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タイトル「土」 著者 関豊太郎 著 出版者 誠文堂新光社 出版年月日 昭和19 国立国会図書館リンク https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1066618 賢治の死後に出版されたこの本には、恩師の賢治に対する評価が書かれています。 土壌学者として賢治の炭酸石灰普及活動を高く評価し、その死を悼む気持ちが伝わります。 (引用開始) (引用者が常用漢字、新仮名遣いに変換) 筆者は盛岡に在職中、附近に酸性土の多いのに寒心し、しきりにその矯正を勧誘した(大正の中ごろ)。(引用者略)その当時は、ほとんど反響がなかったが、東京へ移ってから数年後(大正の終わり)に花巻の宮沢(賢治)氏から「貴下の宿望であった石灰岩末の使用がよほどひろまってきて、隣県からも続々注文がある」という報知を得て、内心喜んだ。宮沢氏は「盛岡高農」の出身者であって、私財をなげうって郷里の農事改良にじんすい(引用者注 尽瘁、体力をことごとく使い尽くし疲れはてること)、没後、「童話」ですこぶる有名になった鬼才である。 (引用終了) 150~151ページ #宮沢賢治 #関豊太郎
2021.01.29
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関豊太郎 著 「土壌学講義」 盛岡高等農林時代に宮沢賢治の恩師で、生涯親交のあった関豊太郎が東京農業大学出版部から1926(大正15)年に出版しました。賢治は出版当時は羅須地人協会を主宰していました。賢治はこの本を読んでいて、協会の活動にも影響を与えていると思われます。当時の賢治が最先端の科学の情報を取り入れていたことと、当時の科学の限界の両方を知ることは、賢治の作品を鑑賞し、農業との関係を知る上でも重要です。 下の国立国会図書館のリンクから無料で読めます。 #宮沢賢治 #関豊太郎 #土壌 #肥料 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1020898
2020.12.11
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宮沢賢治と農学、恩師の関豊太郎、について考えるとき、必読の論文です。岩手大学農学部の亀井茂氏が執筆し、1996年に土壌肥料学会の機関誌に掲載されたものです。下記URLからpdf形式の文書がダウンロードできます。 https://www.jstage.jst.go.jp/article/dojo/67/2/67_KJ00001682410/_article/-char/ja/ 亀井氏は、この論文で次のように述べています。 「土壌肥料と宮澤賢治の関わりを語ると き, 賢治盛岡高等農林学校 (以下盛岡高農と略記)での恩師であり,奇しくも後に,日本土壌肥料学会初代会長となられた 関豊太郎博士の研究者,教育者としての大 きな影響に触れずしてそれを語ることがで きず, また土壌肥料を抜きにした賢治を語 ることもできない.実に宮澤賢治の生涯は土に生きた生涯であり,その基盤は土壌肥料であった.」 また、グスコーブドリの伝記に出てくる地名と関豊太郎との関係にも興味深い記述があります。 「ブドリ終焉の地名カルボナードこそは, 賢治最晩年命をかけた仕事である石灰岩の 主成分炭酸石灰の炭酸塩(独名カルボナー の名と重ねられている.」 賢治から関への直筆の手紙の写真も掲載されています。 #宮沢賢治 #関豊太郎 #盛岡高等農林 #グスコーブドリの伝記
2020.11.28
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1915(大正4)年4月、宮沢賢治は、盛岡高等農林学校(今の岩手大学農学部)に首席(一番の成績)で入学しました。 そこで出会ったのが、恩師で土壌学者として有名な関豊太郎博士でした。関は、賢治の晩年の石灰工場のサラリーマン時代まで、多くの助言をし、賢治の人生と作品に影響を与えました。グスコーブドリの伝記のクーボー大博士のモデルは、関ではないかと言われています。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E8%B1%8A%E5%A4%AA%E9%83%8E #宮沢賢治 #関豊太郎 #盛岡高等農林
2020.11.28
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