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お久しぶりです。そしてこれが最後の更新になります。これまでの生活を大きく変えて、新たな出発をすることに致しました。 気持ちを新たにするために、このブログはここで卒業させていただきます。ここを訪れてくれてくださった皆様、本当に今までありがとうございました。
2011.03.30
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何ヶ月かぶりに日記を書いてみる。 ときどき訪れてくれている方がいたのに、どうも申し訳ありません。 既に訪れてきてくださった方、ありがとう。はじめて来てくださった方、こんにちは。 毎日寒いですね。初雪が降りました。 忘年するにはまだ少しありますが、既に3回位今年を忘れました。。。もうあと3回位あったような・・・?みなさんも、2日酔いにはお気をつけて。笑 日は短いですが、午後の長い日差しに照らされた雲の姿が美しい。淡い黄金色に染められて、薄い水色の空にどこまでも点々と連なっている。繊細なガラス細工みたい。 あまりに早い夕暮れはいささか悲しいですが、冷たく澄んだ空気に触れると自分の心も透き通るようで、こんな繊細な季節だったんだなあと気がつきました。 とりとめもない文章ですが、今日はこの辺で。それでは、ごきげんよう♪
2009.12.21
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日差しは暑くとも、風は思いのほか涼しく、夜は寒いくらい。 あっという間に秋らしくなってきましたね。 夏の間は色々なところで写真を撮っておりました。 いずれお見せできる機会があれば・・・と思いつつ。 写真できりとった風景を、カメラの中だけでなく、心の中におさめていく。 写真に映っているのは必ずしも現実のありのままではなくて、僕が心で見た風景が映っているのかもしれません。
2009.09.01
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少し時間が経っただけで、気がつかないうちに人の心というのは変わっていくものなのですね。 少し前の自分の気持ち、それはより素直で、そして幼くて、頼りないかもしれませんが、 忘れたくないなと思いました。 そんなことを何となく感じました。。
2009.08.20
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梅雨が明けてようやく夏 暑い 今年は晴れたり大雨が降ったり忙しい天気ですね でもやっぱり、夏はどこかに出かけたくてうずうずします。
2009.08.06
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ものすごく久しぶりに更新します。。。 またぼちぼち写真をのせつつ続けていけたらなと思います。 今日は涼しいですね!
2009.07.28
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ずっと昔に読んで、今でもときどき思い出す本があります。 今日書くのはそんな本の中の一冊です。 「子どもの宇宙」河合隼雄 「この宇宙の中に子どもたちがいる。これは誰でも知っている。しかしひとりひとりの子どものなかに宇宙があることを、誰もが知っているだろうか。それは無限の広がりと深さをもって存在している。大人たちは、子どもの姿の小ささに惑わされて、ついその広大な宇宙の存在を忘れてしまう。大人たちは小さい子どもを早く大きくしようと焦るあまり、子どもたちのなかにある広大な宇宙を歪曲してしまったり、回復困難なほどに破壊したりする。このような恐ろしいことは、しばしば大人たちの自称する「教育」や「指導」や「善意」という名のもとになされるので、余計にたまらない感じがする。私はふと、大人になるということは、子どもたちのもつこのような素晴らしい宇宙の存在を、少しずつ忘れ去ってゆく過程なのかとさえ思う。それでは、あまりにもつまらないのではないだろうか。」(はじめに、より) 著者である河合隼雄については知っている人も多いかもしれません。不思議な経歴の人で、京都大学理学部数学科出身です。とはいえもともと人と接するのが好きだったようで卒業後は教師をしていましたが、あるきっかけからアメリカに、ついでスイスのユング研究所に留学し、日本人で初めてユング派の分析家になった人です。残念ながら2007年亡くなりましたが、心理療法士の方の本を読んでいると今もこの人の名前が度々出てきます。心理療法を日本に普及させたのはこの人であるといっていいかもしれません。 ところでユング派って何よ、と思われるかもしれませんが、これはC. G. ユングという人が創始したユング心理学を修めた心理療法家を指します。ユングはフロイトと並んで、人間の深層心理についての学問を創始した人物として有名です。ユング心理学についてはまた機会があれば書きたいと思いますので、ここではこれ以上立ち入りません。 前置きが長くなりました。この本は心理療法士として多くの人の心に接してきた著者が、童話に描かれている世界を通して子どもの中に広がっている大きな大きな宇宙について語っています。激しく感情をゆさぶられて・・・というのではないのですが、読んでいくうちに次第に自分もその宇宙の中に引き込まれていって、読み終わってなんともいえない不思議な感覚になったのを覚えています。ふわふわと宙を漂っているような・・・。人間の理性の届かない、感覚的な、超越的な、何かの鱗片に触れたような・・・。 本の中にはいくつかのテーマにそって、たくさんの童話が出てきます。ケストナー「ふたりのロッテ」 バーネット「秘密の花園」 フィリパ・ピアス「トムは真夜中の庭で」 小川未明「金の輪」 ・・・ 「ふたりのロッテ」表紙より(ケストナー少年文学全集) 家族との関係秘密動物との交流生と死・・・ 童話の内容と、それに関わる様々な話はとてもここでは書ききれません。ぜひ本書と各原作を手にとっていただきたいと思います。 本書にはそうした童話の話とともに、実際の心理療法の場面についての記述があります。 情緒不安定、集団不適応という名をつけられて相談に連れてこられた小学3年生の女の子。初対面の印象は、「直立不動の姿勢から体をペコンと2つ折にして挨拶する。棒切れが途中から折れたような感じである。」「すらりと背が高く、愛くるしい顔立ちの少女なのに、いつも目がカッと見開いて、ピンと張りつめたような表情をする。どこか調子の狂ったかん高い声でしゃべり続ける彼女の言葉は、文字にすればカタカナにしかなりえない。」 初めは一緒に遊んでいても接触感がなく、ぎこちないままであったのがふとしたきっかけで急速に治療者との距離は縮まっていき、治療者をお母さんと言い間違えるまでになる。けれど子どもはちゃんと自分の進む道を知っていて、時がくればこちらが非情と感じるほどに、あっさりと離れていく。彼女は、来年はここにはこない、と自分の意志で宣言する。(30回目の面接)この頃から自分で作詞作曲して歌を歌い始める。「涙の最後の贈りもの」「別れの歌」「Tシャツを着たあなた」などなど・・・第36回の面接で、突然「先生、死ぬか」と問いかける。しばらく死についての問答が続く。第49回、「先生、死ぬか?私も死ぬか?」と問いかける。「2人のどちらかが死ぬように思うの?」(治療者)「ううん、うそや!死んだりしたらえらいことや!」 「先生大好き」といって久しぶりに抱きついてくる。最初のころに比べるとはるかに接触感がある。「先生はとっても素敵、お目がキラキラ、太陽のよう・・・」と歌を歌って讃えてくれる。第55回(最終回)、いろいろな遊びをさらっとして、「先生、さようなら、私、中学生になっても来てもいいか?」と言う。先生の了解を得ると、わりに淡々とした表情で帰っていった。(彼女はこの頃、クラスの中で以前のようにはみ出した行動をしなくなっていることが報告されていた) 心理療法というと、人の秘密を暴きたてるようなイメージをもっている人もいますが、実際はむしろその秘密を大切に扱い、出来る限りともに生きようとする感受性と姿勢が必要だと述べられています。 面談の経過は文字通りドラマです。人の心って不思議です。その広さと奥深さに惹かれてしまうのかもしれません。 なんだかとりとめのない話になってしまいました。この本を読んでみて、みなさんも自分自身の中に広がる宇宙を探してみてください。この本のベースになっているユング心理学は単に心理学というより哲学、宗教に関わる側面ももっています。著者である河合さんはユング心理学や日本人の心についての本を多く書かれています。ここでは細かく紹介しませんが、こちらの方も読んでみたら面白いと思います。 それでは、今日はこの辺で、おやすみなさい・・。 「トムは真夜中の庭で」の表紙より(岩波少年文庫)
