旅行3日目

5月1日(土) 旅行3日目

AM9:00 ホテル発。サマルカンド観光
ウルグベク天文台
アフラシャブの丘
サマルカンド歴史博物館
シャーヒズィンダ廟群
ビビハニム・モスク
シャブ・バザール
PM13:00頃? 個人宅のようなレストラン(チャイハネ?)で昼食
PM14:30頃? 午後の観光。
グリ・アミール廟
レギスタン広場&神学校
 期待のサマルカンドです。
 この日も気の遠くなるような上天気。朝から気温もがんがん上昇している感じです。
 日本と違って乾燥しているので、日陰に入ればある程度涼しいのですが、とにかく強い日差しにクラクラ来ます。
 帽子か日傘&サングラスは必需品っていったところでしょうか。扇子も役に立ちました。

 と、そんなことは置いておいて。
 この日最初の観光は、「ウルグベク天文台」です。

ウルグベク天文台

 1908年に発掘されたウルグベク(1394~1449)の天文台。
 現在は円い天文台の基礎と六分儀の地下部分のみが残っている。
 ここでの観測を元に、彼は恒星時一年間を365日6時間10分8秒と推測した。
現代の観測365日6時間9分9.6秒と誤差がほとんど無いのは驚きである。
(ちなみにガリレオは彼の100年後)
 しかし彼の科学への情熱は保守的なイスラム指導者の反発を買い、彼は指導者らの口車に乗せられた息子の差し向けた刺客に殺されることとなる。


↑ウルグベク


↑天文台の六分儀遺構がこの下に有り、公開されている。
六分儀の写真も撮ったんだけど、手ぶれが酷くて・・・。

 天文台の六分儀遺構を見学し、その脇にある博物館で説明を聞きました。
 こういった科学が栄えるということは、ティムール時代は本当に栄えていたんだなと思います。
 でも、いつの時代も、先駆者は叩かれるものなのですね。息子に殺されるとは。

 ここからバスで、今度はアフラシャブの丘へ移動です。
アフラシャブの丘

 現在は何もない荒れ地だが、モンゴルに破壊される前には、ここにサマルカンドの街が有った。
 街は城壁で囲まれ、4つの大きな門が有り、これらの門を通じ、サマルカンドはシルクロードと結ばれていたということだ。
 当時のサマルカンドは道路が舗装され、水道が各家庭に延び、緑に溢れていたという事である。
 丘の麓の「サマルカンド歴史博物館」で、発掘された壁画などを見学することが出来る。

 どうもガイドのバフさんは、何も無い場所よりも、展示物に重きを置いているようで、アフラシャブの丘はさっさと切り上げ、歴史博物館に多くの時間を割いてくれたのですが、私としてはもう少し丘でのんびり時間を過ごしたかったな。
 博物館には、当時の街のレプリカや、発掘された壁画など、見るべきものも多いけど、正直同じようなものが沢山出てくるので、疲れてしまいました。
 こういうのは興味の方向に個人差が有るから仕方ないですね。
 博物館で少し自由時間を貰ったので、私はさっさと博物館を抜け出し、アフラシャブの丘まで行ってきました。
 かつてはここに街が有ったんだ・・・と思うと、感無量。
 形有るものはいつか壊れると言うけれど、今目の前にする風景の中に、かつてのにぎわいを見つけるのは難しかったです。

 集合時間までに、走ってバスに戻ると、バスの側に子供達が沢山います。
 どうやらツアーの中の一人が、彼らにお菓子をあげたようです。
 「何かを貰おう」というよりは、「外国人が珍しい、人なつっこい子供達」って感じでした。
 彼らもカメラを持っていたのですが、こちらがカメラを向けて「撮っていいか?」とゼスチャーで訪ねると、にこやかに手を振ってくれました。



 本当に、ウズベキスタンの人たちは写真好きです。大人も子供も、カメラを向けると、嬉しそうにしてくれますし、自分たちがカメラを持っている場合には、いっしょに写ろうと誘ってきます。
 おかげで良い記念になる写真が、沢山撮れました。

