曽野綾子「中年以後」より。




「物質的に満たされた人生に限って、何か思いがけない不幸について回られているような気がすることが多い。」

全く金が無い人よりはいいかもしれないけど、英国王室のように、富を持っているからこそ不幸になっている、ということがある、と曽野綾子は言っているのだ。

さらに彼女は次のように続ける。


「基本的、原始的不幸(つまり今日の衣食住を確保されていない不幸)を体験したことのないすべての人は、我々も含めて、基本的、原始的幸福を発見する技術をもまた見失っているのである。それは「正しいことの反対もまた正しい」とか「正しくないことの反対もまた正しくない」という理論とよく似ていた。つまり、今晩の食べるものがあるというだけで、どれほど幸福か。今夜、乾いた寝床で寝られるというだけで、どれだけの大きな幸せか、を考えたことのない人は、やはりそれなりに幸福を知らないのである。」

布団で寝れるだけで、毎日食べる食事に事欠かないだけ、それだけで、超トップレベルの幸福を掴んでいる、というわけですな。

しかし、自分が恵れている、ということに気が付いていない人は、それはそれで不幸である、ということを言っているんですね。




似たような経験は僕もしたことがある。

病気をして、初めて健康でだったときの自分が、恵まれていたことに気づく。

普段「当たり前」と思っていることが、「当たり前」では無くなったときに、その価値が分かるということだ。



今、何不自由なく暮らせている自分の感謝し、生きていくべきだ、と思わされた。

彼女がいなくって、遊ぶ金が少ないからといって。。。




© Rakuten Group, Inc.

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: