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1924(大正13)年7月の日付不明の詩です。 「ほほじろ」は小鳥のホオジロでしょうか。 若者たちが、徹夜でガスエンジンを操作して、灌漑水を川からくみあげていたようです。 科学の力を使って、自然の恵みを確保し、干ばつという、自然災害に立ち向かう農村青年たちと、郷土に対する讃歌のようです。 (本文開始) 一五七 〔ほほじろは鼓のかたちにひるがへるし〕 一九二四、七、 、 ほほじろは鼓のかたちにひるがへるし まっすぐにあがるひばりもある 岩頸列はまだ暗い霧にひたされて 貢った暁の睡りをまもってゐるが この峡流の出口では 麻のにほひやオゾンの風 もう電動機(モートル)も電線も鳴る 夜もすがら 風と銀河のあかりのなかで ガスエンヂンの爆音に 灌漑水の急にそなへたわかものたち、 いまはなやかな田園の黎明のために それらの青い草山の 波立つ萓や、 古風な稗の野末をのぞみ 東のそらの黝んだ葡萄鼠と、 赤縞入りのアラゴナイトの盃で この清冽な朝の酒を 胸いっぱいに汲まうでないか 見たまへあすこら四列の虹の交流を 水いろのそらの渚による沙に いまあたらしく朱金や風がちゞれ ポプルス楊の幾本が 繊細な葉をめいめいせはしくゆすってゐる 湧くやうにひるがへり 叫ぶやうにつたはり じつにわれらのねがひをば いっしんに発信してゐるのだ (本文終了) 宮沢賢治全詩集【電子書籍】[ 宮沢賢治 ]価格:100円 (2021/7/18時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #ほほじろは鼓のかたちにひるがえるし #干ばつ #ヒデリ
2021.07.18
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1924(大正13)年6月21日の詩です。 1羽あるいは複数のカッコウが飛ぶようすを、物理化学的な数や量の遷移にたとえつつ、亡くなった妹を追慕する詩です。 1922(大正11)年11月27日に最愛の妹、トシは、結核で亡くなりました。それから約1年半たっても、何を見ても亡き妹が思い出される賢治です。 鳥や自分という生命体を、個体ではなく、物理化学的な現象としてとらえる考え方や感覚は、「春と修羅」序文にも通じるように思われます。 「序/わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です/(あらゆる透明な幽霊の複合体)/風景やみんなといつしよに/せはしくせはしく明滅しながら/いかにもたしかにともりつづける/因果交流電燈の/ひとつの青い照明です/(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)」 (本文開始) 二七 鳥の遷移 一九二四、六、廿一、 鳥がいっぴき葱緑の天をわたって行く わたくしは二こゑのかくこうを聴く からだがひどく巨きくて それにコースも水平なので 誰か模型に弾条(バネ)でもつけて飛ばしたやう それだけどこか気の毒だ 鳥は遷り さっきの声は時間の軸で 青い鏃のグラフをつくる ……きららかに畳む山彙と 水いろのそらの縁辺…… 鳥の形はもう見えず いまわたくしのいもうとの 墓場の方で啼いてゐる ……その墓森の松のかげから 黄いろな電車がすべってくる ガラスがいちまいふるえてひかる もう一枚がならんでひかる…… 鳥はいつかずっとうしろの 練瓦工場の森にまはって啼いてゐる あるひはそれはべつのかくこうで さっきのやつはまだくちはしをつぐんだまま 水を呑みたさうにしてそらを見上げながら 墓のうしろの松の木などに、 とまってゐるかもわからない (本文終了) 宮沢賢治全詩集【電子書籍】[ 宮沢賢治 ]価格:100円 (2021/6/23時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #カッコウ #トシ #遷移 #鳥の遷移
2021.06.24
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1922(大正11)年6月25日に書かれた詩です。 賢治の言う「プウルキインの現象」とは、明るい場所では赤色が、暗い場所では青色がよくみえるという、プルキニェ現象のことです。 プルキニェ現象 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%83%8B%E3%82%A7%E7%8F%BE%E8%B1%A1 水田や放牧地でフロックコートを着た人物を誉め称えています。 フロックコートは現代では結婚式などで使われる男性昼間礼装です。しかし、もともとはポーランド槍騎兵(ウーラン)が平原の戦場を駆け回るときに着た軍服です。したがって、放牧地に似合っても、変ではありません。 フロックコートの人物は、賢治自身だという説の方が多いようです。ただ照れ屋の賢治がここまで自分を誉めるかどうか、やや疑問があります。 (本文開始) 風景観察官 あの林は あんまり緑青を盛り過ぎたのだ それでも自然ならしかたないが また多少プウルキインの現象にもよるやうだが も少しそらから橙黄線を送つてもらふやうにしたら どうだらう ああ何といふいい精神だ 株式取引所や議事堂でばかり フロツクコートは着られるものでない むしろこんな黄水晶(シトリン)の夕方に まつ青な稲の槍の間で ホルスタインの群を指導するとき よく適合し効果もある 何といふいい精神だらう たとへそれが羊羹いろでぼろぼろで あるひはすこし暑くもあらうが あんなまじめな直立や 風景のなかの敬虔な人間を わたくしはいままで見たことがない (本文終了) 宮沢賢治全集10冊セット [ 宮沢賢治 ]価格:11660円(税込、送料無料) (2021/6/5時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #風景観察官 #フロックコート #プルキニェ現象
