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【日本政府が日本の領土だと主張している竹島を韓国政府が不法占拠をしている問題。】私は、竹島の問題は、ほぼこの一文の事しか知りませんでした。これまで時々見かける竹島関連のネットニュースを見るたびに、どのような経緯で韓国が竹嶋に上陸して基地のようなものまで作って実効支配をしているのか?日本政府は、ただの傍観者の如くその様子を見守っていただけなのか?その疑問だけを抱き続けていました。これまで時々、竹島関連のニュースが出た時のコメント欄に、「韓国軍が竹島に上陸した当時、日本の漁師さんたちの多くが韓国軍の攻撃で56されたり、数千人の漁師さんが拿捕され韓国で抑留されて苦難の日々を送っていたのが事実だ」との書き込みを目にしていました。それでも、「私がその経緯を知ったからと言って何も変わらないし」と言うのが正直なところでしたから、その真実を調べようともしないで無関心でした。でも、それは私だけではなく....、先の衆議院選挙期間中や、これまでの国会での質疑で特に共産党や、れいわなどの野党議員の言動を見ていると、お花畑を通り越して幻のユートピアにでも住んでいるのかと思うような幼稚な発想からすると、彼らも竹島の事は、【日本政府が日本の領土だと主張している竹島を韓国政府が不法占拠をしている問題。】としか認識していないで無関心なのではないかと思えて来ましたw。ここで私は常々疑問に思っていた、【韓国がどうして竹島を実効支配をしているのか?問題】をAI (Gemini )に聞いてみました。下の囲みに載せたAIの回答を端的に要約すると、【韓国が上陸し実効支配を始めた経緯の発端は、第二次世界大戦後の混乱期にあります。サンフランシスコ平和条約が発効し、日本が主権を回復する直前の1952年1月、当時の韓国大統領・李承晩が、日本の領土だと認められている国際法を無視して日本海に一方的な境界線(李承晩ライン)を引き、その内側に竹島を取り込みました。日本は自衛隊すら発足したばかり(1954年設立)で、敗戦直後のため軍事的な対抗手段を事実上持っていませんでした。また、憲法第9条の観点からも、武力で奪還するという選択肢は極めて困難でした。】と言うことです。この要約した部分を読んでみると、今現在問題になっている中国と台湾と日本(アメリカ含む)の有事問題に絡めると見えて来たものが有りました。中国は、この韓国の竹島方式で、台湾有事のどさくさに紛れて尖閣諸島までも狙っているのではないかと言うことです。台湾と尖閣諸島の間の距離は、離島などとの距離を踏まえると150km〜170kmで、日本国内での距離に例えたら「東京から静岡まで行く距離と同等」だそうです。精鋭のイージス艦なら約2時間〜2時間半で到達できる距離で、どさくさ紛れで来られるこんなに近い距離で無防備でいるのは怖くないですか!?国家間の領土問題や、宗教対立など話し合いで解決したことなんて人類史上一度も無いと言っても過言ではないと言えるし、隙を見せたら国土や人命が奪われる。それを阻止するには自国の防衛力が大事だと言うのは竹島問題が一番教えてくれている。竹島でさえ未だに取り戻せていないのに、C国が尖閣諸島に上陸したらもう日本が領土と、その海域を取り戻すのは無理でしょう。れいわの人達が「国民に必用なのは防衛費よりお米だ!話し合いで解決すべき!」だと言うなら、れいわの議員さんをはじめ、話し合い推奨の議員さんたちは、韓国へ行って話し合いだけで竹島を取り戻してから「防衛費よりお米だ!」と言ってください。 こちらの囲み記事は、AI (Gemini )による回答です。竹島が現在、韓国によって実効支配されている経緯と、それに対する日本政府の対応について解説します。結論から申し上げますと、日本政府は決して「ただ見守っていた」わけではありません。しかし、当時の国際情勢や軍事力の制限により、武力行使ではなく外交的な抗議と国際法に基づいた解決を優先した結果、現在のような状況に至っています。1. 韓国が上陸し、実効支配を始めた経緯発端は、第二次世界大戦後の混乱期にあります。李承晩(イ・スンマン)ラインの設定(1952年)サンフランシスコ平和条約が発効し、日本が主権を回復する直前の1952年1月、当時の韓国大統領・李承晩が、国際法を無視して日本海に一方的な境界線(李承晩ライン)を引き、その内側に竹島を取り込みました。武力による威嚇と不法占拠(1953年〜1954年)韓国側はこのラインを越える日本漁船を次々と拿捕し、死傷者も出ました。1953年には竹島付近で海上保安庁の巡視船が韓国側から銃撃を受ける事件が発生。1954年には韓国が「独島義勇守備隊」や警察警備隊を常駐させ、宿舎や灯台を建設し、武力による不法占拠を強行しました。2. 日本政府はなぜ止められなかったのか?日本政府が手をこまねいていたわけではなく、以下のような制約と対応がありました。軍事力の不在と憲法の制約当時の日本は自衛隊すら発足したばかり(1954年設立)で、敗戦直後のため軍事的な対抗手段を事実上持っていませんでした。また、憲法第9条の観点からも、武力で奪還するという選択肢は極めて困難でした。外交的な抗議と標柱の設置日本政府は、韓国の動きに対し直ちに抗議を行い、島に「日本の領土」であることを示す標柱を設置しました。しかし、韓国側がこれを破壊・撤去し、自国の標柱を立て直すという泥沼の「標柱争い」が続きました。国際司法裁判所(ICJ)への付託提案日本政府は1954年、1962年、2012年の3回にわたり、公平な第三者機関である国際司法裁判所での解決を提案しています。しかし、裁判は相手国(韓国)の同意がなければ開始できない仕組みになっており、韓国側は「領土問題は存在しない」としてこれをすべて拒否しています。3. 現在の状態と日本の立場現在も、韓国は警察警備隊を常駐させ、ヘリポートや接岸施設などの「基地のようなもの」を維持しています。日本政府の公式見解は以下の通りです:「竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに日本固有の領土である。韓国による占拠は国際法上の根拠がない不法占拠である。」まとめ:日本政府のスタンス日本は一貫して、平和的かつ法的な解決を求めています。武力で奪い返すのではなく、国際社会に対して日本の正当性を訴え続け、粘り強く外交交渉を続けているのが現状です。
2026.03.03
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