蒼い風 現象への旅

蒼い風 現象への旅

Sep 24, 2014
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カテゴリ: 小さい旅
私はあの日、捨てられた子どもだと思った。
捨てられたことなど一度もないくせに。

「十三歳になったんだよ。じゅうさんさい。」
耳が遠くなった入院中の祖父の見舞いで、どこか緊張しながら大きめの声で彼に告げる。
私は三日前に誕生日を迎えたばかりだった。
しかし、祖父の持つ無数の皺にわたしの十三年間は全く気圧されて、ぎこちない声(私は、ちょうどその時期に催される文化祭の舞台練習を想像し「まるで台詞のようだ、わざとらしいし」などとひとり恥ずかしがっていた)が、不恰好に病室内に響いた。
祖父はベッドの淵に腰掛けていて、真向かいに居る私に杖を取るよう、指先で指示しながら「そう。」とだけ呟いた。
茶色く塗られていても木の存在が充分に残る、ところどころがゴツゴツした杖は、私の記憶の中では既に祖父と一体化していた。

その昔、もっと祖父が元気だった頃、自宅の庭に出て植えたばかりのポーチュラカを見つめる後姿を、私と母はリビングの窓から眺めていた。

私は祖父の庭に出る時間の殆んどをリビングから眺め、時には彼の横に立って、ポーチュラカやコデマリの成長、薔薇や金木犀の香りなどを確認したりして過ごした。
祖父はいたって寡黙で、でもどこか飄々としていて、瞳はいつも凛としていた。
私が横に立っても会話など殆んどないのだけれど、私はその横側がひどく心地良く、懐かしいもののような気がして、いつもその時間は鼻の奥のあたりがつぅーんとするのだった。

「はい。」とベッドに腰掛ける祖父に杖を渡す。
杖を支えに立ち上がろうとする祖父に手を添えようと、座っていた椅子から立ち上がった私は、手慣れた動作とそこから派生する拒否のサインを祖父から送られて、またもやひとり恥ずかしがった。
祖父は相変わらず寡黙で、病院の小さな中庭に出るまで一言も言葉を発せず、私も相変わらず後姿ばかりを眺めながら歩いた。
祖父の後姿は自宅の庭が似合う、と思いながら。

緑の芝生と少し色付いたフェンス傍のすすき。
太陽の控え目な光、しっとりとした仄かな風、モズの競うような鳴き声。
小さな中庭は、溢れる秋を所狭しと放出していて、祖父がよく中庭に出ているという母の話しに納得しながら、祖父の横側に立った。
「ボタンは咲いたかな。」祖父がぽつりと尋ねる。

祖父は私を見て、にっこりと微笑んだ。
空気の開放感は大きめの声を清々しく喉元から発声させたし、祖父は微笑んだし、私はなんだか何もかもがうまくいくような明るさを感じずにはいられなくて、久しぶりに鼻の奥のあたりがつぅーんとしたのだった。
それから随分と長いあいだ祖父と私は並んで立ち、何を話すでもなく、秋の空に身体をあずけ続けた。

四日後、その知らせを聞いた時、私はリビングのソファで膝を抱え、大人たちのせわしい動きをぼんやりと眺めていた。

「なーちゃん、おじいちゃん死んでしまったよ。」


「ナーチャン、オジイチャン シンデシマッタヨ」
「オジイチャン シンデシマッタヨ」
「シンデシマッタヨ… シンデ… ナーチャン… シンデ…」

ようやくその意味が掴めると、私はすぐに母親の元へ急ぎ「ボタンは植え替えた?」と尋ねた。
母は一瞬呆気にとられた顔をしたものの、すぐに有無を言わさぬ口調で「なーちゃん、制服準備しなさい。」とぴしりと告げたのだ。

私はまたソファに戻り、膝を抱えた。
大人たちはきびきびと動き、その姿がまるで颯爽として威厳さえ漂わせていたものだから、いつもはよく笑う叔母も、祖父によく似た伯父も、果ては父や母までも、全く知らない人に映り、私は更に身体を小さくして、膝を抱えなければならなかった。
庭は依然としてリビングから眺められる。
しかし、そこは数分前とは全く異なった景色となって眼前に迫り、今にも私の芯の部分にスイッチを点し、燃やし尽くしてしまうかのような迫力だった。

私は、より一層このうえないほど身を縮め、膝を抱え、この恐ろしい状況をそれでも理解しようと必死だった。
ソファの背で涙を拭おうと頭を振った瞬間、庭先のボタンがしんなりと揺れる。

「捨てられた」と思った。

その死に際してもなお大切なのは自分の生であり、存在であることに執着する十三歳の私は、不器用で不様な甘えを存分に纏い「捨てられた」と思い込むことで自分を守った。
ポツンと置かれた手荷物のように。
道端に踊る紙切れのように。
せわしく動く母に、厳しい表情の父に、叔母に、伯父に、秋の中庭に、庭のボタンに、そして祖父に。
捨てられた、と。


二十年近く経った今もボタンはいたる所で咲き続け、その逞しさと寡黙さに祖父を想い、わたしは一度も捨てられたことがないと知り続けている。
あの日守った自分というものが、どれだけの息吹を根付かせ、大地と空に今日という日を送り続けることが出来るのか知りたいと願っている。

私はあの日、捨てられた子どもだと思った。
捨てられたことなど一度もないくせに。





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Last updated  Sep 25, 2014 12:59:48 AM
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