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【平和について考える】 今日12月8日は、ニつの歴史的事件があった日です。1941年は、日本軍がハワイ・オアフ島、真珠湾の米軍基地を奇襲攻撃し、太平洋戦争開戦の日(いわゆる真珠湾攻撃)。そして1980年、ビートルズの中心メンバーだったジョン・レノンが、ニューヨークの自宅アパート前でファンを自称する凶弾に倒れて亡くなった日。彼も生きていたら67歳。もうおじいちゃんです。ジョン・レノンを追悼する意味での映画やイベントがあちこちであって、話題にもなっています。人類の歴史が始まってかなりの歳月はたっているはずですが、戦争やテロがいまだなくならないのはなぜなのでしょうか。人間のエゴがすべて根底にあるからではないでしょうか。今、平和について考える時、エゴをどこかで抑えていかなければならないのだということに気づきます。最近治安が悪化しつつある日本も、エゴにまみれた犯罪や事件が絶えない状況。自分自身は二の次、まず周りにいる人たちのことを考えられるように、気配り・目配り・思いやり、この3つを大切にしていかなければならないと思います。 今日はクラスの総合学習で、平和について考える時間を持ちました。本日付けの中日新聞のコラム「中日春秋」 とpinktigerさんのブログ「自分探しの心の旅」をプリントして読ませ、いろいろな意見や感想を聞いてみたのです。戦争と平和という二つの枠を作り、それぞれの言葉を象徴するイメージやことばをあげてみました。たとえば「戦争」の枠には「憎しみ」や「怒り」「死」「不幸」「絶望」「テロ」「恐怖」...などを。「平和」の枠には「自由」「希望」「愛」「命」「夢」「友好」「喜び」「やさしさ」...などを。高校3年生たちは、それなりに自分たちの考え方を持っていて、真剣に考えながら平和とは何か、戦争やテロが起こる背景には何があるのか、といったことについてもいろんな意見を提供してくれました。今の日本は果たして平和なのか...という問いに対しては、・殺人や強盗が頻繁に起こってて、いつ自分の命やものが奪われたりするとも知れない。・学校ではいじめ、家庭では虐待が起こっている。 障害者や高齢者に対して妨げとなるような問題がいっぱいある。・他人のことを考えず、KY(空気が読めないヤツ)が横行している。・宗教や民族に関わる紛争がまだ世界各地で起こっている。・人間は欲望の固まりだから、平和なんてくることはまず難しい。といった意見もでてきました。希望を持って毎日生きていくべきなのでしょうが、まだまだこの世界は不完全で、ジョン・レノンの「イマジン」のような理想郷にはほど遠いのかも知れません。だからこそ、全ての人にこの理想を抱いてもらいたいと思います。Imagine all the people living life in peace...(想像してごらん 全ての人が平和に暮らしている姿を...) John Lennon YouTubeの動画から…"Imagine" "Give Peace A Chance" "Happy Xmas (War Is Over) " WORLD PEACE おまけ...定期購読しているメルマガ「動物占い」の明日の占い...何かいいことが起こりそうな...予感です...。 ‥...━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━...‥2007年12月09日(日)「ヒツジ」の動物占い(R)運勢‥...━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━...‥ ■全体:5段階評価 @@@@@ 今日はこれからの人生に強烈な影響を与えるような"出会い"の予感! 自分自身のひらめきを大切に、どんどん外に出て行行動しましょう!気の合う友人と、何か新しいスポーツに挑戦するのもオススメです。それがきっかけで、友人との関係もより深いものになることでしょう。物事を大げさに考えずに、まずは行動!全ての始まりは行動からです。勿論、羽目を外し過ぎるのは禁物。集団での約束事は守ってください。 ■恋愛:5段階評価 @@@@@ 今日はあなたの恋の成就が約束された日。きっといいことがあります! ■金銭:5段階評価 @@@@@ 今日は思い通りに大きな利益をあげることができそうな日です。 ■仕事・学業:5段階評価 @@@@ 今日は消極的にならなければ、足元のチャンスを拾えそうです
