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2006年09月22日
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カテゴリ: 戦争映画
2005 蓮ユニバース  監督:池谷薫
出演者:奥村和一、金子傳、村山隼人ほか
101分 カラー ドキュメンタリー




 本作は、第二次世界大戦後も中国に残留して戦闘を続けた日本兵がいたという、「日本軍山西省問題」で裁判を起こした原告団の一人「奥村和一」氏を中心に据えたドキュメンタリーである。日本軍山西省問題とは、古くは昭和31年に国会でも取り上げられたもので、日本陸軍支那派遣軍第1軍配下の将兵約2,600名が、戦後も中国国民党系軍閥錫山(えんしゃくざん)の一派として中国共産党軍と戦っている。結局数年に渡って戦闘した結果、約550人が戦死し700人以上が捕虜となったのだが、日本兵らが日本軍部(日本政府)の命令で残留したのか、自発的に残ったのかという問題がクローズアップされてくる。一説では第1軍の軍司令官澄田中将ら一部の幹部が、戦犯である自己保身のために閥錫山と密約して部下の将兵を売軍したとも言われているが、戦後の証人喚問ではそれを否定したうえ、関係する証拠等はほとんど出ていない。日本政府としても、外交上公式に残留を認めるわけにもいかず、事実上将兵らは軍命ではなく、自己意志で残留したと結論づけられている。これにより、残留日本兵は戦後の戦闘期間が軍人恩給対象にならなかったうえ、戦死した将兵も含め日本兵としての名誉を著しく傷つけられることとなる。本作の主人公奥村氏は1991年から結成された「全国山西省在留者団体協議会」の一員として参加し、2001年には軍人恩給請求に関する提訴を行い、 2005年に最高裁が上告棄却として終わっている。

 本作の主題となるべきテーマには、大きく日本軍山西省問題と奥村氏個人についての二つがあろう。
 日本軍山西省問題については、事実上命令系統がどうであったにせよ実に痛ましい事件であり、残留した将兵の気持ちを思い量れば言葉もないし、ましてや戦死した将兵の無念さはいくばくであろうか。さらに、残留の意志決定した上級幹部はともかく、下級将兵のほとんどは皇軍復古のための聖戦と信じての戦闘であったろうし、それに対しての国や裁判所の結論は余りにも冷たいものであるとも感じる。決定的な証拠がない以上は、軍命令であったという見解を国が覆すことができないのは自明の理だが、少なくとも名誉の回復に至る道筋を検討することは不可能ではないだろう。そういう意味で、本作の製作と公開が名誉の回復への一助になったであろうことは想像に難くない。
 奥村和一氏は当時兵長として残留しており、中国戦線での自身の殺人行為への贖罪、そして売軍されたという裏切り行為への怒りに満ちている。中国戦線に参加した一日本兵の心情とその戦後処理という、一個人の心の精算をドキュメントとして捉えたものは珍しく貴重なものであろう。
 この二つのテーマが重厚にかつ慎重に織り込まれているとするならば、本作はとてつもなく偉大なノンフィクション映画として賛美を得たであろう。

 しかし、本作は後半に行けば行くほど、上記の二つのテーマバランスが崩れていってしまった。日本軍山西省問題が薄っぺらになり、本作が奥村氏個人のドキュメンタリーであったということに気づかされる。さらに、やはりというべきか、軍司令官批判=日本軍批判=日本政府批判という論理飛躍で結論づけられていってしまったのには閉口。冒頭に知識の乏しい女子高生や女医とのトンチンカンなやりとりでも違和感を覚えたが、ラストでは軍装趣味の右翼や小野田元少尉との対決シーンを恣意的に取り入れるなど、奥村氏個人の怒りを凝縮したものにすり替わっていく。申し訳ないが、ご老体の奥村氏を連れて中国 3,000kmの旅の結果がこの程度なのかという思いと、奥村氏個人の怒りを見るために1,800円も払う気はないぞという憤慨の気持ちすら起こった。
 国(政府)、裁判所、旧軍、さらにはノンポリ国民までを悪玉に仕立て上げ、「総括」「総括」と批判する手法は、どこぞの過激派を彷彿とさせるものがある。

 その奥村氏に関して言えば、氏自身が何をしたいのか非常に混乱しているように見える。氏のプロフィールには中共帰りのレッテルで公安にマークされたとあるが、そこに一つの原点があるようにも思える。中国捕虜時代には転向教化も当然なされてたはずだし、戦後の苦しい時代を考えれば批判的思想に傾倒するのも無理もない。ましてや氏を利用しようとする団体、勢力の影響もあるのだろう、政府(国)、裁判所、旧軍批判に我を失っている激情を強く感じる。ところが、劇中に登場するように氏が殺害した中国民間人と思っていた人物が実は逃亡警備兵であったと知るや否や安堵の気持ちが出たり、激戦地の要塞に赴いた際には亡き戦友への気持ちを吐露するなど、旧日本兵としての人格擁護の側面も登場する。本人はそれを反省と称してはいるが、軍を批判する人格性と軍の戦友を擁護する人格性との葛藤だと思う。ただこれは、氏個人の戦後総括そのものであって、戦後世代に引きずるべきものではないし、ましてや国家批判等に転嫁するべきものではない。自己完結しなければならないということをご本人は理解しているのだろうが、回りが利用するためにそうさせないともいえる。その典型的な例が、パンフレットに寄稿している評論家の佐藤忠男氏のコメントにある。「・・・奥村さんの山西省への旅の過程で明らかになってくるのは、日本軍が共産党側かと疑われる中国民衆に対していかに残虐であったかということである。その残虐行為を支えていたのは、まさに日本帝国陸軍の意識であったということである。さらにその意識は今日でも全く精算されているとは言えないのではないかということである。・・・」少なくとも、日本帝国理軍の意識を引きずっているとすれば奥村氏ら旧軍兵であり、我々戦後世代にその意識があるとは到底思えない。罪人がいつまでも利用され続ける構図である。そもそも、意識の精算とはどうやったらできるのか、問うてみたい所だ。

 本作は結構評判が良いようだが、果たして何が評判が良いのか困惑する部分がある。奥村氏が老体に鞭打って頑張っている姿に感動した、というのならばそれでもいい。ただ、私個人的には、自己完結すべき問題であるし、政治的目的があるのでなければドキュメンタリー映画にして公開するほどのものでもないと思う。山西省問題を取り上げるのであれば、先に述べたようにドキュメンタリーとして内容は皆無に等しい。戦争の悲惨さを知らしめるのだ、というにしても内容がない上に、もっと真に迫る映画はごまんとある。結局のところ、こんな問題(事件)があったことを知らなかった、という驚きやショックによる評価点なのだろうと思う。そういう意味では、世に知らしめたという点では評価できるのだろうし、何にしても自身の罪と生活をさらけ出した奥村氏の勇気と努力に敬意を表すべきであろう。本作は奥村氏の戦争殺人懺悔録として、氏の心情を焦点にしたほうがずっと良い出来になったであろう。
 このほか、残留工作に反対したという宮崎元中佐の取材映像ををもっと見せて欲しかった。

 残念ながら、内容的には駄作の部類になってしまったが、いずれ別の形で奥村氏の活動の成果も含め、日本軍山西省問題の真実に迫るドキュメンタリーが制作されることを期待してやまない。ちなみに、山西省問題を知るだけならば、書籍やインターネットで映画以上の情報を得ることができる。 

蟻の兵隊公式HP
国会会議録(衆議院) ←「山西地区残留同胞の現地復員処理に関する件」で検索 (昭和31年12月03日)

興奮度★
沈痛度★★
爽快度★
感涙度★★



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最終更新日  2006年09月22日 07時48分41秒
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