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賢治ファンのヨミちゃんと、農業大学志望のコータくんが、賢治とリヤカーの謎を探ります。賢治が使った1927年ころは珍しかったリヤカーですが、賢治の死の数年後、1940年の岩手県の農業用リヤカーは3万台を超え、爆発的に普及します。詳しくは、私の以前のブログをご覧ください。https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202101060000/#宮沢賢治 #リヤカー #リアカー #同心町の夜あけがた #マンガ #コミPo
2021.11.06
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賢治ファンのヨミちゃんと、農業大学志望のコータくんが、賢治とリヤカーの謎を探ります。1927(昭和2)年、宮沢賢治は、リヤカーで野菜を売りに行く途中に、農家に嫉妬の目で見られたという詩「同心町の夜あけがた」を書きました。当時のリヤカーはベンツのようなものだ、という人もいますが、ベンツはおおげさなようです。リヤカーは1920(大正9)年ごろ発明されました。値段が高いことよりも、新しく、珍しいために、農家にジロジロ見られたのかもしれません。詳細は私の以前の記事をご覧ください。https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202101120000/#宮沢賢治 #リヤカー #リアカー #マンガ #コミPo #同心町の夜あけがた
2021.11.03
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宮沢賢治は1927(昭和2)年にリヤカーで野菜を売りに行く姿を、農民から嫉妬される詩を書きました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202101030000/ リヤカーは、1921年ごろに登場したもので、当時はまだまだ珍しく高価なものでした。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202101040000/ 価格そのものは、裕福な農家なら買えない値段ではありませんでしたが、新しすぎたのかもしれません。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202101070000/ ただ、賢治が嫉妬と思った視線は、むしろ羨望だったかもしれません。 詩から8年後、賢治の死の2年後の、昭和10年には、リヤカーの価格は半分となりました。 すると、昭和15年には、岩手県の農業用リヤカーは3万台を超えるほど普及しました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202101060000/ 賢治のリヤカーは、10年早かったのかもしれません。 #宮沢賢治 #リヤカー #リアカー
2021.01.12
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宮沢賢治が1927(昭和2)年にリヤカーを農作業に使って、嫉妬された問題を調べています。 井上ひさし氏は、著書「宮沢賢治に聞く」で花巻には当時は20台程度しかリヤカーがなかったと書いています。 価格が高いのは確かですが、裕福な商家や農家なら買えない値段ではありません。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202101100000/ 価格の問題よりも、まだまだ新しすぎたのかもしれません。 下記は楽天アフィリエイトです。 【中古】 宮沢賢治に聞く 文春文庫/井上ひさし(著者) 【中古】afb価格:200円(税込、送料別) (2021/1/11時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #リヤカー #リアカー
2021.01.11
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宮沢賢治が新奇で高価なリヤカーを農作業に使い、嫉妬された問題を調べています。 岩手県の農家の一戸あたり産出額(ほぼ売上額)とリヤカーの値段を比較しました。 1930(昭和5)年(リヤカーの詩の3年後) 一戸あたり年間産出額 約405円 25円のリヤカーは、 一戸あたり産出額の約23日分 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202101080000/ 2015(平成27)年 一戸あたり年間産出額 約378万円 15万4千円のリヤカーは、 一戸あたり産出額の約15日分 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202101050000/ やはり、当時のリヤカーは、現代より高価なものだったと考えられます。 ただし、現代より何十倍も高価というわけではなかったようです。一部の評論家等は、「当時のリヤカーは、現代のベンツ」といっていますが、それはオーバーな表現だと思います。 なお、留意していただきたいことがあります。 当時と現在の統計では、産出額や農家数の定義、また、リヤカーの送料も異なります。さらに当時は農家間の貧富の差も大きく、平均産出額が農家一般の実態をあらわしていない可能性もあります。また、農家一戸あたりの家族数も当時のほうが多く、多くの労力をかけています。 #宮沢賢治 #リヤカー #リアカー 下記は楽天アフィリエイトのリンクです。 【運搬作業用品-リヤカー】ハラックス スチールリヤカー 3号NG SSR-3NG ノーパンクタイヤ(合板パネル付) <大型・重量商品>価格:154500円(税込、送料無料) (2021/1/10時点)楽天で購入
