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すっかりブログご無沙汰ですが、今日は皆様にご報告。名古屋の駅前の”ウィンクあいち”にて、「癒しのカーニバル!」というスピリチュアルイベント主催のメンバーの一人になりました。告知はすっかり遅ればせですが、日時:2011年11月13日(日) 11:00~19:00で、もちろん☆☆入場無料☆☆です。10~20名くらいのヒーラーさんやカウンセラーさん達が集まって、様々なジャンルでの癒しを行うというもの。もちろん自分も参加します。自分としては、オーラと過去世のリーディングとカウンセリングを行う予定。こういうイベントをして、人が集まってくれるって本当に幸せなことだな、と思う。っていうのは、企画でいろいろ話をしていると、色んなヒーラーさんがいて、そのお話を聞くだけでも結構楽しい。こんな人たちなら、きっとみんなも癒されるだろうなぁーと思うし、そういう光の中にいるだけで、気持ちよくなりそう。ということで、詳細は、こちらから見てください。http://ameblo.jp/iyashi-carnival/entry-10984992096.html皆様とお会いできるの楽しみにしています
Oct 30, 2011
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すっかりブログご無沙汰してしまいました。ゆるスピセミナーや、パワースポットツアーなど、たくさんの素敵なことがあったのですが、ただただ心の中に溢れる幸せにまかせて、こちらに書かないままになってしまっていました。そんな中、7月23,24日と、「ジュード・カリバン」さんという人のセミナーに参加してきました。その名もヒーラーのためのヒーリングサイエンス。http://www.spiritualistorganization.com/spiritual%20house_workshops_judecurrivan-bulletin_july2011.htmlもともとカリバンさんに出会ったのは、「2012年への13のステップ」という本から。ビジネスの世界でも成功していた彼女がスピリチュアルの世界に目覚め、世界中のパワースポットを訪ね啓示を受けていく様子は、まるで神話や物語のような素敵な響きがありました。それに、世界中のパワースポットで宇宙からのメッセージを受け取りたい。というのは自分の中の漠然とした夢を形にしてくれたような、そんな嬉しさもありました。それで、”今会いたい人のリスト”に入れていたのですが、ちょうど別のところから「WORLD SHIFT」とうい言葉を聞いて、素敵なことを考える人たちがいるんだな、と思っていたら、その提唱者の人と共同で本(COMOS)も執筆している!ということで”絶対会いたい人に格上げされたところで、ネットを探していたら日本に来るという情報からすぐに申し込みました。そしていよいよ23日の彼女とのファーストコンタクトは、まるで子供のようにちょこんと席に座って、目が合うと満面の笑みで返してくれた星屑が溶け込んだのような目をした女性でした。真っ白なオーラの中で優しい微笑みの彼女は、これがヒーラーという概念なのかもしれないと思わせるような雰囲気を漂わせているのを感じました。セッションの間も常に笑顔を抱え、どんな質問にも、言葉にも柔らかな光が包むような回答の仕方をする人だったと思います。セッションの中では、第8~9のチャクラを中心に、個人を超えた宇宙のレベルでの意識のつながり方、そこにある無条件の愛、ワンネスという考え方を学び、そのワークを行いました。ハートチャクラと喉のチャクラの間にある第8のチャクラに意識を集中させ、その光を感じるところから、やがて静かに意識を下ろしていき、両足の間の30cmほど地下にある第9のチャクラの真ん中を通って、地球の核にまで意識を下ろして地球とつながります。そして地球の大いなる愛を感じ、そのまま意識を引き上げ、体の中心を通って、今度は頭のてっぺんから更に上へ上へ、そして宇宙の根源にある無条件の愛へと意識をつなげその光を第8のチャクラで受け取ります。その状態で、自分や相手のヒーリングを行っていくというもので、まずは自分がとても気持ちよい感覚になり、しかもメッセージを受け取ることもできるようになります。瞑想の得意な方は是非やってみてください。今後も日本のパワースポットをカリバンさんと行くツアーなども計画されるそうなので行ってみたいなぁと思わせるセミナーでした。
Jul 24, 2011
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東北関東大震災からもう1か月半以上がたちました。まるで大きなうねりのような力で押し寄せる地球の変化の中で、大きな波に揺れる木の葉のように、安定感を失いかけていた日々から、自分の心もようやく立ち直りつつあります。震災の被害に遭われた方々の悲しみや、苦しみ、そして今も続く恐怖や怒りや苛立ちには、あまりにも無力な自分であることを思い、ただ祈りを捧げるばかりです。引き返すことのできないターニングポイントとして、あの日の出来事は地球上のすべての人々に訪れたような気がします。そんな日々の中での祈りの瞑想として地球を癒し、癒される瞑想を紹介します。まずは、1、自分が宇宙の愛と光に守られていること、ネガティブなものから守られている ことへの感謝を祈ります。2、自分の頭の上に光の球を思い浮かべ、その光がまるでとろんとした液体のよう にゆっくりと頭のてっぺんから体の中に入ってきて、満たしていきます。そして、 体の中のすべての滞りや、ストレスが流され、大地へと吸収されていきます。3、意識を自分の周囲にあるオーラをイメージしてそこまで広げていきます。 自分の体から90cmくらいのところに光の壁があって、それが卵型になって 自分の体を包んでいることをイメージしてください。4、そして意識をそのオーラの外側へゆっくりと広げていき、部屋の大きさへ、 家の大きさへ、そしてその意識はやがて町を包み、市を包み、日本を、そして 地球全体を包み、宇宙へと広がります。5、宇宙から地球を見下ろし、愛のリボンを地球へ向けて投げかけてください。 そうすると、リボンが地球に届き、そこでまた光の粒がはじけ、自分へと帰って きます。6、光のやり取りを充分に感じたら、やがてゆっくりと地球へと降りていきます。7、そして今度はそのまま地球の中心へ向けて地中の中へ、ゆっくりと意識を沈め ていきます。 真っ暗の地球の中を、地球の中心の核へ向けどんどん進んでいってください。8、中心に達したと感じたら、そこから地球全体を包むように内側から愛の光を 送ってください。地球の内側から全体が光に満たされるように、そしてその光が すべての人の気持ちを輝かせるように祈りながら。 特に震災の影響の残っている地方や、気になるエリアでは光を強めるようにして みてください。9、充分に光が届いたと感じたら、ゆっくりと上昇し、地上へと戻っていきましょう。 そして、大きくなった意識を少しずつ小さくし、町の大きさに、家の大きさに、 そして部屋の大きさ、そして自分を包むオーラの大きさにまで戻しましょう。10、そして自分の心の内に湧き出す幸せを感じてください。充分に感じたら、 意識を自分の体にしっかりと戻し、ゆっくりと目をあけ、今の自分に戻りましょう。とても気持ちいいので是非やってみてください。もちろんそこで起きていることはすべてイメージの中でしか過ぎません。愛や宇宙の光も目に見えない、形のないものです。けれど、見えなくても、自分の心の祈りが誰かに届いていることを感じる事は、とても大切なことのように思います。あたたかな毛布のような、あたたかな心がたくさんの人に届きますように。
Apr 27, 2011
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マンションの駐車場に着いて空を見上げると、隣のマンションと、自分の住んでいるマンションと、その間に切り取られた夜空があって、その中にずっとずっと昔からその輝きを失わない星たちが輝いている。それは数えたとしてもおそらく両手に収まるくらいの個数しかない。けれど、それは都会の光にも負けずに、忘れ去られるくらいの静けさで遠い遠い宇宙を渡ってきた、この瞬間に目に入ってくることが奇跡のタイミングでしかない、そんな星の光なんだと思う。だから、おそらくほんの数十秒、マンションの自動扉へと入るまでの時間。僕はその星たちから目を離すことができない。そして、なぜだか微笑みが浮かんでくる。日々の人間としての営みがすべて吹き飛んでしまうくらいの壮大な物語を抱えたかすかな光。それに比べてあまりにも小さな自分と短すぎる人生という時間。そのことを思う時、寂しさよりも、あったかい気持ちが生まれてくる。だから僕は、そんな光と今日も会話を続けている。もっともっとたくさんの人がこの奇跡の星の光に気づきますように。その微笑が広がりますように。
Mar 9, 2011
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「ゆるいスピリチュアル勉強会」1stシーズンが昨年末にうちわグループの間で、好評のうちに終了。そして、今年から2ndシーズンがスタートしました!と言って、開催からもう2週間経っていますが。。。今回は前回より少しだけパワーアップしてよりディープなスピリチュアルな世界へとお誘いしようかと。いうことで、カリキュラムはこんな感じにしてみました。第1回 感じること・・魂の記憶第2回 感じること・・魂の未来第3回 受け取ること・・愛第4回 受け取ること・・宇宙の真実第5回 豊かになること・・身体と心第6回 豊かになること・・価値の創造第7回 豊かになること・・次元上昇こんな感じです。もちろんですが、講師の都合&成長具合により、カリキュラムの中身は変更されてしまいます。。それでもよろしくお願いします。そして、この勉強会が終わるころには・・身体も心も、そして魂もピカピカになって、今までとは違うバイブレーションで生きることができるようになっていること。それが目標です。早速第1回があって、いままど同じようにオーラを感じるところからスタート。そして地球からのエネルギーを感じて、そのエネルギーの色を次々と変えていきます。そしてその色でオーラを満たします。イマジネーションでは、山頂にたたずむあなたはやがて雪となり、川を流れ、海へ続き、海を渡り、雲になり、世界中をまわって、同じ山の頂へと雪に変わり戻ってきます。そんな心の旅をしました。それから過去へとゆっくり魂の旅を行います。それぞれの気付きの中で、ゆっくりとワークを終え、そして自分の心を最後にパステルでスケッチしました。人の心の無限の可能性と、魂の永遠の旅と、宇宙の中の存在としての自分を感じたワークでした。今回も参加して頂いた皆様。本当にありがとうございました。光あふれる幸せとともに。~~~次回は3月5日となりました^^
Jan 15, 2011
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本日”ゆるスピ勉強会”のセカンドシーズンがスタートしました。中身については明日のブログに載せるとして、まずはスピリチュアル会としての新年挨拶をお届けします。。。ゆるスピ年始挨拶明けましておめでとうございます。新春の凛とした風の中、心地よい日差しが差している頃、2011年も始まりました。今の自分の魂は、果たしてこれで何度、年の区切りを迎えたのだろう。遥か、永い、永い時の流れを旅してきて、その魂が、今ここに自分の生命として宿っている事に今日も感謝したい。今、という決して戻ることのないこの瞬間。止め処なく流れ落ちる滝の、そのそばに咲く真っ白な百合の花のように今に目を凝らし、生きる喜びを身体中で表し、静かに強く咲き誇っていたい。そんな時の中で、今ある自分の幸せを感じその自分と自分を包む人々の愛を感じ心からの祈りと共に今を生き、この時を輝かせていきたい。今年もよろしくお願い致します。
Jan 15, 2011
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ゆるスピ会、第6回を11月13日に実施、そして第7回をシリーズ1のファイナルとして実施しました。第6回は前回の第5回の”繋がり”のパート2として、暖かさを含めた繋がりをやってみました。その中で、自分のオーラの壁の厚みを調節してみて、隣の人をオーラで包んでみたりします。その後イマジネーションの中で海沿いの砂浜を歩き、丘を越え、クリスタルのお城で大切な人と出会います。そして、自分のオーラの中でたくさんの人と出会い、そして最後には守護神、もしくはガイドと呼ばれる守ってくれている存在に出会いました。その形ははっきりとはしていないけれど、参加した皆がその光を感じることが出来たのはとても素敵な事でした。新しいメンバーも参加して、涙が出るワークもあり、とてもキラキラとした素敵な時間でした。そして、最終の第7回。先日訪れた事任神社の写真から、その御神木になって神社を見下ろしてみたり、その空気を感じることができました。そして密教の修行でも使われている月輪観。それにより宇宙にまで自分の想像力を広げていき、そしてまた元に戻します。更には宇宙から自分へと愛を送り、それを受け取ることも行いました。今回も新しいメンバーが一人見えて、そんな風に一人増える毎に新しいキャラクターが加わり、その影響によりまたそこで生み出すスピリチュアルの空間が変化していく。その変化がとても心地よく、また新たな可能性を感じた最終回でした。ゆるスピはシリーズ1として、身体から自由になる、言葉から自由になる、現世から自由になる、そして、生きる意味を知る、優しさを知る、暖かさを知る、そして光と魂の世界と繋がる、ということを大きなステップとして進んできました。初めてのスピリチュアルの勉強会で、たくさんの人に参加してもらって、自分にとってもとても深く、感動的で、たくさんの気付きを与えてもらった期間でした。そして、参加してもらった人たちの心が動いていくところや、気付きが生まれている瞬間を目にすることはこの上ない喜びでした。ということで、来年2011年は1月15日より2ndシーズン開始決定です!よろしくお願いします~。
Dec 18, 2010
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過去生ってあるんですか・・?そんな問いかけを聞くことがある。自分は感覚的に過去生はあると思う。まるで宇宙の中を飛び続ける宇宙船のように、魂と呼ばれる光は、旅を続け、たくさんの人生を生き、そして今また、それぞれの肉体に降り立って、人生を築いているのだと思う。そして過去生は、遠い日の記憶のように淡い光となって、今の人生に時に大きく、時に小さく影を落とす。そんなものだと思う。けれど。。大切なのは、過去の記憶を辿る事ではなくて、今をしっかりと生きることだと思う。過去の大きな悲しみや憎しみや、辛さがあったとして、今を生きるためにそれはどれだけ必要だろう。たくさんの人と話をしていて、今を懸命に生きている肉体と魂とがばらばらになってしまっていることが多いように思う。誰かの事を思いやることも、人のために尽くすことも、愛を伝えることももちろん素晴らしいことで、とても大切なことだけれど、一番最初に大切にしなければならないのは、あなたの身体という肉体で、ほんの短い間しか一緒にいることができない、その魂を本当に大切にすることではないかと思う。魂はあなたとして生きるために、今あなたの身体に宿っている。その魂をもっと、もっと、ぎゅっと抱きしめてあげて欲しい。ありがとうとつぶやいて、一緒に今を見つめて欲しい。あなたの自身の今を。長い長い旅を続けて、そして今あなたの身体に降り立った魂とともに生きる喜びを祝ってもらいたい。踊りだすくらいに激しく、歌うように艶やかに、そして叫びだすほどの一途さを持って。
Oct 24, 2010
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夜空へと泳ぎだした魂はたくさんの声を心に届けてくれる。そう。人生で起こるすべての出来事には意味がある。いつもの些細な日常も、眠れない夜にも。記憶も情熱も良心も、今を生きるためにある。その意味を求めて彷徨う眼差しの先に映るのは自らの心。ねえ。人生はたくさんの謎に満ちているから素晴らしい。簡単には解けない謎が人生に喜びを与えてくれる。心の中には仕掛け時計があって、好奇心こそがそのスイッチを押してくれる。あとは、その謎に向かって動き続け、立ち向かうのみ。時には夢や星空にその謎の答えを問いかけてみよう。なぜ人は寂しさから逃れようとして、寂しさにたどり着くのか?なぜ人は目に見えない命の大切さを忘れてしまうのか?なぜ人は心を説明するほどに、心から離れていくのか?なぜ人は人の暖かさに涙するのだろうか?