 この後、少しバス移動し、バスは「シヤブ・バザール」近くで私たちを降ろしました。
 この近くにある「シャーヒズィンダ廟群」の近くにはバスを停められない為です。
 初めて大きなバザールを目にして、わくわくしたのですが、バザールの観光は後ということで、バザールを尻目に坂を登り、墓地を抜け、「シャーヒズィンダ廟群」を目指します。


↑バザールでつい撮ってしまいました。
なんだか、素敵なおばさまだったので。


↑これも思わず撮ってしまいました。墓石です。

 墓地は緑に溢れていて、墓石には故人の写真が彫り込んであります。
 中にはご夫婦揃ってというのも有り、微笑ましいのですが、夜ここを歩いたら怖そう。
 子供の墓地は、あまりに小さい子供が刻まれていると、悲しい気分になりました。

 徒歩10分程度でしょうか。
 シャーヒズィンダ廟群に到着です。
シャーヒズィンダ廟群

 サマルカンド随一の聖地。
 ティムールゆかりの人々の霊廟がほぼ一直線に立ち並ぶ。


↑遺跡も草ぼうぼうでした


↑工事中の遺跡と、その向こうに見える普通のお墓



↑せっかくの遺跡も工事中のところがほとんどでした


↑遺跡の日干し煉瓦の隙間から、花が

 青のタイルがとっても美しかったです。  ここは一本の通り沿いに、沢山の廟が並んでいて、それぞれに装飾タイルが美しかったのですが、何故かバフさん、細かい説明は無し。
しかも、一番奥までは行かず、今ガイドブックを確認してみたところ、多分真ん中あたりの「シリンベク・アカ廟」でUターンしてしまったと思われます。
 何故一番奥まで行かなかったのかは不明。(他の現地人などは行っていたし)
 多分、廻る予定のところが多く、時間を気にしていたのだとは思うんだけど、かなり残念でした。
 ちなみに内部を見て回ることが出来る廟は本当に少数のようで、どこもかしこも工事中。美しいタイル装飾も、写真のように足場が組まれている状態でした。
 観光に不満が残るものの、11C~15Cに建てられた廟群は、やはり圧巻。
 修復された故の美しさ、未だ荒れ果てた部分を残すはかなさのコントラストが何とも言えない哀愁を漂わせていました。
 遺跡の煉瓦の隙間からのびた草花を見て、私は何となく「宮崎駿の世界だな」なんて考えてしまいました。

 シャーヒズィンダ廟群の観光を終わると、また元来た墓地を戻り、シヤブ・バザールを通り過ぎ、今度は「ビビハニム・モスク」です。
ビビハニム・モスク

 かつてイスラム世界で最大の規模を誇ったモスクの跡。
 大モスクと二つの小モスクが並び、入り口には大きなアーチがある。


 色々な言い伝えの有るモスクですが、バフさんがこんな話をしてくれた。

 妃ビビハヌムはティムールに最高のモスクを贈ることを考え、ティムールの遠征中に着工した。
 が、ビビハニムに横恋慕した建築家が、「キスをさせてくれないと、心が乱れてこれ以上働くことが出来ない」と言い出します。
 もちろんビビハニムはそんな建築家の言葉を退けますが、実際工事が進まず、ティムールの凱旋の日が近づくにつれ、とうとうビビハニムは折れ、一度のキスを許します。
 この頬へのキスの跡が痣として残ってしまったのです。
 凱旋したティムールは、完成した壮大なモスクに感激し、妃にお礼を述べようとしたところ、痣に気づいてしまいます。
   妃の不貞を怒ったティムールは、建築家を死刑に、ビビハニムを彼女から贈られたミナレットの上から投げ捨てたと伝えられています。


 とにかく大きくて美しかったです。
 入り口のアーチをくぐると、大きな中庭があり、中央には大理石の巨大な書見台、その向こうに大モスクが有ります。
 この書見台は、世界最古のコーラン「オスマン・ラクーン」を置くために、ウルグベクによって寄進されたものだそうです。
(「オスマン・ラクーン」はタシケントの「ジュマ・モスク」で見学可能です)

