塾講師を辞める理由


アルバイトとは某大手進学塾の講師のことである。

思えば大変なことの連続だった。

辞める主な原因を一言で言うと、僕と生徒との軋轢である。

問題となる生徒と初めて会ったのは今年の5月。

学年は小6。一クラス8人のうち女子7人男子1人だった。
女の子から人気のある先生になれたらいいな、なんて幻想を抱いていたのは考えが甘かった。

男の子の反抗期は概ね中2から高2年。だが、女の子の反抗期は小6だったのである。

そのクラスは、塾のなかで成績と素行が一番悪い生徒で構成されていた。僕は、理屈の通じない連中たちの相手をするはめにあった。

初めて授業をする日のことである。少し前に仲のよくなった別のクラスの生徒Y太からボソっとこう言われた。「先生苛められるよ」。

そんなこともあり、覚悟はして望んだが、問題児たちの素行の悪さは想像を絶するものがあった。

まず、驚かされたことは、出席をとるために名前を呼んでも返事をしない、ということだ。

だから名簿はあっても、生徒の名前と顔が一致しない。教えてもくれない。それでも、8人中5人は何とかわかった。しかし、残り3人は、どうしてもわからなかったので、想像で呼んでいた。

ハーフっぽい名前があり、ハーフっぽい顔の女の子がいたので、その名前で呼んでみた。だが、リアクションに乏しい。

結果的に違った。3人の名前を別々の名前で呼んでいたのだ。そのことも生徒との関係を悪く一因となった。

2週目まで名前を間違えていることに気が付かなかった。3週目にして初めて生徒の申告を受け、訂正したのだった。

授業はひどいものであった。一挙手一投足に対して、不平、不満が矢のように飛んできた。新米の講師と言うこともあり、僕はニコニコと受け入れていた。

僕の中に、「生徒と信頼関係を築く前に叱り付けたら、嫌われるだけであり、損だ」という思いがあった。3週目までは、彼女たちの言うことを野放しにしていた。

3週目の授業の前に先ほどのY太から「小林先生、評判悪いよ」と聞かされる。大きなプレッシャーを受けながらの授業は辛かった。

4週目が一番大変だった。朝起きると、声が潰れていた。声を出そうとしても、低音のしゃがれ声だった。スーツに糸一本ついていても、おもちゃ箱をひっくり返したような騒ぎと笑嘲が起こる。ましてや、こんな声で講義をしたら生徒たちに何を言われるかわからない。

困り果ては挙句、正午に塾に出向き社員の人と相談をした。

当日のことなので、他の先生に頼んで今日の授業を変わってもらう、ということは極めて難しい。社員から「風邪なのか」と聞かれるが、わからない。医者にいくことを進められてたので、医者に行くことにした。

近所にある個人病院に行ってみた。しかし、運がわるく、病院は正午から3時までが昼休みであった。塾が始まるのは5時なので時間がない。仕方がないので、薬局いき、喉をよくするための薬を購入。薬剤師と相談し、ソプラノ歌手が常用するという、極めて即効性のよい薬を購入した。塾が始まる前に錠剤を舐めつづけたが、声は対して改善されなかった。

結局、いつもどおり僕が授業をすることになったが、そのときの絶望的な気持ちときたらなかった。

熱はなかったが明らかに風邪ぎみの様相。もしも、生徒にうつしてしまったら一大事である。うつさなくても、僕が風邪気味だということが生徒やその親にばれたら問題になる。したがって、3時間もある授業の間、一度も咳またはくしゃみをしない、と自分に厳命する。体調が優れない上に、そういったプレッシャーを受けながら授業をした。

開口一番、当然のごとく生徒からバカにされる。「もう、その声聞きたくない」とまで言われた。声を出さずに授業をすることは不可能である。おおきな声もでないので、生徒を抑えることもできない。バカにされながらも、僕はその苦しい一日をなんとか終えた。

喉を痛めた人が頑張っていたら、心配したり励ましたりするのが普通であろう。しかし、生徒たちは、思いやりの片鱗も見せず、あざけ笑う。

また、4週目には生徒の母から苦情を貰う。
「うちの子(M美)は勉強がしたいのに、周りの生徒に流されて勉強ができない。授業中に手紙が回ってきたりする。いったい授業はどうなっているのか?」という内容である。