2021.01.10
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宮沢賢治研究家の鈴木守氏が、ブログで、リヤカーを引く賢治風の人物の写真について、考察されています。 https://blog.goo.ne.jp/suzukishuhoku/e/f6daf57924815f25b2b2edd0ad110f26 賢治の死後、賢治のコスプレ?の小道具としてリヤカーが使われるほど、賢治とリヤカーが結び付いて考えられていると思うと感慨深いものがあります。 #宮沢賢治 #リヤカー #リアカー
2021.01.09
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岩手県勢要覧 昭和6年版 から引用 1930(昭和5)年の岩手県の 農産物生産額 3823万8748円 職業別戸数 農業 94475戸 これから計算すると 一戸あたり年間生産額 約405円 25円のリヤカーは、 一戸あたり生産額の約23日分 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3460251 #宮沢賢治 #リヤカー #リアカー
2021.01.08
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1927(昭和2)年に農産物の出荷にリヤカーを使って、宮沢賢治が嫉妬された問題を調べています。 当時のリヤカーの価格の資料がありました。下記論文によると、1930(昭和5)年のチラシでは並クラスで1台25円です。また同論文の1935(昭和10)年のチラシでは、1台12円60銭とあり、5年間で大幅に値下がりしたようです。賢治の死後、リヤカーが急速に普及した原因のひとつと思われます。 論文「国産リヤカーの出現前後」 産業考古学会評議員 梶原利夫 氏 一般財団法人 自転車産業振興協会 技術研究所ホームページから検索できます。 http://www.jbtc.or.jp/tech.php 1930(昭和5)年のリヤカーのチラシ 1935(昭和10)年のリヤカーのチラシ #宮沢賢治 #リヤカー #リアカー
2021.01.07
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1927(昭和2)年ごろ宮沢賢治が農産物の運搬に使って嫉妬されたというリヤカー。 それから13年後、賢治の死から7年後の1940(昭和15)年には、岩手県の農業用リヤカーは3万台を超えていました。 「昔、変わった先生がリヤカーを使っていて、不思議に思ったが、使ってみたら、こんなに便利なものはない」などと思っていた農家もいたかもしれません。またしても賢治は10年早すぎたのかもしれません。 急に農家にリヤカーが普及した背景を考えてみます。 この資料のまえがきには、「農業用生産諸資材は同時に各種軍需用資材に転用し得る性質を有する」とあります。列強にくらべてトラックの生産量の少ない日本にとって、人力で兵器や弾薬を運べるリヤカーは、期待の新兵器でした。しかし、軍用リヤカーを大量に準備する余裕もありませんでした。そこで、農家にリヤカーを普及して、いざというとき徴発して軍で使おうという考えがあったと思われます。 国立国会図書館のサイトより 農業用生産資材需要量調査第1報(1942(昭和17)年発行)帝国農会 編 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1124672 #宮沢賢治 #リアカー #リヤカー
2021.01.06
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宮沢賢治が、当時としては高価なリヤカーを農作業に使っていたため、周辺農家から嫉妬され、活動に支障があったのではないか、という問題を調べています。 まずは、現代のリヤカーはいくらするのか、楽天アフィリエイトで検索してみました。 アルミ製の積載重量100kgぐらいの小型の3万円ぐらいのものが、現代ではよく売れているようです。重いものはトラックで運ぶので、小さいものでよいのでしょう。 しかし、賢治が使ったのはスチール製のがっちりした下記のような積載重量300kgぐらいの大きめのリヤカーと思われます。価格は15万4千円くらいです。 【4日23:59まで ポイント3倍】スチール製 リヤカー 合板パネル付 235*124(cm) 仙台銘板 SSR-4NG価格:153912円(税込、送料無料) (2021/1/4時点)楽天で購入 現代の平成27年度の岩手県の農家1戸あたり農業所得は129万4千円です。 「岩手県農業の指標」より http://www3.pref.iwate.jp/webdb/view/outside/s14Tokei/top.html 15万4千円のリヤカーは、現代の岩手県の農家所得43日分の計算となります。 また、岩手県の農業産出額(おおむね売上)と農業従事者数、そこから算出したリヤカーとの対比は次のとおりです。 県農業産出額 2494億円 農業従事者数 70357人 一人あたり産出額 約354万5千円 リヤカーは産出額16日分 また、総農家数で比較すると 総農家数 66099戸 一戸あたり産出額 約378万円 リヤカーは産出額15日分