Oct 17, 2010
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すっかりブログご無沙汰でしたが、ゆるスピ会が第5回を迎えました。今回のテーマは”繋がること。”今までしてきた、たくさんの瞑想やイメージングを一緒にしてみたり、それを伝えたり、感じたりしました。それに加えて前回課外授業で訪問した多治見の”アリア像”と”永保寺”をイメージの中で再現してその感覚を味わいました。 人の意識は感覚と密接に繋がっていて、目の前に見えていることよりも 目に見えないことの方が鮮明に感じられることもある。 それに、人の意識は自由に飛び回ることができることができるから、 誰かの心を本当の意味で感じ取ったり、伝え合ったりすることができる。そんなことを感じてもらった第5回でした。次回は第6回。11月13日に行います。テーマは”繋がりパート2”です。今回より更に深く繋がっていくことを感じてみます。では~。
Oct 11, 2010
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星野道夫の「最後の楽園」という写真エッセイ集に、こんな言葉があった。 見ることと、理解することは違う。 たとえぼくが餌付けをしてグレーシャーベアーをおびき寄せても、 それは本当に見たことにはならない。 しかし、たとえ目には見えなくても、木や、岩や、風の中に グレーシャーベアを感じ、それを理解することができる。 あらゆるものが私たちの前に引きずり出され、 あらゆる神秘が壊され続けた今、 見えなかったことはまた深い意味を持っているのだ。1996年8月8日に星野道夫が熊に襲われ急逝してからすでに14年。時代を経ても、いやむしろ時代が過ぎれば過ぎるほど、星野道夫のたくさんの言葉はまぶしく、深く、人々に語りかけてくるように思う。それは僕らが日常生活を送っていく中で、どうやっても感じることのできない神秘的であり、地球的な体験だと思う。・・僕にとって星野道夫は写真家というよりも哲学者であり、詩人だった。そして、彼の写真は、遥か太古の伝説のような時代から、今この一瞬を風吹き抜け更に遥か未来までを一気に駆け抜ける、一陣の風のような、崇高さと、優しさと運命の鼓動を映し出している。地球の始まりからその終わりまでをじっと見つめてきたような、その深い瞳、悠久の時を旅している心が記した言葉は重く、映し出された写真はまばゆい。今、僕らはどれだけこの時の流れを感じることができているだろう。どれだけ遥か彼方から続いている歴史の重みを大切にしているだろう。消えていったもの、消え行くもの、目に見えないものを静かに感じる心を持っているだろう。。夜の風を感じながら、そんなことを思った。。
Aug 9, 2010
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世界中で2000万部以上が販売され、最も売れたビジネス書のひとつである「7つの習慣」の著者であるスティーブン・コヴィー氏の2日間(7月30,31日)セミナーに参加してきた。これを書いているのは実際は8月30日なので、すっかり1ヶ月が過ぎてしまっている。このブログもすっかりご無沙汰していて、一体どこから再開したものか。。と思いながら振り返ると、ここが出発点だったような、そんな気がしたので2日間セミナーを終えた次の日に意識を戻して書いてみることにした。セミナーの一番の印象は、コヴィー氏の深い、吸い込まれるような目の輝きだったように思う。握手をした後にこちらを見つめる目はまるで、アメリカの広大な赤土の荒野と青空から産み落とされたような永遠さと、地下深くの岩盤で何万年も眠り続ける地下水のような神秘さとを合わせ持っているように見えた。お互いの目を見つめる、言葉のないその瞬間がまるで永遠のように思えたその時がまるで人生の中のひとつの景色のように今では思い出される。それは冗談が好きで、すぐに物事に感動して涙を流す青年のような面影をも携えていた。コヴィー氏から感じたメッセージは「すべての人に心から素敵な人生を生きて欲しい」という事と、「自分の人生を心から愛し、そして他人の人生も心から愛することによりすべての人は幸せになれる」ということだった。彼の著書「第8の習慣」の中で、コヴィー氏は、自らの中にあるヴォイスを見出せ、と唱えている。それは”才能”、”情熱”、”良心”、”ニーズ”の4つの要素の交わるエリアである。そのワークの中で自分が導き出した”ヴォイス”は。。”人の心を思いやり、心からの思いを伝え、お互いの心の成長を、心地よく達成する事。”だった。素敵なセミナーに感謝。
Aug 1, 2010
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会社の帰り道、ちょうど昇りかけた月に出会った。少しずつ欠けていく月。帰る道すがら月を見つめていた。月を見つめていると、それは光というよりも光の粉に思えてくる。それはまるで金色の蝶が夜の闇に放った鱗粉(りんぷん)のよう。その粉は小さな粒の光となって身体の上に知らない間に降り注ぐ。そして、僕の心の奥に潜んでいる”魂”に独特の誘惑の香りで誘いをかける。さあ夜空に飛び出そう。あなたには金色に輝く翼がついている。あなたを今この場所にくくりつけるものは何もない。何も。。その甘美な香りに誘われて、おそるおそる、僕の魂はベランダから足を踏み出す。自由に空を飛ぶというよりは、一歩ずつ空中を歩いていくように、少しの緊張感と、得体の知れない安心感をつれて、僕は夜空を歩き出す。はるか下に広がる町を見つめ、たくさんの人が空の上では微笑みかける。こんばんは素敵な夜ですね。こんばんはお元気ですか?こんばんは。素敵な笑顔ですね。こんばんは。。。本当によくある些細な挨拶なのに、自分の心がそれに飢えていたことに気づく。それはまるで、暑さに吹き出す汗をハンカチを抑えながら、ふと太陽を見上げた時に、湧き起こった、ほんのわずかな風のような挨拶。周囲の木々を揺らしながら心の中にまで涼しい風を吹き込んでくれる。ちょっとした天気の話や、ファッションの話。僕らはいつも優しさを求めている。そのやさしさとは、決して特別なものではなくて心の周りにびっしり張り巡らされた壁の間から差し込む光のようなものかもしれない。誰かが僕に微笑んでくれる。。誰かの微笑みを僕が作り出すことができる。。そう感じるだけで幸せになれる。月の鱗粉は、僕のそんな”魂”にどんどん降り積もり、そっと、やさしく包んでいく。そして僕の魂は歩き始める。歩きだした僕の魂の周りを、まるで蝶がひらひらと舞いながら道案内をしてくれるように、その燐分は、僕を光へと導く。まるで一本の道を歩く修道士のような敬虔さで、月の光を身体に浴びて、僕はやがて蝶になる。いつしか自らの羽から鱗粉を振りまいて、夜空からの光を舞い散らす。。この夜空を見上げる誰かのために。。
Jul 29, 2010
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今日も暑い一日だったなぁ。こんな日は夜になってからも昼間の日差しが目に焼きついて残っているような気持ちになる。・・・それはまるで運動会の終わった、人のいない校庭のよう。昼間、その光に押されるようにして、たくさんの元気がそこで膨らんで、ぶつかりあう。すべてがエネルギーに満ちていて、何でもできそうな気持ちがして、はじかれるようにゴールテープへ向かって身体は風を切る。うまくいくことも、うまくいかないことも、その太陽の下では誰もが平等に可能性を秘めていて、それを力に、激しさに変えて、謳歌する時間。前を向いている誰もが勇者になれる空間。。。そして夜の帳が下り、すっかり昼間の光が消えてなくなってしまってから、緩やかではあるけれど、気温は下がり続け、風がまるで地球のため息のように昼の暑さを振り返る。夜、月が輝き、たくさんの星がその存在を嬉しそうに語りかける。夜空にはいくつもの物語が生まれ、意識は過去へ、未来へ旅をする。見えないからこそ見えてくるたくさんのものが夜の闇の中には潜んでいる。どんなに傷ついた心も、弱くて折れそうな心も、夜の闇は許してくれる。許しと癒しと創造と幻想、現実と夢想とが一番近づく時間。きらめく月の雫の中で、誰もが預言者になれる場所。やがて朝が訪れるだろう。・・・それはまるで卒業式の終わった静かな教室のよう。ここでたくさんのドラマが生まれ、友情が、青春が、恋や葛藤が誰の心にもかけがえのない一瞬として刻まれていった。そしてやがて来る朝は、新たなドラマの始まり。本当に当たり前だけれど、そんな風に前を向いて毎日を生きていきたい。この時を生きる感謝を込めて。
Jul 25, 2010
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先日の「ゆるスピ勉強会」である人に、「自分を磨くってどういうことですか?」と聞かれた。自分が思うには。。誰かに価値(光)を与える自分にどんどん成長していくことではないか、と思う。自分を磨き光り輝けば、それがまた誰かにとっての光となり、その足元を照らす。自分を満たす光は必ず他の誰かも満たしてくれる。それは別にたくさんの人を喜ばせることでなくても、たった一人の誰かでも喜ばせることができるなら、それが自分を磨くことではないのかな。例えば赤ちゃんの笑顔、生まれて間もなくてもその笑顔は生きていく喜びと幸せを象徴するかのようで、原石の光を帯びている。そしてその赤ちゃんの光は周囲の人々を幸せな光で照らす。赤ちゃんだって一人では笑わない。例えばダイエット、自分の理想の姿になって、それに幸せを感じて、それを見た誰かが美しいと言い、喜んでくれる。周りの人から嫌われるためにダイエットする人はいない。スポーツで優勝を目指してがんばる。その姿だけであなたは光を放ち、それを応援してくれる人が現れる。誰かを不幸にするためにスポーツする人はいあに。あなたは、何かに懸命に取り組むことで、光を放ち、それが誰かを照らす。もし、自分が今していることが何のためかわからなくなった時は、それによって照らされる人のことを思おう。たった一人でもそれを喜んでくれる人がいるなら、あなたのその輝きにエールを送ってくれるなら、人生は幸せだ。と思う。
Jul 21, 2010
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先日といっても少し前に松岡正剛さんの特集が情熱大陸であって、その中の勉強会の中で、こんな質問があった。「先の見えない時代に企業は何をすればいいのですか?」なかなか面白い質問だな、と思った記憶はあるのだけれど、松岡さんがなんと答えたのかは覚えていない。自分にとってはあまりしっくりこない答えだな、と思ったことだけ覚えている。もし自分なら。。と考えた。”企業は何を”は、”人生で何を”にも置き換えられると思うのだけれど、きっと。先の見えない時代はずっと前から続いている。むしろ先の見えた時代なんてなかったのではないだろうか、そしてもし見えたとしたらそれは幻想に終わったのでは。。最近の時代を少し振り返ってみれば、その事ははっきりとわかるように思う。そして、おそらく100年前も、そのもっと前も、人々は”時代の先が見えない”と嘆いていたのかもしれない。いや、時代の先は見えなかったけれど、人々が”嘆いていたのか、”それとも”情熱を感じていたのか、”その違いがあるだけではないだろうか。時代の大きな変革はその情熱から生まれたのではないだろうか。それが大河ドラマになるような龍馬伝であったり、坂の上の雲のような感動を生むのではないだろうか。そして、そもそも時代とは何か?それは正確には「その時代の文化」というのが正しいのかもしれない。その文化を作り出しているのは、結局我々なのだ。人が存在しなければ、文化は存在しない。時は流れていくだろう。けれど、そこに時代と呼ばれる文化は存在せず、ただ時間だけが、木々を育て、建物を朽ち果てさせていく。結局時代を作り出しているのは、我々なのだ。そうだとすれば、その時代を読み取ることも、変えていくことも、できるはずなのだ。そして、その時代と一体となり、自分がその時代の一員だと感じること。それが大切なのだと思う。そして、そこに情熱を感じることができれば、時代は動き、変化する。そしてその大きな流れの中で、掛け替えのない素晴らしい人生を送ることができるだろう。そう、思った。