2009.05.29
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今月は知り合いの結婚式が3個もありました。すべて参加しました。 いくらなんでも無茶苦茶です・・・。涙 最近会っていない友人たちに会えるのはいいことですけどね。 どうぞお幸せに。
2009.05.22
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こないだバラ園行きました。 きれいでした♪ (なんて短い感想・・)
2009.05.18
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shin-biでの写真展無事に終了しました。見に来てくださった皆様本当にありがとうございました。 この半年の間に3つの写真展を(意図せず)立て続けに行いました。とても充実していましたが、忙しすぎました・・・。少しの間、身も心も落ち着けて、改めて次に取り組みたいと思います。 これからもどうぞよろしくお願い致します!! 少し前ですが、友だちと何人かで六甲山に遊びに行きました。 いいところでした。皆さんもぜひ♪
2009.05.14
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(152回目というのは単に記事の通し番号です。) アイヌの言葉に昔から少なからず興味があります。 (アイヌ文様について以前にちょっと書きました)http://plaza.rakuten.co.jp/kirameita/diary/200610080000/(北海道にも行きました)http://plaza.rakuten.co.jp/kirameita/diary/200708310000/ 北海道の地名のほとんど、東北地方の地名の一部がアイヌ語を元にしていることは知っていましたが、どんな意味なのか知りたいと思いつつきちんと勉強したことがなかったのです。そしたらちょうどいい本があったのでいま読んでいます。 「アイヌ語地名で旅する北海道」北道邦彦著 朝日新書 アイヌ語は日本語とは当然発音が異なるため、本州からやってきた日本人が聞き間違えてそのままになっていたり、音に漢字を当てはめたものの漢字の本来の読み方に引きずられて読み方が変わってしまったり、言葉の指す場所が時とともに移動したりと、本来の音と場所を特定するのはなかなかに困難です。アイヌの生活文化が事実上ほとんど消えてしまった今となっては、新たな手がかりが得られる可能性はほとんどなく、残念ながら今ある文化資産を大切に遺していくしかありません。 山と川アイヌの人々は川を重視します。川に沿って生活を営み、そこから道が生まれました。川下から川上に遡っていくのがアイヌの人々の発想です。山はその先にある象徴であり、川と同じ名前であることが多いです。聖域である山に登山するようなことをアイヌの人々はしませんでした。ただ峠を越えて山の向こうの世界との行き来は頻繁に行っていました。生活に関わりのある親しい山には多くの名がつけられましたが、あまりに険しく遠い山にはいちいち名前をつけていないこともあります。有名な大雪山系は威容を誇る20以上の火山からなっていますが、ほとんどの山が日本語名・個人名でアイヌ語起源の名前は4つしかありません(由来も諸説あって不明)。これは日本の登山の歴史に関係があると思われます。 山を表すアイヌ語はいくつもあります。 イワ iwa比較的低く独立した山で、祭礼などを行う神聖な場所だったようです。藻岩山(札幌市) mo-iwa(モ-イワ) 「小さい-山」札幌市街の南にある小高い山。ロープウェイで登ると札幌を含めた石狩平野を一望できます。この山の北西に小さな円山があり、実はこっちが本当のモイワ。やってきた日本人が間違えたのです。藻岩山の方はインカルシペと言いました。inkar-us-pe(インカル-ウシ-ペ)「眺める-いつもする-場所」ポロイワ山(浦河町)、幌岩山(サロマ湖畔(佐呂間町)) poro-iwa(ポロ-イワ) 「大きい-山」モイワに対して、大きな山をいいます。幌岩山の上からはサロマ湖を見渡すことができます。 タプコプ tapkopイワと同じような意味ですが、ぽこんと盛り上がった円山です。達布山(たっぷさん、三笠市)原名の後略形。達古武沼(たっこぶぬま、釧路市)釧路川の東にある丘がタプコプと呼ばれていたのが、付近の名になり、沼の名前にもなったのでしょう。釧路湿原国立公園の中にあります。湿原の東側には達古武沼と塘路湖(to-oro 「湖の-所」)、シラルトロ湖(由来不明)があります。 ここで、ちょっと難しいですがアイヌ語の発音について。tapkopのタプコプのプの音は日本語の「プ」とは異なりはっきり発音されません。閉音節と言うそうです。ローマ字で書くと明らかなのですがpで終わっており、puではありません。正式には小文字で表記するそうですが、htmlでうまく表せなかったのでそのまま書きます。ただ、では英語のcup(カップ)のプは小文字で書くかというと書かないですし、規則が完全には理解できていません。以下の文章でローマ字が子音で終わっているものは閉音節です。ただアイヌ語に精通していない日本人が発音する場合結局のところ日本語で「タプコプ」と発音せざるを得ないですね・・。そのほかにも、アイヌ語では清音と濁音を区別しません。洞爺湖の洞爺は「とうや」と読んでも「どうや」と読んでも同じです。また、母音のウの発音がオに近く、日本人が聞き間違える原因の1つになりました。全体としてみると日本で奈良時代の頃に使われていた発音が残っていたりして古い日本語と共通点がいくつかあります。 ヌプリ nupuriイワやタプコプと比べて、高く大きく聳える山です。カムイヌプリ(摩周湖畔(弟子屈町)) kamuy-nupuri(カムイ-ヌプリ) 「神の-山」名前が示すとおり、摩周湖と一体となったその姿は神秘そのものです。マシュウ(摩周)の由来は確定していないようですが、ma-shu 「泳ぐ-鍋」(川口がなく丸い鍋のようで、岸辺の山が夕日を受けて湖面に影を落とすと人が泳いでいるように見えるから)という話が本には載っていました。また、本にはありませんがネットで見てみるとキンタン-カムイ-トー(山の神の湖)という言葉で呼ばれていたと出ています。余談ですが、摩周湖は透明度の高さで有名です。1931年の調査で測定された41.6mの記録は現在でも世界1位です。ただその後透明度は下がりつづけており、1970年の調査では35.7m、2004年の調査では19.0mだそうです。