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2007年04月15日
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カテゴリ: 戦争映画
1977 橋本プロ(東宝) 監督:森谷司郎
出演:高倉健、北大路欣也、三国連太郎、前田吟、加山雄三、森田健作、緒方拳ほか 
168分 カラー


 私が生まれて初めて本格的映画を見に行ったのがこれ。明治35年(1902)、青森県八甲田山で青森第5連隊と弘前第31連隊が雪中行軍を行い、青森連隊が遭難し、多数の死者を出した事件を映画化したもの。当時私は小学生だったが、新田次郎の原作「八甲田山死の彷徨」を読んで以来、映画化されると聞き、親父に頼み込んで連れて行って貰った。製作期間3年、制作費7億円という、当時の邦画としては史上最大のスケールを誇る作品だけあって、初めて映画館で見る映画の迫力に圧倒されまくった。これが私の戦争映画の原点でもある。その後数年の間で、「戦国自衛隊」「ガラスのうさぎ」などの戦争映画も作られたが、全く持って比較にならないものであり、以降現在に至るまで、私の邦画最高峰に君臨する作品である。 
 当時、CMにも用いられたキャッチフレーズ「天は我々を見放した!」は一世を風靡し、実にインパクトがあったし、作品に挿入される音楽や効果音は絶妙。これほど耳に残る作品は他にない。特に、行進中に唄われる軍歌「雪の進軍」は今なお私の口ずさむ愛メロディでもある。監督は森谷司郎で翌年には、山岳遭難シリーズ「聖職の碑」の監督もしている。制作・脚本は後に超迷作「幻の湖」を作った橋本忍。

 原作と比較すると、映画で描ききれることはどうしても限られてしまうが、本作はそれに負けない出来となっている。確かに、青森、弘前両連隊の指揮官の心情、性格描写がやや甘いという指摘もあるが、それは原作やその他の資料で補完すればいいと思わせるだけ、本作の完成度は高い。上級幹部の身勝手な発想に振り回される、両指揮官の決断と苦悩だけにとどまらず、両連隊に分かれて雪中行軍に参加する兄弟など、兵たちそれぞれの置かれた苦痛と必死さが抑え気味の表現として描かれているのがいい。特に、兄(前田吟)が死んだ弟を見つけて「おとっと(弟)を背負っていきたいんであります」のシーンはグッと来る。それに対して指揮官(高倉健)が「弟を背負った貴様が倒れれば、それを助けた者が倒れ、我が隊は全滅する!」と毅然と命じる対比は、もう男泣き。
 また、八甲田という大自然との闘いの描写も凄まじく、寒中、雪原の描写は、全世界の映画でも未だこの右に出る映画を知らない(あくまで私の知っている範疇でね。汗)。吹き殴る雪の寒さ、壁となって立ちはだかる氷、そして氷に飛び散る血しぶき・・・。嗚呼、自然を敵にまわしてはいけないのだと痛感させられる。もちろん、雪中行軍の研究のために行った行為なのだから、想定の範囲内なのだろうが、何故こんなところを行軍しているのだという疑問すらぶっ飛んでしまうぐらいに迫り来る大自然の恐怖なのだ。加えて、極寒地での体験がない者にとっては新鮮だったが、暖の取り方、握り飯の保存、汗や小便による凍死など真に迫るものがあった。

 映像的にも音響的にも、今となってはどうってことなく劣る面も目立つのだが、それでもなお画面から迫り来るインパクトは健在である。それは、全編に渡って挿入される音楽と効果音が実にマッチしているのと、八甲田山死の彷徨という作品に真摯に取り組んだ姿勢そのものから来るのだろうと思う。
 音楽は冒頭の主題曲?が実に印象的で、悲劇の到来を予期させる前兆となっている。本編中では、音の強弱による演出や、無音、自然音シーンの挿入など風や雪などの効果音をうまく用いているほか、それと対比させる回想シーンの青森の伝統祭りや春夏の自然映像は実にインパクトが強い。青森出身でなくとも郷愁を感じるし、死の直前(極限状態)のフラッシュバックというのものを疑似体験したかのような衝撃感がある。映像技術としても、フラッシュバックの使い方(間の取り方)としては最高レベルといってもいいのではないだろうか。
 また、本作はいわゆるドキュメンタリーに近い作品になるのだろうが、ドキュメンタリーに肉付けしたヒューマンドラマが程よくマッチしている。ドキュメントだけでは面白くいないし、かといってヒューマンドラマを創りすぎるとリアリティがなくなってしまう。本作は原作に沿いながら、過度でない程度にうまくまとめあげているのがいい。
 とにかく、映画としてここまで完結した作品というのは稀なのである。しかも邦画で・・・。

 主役は両連隊の中隊長高倉健と北大路欣也。両者とも日本を代表する名優なわけだが、やはり私的には北大路欣也の熱演を評価する。明治の軍人らしい厳しさと、上官との板挟みで苦悩する心情を良く表現している。高倉健は渋く決めすぎで、ちょっと軍人らしくないのが興ざめ。青森連隊の大隊長役の三国連太郎は存在感たっぷりだが、ちょっと年取りすぎのイメージ。このほか、本作を名作にまつりあげたのは、前田吟、緒方拳などの下士官兵卒役。東北弁で話す木訥さと純朴さが悲劇をさらに際だたせていくのだ。ただ、唯一倉田大尉役の加山雄三だけが・・・・ミスキャスト、場違いとしか言いようがない。