Jul 20, 2010
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ゆるスピ勉強会の第3回は参加してもらった人の都合で、7月10日と17日の2回(同じ内容で)実施しました。今回の中身は、前回からの続きで「言葉から自由になる」そして「心をカタチにして伝える」こと。イントロの中で自分のオーラの中で光のシャワーを浴びる、というのを行ってみたのですが、参加者全員がそれぞれ違う形でシャワーを浴びることができました。それは霧のようなシャワーだったり、ほんのわずかな数滴のシャワーだったり、洗濯機の中のようなうねるようなシャワーだったり、暖かい雨のようなシャワーだったり。。それは自分の意識が作り出すものでありながら、自分の身体にあたたかな影響を与えてくれるものです。心の中に光を感じて幸せな気持ちを作り出せるのは本当に素敵なことだと思います。そこからパステルで行う心のスケッチを開始。パステルを削って、それを指につけて描くだけ、だけれど、その表現は様々でした。美しい絵ではなくて感じた心を指から注ぎ込むように。。テーマは、朝、夜、という身近なものに始まって、雨の日、優しさ、勇気、愛。。と続きます。そして、更にレベルアップして、夢が叶った日の朝のスケッチ、隣の人の心のスケッチ、そして送られたメッセージのスケッチ。最後に今の自分の心のスケッチ。人って見えている世界がこんなにも違うんだな、と思わせるくらいにそれぞれのタッチも色使いも違っていて、パステルの淡い色合いが、心のカタチを映し出してくれているようでした。心に迷いがある時の絵、しっかりとしたイメージが出来上がっているときの絵、そして、描いていくうちに自分でもわかるくらいに変化する色使い。それを説明しているうちに自分の気持ちに気づいたり、他の人のコメントから新しい何かを感じたり、そんな素敵な時間でした。ちなみに17日のほうは違うタイトルの絵を描いて、海、星、快晴、家族、自由、冒険でした。そんなことできるのかな。という感じで始まった心のスケッチですが、パステルを選んで削る、そして指で描く、という行為は、ただ感じたままを描くには最適。何の躊躇もなく指が進む感じで、とても気持ちよくなれました。描かれた絵はこんな感じです。”朝””自由”その他次回はたくさんのイマジネーションを行いながら、”生きていく意味”に迫っていきたいと思っています。次回は少しの夏休みを越えて、8月21日(土) 13時~興味あるかたはメッセージをどうぞ。それから、9月くらいに屋外でのパワースポットで自然を感じる企画、計画中です。最後まで読んで頂きありがおとうございました。それでは素敵な日々をお送りください。
Jul 18, 2010
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心の中が苦しくてどうやっても前向きになれないとき。。そんな時に心に効くスピリチュアルなイマジネーションです。何か苦しい、辛い、心がそんな風に感じた時、静かな場所を探しましょう。そして、大きく深呼吸をします。ゆっくりと3回。そして肩の力を抜いて、もう3回。それから目を瞑って、自分の胸の真ん中あたりに、小さな小さな光を思い浮かべます。それは暗闇の中の針の穴くらいに小さな光。けれど、見つめているとその光は少しずつ大きくなってきます。ゆっくりと、けれど少しずつ確実に。そしてそれはよく見ると星の形をしています。大きくなればなるほどその星は輝きを増し、胸の中を少し熱いくらいに光でいっぱいにしていきます。やがてその星は胸の大きさくらいまで大きくなります。そしてそのままあなたの肩を包み、腕を包み、お腹を包み、泣きそうなあなたの顔にもその星の光がうっすらとさしかかってきました。そしてその星の光はあなたの顔、頭を光でいっぱいにして、太もも、ひざ、足首にも到達し、やがてあなたの身体全体をすっぽりと包んでしまいました。あなたは身体の中も外も、その美しい星の光で満たされています。その光はまぶしく、そして暖かい。優しく、心地よい。あなたの意識はその光に包まれたまま、すっかり軽くなって、あなたの身体を飛び出して、あなたの家の屋根の上まで、ぽーんと飛び上がります。屋根の上からは、あなたの住む町が見えます。たくさんの家がならんでいます。あなたの意識はその星に乗って、自由に好きなところに行くことができます。今会いたい人はいますか?もしいたら、そこまで一気に飛んでいきましょう。そして、その人を星の光で照らしましょう。光をいっぱいに注ぎ込んで、素敵な気持ちになったその人は、笑顔を浮かべています。次に会いたい人のところに行って、同じように光を届けましょう。そして次々と光を届けます。あなたはたくさんの人の笑顔を受け取って、とても気持ちよくなって家へと帰ってきます。さあ、落ち着いて深呼吸しましょう。星の光はずっとあなたを暖かく照らしています。その揺るぎ無い感覚を味わってください。そして大きく深呼吸して、幸せと感謝をいっぱいに胸の中に吸い込んでください。そしてゆっくりと目を開けてください。幸せな気持ちになれましたか?素敵な愛が届きますように。
Jul 5, 2010
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一日の終わりに心を整えて眠ることは、本当に素敵な眠りに着くためにも、今日という日、そして明日を幸せで満たすためにもとても大切なことです。毎日日記を書きましょう!と言いたいところですが、それはなかなか大変。自分のお勧めは、(1)手帳に今日行ったことを少しメモして、(2)その中で自分の記憶に残ったことを感謝の気持ちで残す。(3)そして、明日の自分へのメッセージを書く。このスタイルの日記のいいところは、これを行うことで、今日過ごした一日が素敵なものに変えられること。そして、明日が来るのをちょっと楽しみに思えること。です。例えば仕事の日はこんな感じ。今日も朝礼は言いたいことが言えて、みんな最後まで聞いてくれた。よかった。副所長との会議は準備万端ではなかったけれど、最後まで説明して、予算を少しもらえた。途中主任がサポートしてくれた。感謝。明日は週報をしっかり書くこと。それと、これからの方針も考えよう。こんな感じです。ちょっとでいいんです。実際は緊張した感じの朝礼や、すったもんだの泥沼会議も、感謝の部分を探すと結構いっぱいあるもの。それを見つける目を持つことって幸せを見つける第一歩のような気がしません?明日の自分のやること、誰かに伝えたい思いなんかも書いておくと、それが自分へのメッセージとして朝受け取れると思うと、なぜかワクワクしてしまいます。続けるのが苦手な自分もこれなら続きそう。。で続いてます。お勧め。では~。
Jun 28, 2010
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6月26日。13時から第2回の「ゆるいスピリチュアル勉強会」を開催。今回のテーマは3つ。「存在から自由になること」「現世から自由になること」「言葉から自由になること」前回にたくさん行った瞑想とイマジネーションからスタートして、意識は無限に、時空を超えて存在できることを知った。人は過去に縛られたり、未来の不安に動けなくなったりする。それは過去や、未来に意識が縛られているから。それを自由にコントロールできたなら、人の心は自由になる。それを練習してみた。そしてイマジネーションの中で、子供のころの自分や、老人になった自分と出遭った。自分が癒されるように、光と星のイマジネーションをして、オーラのトリートメントも行った。みんな気の玉を作ることができるようになってそれを身体に流してみた。そして呼吸に集中する瞑想法を行ったところで、この日は時間切れ。少しずつ目に見えないものを感じ取る力が湧き上がってきているようで嬉しい。次回は7月10日。その時には、心をパステルで表現するワークもやってみようと思う。興味ある人はメールください。では~。
Jun 27, 2010
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先日久々に雨にずぶ濡れになった。。建物を出た時には少なめだった雨は途中から勢いを増し、僕の頭を濡らし、服に染み込み、靴にまで入ってきた。顔にまでかかる雨粒は、やがて集まり、滴となって、鼻の頭から地面へと幾重にも滴り始めた。もはや水の中を歩いているようだった。雨に濡れているという感覚はやがて遠のき、まるで透明な海にもぐった時のように、身体がじんわりと包み込まれ、音が遠のいていった。自分の鼓動が聞こえ、身体が呼吸に合わせてゆっくりと動いているのがわかった。そんな雨の中で、僕がいつも思い出す景色がある。それは福岡の時に車の中から見た日本海に染み込みように音も無く降りしきる雨。一面の海に、まるで空と海をつなげるカーテンのように雨は降りしきり、小さな僕の存在や、悩み事や、そこに存在したはずの時間までもを流し去ってしまった。雨は地球という星の命の鼓動を聞かせてくれる。地球の呼吸が、眼差しが、その雨のメッセージには含まれている。雨に濡れながら、僕は地球と繋がっている。。ことを知った。---明日(6月26日)は第2回のスピリチュアル勉強会です。2500円で、あなたも目の前に見える景色を変えてみませんか?場所:名古屋市西区枇杷島5-21-21マス&フィットネス2Fヒーリングルーム時間:13時~16時
Jun 25, 2010
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プルシアンブルーという色がある。今のドイツが”プロシア帝国”と呼ばれていた時に発明された”プロシアの”ブルー。それまではラピスラズリという宝石を削って青色を作り出していたが、非常に高価でなかなか入手できないものだったらしい。この時に発見された青は、あっという間に世界中に広がり、日本の葛飾北斎の波裏の富士の波の青もこのプルシアンブルーだという。ゴッホの夜の青もこのプルシアンブルー。ピカソの青の時代の絵画もこのプルシアンブルー。ルノワールが、他の色を消してしまうと恐れたのもこのプルシアンブルー。錬金術師が偶然発明したとも言われるこの”青”への世界の衝撃の大きさが、今でも伝わってくるようだ。目の前の世界と同じ色を写し取ることすら難しかった時代。人はどうやって現実を見極めたのだろうか。見たこともないもの、見たことのない世界、色、様々な出来事。人の想像力は今よりずっと自由だったのかもしれない。今は何もかもが見えてしまう時代。見えただけで知ったつもりになってしまう時代。あの頃人は、たくさんの想像が頭の中を駆け巡り、ある時はそれを喜び、ある時はそれに怯え、自分の想像と違うもの、同じものを見つけては驚き、感動し、心震わせる。それは今よりもずっと現実の体験、目の前の事実を大切にしていた時代なのかもしれない。毎日の空の色の違いにワクワクし、風の音色に地球の鼓動を感じ、人との出会いに驚きと喜びを感じ、生まれ来る命に嬉し涙を流す。誰かの風のうわさを信じてどこまでも旅に出たり、伝説を訪ねて海を越えたりしたあの頃。人は今よりずっとずっと敏感な心で世界を感じていたのかもしれない。我々は今どれだけ毎日の世界に驚きを感じているのだろう。。ふとそう思った。
Jun 13, 2010
