友達を大切にすること。


でも、すべての人間を大切にするわけではない。

許せない人間もいる。
今日はふとそんな人のことを思い出した。

僕の高校は桐朋高校といい、進学校であった。
幼稚園、小学校、中学校とあり、そのつど入学する者がいる。

あとになるほど立場が弱い。

僕は高校から入った。
高校外部と呼ばれ、転校生のような扱いを受ける。


クラスの面子にも問題があったのかもしれない。高一は比較的友達に恵まれた。
高二、高三ではクラス変えがなく、2年間同じクラスである。

高2、3年のクラスはダメダメだった。
どんなに声をかけても、どんなに低姿勢になろうと受け入れてもらえなかった。

友達関係がすでにできているからだ。新参者を仲間に入れるとリスクが大きいから、受け入れないのだろう。

毎日キレそうになりながら、高校に向かった。

「なぜ世界はこんなに広いのに。なぜ俺は1時間もかけて。なぜわざわざ世界で一番嫌いな場所に、なぜ自分の意志に反して行かなければならないのだ」

高3の最後の方は遅刻と欠席と早退のあらし。
(わはは。そういう時代は誰にでもあるのです。。。)

僕にとって大学受験の第一関門はセンター試験ではなく高校を無事卒業することであった。


大学になり、柔道部に入った。
都内国公立という大会で、都立大の鈴木という人に再開した。

高校時代のクラスメートだ。

向こうも気づき話をした。
だが、僕の方のシコリは未だに収まっていない。

僕が立場が低いときには目もくれなかった奴が、他大学の部員として対等な立場にたったとたん、いきなり仲良さげに声を掛けてきても困る。仲良くなれるものか。

高校時代の友達は少ないが、数少ない仲の良かった友達とはいまだに連絡をとっている。
同窓会のお知らせというものがあるが、とても行く気はない。
死ぬまで行くことはないだろう。

高校時代の経験はものすごく痛く、辛いものだったがその後の僕の人生で大いにためになったと思う。

『贈る言葉』という歌でこんな下りがある。

♪人は悲しみが多いほど 人には優しくできるものだから♪

許すことも必要だが、今は彼らをとても許してやる気にはならない。

もしよければ次の 家庭教師の生徒たち を読んで下され。

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