもされないばかりか、こっちから来たらそそくさと退散されてしまったりするほどのブサメンですので、ストーカーをするほうになってしまいがちです。こうしたマネは絶対にやらないようにしたいな、と自分を律するほかないです。その4に続きます。有川浩著「別冊 図書館戦争Ⅱ」KADOKAWA刊 2008年
2024.05.13
コメント(0)
人の噂は思わぬところから立つものです。誰もが過去に一度や二度は、噂話に悩まされた経験があるのではないでしょうか。「知らぬは亭主ばかりなり」とは、ご当人が知らぬ間に醜聞が世間に広まっているという意味ですが、「人の口には戸がたてられぬ」というように、人の評判や世間の噂は防ぎようがありません。ただ「人の噂も75日」とも言われるように、良い評判も悪い評判も75日たつころには忘れ去られてしまうほど、人の噂とは頼りないもの。ですから、悪い噂でも気にせず時を待ち、良い噂もあまり期待せずに過ごすのがいいでしょう。とはいえ、ひとたび悪い噂が広まると心を痛めるのも事実ですので、人の噂話をしないことはもちろん、信念を持った生き方を確立し、貫き通せるよう心がけることが大切です。噂に振り回されず、泰然と日々を過ごしていきましょう。・・・誰かからよくないことを言われたら、それはさすがに嫌な思いをします。仮に自分に疚しいことがなかったときは、できる限りそういったことに気にすることなく、泰然としていったほうがいいのかもしれません。自分がやっていることを信じていくようにしていきたいものです。私は、どんなよくないことを言われても自分の信念を曲げないようにしたいと思いました。以上です。(2001年11月14日)
2024.05.13
コメント(0)
ここでは、堂上が新人時代の頃の話となります。郁にとっては、堂上は憧れの的です。まさに王子様です。郁が新人時代には、そんな王子様とはつゆ知らず、その堂上からキッチリと絞られていたりして、郁はドロップキックをかましたり、大外刈りをキメたりしたりしておりました。そんな堂上であっても、新人だった頃があったわけで、それと同時に、いろいろとヘマをやらかしたりしたりしていたようです。たしかに、自分から見てキッチリとしていると思う人であっても、きちんと新人の頃があったわけですし、ヘマをしたりすることもあったりするのです。私なんてヘマばっかりしているような人間だったりします。そんな自分であっても、シブくてだんでぃ〜なオジサマになるべく、陰で泥臭く努力し続けているわけですが、その片鱗を出すことができているか・・・ちと不安なことがあったりします。その3に続きます。有川浩著「別冊 図書館戦争Ⅱ」KADOKAWA刊 2008年
2024.05.12
コメント(0)
今回の物語は、図書特殊部隊・・・ライブラリー・タスクフォースの副隊長を務める緒形の過去の話です。緒形は大学時代に知り合った女性を付き合っていたわけですが、その後の進路が災いを起こすことになるのです。そんなわけで、おバカなコメディーであるこのシリーズのなかにおいて、一番重っ苦しいものとなっております。まあ、こんなほろ苦い経験ってあるよね・・・なんて、思ってしまいますです。その2に続きます。有川浩著「別冊 図書館戦争Ⅱ」KADOKAWA刊 2008年
2024.05.12
コメント(0)
著者は、「単行本あとがき」で、こう注意しております。苦手は人は逃げてー!ということで一つ。ベタ甘は仕様です。駄目な方は本当に回避してください。あくまで登場人物中心なので、本編までは付き合ってやったがこれ以上のラブコメ仕様は我慢ならじ!というお客様には丸ごと無視していただければ大丈夫という安心設計!そして、「文庫版あとがき」に至っては、ダメだしのように、さらなる注意をしております。繰り返します。これを読まなくても本編にはまったく支障ありません。アホらいしくらいベタ甘です。だから無理だと思った方は遠慮なく回避してください。大事なことなので二回言いました。警告はしましたので以降は責任を持ちかねます。・・・ということなのですが。・・・・・・・・・・・・・・・・・・大好物でございますぅ〜〜〜私の感性にクリティカルヒットするかの如く、ガッチリとあっておりました。まあ、「ラブコメ今昔」で、オモシロさというものを垣間見ておりますので、今回の物語もニヤニヤしながら読んでおりました。というか、これでこの物語を避けてしまったら、バチが当たるというものです。仮に懺悔することになったら、まず間違いなく神様からドヤ顔どころか鬼の形相で即座にバツ印を喰らうのは目に見えておりますし、水をぶっかけられるのはもちろんのこと、泥やら白い粉やらをふりかけられたあとに、オチとして金盥(かなだらい)をガンッと落とされることになってしまいます。有川浩著「別冊 図書館戦争Ⅰ」KADOKAWA刊 2008年