世界2位はロシアのバイカル湖の40.5mですが、これも測定は1911年でその後調査されていないらしく、いずれの湖も汚染が進んでいると推測されます。それでもとってもきれいで、このままであってほしいです。 アトサヌプリ(川湯温泉(弟子屈町)) atusa-nupuri(アトゥサ-ヌプリ) 「裸の山」硫黄が産出し、そのため樹木が育たずこのように呼ばれます。爺爺岳(ちゃちゃだけ、国後島) caca-nupuri(チャチャ-ヌプリ) 「爺さん-山」国後島の北東端に聳える1822mの山で、根室から知床までどこからでも見えます(私も見ました)。 ちょうど頭のてっぺんが禿げた爺さんに見立てられるのでこう呼んだのでしょう。チャチャは親愛をこめた「爺さん」の意味です。 シリ sirシリは多義語です。「山」以外にも「大地」、「島」、「容貌」、「あたりの様子」といった意味があります。敏音知岳(ピンネシリダケ) pin-ne-sir (ピン-ネ-シリ) 「男の-ような-山」松音知岳(マツネシリダケ) mat-ne-sir (マト-ネ-シリ) 「女の-ような-山」(ともに枝幸郡中頓別町)日本でいうところの雄山、雌山です。シリには知や尻の字が当てられたりしています。チセネシリ(またはチセヌプリ、ニセコ町) cise-ne-sir(チセ-ネ-シリ) 「家の-ような-山」チセはアイヌ語で「家」です。家の形に似ていることによります。ただし、この場合の家は今のアイヌの家ではなく、古い時代の竪穴形式のものをさします。 キム kim生活に密着した山を指します。ヌプリのように聳えたりしません。喜茂別岳(きもべつだけ、喜茂別町) kim-o-pet(キム-オ-ペト) 「山-にある-川」喜茂別川の源流として、川と同じ名前がつけられています。 川の名前がついたものペンケヌーシ岳(日高町)pen-ke-nu-us-i (ペンケ-ヌ-ウシ-イ) 「上の-豊漁-がある-所(川)」pan-ke-nu-us-i (パンケ-ヌ-ウシ-イ) 「下の-豊漁-がある-所(川)」パンケヌーシ川の上手にペンケヌーシ川があり、その源がペンケヌーシ岳です。パンケ、ペンケという言葉は他にも使われています。阿寒湖のそばにパンケトー・ペンケトーという湖があります。panke-to 「川下の-湖」penke-to 「川上の-湖」アイヌの人々はどの湖も単にto(トー)とよぶことが多いです。ペケレベツ岳(日高町) peker-pet(ペケレ-ペト) 「明るい/清い-川」ペケレベツ川の源流があります。この川が流れる「清水町」の由来でもあります。石狩岳(いしかりだけ、川上町・上士幌町) iskar(イシカラ) 意味不明石狩川の源流シノマンイシカリの先にあります。sino-oman-iskar (シノ-オマン-イシカラ) 「本流の-山の方に行く-石狩川」イシカラ(石狩川)の原義はアイヌがいた時代に既にわからなくなっており、不明です。遠音別岳(おんねべつだけ、羅臼町) onne-pet(オンネ-ペト) 「大きな-川」オンネベツ川の源流があります。遠音別岳には全国に5箇所しかない「原生自然環境保全地域」に指定されていて、シラネアオイやシレトコスミレの群生が見られます。 本には、このほか知床半島や、各地の岬、札幌の話が出ています。もし興味をもたれた方はお読みになってみてください。 アイヌ語の地名の大きな特徴は、その土地の地形や、そこに何があり、何をするところか、といった生活の様子が思い浮かぶような名前がついていて、それがアイヌ語の地名を読むことの面白さの1つかもしれません。 今回は山を中心に書きましたが、また機会があれば他の様々な言葉についても書いてみたいと思います。
2009.04.28
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今日はちょっと寒いですね。 4月もあっという間に終わってしまいそうだ。 新緑。植物の葉っぱが日に日に大きくなっていく。 透きとおるような緑色・・。
2009.04.23
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搬入の昨日が雨じゃなくてよかった。(帰るころには降りだしてたよ・・) ところでどーでもいいですが、僕は自分のこと100%草食系だと思っていたのですが、ネットのチェックリストをやってみたら、100%肉食でした。 おかしいなぁ。。(笑) 確かにお肉好きだし、家の中にいるの嫌いだし、健康に興味ないし(こら!)、身の丈でいいとも全く思ってないですけど。 まあ、そういうことでした♪
2009.04.21
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ここ数日の天気をみているとなんだか春を通り越して冬から夏になったような気がします・・。 ギャラリーCASOでの写真展無事に終了しました。お越しくださった皆様ありがとうございました。 さて、次から次に恐縮ですが、また京都で写真を展示します。今回は出すのは僕だけなので、個展といえなくもないですが、お店の壁面に数点出すだけのささやかなものです。 展示場所であるshin-biは四条烏丸のど真ん中にあり、京都精華大学が運営するアートショップです。素敵な商品がたくさんありますので、買い物ついでに寄っていただければと思います。 shin-biについては昔むかしの日記に書きました。まさか自分がここで展示をすることになるとは思ってもいませんでした・・・。http://plaza.rakuten.co.jp/kirameita/diary/200710210000/http://www.shin-bi.jp/ 4/21~5/12の3週間、GWまるまるもらって展示いたします。感謝。展示期間中はこれまでの作品のポストカードや、展示作品で構成した小冊子を販売します。こちらもどうぞご覧くださいませ。
2009.04.20
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明日から4月ですが、寒いのでまるで実感がありません。 桜はもう咲いているんでしょうか。 春を探してどこへ行こう。。
2009.03.31
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3月末からグループで写真展を行います。 初日にはささやかなオープニングパーティもやりますので、どうぞ遊びにきてください♪ ♪♪♪ ギャラリーCASOhttp://www.cwo.zaq.ne.jp/caso/index.html
2009.03.10
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晴れた写真にします。 ちょっと風が強いです。
2009.02.24
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もうすぐ春がやってくるような、 まだ遠いような、 そんな時期ですね。 はやくあったかくならないかな♪
2009.02.23
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いまさらながら明けましておめでとうございます。 鎌倉に行ってきました。題して「きらめき会」。笑 詳細は秘密です♪ 海がとってもきれいでした。 また行きたいな。
2009.01.29
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あっという間に年末ですね。今年の日記は今日で最後です。 来年もどうぞよろしくお願いします。 脈絡ないですが、12月の京都の写真をペタペタ貼って今年は終わりで~す。 それでは、よいお年を!
2008.12.27
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何がしたいのか自分でもわかりませんが、 とりあえず鮮やかできれいだからそれでいいか、と。。。
2008.12.08
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写真展無事に終了いたしました。はるばる見に来てくださった方々に厚くお礼申し上げます。 来年の3月にグループ展ですが、また写真展に出品します。大阪です。お時間があれば遊びにきてくださいませ。 今回はポストカードをうんとたくさん印刷して配布しました。増刷したものの、最後はほとんど品切れしてしまいました。。家に飾ります、と感想を書いて下さった方がいて、とても嬉しかったです。 最近会っていない友人たちにも会うことが出来て、ほんとにやってよかったです。 またがんばろー♪ ---- ---- ---- ---- ---- ---- ---- さて、 写真とドローイングでは、感覚が変わるようです。 いろいろ試していきます。
2008.12.04
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タイトルは、現在写真展を開いているギャラリーの名前です。阪急河原町駅から徒歩5分です。http://www.fuchoan.com/ 1階がカフェになっているので休憩・ご飯もできます。 27日の初日は9時に搬入を開始したのですが、初めてということもあり予想以上に時間がかかって、12時のオープンに間に合わず・・・1時間も遅れてしまいました。反省。 平日にもかかわらず、ちょこちょことお客さんがきてくれて嬉しかったです! 1日中ギャラリーで準備やらなんやらでさすがに疲れましたが、この調子で週末もいけたらいいな♪ (展示風景をのせたいところですが、デジカメないし携帯画像どう取り込むのかわからないのであしからず・・・) (スキップしたら気持ちいいだろな♪) ---------------------------------------------------------------------- ブログは続けます。方向性はあまり決まってませんが・・。 というか方向性はもともとあってないようなものですが^^ 色々書き散らそう♪
2008.11.28
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今日はちょっと切ない気分です。 なんだろな。 いつも遠くばかり見てしまう。 手の届かない、遠いところ。 このブログをどうするか考え中です。 これまで色んな方に見にきていただけて、とても感謝しております。 もう少し考えます。
2008.11.11
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今度は、写真展をやります! 京都です。 お時間がある方はぜひ遊びに来てくださいませ♪♪ 「アイルランドのぬくもり」展2008.11.27(木)~12.2(火)12:00-19:00 (最終日は18:00まで)Gallery & Cafe 風蝶庵http://www.fuchoan.com/ アイルランドの人、もの、自然ファインダーの向こうに広がっていた世界・・・
2008.11.04
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「倉敷フォトミュラル」 展示が始まりました。 見てきました。 2m×2mの大型布プリントになっています。 おっきい~~。
2008.10.27
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まだ休憩・・。 「倉敷フォトミュラル」という写真公募展に入選しました! 展示場所は、 倉敷です。 遠いですが、小旅行で、お出かけついでにお立ち寄りくださいませ。 http://arsk.jp/photomural/ 「応募する」という行為が初めてで、選んでいただけてとっても嬉しいです!
2008.09.25
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ちょっと休憩。 夏って短いな。
2008.09.09
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14世紀前半、北アフリカから中東、インド、東南アジアに及ぶ広大なイスラーム世界を旅をして回った人物の旅行記のタイトルです。 あんまり長いんで普通「大旅行記」とだけ言います。 1304年2月24日、現在のモロッコのジブラルタル海峡を臨む港町タンジール(タンジェ)に生まれたイブン・バットゥータ(これも正式な名前は長すぎるので省略・・)は、彼の21歳から50歳までの約30年間を世界中を旅して回ることに捧げました。 もともとメッカへの巡礼(ハッジ)を果たすためだったのが、旅が旅をよび、イラク、トルコ、黒海沿岸、ロシア、西アジア、中央アジア、インド、スリランカ、東南アジア、中国を回り、一度帰国した後もイベリア半島(スペイン)、アフリカ(現在のマリ共和国周辺)を回り、その全行程は11万7000km(約地球3周)になります。(ただし、黒海沿岸、特に中国、東南アジアについては見聞した情報を書いているだけで行ってはいないと考える研究者も多い)(以下の図表は、家島彦一「イブン・バットゥータの世界大旅行」(平凡社新書)によります。家島氏はこの「大旅行記」を初めて日本語に全訳された方です。) (縮小して見にくくてすいません) 14世紀、中央アジアはチンギス・ハーンによって打ち立てられたモンゴル帝国の時代です。イスラーム世界とモンゴル世界、それをとりまくインド洋海域、地中海海域を中心とした国際交易ネットワークができていました。(当時のヨーロッパはまだまだ一地方です) (個人的にはモンゴル帝国の世界史へのインパクトには、若干疑問があるのですが・・・) この当時の国際世界を(結果として)くまなく見てまわったのがイブン・バットゥータです。文献がなく、彼の記述が最古となる地域も多く、第1級の貴重な史料であることは間違いありません。 イスラーム教徒にとっての旅とは、1つにはメッカ巡礼の旅であり、また、各地の高名な学者・聖人と出会い学問を探求する旅でもありました。