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4/29・30、せんだいアートフェスティバルに急遽出展することになりました。ワタシの作品が展示されるのは、一番町アーケード(三越、141などの通り)になります。たたみ一畳分(90×180)の板×4枚で、技法は違いますが、仏教でいう四苦(生・老・病・死)を4枚それぞれに割り当て、木版画調に仕上げました。展示は両日とも9:00~17:00になります。近くに来られた方は是非立ち寄ってみてください。。。
2006.04.27
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4/9(日)ヒルサイドアウトレットで、以前より交流のあるNUMBER2PLANNINGさん企画のもと、アートフェスタが行われます。様々な分野のアーティストたちが作品の展示、販売を行います。コンセプトは従来のアートマーケットとは異なる、いい意味で日本らしくない空間、雰囲気づくり、そしてそれらにアーティストたちが自然に調和するといった、斬新且つ冒険的なものです。今回は第一回目なので、どういう“場”になるかはわかりませんが、月定例で行っていくこのイベント、N2Pさんと共に今後に繋げられるものを得られたらな、と思っております。ワタシがリスペクトするアーティストも数名参加します。ちなみにワタシ自身、今回は200×70の絵一点のみに絞って参加いたします。『メッセージ伝達の媒体』に興味ある人、ない人、その場に居合わせた少しでも多くの人の、感を動ずることができればいいなと思っております。。。
2006.04.05
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アートという言葉の解釈はヒトそれぞれ違うもので、ある意味範囲がなく曖昧なものなので、容易に使いたくないなと、常日ごろ思っているのですが、敢えて個人的解釈を語らせていただきます。ワタシの中でアートとは、己の内にあるモノを、他の人々に訴えかけるためのメッセージの媒体そのものであります。ですから、その媒体自体(絵、音楽、映像、写真、料理、オブジェ、スポーツetc)は何でもよく、大事なのはソレにメッセージ性があるかどうか、作者の情熱がしみこんでいるかどうか、というところにあります。ただおもしろいモノを、みんながやってない奇抜なことを、という気持ちだけで創られたモノは、体裁だけ整った中身のない空っぽの作品で、ワタシ自身ソレラをアートとは呼びません。ソレラと混同されるのを避けるためにも、アートという言葉は使わないようにしています。世間でアートと呼ばれるモノにおいて、大切なのは技術、経験よりも、作者の気持ちが作品にしみこんでいるかどうか、ということだと思っております。以上は主観でありますがゆえ、各々の解釈を大切にしてください。。。
2006.03.27
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ワタシは常に物質世界に棲まないように(目に見えるカタチあるものや間違った愛、感情に執着しないように)心掛けて生活していますが、フとしたした事がキッカケで引き戻される事があります。それは圧倒的な恐怖で、ココロが押し潰されそうになります。お金やモノ、恋人、友達、家族を失う恐怖、自らの肉体に災いする怪我、病気、死に対する恐怖、そして過去に自分が生きていた物質世界を否定される恐怖が一気に甦ってきます。普段コレラに恐怖しないよう心掛けているのですが、物質世界に引き戻された瞬間、コレラは一気に襲いかかってきます。誤った状態にあることは分かりつつも、なかなか抜け出せなくなります。こんな時、自分の未熟さをマザマザと感じさせられ、自分自身に呆れてしまいます。ココロのどこかにまだまだ物質に対する執着心がコビリツイテいる証拠ですね。目に見える世界(特に物質世界にドップリと浸かって生きているヒトたち)を、自分なりに割り切って見るというのはとても難しいことです。しかし困難なこと、苦しいことの中にこそ、ココロを向上させる可能性を秘めているとワタシは思います。常に修行はありとあらゆるカタチとなって、それぞれの目の前に現れるものだと思っております。それをマイナス要因と考えるのではなく、プラスに転じる契機だと考えれば全然生活がかわってくるのではないでしょうか?これは個人の修行です。スベテを自分なりに探求、解釈し、怠ることなく生涯精進しましょう。。。
2006.03.23
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物質世界において、誰もが共通して成さなければならないこと、それは生業だと思います。お金や物に執着するのはいいことではありませんが、生活をしていくためには最低限のお金、物が必要です。そこでそれらを得る代償として生業が存在しています。そう考えるとこの物質世界もよくできたシステムのもと成り立っている、と関心してしまいますが、その生業こそ身近に存在する一種の“学び”の場なんだと実感します。そこには自分という個とは、異質の人間、環境、そしてそれらとの関わりの中から生まれる感動、悩み、憎しみ、などが存在し、むしろお給料よりも大きなものが得られる可能性を秘めた最高の修行場だと思います。そこではいろいろな人間ドラマが繰り広げられますが、一番人々を悩ませるのが、その人間関係から生まれる嫉妬、憎しみの念、それゆえ生じるストレスでしょう。それらとの戦い、または対処の仕方が生業上もっとも重要視される試練だと、ワタシは個人的に思います。しかしその枠から一歩外れて見ると、それらはなんとも小さな事であるかに気づかされます。それ故、本来は悩んだり、ストレスをためる必要はなく、むしろ自らの個としてのプライドが、それらを作り出しているだけの話なのです。ですからその余計な個としてのプライドさえ捨て去れれば、なにも悩むことはなく、温厚に生活をすることができる筈だと思います。言葉にするのは簡単ですが、実行するのはとても難しいと思います。ですから、これを少しずつ実践していければいいのではないでしょうか。時と場合によるので一概にはいえませんが、上司に対する反抗や、気のあわない人間とのイザコザはどす黒い蟠りしか生み出しません。ですからそういうときは、逆に引いてみるといいと思います。このヒトはとても未熟な人格の持ち主なんだな、と逆に哀れんであげるぐらいの気持ちで対処すると意外に円滑に物事が済むような気がします。しかしそれはその人を下に見るということではなく、救ってあげたいと思う気持ちをもってのことです。そういう風になれればみな円滑に物事が進むように思われます。日々の地道な精進があれば、遅かれ早かれいつかその幸せに辿りつけるとワタシは思います。。。
