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昨年徳島へ行った時、陶芸家の友人の家の窓辺に美しい何かがぶら下がっている 「あれって何」「きれいでしょう」「何処で売ってるの」「持ってるから1個あげますよ」 っと言う事で、頂いたのがきっかけで家にいる時、お日様がある時 これをお日様に当てて楽しんでいる 部屋にこんな素敵な虹色が 壁にも 部屋中がきらきらぐるぐると 虹の雫で一杯になる 気持ちもゆたかーーーに 名前は「サンキャッチャー」と言うらしい 先日友人達と会食がありこれをお土産にしたらみんな喜んで貰ってくれた ありがとう 人の出会いが、未知の出会いに繋がり 感謝が重なる
2011年01月26日
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この日歩いたコース金沢八景朝比奈切り通し天園鎌倉宮鶴ヶ岡八幡宮小町通り鎌倉駅久々2万歩アップであった切り通しから少し町を横切り人気の無い小道に入ると、天園への登り口があるはず所が、ここも案内札が無かった良く見ると、朽ち果てて、地べたに落ちていたこの入口を見つけるのは、初めてだと相当難しい人一人歩くのがやっとと言う、狭い道を歩いて、登ってゆく 歩きやすい道に出るとホッとする 天園から見る風景 この店で「一服」する 頭を隠した富士山が見られた帰りはずーっと下り坂である 年越した「薄」が美しい薄は始めから終りまで美がありいいなーーー昨年 平成22年(2010年)3月10日4時40分頃に、強風のために根元から倒れた。倒れた大銀杏は3つに切断され、3月15日、根元から高さ4メートルまでが、7メートル離れた場所に移植された[2]。残る2つは境内に保存される。倒壊から約一ヶ月たち、再生への努力が実を結び、若芽が確認された大銀杏樹齢800年とも1000年余ともいわれていた[1]。建保7年(1219年)1月27日、源頼家の子で八幡宮の別当を務めていた公暁がこの銀杏の木に隠れて待ち伏せ、源実朝を殺害したという伝説があり、隠れ銀杏という別名がある。しかし、当時の樹齢を考えると、人が隠れることのできる太さにはまだ成長していなかったという説もあるため真偽は不明。伝説を疑問視する説もあれば、公暁が身を隠したのは先代の樹であり現在の樹は二代目であるとする説もある[1]。昭和30年(1955年)より神奈川県の天然記念物に指定され、鶴岡八幡宮のシンボル[1]として親しまれていた。根元から4メーターの移植された木元々あった所から、新芽が出てきている倒れる数日前、偶々行って最後の姿を写真に写していた 鶴岡八幡宮(つるがおか はちまんぐう)の事抜粋神奈川県鎌倉市にある神社。武家源氏、鎌倉武士の守護神。鎌倉八幡宮とも呼ばれる。境内は国の史跡に指定されている。康平6年(1063年)8月に河内国(大阪府羽曳野市)を本拠地とする河内源氏2代目の源頼義が、前九年の役での戦勝を祈願した京都の石清水八幡宮護国寺(あるいは河内源氏氏神の壺井八幡宮)を鎌倉の由比郷鶴岡(現材木座1丁目)に鶴岡若宮として勧請したのが始まりである。治承4年(1180年)10月、平家打倒の兵を挙げ鎌倉に入った河内源氏後裔の源頼朝は、12日に宮を現在の地である小林郷北山に遷す。以後社殿を中心にして、幕府の中枢となる施設を整備していった。建久2年(1191年)に、社殿の焼失を機に、上宮と下宮の体制とし、あらためて石清水八幡宮護国寺を勧請した。承元2年(1208年)には神宮寺が創建される。 今年初めての長歩きで、気分爽快であったまた何処かへ行く気の一歩になった
2011年01月20日
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鎌倉は、町中だけしか歩いていないと言う友人と山歩きをしてきたわたくしの大好きな道「朝比奈切り通し」何回も歩いているが、冬は初めてかもしれない 朝比奈切通しは、仁治 2年(1241)に時の執権・北条泰時によって切開かれた道である。工事が計画通り捗らないので、泰時が自分の乗馬で土石を運ばせ督励したことが吾妻鏡に出てくる。幕府がいかにこの切通しを重視したかを知る象徴的なエピソードであろう。 一般に、この切通しの開削目的に軍事戦略上の理由が挙げられている。当然、その目的はあったにしても、この道路には鎌倉へ武器や生活物資を運ぶ産業道路としての役割がそれ以上に大きかったのではなかろうか。 それは、名越切通しのように三浦氏に対する軍事目的が明瞭な切通しと違って、道幅など道の造りに「物資運搬の路」を感じてならない。 幕府を開いた頃、寒村だった鎌倉は5万とも10万人とも云われるほどに人口が急増。