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干ばつと宮沢賢治といえば、この詩を忘れることはできません。 晩年の1931年11月に書かれ、没後の1934年に発見されました。 この詩では、ヒデリは「ヒドリ」と書かれており、誤記とみられます。 (本文開始) 雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ 東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ朿ヲ 負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ 北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ ヒドリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ 南無無辺行菩薩 南無上行菩薩 南無多宝如来 南無妙法蓮華経 南無釈迦牟尼仏 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩 (本文終了) 宮沢賢治全詩集【電子書籍】[ 宮沢賢治 ]価格:100円 (2021/6/23時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #干ばつ #ヒデリ #雨ニモマケズ
2021.06.23
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青空文庫 「或る農学生の日誌」 https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/45471_36075.html これまで、「或る農学生の日誌」の干ばつに関する表現を調べてきました。 1925(大正14)年4月から始まるこの作品では、1924(大正13)年から1926(大正15)年までの3年間続いた干ばつの被害が描かれていました。 1925年4月の日誌という形で、干ばつの被害のため学校をやめる生徒が描かれました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202106160000/ また、学校で習った測量技術を生かして収量を向上し、干ばつの被害額を取り戻す豊作をめざす、生徒が描かれました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202106170000/ 1925年5月の日誌の形式で、干ばつの被害のため修学旅行参加が危ぶまれた生徒が描かれました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202106180000/ 1926年3月の日誌の形式で、塩水選で浮く籾から、前年の干ばつの深刻さが描写されました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202106190000/ 1926年6月の日誌の形式で、深刻な水争いが描かれました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202106200000/ 創作ですから、もちろん事実そのままではありません。しかし、農学校教師の経験が生かされ、被害の様子がまるで目の前の現実のように迫ってきます。 宮沢賢治全集10冊セット [ 宮沢賢治 ]価格:11660円(税込、送料無料) (2021/6/22時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #或る農学生の日誌 #干ばつ #ヒデリ #宮沢賢治 #或る農学生の日誌 #干ばつ #ヒデリ
2021.06.22
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青空文庫 「或る農学生の日誌」 https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/45471_36075.html 前回、主人公が農業用水の番をしていると、水を勝手に使う人物が現れました。 当然、主人公と口論になります。 「何をするんだと云ったら、なんだ、農学校終わったって自分だけいいことをするなと云うのだ。ぼくもむっとした。何だ、農学校なぞ終っても終らなくてもいまはぼくのとこの番にあたって水を引いているのだ。それを盗んで行くとは何だ。と云ったら、学校へ入ったんでしゃべれるようになったもんな、と云う。ぼくはもう大きな石をたたきつけてやろうとさえ思った。」 小学卒が当たり前の当時の農村で、高等小学校を卒業し、農学校に入る人はごく一部でした。花巻女学校の女学生からは「桑っこ大学」と揶揄された花巻農学校ですが、農村では羨望の的でした。現在の中学3年から高校2年生にあたる三年制の学校でした。 「 けれども権十はそのまま行ってしまったから、ぼくは水をうちの方へ向け直した。やっぱり権十はぼくを子供だと思ってぼくだけ居たものだからあんなことをしたのだ。いまにみろ、ぼくは卑怯なやつらはみんな片っぱしから叩きつけてやるから。」 卑怯なやつらを叩きつける、という表現は、この時期の作品によく登場します。このころ賢治には、社会の悪に対する怒りがあったのかもしれません。 宮沢賢治全集10冊セット [ 宮沢賢治 ]価格:11660円(税込、送料無料) (2021/6/21時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #或る農学生の日誌 #干ばつ #ヒデリ