2024.05.12
コメント(0)
2001年7月15日、アメリカプロゴルフツアーのミルウォーキー・オープンで、丸山茂樹選手が初優勝しました。日本の男子選手としては、青木功選手以来二人目のアメリカツアー制覇という偉業を達成した丸山選手は、自身のゴルフテーマを「勇気」と称しています。「ショットが曲がることを考えずに打てばよかったのにな、曲がってから考えればよかったのになというように『何々だったのに』という後悔の言葉が出るのは、精神面で劣っている証拠。どんな状況でも勇気を振り絞ってやれるようにしたい。勇気を持つことが一番大事」と、彼は笑顔で語ります。丸山選手は、悪い結果を先に思い悩むのではなく、良い結果だけを考え果敢に挑戦したことで、みごとに優勝を飾ることができたのでした。私たちも何事に迷い囚われることなく、どのような状況でも勇気を持って、前向きに取り組んでいきたいものです。・・・たしかに、「何々すればよかったのに」などと、やった後で後悔してしまいがちです。しかし、そういう後悔をするのであれば、それを次の行動に活かせばいいのです。やってしまったことにウジウジと思い至るくらいであれば、それを実践していって、スッキリとした気分でいたいものです。私は、後悔したものを行動に移していけるようにしたいと思いました。以上です。(2001年11月13日)
2024.05.12
コメント(0)
そんな気まずい状況であるにもかかわらず、図書館内では事件が勃発します。木島ジンという作家が書いた小説が検閲されることになり、図書館は厳戒態勢を取ることになります。木島が書いた作品は、かなりバイオレンス度の高い、辛辣な内容となっております。しかしながら、放送禁止用語に該当する良化委員会が違反とみなしている言葉は一切使われていないのです。放送禁止用語というものは、そこに規定されている言葉だけで、侮辱的な意味合いがあったりします。しかし、木島が書いたものは、違反が見受けられない言葉を言葉巧みに使って、ネガティブな物語を書き記しているのです。まあ、私としましては、できる限りネガティブな言葉を使わないように心がけておりますし、そんな言葉を使わずとも、ネガティブなことは絶対に書かないように心がけております。私自身、ネガティブなものを目の当たりにするとゲンナリするタチですので、他の人にも、ゲンナリとさせることのないように気をつけている、というのがあったりしますです。その11に続きます。有川浩著「別冊 図書館戦争Ⅰ」KADOKAWA刊 2008年
2024.05.11
コメント(0)
郁と堂上のおつきあいは、あれこれありながらも順調にいっております。そんなさなか、その郁と堂上には、ビミョ〜〜〜なことが起きてしまい、気まずい雰囲気になってしまいます。堂上が突っぱねただけに、よりを戻したい郁としては、非常に複雑な心境であったりします。その10に続きます。有川浩著「別冊 図書館戦争Ⅰ」KADOKAWA刊 2008年
2024.05.11
コメント(0)
以下は千葉県在住のNさんが新聞に投稿した、「壊れた洗濯機の思い出」です。15年前子どもが3人いたNさん宅では、日に二度三度と洗濯機を回すことも珍しくありませんでした。その子ども達も今では立派に成人しました。その間、黙々と働いた洗濯機は子ども達の成長と家族の歴史を見守り続けたのです。テレビや冷蔵庫の買い換えには、心が弾んだという彼女ですが、愛用の洗濯機が壊れた時は逆でした。そのときの模様をNさんは次のように記しています。「花を添え、写真を撮った。できることなら修理して手元に置きたかった。年金生活となった我が家で、休み休み暮らさせたかった。今日、洗濯機は黙って業者に運び出された。子育ての喧噪に明け暮れた我が家の活気溢れた思いでを伴って。長い間、ありがとう」物が安価に購入できる現代、価格に比例して物への感謝は薄れていないでしょうか。ときにNさんのように物への感謝を言葉や形にすることも必要でしょう。物に感謝し大切にする美しい心を、次代にも伝えていきたいものです。・・・せっかくお金を出して買ったものですので、買った以上は壊れるまで使いとおさなければなりません。買ったものを、粗末に扱うことなんて、できないはずです。ていねいに扱って、調子が悪かったら修理をするなり直したりして使ってくのです。そうしたうえで完全に壊れてしまって修理が不可能になってしまったのなら、その物の寿命ということであきらめるほかありませんが、そうなったら、使ってくれたことに感謝を抱くようにしていきたいものです。私は、買った以上は壊れてしまうまで大切に扱っていきたいと思いました。以上です。(2001年11月12日)
