父の詫び状



僕の母は文才があるので、僕は「父をネタにした本を出せば売れるから書きなよ」と薦めている。

向田邦子の「父の詫び状」のような作品が容易に出来上がることが予想される。

父親(義彦)の歪んだ性格を育んだ彼の複雑な生い立ちについて触れよう。

まあ、こんな小さなホームページで彼のプライバシーを多少侵害したところで大したことにはならないと思われるからだ。


義彦の母(僕の父方のおばあちゃん<明子>)の身勝手な振る舞いから話は始まる。


明子の初婚の相手は官庁に勤務する人であり、人格的にもすばらしい人だった。しかし、結婚後、夫は結核を患い他界した。彼との間に子供はいなかった。


明子は再婚した。
相手は満州に住む日本人だった。

明子は満州での生活がいやになり、3ヶ月目にして日本に帰ってきてしまった。

夫にすら何も告げずに‥である。

事実上離婚である。


ところで、明子は結婚しても籍は入れていなかった。当時、結婚しても籍を入れないことは決して稀なことではなく、明子の場合も「結婚してから数ヶ月以内に入れればいい」くらいに考えていたと思われる。

しかし、籍を入れる前に明子は満州から早々に引き上げてしまった。だから、実家に帰っても法律上は離婚にはならない。

本土に帰って来たのちに明子の腹の中に子供がいることがわかった。

明子はその子供を産んだ。
生まれてきた子供が僕の父親(義彦)である。


こういう理由のため、義彦には生まれてきたときから父親というものがいなかった。

母(明子)に聞いたことはない。父親の話をしにくい雰囲気を見せていたのだろう。そのうち、父親のことを聞くのはタブーとなり、義彦は心の奥底にしまった。


大人になるまで義彦は自分の出生の成り行きを母から秘密にされていた。


子供時代、義彦は"自分に父親がいない"ということに非常にコンプレックスを持っていた。

「離婚」や「病死、戦死」という列記とした理由があればよいが、そのいずれでもない。

母親が若い頃、遊女として見知らぬ男性と作った子供ではないかとも考えられる。

自分がどこぞの馬の骨の子供かわからないという不安は当事者にしかわからないだろう。


義彦は学校で「お父さん」に触れられることを恐れ、心に硬い壁を作っていった。


クラスの誰にでもいるのに自分だけはいない。でも、いない履修もわからない。

明子の父は県で屈指の有能弁護士であった。だから義彦の家は裕福だった。自宅が600坪あったというだけでどれほど恵まれていたかがわかる。また、義彦は母と叔母と従妹という女性の園の中で極度に可愛がられて育った。


複雑な家庭環境と甘やかされた教育のため、義彦は小中学校でいじめられた。友達は猫だけだったらしい。


田舎のガキ大将が、上流階級を気取った義彦に異質なものを感じ、仲間はずれにしたのは当然のことのように思う。

また、なまじ頭がよかったのも目を付けられる原因だったのだろう。


義彦には勉学の才能あった。鬱屈としたエネルギーを勉学に向け、のちに東大に入学することになる。


東大に入ったから人生安泰というわけでもない。義彦の歪んだ性格は、社会人になってからもなんども障害になる。


まあ、かく言う理由のために、僕の父は「自分は金持ち」「自分は東大卒」という殻に身を包んで、自分を危害を加えたりはしないかビクビクしながら生きてきたわけです。はい↓。


僕の母(裕子)は、結婚当初、義彦のあまりに強い自己防衛にビックリしたらしい。また、義彦との生活は裕子にとって信じられないことに連続だった。その都度、義彦と議論をすることになるわけだが、その努力は並大抵のものではない。30代後半は、毎夜のごとく喧嘩をしていた。普通の妻ならとっくに離婚だろう。裕子の根気の強い話し合いの甲斐もあり、義彦は次第に心の壁を低くしていった。


義彦は45歳のとき病気を患った。入院中、突然「父親を探したい」と訴えた。いても立ってもいられなくなる。


義彦と裕子は親戚のつてを使い、探し回った。
この探すのも簡単ではない。なにせ40年以上も昔のことだからだ。


まあ、結果的にいえば義彦の父方の親族が一人見つかった。
義彦の叔母にあたる人だ。義彦の父は少し前に他界していた。


その叔母は、明子の結婚式に参加していた。彼女が証言してくれることによって、結婚の事実が認められたことになる。


こういうわけで、義彦は自分の出生の秘密、親族の血縁までが明らかにされて、45歳にして初めて自己を確認することができたのである。

それ以来、義彦の気持ちは落ち着いたのか、「父親」のことで騒ぐことはなくなった。今までにない無防備な笑顔も見せるようにもなった。


幼稚園児のときに心の中に築いた硬い殻が割れ、中から見も心も解放された義彦が出てきたのであろう。


母(裕子)はそのときのことを指して言う。
「硬い閉ざされた殻の中に、どれほどの守るべきものが入っているのかと思ったら、中から貧弱な裸の小男が一人出てきた(笑)」


父(義彦)は心の成長を幼稚園児で止めていたのだと思う。


殻から出てきた父はやることなすことが幼稚園児並だ。そのくせ地位だけ一家の大黒柱に位置するので他の家族は彼に手を焼いている。


金は自分勝手に使う。話し合いは出来ない。威張りたい。わがままを聞いてもらい。遊ぶのが好き。

変人まではいかないけど、変人に近い。"変人め"くらいのさじ加減が丁度よろしい。


言葉のニュアンスというものが全く通じない。相手の気持ちを読むことができないという点で僕の母は「外国人と結婚したようなもの」とよく言っている。


僕は母にこんな冗談を言ったりする。
「45歳で幼稚園児だから、そろそろ中学生になった頃だね。これから第二次反抗期が来たらどうする?」
母「また子育てをするのはもう御免よ。」


わがままいっぱいの父親だが、10年前よりははるかに幸せそうである。


幸せなのは喜ぶべきことだけど、回りに迷惑をかけてはダメだぜ。お父さん。


父親を囲む家族はこの問題児(アダルトチルドレン)に対抗すべく結束し、厳し包囲網を敷き、日々、父の更生(心のリハビリテーション)に努めている。

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