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<「兵隊の来よる」二人はゆっくりと後ずさり、あだんの茂みに隠れた。・・・・・・息をこらして数メートル先を通っていく、日本兵の姿を見つめた。スパイ容疑で隣部落の警防団長や小学校の校長が日本兵に切り殺されたという話しは、ウタたちの洞窟(がま)にも伝わっていた。・・・・・・・・・><月明かりの下、砂を飛ばし、一頭の海亀は穴を掘っていた。沖には数百隻のアメリカの軍艦が浮かび、連日島に砲撃を加えていた。そういう海を泳ぎ、産卵のために島に上がってきたその海亀が、何かこの世のものではないような気がした。ウタは戦争が始まる前の村に戻ったような不思議な感覚で、砂に体を埋めた黒い塊を見つめ、浜ヒルガオの葉に落ちる砂の音を聞いた。それから一時間近く、ウタとオミトは腹ばいになった身体を重ねるようにして、あだんの茂みに隠れていた・・・・・・ウタは洞窟(がま)に戻ろう、とオミトを促した。オミトは浜を見つめたまま何かを考えているようだったが、振り向いて「卵を採って来る」というとあだんの茂みに飛びだした・・・・・・・「え、戻れ」ウタは小声で呼んだが、オミトはきかなかった。・・・・・・・・オミトの姿をやきもきしながら見ていると、突然、火の中の竹が弾けるような乾いた音が響き、オミトの体が横倒しになった・・・・・ウタは清栄の名を呼び、御嶽(うたき)の神に祈った。銃声の長い残響が消え、波と葉ずれの音が戻ってくる。・・・・・・><両親がいなくなったのも知らずに洞窟の中で眠っていた幸太郎は、まだ一歳にもなっていなかった。・・・・・><「又ん魂(まぶい)落としておる如く有るむんな」人騒がせな、と思いながらフミにいうと、うつむいて小さく首を横に振る。いったい何やが、と声をあげそうになった時、ふと幸太郎の鼻から何か黒いものが突き出ているのに気づいた。最初は鼻毛かと思っていたら、急に引っ込んで、今度は唇の間から三センチほどはみ出し、頬や顎のあたりをちょんちょんと探るように動いている。驚いて見ていると今度は唇の間からマッチの頭のような目が突き出し、歯が剥き出しになった。紫がかった灰色の爪が口をこじ開け、姿を現したのは大人のこぶしくらいもありそうな大きなアーマン(オカヤドカリ)だった。・・・・>オミトと、その子供だった幸太郎の運命の糸は・・・・・神女(ユタ)のウタにとって、幸太郎への「魂込め(まぶいぐみ)」の結末は・・・アーマンとの闘いは・・・浜の幸太郎の魂(まぶい)へ、ウタは「魂込め」を続ける・・・一方、魂の抜け殻の幸太郎の体にはアーマンが住みつき、はたして、ウタの「魂込め」祈祷はいかなる結末になるのやら・・・主人公たちの目を通して、沖縄戦と、海亀と、アーマンが、目取真俊の時にはリアルでゾッとするほど繊細でありながら、あくまでも深い優しさで物語の糸を紡いで行く・・・あたかも、大城立裕の「亀甲墓」を連想させるような、悲惨を浄化した優しさのタッチで、物語を紡ぐ・・・大城立裕「亀甲墓」を読む///////////////////////////////////////////////////////////////////Banbooさんの”島生活日記”を貼り付けます□□■■□□■■□□■■□□■■□□■■□□■■□□■■□□■■□■□■□□■■□■□■■☆■Bambooの島生活始めました 改め ママBambooの島生活日記■☆■___________________________________________作 bamboo_________■ 「こんにちは。東京出身のbambooです。結婚して石垣島生活を始めました。 夫は島人(しまんちゅ)です。沖縄にはまって約8年、旅人だった私がまさ か南の島で暮らすことになるとは…(;´▽`lllA`` 今週から日常で感じた「たあいもない」ことを、私の視点で浅く広く大げさ につづってみたいと思いま~す。よろしくお願いします。======================================================================== ママBambooの島生活日記 第3話『生命の神秘 in 沖縄 ~前編~』 毎度忘れたころに登場させていただきます。 今日は胎盤(たいばん)のお話をします。 胎盤は1個の受精卵から約10ヶ月で60~70兆個まで細胞を増殖させ、胎児を形成する臓器です。 胎児の成長に必要なすべての栄養分が胎盤で作られています。 「生命を育む臓器」・・・なんとも神秘的ではありませんか。 医学的にも未知の部分が多いと言われています。 その胎盤ですが、出産後どうなるかご存知ですか? 妊娠しなければそんなことは考えもしなかったのですが・・・。 病院で助産師さんとの面接の時に 「胎盤はどうされますか?」と聞かれました。 おそらく東京の病院だったらこんな質問すらないと思います。 助産師 「胎盤はどうされますか?」 私 「どうするって・・・??」 助産師 「持ち帰りますか?」 私 「え? 持ち帰ってどうするんですか?」 助産師 「普通は業者さんに処分してもらうんですが、沖縄じゃ持ち帰って埋めたりする家庭がまだあるようですよ」 私「とりあえず家族に相談してみます」 持ち帰り、という発想にもビックリしたけど、業者さんが処分、というのにも微妙にビックリでした。 「そうか、胎盤って普通はゴミとして捨てられちゃうのか・・・」 さっそく帰ってから旦那に相談してみたのですが、ピンとこないようでした。 なのでお義母さんに聞いてみました。 「それは持って帰って大切にうめた方がいいよ~、1つの生命をを育ててくれたんだから」 即答でした。 それから数人にリサーチしてみました。 Q.胎盤持ち帰りましたか? >近所のおばあの場合< 「そうそう、昔はね、赤ちゃん産まれたら胎盤を庭に埋めて、子供たちを集めて そのまわりでオニギリ食べたりして、みんなで笑って賑やかに祝ったもんだよ、そんなことがよくあったさー」 >3人の子持ちの島出身の知人の場合<(30代) 「持って帰ったよ~。よく覚えてないけど、誰かのうちの新築祝いかなんかで埋められたはず」 え? 他人の家にうめたの? これは稀なケースだと思うけど、聞けば聞くほどビックリ。 ・・・考えてみれば、胎盤って命と命をつなぐ臓器なんだ。 それは子供から親、親からその親、またその親・・・気の遠くなるほど長い長い命のリレー・・・。 その命のつながりに感謝して胎盤を土に返す・・・沖縄の人たちは自然にそういうことをしてきたんだ・・・。 なんかちょっと感動してしまった私は、産後持ち帰って畑に埋めることにしました。 次回、感動の結末に続く。
2005年05月10日
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