2021.06.05
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1923(大正12)年6月3日に書かれた詩です。 この日、宮沢賢治は、花巻農学校の生徒らを、岩手山夜間登山または夜間歩行で引率したようです。 賢治は、前年に最愛の妹トシを結核で亡くしています。歩行中の生徒の会話ですら、妹の言葉を思い出させます。 Egmont Overture (エグモント・オーバーチュア)とは、 ベートーヴェン作曲の歌劇の序曲で、正義の主人公が非業の死をとげる物語のようです。 柳沢は岩手山麓の地名です。 (本文開始) 風林 (かしはのなかには鳥の巣がない あんまりがさがさ鳴るためだ) ここは艸があんまり粗(あら)く とほいそらから空気をすひ おもひきり倒れるにてきしない そこに水いろによこたはり 一列生徒らがやすんでゐる (かげはよると亜鉛とから合成される) それをうしろに わたくしはこの草にからだを投げる 月はいましだいに銀のアトムをうしなひ かしははせなかをくろくかがめる 柳沢(やなぎざわ)の杉はなつかしくコロイドよりも ぼうずの沼森(ぬまもり)のむかふには 騎兵聯隊の灯も澱んでゐる 《ああおらはあど死んでもい》 《おらも死んでもい》 (それはしよんぼりたつてゐる宮沢か さうでなければ小田島国友 向ふの柏木立のうしろの闇が きらきらつといま顫えたのは Egmont Overture にちがひない たれがそんなことを云つたかは わたくしはむしろかんがへないでいい) 《伝さん しやつつ何枚、三枚着たの》 せいの高くひとのいい佐藤伝四郎は 月光の反照のにぶいたそがれのなかに しやつのぼたんをはめながら きつと口をまげてわらつてゐる 降つてくるものはよるの微塵や風のかけら よこに鉛の針になつてながれるものは月光のにぶ 《ほお おら……》 言ひかけてなぜ堀田はやめるのか おしまひの声もさびしく反響してゐるし さういふことはいへばいい (言はないなら手帳へ書くのだ) とし子とし子 野原へ来れば また風の中に立てば きつとおまへをおもひだす おまへはその巨きな木星のうへに居るのか 鋼青壮麗のそらのむかふ (ああけれどもそのどこかも知れない空間で 光の紐やオーケストラがほんたうにあるのか …………此処(こご)あ日あ永(な)あがくて 一日(いちにぢ)のうちの何時(いづ)だがもわがらないで…… ただひときれのおまへからの通信が いつか汽車のなかでわたくしにとどいただけだ) とし子 わたくしは高く呼んでみやうか 《手凍(かげ)えだ》 《手凍えだ? 俊夫ゆぐ凍えるな こないだもボダンおれさ掛げらせだぢやい》 俊夫といふのはどつちだらう 川村だらうか あの青ざめた喜劇の天才「植物医師」の一役者 わたくしははね起きなければならない 《おゝ 俊夫てどつちの俊夫》 《川村》 やつぱりさうだ 月光は柏のむれをうきたたせ かしははいちめんさらさらと鳴る (本文終了) #宮沢賢治 #風林
2021.06.04
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今も1日約3000人が乗降する盛岡市の厨川駅の情景を描いた詩です。1922(大正11)年6月2日に書かれました。 逮捕経験のある社会主義者が乗客の噂になっています。若いのに老けてみえる姿に当時の厳しい情勢が想像されます。 賢治も、社会主義政党の労農党に寄付をし、小作人の政治活動を支援していました。1927(昭和2)年3月には賢治自身も花巻警察署長伊藤儀一郎の事情聴取を受け、羅須地人協会の活動が弾圧されることになってしまいます。 Larixは、落葉松のことです。 (本文開始) 厨川停車場 (一九二二・六・二・) (もうすっかり夕方ですね。) けむりはビール瓶のかけらなのに、 そらは苹果酒(サイダー)でいっぱいだ。 (ぢゃ、さよなら。) 砂利は北上山地製、 (あ、僕、車の中ヘマント忘れた。 すっかりはなしこんでゐて。) (あれは有名な社会主義者だよ。 何回か東京で引っぱられた。) 髪はきれいに分け、 まだはたち前なのに、 三十にも見えるあの老けやうとネクタイの鼠縞。 (えゝと、済みませんがね、 ほろぼろの朱子のマント、 あの汽車へ忘れたんですが。) (何ばん目の車です。)…… (二等の前の車だけぁな。) Larix, Larix, Larix, 青い短い針を噴き、 夕陽はいまは空いっぱいのビール、 かくこうは あっちでもこっちでも、 ぼろぼろになり 紐になって啼いてゐる。 (本文終了) 宮沢賢治全集10冊セット [ 宮沢賢治 ]価格:11660円(税込、送料無料) (2021/6/3時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #社会主義 #逮捕 #厨川 #停車場
2021.06.03