その子(M美)は僕に対して最後まで反感を持っていた2人のうちの1人である。1週目は8人の生徒全員が敵だった。授業中、不満は言いたい放題。しかし、僕の頑張りにより、「この先生は信頼できるかも。」という生徒がポツポツ現れていた。勉強をまじめにしたい、と思う生徒も現れ始めた。M美と仲のよかった友達(A里)も僕への反発と警戒心を弱めつつあった。クラス全員が反小林派だったとき、M美は授業中に不平不満を言えたが、小林派が少しずつ現れるにつれ、先生に対するM美の発言力は弱まっていった。僕に直接言えなくなっていたので、親に言うようになったのだろう。

しかも、その苦情の内容というのが「娘(M美)は勉強したいのに先生の指導力のなさのため勉強ができない」という内容だから唖然とする。勉強したいなら、自分から友達に「私は勉強したいから授業中にちょっかいを掛けるのはやめてね。」と言わないまでも、態度で示せばよいことである。小学生には友達を拒否する力がないのはよくわかる。しかし、M美自信のやる気のなさは棚に上げ、全て先生のせいにする。また、親も親で、娘を思いやるあまりに、自分の子供の意見を鵜呑みにし、塾長にクレームを言う。

そのクレームは弱っている僕にダメージを与えるのに充分の威力を持っていた。そして、ついに僕の怒りは頂点に達した。

一週間考えた。重苦しい重圧と共に怒りを蓄積させた。僕は人を叱るという経験が乏しい。また、感情的になるタイプでもない。だから、怒りを爆発させるのが苦手である。しかし、今の現状は叱らないとダメなのだ。先生を先生とも思わない連中、恐れをしらない連中は、動物の調教と同じように一度震え上がらせないとしつけができない。僕はそう強く感じた。

そこで、僕は叱るためのマニュアルを作った。

生徒がこういう態度を示したら、この手段を使う、という手順をこと細かく紙に書いた。僕はその紙を「ぶちきれマニュアル」と呼んだ。

塾との契約上、生徒に手を挙げることは許されない。手を出さない範囲で生徒に苦痛を与える手段をいろいろと考えた。

具体的には、机を蹴っ飛ばす、反省文を書かせる、家に帰らせる、親に電話する、などということである。

5週目の授業は、僕にとっての決戦の日だった。いつのタイミングでぶち切れようかと思案していた。だが、機会はすぐにやってきた。

いつものように一番の問題児(A子)がわがままをいい始めた。同じことを連呼する。騒ぐ。わめく。

その瞬間、僕はドアを蹴っ飛ばし、怒鳴った。「うっせんだよ、くぉるぁあ(怒)」。鬱積させた怒りは自然に爆発した。

するとクラスの空気は一変した。なおも、僕はその問題児を睨みつける。

ぐちぐちと怒った説明でもしようと考えていたが、怒鳴った効果があまりに絶大だったので、細かいことを言う必要がなくなった。そこで、僕は何事もなかったかのように、そのまま授業を進めた。

まだ人間として未熟な生徒には、いちいち怒られる理由を説明するのではなく、頭ごなしに叱ることが有効である、とわかった。言ってもわからない子供に対しては、叱るしかないのである。

その後の授業は極めてスムーズにいった。問題児A子の態度の急変振りには驚いた。なんとA子は「問題を解きたくて仕方ない子」へと一変したのである。甘えた声で「ねえ、せんせ~。これであってる?次の問題解いていい?」という風になった。恥も外聞もなく恐れを抱いて僕へへつらってくる。口は達者でも、所詮、まだ子供なんだな、と思った。

A子だけを叱ったのだが、別の生徒へも大きな影響を与えた。急に真顔になり、怯えるように問題を解き進める。一言も喋る者はいなかった。

僕は生徒たちのあまりの変貌にホワイトボードに向かいながら密かに笑った。「あいつら、なにそんなマジになってんだろ?」と心の中で思っていた。だが、甘い顔はできない。ここで甘い顔をすれば叱り飛ばした効果が消えてしまうからだ。