大量の生活物資や武器の搬入を必要としていた。そのため、幕府は朝比奈峠を開削する10年程前に鎌倉に和賀江島を築港した。ところが、荒天の時には接岸が難しく船を破損したり積み荷を失うことも多く、六浦港を鎌倉の外港として利用することは急務だったに違いない。加えて、製塩地・六浦からの「塩の道」でもあった。朝比奈三郎が一夜で切開く この切通しには、豪腕をもって名高い朝比奈三郎義秀が一夜で切開いたという伝説がある。義秀は鎌倉幕府の侍別当である和田義盛の三男。安房国朝夷で生まれ、母は美貌と女だてらに豪勇をうたわれた巴御前である。 しかし、和田一族は建保元年 (1213) に北条氏の謀略にハメられて反乱を起こして滅亡する。世に言う「和田合戦」である。このとき義盛に殉死した武士の中に「六浦三郎・同平三・同六郎・同七郎」の名が「吾妻鏡」に見える。また、大道には「和田の谷戸」の地名が残っている。 こんなことから、北条氏領になる以前の六浦は、和田義盛が支配していたと考えられている。また、和田一族が自領の安房から鎌倉に出入りするときは、六浦港を経て朝比奈の山越え道を通っていたらしい。ところで、北条泰時があれほど力を注いだ道に、和田一族の「朝比奈」の名が付いているのが、いささか合点し難いところだ。あるいは朝比奈ゆかりの人達による「判官びいき」の命名なのかも知れない。 朝比奈三郎が一夜で切り開いたことになっているが、実際は、三代執権北条泰時が自ら陣頭指揮に当たり工事を行った。泰時が自分の乗馬に土石を運ばせたという話が残るくらい、鎌倉幕府は、軍事的・経済的にこの道を重要視した。金沢六浦津から鎌倉へ抜ける重要路線と言うことで執権泰時自ら工事を行ったと言われている。 峠の頂上付近(鎌倉市と横浜市の市境)の辺りが「大切通し」それより金沢寄りを「小切通し」と言い、1969年(昭和44年)6月5日に「朝比奈切通」として国の史跡に指定された。 鬱蒼とした森の中に有る切り通しは、現在でも当時の趣を感じられる。 2年前に来た時は、入り口と言う「立て札」があったが周囲に家が建ったりして、風景が変わっていた入り口が判らず、近所の人に聞いた暫く歩くと見えてくる ここまでが「横浜市」裏側にか「神奈川県」・・・鎌倉市である 岩をどんな機材で削ったのであろうかここにはくっきりと、模様が残っている この仏画は何時のものなのだろう ここしばらく雨が無く、足元は渇いているがこの辺りからズーットぬかるみが続く湧水が出ているのだろうか この札で切り通しが終わり朝比・・夷奈・・・ひがいになっているどちらがホントなのだろう今回初めてのが残った 久しぶりに歩いて感じたのは 予想外のぬかるみが長く思えたこと人力の素晴らしさをあらためて、目にした事 この後、まだまだ歩く
2011年01月18日
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水族館の後半を・・・・海に中の愛嬌ある生物たちこれは初めて見た立ち泳ぎ・・・太刀魚ではない ヘコアユ(兵児鮎、学名:Aeoliscus strigatus、英名Striped ShrimpfishまたはRazorfish)は、トゲウオ目ヨウジウオ亜目ヘコアユ科ヘコアユ属に属する魚。太平洋西部からインド洋にかけてのサンゴ礁などに生息し、日本では相模湾以南で見かけられる。頭を下に向けた独特の姿勢で泳ぐことで知られる。動物プランクトンなどを食べて暮らしている。「アユ」と付くが、アユの仲間ではない「ヘコ」は『逆さ』、「アユ」は『歩む』を意味し、その泳ぎ方から名づけられている。 この顔魚と言うより何に見える 微笑を誘う珍顔魚コンゴウフグインド・太平洋域。岩礁域や珊瑚礁に単独ですむ 体は骨板でできた箱でおおわれ、横断面は四角形になる。ハコフグとよく似ているが、成魚の頭部や尾鰭に小黒点があり(尾鰭にはない個体もある)幼魚は鮮黄色で体表の小黒点が明瞭である。若魚では体側の白色斑が黒点で囲まれて、よく目立つことで見分けられる。(名前が間違っているのをダイビングの達人マー(シモパ)さんに教えて貰いましたので、訂正しました)かの有名なカクレクマノミ・・鮮やかな体色、大型イソギンチャクとの共生、性転換等の変わった特徴を多く持つ魚で、鑑賞用に飼育されることも多い。カクレクマノミは映画『ファインディング・ニモ』(2003年)に登場するキャラクターのモチーフとなり、一躍有名になった。しかしこの影響で観賞用のための乱獲が起こり、共生相手のサンゴイソギンチャク類と共に激減している。和名「クマノミ」は色分けされた体色を歌舞伎役者の隈取に見立てたもので、「ミ」は魚介を表す接尾語とされる。また「隈」は隠れ場所を意味し、イソギンチャクの触手の間に隠れる行動に由来するという説もある。