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第1回の「ゆるいスピリチュアル勉強会」略して”ゆるスピ勉強会”が終了しました。内容についてお伝えすると。。講師の紹介から、スピリチュアルとは一体・・というところから始まり、勉強会の目的の紹介です。それは、「自分の魂の声を聞き、その魂を幸せで満たすことで、 人生で最高の充実感を味わうこと」です。自分はスピリチュアルとは特別なものではなく、本来誰もが持っている感性を引き出すことで感じられることで、それによって本当に日常の生活や、未来が変わっていくものだと信じています。自分の心が幸せいっぱいになること、そんな感覚を味わってもらいたいという思いです。自己紹介、そして隣の人から感じたことを紹介、そしてそのままオーラリーディングへ・・と続き、その後軽い瞑想、そして長くて深い瞑想へと入っていきました。深い瞑想の中での心の焦点の合わせ方は、それぞれ個人差がありますが、これから続ける中で、序々に慣れていってもらえばと思います。瞑想にはいろんな種類があって、座禅、ヨガ、歩きながらの瞑想なんかもあります。今回は椅子に座って、日常の中で繰り返しできて、いつも同じ姿勢を保てるものにしました。瞑想を行うことで、心をフラットな状態、ゼロの状態にすることができ、今までのたくさんの思いや、こだわりを解き放つことができます。それはある意味生まれ変わることであり、それによって子供のような純粋な感性と、あるがままを受け入れる力を育てることができます。そしてそして、スピリチュアルの3大ツールとして1)瞑想、2)イマジネーション、3)夢(潜在意識)がありますが、それらは順に1)現在、2)未来、3)過去に対応していると思ってもらえばわかりやすいと思います。そのイマジネーションの中で、普通の朝と、やりたかったことをやる日の朝を皆さんに思い浮かべてもらいましたが、その違いによる感情の変化は想像以上に大きいものでした。そして、毎朝の目覚めが普通の朝で始まると、当然普通の日常となり、ワクワクした朝を迎えれば、何かが起こる可能性を引き寄せているんだ、ということを身をもって感じてもらうことができました。イマジネーションの中で感性をコントロールする力ができれば、それにより心が動き、身体が動き、そして現実が生まれます。それが未来を作るのです。最後に、自分の身体から放たれるものとして気について感じてもらいました。まず気の玉を作って、それを感じ、みんなで肩を持ったり、手をつないだり、大きな気の玉の中に入ることで、その気の力を十分に感じることができたと思います。初めてのスピリチュアル勉強会の開催ということで、少しばかり緊張しましたが、あたたかい皆さんが心から勉強会を楽しんでもらえてとても素敵な気分になりました。いただいたアンケートにもとても楽しかったとか、瞑想や、イマジネーションなど目に見えないものを感じることができてとても良かったとのことでした。とても嬉しいです。次回は6月26日同じく13時より3時間の予定で開催します。興味がある方はメッセージください。では~。
Jun 8, 2010
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澄み渡る夜の闇を眺めていると、ふっと平衡感覚がなくなってしまう。真っ暗な空を見ていると、宇宙の中の一つの星の上にいることをなんとなく感じてしまう。宇宙の中のたった一つの小さな小さな星の上で、僕は時間のページをめくっていく。そこでは時が静かに音をたてる。さらさらさら。さらさらさら。僕はなんとなく宇宙にたずねてみる。ずっともう10年以上も会っていない学生時代の彼女は今どうしているだろう?きっと幸せに暮らしているよ。宇宙が答える。そうしたらこの間同窓会のはがきをくれた中学校の同級生の彼は元気かな?きっと前と変わらない笑顔でみんなに優しくしてるよ。宇宙が答える。そしたら高校の時に剃り込みを入れたカマキリのような顔の担任の先生は何してるかな?もうすっかり引退して、それでも相変わらずマイペースで元気さ。そっか。留学の時にカフェで会ったアメリカ人はどうしてるかな?きっと変わらず東洋の勉強をしているさ。そうそうずっと前にうちで飼っていたあのかわいらしい犬はどうしてる?天国で変わらずみんなに愛されているよ。あのときの彼女はどうしてるかな。。あのとき怒られたおじさんはどうしてるだろう。。あのときの瞳を輝かせいていたベトナム人のウェイトレスは今どこにいるだろう。。あのときの東京での飲み会の仲間はどうかな。。ずっと通った塾の友達はどうしてるだろう。。勉強会をしたあの会社の社長さんはどうしたかな。。セミナーで会ったあの人はそれ以降どうしているだろう。。お世話になったあの受付のお嬢さんは今もそこにいるのかな。。占い師になったあの人はどうしているだろう。。。。。夜の空は時に不思議な魔法で昔の人たちに会わせてくれる。お父さん。今も空の上から家族のことを見守っていますか?
Jun 3, 2010
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月の滴が降り注ぎ、光の粒がワルツを踊る心は、夜の闇の中に溶け出し、山の上を飛び回る森や木や、そこに住む生き物たちの存在を感じ、耳を澄ませば生命の静かな鼓動が聞こえる土や水や空気がその生命を母のように包み込みすべてが形という個性を持ちながら繋がっている個性と個性の触れ合いの中で心が生まれ、心は時の流れを美しく彩り、生命の連鎖を助けている私たちはそのすべてが集まって一つ今という時の中に、心という自由を持って産み落とされた私たちは永遠という羊水の中で夢を見ている胎児のようそしてすべてが輝き始め、世界は一つになる。映画「AVATAR」をDVDで見た。その感想です。
May 28, 2010
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最近つけたばかりの新しい壁掛け時計が時を刻む。木目調で、中心から光が広がるような淡い色合いに黒のシンプルな文字。その時計がひっそりと夜の時を、正確に切り刻んでいった。きっと瞳の奥で、僕はその切り裂かれた時のカケラを追うだろう。光を反射してキラキラと輝く時のカケラ。見ていると砂粒のように粉々になって、やがて窓の外の闇の中に消えていく。”時間の流れる速さが変化する”とうい理論を唱えたのはアインシュタイン。僕はこう思う。時間はカケラとなって降り積もる。この部屋で過ごした時間が降り積もり、僕はその時間の砂の中でもがきながら明日のカケラを探している。誰かと過ごした時間もその場所や、心に降り積もる。すっかり埋もれてしまった思い出のカケラがある時突然輝いたり、またある時はその砂の中で動けなくなる。会社に行けばそのたくさんの砂の吹き溜まりに囲まれて、考え方も、すごし方も、すべて砂に作られた道筋どおりに身体を動かしてしまう。心の中にパワーがあれば、自分のまわりのその砂山を蹴散らしながら進んでいくことができる。けれど、少し力がなくなると、その時間の砂におぼれていく。だからそんな時は、重くなった砂をゆっくりと吹き飛ばそう。もし湿っていたら、たくさんの太陽の光で乾かして、風通しが悪ければ窓を開けて、いっぱいの空気を取り込んで。今まで知らない間に降り積もってきた、たくさんのたくさんの自分の刻んだ時間の砂。胸まで積もったその砂を少しずつでも掻き分けて、吸い込んだ息を吐き出して、どんどん身体を軽くしよう。まるで月面を跳ねているように。今までの砂の山が消えていったら、どれだけ空気がおいしいだろう、どれだけ目の前の景色がクリアだろう、どれだけ人と話するのが嬉しいだろう、毎日刻まれていくたくさんの時のカケラ。それは掛け替えのないくらい美しいものだけれど、降り積もると身体を拘束してしまう。さあ早くそこから抜け出して。君の背中には羽がついているのだから。
May 25, 2010
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「薔薇のない花屋」を最後まで見た。そしてまた見直した。2度目のDVDは今、第5回。彼女が目が見えないと嘘をついて、目の手術をすると嘘をついて、目が見えるようになったフリをする。主人公の彼は、彼女の言葉を心から信じていて、そしてその嘘を知った後も嘘を知ったことを話さない。そのフリをしている彼女を信じ続ける。。このお話の中ではたくさんの人が嘘をつく。僕らだってそうかもしれない。そして、その嘘を頑なに守ろうとする。その嘘で人を動かそうとしたりする。”信じること”、それは、事実を見つけ出すことではなくて、その人にとって本当に見えている世界を一緒に経験することなのかもしれない。そう、嘘も真実も、結局は一つの幻にすぎないんだと思う。僕らが振り回されているのは、ただの目の前の出来事が白なのか、黒なのか、それを誰が言ったのか、そんなことなんだと思う。僕らはいつだって真実を知りたがる。”ほんとうのこと”を知りたがる。それがないと生きていけない、と信じてる。”ほんとうのこと”は、世界中を探し回ってもどこにもない。どれだけ目を凝らしても、”ほんとうのこと”は目には見えない。どれだけ言葉をつなぎ合わせても、”ほんとうのこと”は作れない。”ほんとうのこと”それは、それを見つめる人の心の中にしかない。どれだけ信じていられるか、どれだけ同じ気持ちでいられるか、きっとそれだけかもしれない。「世界中のみんなから笑われても私はいい。あなたの方を信じている。」嘘をついていた彼女は彼にそう言う。誰かを信じる心が人の心に伝わって、事実さえも変えてしまう。この世の中にある、目に見えているもの、聞いたこと、触ったものでさえも、やがてその形を失っていく。その中で永遠に残り続けるのは、誰かを信じる心なんだ、そんな気がした。そしてそれが”ほんとうのしあわせ”なんだと。。
May 23, 2010
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今週月曜から昔のドラマの”薔薇のない花屋”を見ている。もう2年以上前のドラマですが、たまたまレンタルビデオで見かけて手にとってみた。タイトルが素敵だな、と思ったので見てみて、どんどん引き込まれていった。--目の見えないフリをしている彼女と、心に深い傷を負っている彼。二人の恋は。。その危うい関係はまるで真っ暗闇で消え入りそうなろうそくの炎と、その炎をカサカサの擦り切れた手で消えないようにそっと包みこむ手の平のよう。見ていると、こちらの心まで初雪を浴びる湖のように静かに心が澄んでいく。いつしかまるでテレビ画面の向こうの主人公たちの心のようにいつしかきっと彼ら以上に、純粋でまっすぐな心に染まっていくそして幸せだな、と思う。こんな風に人の人生を感じて、その人の心を感じて、喜び、悲しみ、幸せ、そんないろんな人生を経験することができる。素敵な音楽や物語やドラマ、人たちに出会うことは人生の中の掛け替えのない宝物だと思う。それは心の中でいつまでも宝石のような光を放ち、盗まれることも消えていくこともなく、いつまでも自分とそして周りの人たちを幸せにしてくれる。そんな素敵な出会いをしっかりと感じ取って、その出会いの中に溢れるほどの光を見つけること。それには少しコツがいるけれど、一生消えない宝物。自分の心の中にある湖に映る景色を見つめよう。その湖は深ければ深いほど周りの景色をくっきりと映し出し、穏やかで静かな時ほど鮮やかに景色を映す。明るい太陽の下では、真っ青な空と流れる白い雲を映し、月明かりの中、夜空一面の星たちを映し出す。その湖はものごとの本質しか映し出さない。そして今まで気づかなかったものを気づかせてくれる。風が吹けば波紋を立て、嵐が来れば荒れ狂う。けれど、嵐がおさまり、太陽が出れば、またいつものように空を映す。それは誰かを信じて、決して疑わない揺ぎ無い心のようだ。あなたの心の湖はどんな湖ですか・・?