2006.03.14
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魂が肉の服を着て、物質世界にタタズム姿には広義な感動が在ります。ソレを絵という媒体で表現しました。。。http://plaza.rakuten.co.jp/hosutakekoshi/
2006.03.03
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本日搬入が終わり、一息つけましたが、果たして世間でいうこのバレンタイン期間に、ホトケ的な個展をやっていいものだろうか?という思いを、会場でもあるカフェさんに抱いてしまいます。しぶくてゴメンナサイ。個人的には今回の10作品はダイブ気に入っているのですが、果たして敬虔な仏教信者たちがこれらを見たらどう思うか、それは分かりません。しかし、ワタシなりに仏教における史実的エピソード、説などを忠実にエッセンスとして作品の中に取り入れたので、分かるヒトには分かると思われます。ただし、作風はワタシ特有の抽象タッチですので、人間ばなれした容姿をしてるところはアシカラズ。特に目連尊者なぞは、はっきりいって妖怪です。
2006.02.11
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竹腰鳳雛展其の参『釈迦十大弟子』入場:無料日時:2/12(日)~2/26(日)営業時間:12:00~20:00定休日:祝日(期間中は無休)場所:楓屋カフェ&ギャラリー(仙台市泉区長命ヶ丘2-21-1ロイヤルメゾン101)tel:022-777-5201http://plaza.rakuten.co.jp/hosutakekoshi/
2006.02.06
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愛といっても様々なケースがあるので把握しきれませんが、愛の最もベストな解釈は、この世の森羅万象スベテの物質、生物、そして宇宙が一つの塊であり、個々のそれぞれが、その塊を構成する原子の密集によって成り立っているという一元的思考を常に意識しつつ、スベテの人、事物に慈愛の心を持って接することだと思います。つまりは自分は他人であり宇宙でもあるということ、ヒトツナガリな訳です。そういう認識の下、生活をすると世の中の見方が変わり、自然と物欲も去っていきます。しかしそれで終わりではなく、大切なのはその心を維持しつつ、生業を怠らず、道を外れずに精進しつづけることだとワタシは思います。そして誰しもが一度は憧れる富や名声といった人生の華やかさは、実は何の意味もなさず、これほどはかなくもせつないものはありません。現に富や名声を得た著名な人間達スベテが素晴らしい人格を持っているとは到底思えません。(極端な話)むしろホームレスの中にこそ、素晴らしい人格をもった人間がいるかもしれません。贅沢をして人格が高上するなら話は別ですが、そんなことは決してありません。むしろマイナスの要素の方が強いと思われます。なので、常に一元的な目で世を見つめ、お金ではなく功徳を積むべきだと日々思うわけですよ。。。
2006.01.31
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現世の生活において最も大切なこと、それはお金や社会的立場ではなく、“人格”にほかならないと思います。それを解りやすく合理的に解釈すると、現世で築いたお金、権力は死後の世界には持ちこしできませんが、決められた時間内(人生)において培われた経験、人格は死後の世界に大きく反映されると考えるからです。死後の世界を信じないというヒトがたまにいますが、もしそうだとするならアナタは何のために生きているのですか?と問いただしたくなります。ツジツマが合わないからです。そんな世界(死後の世界が無)だとすれば、倫理、道徳的なこと一切、不要になり正義、悪の言葉の存在意義すら消え失せます。そしてお金や社会的立場のことしか考えない人間たちで溢れかえり、物欲物理主義の世界と化しているでしょう。でも実際の世界は違います。万民とは言いませんが、少なくとも皆、倫理、道徳的なココロを持ち、愛し、愛されあい生きています。それらのココロが無意味に存在してるとは思えません。何かしらの意味があると考える方が普通でしょう。モシ死後の世界が存在せず、物欲物理主義の世界ならば、ワタシはとっくに人生を放棄しています。そんな世界に魅力は感じられません。しかしいまだ人生を放棄せず生きているのは、この世界に“愛”の存在を認識しているからです。それはスベテの人間に与えられた“可能性”だと思います。愛を軸に、人格は高上し、そして時には下降する、現世修行のバロメータのように感じます。そうです、現世は修行です。そして“愛”は無意味に存在しません。これがいつの日か科学で実証される日を心待ちにしております。そして皆さん、お金ではなく、人格を貯蓄することを心掛けましょう!
2006.01.30
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