2021.06.21
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青空文庫 「或る農学生の日誌」 https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/45471_36075.html 1926年6月14日の日誌です。 創作ですから、事実そのままではありません。しかし、干ばつによる水争いは実際に起きています。賢治はそうした話を生徒や村人から聞いていたのでしょう。 当時は6月10日が田植えの盛期でした。 「一千九百二十六年六月十四日 今日はやっと正午から七時まで番水があたったので樋番をした。何せ去年からの巨きなひびもあるとみえて水はなかなかたまらなかった。」 番水とは、地域の農家が決められた順番で用水をかけることです。樋番は、用水を勝手にかける者がいないよう、用水を見張ることです。 「水が来なくなって下田の代掻ができなくなってから今日で恰度十二日雨が降らない。いったいそらがどう変わったのだろう。あんな旱魃の二年続つづいた記録が無ないと測候所が云ったのにこれで三年続くわけでないか。大堰の水もまるで四寸ぐらいしかない。夕方になってやっといままでの分へ一わたり水がかかった。」 田植え盛期を4日もすぎて、まだ代かきもできないとは、たいへんな干ばつ被害です。 主人公は、3月に測候所の発表を信じて、今年は干ばつはないと書いていました。しかし、残念ながら予測は外れてしまいました。 「三時ごろ水がさっぱり来なくなったからどうしたのかと思って大堰の下の岐わかれまで行ってみたら権十がこっちをとめてじぶんの方へ向けていた。ぼくはまるで権十が甘藍の夜盗虫みたいな気がした。」 次回は番水のルールを破った権十と主人公の口論です。 宮沢賢治全集10冊セット [ 宮沢賢治 ]価格:11660円(税込、送料無料) (2021/6/20時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #或る農学生の日誌 #干ばつ #ヒデリ
2021.06.20
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青空文庫 「或る農学生の日誌」 https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/45471_36075.html 1926年3月の日誌です。 創作ですから、事実そのままではありません。 それでも、農学校で習った塩水選などの技術で、昨年の干ばつの被害額を取り戻すような豊作をめざす生徒のようすが、まるで事実のように生き生きと描かれています。賢治の教師の経験が生きた表現です。 「一千九百二十六年三月廿〔一字分空白〕日、 塩水撰をやった。うちのが済んでから楢戸のもやった。 本にある通りの比重でやったら亀の尾は半分も残らなかった。去年の旱害はいちばんよかった所でもこんな工合だったのだ。けれども陸羽一三二号のほうは三割わりぐらいしか浮く分がなかった。それでも塩水選をかけたので恰度六斗とあったから本田の一町一反分には充分だろう。とにかく僕ぼくは今日半日で大丈夫五十円の仕事はした訳わけだ。 なぜならいままでは塩水選をしないでやっと反当あたり二石そこそこしかとっていなかったのを今度はあちこちの農事試験場の発表のように一割の二斗ずつの増収としても一町一反では二石二斗になるのだ。」 また、同じ日には、気象を予測して、自分の家だけでなく、地域全体を明るくしたいという部分もあります。 「今年こそきっといいのだ。あんなひどい旱魃が二年続つづいたことさえいままでの気象の統計にはなかったというくらいだもの、どんな偶然が集まったって今年まで続くなんてことはないはずだ。気候さえあたり前だったら今年は僕はきっといままでの旱魃の損害を恢復してみせる。そして来年からはもううちの経済も楽にするし長根ぜんたいまできっと生々した愉快なものにしてみせる。」 しかし、気象災害は、人間の想定を超えてくるところに恐ろしさがあります。 次回は、三年続きの干ばつが主人公を襲います。 宮沢賢治全集10冊セット [ 宮沢賢治 ]価格:11660円(税込、送料無料) (2021/6/19時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #或る農学生の日誌 #干ばつ #ヒデリ
2021.06.19