May 20, 2010
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先日紹介した~ゆるいスピリチュアル勉強会~ですが、内容はこんな感じにしようと思っています。一回2時間で、7回コースに。 初めの1~3回は <<自由になる>> をテーマに身体、言葉、前世について感じます。 次の4~6回は、 <<知恵>> をテーマに、生きる意味や優しさについて学びます。 最終7回は、 全体のまとめとして、<<光>> をテーマに、魂や繋がりについて話したいと思っています。何度も繰り返してしまう人間関係のトラブルや、恋愛、そしてなんだか満たされない人生やつまずき、そんな時に自分の心を自由にコントロールできたら、どんなに楽だろう、そんな風に自分も思ってきました。けれど、その答えは”ここではないどこか”や、”他の誰か”が与えてくれるものではなくて、自分の心の中から生み出すものだったのだな、そう気づけるような勉強会にしたいと思っています。そしてたくさんの人の人生が今以上に輝きを放ちますように。たくさんの人の心がつながって、たくさんの笑顔が広がりますように。そう願って。。☆そうそう、いきなりですが5月19日は会場の都合もあり、延期となってしまって、最初は6月5日(土)に13時~から3時間で第1,2回の集約版としすることになりました。実際の会の内容が、どんな進め方になるのか、は、またブログで週1回くらい連絡していきますので、それで興味出てきた方はまた連絡ください^^。では。
May 16, 2010
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突然ですが、”ゆる~いスピリチュアル勉強会”とういのを開催しようと思います。なぜ?と思われるかもしれませんが、心の中にはずっとあったことでした。人生って本当に素晴らしいことに溢れていて、幸せで豊かなものだな!と自分は思うのですが、目の前の職場を見ていても、不満ばかりの人ばかり。。毎日どよんとした朝礼から始まって、言い訳と文句ばかりの人たちの話を聞いていると、なんでもっと楽しく仕事できないのかな、そして人生を楽しめないのかな、と日々思います。そんな中で自分ができるのは、やっぱりスピリチュアルなもの。今までも色んな飲み会では、前世セラピーのようなことをさせてもらって、たくさんの方々にメッセージを届けさせてもらったり、物語を届けたりしました。しかし!そこで伝えられるメッセージはあくまでその時だけのもの。今起こっている出来事は次の瞬間には過去になってしまいます。だから、自分で生活を、自分自身を変えていく力がないと、人生を変えていくことはできないんだな!そう思います。そこで!日々の生活の中で、誰もが持っているスピリチュアルな能力を活性化させればもっと自然体の生活や、新しい視点や、自分自身の人生の変化を生み出せる。そのためには勉強会!そう思ったわけです。誰もが持っているけど忘れているスピリチュアルの要素。それは、気を感じること、オーラを感じること、直感を信じること、魂について語ること。すべて日常の言葉の中に取り込まれている・・気合入れろ!とか空気読めよ、とかすごいオーラあるね、とか直感で選んだ、一球入魂!などなど、形に見えないものを日本人はとても大切にしてきて、今も言葉では言うけれど、じゃそれって何?ってなるとよくわからない。。それをしっかり育てることができたら、人生の中で周囲の景色だって変わって見えるし、自分の心だってうまくコントロールできる。今までにない何かを感じて、今までにない人間関係で、今までにない恋愛も。。そんな素敵を分かち合う勉強会を開きたいと思います。早速ですが開始は5月19日(水)~時間は19時~21時の2時間場所は名古屋市西区あたり参加費2000円くらい7回コースで毎週開催予定。(詳細はまた別途)仕事帰りにちょっと寄って、スピリチュアルな感性高めたい、という人にお勧めしたいです。興味あり!&質問あり!の人はこのブログにメッセージ頂ければお答え、詳細説明致します。よろしくお願いしますー。
May 9, 2010
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なぜだろう。ふと文章を書こうと思う時に頭に浮かぶのはいつも”優しい気持ち”という言葉。昼間に桜がひらひらと舞上がってきたマンションのベランダはもう夜の闇の中。遠くで洗濯機の音が、部屋の空気をほんの少しだけあたたかくしてくれる。人生って不思議だな、と思う。身の回りにこんなにたくさんの人が溢れていて、たくさんの人と心を交わしているつもりが、いつしか一人っきりで、こうしてパソコンに向かう。この扉の向こうにはたくさんのあたたかい人たちが待っているような気がしても、なかなかその取っ手に手を伸ばすことができない。僕は引きこもりではないけれど、毎日を精一杯駆け抜けていると、突然、自分の心と身体が離れていっているような、そんな感覚に陥ることがある。自分の立てた目標と、会社のため、みんなのためを思って走っていたつもりが、ふとそうなのか、と思ってしまう。そんなすれ違いの感覚。輝く太陽に向けて、スキーのジャンプ台から飛び出したら、心だけが飛び続け、自分の身体はやがて白銀の地面へとゆっくりと降下していく。そんな感覚。そんな時に自分の心を暖めてくれる魔法の言葉が”優しい気持ち”。それは目の前の現実を何一つ解決してはくれない。心と身体の軌道は、はるかにすれ違ったまま。けれど、自分の心の中に、言葉にするなら”希望”という光を照らしてくれる。きっと誰もがその光を携えて人生を生きている。そう思える。だから僕はその光で心を満たしながら、空を見上げることができる。そして思う。明日もまた生きていこう。と。
Apr 18, 2010
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昨日の会社帰り車が壊れた。オーバーヒートして白い煙が出た。夜の11時半。雨の中ロードサービスを待って、家に帰宅。今日は何年かぶりの電車での通勤となった。世の中こんなにたくさんの人がいるんだな。当たり前だけど不思議だった。みんなどこに向かっているんだろう。そんな顔つきをしてた。夜になって、仕事が終わり、いつもの車の鍵をかばんに入れたまま駅に走った。重い鉄の塊が、たくさんの想いを乗せた会社帰りの人々を運んでいく。それはまるで、時代という巨大な流れの中で、今いる場所を探す旅人たちのよう。駅について改札を過ぎる。さっきまで同じ車両に乗っていた人々が散り散りになっていく。それはなぜか少しさびしいことのような気がした。高架の下をくぐると、強い風が雨上がりの桜の花びらを運んできた。そうだ。時は流れていく。命を搾り出すように咲いていた美しい桜の花も、今は新緑の中に覆い隠されている。すべてがとめどなく流れていて、ただ自分はその中でひらひらと風に舞う木の葉のようだ。それは、ある時は失い、新しい何かが生まれ、育み、そしてまた消え去っていく。美しく、喜びにあふれた今の生命に宿った心は、いつも何かを追い求め、果てしない旅の中できらきらと光を放ちながら歩き続けていく。すべての人に幸が訪れますように。
Apr 13, 2010
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久々に物語を書いてみました。「カモメのナナ」地中海のほとりの急な坂道の多い、赤レンガと白い建物が並ぶ港町。山へと駆け上がる風が気持ちよくて、その風に乗ってナナはどこまでも高く空に舞い上がり、太陽をキラキラと反射する海や、小さくなった町の屋根を見下ろして、右に、左に、ヒラリヒラリと飛びながら、ある一点に向けて急降下をしてみたりする。ナナはこの町の風が大好きだった。けれど、ナナは元はといえばこの町のカモメではなかった。ナナのいた町は、戦争でそのすべてが火に包まれて滅んでしまった。襲い掛かる炎から命がけで逃れ、生まれた町から遠く離れるしかナナの生きる道はなかった。その時にナナは家族も、友も、友人も、恋人も失った。火傷だらけで海岸に打ち上げられたナナには記憶すらはっきりと残っていなかった。毎日、新しい町で泣きながら、ただ自分が生き残った理由を考えることしかナナにはできなかった。この風の中の潮の香りに含まれた友人との思い出を想い、山の頂にある青空の先に家族との日々を想い、太陽を照り返しキラキラと揺れる光の中に恋人の面影を想った。ようやくできた仲間たちとのたわいもない会話の途中にもふと、ふと生きている奇跡を想い、魚に群がる鳥たちを眺めては、幸せの意味と命の不思議を想った。ある日、見晴らしのいい丘の上の家のてっぺんから夕陽を眺めていた時、その赤い夕陽を横切るカラスに、ナナは何か大切なメッセージがあるような気がしてならなかった。一直線に飛んでいたカラスはまるでナナの心の変化を読み取るように、ふとナナを横目で見てからゆっくりと旋回し、りんごの木の上に止まった。ナナはすぐにそれに続いてその木へと旋回して飛んで行った。ナナは真っ白なその枝に止まり、漆黒のようなそのカラスの瞳を覗き込んだ。そこには人生の謎を解く鍵が埋め込まれているようにナナには見えた。しばらく2羽はお互いに黙ったまま動かなかった。そしてナナが「あの・・・」としゃべりかけた時、それを遮るようにしてカラスは話始めた。「お前の考えている事はよくわかる。」お前の瞳はもうしばらく涙を流していないかもしれないが、お前の心はいつも絶え間ない涙を流し、それがお前の人生の潤いと渇きへとつながっている。ナナの心がドキリと音を立てた。カラスはそのまま続けた。お前はとても純粋だな。それはとても素晴らしいことだ。目の前の事から決して逃げずに、それをしっかりと見つめ、自分の中から懸命に答えを導こうとする。けれど、それ故に悲しみを抱えてしまうこともきっと多かろう。一つ知恵を授けよう。涙ではなく心の泉から溢れる水でお前の心を満たすんだ。雨の日には雨の歌を歌い、溢れる想いを空へと預けるために歌い、海の青さを心に刻むために歌うんだ。自分の心を優しさの羽で包み、そこから暖かい泉をを生み出すんだ。「え・・?それは一体・・」とナナが言いかけたところで、カラスは飛び立ってしまった。ナナはりんごの木の上で一人ぼんやりと今のカラスの言葉を思い出していた。はっきりとはわからないけれど、少しだけ心が温かくなったような気がした。近くのりんごをつつきながら、ナナは今の言葉たちがきっといつか、ナナの大好きなひまわりのように大きな花を咲かせて、ナナに生きる意味を教えてくれるに違いない。なぜだかそう思った。ナナが顔を上げると、静かに風が吹いてきて、りんごの木の葉を揺らした。ナナは誘われるようにその風にのって飛び上がった。そして歌を歌った。風に乗せて、家族への思い出を歌った。それはあっという間に風に飛ばされていってしまったけれど、ナナは心がほんの少し軽くなってきたのを感じた。そして次の瞬間気がつくとナナの目からは涙が溢れていた。その涙は風に飛ばされ、キラキラと輝いた。そしてナナは歌い続けた。歌に合わせて涙が溢れ、そして風に飛ばされた。止まることのない涙を感じながら、吹き上げてくる風がどんどんをナナを空の中へと押し上げていき、地上が、町が、海がどんどん離れていった。暖かい太陽の光と、冷たい風の中で、ナナはふと、心の中の泉から暖かい水が少しずつ溢れてくるのを感じた。その水はナナの心の中心から湧き出し、胸から背中、おなか、首すじかや顔や、翼や足先にまでナナを満たしていって、暖かい思いでナナを包んだ。ナナは嬉しくてたまらなくなって、そのまま飛び続けた。そして空に向かい、空の歌を、海を見下ろし、海の歌を歌った。同じ空を飛び、海を見つめた友や恋人の歌を歌った。ナナの涙はやがて海の輝きをさらに輝かせ、心の泉から溢れた思いは空をもっともっと青く染めた。ナナの心はもう一人じゃないことを知った。カラスにありがとうと呟き、いつしか涙の消えた瞳で、ナナはゆっくりといつもの町へと弧を描きながら降りていった。おしまい
Sep 13, 2008
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友人のDANCE SHOW!があって、日曜日はそれを見に行ってきました。楽しかったなぁ。それで今日、喫茶店の天井を見つめ、その日の空気をなんとなく思い出して言葉にしてみました。---巨大な音が僕の身体を震わせ、通り過ぎていった。そのホールにはプラネタリウムのようにたくさんの音が、高く、低く、大きく、小さく、空気の中に散りばめられ、僕の身体を通じ、僕の心までも震わせていった。それはたくさんの、けれど小さな感情の喜怒哀楽が、たくさんたくさん寄り集まって、僕の心を震わせ、記憶のひだの中に目に見えないほどの何かを埋め込んでいくようだった。そして、その見えない何かが一つの僕という人生を作り出しているんだった。だから。ふと思う。。人生は壮大なメロディーだ。たくさんの音と旋律が出会い、別れ、現われ、消え、ひとしずくの時の流れの中で一つのメロディーを作る。一つの曲は、誰かの人生の濃縮ジュースなんだ。そう思う。そして今日はその音が空間中を走り回り、それに合わせて踊り続ける人々。ロック、HIPHOP、Jazz,レゲー、フリー。。様々な形で、音が、身体が、空中にはじけ飛んで、灯篭が夜空に映しだす鮮やかな色模様のようだ。彼らはまるで、空中に浮かんでいる音符を掴み取るように、シンクロし、舞う。それはまるで、ある日の大粒の雨が一斉に地面を濡らし、木々の葉や、地面から立ち上がった草花や、その花びらを叩いているようだった。心地よく、時を刻み、壮大だった。そして、確実に生命の音を伝えていた。---そんなshowでした
