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スポーツにおける”まとまり”と自立心



「しかし、無念の思いも隠さなかった。「(一部の選手には)裏切られた思いがある。監督室に呼んで『真剣にプレーしろ』と説教しても馬耳東風。説教が私への反抗心を生むきっかけになった。結局星野監督のように、いつ鉄拳が飛んでくるかわからない緊張感がないとダメなんでしょう」「私の阪神での敗因は選手を大人扱いしたこと」」

 どの球団のファンでもないのだが、この記事を読んで驚いた。敗因は選手を大人扱いをしたこと…ということは、大人扱いしなければ勝てるということになるが、選手に自分の考えを持たせないうことか、それとも、かつ(and/or)恐れで駆り立てるということなのか?

 しかし他方、野村氏が選手を大人扱いしたとは思えない。説教は必要ではない。

 中田英寿とトルシエの関係について触れた記事を(おそらく朝日新聞)読んだことがある。試合の遠征で飛行機を利用する際、他の選手も監督もエコノミークラスを利用するのに中田は身体を休めるためにビジネスクラスを利用する。差額分を中田は自費で出すのだが、こういう行為をトルシエは快く思わないのだ、と。

 旧聞に属するが千葉すずがシドニーオリンピックの代表に選ばれなかった。古畑広之進日本水泳連盟会長は、シドニー五輪オリンピック代表チーム(以下、シドニー組)を四年前のアトランタオリンピック代表チーム(以下、アトランタ組み)と比較している。

 アトランタ組は「記録を出したことに満足、代表に選ばれたことで気持ちが上ずっていた点があったように思う。言動に落ち着きがなく、レベルをさらにアップして戦う気迫に乏しかった」

 これに対して、
「シドニー組は第一に顔つきが違っている。まず目が輝いている」

 千葉すずは、このアトランタ組の中心的存在だったのである。古畑はいう。

「水泳は個人の競技である。しかしチームで行動するケースが多い点ではチーム競技的色彩が強い。まとまりが重視されるゆえんである」

 まとまりを重視しない千葉はだめというわけである。千葉の目は輝いてなかったのだろう。

 韓国チームを世界第四位にしたヒディング監督は今韓国では人気の絶頂で、韓国に帰化し将来は大統領選にという声まであがっているという。

 しかし、2000年12月に就任してしばらくは韓国は負け続けで評判は悪かった。今回のワールドカップで、人気のあった委東国をメンバーから外した時、韓国メディアからの「なぜだ」との問いが出た。ヒディングはそれに対して「スターはグラウンドで生まれる」と答えた。

 スペイン戦での最後のPK戦には、イタリア戦で不調だった安貞垣を起用した。自分の判断に自信があり、かつ、選手への全幅の信頼があるのだろう。

 朝日新聞(6月23日付)によると、

「(ヒディング監督は)韓国に色濃く残る先輩後輩関係を排除した。年下の選手が年上のいいなりになるのを見て、グラウンド内での敬語を禁止した。監督の上意下達ではなく、常に自ら考えるサッカーを説いた」

 他方、トルシエ監督の采配については批判的な記事が目立つ。6月29日の朝日新聞のシンチョンリポート(沢木耕太郎)には、トルシエは日本選手に足りないものは自立心と経験だといっていたが、海外でプレーし自立心を高めたと思われる中田英寿に対する敵意は本当にはトルシエが選手の自立を望んでいなかったことを物語る、という。トルシエは、高校野球の監督が試合後のインタビューで「子どもたち」と呼ぶように、選手たちを「子どもたち」と呼ぶ。「私の」という所有格の代名詞まで使う。沢木はいう。「トルシエは彼の「子どもたち」である選手が自立しつつあることを最後まで認めようとしなかった」

 選手たちが持てる力を十分に発揮するためには「選手たちの力を冷静に見極めながら、どこかで彼らを深く信じる心を持っていなくてはならない」。はたしてヒディング監督ががそのような信頼の能力を持っていたかは僕にはにわかには判断できないが。

 岸見一郎『アドラー心理学入門』pp.58-9を参照。


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