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青空文庫 「或る農学生の日誌」 https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/45471_36075.html 1925年5月28日の日誌です。創作ですから、事実そのままではありません。 しかし、干ばつのために修学旅行にいけなかった生徒は、実際にいたのでしょう。 例えば、1925(大正14)年の第4回卒業生は34名で、この学年の修学旅行参加者は26名でした。 賢治先生の北海道修学旅行2 欠席した生徒たち https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102170000/ 「夕方父が帰って炉ばたに居たからぼくは思い切って父にもう一度ど学校の事情を云った。 すると父が母もまだ伊勢詣まいりさえしないのだし祖母だって伊勢詣り一ぺんとここらの観音巡り一ぺんしただけこの十何年死ぬまでに善光寺へお詣りしたいとそればかり云っているのだ、ことに去年からのここら全体の旱魃でいま外へ遊んで歩くなんてことはとなりやみんなへ悪くてどうもいけないということを云った。 僕はいくら下を向いていても炉のなかへ涙がこぼれて仕方なかった。」 なお、作中では、この主人公は、修学旅行に行けることになりました。 宮沢賢治全集10冊セット [ 宮沢賢治 ]価格:11660円(税込、送料無料) (2021/6/18時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #或る農学生の日誌 #干ばつ #ヒデリ
2021.06.18
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青空文庫 「或る農学生の日誌」 https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/45471_36075.html 1925年4月7日の日誌です。主人公は、田畑の測量を学校で習いました。学校で習った知識を使って、去年の干ばつの被害額を取り戻す豊作にしようと、燃えています。 「うちの田をみんな一枚まいずつ測って帳面に綴じておく。そして肥料だのすっかり考えてやる。きっと今年は去年の旱魃の埋め合せと、それから僕の授業料ぐらいを穫ってみせる。」 創作ですから、事実そのままではありません。しかし、こうした意欲ある生徒を前に、賢治先生はいきいきと授業をしていたのでしょう。 宮沢賢治全集10冊セット [ 宮沢賢治 ]価格:11660円(税込、送料無料) (2021/6/16時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #或る農学生の日誌 #干ばつ #ヒデリ
2021.06.17
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当ブログの「賢治先生の北海道修学旅行」でも紹介した「或る農学生の日誌」です。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102170000/ 青空文庫 「或る農学生の日誌」 https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/45471_36075.html 創作であり事実を書き記したものではありません。しかし、作者である賢治が干ばつをどのようにとらえていたのか考えるきっかけになると思います。 1925年4月4日の日誌です。新学期早々学校に来なくなった友人について書かれています。実際に干ばつで学校をやめた生徒をモデルにしたのかもしれません。 「高橋君は家で稼いでいてあとは学校へは行かないと云ったそうだ。高橋君のところは去年の旱魃がいちばんひどかったそうだから今年はずいぶん難儀するだろう。」 この作品には、まだ数か所干ばつに関する表現があります。次回以降、ご紹介します。 宮沢賢治全集10冊セット [ 宮沢賢治 ]価格:11660円(税込、送料無料) (2021/6/15時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #或る農学生の日誌 #ヒデリ #干ばつ
2021.06.16
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「グスコーブドリの伝記」は、1932(昭和7)年に雑誌「児童文学」に発表されました。 冷害のために家族離散の悲劇に見舞われた主人公が、冷害を防ぐために英雄的な最期をとげる物語といえます。 一方、この物語では干ばつの被害も描かれています。 この物語は、1922(大正11)年ころから「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」として書き始められ、およそ10年後に完成しました。この10年間は、岩手県ではいろいろな災害がありましたが、干ばつも多く発生しており、その影響があるものと考えられます。 青空文庫 グスコーブドリの伝記 https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1924_14254.html 森から出たブドリを雇ってくれた農家の主人が、こう言っています。 「たびたびの寒さと旱魃のために、いまでは沼ばたけも昔の三分の一になってしまった」 いったんは積極的な施肥で増収に成功しますが、干ばつで被害を受けてしまいました。 「植え付けのころからさっぱり雨が降らなかったために、水路はかわいてしまい、沼にはひびが入って、秋のとりいれはやっと冬じゅう食べるくらいでした。来年こそと思っていましたが、次の年もまた同じようなひでりでした。」 イーハトーヴ市に向かう汽車で、ブドリはこう思います。 「働きながら勉強して、みんながあんなにつらい思いをしないで沼ばたけを作れるよう、また火山の灰だのひでりだの寒さだのを除くくふうをしたい」 クーボー大博士のもとで勉強しブドリは火山局に就職します。 人工降雨技術について、ブドリの職場の上司のペンネン技師が「旱魃だってちっともこわくなくなるからな。」と言っています。 火山局がポスターで「旱魃の際には、とにかく作物の枯れないぐらいの雨は降らせることができますから、いままで水が来なくなって作付しなかった沼ばたけも、ことしは心配せずに植え付けてください。」と農家に呼び掛けています。 干ばつの心配のない未来を、賢治は考えていたのでしょう。 宮沢賢治全集10冊セット [ 宮沢賢治 ]価格:11660円(税込、送料無料) (2021/6/14時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #干ばつ #ヒデリ #グスコーブドリの伝記