2021.01.05
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Wikipediaのリヤカーに関する記述です。 1921(大正10)年ころ、静岡県の望月虎一氏が発明したとのことです。 宮沢賢治が農学校教師になったころに発明されたことになります。羅須地人協会時代の賢治がリヤカーで市場に野菜を売りに行く詩を書いたのは、1927(昭和2)年ですから、発明されてからまだおよそ6年後です。確かにまだ珍しかっただろうと思います。 リヤカーが出てくる賢治の詩はこちら https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202101030000/ 現在の2021年からみて、最近できた目立つ機械等を考えてみます。燃料電池自動車トヨタ「ミライ」が発売されたのが7年前の2014年です。また、準天頂衛星「みちびき」を活用したトラクターの高精度ナビゲーションシステムは2010年ころの運用開始でした。 賢治の当時の農家には、リヤカーが「ミライ」や「みちびき」のように、新しく、高価な、嫉妬を誘うもののように見えたのかもしれません。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%BC #宮沢賢治 #リヤカー #リアカー #羅須地人協会
2021.01.04
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当時、高価だったリヤカーを宮沢賢治が農産物運搬に使っていたために、周辺農家から嫉妬されて、賢治の農村所得向上活動に支障があったという説があります。 この詩では、作者を反映した主人公が、雪菜とヒアシンスをリヤカー(文中ではレアカー)に積んで売りに行きます。その途中で会った、程吉という馬を連れた人物から嫉妬の視線らしきものを向けられます。 現代ですと、リヤカーより馬のほうが高価で、なかなか想像しにくいですが、当時の価格などもこの後調べたいと思います。 #宮沢賢治 #同心町の夜あけがた #羅須地人協会 #雪菜 #ヒアシンス (本文開始) 一九二七、四、二一 同心町の夜あけがた 一列の淡い電燈 春めいた浅葱いろしたもやのなかから ぼんやりけぶる東のそらの 海泡石のこっちの方を 馬をひいてわたくしにならび 町をさしてあるきながら 程吉はまた横眼でみる わたくしのレアカーのなかの 青い雪菜が原因ならば それは一種の嫉視であるが 乾いて軽く明日は消える 切りとってきた六本の ヒアシンスの穂が原因ならば それもなかばは嫉視であって わたくしはそれを作らなければそれで済む どんな奇怪な考が わたくしにあるかをはかりかねて さういふふうに見るならば それは懼れて見るといふ わたくしはもっと明らかに物を云ひ あたり前にしばらく行動すれば 間もなくそれは消えるであらう われわれ学校を出て来たもの われわれ町に育ったもの われわれ月給をとったことのあるもの それ全体への疑ひや 漠然とした反感ならば 容易にこれは抜き得ない 向ふの坂の下り口で 犬が三疋じゃれてゐる 子供が一人ぽろっと出る あすこまで行けば あのこどもが わたくしのヒアシンスの花を 呉れ呉れといって叫ぶのは いつもの朝の恒例である 見給へ新らしい伯林青を じぶんでこてこて塗りあげて 置きすてられたその屋台店の主人は あの胡桃の木の枝をひろげる 裏の小さな石屋根の下で これからねむるのでないか (本文終了)
2021.01.03
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このところ、宮沢賢治の白菜の普及活動が挫折したことについて考えてきました。残念ながら、白菜は10年早かったようです。 次に、早すぎた、と言われているものとして、農作業へのリヤカーの導入について考えてみます。 下記の論文でも、「賢治が「レアカー」を礫いても,そのリアカー自体が当時としては高級なもので妬みの対象であったとも言われている。」と書かれています。(11ページ、下から3行目 「レアカー」はリヤカーの賢治の表現、「リアカー」は山本氏の表現です。) 農産物にしろ、肥料にしろ、手で持ったり、天秤棒でかつぐより、明らかに便利で楽で能率の高いリヤカーが、なぜそんなに妬まれたのか。なぜ賢治の活動の障害となったのか。リヤカーどころか、軽トラが農村を走り回る現代からみると、なかなか理解が難しいところです。 また、それでは一般の農家には、昭和何年ころから、リヤカーは普及したのでしょうか。何年、賢治の取り組みは早すぎたのでしょうか。 そうしたことを検討していきたいと思います。 (論文)教室の風景―賢治と学校(山本昭彦氏) 下記リンクを開き、青いバナーをクリックすると、PDF形式でダウンロードできます。 https://scholar.google.co.jp/scholar?hl=ja&as_sdt=0%2C5&q=%E5%AE%AE%E6%B2%A2%E8%B3%A2%E6%B2%BB+%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%BC&oq=#d=gs_qabs&u=%23p%3D64HS7lYXfTIJ #宮沢賢治 #羅須地人協会 #リアカー
2021.01.02
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