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木枯 真

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2006年06月05日
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カテゴリ: 勉強:倫理
哲学者といえば、思い浮かぶでしょう、この方。


ソクラテスです。



・ソクラテス

アテネに生まれる。
ペロポネソス戦争時には重装歩兵としても戦ったそうな。

このおっちゃんは自分で本を書かなかったので、
思想などは全て弟子の著作に基づくものである。


どんな人かといえば、

ハナが低くて上を向き
唇は厚く
眼はギョロ眼
頭ははげあがっていて
でっぷりとしたからだつき
顔つきが広くて平べったく
サカナのエイに似ていた
しかも服は一着しか持っておらず
それを着てはだしで
アヒルの様な歩き方で歩き回って


普通に居れば変人ですよね。

けれども、その人柄に皆惹かれたといいます。

全く想像がつかん(´Д`;


さてはて。


ソクラテスのおっちゃんは、何を考えたのか。


デルフォイのアポロ神殿
ソクラテス以上の智者がいるかと尋ねたところ、

 ソフォクレスは賢い。
 エウリピデスはさらに賢い。
 しかし、ソクラテスは万人の中で最も賢い。

と答えました。
それを聞いたソクラテスは自分がそんな智者ではないと思い、
智者と呼ばれる人々に聞いて回ったわけですな。

主に、 ソフィスト と呼ばれる人々に。

結果。
こいつら何もシラネェと。
結果出てきたのが『 無知の知 』っちゅうやつですね。
簡単簡単。

ワシは自分が何も知らないということを知っている~。


しかしながら。
実はソクラテスは対話の中で様々な事柄に関する知識を持っていて、
その知識に自信を持っているように思える節もあると。
また、ソクラテスは、部分的には無知を装っているとする見方もある。

なんて意見もあるんだなーこれが。


ここで、 ソフィスト の定義でもしときますか。

=======================================
ソフィスト

wikipediaによれば。

ペルシア戦争後からペロポネソス戦争ごろまで、
主にギリシアのアテナイを中心に活動した、
金銭を受け取って徳を教えるとされた弁論家・教育家。

昨日取り上げた プロタゴラス
『一回の授業で戦艦二隻が買えた』
とまで言われていたので、この定義におけばソフィストとなるのでしょう。

当時からソフィストは否定的、批判的な悪名を持っていたようです。
『徳を教える』という彼らに『徳とは何か?』を批判した ソクラテス ですが、昨日言ったようにその批判された『相対性』は偏見だったという見解が強いようです。

徳についての定義は、アリストテレスのときにでもしますか。

今で言う扇動政治家『 デマゴーグ 』の出現によって
弁論術にて勝ちあがろうという流れのものにある職業だったわけで、
金持ちを相手していたこともあり、批判的な目で見られたようです。

=======================================

さて。
このソクラテスのおっちゃんはソフィストやら智者やらと話し、
論破し、反感を買ったといわれていますね。

この行為に基づくのは先ほどのお告げであり、
知というものが何であるのか、その探求に基づいていたものだったわけですな。
これが、『 知への愛(フィロソフィア) 』だそうですが、

ぶっちゃけどーでもいい。哲学で単語聞いてどーすんだってのな。

ただ、
『知恵を持っているのではなく、
 知恵が何であるかという探究心を持っている』
ってなだけの話。何の意味があるってんだちきしょう。
だから、倫理のテストはキライなんです。論説せよならまだ許せる。

で。
色々脱線しましたが、このおっちゃんが求めたものは。説いたものは
魂の配慮 』です。

ここの背景としてね、コノ間の ピタゴラス と繋がるんですが。
あのピュタゴラス教団というのは、魂の解放を目的としたわけです。

魂の解放。そのころ、魂は不滅であり、身体という牢獄にとらわれていると考えたわけですね。



以上パイドンより引用。

上記のような思想があったわけです。
金ももってけねーよ、って。
結局残るのは知識だけだよって。

こんなことを語りながら、このおっちゃんは死にましたとさ。


一応。
この知識。知っていうのは一般の単なる知識とは違って
よりよく生きるための真の知で、そのよりよい生き方を、
徳(アレテー) と呼んだわけです。

ぁーもう別に原語じゃなくてもいーじゃんorz

そして、その徳というのは善の知によって導かれる。
一方、悪徳が悪であるという知を持っていれば悪徳は行わないといった。
このことを『 知徳合一 』って言うんだってさ。

でもね。
このおっちゃんは、ソフィストを相対論を弄するものとして批判したんですよね?
でも、この論理って相対論じゃないかな。
悪であると決まったものはない、そういってたじゃないかぁっ。

実は、悪徳は徳なのかもしれない。


と。

やはり、教科書ではソフィスト=悪。ソクラテス=善。の善悪二元論で語られてる気がします。
もうちょっと、緩みを持たせて考えてもいいんじゃないかなと。

「彼は年老いてから衆愚政治の指導者によって、
 『国家の神々を信じず、青年たちを腐敗させた』
 というまったくいわれのない罪名で告発される。」

まぁ、マチガイじゃないけどさ。

コレに対し、ソクラテスは考えを曲げることなく、
『刑に処すどころか私を宴に招くべきだ』
とか言って反感を買い、死刑。

毒にんじんの汁を飲んで死にましたと。

このとき『 悪法も法なり 』なんて有名なこといったわけですね。



さてはて。この裁判について面白い考察があります。

実はソクラテスは『戦犯を教育した』として裁かれたという意見があるのですww


アルキビアデースという弟子がいまして
こいつがとんでもないやつでw

ペロポネソス戦争でアテネの将軍になり

彼の提案したスパルタ物資基地戦略に失敗し

スパルタに逃げ込み、アテナイ攻略の秘策を授け、
アテナイを包囲、大苦戦させる

しかしスパルタ王妃を誘惑して子供を生ませ
やばくなってペルシアに逃げる。

さらにアテナイ海軍基地に移り指揮官になり、スパルタとの戦いで成果をあげ、凱旋。

最終的に敗戦し、暗殺される。

クリチアス・カルミデス

アテナイがスパルタの占領下に入ったとき、
暫定政府が成立したのだが、これには三派あった。

     (1)穏健な民主派
     (2)中間派(テメラネス等)
     (3)少数寡頭政体支持者(亡命帰り)

クリチアスやカルミデスは(3)のスパルタ的政治の支持者であり、ソクラテスの弟子だった。

彼らは民主派を迫害する恐怖政治を行い、民主派は亡命。内戦となった。

結果スパルタの調停で合意し。
    (1)アテナイが民主政体にもどること
    (2)両派とも過去の責任を一切追及し合わないこと
を条件として、終結。


これらの戦犯を指導したとして、裁判にかけられたわけだそうです。
ソクラテスはもちろん、そんな意図はないとするわけですよね。

そして、(2)の話で表立って判決理由にはできなかったわけです。



参考文献:
wikipedia:ソクラテス
wikipedia:ソフィスト
k-styleのソクラテス研究
ソクラテス
ソクラテス裁判の真相について





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最終更新日  2006年06月08日 00時17分46秒
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