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妖艶な詩が続きましたが、今回は爽やかな作品です。 1922(大正11)年6月15日に書かれた詩です。 6月のにわか雨のあとに、農作業の途中で、虹を見たら、この作品を思い出すことでしょう。 (本文開始) 報告 さつき火事だとさわぎましたのは虹でございました もう一時間もつづいてりんと張つて居ります (本文終了) #宮沢賢治 #報告 #虹 #火事
2021.06.02
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原文の翁は、翁にさんずいで、読み方はオウです。機種依存文字のため翁で代用しました。 1925(大正14)年5月31日に書かれた詩です。 現在では、田植えは5月上旬で、5月末には本田に稲の青い槍の葉がたっていますが、育苗用ビニールハウスのなかったこのころは6月10日ごろが田植え時期でした。そこで、この詩ではまだ苗代がでてきます。 「田植花」は、タニウツギと思われます。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%82%A6%E3%83%84%E3%82%AE 黒い服の子どもが、リン酸を散布する姿は、賢治の詩に何回か登場するモチーフです。 (本文開始) 三四五 一九二五、五、三一、 Largo や青い雲翁やながれ くゎりんの花もぼそぼそ暗く燃えたつころ 延びあがるものあやしく曲り惑むもの あるひは青い蘿をまとふもの 風が苗代の緑の氈と はんの木の葉にささやけば 馬は水けむりをひからせ こどもはマオリの呪神のやうに 小手をかざしてはねあがる ……あまずっぱい風の脚 あまずっぱい風の呪言…… かくこうひとつ啼きやめば 遠くではまたべつのかくこう ……畦はたびらこきむぽうげ また田植花くすんで赭いすいばの穂…… つかれ切っては泥を一種の飴ともおもひ 水をぬるんだ汁ともおもひ またたくさんの銅のラムプが 畦で燃えるとかんがへながら またひとまはりひとまはり 鉛のいろの代を掻く ……たてがみを 白い夕陽にみだす馬 その親に肖たうなじを垂れて しばらく畦の草食ふ馬…… 檜葉かげろへば 赤楊の木鋼のかゞみを吊し こどもはこんどは悟空を気取り 黒い衣裳の両手をひろげ またひとしきり燐酸をまく ……ひらめくひらめく水けむり はるかに遷る風の裾…… 湿って桐の花が咲き そらの玉髄しづかに焦げて盛りあがる (本文終了) 宮沢賢治全集10冊セット [ 宮沢賢治 ]価格:11660円(税込、送料無料) (2021/5/26時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #苗代 #田植花 #桐の花
2021.05.27
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前回は、詩「青い槍の葉」をご紹介しました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202105250000/ 1922(大正11)年6月12日に書かれた詩です。 種まき後、田植え後、何日後ぐらいのイネを見て書いたのでしょうか。 国立国会図書館のサイトで、岩手県内務部 編 「農業督励要項」を見てみます。 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1915090 当時の岩手県中部地方の種まきは4月18日前後、田植えは6月10日前後、が標準のようです。 詩の書かれた6月12日は、種まきから約55日後、田植えから約2日後、ということになります。 種まきからの日数は、よさそうです。 しかし、標準の田植えからの日数は短すぎ、青い葉が槍のように立つ可能性は低そうです。 標準より早植えの6月はじめに植えた田をみながら詩を書いたのではないかと、思われます。 #宮沢賢治 #青い槍の葉 #播種期 #移植期
2021.05.26
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1922(大正11)年6月12日、宮沢賢治は詩「青い槍の葉」を書きました。 田植えが終わり、稲が成長すると直立した葉がまるで槍のようです。「気圏日本のひるまの底の/泥にならべるくさの列」と目の前の水田だけでなく、大気圏から地面までが視野に入っているのが、賢治ならでは、だと思いました。 ヤナギは水気を好む樹木で、水田や川の近くによく生えます。 この詩と直接関係はありませんが、2011(平成23)年3月の東京電力福島第一原子力発電所の事故で帰還困難区域となった数千ヘクタールの水田は、10年たってヤナギ林となっています。青い槍の葉がならぶ水田に戻していきたいと思います。 NHKニュース「葛尾村の帰還困難区域で地元の農家が震災後初めて田植え」 https://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/20210522/6050014586.html 記事より「田植えを行った60代の地元の農家の男性は「この10年間、ふるさとの復興が進まないことに焦りを感じていたので、ようやく田植えという一歩を踏み出せて夢のようです。帰還する人が増えるよう、農地をしっかり管理していきたい」と話していました。」 (本文開始) 青い槍の葉 (mental sketch modified) (ゆれるゆれるやなぎはゆれる) 雲は来るくる南の地平 そらのエレキを寄せてくる 鳥はなく啼く青木のほづえ くもにやなぎのかくこどり (ゆれるゆれるやなぎはゆれる) 雲がちぎれて日ざしが降れば 黄金(キン)の幻燈 草(くさ)の青 気圏日本のひるまの底の 泥にならべるくさの列 (ゆれるゆれるやなぎはゆれる) 雲はくるくる日は銀の盤 エレキづくりのかはやなぎ 風が通ればさえ冴(ざ)え鳴らし 馬もはねれば黒びかり (ゆれるゆれるやなぎはゆれる) 雲がきれたかまた日がそそぐ 土のスープと草の列 黒くおどりはひるまの燈籠(とうろ) 泥のコロイドその底に (ゆれるゆれるやなぎはゆれる) りんと立て立て青い槍の葉 たれを刺さうの槍ぢやなし ひかりの底でいちにち日がな 泥にならべるくさの列 (ゆれるゆれるやなぎはゆれる) 雲がちぎれてまた夜があけて そらは黄水晶(シトリン)ひでりあめ 風に霧ふくぶりきのやなぎ くもにしらしらそのやなぎ (ゆれるゆれるやなぎはゆれる) りんと立て立て青い槍の葉 そらはエレキのしろい網 かげとひかりの六月の底 気圏日本の青野原 (ゆれるゆれるやなぎはゆれる) (本文終了) 宮沢賢治全集10冊セット [ 宮沢賢治 ]価格:11660円(税込、送料無料) (2021/5/25時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #青い槍の葉 #水稲 #水田 #ヤナギ
2021.05.25
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麦の穂の色を古金とし、徳高く、相さかん、とたたえています。 麦の穂の色がしめされているとする、「竜樹菩薩の大論」とは、二世紀インドの高僧ナーガールジュナの「中論(ムーラマディヤマカ・カーリカー)」のことかもしれません。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%AB%96 竜樹は後世、錬金術師の守護神として崇拝されたそうで、その金のイメージも関係しているのかもしれません。 (本文開始) 一五四 亜細亜学者の散策 一九二四、七、五、 気圧が高くなったので 地平の青い膨らみが 徐々に平位に復して来た 蓋し国土の質たるや 剛に過ぐるを尊ばず 地面が踏みに従って 小さい歪みをなすことは 天竺乃至西域の 永い夢想であったのである 紫紺のいろに湿った雲のこっち側 何か播かれた四角な畑に かながら製の幢幡とでもいふべきものが 八つ正しく立てられてゐて いろいろの風にさまざまになびくのは たしかに鳥を追ふための装置であって 誰とて異論もないのであるが それがことさらあゝいふ風な 八の数をそろへたり 方位を正して置かれたことは ある種拝天の余習であるか 一種の隔世遺伝であるか わたしはこれをある契機から ドルメン周囲の施設の型と考へる 日が青山に落ちやうとして 麦が古金に熟するとする わたしが名指す古金とは 今日世上一般の 暗い黄いろなものでなく 竜樹菩薩の大論に わづかに暗示されたるもの、 すなはちその徳はなはだ高く その相はるかに旺んであって むしろ quick gold ともなすべき わくわくたるそれを云ふのである 水はいつでも水であって 一気圧下に零度で凍り 摂氏四度の水銀は、 比重十三ポイント六なるごとき さうした式の考へ方は 現代科学の域内にても 俗説たるを免れぬ さう亀茲国の夕日のなかを やっぱりたぶんかういふふうに 鳥がすうすう流れたことは そこの出土の壁画から だゞちに指摘できるけれども 池地の青いけむりのなかを はぐろとんぼがとんだかどうか そは杳として知るを得ぬ (本文終了) 宮沢賢治全集10冊セット [ 宮沢賢治 ]価格:11660円(税込、送料無料) (2021/5/25時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #麦 #古金 #竜樹
2021.05.24
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今から97年前の今日、1924(大正13)年5月23日、宮沢賢治が花巻農学校教師として引率した修学旅行一行が5日間の日程を終え、花巻に帰りました。 賢治の出張報告書「修学旅行復命書」に、そのようすがいきいきと描かれています。 もうすぐ、100年記念です。 コロナ禍が開けたら、岩手、青森、北海道の賢治たちの足跡をたどる旅に出たいと思います。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103290000/ 宮沢賢治全集10冊セット [ 宮沢賢治 ]価格:11660円(税込、送料無料) (2021/5/25時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #修学旅行 #北海道
2021.05.23
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97年前の今日、1924(大正13)年5月22日、宮沢賢治が率いる花巻農学校修学旅行一行は北海道苫小牧市、白老アイヌ集落などを見学しました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103280000/ 宮沢賢治全集10冊セット [ 宮沢賢治 ]価格:11660円(税込、送料無料) (2021/5/25時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #北海道 #修学旅行 #花巻農学校 #苫小牧 #白老
2021.05.22
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今から97年前の1924(大正13)年5月21日、宮沢賢治が花巻農学校教師として引率する修学旅行一行31名が、札幌市の北海道帝国大学などを見学しました。北大では総長自ら、牛乳とお菓子で大歓迎しました。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103270000/ 宮沢賢治全集10冊セット [ 宮沢賢治 ]価格:11660円(税込、送料無料) (2021/5/25時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #修学旅行 #札幌市 #北海道帝国大学 #北海道大学
2021.05.21
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1924(大正13)年5月20日、宮沢賢治は花巻農学校教師として修学旅行を引率して、小樽に到着しました。 小樽高等商業学校(現 小樽商科大学)で、科学と商業の融合をめざす教育方針や、農産物の加工について学びました。 おたる文学散歩 https://www.city.otaru.lg.jp/docs/2020102200175/ 当ブログでは、当時の賢治の復命書の読み解きもしています。 https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103260000/ 宮沢賢治全集10冊セット [ 宮沢賢治 ]価格:11660円(税込、送料無料) (2021/5/25時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #小樽 #小樽商科大学 #修学旅行
2021.05.20
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前回は空想上の岩手県であるイーハトーブ県のパンケーキの詩をご紹介しました。 今回はその詩の草稿です。 ここでは、現実の岩手県の「せんべい」が描かれています。出稼ぎの鉱山の発破作業で障がい者となった農民が農村に煎餅店を開いて収入を確保しようとしています。いわゆる南部煎餅と思われます。 パンケーキも南部煎餅も、どちらも原料は小麦粉で、冷害で米(イーハトーブではオリザ)が凶作になりやすい地方では重要な食糧です。 英語では煎餅はクラッカー(cracker)、エスペラント語ではセンベージョ(sembejo)と訳されるようですが、賢治の頭の中のイーハトーブでは、パンケーキになるようです。 岩手県の南部煎餅が、焼き方と水分量をかえて、イーハトーブ県のパンケーキになったのかもしれません。あるいは、まったくそのまま、南部煎餅がパンケーキなのかもしれません。 (本文開始) 五一五 朝餐 一九二五、四、五、 苔に座ってたべてると 麦粉と塩でこしらえた このまっ白な鋳物の盤の 何と立派でおいしいことよ 裏にはみんな曲った松を浮き出して、 表は点の括り字で「大」といふ字を鋳出してある この大の字はこのせんべいが大きいといふ広告なのか あの人の名を大蔵とでも云ふのだらうか さうでなければどこかで買った古型だらう たしかびっこをひいてゐた 発破で足をけがしたために 生れた村の入口で せんべいなどを焼いてくらすといふこともある 白銅一つごくていねいに受けとって がさがさこれを数へてゐたら 赤髪のこどもがそばから一枚くれといふ 人は腹ではくつくつわらひ 顔はしかめてやぶけたやつを見附けてやった 林は西のつめたい風の朝 頭の上にも曲った松がにょきにょき立って 白い小麦のこのパンケーキのおいしさよ 競馬の馬がほうれん草を食ふやうに アメリカ人がアスパラガスを喰ふやうに すきとほった風といっしょにむさぼりたべる こんなのをこそ speisen とし云ふべきだ ……雲はまばゆく奔騰し 野原の遠くで雷が鳴る…… 林のバルサムの匂を呑み あたらしいあさひの蜜にすかして わたくしはこの終りの白い大の字を食ふ (本文終了) 15%OFF★【ランキング1位】巖手屋厳選 お味見セット 10種(18枚+3袋)/ 南部せんべい乃巖手屋 小松製菓 / 母の日 子供の日 お花見 おつまみ / 南部せんべい 煎餅 せんべい お土産 岩手県 お供え お菓子 日持ち ギフト 詰め合わせ / いわてや 岩手屋 東北価格:2000円(税込、送料無料) (2021/5/17時点)楽天で購入 #宮沢賢治 #パンケーキ #南部煎餅
2021.05.17
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宮沢賢治のパンケーキの詩をご紹介します。昭和の半ば生まれの私は、ついホットケーキと呼びたくなります。 賢治は1925(大正14)年4月25日の農学校教師時代にパンケーキの詩を書いています。 1926(大正15)年2月1日に雑誌「虚無思想研究」に掲載されました。余談ですが、この雑誌は、今、再放送中の朝ドラ「あぐり」の主人公の夫のモデルである小説家吉行エイスケが主宰していました。賢治は一般には文学的に無名でしたが、一部の文士には高く評価されていました。 具のないお焼きに近い、小麦粉と塩だけのシンプルなパンケーキを、農家の父親が炉ばたで子どもに食べさせています。 当時の岩手の農家がパンケーキと呼んでいたかどうかわかりませんが、貴重な米を節約するための小麦の利用法として、実際にあってもおかしくないと思いました。 (本文開始) 心象スケツチ朝餐 宮澤賢治 小麦粉とわづかの食塩とからつくられた イーハトヴ県のこの白く素樸なパンケーキのうまいことよ はたけのひまな日あの百姓がじぶんでいちいち焼いたのだ 顔をしかめて炉ばたでそれを焼いてると 赤髪のこどもがそばからいちまいくれといふ あの百姓は顔をしかめてやぶけたやつを出してやる そして腹ではわらつてゐる 林は西のつめたい風の朝 味ない小麦のこのパンケーキのおいしさよ わたくしは馬が草を喰ふやうに アメリカ人がアスパラガスを喰ふやうに すきとほつた空気といつしよにむさぼりたべる こんなのをこそ Speisen とし云ふべきだ ……雲はまばゆく奔騰し 野原の遠くで雷が鳴る…… 林のバルサムの匂を加へ あたらしい晨光の蜜を塗つて わたくしはまたこの白い小麦の菓子を食べる (本文終了) 準強力粉 南部小麦(岩手県産) 500g6袋セット【国産】【小麦粉】価格:3000円(税込、送料無料) (2021/5/16時点)楽天で購入 画像は楽天アフィリエイトです。 #宮沢賢治 #パンケーキ #吉行エイスケ #朝餐 #虚無思想研究
2021.05.16
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フランドン農学校の豚で、助手がチッペラリーを口笛で吹くシーンがあります。チッペラリーは1912年にイギリスでうまれ、第一次世界大戦中に大ヒットした戦時歌謡で、英語では「It's a Long Way to Tipperary」といいます。 youtubeで聴くことができます。 https://youtu.be/iUxGEEQjDOU また、フランスとベルギーにまたがるフランドル地方は第一次世界大戦、第二次世界大戦の激戦地として、有名です。 もし、架空のフランドン農学校が、現実の第一次世界大戦ごろのフランドル地方のような状況ならどうでしょう。助手や学生たちには、豚に勝るとも劣らない過酷な未来が待っていることになります。
2020.12.25
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Wikipediaのフランドン農学校の豚の記述です。稗貫(花巻)農学校で実際に豚を屠殺したときの話は興味深く感じます。農学校での実体験が賢治の創作に大きな影響を与えたのでしょう。 #宮沢賢治 #フランドン農学校の豚 #花巻農学校 #稗貫農学校 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3%E8%BE%B2%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%81%AE%E8%B1%9A
2020.12.24
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農学校関連の宮沢賢治作品、「フランドン農学校の豚」です。 食べられる豚の視点から語られる切ない物語です。農学校教師だった賢治ですが、この物語では、豚から見た教師は、早く肉にしようとする恐ろしい人物として描かれています。校長、助手、学生なども、豚から見た人物像にうまく変換されています。 色彩表現、音の表現、言葉のリズムがみごとで、さすが賢治と思わせます。 青空文庫の下記リンクから無料で読めます。 https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/4601_11978.html #宮沢賢治 #フランドン農学校の豚 #農学校 #農業教育
2020.12.24
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この詩は、宮沢賢治が、稗貫(花巻)農学校時代を思い返して、当時の生徒に向けて作ったものと思われます。 座学に実習に忙しい農学校教師の仕事で疲れないわけはありません。しかし、「疲れをおぼえたことはない」と断言するところに、熱心に楽しんで農業教育に取り組んだ賢治の気持ちが伝わります。 文部省が学校演劇禁止令を出したり、校長が替わるなど、自由な教育ができなくなり教師を辞めざるをえなくなったことは残念です。 #宮沢賢治 #稗貫農学校 #花巻農学校 #農業教育 #農学校教師時代 #生徒諸君に寄せる (本文開始) 生徒諸君に寄せる(断章一) この四ヶ年が わたくしにどんなに楽しかったか わたくしは毎日を 鳥のやうに教室でうたってくらした 誓って云ふが わたくしはこの仕事で 疲れをおぼえたことはない
2020.12.23
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以前も取り上げさせていただきました宮沢賢治研究家のhamagaki氏のホームページでは、宮沢賢治の歌曲も掲載しています。 ポラーノの広場関連の賢治が作詞した音楽を下記リンクから聴くことができます。音楽を聴くと、また一段と深く作品を味わうことができます。 https://ihatov.cc/song/polano.htm #宮沢賢治 #ポラーノの広場 #音楽 #VOCALOID
2020.12.20