Aug 12, 2008
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アラスカ旅の始まりはアラスカだった。1/3が北極圏の中にあり、一年の半分以上が0度以下の季節が続くところ。太古のアメリカインディアンの多くが、ここアラスカを渡り今のアメリカ大陸へとやってきた。そんな人々が大地の下に眠り、永遠という名の氷と共に一生を過ごしてきた人々。その人々の間では、凍りつく空気の中で、雪は人の心のように温かく、優しいものだった。。その少女に出会ったのはアンカレッジの空港についてすぐだった。横なぐりの雪の中、空港のターミナルの出口はすごい混雑で、そんな人ごみの向こうに母親に連れられて、赤い毛糸の帽子が揺れていた。その後ろ姿になぜか懐かしい愛おしさを感じたのを覚えている。みるみる遠くなって消えていった後には、まるで初めて野生の熊を見たときのような驚きが残っていた。今覚えば、彼女の持つ人間離れした波動を微妙に感じとっていたのかもしれない。次の日たまに太陽ののぞく曇り空の中、僕は湖へと向かった。夏のわずかな時間だけアラスカの山々を映す、冬には凍り付いているその湖の前に立ってみたかった。そこからアラスカの自然をそのまま抱きしめたかった。あまり旅人のいないその山小屋の前で、世界はただそのままの姿で存在していた。気を許していれば見逃してしまいそうなその景色の前で、僕は何度も深呼吸をした。そこに生きてきた人々を、そこに生きている動物たちを、そこに生を育む植物たちを、その大地を、空を、湖を、身体中で感じるために。頬が寒さで痛くなり始めたころ、空はゆっくりと回転を始め、僕の平衡感覚はなくなっていった。そしてそのまま雪の上に倒れこんだ。遠のく意識の中で、駐車場の先に見えたのが、機能見かけた赤い帽子の少女だった。小さな足で、まるで跳ねるように近づいてくる様子はまるで、アラスカのナキウサギのようだった。慌てて駆けつけた彼女は僕の身体に触りながら、”crow..”と呟いた。やがて彼女の母親も駆け寄ってきて、気の遠くなりかけていた僕を抱きかかえて、小屋まで運んでくれた。栄養不足と軽い貧血のようだったが、あの空が回る感覚は何か宇宙が自分の身体の中に溶け込んでいくような、そんな不思議な感触を僕の中に呼び起こしていた。それがきっかけで僕はその親子と一緒に旅をすることになる。僕にとってはそれが宇宙からあふれ出る夢幻の何かを感じ取る旅になった。幼い彼女の名前をNyunと言った。なぜか彼女は僕にとてもよくなついてくれて、旅の途中では母親より僕と話をしたり、一緒にいる時間の方がきっと多いに違いなかったと思う。ロシアから来たという真っ白な肌をしたその親子は、なまりの強い英語で、いつも穏やかに話をした。Nyunはいつも車の窓の外と自分の顔とを交互に見ながら、山の向こうの話や、空や、湖や、星の話をした。そして僕はその彼女の話が、窓から見えた景色ではなくて、その場所に本当にいないと感じられない言葉を使っていることに気づいた。そして、その彼女の瞳を見つめているうちに、自分まで、一瞬にしてその遠い大地に意識が飛んでいくのを感じた。それは不思議な体験で、まるで二人で妖精にでもなったように、僕たちは自由に車の中から飛び出して雪原や、高い木のてっぺんや、氷の張った湖の上や、突き出たごつごつとした岩の上にまで飛んで行くことができた。そこからは僕たちの乗っている車や、遠くの山の峰や、はるか下を走り抜けるオオカミが見えた。やがて僕たちは動物たちと話を始める。雪の中で息を潜めるキツネや、ムースや、ハクトウワシたち。そして獲物を狙うオオカミ。昨日降った新しい雪のことや、美しいオーロラの大好きな色や形について。。僕はいつだってオオカミと話をするのが大好きだったけれど、Nyunはいつだってオオカミを怖がっていた。そんなNyunはキツネたちと話をするのが好きなようだった。僕たちは、時も場所も忘れてその不思議な空間で話をした。言葉なんかいらなかった。そこにいるだけで、考えていることは心に伝わってきた。まるで笛の音が鼓膜を揺らすように、僕の心を直接揺らしていた。そしてそれを真っ白な雪が優しく包んでくれていた。僕らはまるで当然のように動物たちと雪の上を駆け抜け、風に乗り、鳥とともに空を飛んだ。その夜はもっと素敵だった。僕らは小さな小屋の暖炉のそばで寝ているふりをしながらアラスカの空を飛んだ。オーロラが夢のように綺麗に二人にせまってきて、絵本のページをめくるように次々と形を変えていった。星が二人に微笑みかけて、二人の心が喜びでいっぱいになった。そして、二人は同じ世界を見た。そして、この先に広がる未来も。世界が混沌と、迷いの中で、けれどたくさんのきらきらとした未来を作り出す数少ない人たちの光が、少しずつ周りを明るくしていく様子を。やがて、そんな二人を讃えるように、一斉に森の動物たちが雄たけびをあげる。そして、二人は本当の眠りへと落ちていった。かけがえのない時間。そして距離。今までとまるで違う世界を、僕らは別々に歩き始めた。そして、僕は日本へと帰った。。(おしまい)
Jul 27, 2008
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「21世紀に残る神話を作りたい。」今は亡き写真家、星野道夫とガイアシンフォニーを撮り続けている監督、龍村仁。二人が地球交響曲第3番を撮るときに約束した言葉だったという。一体その神話ってどんなものだろう?なんとなく興味を持ってその言葉を記憶していた。星野道夫は「ワタリガラスの伝説を捜しにシベリアへ渡ろうと思う。」そう言って帰らぬ人となった。そんな星野道夫の言葉が今ひとつ自分の中では納得できないままに終わっていた。http://www.tail-lagoon.com/note/?ID=HOSHINO02http://www5b.biglobe.ne.jp/~moonover/2goukan/ohter/watari/watarigarasu-1.htmけれど、星野道夫の残した本をいくつか読んで、「森と氷河と鯨」を読んでいるときにその言葉が再び蘇ってきた。同時に、神話そのものがどうやってできたのかを最近実感した。。先日ベトナムに行ったときのこと。久々の海外旅行で、現地の人々の見えている世界と、その土地での文化と、大地に蓄えられてきた歴史、様々な人の想いの込められた空気、そんな目に見えないその国の体温のようなものをたくさん感じてきて、その土地の物語を書いてみようという気持ちになった。誰かに出会ったときに感じるその人の性格や、歴史や記憶、それと同じように、その土地、土地にもそこに暮らしてきた、そこに生きている、たくさんの人の想いを文章にすることってできるんじゃないだろうか。そう思った。昔の人たちは、きっとそうやって神話を作ってきたんじゃないだろうか。その時代の人たちの想い、先祖の人たちの残した歴史を感じ、空中に飛び交うあきれるほどにたくさんの情報を身体全体で感じて、それを言葉にして表したのが神話という物語じゃないんだろうか。そう思えた。それはギリシャ神話であったり、日本の天照大神の神話や、ヤマタノオロチの伝説だったり、インディアンに伝わる神話や伝説、イヌイットの神話、そんなものにつながっていくのではないだろうか。その人々は自分たちのルーツが知りたくて、その答えを大気の中に求め、山や海の形に求め、今のそして昔の人々の心の中にある本当の何かを引きずり出して言葉にしたもの。それらが神話ではないかな、と思った。土地についての想いと、そこから物語はできるのか。。それで、今行ったこともないアラスカにまで心を旅立たせて、物語を書いてみた。(27日の日記をご覧ください)
Jul 26, 2008
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久しぶりの日記ですが。。最近いろんなものを感じながら、そのイメージを言葉にしています。それは人物だったり、土地だったり、景色だったり、メロディーだったり。。今日ふとYOUTUBEで青山テルマの”何度も”を聞いて、http://jp.youtube.com/watch?v=q8KWZwxFMu8その歌詞からではなくて、その声の響きとメロディーから感じた何かを言葉にしてみました。。彼女からの想い。のようなこんなメッセージです。---寂しくて、寂しくて、誰かわからない、誰かが愛しくて、その愛しさがどこからくるのかもわからない。大切な友達たちとも何か違う誰かがきっといると思う。けれど、その誰かがどこにいるのか、それが愛なのかそれすらわからない。。毎日の時計の針の音はいつも切なくて季節がまるで通り雨のように優しく、それでいてまるで幻のように過ぎていってしまう。私の思いはどこから来てどこへ行くのかベッドに寝転んで見つめる天井の模様は当たり前だけれどいつもおんなじ。ラジオから聞こえる陽気なDJの声に目が覚めても町中で賑やかな歓声と、悲しい笑顔たち。心の奥から湧き出てくるこのメロディーとリリックは夏の光の下できらきらと輝きどこまでも透明なきらめきを持っているのに。この流れ出した言葉やメロディーはどこへ行くんだろう。この混沌とした社会のエアの中に乾いた砂の粒が飛び散っていくように消えていってしまうのだろうか。。私は強くなりたい。この町で吹き抜ける風を感じて生きていきたいから。---ちょっと切なくてあたたかい曲。いいな。
Jul 25, 2008
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ある日心の弱さに気づくとき、生きてく寂しさを知りました。誰かに心傷つけられたとき、人の冷たさを知りました。永遠の絶望が降りかかったとき、明日が見えなくなりました。悲しみに押しつぶされそうになったとき、無力な自分を思いました。それでも私は生きています。そして、桜の花びら散るころに、命の大切さを知りました。眠れぬ夜が明けるころ、自分が愛しくなりました。別れが身体を駆けまわり、勇気について思いました。悲しい言葉がつきささって、空の青さを信じました。どんなことがあったって。瞳の輝き消さないと決めました。決して。。
Jun 18, 2008
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youtubeでGREEEENの歌う「軌跡」という曲を聴いていた。。GREEEENの曲はいつも素敵な言葉に包まれていると思う。そしてそれはいつもさりげない日々の中で紡がれていった言葉なんだな、と思う。たとえば、 いつも君の右の手の平を ただ僕の左の手の平が そっと包んでくれたそれだけで ただ愛を感じていた。そんなほんの小さな、些細な。けれど本当に大切なことを思い出せてくれる。誰にでもできるほんの少し手を伸ばせばできること。そして、それを大事に感じること。愛しく思うこと。それがあれば、それを忘れなければ本当の幸せをともにできる。そう思う。そして、 過ぎ去った日々2人歩いた「軌跡」 僕らの出逢いがもし偶然ならば?運命ならば? 君に巡り会えた「奇跡」そう。日々の中にはたくさんの「奇跡」が隠れていて、その奇跡を大切にしていくことで、たくさんの「軌跡」が生まれて、そしてその軌跡を積み重ねていくと、もっと素敵な「奇跡」がきっときっと訪れる。それを幸せと人は呼ぶのだと思う。 明日、今日より笑顔になれる 君がいるだけでそう思えるからhttp://jp.youtube.com/watch?v=c0ke1-Vjyy0&NR=1
Jun 17, 2008
