これからもさらなるきらめいた人生を・・。
なんか疲れた・・・。
ラフロイグはきつすぎますね。でも数年したらやみつきになってるかも。
気分転換?で、さらっとした?随筆の話。
挿絵作家として、また明治大正昭和を代表する日本画家として知られる鏑木清方(かぶらき きよかた)(1878-1972)は、絵画以外に随筆家としても知られています。まだ江戸の匂いが残る東京の神田に生まれ、太平洋戦争で疎開するまでの66年間を東京で暮らし、晩年の26年間は鎌倉で過ごしました。戦後の、我々がよく知るところの日本人とは一歩隔たった、古き日本人の姿を見る気がします。
彼の描く絵からは明治の庶民の暮らしが鮮やかに浮かび上がってきますし、同時に彼の随筆も江戸、明治への郷愁を誘う清らかな作品ばかりです。

「朝涼」(1925年) 「朝顔日記」(1939年)
岩波文庫から彼の作品を集めた 「明治の東京」
という本が出ています。まさに古き良き時代を感じさせてくれます。自分は東京で生まれたというだけで、まだまだ東京のことを知らないんだな。
「明治の東京」
の中の 「築地の河岸」
より...
...遠い昔のある日の昼下がりから夕暮れ時、東京の美しい情景が目に浮かびます...
[ ()内は注、途中省略あり ]
(五月も末でどこを見ても夏景色の一日、演舞場へ踊りを見に行ったが昼興行なのでまだ外は明るい。水辺が恋しくなったか、築地界隈をあてどなくぶらついてみる・・・)
・・・このへんの河童小僧(子供)は、きものをまるめて、石垣の上へのっけたままで、日ざかりにはドンブリと何々園にしつらえたプール同様に飛びこんで、川も往来も、長屋も路地も、外と我が家の見さかいなかったらしい。尤もこれは何も小僧だけに限らない、大人といえども軒先の縁台、橋の上の夕涼み、日が暮れれば、星は下は庭つづき、誰も表へ出るという気は別段改まったものに思わなかった。
あした天気になアれ、とはやし立てた子供たちが、橋板をならしてめいめい自分のうちへ帰ると、その夕やけのかげもうすれて、こうもりがまだ暮れきらない薄縹色("うすはなだいろ")の空の下をひらひらと飛び交う。
片切彫("かたぎりぼり")にもしたい宵月が、夕闇には見えない蜘蛛の糸のような電信線に鉤("かぎ")とかかって。
その時分から橋の上の夕涼みは賑わう。
とりどり手にもつ絵団扇の、それも清十郎のお夏かな。
あっちの橋から、こっちの橋へ、築地から木挽町から、団扇片手に涼みがてらのそぞろ歩きの人たちは通りがかりに、今晩は、と互いにとこばをかけ合っただけで別れるのもあれば、欄干へ並んだ列のなかま入りをしてゆく人もある。
夜気水の如く、瞬きをするように光る星を見上げて袂を川風に吹かせている納涼人も、時が移ればいつか他の人と入れかわる。話が弾んでひどく賑やかになるかと思うと、月も落ちてまっくろな人影ばかり、青いあかりをつけた船が、橋の下を漕いでゆく、静かな水音、櫓の音だけが耳立つこともある。
透きとおるように涼しい鈴の音がきこえたと思うと、横母衣("よこほろ")を外したゴム輪の俥が一台、橋板に僅かなひびきを伝えて、向こう川岸へ渡って行ったのが、あかあかと燈火のついたなにがし家の門へ梶棒を下す。
橋の上の人声は止んで、ひとしきり、薔薇の香りが闇を漂う。
遠い遠い昔の夢を追いながら、私はペンキのついた袖をかばって、山の手の家へ帰った。
(なんでペンキなんかつけてしまったのかはこの話の前半読めばわかるんですけどね。)
(「美登利」(樋口一葉「たけくらべ」の登場人物)、
「現代日本美人画全集2」)
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