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産業組合に関係する作品を分析することで、背景となった宮沢賢治の思想を明らかにし、産業組合をめぐる議論における賢治の位置をはかろうという、意欲的な論文です。 産業組合に関係する作品として次の5作品をあげています。 1 詩「産業組合青年会」 2 詩「〔こっちの顔と〕」 3 詩「〔野原はわくわく白い偏光〕」 4 詩「停留所にてスヰトンを喫す」 5 童話「ポラーノの広場」 また詩「サキノハカという黒い花といっしよに」の分析をしています。賢治が労農党シンパでありながら農村救済の手段としての暴力革命には否定的であったとの指摘は納得できるものがあります。 下のリンクのページからPDF形式でダウンロードできます。 https://nagoya.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_view_main_item_detail&item_id=29091&item_no=1&page_id=28&block_id=27 #宮沢賢治 #産業組合 #農村更生 #産業組合青年会 #こっちの顔と #野原はわくわく白い偏光 #停留所にてスヰトンを喫す #ポラーノの広場
2020.12.20
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Wikipediaの産業組合の記述です。 農村では江戸時代から無尽などの金融の組合や、報徳社などの共同労働の組合がありました。その近代化をはかるため1900(明治33)年に産業組合法が公布されます。 宮沢賢治は農学校教師時代に、産業組合の活動に農家所得向上の理想を託していたようです。小説ポラーノの広場では組合による農村での農産物加工工場(特にハム工場や毛織物工場)建設が描かれています。 現代の農協や信用組合が、産業組合の後継組織です。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%A3%E6%A5%AD%E7%B5%84%E5%90%88 #宮沢賢治 #産業組合
2020.12.20
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Wikipediaでのポラーノの広場の記述です。執筆時期の詳細について読むと、永遠の未完成すなわち完成である、と言っていた宮沢賢治らしいと思います。 以前紹介しました青空文庫版には、主人公の結婚話などの草稿が混在しているとのことですが、それもまた味わいがあって良いと思います。 "ポラーノの広場 - Wikipedia" https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%81%AE%E5%BA%83%E5%A0%B4 #宮沢賢治 #ポラーノの広場 #Wikipedia #永遠の未完成
2020.12.19
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産業組合青年会の詩でも出てきた、農家の組合のハム工場が、小説「ポラーノの広場」でも出てきます。よほど賢治のお気に入りのアイデアだったようです。現代でしたら、六次化産業とか一村一品運動のようなものです。青空文庫の下記リンクから無料で読めます。 #宮沢賢治 #産業組合 #ポラーノの広場 #ハム工場 https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1935_19925.html
2020.12.18
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これは、解釈の難しい詩です。 この詩での産業組合は今でいうところの農協です。 賢治を投影した主人公が、組合の青年会によぱれて、農学校教師として農村を貧困から救うための理想を語ったようです。組合で協同して、山を削って石灰石を採掘して土壌を改良しましょう、家畜を飼ってハム工場や毛織物工場を建てましょう、医薬品を共同購入しましょう、ゴム長靴を作りましょう、と。 それに対して反対する人が、野山には、神社にまつられてはいなくとも神々がいて、神の縄張りなのだから、山を削ったり、工場を立てたりしては、いけない、と言ったということのようです。 主人公もつい怒って、そんな神は神の名にふさわしくないと、言ってしまった、そんな話なのかもしれません。 理想を多くの人に理解してもらうこと、新しいことを始めること、の難しさを感じます。 ところで、農家で組合を作ってハム工場を経営するというアイデアは、よほど賢治は気に入っていたようです。ポラーノの広場にもハム工場の組合が、出てきます。 #宮沢賢治 #産業組合青年会 #神 #身土 #石灰 #ホームスパン #ハム #畜産 #理想 (本文開始) 産業組合青年会 一九二四、一〇、五、 祀られざるも神には神の身土があると あざけるやうなうつろな声で さう云ったのはいったい誰だ 席をわたったそれは誰だ ……雪をはらんだつめたい雨が 闇をぴしぴし縫ってゐる…… まことの道は 誰が云ったの行ったの さういふ風のものでない 祭祀の有無を是非するならば 卑賤の神のその名にさへもふさはぬと 応へたものはいったい何だ いきまき応へたそれは何だ ……ときどき遠いわだちの跡で 水がかすかにひかるのは 東に畳む夜中の雲の わづかに青い燐光による…… 部落部落の小組合が ハムをつくり羊毛を織り医薬を頒ち 村ごとのまたその聯合の大きなものが 山地の肩をひととこ砕いて 石灰岩末の幾千車かを 酸えた野原にそゝいだり ゴムから靴を鋳たりもしやう ……くろく沈んだ並木のはてで 見えるともない遠くの町が ぼんやり赤い火照りをあげる…… しかもこれら熱誠有為な村々の処士会同の夜半 祀られざるも神には神の身土があると 老いて呟くそれは誰だ
2020.12.17