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1970年。今から38年も前にヘロイン中毒で亡くなったJanis Joplinの歌う”Rose”を聞いていた。Janisの曲は学生時代に友達の部屋でcdを聞いてから、強烈なその歌に惹かれてファンになってから何度も聞いていた。"piece pf my heart", "summertime", "move over", "Me and Bobby Mc Gee"..そして、彼女の孤独で、愛を求め続け、悲しみに埋もれ、満たされない心を抱えたまま、たった一つの希望を歌の中に探し、時代の中でさまよい続け、27歳で亡くなった、彼女を思った。彼女の人生の意味はなんだったのか?彼女は幸せだったのか?そのつぎはぎだらけの人生は、やがて分裂し、闇へと消えていき、結局彼女には歌だけが残った。。歌うことが生きること、それがただの言葉ではなくて、彼女にとっては本当に生きることで、歌っている以外の時間は、生きる意味さえ失くした時間だった。生きることの全ての意味が歌う瞬間に溶け込んでいき、その歌う時間が濃くなればなるほど、それ以外の時間はまるで霧のように、ぼんやりとして、形も重さもないものへと変わっていく。彼女の好きだった”PEARL”という愛称は、彼女そのもので、まるで深い海の中でずっと貝の中で押さえつけられ、その身体を美しい宝石に変え、やっと空の下に一瞬出てきたと思うと、また深い海の底へと沈んでしまった。人生の意味ってなんだろう?と思う。今だに多くの人が認め、崇拝する人のいる彼女の歌。これだけの強烈な才能と、歴史に残るほどの革命的な影響力を持ちながら、生きていることに幸せを感じていられたのだろうか。もしくは、その生きる情熱のすべてをアートの中に注ぎ込んだからこそ、今こうして人々は彼女を慕うのだろうか?メルセデスベンツという曲の中で、lord, please don't let me down.(神様、どうか私をがっかりさせないで)という言葉が出てくる。繊細で壊れそうな彼女の心の声がほんの少し垣間見えたような、そんな気がした。。http://jp.youtube.com/watch?v=EB9pfgHdW9A&feature=related歌を聞いて、とても素敵な歌詞だったので、気の向くまま訳してみた。。”ROSE”誰かがささやく。愛は川だと。か弱い葦など簡単に押し流してしまうような。誰かがつぶやく。愛はカミソリだと。魂に傷をつけてその血を止めることもできない。誰かが叫ぶ。愛は渇望だと。まるで終わりのない痛みを伴う欲求だと。私は信じる。それは一つの花なんだと。そしてあなたはその花を咲かせる大切な種なんだと。壊れてしまうことを恐れる心は、決して躍りだすような喜びを感じることはできない。失望してしまう事を恐れる夢は、絶対にチャンスをつかむことはできない。何かを奪われることを恐れる心は、決して何かを与える暖かさに触れることはできない。そして、死を恐れる魂は、決して生きることを心から味わうことはできないんだと。たとえ途方もなく寂しい夜が続いて、果てしない道がこの先にずっと続いていたとしても、もしもあなたが、愛は幸運や、強さで勝ち取るものだと考えた時には、そう。思い出してほしい。。冬のじっとりと厚く冷たい雪の底には、その種が眠っていることを。あなたは、春の太陽の恵みに抱かれて美しいバラの花を咲かせるその種なんだということを。
Jun 5, 2008
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たまにこんな気持ちになる事ありませんか?---ぼんやりと喫茶店で置かれたコーヒーと、外の景色を眺めていた。言葉が頭の端からこぼれ落ちていく時が身体の横をすり抜けていく記憶が地面に染み込むように消えていく情熱が残り香のように淡く、かすかになっていく。けれど僕は僕を懸命に拾い集める。。デパートや商店街を行きかう人々に明日への希望を捜しスピーカーから流れる音楽や雑踏のざわめきの中に人生の目的を捜し歩道橋の下を過ぎる車の排気ガスに失ってしまった時を捜し夕日の映る街角の建物の影にここにはいない誰かを捜す。まるで僕は壊れた時計を一生懸命に売り歩く現代のマッチ売りの少女だ。。僕は思う。子供たちが心の底から笑顔のできる未来を。。誰もが何物にも縛られない自由な心を手に入れる未来を。。家族という一つ一つの愛の形が幸せな光を地球上で放っている未来を。。宇宙の中で地球に生きている今を、すべての人が幸せと感じられるように。。全身全霊を込めて。この矛盾を生きるすべての人々に。。
May 19, 2008
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友人が突然入籍することにした、という連絡を先週の木曜日にもらった。両親や友人のことでいろいろと問題があるそうなので、相談したいということだった。それは突然の連絡だったけれど、そんな大切なことを話してもらえたことがとてもうれしかった。そしてそれは、人生を変える大きな力に導かれていたように思う。話を聞きながら浮かんだメッセージを記します。---そこでは森の空気が辺りを包み、まるで霧のように木々の呼吸する息で満ちている。そして遠くで岩から岩へと流れ落ちるせせらぎの音がした。雨上がりの木々かの葉からたくさんの滴がこぼれ、そして川に流れ込むように集められたたくさんの奇跡があなたの心の中に流れ込んだのだと思います。それはとても素敵なことで、まるで宇宙の真理がそこにあるかのように、目の前の一つの真実としてはっきりと存在していることでしょう。優しさの中で、愛には理由がなく、未来も過去もそこには存在していなくて、ただ光に包まれて自分だけがそこにいる。そんな状態だと思います。森の魔法の中で生み出された愛を、理屈と法としがらみの中で生きる人たちに伝えていくのはきっと難しいことだと思います。けれど、そこに必要なのは自分が存在して、大切な何かを見つけたという事。池の中に浮かぶ蓮の花のようにどんな泥の中でも美しく、静かに、決して心乱れず、凛として咲いていてください。その池の表を駆け抜けていく風を身体中で精一杯感じて、泥の中にあっても決して汚れず、腐らず、空の香りを感じ、木々の歌を聞いてください。蝶が羽を休め、鳥がささやきかけるその花は、そこにあるだけで幸せなのです。そして、自由とは、ここにないどこかではなく、意思の中にこそあることを覚えていてください。降り注ぐ光の中で、二人の思いが幸せに溢れていきますように。Sincerely,心より。
May 18, 2008
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久しぶりに物語を書いてみました。今の自分のまわりにあるちょっとほっとした空気の物語です。--昼過ぎに振り出した一粒の雨音が人生を変えることもある。夕方の海の香りが狂おしい愛に気づかせてくれることがある。ハチドリの流した一滴の涙が世界中の人を包む優しさになることがある。目の前に見えることはいつも幻で、僕はいつもいつも大切なものをつかめずにいた。それは小さな子供が山に登って、すぐそこにある雲を一生懸命つかもうとしているそんな感じだった。そして僕はいつもそのことから目をそらしていた。何かを話して、それを認めてもらうことより、認められない自分が怖かった。誰かと同じ感動を味わうことより、自分だけ違うと言われる事が怖かった。幸せになることより、幸せになって一人になることが怖かった。大切な人と一緒にいることより、一緒にいなくなった時を考えるのが怖かった。たくさんの友達に囲まれたいのに、その友達に本当の自分を見つめられるのが怖かった。だから、今までたくさんの真実の片側だけを見つめて生きてきた。美しい花を見つめても、それを見つめてきた人たちの事を考えていた。立ち止まって空を見上げても、そんな自分がどう見られるのかを気にしていた。優しい言葉を届けたくてもがきながら、優しい言葉をかけてもらいたかったのは自分だった。かすかな光を探し続けて、川に映る星明りをいつまでも眺めていた。誰かのぬくもりを感じたくて、人ごみを彷徨った。そして僕はある日、一輪の桜の花びらとともに知ることになる。つかめなかったのは、その花びらや、雲や、幸せではなくて、自分の中にある心なんだと。。そこにある事すらも忘れていた自分自身の心や意識。一粒の雨も、海の香りも、ハチドリの涙も、変えたのは現実じゃなくて、人の心なんだということ。その心が現実を創り出して行くんだということ。そう、そして僕は明けようとしている淡い紫の空の色に、美しい涙を流した。
May 6, 2008
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先日の帰国報告しましたが(というか帰りの電車で思い出した事だけど)、じゃ一体何があったの?というセミナーの内容については、メルマガにアップしました。今の毎日の生活って自分が作り出していて、その自分が作り出そう、と思うのは意識で、その意識のもとになってるのは、たくさんの信念で、それは社会の常識とか、自分の過去の経験とか、そんなものでできあがっている。。だとしたら、その意識とか、信念を自分で自由に作り変えることができたら、毎日ってどんどん変わっていくんじゃない?ざっくり言うとそんなような内容でした。でも、今まで知らなかったたくさんの信念に包まれた、まるで蝶がサナギの中から外の世界を想像していた、そんな現実を、大きく変えてくれたセミナーでした。今までの現実が、美しく、安心したものであっても、これから先の未来は今の自分がしっかりと創り出していく事。そのためにすべきたくさんの事を教わりました。そのせいか、今までの感動!のセミナーは時と共に色褪せていくのに、今回のアバターセミナーは、なぜかいつまでもその空気が自分のそばにあって、これからずっと先へと上っていけるような、そんな気がしてます。興味のある方はどうぞ=> http://archive.mag2.com/0000131766/index.html
Apr 22, 2008
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オーストラリア、メルボルンでのアバターマスターコースを終えて。。 http://www.avatarj.com/--夜の8時10分。僕は成田空港発、上野行きの京成電鉄のスカイライナーに乗っていた。車内にあった自販機で買った温かい”伊右衛門”を飲みながら、窓の外の流れ行く日本の夜の景色の中に、漠然とした懐かしさと、その灯りの向こうに生きるたくさんの人々の存在を、まるで祭りの後に遠のいていく笛の音のように感じていた。メルボルンの空港で買ったラズベリーマフィンがまだかばんの中に残っていて、機内食を食べ損ねてしまった僕は、それをほおばりながら、まるで子供の頃の夢のように頭の奥に響いてくるオーストラリアでの9日間を大旅行をぼんやりと思い出していた。成田空港での最後の仲間たちとの抱擁した時の人の身体の柔らかさと暖かさ、機内でのほんの短い会話での中で流した涙の跡、まるで運命のように始まった2世代に渡る過去生の話、それらがロウソクの火でゆっくりと回る走馬灯の映し出す幻のように、身体の周りをゆっくりと回り、僕の心を満たしていった。この9日間にいろんなことがあったと思う。それはまるで映画”スタンドバイミー”の子供たちの旅の跡のよう。そのすべてが大切な意味の込められた時のカケラのように今は思う。そして最後の夜に越えられない壁に向き合って、YUJIさんや、HITOMIさんに注意されて、しょんぼりしながら、眠れないまま朝を迎え、夜明け前の公園で、一人大好きな木に最後の挨拶をして、そしてその木に包まれて、そのまま木の中へ溶けていって、静かに闇に包まれ、風を感じ、時を見つめていた。そしてすべての事が自分のために準備されていたことを知る。学びは決してこれで終わりではない事、自分の創りだす未来がただ、今スタート地点に立っただけだという事、掛け替えのない繋がりをこれからずっと続けていける事、大切なのは技術ではなくて、命の流れを創りだす事なんだという事。きっと僕はここで何かの成果を得て終わったなら、まるで風邪を引いたときに行く病院のように、今回のセミナーを片付けてしまっていて、一時の思い出にしてしまったかもしれない。古いアルバムに出会った人々と、そこでの記憶を閉じ込めて、またそれと関係のない日々へと振り戻って行ったかもしれない。けれど、それができなかった事で、そこで苦しんだ事で、僕は今回学んだ事が、身につけた事が、本当に些細な事で、本当にこの先にこそ大切な時間が広がっている事、大きな流れをこれから創り出していくことこそが大切なんだ、とわかることができた。そしてたくさんの人の暖かさと繋がっていること。それらがすべて幻想でも、それをこれから創り出していくべきなんだ。。と感じた。日暮里駅で電車を降り、狭い階段を上り、仕事を終えて帰る人波に飲まれ、JRへと乗り換える。車内で向かいの席に座る人たちが、まるでテレビの映像のように遠く、でもなぜか近く感じられ、出入り口の上のディスプレイが、嘘っぽい言葉を並べたCMを映し出す。それらに何の反応も感じることなく、僕の耳をすり抜けていった。携帯を懸命に打ち続けるOL、薄笑いでどこを見ているかわからない青年、英語で懸命に日本について説明しているビジネスマン、大切そうにバッグを抱える女性、遠くの景色を見つめる女子高生。やがて僕もその日常の中に、まるでコーヒーの中に入れたクリープがあっという間に溶けてしまうように、帰っていくことだろう。けれど、確実に僕の中では何かが変わっている。そんな気がした。そして、ぼんやりとした中で、なぜかオーストラリアにいた時には一度も浮かんでこなかった曲が頭の中で再生されていった。”ハローハロー 交わそう ここからすべてが始まるよ””同じ目線で ためらうことなく無邪気に言うよ ハロー”(superfly、「ハロー・ハロー」より)素敵な素敵な宝物のような日々に。
Apr 14, 2008
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今回の9日間のアバターセミナーの中で、一度号泣したことがあって、その時に感じたことがあります。その小学校の頃の思い出は、今までずっと自分の胸を締め付けていて、それに僕はずっと気づかないままでいて、そして人の心に入っていくのが怖かった。それは人が聞けば本当に些細な思い出だけれど、自分にとってはこれほどにも重要だったんだ、とその時気づいた。そして僕はその時に大きな思い違いの信念を作り出していた。それは、「まさかのときの友は真の友(A friend in need is a friend indeed.)」だから真の友になるには、困った時に必要にされる人なんだ。だから誰かに必要にされる人になりたい。いつもそう思ってた。困っている人を探していたんだと思う。。けれど、友達ってそうなのかな、と思う。そりゃまさかの時に本当に力になってくれる人がいいけど、普段こそ一緒に楽しくいられて、一緒に同じものを見つめて、喜んで、悲しんで。。そんな風にして、一緒に熱い時間を過ごしていきたい。今やっとそう思う。