↑とにかく大きくて、まったくフレームに収まり切りません


↑中のドーム。鳥が飛んでいました。


↑中から外を見た感じ。


 ここら辺から、暑さにやられて、写真がどこのものだったか怪しくなってきます。
 もし間違っていたら、ごめんなさい。
(特に内部写真はあんまり自信が無いんです・・・)
 この後、ビビハニム廟を見学し、そこのおみやげ屋さんでビーズのブレスレットを購入。
 このあたりから、かなり記憶が曖昧になっています。
 自分のメモを見て、ガイドブックを見て、地図を見て、「多分行ったと思う」っていう状態です(--;

 長い長い午前中の最後、ようやく「シヤブ・バザール」です。
 どこの国に行っても、バザールや市場というと、妙に燃えてしまう私です。



 ここでは干しぶどうなど乾物類を買いました。疲れた体には、この甘さがたまりません!
 ブドウ2種類、杏、あと何か1種類を半キロずつ(汗)買いました。
 この店のおばさんが上手くてね~。ついつい電卓を巻き上げられてしまいました。
 ずいぶん長く使っていた電卓なので、ま、いいかな。
 そしたら何だかわけのわからない種をくれました。
 これ、食べるのが大変。割るのに堅いうえに、あんまり美味しくなかった(--;
 そこそこバザールを満喫して、集合。その後、ようやく昼食です。

 バスで移動していった先は、普通の街の中。
 その中の一軒で昼食です。
 チャイハネとも違う。邸宅レストランといった趣でしょうか。
 こちらの家の造りはみんなそうなのかしら。中庭があり、綺麗に花が咲いていました。
 食事はどこに行っても大体同じウズベク料理。
 量はかなり多く、疲れていたのと暑さとで、皆、食が進みません。
 外は暑いけど、家の中は涼しく、お腹もいっぱいになったら「ここで昼寝したいよね」って気分になってきます。
 ウズベキスタンではよく見かけるのですが、日本で言うところの縁台のようなもの(数人寝転がれるくらいの大きさ)があって、夏の夜はそこで夕涼みをしたり、寝たりするそうですが、それでお昼寝したくて仕方有りませんでした。

 少しゆっくり目に昼食と休憩を取り、午後の観光に出発です。
 その前に、食事をしたレストランのすぐそばで、こんなことをしていました。



 これ、何をしていると思います? 電話線を繋いでいるのだそうです。手作業で!
 暑い中、ご苦労様です。

 レストランから出たバスを、手を振りながら走って追いかけてくる子供に手を振り返しつつ、午後のスタートです。
グリ・アミール廟


 ティムールと彼の息子達が眠る霊廟。
 ティムール自身は故郷のシャフリサーブスに葬られることを望んでおり、廟も作っていたのだが、権力者ゆえ、当時の首都であるサマルカンドに葬られることとなった。
 内部を覆う文様には、金が使用されている。

 1941年、旧ソ連の学術組織によってティムールらの墓が開けられ、ティムールの足が不自由だったこと、ウルグベクが斬首されたことなどが証明された。
(この廟には、ティムール、息子のシャールフとムランシャー、孫がふたり、ティムールの教師ミルサイード・ベリケ、ムハンマド・スルタン、ウルグベクが葬られている)


 権力者って、自分のお墓一つ、自分の好きに出来ないんですね。
 シャフリサーブスで「ティムールの墓」が発見された時、どちらが本物か、ということで、サマルカンドのティムールの墓を開けたようです。
(シャフリサーブスの墓の中には、何も無かったとか)
 ティムールの墓を暴くと、災いが起ると言われていたらしく、実際ティムールの墓を開けて災いが起ったので、研究のために一度はモスクワに持っていったらしいのですが、調査が終わるとすぐにグリ・アミールに戻したそうです。
 内部はきらびやかで、金の装飾が美しかったです。
 イスラムの装飾って、どうしてこんなに美しいのでしょうね。