2021.06.15
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賢治の亡くなるまでの10年間の6月の雨量を調べました。 気象庁 過去の気象データダウンロード https://www.data.jma.go.jp/gmd/risk/obsdl/index.php 花巻のデータがありませんので、盛岡のデータです。 盛岡の6月降水量の平年値は、109.4mmです。 10年間で平年値をうわまわった年は、1928,1931,1933年の3年のみです。 1925年の干ばつを見過ごしたとみられるだけに、賢治は毎年ひやひやしたことでしょう。 1924年 59.9mm 1925年 61.8 1926年 46.0 1927年 63.2 1928年 118.3 1929年 75.6 1930年 84.7 1931年 137.9 1932年 51.6 1933年 167.3 #宮沢賢治 #干ばつ #ヒデリ
2021.06.14
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1925(大正14)年は、岩手県紫波郡を中心に干ばつで大きな被害がありました。宮沢賢治研究家の鈴木守氏が新聞記事を中心に当時の被害をまとめています。鈴木氏のブログをご覧ください。 https://blog.goo.ne.jp/suzukishuhoku/e/6f4c4dd638d877736b5efb8debbdff49 東北地方では「日照りに不作無し」ということわざがあります。冷害に比べて干ばつに対する危機感が薄い傾向があります。賢治も1925年の干ばつでは、有効な対策が取れなかったようです。その後悔が1926年以降の作品に影響を与えているようです。 この作品は1927年4月の作品です。一昨年、すなわち1925年と推定される年に開墾して農地を増やした「きみ」が主人公です。「きみ」の努力を高く歌い上げたのち、「そしてその夏あの恐ろしい旱魃が来た」でドスンと落とす怖い詩です。 「去年の春」が間にあることから、1926年の干ばつを描いているとも思われます。 (本文開始) 一〇二二 〔一昨年四月来たときは〕 一九二七、四、一、 一昨年四月来たときは、 きみは重たい唐鍬をふるひ、 蕗の根をとったり 薹を截ったり 朝日に翔ける雪融の風や そらはいっぱいの鳥の声で 一万のまた千億の 新におこした塊りには いちいち黒い影を添へ 杉の林のなかからは 房毛まっ白な聖重挽馬が こっそりはたけに下り立って ふさふさ蹄の毛もひかってゐた 去年の春にでかけたときは きみたちは川岸に居て 生温い南の風が きみのかつぎをひるがへし またあの人の頬を吹き 紺紙の雲には日が熟し 川が鉛と銀とをながし 楊の花芽崩れるなかに きみは次々畦を堀り 人は尊い供物のやうに 牛糞を捧げて来れば 風は下流から吹いて吹いて キャベヂの苗はわづかに萎れ 風は白い砂を吹いて吹いて もういくつもの小さな砂丘を 畑のなかにつくってゐた そしてその夏あの恐ろしい旱魃が来た (本文終了) #宮沢賢治 #干ばつ #ヒデリ
2021.06.13
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宮沢賢治が干ばつの恐れにうなされる詩をご紹介しました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202106090000/ 賢治といえば冷害と関連づけられることが多いですが、雨ニモマケズにもあるように、干ばつも賢治を困らせました。 「客を停める」は、1932(昭和7)年11月に雑誌「女性岩手」に掲載されました。 冬の天気の急変しやすい日に、軽装で出かけようとする友人に出発を伸ばすよう説得しています。友人は教育関係者か演劇関係者でしょうか、児童向けの劇か、何らかの芸術を披露する予定のようです。 「たゞあすこらは続いたひでりのあとなので/学童(こども)がみんな暗くてね/王女や花ではだめらしい」とあり、干ばつの被害のため、目的地の農村の児童が暗い気持ちになっているようです。農業用水の未整備な当時は高地の農村では、干ばつの被害が大きかったと思われます。当時は人身売買が横行しており、農業収入の減少が、直ちに児童の未来を左右しました。 この干ばつは、1932(昭和7)年夏のもののように思われます。 しかし、下記のように、実は1924(大正13)年の日付けの草稿も残されており、もともとは、1924年夏の干ばつのことだった可能性もあります。 (本文開始) 客を停める 宮澤賢治 その洋傘(かさ)だけでどうかなあ 虹の背後(うしろ)が青く暗くて怪(おか)しいし そのまた下があんなまつ赤な山と谷 ……こんもりと松のこもつた岩の鐘…… 日にだまされてでかけて行くと 上着もなにも凍つてしまふ ……建物中のガラスの窓が みんないちどにがたがた鳴つて 林はまるで津波のやう…… ああもう向ふで降つてゐる へんにはげしく光つてゐる どうも雨ではないらしい ……もうそこらへもやつてくる まつ赤な山もだんだんかくれ 木の葉はみんな鼠になつて ぐらぐら東へ流亡(なが)される…… それに上には副虹だ あの副虹のでるときが いちばん咽喉にわるいんだ ……ロンドンパープルやパリスグリン あらゆる毒剤のにほひを盛つて 青い弧(アーク)を虚空(そら)いつぱいに張り亘す…… 向ふの宿(やど)はだいじやうぶ たゞあすこらは続いたひでりのあとなので 学童(こども)がみんな暗くてね 王女や花ではだめらしい まあ掛けたまへ ぢきにきれいな天気になるし なにか仕度もさがすから ……たれも行かないひるまの野原 天気の猫の目のなかを 防水服や白い木綿の手袋は まづロビンソンクルーソー…… ちよつとかはつた葉巻を巻いた フエアスモークといふもんさ それもいつしよにもつてくる (本文終了) (本文開始) 三〇五 〔その洋傘(かさ)だけでどうかなあ〕 一九二四、一一、一〇、 その洋傘(かさ)だけでどうかなあ 虹の背后(うしろ)が青く暗くて怪(おか)しいし そのまた下があんなまっ赤な山と谷 ……こんもりと松の籠(こも)った岩の鐘…… 日にだまされてでかけて行くと シャツの底まで凍ってしまふ ……建物中の玻璃(ガラス)の窓が みんないちどにがたがた鳴って 林はまるで津波のやう…… ああもう向ふで降ってゐる へんにはげしく光ってゐる どうも雨ではないらしい ……もうそこらへもやってくる まっ赤な山もだんだんかくれ 木の葉はまるで鼠のやうに ぐらぐら東へ流される…… それに上には副虹だ あの副虹のでるときが いちばん胸にわるいんだ ……ロンドンパープルやパリスグリン あらゆる毒剤のにほひを盛って 青い弧(アーク)を虚空(そら)いっぱいに張りわたす…… まあ掛けたまへ ぢきにきれいな天気になるし なにか仕度もさがすから ……たれも行かないひるまの野原 天気の猫の目のなかを 防水服や白い木綿の手袋は まづロビンソンクルーソー…… ちょっとかはった葉巻を巻いた フェアスモークといふもんさ それもいっしょにもってくる (本文終了) #宮沢賢治 #干ばつ #ヒデリ
2021.06.12
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宮沢賢治が熱にうなされながら、雨不足の解消を願った詩をご紹介しました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202106090000/ 賢治が、熱にうなされてまで心配した、1927(昭和2)年の干ばつとは、どのようなものだったのでしょうか。 気象庁 過去の観測データ https://www.data.jma.go.jp/gmd/risk/obsdl/index.php 花巻の1927年のデータはありません。 盛岡でみてみます。 6月4日から、ずっと雨が降っていないことがわかります。田植えどきに雨不足で心配したことでしょう。 #宮沢賢治 #干ばつ #ヒデリ
2021.06.11
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前回ご紹介した「囈語」(げいご)と同じ日に書かれた詩です。 こちらでは稲の活着には触れていません。 雨となって、日照りの被害を防ぎたい思いがつづられています。 (本文開始) 一〇七六 病中幻想 一九二七、六、一三、 罪はいま疾(やまひ)にかはり たよりなくわれは騰りて 野のそらにひとりまどろむ 太虚ひかりてはてしなく 身は水素より軽ければ また耕さんすべもなし せめてはかしこ黒と白 立ち並びたる積雲を 雨と崩して堕ちなんを (本文終了) 宮沢賢治全集10冊セット [ 宮沢賢治 ]価格:11660円(税込、送料無料) (2021/6/9時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #病中幻想 #干ばつ
2021.06.10
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1928(昭和3)年8月に肺結核で倒れる賢治ですが、その約1年前にも、熱を出して寝込んだことがあったようです。 1927(昭和2)年6月13日に書かれた作品です。 囈語(げいご)とは、うわごとのことです。賢治は同じタイトルの詩を数編書いています。 自分が肥料設計した、村々の水稲が気になるのでしょう。当時の田植えは6月10日ころでした。うまく根がのびて活着するか気になるころです。 水稲は亜熱帯原産の作物です。暑さと水分が必要です。自分の病気の熱と湿気が、水稲を活着させてほしいという願いがこめられています。 (本文開始) 一〇七六 囈語 一九二七、六、一三、 罪はいま疾にかはり わたくしはたよりなく 河谷のそらにねむってゐる せめてもせめても この身熱に 今年の青い槍の葉よ活着(つ)け この湿気から 雨ようまれて ひでりのつちをうるおほせ (本文終了) 宮沢賢治全集10冊セット [ 宮沢賢治 ]価格:11660円(税込、送料無料) (2021/6/9時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #囈語 #水稲 #活着 #結核
2021.06.09
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