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September 21, 2005
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カテゴリ: カテゴリ未分類
ワシは、三重県伊勢市出身だが、伊勢が誇る、偉大な政治家、尾崎行雄(号咢堂(がくどう)を今こそ見つめなければいけない時ではないか。
尾崎咢堂でサーチするとたくさんヒットするが、ワシなりに氏の年譜を簡単にまとめてみた。

1857(安政5)   1858、1859とする説もあり。
     現在の神奈川県津久井に生まれる。
     父、行正は勤王の志士だった。

1873(明治5)15歳
     三重県の役人となった父の転勤で現在の伊勢市川端に移住。
     17歳まで当地に住む。宇治山田英学校で英語を学ぶ。

現在の開成高校に進み、慶応義塾に進むが塾長の福沢諭吉に反抗して退学する。その後、帝國大学工科(東大工学部)に入る。


      頻繁に行う。

行雄22歳の時、14歳の繁子と結婚する。こりゃスゴイ!羨ましい。しかし、繁子は、肺病で40歳で亡くなる。

27歳で東京府議会議員に当選。

1890 日本最初の国会総選挙に三重県5区(現在の伊勢市周辺)から出    
     馬し、見事当選。33歳。

30歳、大同団結運動で東京を退去させられる。31歳、アメリカ、イギリ                 
    スへ亡命。

37歳、政府の軟弱外交を痛撃する演説を各地で行う。

40歳の若さで、文部大臣になる。

46歳、東京市長(現在の東京都知事)に就任。

48歳、石川啄木が19歳の時に出版した初めての詩集「あこがれ」の   

    困窮していた石川に出版の援助をしたのであろう。
    繁子が死んで、すぐに日本人を父にイギリス人を母にもつハーフの
    テオドラ(36歳)と2度目の結婚をする。

54歳、東京に市電をつくる。

55歳、東京市長の時、ワシントンに伊丹の桜3000本を友好の印に贈    

    40本贈られる。この桜は、名物名所となり、太平洋戦争で日米が  
    戦った時も大切に保護されていた。

57歳、司法大臣(今の法務大臣)となる。

1937 80歳、第二次世界大戦前、常に辞表をふところに入れ、痛烈な             
    軍部批判をくりかえす。

1939(昭和14)82歳、どの政党にも属さず。

1945(昭和20)88歳、日本の敗戦に「休戦と新世界建設の構想」
     「平和的新世界建設の要件」を発表。

89歳の時、衆議院議員の立候補を辞退したが、現伊勢市民等の推薦候補と    
    なり最高得票で当選!(この歳で~!)

93歳、渡米。(この歳で~!)

95歳、病床から衆院に立候補して当選!(この歳で~!)

96歳、東京都名誉都民第1号として顕彰される。

1954(昭和29)97歳で神奈川県逗子の風雲閣にて永眠。

当選25回、議員生活64年は、チャーチルを抜き世界一である。ギネスブックにも載っている。威風堂々とした格好をしていたが、靴下は、つぎはぎだらけであった。
「川上の選挙がカネで濁れば、川下の政治も濁る」
「人生の本舞台は、常に将来にあり」
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を希求しなければならない」
 演説をすれば、人の心と国会と社会が変わるなんて、スゴイ政治家は、咢堂以来現れていない。





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Last updated  September 22, 2005 01:24:01 AM
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