 ところでウズベキスタンでは、世界遺産であろうが何であろうが、遺跡の中におみやげ物屋さんが入っています。
 多かったのは、刺繍もの(スザニや刺繍の入ったバックなど)、リシタン焼き、肉筆のイラスト、絨毯、工芸品などです。
 絨毯やスザニは、本当に素晴らしいものは、価格もそれなりだけど、他の国に比べたらぜんぜん安いと思います。スザニは小さなものを買ったのですが、絨毯は、最後まで悩み、購入しませんでした。
(だって、予定外だから、予算組んでいなかったし、カードは使えないし)
 ただ、50年以上昔のものや歴史的に価値の有るものは、国外持ち出し禁止なので、購入の際には十分注意してください。
 実際、同じツアーの人が、税関で購入したもの(イコンということでしたが・・・)を没収されていましたし、バフさんの話では、ホテルの売店で買った絨毯(何百USドルもするもの)を没収されたという例も有るようです。
 ホテルといえども安心できない。高額の品を買う場合は、ガイドが同行していたら、必ず確認するのが無難でしょう。

 そして本日の最後。レギスタン広場と三つのメドレセ(神学校)です。
レギスタン広場


 チンギス・ハーンの来襲以後、アフラシャブの丘から移動し、サマルカンドの商業の中心となった。
 ティムールの孫のウルグベクの時代に、最初のメドレセ(神学校)が建てられた。
 その後、更に二つのメドレセが建てられ、広場の周囲に三つのメドレセという、現在の形になった。


ウルグベク・メドレセ

 広場の写真向かって左。
 レギスタン広場の西側に、ウルグベクの時代1402年に建てられた神学校。
 ウルグベクは自身が天文学者であったように、学芸を振興し、自らも教壇に立ったと言われている。


シェルドル・メドレセ

 広場の写真向かって右。
 1636年に完成。広場を挟んで向かいにあるウルグベク・メドレセを模して造られたと言われている。
 この「シェルドル」とは「ライオンが描かれた」という意味で、入り口アーチに子鹿を追うライオンが描かれている。
 これは偶像崇拝を禁止するイスラム教のモチーフとしては異例の事である。

↑アーチの両上のオレンジっぽい色の部分に、描かれています。
ガイドブックには拡大写真が出ているので、興味有る方は
チェックしてみてください。


ティラカリ・メドレセ

 広場の写真正面。
 1660年に建てられた神学校。
 当時ビビハニム・モスクが廃墟になっていたため、サマルカンドの主要礼拝所としても使われた。
 内部は金をふんだんに使った装飾が施されており、非常に豪華で荘厳。


 ちなみに丁度観光していた時、ティラカリ・メドレセのドームの上は、草むしり中でした。


 更にミナレットの上にも人が。


 小さすぎて判りづらいんですが、上にちょこんと乗っているのは、どちらも人なんです。
 正直、見ている方が怖かったです。

 モスクの脇に立っている塔をミナレットと言うのですが、何でこんなに高い塔が立っているのか。
 バフさんの説明によると、聖職者がミナレットの上に立ち、礼拝の時間を告げ、更に文字が読めないイスラム教徒のために、お祈りのコーランを読み上げるための場所だということです。
 昔はマイクが無かったから、高いところから、朗々とした声でお祈りの言葉を唱えたのでしょうね。
 このミナレット、登れるところも有るので登ってみると判るのですが、内部は螺旋階段のみです。
 灯台のような造りと言えば、判りやすいでしょうか。

 前に、世界遺産の中にもおみやげ物屋さんが、と書きましたが、ここも例外ではありません。
 各メドレセのアーチをくぐると、大きな中庭があり、それを囲んで小部屋が沢山あります。
 昔はこの小部屋に、学生が住んでいたわけですが、今は一階部分はおみやげ物屋さんです。


↑中庭には、縁台も置いてありました。
正式名称、聞いたけど忘れちゃった^^;


↑おみやげ物屋さんのひとつで
有名な民族楽器の奏者だそうです。


↑中で絨毯も織っていました

 おみやげ物屋さんの一つで、クッションカバーを買いました。サマルカンド風の手刺繍が、気に入ってしまって。
 でも、日本に帰ってからクッション入れてみたら、後ろのあわせが浅くて、ぱっかり割れてしまうんですよね(苦笑)。
 裏は見ないようにして、飾っています。

 ここまでで、ようやく本日の観光が終了です。
 一日炎天下で歩き回って、むちゃくちゃ疲れました。
 夕食は川辺のレストランでウズベク料理。
 日が落ちると涼しくて、なかなか気分良かったです。


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