当時、国家主催の巡礼のためのキャラバン隊が数多く編成されており、さらに旅人や巡礼キャラバン隊を手厚く保護するのがイスラーム精神の発露であるしてそうした制度がきちんと整っていました。イブン・バットゥータもこうしたキャラバン隊を利用しています。キャラバン隊には護衛の軍隊や巡礼者の他にも、遊牧民、商人、職人、学者など様々な人がおり長い旅の苦楽をともにする仲間(ラフィーク)として互いに助け合い、仲間内で結婚することもありました。イブン・バットゥータも結婚しています。(すぐに離婚してしまいますが・・)(付け足し:彼は旅の途中何度か結婚して子どもも設けています。異国の地から妻に送金したりしてます。) イブン・バットゥータは法学者として故郷で自分の基礎を築き、旅によって各地をまわる間、多くの学者・聖人と交流しています。ただ、彼はあくまで旅行家であって彼自身がどこかで根を下ろして何かをするということはありませんでした。放浪の人の宿命かもしれません。興味の赴くままに旅を重ね、たまたま残った旅行記が貴重な史料として再発見されたのです。 彼の故郷タンジールはイスラーム世界の西側の外れに位置します。西方イスラーム世界(マグリブ)に対して現エジプトのカイロより西の東方イスラーム世界(マシュリク)は文化の中心地としての意味合いが濃く、彼は自分がマグリブ人であるというアイデンティティをもってイスラーム世界を見つめました。そういう意味ではこの旅行記は彼の人生観・世界観の表れでもあります。 彼の書いた旅行記は彼自身の意志で書いたものではありません。旅の話を聞いた故郷マリーン朝のスルタン=アブー・イナーンの命により、彼の口述をもとにイブン・ジュザイイという人物が編集して1355年に完成しました。イブン・ジュザイイはマリーン朝に仕えた学者で、この旅行記を完成させた翌年、わずか36歳でこの世を去ります。「口述」と書いたのは、イブン・バットゥータは旅の手記をもちろん書いていたのですが、山賊、海賊に襲われて身ぐるみはがされ、という経験を何度もしてそうした手記もなくなっており、全ては彼の記憶から書かれたものなのです。そのため誤解や矛盾もあるのですが、イブン・ジュザイイはあえて細かい修正はせず、そのままを書き写したと序文で述べています。 その中には、人々を驚嘆させるような、とても信じられない話も多く出てくるため、彼をうそつき呼ばわりする声が絶えなかったそうです。この辺はマルコ・ポーロに似てますね。ややもすると異端の書として、イスラーム世界でもあまり省みられることはなく、19世紀になってヨーロッパの学者によってようやく知られるようになります。旅を終えたのちのイブン・バットゥータは法学者として仕官し静かな余生を送ったようです(というよりほとんど情報がない)。そして約20年後、1368/69年頃亡くなったといわれています。 (※以下、僕はまだ旅行記全文を読んだわけではありません。) 旅行記は、故郷タンジールを出発するところから始まります。(地図帳片手にどうぞ) 「私には親しく付き添ってくれる旅仲間もなく、集団で行くキャラバン隊に加わるのでもなく、ただ1人の旅立ちであったが、抑えがたい心の強い衝動にかられ、またあの崇高なる約束の場所(聖地メッカとメディナのこと)を訪れたいという胸の奥深く秘めていた積年の想いがあった」 タンジールからエジプトまでの旅路は、故郷に残した両親への思いや病気、一人旅の寂しさや不安に満ちています。1.北アフリカ(マグリブ)からアラビア半島タンジール→チュニス→アレクサンドリア→カイロ→ダマスカス→メディナ→メッカ 北アフリカを陸路で東へ、アラビア半島に致します。メッカで念願の巡礼大祭に参加します。普通ならこのままアラビア半島を回って帰ってくるのでしょうが、彼の旅はここから始まりました。 2.イラン・イラクメッカ→バグダード→イスファハーン→バグダード→スィンジャール→バグダード→メッカ 「旅行中にいつも私が習わしとしていたことは、出来る限り私がすでに通ってきた同じ道をたどらない」 3.紅海、東アフリカ沿岸(スワヒリ文化圏)メッカ→アデン→クルワー→ザファーリ→ホルムズ島→メッカ スワヒリ語とスワヒリ文化の起源と歴史的変化を知る上で、「大旅行記」は貴重な史料となっています。 4.アナトリア、黒海・カスピ海沿岸メッカ→カイロ→ダマスカス→アラーヤー→アルズ・アッルーム→ヤズミール→サヌーブ→カルシュ→マージャル→ブルガール(?)→サライ→コンスタンティノープル→サライ(サライはモンゴル帝国の一部、キプチャク・ハン国の首都、コンスタンティノープルは言わずと知れたビサンティン帝国の首都) キプチャク・ハン国については史料が少なく、これも「大旅行記」は貴重な証言の1つです。5.中央アジアからインドサライ→フワーリズム→サマルカンド→カブール→ラーハリー→ムルターン→デリー この後、インドに8年間とどまり、その周辺のモルディブ諸島やスリランカにも行きます。期間が長いだけあって、その記述は非常に生き生きとしており、情報も豊富です。 それを書いていこうと思うのですが、ブログの制限文字数をもう少しでオーバーしてしまうので、続きはまた次の日記にしたいと思います。それまでこの650年前の旅人の道筋をたどって一緒に世界旅行を楽しんでくださいませ。(収まらなかった・・・。制限文字数にひっかかりそうで困ってる人って、いるのかな・・・。)
2008.09.06