Apr 11, 2008
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アヒルと鴨のコインロッカーhttp://www.ahiru-kamo.jp/という映画をDVDで見た。アヒルと鴨のコインロッカー映画って言うのは素敵な経験を与えてくれるものだなぁと思う。もしこの映画がなかったら、これからの先の人生は少しだけ味気ないものになっていたような気がする。---人生を変えるほどの切なさが、ここにある。DVDの表にはそう書いてあった。そんな事あるのかな、そう思って、一度は手にしてまた戻して、次の日に行ったら、そのお店の全部借りられてたので、うーん。。やっぱり一度はトライして見るべきか、と思って連休前の金曜日に借りた。この映画ではボブ・ディランの「風に吹かれて」が何度も流れる。不朽の名曲、らしいが残念ながら自分は知らなかった。けれど、この映画を見て、更にこの曲について調べると、それが不朽の名曲である意味がわかったように思います。http://blog.so-net.ne.jp/debdylan1966/2007-11-18http://www.imageforum.co.jp/dylan/intro/index.htmlアメリカが苦悩を続けた、キューバ危機、ベトナム戦争、そしてケネディー大統領の暗殺、キング牧師、そしてロックンロール。。そんな時代の声を代弁するような曲だと思う。映画のプロモーションを見ると、歌詞の中から特に3番のこの部分が出てくる。 How many deaths will it take till he knows That too many people have died ? The answer, my friend, is blowin' in the wind The answer is blowin' in the wind. 一体どれだけ多くのヒトが犠牲になればわかるんだろう? 答えは。。そう、風の中にあるんだ。。映画では特にこの歌詞への想いが涙となって映っている。この歌詞の中には、未熟だった青年が大人になるためにやるべきことを探しているようにも取れるし、アメリカという大国の迷走の中での未来を探す姿にも取れるし、時代に流される中でうつむいてしまっている人々の心に希望と反省を促す曲のようにも見える。 Yes, 'n' how many years can some people exist Before they're allowed to be free ? Yes, 'n' how many times can a man turn his head Pretending he just doesn't see ? The answer, my friend, is blowin' in the wind The answer is blowin' in the wind. どれだけ生きてきたのなら、人は自由になれるというのだろう。 一体どれくらい人は、都合の悪い事に顔を背けていられるのだろう。 答えは。。そう、風の中にあるんだ。。この歌詞の言葉は当時の時代を背負い、そして今なお新しいと思う。今の時代はきっと迷走や不安を抱えたあの頃の世界とはすっかり変わってきているような気がしているけれど、結局あの頃の時代と同じ迷走を心の中では繰り返しているに過ぎないのではないか、という気持ちになる。目の前のことに立ち向かっていく事の強さと、大切さ、そして、それができない悔しさを、この映画の中に感じた。--今となっては伝説の人たちや出来事、というのを最近は良く聞くような気がする。それは、時代の中で生み出されたものであって、例えばまったく同じ事をその時代でなく、今やったのなら、きっと伝説にはならなかっただろう。それならば今の時代の伝説とは何なのか?それはオリジナリティと、瞬間性ではないかと思う。今まで誰もやらなかった事、そして今後もできないであろう事。その時にしか起こりえない事。今は情報が行き渡りすぎて誰もがうまくいったことを真似して、すぐに複製ができあがり、大量生産のような画一性となってしまう。それを守るための著作権などではない、偶然性を起こす事。それが今の時代の伝説の要素の一つではないかと思う。
Feb 11, 2008
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なんとなく思いついた物語。夜ご飯を食べた喫茶店で書きました。みんながそれぞれの過去を抱えていて、それでもそんな自分を愛しながら幸せに生きて欲しいな、そう思いながら。---あらいぐまのミミは悲しいことがあるとよくその沼にやってきました。その沼はミミたちの住む森の奥深く、山と山の境目のようなところにひっそりとありました。たくさんの木々に遮られ、陽も当たらないその沼の周囲はいつもひっそりとしていて、息をする事さえためらわれるような、すべてが動きを止めていました。木々も、虫も、空気も、物音さえも。けれど、そこはミミがひっそりと自分の悲しみと向き合うにはとても素敵な場所だったのです。そこでは何も流されてはいかない。ただその場所に漂っている。。喜びも悲しみも、長い長い歴史さえも。だから、ミミはそこで自分の悲しみをゆっくりと見つめ、まるで秋に落ちる木の葉のように一枚ずつゆっくりとその悲しみの葉っぱをちぎっては沼の底に沈めていくことができました。ゆっくりと、誰にもせかされずにミミは穏やかな気持ちになることができたのです。それはどんな慰めの言葉よりも、癒しのささやきよりもミミにとって大切なものだったのです。そんなミミが大きくなってからしばらくしてからでした。あるとても悲しいことがあって、ミミはもう随分来ていなかったその沼にやってきました。沼の周囲には淡く白い霧がたなびいて、太陽の強い光も、月や星の魔法のひかりも届かない、あの時と同じままでした。ミミには昔懐かしい安らぎの場所でした。ミミは昔そうだったように、沼のほとりにある大きな石の上にちょこんと座り、今日の出来事をひっそりと思い出していました。そして気がつくと、次々とミミの頬を涙が伝い沼の中に落ちていきました。その涙の落ちた沼を見てミミは驚いてあっと声をあげました。涙が落ちたところが、一瞬透き通った水になり、そこに誰かの心が映って見えたのです。それは、まるでミミが小さい頃に読んだ、マッチ売りの少女がマッチで灯した明かりの中に人々の楽しそうな暮らしが浮かんだように、たくさんの人の心の奥にある姿が浮かんでいました。それは、みんなが心の奥底にひっそり抱いていて、そこにある事すらもう忘れてしまっている、心のカケラたちでした。それは、誰かを裏切った事を悲しみに一人頭を抱える姿だったり、約束を守れなかったことを悔やむ姿だったり、たった一人の友へ届けられなかった思いだったりしました。家族への屈折した思いや、小さい頃のいじめのことや、わかってもらえなかった小さな嘘と真実だったり。。誰もがきっと抱えている永遠に癒される事のない心のカケラたちだったのです。そしてそれはミミの涙の中でキラキラと輝いていました。「みんなの心の奥の思いが吹き溜まりのようにたまってしまったんだよ。」驚いて振り返ると、大きな熊がミミに向かってつぶやいていました。「うんん。。」ミミはぼんやりとそのまま熊と一緒にその涙に映し出される人々の心のカケラを見つめていました。そしてゆっくりと熊が口を開きました。「ミミ。生きてきた過去は決して消えない。」「けれどね。過去は変えることができるんだ。」驚くミミに、熊はほんの少しだけ微笑んで続けました。それは未来を創りだすのと同じことだよ。どうすればいいか知りたいかい?それはね。その時の自分の思いを優しく包んであげることだよ。叶えられなかった思い、未熟だった自分の心、傷つけられた心。そんなすべてを認めてあげるんだ。だって、その出来事があったからこうやって今の僕達が生きていると思わないかい?もしもそんな風に自分の過去の思いを許してあげられたなら、過去は確実に違う意味を持って、新しい過去として、君の心に刻まれるんだ。ごらん。空にまたたく星達が見えるだろう。あの星の光が何億光年も昔に発せられたものだという事は君を知っているかい?やっと地球まで届いたその光。その光を、僕らは愛する人へのメッセージにもできるし、悲しみの涙変える事もできる。喜び勇んでいる時は、すべての星達が祝福している気持ちにならないかい?それはすべて僕らの心の力なんだよ。そうやって過去の光を僕らは悲しみにも喜びにも変えられるんだ。いいかい。ミミ。世の中にはたくさんの人の心がまるで小石を池に落とした時にできる波紋のように、お互いに影響し合っている。そしてそれが僕らを動かしていろんな人生を作っていくんだ。その小さな心の波が僕達を喜ばせたり、悲しませたり、感動させたりする。だから人生は美しいんだよ。きっと。夜空の星の輝きが美しいのと同じようにね。ミミは黙って聞いていましたが、なんだかその熊の言ったことが少しわかるような気がして、そのまま沼をじっと見つめていました。たくさんの人たちの心のカケラと一緒に。そして少しだけ微笑んで、自分の昔この沼に静めた心のカケラたちを探し始めました。雲の晴れた満天の星空の下で。。(おしまい)
Feb 3, 2008
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久々にDo As Infinityの曲を聞いた。なんだろう、突然懐かしい気持ちになって、YOUTUBEで以前のPVやコンサートの様子を見た。壊れるほどに脆く危うい感受性と、遠い光をしっかりと見つめる瞳の力、まるで雨の日に路地裏に捨てられて、そこで生きていくことを選んだ幼い猫の瞳のよう。激しく降り注ぐ時代が生み出した苦悩や悲しみの雨の中で、彼女はうまく生きていけているのだろうか?「柊」の歌詞の中にあるように、長い孤独な夜に つぶされそう 満たされぬ現実が 押し寄せてくるよ。。そしてその中で、柊のように冬を耐え抜いてゆく強さが欲しいよ、君の胸の片隅に残したトゲを やがて来る春までに溶かしてあげる。。ことができるように。彼女の幸せを思った。「柊」http://jp.youtube.com/watch?v=4BjEZB4Uwzc&feature=related「深い森」http://jp.youtube.com/watch?v=xwdVHzlprJU
Jan 27, 2008
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僕には大好きなガラスのポットがあって、夜遅く帰ってきて、寝るまでに少しホツとしたい時や、週末の気だるい朝の空気を明るくしたいときや、もうすぐ終わる日曜日を惜しむ時に、それでハーブティーを入れたり、烏龍茶を入れたり、紅茶を入れたりする。その透明なポットの中でゆっくりと葉っぱから溶け出してくる色が、なんともその時の僕の心を癒してくれるようで、とても好き。特に元気を出したい時には、ローズヒップの赤いキラキラ輝くお茶を飲むと、まるで魔法の薬のように、とてもいい気持ちになって、その瞬間とても幸せな気分になれる。そんな自分にとってかけがえのない時を生み出してくれるガラスのポットのフタの部分を今朝、炊事場で割ってしまった。。今日は日曜なのに珍しく早起きして、朝から部屋の片付けをした。昨日恐ろしく疲れていたので、8時頃寝たせいだけど。それで、昨日使ったポットを片付けて綺麗に拭いていたとき、細い注ぎ口の汚れをふき取って、その底を眺めようとポットを傾けた瞬間、まるでスローモーションのように、コロッとフタが落ちて、あまりにもあっけなくそのガラスのフタは砕け散った。。すごいショックが身体中を走り、動揺して、うろうろして、見ると、取っての部分が抜け落ちたようになくなっている。そして、シンクの中にガラスの破片がいくつも転がっていた。どうしよう・・すぐに買いに行こうか、嫌まだ7時だ。破片はどこ?探さないと。えっ。慌てると手を切るかな。。なんだか一人で泣きたい気持ちで、ガラスの破片を捜索。いくつか集まったカケラを見つめ、そういえば引越しの時に使った瞬間接着剤があったことを思い出す。慌てて倉庫になっている部屋をあさると、意外にあっさりと見つかった。けれど、その後砕けたカケラとにらめっこをしながら、台所で一つずつをくっつけていった。。途中で指先は接着剤だらけになるし、組み方を間違えて、もう一度外してやり直してみたり、結局立ちっぱなしで、そのポットのフタとにらめっこをして、なんとか形にした。。砕けてもう使い物にならなかったり、なくなってしまったカケラもあるけれど、なんとかフタとしての機能は果たしてくれそう。本当に馬鹿みたいだけど、嬉しかった。見た目も接着剤でヒビが白くなっているけれど、それでもなんだかいとおしいな。と思った。頑張れ。僕のポット。今君は世界に一つしかない勲章を手に入れたのだから。
Jan 20, 2008
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