 一応念のためだが、本作は私の映画史の貴重な1本なので、いささか過度な評価になっているのは自認している(笑)。

 興奮度★★★★
 沈痛度★★★★★
 爽快度★★
 感涙度★★★★



 明治34(1901)年10月、弘前の第4旅団司令部に、麾下の歩兵第5連隊(青森)、歩兵第31連隊(弘前)の幹部が集められていた。友田旅団長(少将)は、予期される日露開戦を見越して、寒地装備や寒地戦の調査を目的に、雪の八甲田山で雪中行軍を実行しようと言うのだ。
 青森第5連隊の実行指揮官には第5中隊長の神田大尉(北大路)、弘前第31連隊の実行指揮官には第2中隊長の徳島大尉(高倉)が命じられ、八甲田山の両側から登り山中で交差する計画となった。
 若干の経験のある徳島大尉は、下士官以上の志願兵を中心に最小装備の小隊規模26名の少数精鋭を編成した。行程は弘前から出発し、十和田湖-三本木を経て八甲田山入り、鱒澤-田代温泉を経て田茂木野村へ至る10泊11日の長期とした。
 一方、夏山の経験しかない神田大尉は徳島大尉のもとを訪れるなど調査し、徳島隊と同様に小隊規模の編成を申し出たが、山田大隊長(三国)の関与で、大隊本部付き14名を加えた中隊規模編成210名にさせられてしまう。指揮権はあくまで神田大尉にあるというものの、実際には山田少佐の権限が強い。行程は青森-田茂木野村から八甲田山へ入り、小峠・大峠-賽の河原-馬立場-鳴沢-田代温泉へ抜け、三本木から汽車で青森に帰隊する2泊3日のものだった。
 徳島隊の斉藤伍長と神田隊の神田大尉の従卒長谷部は実の兄弟だ。
 明治35年1月20日、先に弘前を出発した徳島隊は、できるだけ野営は避け、民間人の道案内を雇った。出発に先立ち徳島大尉は神田大尉に対して、万が一八甲田山中で立ち往生していた時には助けて欲しいと手紙を出していた。一行は、行程毎に道案内を頼んでいたが、その中にはサワ(秋吉久美子)という女性も含まれていた。
 一方、神田隊は1月23日に青森を出発する。その際田茂木野村の村民が道案内を買って出るが、山田少佐は金欲しさだとして拒絶してしまう。その結果、道案内なしで八甲田山山中に突入する事になる。賽の河原を過ぎたあたりで、荷物を積んだ橇隊が遅れ始め、神田大尉は放棄しようとするが、山田少佐が認めない。天候が悪化する中、馬立場に到着し、田代温泉まであと2kmと迫り、藤村曹長ら12名を先行させる。
 風雪がいよいよひどくなり、神田隊は道に迷い始める。さらに、神田大尉の意向とは異なり山田少佐が指揮を取り始める。指揮権は一体誰にあるのか、と悩む神田大尉だったが、とにかく先頭に立って田代への道を進む。しかし、隊の最後尾にいるはずの橇隊の後ろから先行したはずの藤村曹長らがやってくる。神田隊はすっかり道に迷っていた。
 神田隊は鳴沢付近で雪を掘って宿営する。そこで、山田少佐が行軍の中止と夜間の帰営を命じ、神田隊は夜間行軍を余儀なくされ、ついに隊から凍死者を出す。田代への道を発見したという新藤特務曹長により、再び田代へ歩を進めるが、またもや道に迷う。仕方なく隊は川に沿って進むが、ついに氷の壁を登る事に。滑落して血だらけになる兵も続出する。兵は次から次へと倒れ、ついに長谷部も倒れる。疲弊した大隊長をかつぐ兵も倒れるなど、神田隊はほぼ壊滅に近かった。神田大尉は田茂野木村へ江藤伍長を先行させ、遭難を知らせるよう命じる。
 1月26日、徳島隊は三本木に到着する。第5連隊では三本木に到着したのが第31連隊と知り、遭難を危惧し、行軍の中止を命じる。しかし、その伝達手段はなかった。
 1月27日、徳島隊は八甲田山に入る。そこで、雪に埋もれている江藤伍長を発見し神田隊の遭難を知る。すぐさま、連隊本部に知らされ、連隊、師団をあげての救助活動が開始される。さらに、徳島隊の行軍の中止命令も出されるが、徳島隊はすでに出発した後だった。
 1月28日、鳴沢付近で徳島隊の斉藤伍長が雪に埋もれている神田隊の実弟長谷部を発見。亡骸を背負って行きたいというが、徳島は隊の全滅につながると許可しない。賽の河原に至ると、多くの兵士の死体に出会う。その中に神田大尉の死体もあった。徳島大尉はようやく会えましたねと語りかける。
 田茂野木村に到着した徳島隊は、救助に来ていた第5連隊の指揮官に神田大尉の遺体を発見したと報告するが、指揮官はすでに昨日遺体は収容されていると言う。徳島が会ったのは幻だったのか。
 神田隊210名のうち、救助されたのはわずか17名だった。その中には大隊長山田少佐、倉田大尉なども含まれていた。山田少佐は責任をとって自決する。


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最終更新日  2007年04月15日 09時12分59秒
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