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最近写真しか載せてないですね。。 写真を中心にきれいなブログにまとめようとしてましたが、また前みたいに支離滅裂でもいいかな、と・・・。あっちをつついたりこっちを覗き見したり。性格なもんで。苦笑 以前シルクロード・中央アジアの歴史について書こうとしていた時期があるのですが、色々学んでいくうちにあまりのスケール・ボリュームの多さにまとめきれなくなってそのまま現在まで流れております。現在もまとまっておりません。 (以下は間違い多数と思われるので読み流してください・・・) とりあえず文化らしきものが姿を現す新石器時代前後から始まって農耕・牧畜の開始、乗馬の歴史、車輪の登場、これだけでも人類そのものの歴史であり幅が非常に広い。 やがて訪れる紀元前1000年ごろ(←多分記憶まちがってる)の最初の遊牧民族スキタイから始まって無数の遊牧民族が勃興しては衰亡を繰り返します。しかもこれらは中央アジア内だけで縮こまっていたわけではなく、馬という機動性に優れた乗り物を駆使してアジアの西に東に出没します。この遊牧民族の大移動が中国やヨーロッパの歴史に多大な影響を及ぼしています。またインドにもアーリア人が進出して現在に繋がっています。イスラム教の誕生は中央アジアにも大きな影響を与えて現代に至ります。近代ではイギリスとロシアの勢力争いの最前線でした。ただしモンゴル帝国、そしてティムール帝国以降中央アジア自身が主人公ではなくなってしまいましたが。 一つ一つの国に語るべきところがたくさんあり、とてもカバーしきれません。 スキタイやキンメリオイといった遊牧民族はアッシリアなどの古代王国の勢力争いに密接に関わっていたようです。また西の文物を東に、東の文物を西に運ぶ役割も果たしていたと思います。はるか昔から、人間の活動範囲はすでにユーラシアをまたぐほどだったのですね。(明確に知っていたわけではないでしょうが結果として) 紀元前500年頃に起こった仏教は紀元前後に勃興したクシャン朝の時代に大きく発展します。クシャン朝は大月氏という遊牧民族が打ち立てた王朝で(大月氏が遊牧民族であったかは諸説あるようですが)、中央アジアとインドの間、ヨーロッパと中国の間(今のパキスタンのあたり)、まさに文明の十字路としてこの王朝の中から様々な文化が生まれました。それまで個人の哲学として完結していた観のあった仏教の中から、人々を広く導き救済するという大乗仏教の思想が生まれます。また仏像がこの時代に初めて生まれました。最初の仏像はヘレニズム文化の影響を受けて、とってもヨーロッパ風です♪ アレクサンダー大王の遠征ののちバクトリア、パルティアなどの王国が勃興し、その中でギリシアとアジア・インドの文化が融合してヘレニズム文化が生まれます。いまのアフガニスタン・パキスタン周辺の西アジア地域にはそうした時代の遺跡が多く残っています。今現在、この西アジアの地に加藤九祚(かとうきゅうぞう)という1人の日本人考古学者がいます。1922年生まれでシベリア抑留の経験をもち、すでに87歳になってなお、日本人として単身この地で発掘作業に携わっています。ウズベキスタン政府から勲章、また同国テルメズ市から名誉市民賞を受けています。加藤氏は2001年から一人雑誌「アイハヌム」を毎年発行しており、西アジア地域の様々な研究成果や発掘にたずさわる新旧の考古学者の人となり、人生などが紹介されていてとても興味深いです。以前TVでたまたま見て、こんな人がいることにびっくりしました。こんな孤高の人を見ると人間の強さというものを感じます。 話を戻して、ユーラシア大陸を横断する道はいくつかありました。(地図帳片手にどうぞ)・森林の道・草原の道・オアシスの道(絹の道)・海の道(陶磁の道) ここで道と表現しているのは、現代のように一本の決まった道路ではなく、もっと幅広く帯のように地域をつないでいるものを想像してください。もともと興味をもったきっかけもそうですし、多くの人が知っているのはシルクロード(絹の道)です。それ以外にもシルクロードの北に、モンゴル草原・カザフ草原を通る草原の道がありました。チンギス・ハーンや多くの遊牧民族はこの道を通って東西を駆け抜けたのではないでしょうか。さらにその上にシベリアの森林地帯を抜ける森林の道があったと想定されています。毛皮などの交易が行われていたのでしょう。多くの小部族に分かれ、大きな王国の興らなかったこの地域の人々の生活を知る資料は少なく全容はなかなかつかみにくそうです。そうした名もない人々にこそ返って惹かれますが。オアシスの道、すなわちシルクロードにも複数の道があり、天山北路(草原の道と一部重なる)天山南路(西域北路)西域南路に分かれます。天山北路は天山山脈の北側を通り、草原の道ともかぶります。タクラカマン砂漠をはさんで南北にそれぞれ天山南路と西域南路が通っていました。砂漠の中にあるオアシスに、これもまた無数のオアシス都市国家が生まれ、中国や遊牧民族の影響を受けて興亡を繰り返します。この中央アジアの歴史を見ていると人類の激動の歴史そのものだと感じます。そして陸の道に匹敵する重要な交易ルートが海の道です。中国・東南アジア・インド・イスラム世界・アフリカを結んでいたわけで当時の旅行記に色んな話が出ています。が、勉強中でまだあまり知りません。ので書けません・・。またいつか。興味のある方は調べてみてください。海の道については10世紀に書かれた「中国とインドの諸情報」(第一の書は作者不詳および第二の書はアブー・ザイド・アルハサン他著)という著作が残っています。中世のアジアに関する旅行記として有名なのは13世紀、マルコ・ポーロの「東方見聞録」(「世界の記述」)でしょう。しかしそれよりさらに広範囲におよぶ一大旅行記が14世紀、イブン・バットゥータの「大旅行記」(「諸都市の新奇さと旅の驚異に関する観察者たちへの贈り物」)です。日本になじみのない地域も多く、そのわりに長文であることから完全な訳はつい最近までなく、日本ではあまり知られていません。この旅行記にはアラビア半島、アフリカ大陸、中央アジア、中国、東南アジア、インドなど現在の国にして50カ国以上の地域の自然、風俗について書かれています。こうした本も読んでみたいとは思いますが、長いこともあってさすがに躊躇してます・・。延々いつまでも書いてられますが疲れてきたのでそろそろ止めます。また、そのうち書くこともあるかと思います。それでは読みにくい文章で失礼しました。もし読んでくださった奇特な方はありがとうございます。またがんばります!笑 参考文献:たくさんあって、散逸してるので我が家を調査中・・・。
2008.08.23
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空は青いな~♪
2008.08.04
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ARUHI NO TOKYO -- -- -- HIKARI YURA YURA HARETA ARU NATSU NO ICHINICHI Photographs were taken at KUDANSHITA & MARUNOUCHI, TOKYO. Thank You.
