ラジオと映画とちょっとジャジーな日々

ラジオと映画とちょっとジャジーな日々

小沢健二のこと…よ


そこを直そうと必死になっていた時は、

一歩も動けなかったのに、

小沢健二の音楽に出会って、

「このままで良いのだ」と思ったとたん、

とてつもなく「ほっ!」として、


新たに動き出す気力が湧いてきた。

これは「勇気」だな・・・と思った。
「勇気」は「絶対的な肯定」から生まれる。

だから、おびえた人に「勇気を出せ!」
と、叱咤しても上手くはいかないわけだ。

そして、無条件の「肯定と信頼」って、
「愛される」ことと同じなんじゃないかと感じた。

「音楽を愛する」ことは、あるけれど、

「音楽に愛される」 ということもあるのだなぁ・・・。

と思ってから、今担当しているジャズも含めて
私の音楽の聴き方は、大きく変わってしまった。


小沢健二・・・じゃなくて、
小沢健二の「音楽」から(笑)、愛をもらった私は、

世間体とか、人の期待とか、利益の為の理不尽な我慢とか
そういうものの鎖をブチブチ切りたくなっていった。

もしかしたら、

ただ調子にのっていただけかもしれないけれど、

あるいは、もう、いっぱい いっぱいで、

何かに背中を押してもらいたかっただけなのかもしれないけれど、

その頃、色々な問題をかかえて、
心身ともにギリギリで働いていた貿易会社に

辞表を出したのだった。

安定した収入の道は、ここで途切れ、

今も戻っていない(笑)

そして、その時やろうと決めたことは、
今も実現していない。

でも本当に、何の縁かわからないけれど、その2年後、
開局したばかりのコミュニティラジオ局に入ってしまった。

それからのことは、また長い話しになるけれど、

何もわからない素人なのに、失敗もたくさんしたのに、
ラジオの仕事を十数年もやってこられたのは、

小沢健二の音楽からもらった「肯定」が、どこかで、
ずっとずっと支え続けてくれたからだと思う。

そして、この仕事のおかげで、
「球体の奏でる音楽」で小沢健二と共演している

渋谷毅さんにも番組に出演してもらえることができた。
(そのいきさつは→ こちら

渋谷毅さんの音楽にもまた、
美しくやさしい「肯定」があって、

心が自由になっていく感覚を何度も味わうことができる。

小沢健二は、ライブで、渋谷さんと川端民生さんを
「僕たちは、似た者同士」と紹介したらしいけれど、

きっと、そうなんだろうなぁ・・・。


小沢健二の音楽に出逢って「私は変わった・・・」
と、思ったけれど、

そうじゃない。

変わったのではなくて、 「戻った」 のだ。
「本来の自分」に戻っていったのだと思う。

それは、簡単なことではないし、

何かあれば、またすぐに
見失ったり、身動きとれなくなったり、行き詰ったりして

不安になってしまうけれど、

芯の芯では、何とか自分を守っていけたら・・と思う。

本気のコミュニケーションをしてくれる

音楽があるのだから。




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