2007.12.08
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【精神一到何事か成らざらん】ありふれた毎日を繰り返しながら、2007年もあと30日足らずとなった。この一年も実にいろんなことが起こった。今、過ぎ去った日々を振り返って、失ったものと得たものについて考えてみる。レポート用紙の中央で縦に線を引き、その左側に失ったもの、右側に得たものを書き出してみよう。これまでの人生に比べれば、失ったものはさほど多くないかも知れないが、得たものについても、これといって喜べるほどのものもない。ある意味では失った分だけ何かを得ることができた一年だとも言える。今まで過ごしてきた中では、まあまあ平凡な日々が続いた一年であったのだろう。たいした災いもなく、マイペースでここまで来れたことに感謝しよう。過ぎてみればあっという間の一年なのに、いざ振り返ってみると、何があったのか、かすかな記憶を頼りに大まかなことを呼び戻すことはできても、その細部まではほとんど思い出すことができない。人間の記憶なんて本当にいい加減なものである。しょせん時間は過ぎ去っていくものなのだし、ちょうど電車の窓の外を流れていく風景のように、流れるままにしておくのがいいのだろう。しばらくたって、いやが上でも思い出さずにはいられないできごとだってあるはずだから。僕にとって新しい時代の始まりを予感させる2008年。平成に入って20年目という節目の年。平凡な日常とはかけ離れた未知の世界への憧れが、再び僕を旅路に招こうとしている。道祖神(どうそじん)に導かれるように、ふらりとそこに足を踏み入れてしまいそうな誘惑に駆られる。しかし、あえて僕はそれを拒むつもりはないし、そうしなければならない理由が特にあるという訳でもない。何かを失うことを恐れずに、何かが得られるという特別な期待感を抱くことなく、明日という日に向かってひたすら突っ走る。そうすることが今の僕に一番ふさわしい生き方だと言い聞かせるなら、道はおのずと開けるだろうし、僕が求めている「新天地」もきっとどこかに見つかるはずだ。心をピュアな状態にして、明日を夢見る。感動を求めて、失われた時間を呼び戻すために、僕はまた旅人に戻らなくてはならない。確かに、刻一刻と僕の旅立ちの時は迫っているのだ。さまざまな可能性を秘めた「明日」が、毎日やってくるというのに、これまで僕はそのチャンスをいくつも見逃してきてしまった。何と悲しいことであろうか。「明日」に流されることなく、自分の意志で前進しよう。僕は決して「さまよえる子羊」ではない。ただ、自ら求めてさすらい続ける「気ままな風」になりたいだけだ。"Where there's a will, there's a way(意志のあるところに道は開ける)."僕は自分の意志が求める道を信じよう。人に助けを求めたり、誰かを頼りにしたりすることは、今はもうできないのだから。誰かのためにではなく、自分自身のために、自分が見つけた一本の「道」をたどっていく。2008年はそんな一年でありますように…。 (Photo: Grand Teton National Park, Wyoming 1991)
2007.11.29
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【時間がたてば…】 何もかも時間がたてば分かること いつか未来は確実に現在の僕をとらえにやってくるだろう その時どんなにあがいてみてもどこにも逃げられはしない ただ素直に黙ってその未来を受け入れることができるように僕は今という時間の中にそっと含まれていたい (Illustration: "wind runner 2" by Kay) KAY'S PHOTO GALLERY
2007.10.29