2008.07.22
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最初に入ったのが首都のダブリンだったのですが、なぜかここに書くのが最後になってしまいましたー。 ダブリンは、レンガ造りの建物がぎっしりでした。コンクリートやガラスを多用した近代建築がほとんどない・・・。古い・・・。 もちろん通りには車が溢れています。一部で建築ラッシュが始まっているとも聞きました。 にしても、良くも悪くも泥臭さのようなものを感じました。 (逆に、郊外に出るとおしゃれなペンションみたいな家がたくさんあったりするんですが・・・) イギリスの植民地から独立してまだ100年足らず。近年ユーロ通貨圏に入り、IT分野での成功でこの国は今まさに発展を始めたのだなと実感しました。路面電車(ルアス)が開通したのもまだ5年前。島の東端のダブリンと西端のゴールウェイを結ぶ鉄道網もEUからの融資で整備されたようです。 発展とともに新しいものが次々と生まれ、その影で気がつかないうちに古いものが消えていくのでしょう。アイルランドはちょうどその途上にいるのだなと。 それがどのような方向に進んでいくのか。見守っていきたいと思います。 騒がしい大通りを一歩中に入れば昔からのパブがあちこちにあります。夜になれば店の中ではプロとかそういった肩書きに関係なく、お客が思い思いに楽器を持ち寄りセッションが始まります。そして周りで聞いている人々も席を立って自然と踊り出すのです。 そうした感性を、もち続けて欲しいなと思ってしまうのは感傷なのかな。 また、行くことがあるかもしれません。そのときまで、ごきげんよう。
2008.07.10
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最近こんなん聞いてます。 「Copenhagen Airport-Departure」 世界一美しいといわれているコペンハーゲン空港をイメージしてまとめられたコンピレーションCD、だそうです。すでにシリーズがいくつか出てます。 なかなか好きです。 行ったことないなー。行ってみたいなー。北欧。
2008.06.28
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荒々しく雄大なコネマラの山々を抜けて、車は内陸の湖水地帯を通りました。 先ほどまでの荒涼さが嘘のように深い緑におおわれていました。 なるほど、妖精でも出てきそうな・・・。 途中、コングという町に立ち寄りました。それまで知らなかったのですが、1952年に公開された「静かなる男」という映画の舞台になった町だそうです。(原作は1933年) 映画の記念館もあり、町の写真館に主演女優のモーリン・オハラの写真が飾られていました。 晴れていたせいもあってか、コネマラを通ってきたからか、陽気で明るい雰囲気が溢れていて、気持ちよかった。。 アイルランドの人は、音楽があればみな自然と踊り出します。それくらい根づいてるんですね。 それにしても、緑がまぶしかった。 徐々にアイルランドに馴染んでいく自分がいました。
2008.06.24
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アイルランド西側の沿岸地域にあるコネマラ地方。 不毛の大地。植物が育たず、岩がむき出しになり、表面の粧いを剥がれたむき出しの大地が雄大な景観を生み出している。 車で走っても走っても、木がありません。枯れ草と真黒な沼。 夏になれば緑の草原になるようなのですが、5月のコネマラはまだ肌寒い。行った日は曇りときどき雨でした。白に若干の灰色が混ざってよどんだ空。 海辺にあるユースホステルのようなところに泊まりました。キッチンが開放されていて、ご飯は自分たちで作ります。多少のパンやジャム、卵などは宿のストック分を拝借しても構わないようです。 スペインの高校生たち。みんな若くて弾けてる! エストニアから来た(リトアニアだったかな?)若い夫婦。ラブラブです・・。 フランスから来て、自転車でツーリング中の夫婦と相部屋に。奥さんの愛想がちょっと・・・。もう少し話したかったな・・・。 かつて氷河だった名残のフィヨルド地形。氷にけずられた大地が海水面と非常な標高差を作っていて、まさに雄大な眺めです。(写真失敗しました。すいません。) 次の日は午後から一気に晴れ。空ってこんなに青かったのか・・・。 こんなに大きな景色の中に、家がわずかに一軒。 山の向こうはどこまで続いているのだろう。
2008.06.21
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梅雨。 涼しくていい。けど空が暗いのはいやだな。 いまさら1ヶ月も前の話をするのも気が引けますが、アイルランドに行っておりましたので、その写真をちょこちょこ貼っていこうと思います。 5月のアイルランドは、寒かったです・・。 アイルランドの西の端にあるアラン諸島。 複数の島からなり、各々はイニシュモアなどの名前がついています。(「イニシュ」はアイルランド語(ゲール語)で「島」の意か?)今回イニシュモアに1泊しました。 かつてこの島には土がなかったそうです。 島は端から端まで石垣で覆われています。そして海から海草を採ってきては乾して土に戻し、石垣で囲って飛ばされないようにして、少しずつ土を蓄えていったのだと聞きました。その僅かな土の上にも春はしっかりと来ていて、タンポポがたくさん咲いていました。 農業がほとんどできないこの島では必然的に漁業が生活の中心になります。しかし大西洋のこの孤島の海は荒く、遭難が相次ぎました。 たまたま浜に上がった水死体が一体誰なのかすぐにわかるように、海に出かける男達の着るセーターには一人一人独特な模様が編まれるようになりました。 それが今日世界的に有名なアランセーターの由来だと聞いています。 1934年に作られたドキュメンタリー映画「アランの男」(「Man of Aran」)には、島で生活する人々の生々しい姿が記録されています。この映画によってアラン島は世界に知られることになるのです。 また、現在アイルランド人はほとんどが英語を使用していますが、アラン島を含めてアイルランド西部には昔からの母語であるアイルランド語を話す人々が今も暮らす地域が点在しており、ゲールタハトと呼ばれています。島の標識はアイルランド語のみのものも多く、観光客にはなかなかしんどかったです・・。 島は自転車でぐるぐる回りました。アイルランドは全体的に極端なアップダウンが少なく、サイクリングに非常に適した土地と言えます。アラン島では突然やってきたにわか雨に泣かされましたが。いや、泣く必要なんてまったくないくらいずぶ濡れになりましたが・・・。 石の廃墟というのは、なんとも独特な雰囲気です。むしろ島の景観が極めて独特です。見渡す限り石なのですから。 アイルランドのハイクロス。そして、岩のくぼみにマリア様がいました。 晴れれば、青い青い空が広がります。ほんとに広かった。 そして、1筋の飛行機雲・・。 飛行機雲を見ながら、島をあとにしました。
2008.06.04
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愛蘭土に行ってきました。 写真は現像中です。(多すぎて・・・) 不思議な国でした。 また、いつか・・・。
2008.05.21
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妖精の国に行ってきました。 会えた、かな?