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農学校の学生の日記の体裁をとった小説です。宮沢賢治の農学校教師時代の経験が活かされた創作と思われます。 家が貧しく修学旅行に行けるかどうか悩む農学生の感情が瑞々しく伝わります。 また、農学校に子弟を通わせている農家は平均以上の収入の家庭が多いはずですが、それでも農村の貧困問題がリアルに感じられます。 青空文庫の下記リンクから無料で読めます。 #宮沢賢治 #農学校 #教師 #小説 #農村問題 https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/45471_36075.html
2020.12.14
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宮沢賢治が教師として働いた稗貫農学校は、現在は花巻農業高等学校になっています。同校では今も賢治先生と呼び、慕い、敬意を払っています。 花巻農業高等学校ホームページ http://www2.iwate-ed.jp/hka-h/custom1.html
2020.12.12
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そのものずばり、農作業がタイトルの詩です。読み方は「えんすいせん」「しんしゅ」です。 塩水撰は、現代では塩水選と書くほうが多いかもしれません。塩水撰は、塩水の比重を利用して病気にかかった軽い種もみを取り除き、元気な重い種もみを選ぶ作業です。浸種は、種もみに水分を吸収させ良くそろった発芽をさせるための作業です。 宮沢賢治の花巻農学校教師時代の観察をもとにした創作と思われます。 今年の作付に対する期待と、当時の新品種陸羽132号に対する期待も感じられます。湿田と乾田の違いを観察しているところに詩人と技術者の両方の観点がみられます。 #宮沢賢治 #水稲 #陸羽132号 #塩水選 #浸種 (本文開始) 塩水撰・浸種 一九二四、三、三〇、 塩水選が済んでもういちど水を張る 陸羽一三二号 これを最后に水を切れば 穎果の尖が赤褐色で うるうるとして水にぬれ 一つぶづつが苔か何かの花のやう かすかにりんごのにほひもする 笊に顔を寄せて見れば もう水も切れ俵にうつす 日ざしのなかの一三二号 青ぞらに電線は伸び、 赤楊はあちこちガラスの巨きな籠を盛る、 山の尖りも氷の稜も あんまり淡くけむってゐて まるで光と香ばかりでできてるやう 湿田(ヒドロ)の方には 朝の氷の骸晶が まだ融けないでのこってゐても 高常水車の西側から くるみのならんだ崖のした 地蔵堂の巨きな杉まで 乾田(カタタ)の雪はたいてい消えて 青いすずめのてっぽうも 空気といっしょにちらちら萌える みちはやはらかな湯気をあげ 白い割木の束をつんで 次から次と町へ行く馬のあしなみはひかり その一つの馬の列について来た黄いろな二ひきの犬は 尾をふさふさした大きなスナップ兄弟で ここらの犬と、 はげしく走って好意を交はす 今日を彼岸の了りの日 雪消の水に種籾をひたし 玉麩を買って羹をつくる こゝらの古い風習である
2020.12.11
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稲作挿話(未定稿)です。 賢治の実体験に基づく創作と思われます。 農学校の卒業生と思われる若い農家に対する主人公の丁寧な指導が印象的です。 窒素過多の田を干す技術は現代でも行う「中干し」に通じます。 一方、葉を切って除いてしまう、剪葉という現代ではほとんど使われなくなった技術が珍しく感じられます。 当時の新品種、陸羽132号に対する作者の思い入れも感じられます。 #宮沢賢治 #稲作挿話 #陸羽132号 #肥料 #水稲 (以下本文) あすこの田はねえ あの種類では 窒素が余り多過ぎるから もうきつぱりと灌水を切つてね 三番除草はしないんだ ……一しんに畔を走つて来て 青田のなかに汗拭くその子…… 燐酸がまだ残つてゐない? みんな使つた? それではもしもこの天候が これから五日続いたら あの枝垂れ葉をねえ 斯ういふ風な枝垂れ葉をねえ むしつて除つてしまふんだ ……せわしくうなづき汗拭くその子 冬講習に来たときは 一年はたらいたあとゝは云へ まだかゞやかなりんごのわらひを持つてゐた 今日はもう日と汗にやけ 幾夜の不眠にやつれてゐる…… それからいゝかい 今月末にあの稲が 君の胸より延びたらねえ ちようどシヤツの上のぼたんを定規にしてねえ 葉尖をとつてしまふんだ ……汗だけでない 涙も拭いてゐるんだな…… 君が自分で設計した あの田もすつかり見て来たよ 陸羽百三十二号のはうね あれはずゐぶん上手に行つた 肥えも少しもむらがないし いかにも強く育つてゐる 硫安だつてきみが自分で播いたらう みんながいろいろ云ふだらうが あつちは少しも心配ない 反当三石二斗なら もう決まつたと云つていゝ しつかりやるんだよ これからの本統の勉強はねえ テニスをしながら商売の先生から 義理で教はることでないんだ きみのやうにさ 吹雪やわづかの仕事のひまで 泣きながら からだに刻んで行く勉強が まもなくぐんぐん強い芽を噴いて どこまでのびるかわからない それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ ぢやさようなら ……雲からも風からも 透明なエネルギーが そのこどもにそゝぎくだれ……
2020.12.07
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