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【天国からのメッセージ】2007年の僕へ。 元気ですか?2007年ごろの自分のことを懐かしく思い出します。 僕は79歳で、つまり西暦2039年に、ちょっとした怪我が元で生涯を終えます。今にして思えば、たくさんの人に支えられた充実した素敵な人生でした。 だたひとつだけ過去の自分に、つまり今のあなたに伝えておきたい事があります。それは 2012年の冬のこと、僕はある事情で、新宿駅である人物と再会します。振り返ってみると、それは人生の大きな分岐点でした。時がくればわかると思います。 最後にひと言、79年間生きてみて思ったのは「人のためを思って行動すれば、それは自分にかえってくる」ってこと。 それでは、またいつか会いましょう。 みんなに、よろしく。これから先の人生を愉しんでください。 2039年の天国にて ******* 今日のマキさんのブログで紹介されていた「天国からのメッセージ」。自分の氏名と、生年と性別を入れるだけで、自分が何歳でこの世を去るのかが分かる。天国に行ってしまった自分自身から今の自身に届けられるメッセージを読むことで、これからのこの世での残された時間をどう生きるべきかを考える機会とせよということなのだろうか。79歳まであと32年。長いのか短いのかはよく分からない。人生のターニングポイントはいつの間にか過ぎてしまっていた。未来の自分からの教え「人のために…」生きる人生としよう。 (Illustration: "milky way" by Kay)
2007.09.28
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今、高校3年生のKくんは、入学したての頃、こちらから話しかけるとそそくさと逃げていってしまうような男の子だった。中学校はいろいろと事情があってなかなか出席できなかったらしい。人と眼を合わせるのを極端に嫌い、自らを語ることもしなかった。できるのは、聞いたことに対して首を縦や横に振ったりするぐらいのものだった。寮生活をする中で、日誌を毎日書いて寮監室に提出をするようにした。最初は1~2行。「勉強で疲れた」とか「授業が分からなかった」といったコメントばかり。こちらからも赤ペンで返事を書いてあげるようにした。いろんな質問を書いてきた。「将来カウンセラーになるにはどうしたらいいのですか?」とか「今の学力で大学に行けますか」とか、将来を案ずる内容が多かった。3ヶ月すると、少し長い文章を書くようになった。字は小さく、見るからに神経質そうな雰囲気が漂っていた。半年たつと「勉強が少しずつ分かってきた」とか「クラブが楽しくなってきた」というふうにものごとを前向きに捉えるようになってきた。日誌の提出はほぼ一年続いた。表情も柔らかくなり、落ち着いて物事を考えられるようになった。高校2年。能力別クラスでひとつクラスが上がった。英語は大の苦手だったはずだが1年生で英検3級、2年生の終わりまでには準2級に合格した。職員室にもこまめに質問に来てくれたし、時々進路相談もかねて世間話もしたりした。自分で問題集をノートに解答して、添削して欲しいとノートを提出してくれた。1年前では考えられなかったけれど、自分から話しかけることも普通にできて友達もたくさんできた。そして今Kくんは高校3年生。さらにクラスがひとつ上がり、今年は授業でも担当するようになった。大学で心理学を学びたいという夢を持って毎日勉学に励んでいる。寮の方では、4月初めに転校してきた中学生の世話係りを初めて体験し、いろんな面で面倒を見てくれて、良き先輩として尊敬されている。人は変われば変わるものだ。今までとは違った自分に、なろうと思えばなれるものなのだ。変わろうとする意志があれば人は自分を変えられる。気持ちひとつで自分の人生は変わるのだ。「自分は○○だから」そういった固定観念は捨てよう。生まれたばかりの赤ん坊のように、ピュアな気持ちで物事を捉えよう。今の願いは、Kくんが目標どおりの大学・学部に受かってくれること。彼ならやれる。そう信じている。彼に与えたエネルギーを、今彼は別の形で返してくれている。教えた彼に教えられている。弱音を吐いている場合ではない。ひたむきに、ただ前向きに。強烈なプラス思考が必要なのだ。人生、諦めなければ何とでもなるということを、今あらためて自分に言い聞かせよう。 (Photo: Nullabor Sunset, Western Australia 1995)
2007.04.25
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Tomorrow is another day.(明日は明日の風が吹く…明日はまた別の日)…「風とともに去りぬ(Gone with the Wind)」から ***** マーガレット・ミッチェル原作の小説「風とともに去りぬ」は、同名の映画でもヒットした。ヒロインのスカーレット・オハラがラストシーンで、このセリフを言う。「明日は明日の風が吹く」昨日は昨日、今日は今日。明日は、昨日や今日とは違う、また新しい一日がやってくる。もう一度やり直そうという気持ち。行き詰ったらスタートから出直せばいい。辛いことや苦しいことを乗り越えていくためには、そんな考え方も必要なのだろう。過去にはこだわらない。今頑張って新しい未来を創っていくこと。今を生きる私たちに必要なメッセージかも知れない。