人間という生き物は最も扱いにくい存在である。しかし、動物の調教と違って、人間は一度言えばその恐怖を忘れない。だからある意味では楽な部分もある、と思った。

生徒たちは、決して怒らないと思いナメきっていた先生がいきなりブチ切れたもので、衝撃は計り知れなかったようだ。

後で聞いた話だと、ドアを蹴った音と叱った声を聞いた隣のクラスの生徒まで、萎縮していたということだ。別の生徒に対して個別に怒る必要がなくなり、手間が省けた。

授業後に、M美は「こんなに勉強したのは初めて」ともらして帰っていった。


6週目は、就職活動の関係で塾を休んだ。生徒たちはどれほど僕が来るのを恐れていたかしらないが、別の先生に担当してもらった。代わってもらった先生は、去年一番上のクラスを受け持っていた大ベテランの先生である。

その先生の前でも、問題児たちは大騒ぎしていたらしい。このことから、どんな大ベテラン先生でも、このクラスを1、2回の授業でまとめようとするのは不可能である、ということがわかり、安心した。なぜなら、このことは、クラスをまとめることができないのは、僕の力量のなさだけが問題ではない、という根拠なるからである。

7週目。授業の前に生徒たち同士で話している会話が聞こえた。「先週は授業休んでディズニーランドいってんだよ。」。もちろん、本当の理由はディズニーランドではなく、就職活動のためである。
生徒たちは、授業前に陰口を叩いてはいたが、授業を始めるとみんなすこぶるいい子になっていた。まるで、操り人形のごとく言われるままに、勉強をやってくれる。今まで、投げ渡していた連絡帳も手渡ししてくれるようになった。

そして、夏期講習に突入。今までは一週間に一回問題児たちと顔を会わせればよかった。しかし、夏期講習は連日である。この問題児たちと4日間連続で付き合うのは予想以上に辛かった。

なんとか終える事ができた。しかし、ほうぼうから陰口を叩かれるのが悲しかった。

夏期講習で初めて上位クラスを受け持った。

成績のよい生徒たちの勉強意欲に驚かされた。いい点数を取りたい、という気持ちが強い。先生の話を吸収したいという姿勢が見える。僕は生徒たちの質の違いに驚いた。なんと授業が進めやすいことか。

最下層の生徒は、まず、「なんで勉強しなくちゃいけないの?めんどくさい」というところから始めなくてはならない。

いくら算数の教え方の上手い先生でも、技術を発揮する場が与えられないのである。怒ったり、誉めたり、なだめたり、すかしたりすることを通じて、まず根性から叩きなおさなくてはならないのだから、勉強どころではない。水の欲しくないラクダをいくらオアアシスに連れて行っても無駄である。生徒の前に歩きやすいように道を作ってやっても生徒が歩こうとしなければ、やはり無駄である。

たいてい優秀なクラスはベテラン講師が担当する。優秀な生徒はますます成績を伸ばし、塾の実績を上げる、というのは営利を目的とする企業の理念に一致している。

しかし、言われなくてもやる生徒の面倒をみるのは実はベテランでなくてもできるのである。

一方、新米講師はレベルの低いクラスの担当をする。レベルの低い生徒を指導するほうがよっぽど大変なのに、である。ベテランの講師こそレベルの低い生徒の指導にあたるのが、教育的には正しい考え方ではある。

さて、僕は優秀児の前では優しくて面白い先生になれた。怒る必要がないからだ。冗談も言える。問題児の前では見せられない僕の優しい面を優秀児たちは引き出してくれるのである。

優秀児を教えたら、「最下位クラスでは先生の評判悪いのに、なんで、上のクラスではいいんだろうね。(問題児たちが)先生のことを何言っているかわからないっていってたよ。でも、(僕らにとっては)わかりやすいじゃん。」

今日、そう言ってくれた生徒がいた。僕は心の中でとても喜んだ。

「何言っているかわからない」というのは、問題児たちに吸収する力がないためである。僕だってなるべくわかるように説明をしているつもりだ。少しばかりの算数の知識をもち、ちょっとでも授業を聞こうという意欲のある生徒にはウケがよいのである。

問題児たちは「わからないこと」を自分たちの能力と努力が足りないことと思わず、「先生の説明が悪い」と捉える。

今日思ったことは、バカにつける薬はない、ということ。そういう思いから僕はこの塾講師というアルバイトを辞めることにした。

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