2024.05.11
コメント(0)
私はこの5月で誕生日を迎え、あと1年で50になってしまいます。時間が流れるの、ムチャクチャ速すぎますって!そんな私が今年の冬のこと、会社から帰宅した直後に、米を精米するためにまた出かけなければならなくなりました。その米は米袋に入っており、1袋が30kgもあるしろもので、私の体重よりも軽いシロモノです。しかし、その米袋を持ち上げたとたん、腰にきちゃいました。いわゆるギックリ腰というものでしょうか。精米を終わった後でも、その腰の痛みはひくことがなく、まるまる1ヵ月は湿布のお世話になってしまいました。い、今は、さすがにその腰の痛みは治まりましたが、30kgもある米袋をきちんとした持ち方で持たなければな・・・なんて、思ってしまいます。・・・弱気になっていた堂庵であるが、一縷(いちる)の望みというものがある。それは、藤介がいつも座っている箱のなかに入っている、とある事情で持つことになった大量の小判がそれである。そうこうしているうちに、平次がやってきた。妹が誘拐されてしまったのか、藤介にきつくあたっている。そして、堂庵には、この出来事を全て「虫」のせいにするように言ったのであるが、堂庵はそれに応じない。そんななか、藤介には思い当たるふしがあるようで・・・・・・今回の物語は、この2024年6月号で最終回を迎えます。2022年8月号から連載が始まりましたので、実質的に約2年・・・ということになります。一見したところ、全ての出来事が病気のせいであり、なおかつ、堂庵によれば「虫」のせいでもあったりするのですが、ふたをあけてみれば、病気のせいでも「虫」のせいでもなく、そこにあったのは現実的な出来事でした。しかも、この最後の話においては、これまでの出来事が関係していたりするわけで、思わず口をアングリとさせてしまったりしました。このあと、この物語は単行本として出版されると思うのですが、これを楽しみにしつつ、6月に出版されるという本編の最新作も楽しみにしたいところであったりします。京極夏彦著「病葉草紙(わくらばそうし)(第八話 頓死肝虫(とんしのかんむし) 後編(最終回))」文藝春秋2024年6月号
2024.05.10
コメント(0)
「子どもが面白がってくれるのが嬉しい」と語る相沢康夫さん(46歳)は、営業の仕事の傍らで、独自の積み木やモザイクなど「木のおもちゃ」を作り続けています。スイスのおもちゃメーカー「ネフ」にも認められた、相沢さんの作品はV字型や六角形といった数学的な規則を持つカラフルな木のセット。積み方や組み合わせ次第でいろいろな模様や形ができあがります。「小学生になるまではテレビゲームで遊ばせない。遊びながら動く仕組みが理解できないおもちゃは、幼児期にはふさわしくない」というのが持論の氏は、講演会や大学の講義で木のおもちゃのすばらしさを訴えています。相沢さんは今日も「どうせ子どもが使うのだから」という考え方ではなく、「未熟な子どもが使うおもちゃだからこそ、最高のモノを提供したい」と、本物のおもちゃ作りに取り組んでいます。常に最高のレベルを求める彼の姿勢を私たちも見習いたいものです。・・・本文では、世界的な会社に認められている、というのがあります。それに反して、私なんて、周囲には認められていなかったりします。しかし、だからといって、ふて腐れるわけにはいきません。認められないからこそ、陰で泥臭く努力し続けていかなければならない、と思っております。まさに反骨精神がそうさせているようなのですが、逆境にくじけずに努力していって、いつしか認められるように精進続けていきたいところです。私は、周囲から認められなくても努力し続けていきたいと思いました。以上です。(2001年11月11日)
2024.05.10
コメント(0)
ここでは、図書館の中で傷害事件が起こります。その犯人は、薬物中毒になっているようで、挙動不審なうえに言動がヤバいことになっております。できることなら、ヤバい奴がいたら即刻つまみだしたほうがいいわけですが、客商売をしているときには、それがまずいことになっていきます。これはヤバいんじゃないか?・・・なんて思っていても、実は切実なる事情があったりするわけで、ひと目見ただけで判断することは危険なことであったりするようです。判断するにしても、慎重にことを進めていく必要があるのでしょう。その9に続きます。有川浩著「別冊 図書館戦争Ⅰ」KADOKAWA刊 2008年
2024.05.10
コメント(0)
全9781件 (9781件中 1-50件目)