2006.12.15
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1991年に10年来の夢であった北米大陸横断自転車旅行を実現し、その3年後の1994年、アラスカ北極圏横断+カナダ横断、1994年から1995年にかけてニュージーランド一周、オーストラリア横断自転車旅行を終えた。今あらためて考える。次の自分の夢はなんだろうか…?いくつかプランはある。1)残されたアフリカ大陸、ヨーロッパ、中南米、アジアを自転車で走破する。2)北米大陸横断5000キロランニング3)日本縦断3000キロランニングの旅3)は長期の休みを利用して(なかなか休めないのだ…)何回かに分けて実行することも可能。1)と2)はやはり仕事を持っていると実現は難しい。定年退職してからそれだけの体力が残っているかどうかはあやしい。やるなら気力・体力が充実した時期であるべきだ。しばらく100キロマラソンも遠ざかっていた。最後に走ったのが4年前。まずこの年末、自主企画で100キロランを走ってみようと思う。2年前だったか、「ピースラン」と称して、青山町(現伊賀市)~伊勢神宮~熱田神宮160キロ走を企画したものの、積雪と寒さと膝の痛みでスタートから伊勢神宮までの60キロで中断してしまった経験がある。以前京都駅から大阪駅までの50キロを走ったことがあったが、これを往復するというのもいいかも知れない。片道コースなら伊賀市~名古屋も大体100キロはあるだろうか。「ピースラン」では、積雪のあとどろどろに解けた雪のおかげで、靴の中が氷水でべたべた状態になって非常に辛い目にあった。できれば乾いた道で走りたいものだが…。こういうのはやはり計画を立てている時が一番楽しい。現実の場面ではほとんどが辛いことばかりなのだけど…。さあ、どんな年末になるだろうか…?(Photo: Honolulu Marathon 1993, Hawaii)
2006.10.23
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今年はピースマークとラスタカラーが流行するらしい。津(三重県の県庁所在地)に出る機会があって、サティのアジアやアフリカの民芸品などを扱うエスニックショップに入ってみた。ピースマークのキーホルダーとペンダントがあったので買って帰ることにした。アメリカで反戦運動が行われていた60~70年代に流行した「ピースマーク」が、今また復活の兆し。街を歩く若者たちのTシャツやアクセサリーなどにこのマークがあしらわれている。一説には平和のシンボル「鳩」の足と言われているが、それはどうやら俗説だそうだ。*「ピースマーク」についてはコチラエチオピアの国旗に使われている緑と黄色・赤の3色がラスタカラーと呼ばれているが、「ラスタファリズム」がラスタの語源だということを知った。こちらもレゲエのふるさとジャマイカの歴史に関わっている。「反戦」「平和」という政治的なイデオロギーを抜きにして、若者たちはファッション感覚でいろんなシンボルをとらえる傾向にあるが、歴史的・政治的な背景もやはり学ぶべきことであろうと個人的には考えている。戦後61年を過ぎた今も世界中で紛争やテロが絶えない。差別や偏見、いじめなどは至る所で起こっている。実に愚かしいことである。本当の意味での平和は、人々が個々の欲望を捨て、ひとつになろうという気持ちが生まれた時に誕生するのだと思う。神様はどうして人間の世界を平和にしてくれないのであろうか。平和とは、人間が自ら苦労して努力して得られるものであるから価値があるのであろうか。*世界平和のために
2006.10.07