英名"Clownfish"は、イソギンチャクと戯れるような行動がクラウン(ピエロ)のようであることに由来する。またイソギンチャク(Sea anemone)に寄り添うことから"Anemonefish"、さらに花に群がるミツバチに似ることから"Sea bee"という呼称もある映画「ニモ」大好きで、何回見ても飽きない・・・乱獲は止めて この魚「プテラポゴン カウデルニー」と言うらしい 確かに美しさがあり、人を引き付けるのか今、家庭で飼う人がとても多くなっているそうだ 彼らは、水の中なら何処でも幸せなのだろうか お腹の中まで、全て見られる、腹黒いとすぐばれるグラスフィッシュだったかな 深海魚この水槽は、暗い所にあった この日最後の「イルカショウー」 を見に行く イルカから初めに「挨拶」 があった 素晴らしいジャンプ 大きなボールを投げ返す 下がっているボールに頭でさわる大ジャンプ 十分楽しんで外へ出たら、もう夜の帳が降りていた
2011年01月12日
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四国の旅のアップが、年を越してしまった 高松へは何回も行っているが、以前から薦められ行けなかった所へ、この時やっと行けた内容も知らず場所を探し辿り着いた それがここっ 平家物語歴史館 入場料を払って、中に入って びっくり 日本最大の蝋人形館だった 午前の早い時間だったからか誰もいないたった一人で見て歩くのは余りにも勇気がいる場所だった リアル過ぎてギョッ それでも始めの部屋は、何とか通り過ぎた殆んど実物大らしく、良く見れば、素晴らしい出来であり懐かしい人達が沢山いる全て、四国出身の有名人 この先は、この館の本命「平家物語のフロア」音響も凄まじくゆっくり歩く気もちになれず、足早に通り過ぎた 平家物語の冒頭祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす おごれる人も久しからず 唯春の夜の夢のごとし たけき者も遂には滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ この文章は、何時の世にも古さを覚えぬ人として生きる時、特に権力を持った人には常に心する名文である 平家物語は、一度は読んだり聞いたりした事がある実在の歴史物語りであるここ、高松市には「屋島・壇ノ浦」が近い この写真を見れば、話しの内容が見えてくるこの歴史館には、300体以上の蝋人形がある平家物語に興味のある人には参考になる、目で見る平家物語と言えるかもしれない この館を出て、レンタル自転車を借りていたので 周囲を回ってみた 近くには「ドック」があり、滅多に見られない風景を見る事が出来た この日帰るフライトは「夜」だったので時間がたっぷりあり町を歩く気にならず映画を見る事にした沢山の上映映画の中から「雷桜」と言うのを見た想像通り、風景が美しく、浮世を少し離れた時間が持てた この日はずーっと、不思議な世界に身を置きそのまま四国から、帰途に着いた この時の旅は、日程はたった3泊だったが中味は濃く、歴史的場面に立ち会え美味しいものにも出会い出掛けて良かった、良い旅であった 四国は何時も魅力的である
2011年01月09日
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年末年始、なんと言う事もなく瞬く間に時が過ぎて行く 昨日一息ついて出掛ける気持が出来た 昨年来の友人(ドイツ人)から「しながわ水族館」がとても素敵だったっと聞くドイツには「水族館」は無いそうだ 周囲全て海と言う、日本らしい施設 日本には、水族館が結構あるこの国では普通の事が、国が違えば貴重な場所だと、気付かされた そういえば欧州では「動物園」へは あちこち行った 水族館には行った事が無い そこで・・・「しながわ水族館」に初めて行ってみた 聞きしに勝る充実した内容である 気に入った所から並べてみたここ「海の宝石箱」この水槽の前には、椅子が無い出来たらこの前にズーット座っていたい 魅惑的な「クラゲ」が色々ある 所狭しと大魚が泳いでいる エイは何時も笑顔をくれる 海の中は美しいのだろうと心魅かれる ここからトンネル水槽に入る 水の中には、こんなにも色彩が豊かなのだ竜宮城はきっとある昔から、わたくしはそう思っているでも、玉手箱を開けると、消えてしまうので海の中には入らないと決めた 続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2011年01月07日
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