2008.05.11
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近くて遠い。 それはすぐそばにあるどこか。 ちょっとそこまで、出掛けてきます。
2008.04.28
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ただ、花を撮ろうと思った・・。 漂うような。 ささやくような。 走り去ってゆく、女の子。 そして、あとに残るもの。
2008.04.24
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前回、ブッダがどうとか仏教がどうとか言ってましたが、突き詰めると「無執着」とか「無我」に収束していきます。 こないだ本屋で塩野七生さんの「ルネッサンスとは何であったのか」という本が置かれていて、その裏表紙のレビューには「見たい、知りたい、わかりたいという欲望の爆発、それがルネサンスだった」って書かれていて、ブッダの教えるところと全くの正反対だなーと。 土台となった文化・時代がまったく違うわけですが・・。 私は明らかにルネッサンスの精神の方が気持ちと合うんですが。 ポジティブとネガティブ。 まったくまとまってないですが、そんなことを感じました。。 ちなみに、塩野七生さんについては、こちらもどうぞ。http://plaza.rakuten.co.jp/kirameita/diary/200612280000/
2008.04.21
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今日は夜になってからすごい大雨です。 あまり春っぽくないですが、 ちょっとつっこんでブッダの思想、または仏教について知りたいなあと思うこの頃です。 改めて繰り返しますが、「スピリチュアル」な興味ではありませんのであしからず。 昔から疑問なんですが、仏教ってお経が山のようにあって、わけのわからない漢字が無限に続いていて、何のためにあるのかわからない。って言ったらものすごい失礼なのはわかってるんですが。 でも本来仰々しく難しく装うことにはなんの意味もないはずです。大事なのはその中身でしょう。 もっと言うと2500年前にブッダが説いた教えは後世の多くの人々によって変容していき、そうしてあるのが現在の仏教なわけで、本来の姿では全くなくなっている。空海の持ってきた密教になるともはや原始仏教とは正反対ですね。。それはそれで興味ありますが。 長い年月と多くの人々の知恵によって磨き上げられた壮大な哲学体系という意味では世界宗教としての仏教には非常に価値があるとは思うのですが、僕はもっと根本的にブッダがなにを考え、なにを説いたのか、それが知りたい。 生身の1人の青年が何を思って何に気づき、その後どんな人生を歩んだのか、それを知りたい。 僕の場合多分に哲学趣味があるので、ブッダが最も嫌ったタイプの人間かもしれないですが・・・ブッダが説いたのは実践、行動です。世の中はこうなっていて、極楽はこうなっていてうんぬんなんて形而上的なことは一言も言っていない。どれが正しくてどれが間違っているといった議論をしない。そもそもそうした分別というものは存在しないと説いている。 あくまで人がどのようにして苦しみから逃れることができるか、解脱に至るために必要な道をひたすら説いている。個人の解脱。一人一人が正しい行いを実践し、悟りの境地に至る。 人はなぜ苦しむか。それは執着するからである。自分であらざるものを自分のものと思い込んで執着する。しかし世の中は無常である。すべてのものは生まれそして消滅する。自分の思い通りにはならない。だから苦しい。 「楽であろうと、苦であろうと、非苦非楽であろうとも、内的にも外的にも、感受されたものはすべて、「これは苦しみである」と知る。」――スッタニパータ 739「人々がいろいろと考えてみても、結果は意図とは異なったものとなる。壊れて消え去るのは、このとおりである。世の成りゆくさまを見よ。」――同 588「人々は「わがものである」と執着した物のために苦しむ。所有したものは常住ではないからである。この世のものはただ変滅すべきものである。」――同 805 人はなぜ執着するのか。それは抑えがたい生存への欲求である。それは心の奥深くに黒々と渦巻いている。 「わたくしは、人間を引きずるものを貪欲、ものすごい激流とよび、吸い込む欲求とよび、はからい、補足とよび、超えがたい欲望の汚泥であるともいう。」――同 945「この世の人々が、もろもろの生存に対する妄執にとらわれ、ふるえているのをわたしは見る。下劣な人々は種々の生存に対する妄執を離れないで、死に直面して泣く。」――同 776 ブッダは物静かで温厚な人柄であるという様々なエピソードがあるが、同時にブッダは非常に厳しい人間観をもっている。 ブッダの思想は究極のマイナス思考からでているように思う。だからこそ深みを感じる。 と、これまで読み聞きしたものの一部をつらつらと並べてみる。折りにふれて自分なりに考えてみよう。 ブッダの言葉が比較的そのままの形で書かれている原始仏教経典は、パーリ語で書かれたものが伝わっている。これら経典の起源は起源前5-3世紀頃まで遡ると見られる。ただし、同じ経典内にも新しい部分とふるい部分が存在するし、現存する写本は紀元後1世紀頃なのでこうした点には留意するべき。経典は「経蔵」とよび、5つの部(ニカーヤ)に分かれる。1. ディーガ・ニカーヤ(長部経典)~長阿含経2. マッジマ・ニカーヤ(中部経典)~中阿含経3. サンユッタ・ニカーヤ(相応部経典)~雑阿含経4. アングッタラ・ニカーヤ(増支部経典)~増壱阿含経5. クッダカ・ニカーヤ(小部経典) ・ダンマパダ(法句)~法句経 ・ウダーナ・ヴァルガ(感興偈) ・スッタニパータ(経集)~義足経 ・テーラガーター(長老偈) ・テーリーガーター(長老尼偈) ・ジャータカ(本生物語) などこの中でもスッタニパータは最初期に編集された仏典の一つ。一部を除いて漢訳もされなかった。 仏教学者の中村元さんがこうした原始経典についていくつもの訳本、解説本を出してくれている。ありがたいです。参考にどうぞ。「ブッダの人と思想」 中村元・田辺祥二 NHKブックス「ブッダのことば」中村元訳 岩波文庫 (スッタニパータ)「ブッダの真理の言葉・感興の言葉」中村元 岩波文庫 (ダンマパダ・ウダーナ・ヴァルガ) 「究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは、次の通りである。能力あり、直ぐ、正しく、ことばやさしく、柔和で、思い上がることのない者であらねばならぬ。足ることを知り、わずかの食物で暮らし、雑務少なく、生活もまた簡素であり、もろもろの感官が閉まり、聡明で、高ぶることなく、もろもろの家で貪ることがない。他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。一切の生けとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。」――スッタニパータ 143-145「いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、ことごとく、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生けとし生けるものは、幸いであれ。」――同 146, 147(慈しみの経)
2008.04.17
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春になって、あちこちで色んな色の花が咲いていて、景色の色彩の変化にびっくりします。 いつの間に・・・!って。 冬眠の季節はついに去っていったんですね。(まだ寝てたのか・・笑) 改めて、おはようございます!
2008.04.14
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さんかくとしかくとまるの春。
2008.04.11
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白い雲。 先週末は、最高の花見日和でしたね。
2008.04.07
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素直でいたいだけなのに。 週末はお花見日和ですね、
2008.04.04
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ないわけではないのですが、 いや、、、 あんまりないか。。。 なにはともあれ、桜の季節です。 ピントずれてるけど、これ梅じゃないかって話もあるけど、 きれいだからいいや♪
2008.04.01
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久しぶりに凄まじいエネルギーをもった絵と出会いました。 「ビッグ・ヤム」(部分) 1996 ああ、この狭くて平べったい紙面ではうまく伝わらないですね。。 エミリー・カーメ・ウングワレー(1910頃~1996)アボリジニ出身の女性画家。 衝撃でした。 ぜひ、ご覧になることをお薦めします。http://www.emily2008.jp/ (大阪の次は東京で開かれます) 雨の後 1990 アルハルクラの故郷 1990 すべてのもの、そう、すべてのもの、私のドリーミング、ペンシル・ヤム、トゲトカゲ、草の種、ドリームタイムの子犬、エミュー、エミューが好んで食べる草、緑豆、ヤムイモの種、これが私の描くもの、すべてのもの。(エミリー・カーメ・ウングワレー)
2008.03.21
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トップ自由欄を作ってみた。でもってページのデザインを色々変えてみた。春だし♪ しかし、やっている内にいいのかわるいのかよく分からなくなってきた。うーん・・。 文字の配置とか色の配色とか、見てるだけならわかったような気になるのに、自分で作ろうとするとまるで分からない。だれか教えて・・・。 お気に入りにも登録させていただいているTuaregさんのページにはいつも憧れます。が、レベル高すぎます。。 とりあえずシンプルで柔らかい感じにしてみました。 今日は天気がわるいけど、いつの間にかホントに春になりましたね。桜が楽しみです。
2008.03.20
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