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昔々、といっても40年ばかり前のことだが、子供たち(特に男の子)にとってのたまり場となったのは駄菓子屋だった。ゲームセンターもコンビにもまだ存在しなかった頃、たいていおばさんかおばあさんが一人で店をやっていて、20~30円もあれば1~2時間は暇をつぶせたものである。店員と客の間にほとんどコミュニケーションが存在しないコンビニとは違って、駄菓子屋では店のおばさんとのコミュニケーションの中にも、社会的かつ教育的な要素があった。「おばちゃん、10円で~」*注:当時は10円でたこ焼きが5つ買えた。今となっては不思議だが、この駄菓子屋に入るのに、まず先払いをしていたということ。10円分遊んで使い終わったら店のおばさんが知らせてくれるというシステム。駄菓子やとはいえ、そこは単なるお菓子を売る店というだけではなく、エンターテインメントのためのスペース、今で言うところのアミューズメントパークに近い存在だった。とはいえそれは「デジタル」という言葉さえ知らなかった時代。そういえば生まれて初めてデジタル時計を買ってもらったのは中学を卒業したあたりだったか、今でこそ100円ショップでも売っている品物だが、当時としてはアナログ時計よりも何千円も高かったのを覚えている。駄菓子屋というところには神秘的なイメージがいつもあった。そう広くない店の中に、様々なおもちゃやらお菓子やらが詰まっていて、幼い子供にしてみれば宝箱のような、あるいは今の子供にとってはディズニーランドにも相当するような、摩訶不思議な世界だったのだ。銀玉の鉄砲やコマ、メンコ(関西では「べったん」と呼んでいた)、ヨーヨーなど、おもちゃそのものを扱うにもそれなりのテクニックが必要なものも多かった。それゆえに手先の器用な子供もたくさんいたはずだ。子供の遊びが変わり始めたのはいつの頃からだろう?住宅地がどんどん増えて子供たちの遊ぶ場所がなくなり、一方で子供たちは過熱する受験戦争のため塾通いで忙しくなり始め、ひとりゲームで遊ぶ子供が増えて行った。少子化が進む中で、子供たちには自分自身の部屋(名目上は「勉強部屋」)が与えられ、そこにはテレビ、ビデオ、電話が備え付けられているのは当たり前。孤立する子供が目立ち始め、同時に引きこもり現象も加速していった。ニート予備軍もこういった背景から生まれて来たに違いない。下町から駄菓子屋は消え去り、ゲームセンターやコンビニが子供のたまり場となる。「正義の味方(昔のヒーローは、登場する際には必ず自分の名前の前にこの肩書きをつけていたような気がする)」を主人公にした番組やスポ根(スポーツ根性)ものの漫画やテレビドラマが流行していた昭和40年代には、正義と邪悪の間にははっきりとした境界線が引かれていた。多くの子供が正義というものについて、はっきりとした価値基準を持っていたからこそ、ヒーローたちは勧善懲悪のために日夜闘いつづけたのである。悪は滅び、必ず最後には正義が勝つという構図である。勧善懲悪(かんぜんちょうあく)…善きを勧め悪を懲らしめる、今の若者には耳になじみがないかも知れないけれど、なかなか響きのいい言葉ではないか。21世紀に入り、あれからわずか40年余りの間に、この国は変わってしまったのだ。もはや古き良き時代は過ぎ去り、ヒーローも消え失せた。何が正しくて何が間違っているのか、明確な基準すら分からなくなってしまっている。大人にとっても子供にとってもそれは同じなのだろう。我々日本人は、何を心の糧として生きていくべきなのか。未来をよりよきものにしていくためには、過去から学ばなければならないことはいくらでもあるはず。1億3千万人の価値観がどこかで変わらなければ、未来は暗澹(あんたん)とした泥沼の中に消えていくしかない。
2006.10.01
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わが父高繁泰治郎は俳人で「夢の白鳥」という句集を過去に出版している。自分もいつか「僕は気ままな風になる」というタイトルでこれまでの旅(アメリカ本土、アラスカ、カナダ、ニュージーランド、オーストラリア)の記録をエッセイ集としてまとめてみようと考えている。アメリカ横断自転車旅行から既に15年。気がつけばもうそんなに時間がたってしまっていた。学生時代からの夢をひとつかなえて、ひとつだけでは物足りずさらに次へ次へと進んでしまった。飽くなき野望を追い求めるのが男の生き方、そんな考えはきっと今も変わってはいないのだろう。生きていると言う確かな実感は、自分が望む生き方をしている者にのみ得られるものなのだ。旅をすることで成長を遂げてきた。旅人はやはり旅の途上にいて初めて旅人たりうる。道祖神の声がどこかから聞こえる。そして例によっていつもの風が吹き始める。*「夢の白鳥」については→こちら
2006.04.08
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