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今年も「土筆」採りにあちらこちらを歩いた・・・ この場所は、今回初めて見つけたあるある採っても採っても採りきれない 嬉しいのなんの思わず声が出てしまう 2回目(3月27日)は、頭がぼけ初めて、スギナが一杯になっていた この場所、来年は風景が一変しているだろう 高速横浜環状北西線の工事が始まり、この畑も消えて行く場所だから 現在の工事状況は、こんな感じなので、何時完成するのか車社会が、長閑な田園風景を変えてゆく ・・・これが現実 少し離れて見ると、繋がっていない ここも来年はどう変わるのだろう 桜並木は満開だったしかし、ここも、環状線の犠牲になりそうな気配が見えた 水の中に入って、夕日の傾きを見ながら、三脚を立てている人 気持ちは理解できるが・・・ 水に映る桜 飛行機・夕日・ 光芒(天使の梯子)・・・3点セット この日近くの食堂で食べた「魚定食」に この店のオーナーが自家栽培している山菜や野菜がたっぷり出た土筆も入っている ・・・・(840円) 3月25日・・・月末蕎麦屋の春定食・・・何時も美味しい・・・今月は3日通った ここで友人が食べた「デザートセット」春満載 土筆採って帰りに見た・・・西の空 毎年この近辺で「土筆」を摘み、夜なべで土筆の袴を取るのが虚空の「春」であるしかし、土筆の出る場所がどんどん無くなり、来年はもう無いかもしれない土筆は「酢の物・煮物・和物・炒め物・天ぷら」何にしても美味しい左が、袴をとったもの 桜が満開になる頃に、土筆が終わる・・・ 今や、年中季節感のない食品が多いが、「土筆」はホンの10日ぐらいで終わる、貴重な山菜である 来年のことはわからないが、また「土筆」に会えたら嬉しい 覚書 「西行」白洲正子
2015年04月01日
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近江八幡から今日の目的地「長浜」へ行く電車から見えるのは、近江盆地の平野湖東地方から湖南地方にかけてが最も広い平地部で、そこに滋賀県の交通、産業の中枢がこに位置する。農業もさかんで、近江米、メロン、ぶどうなどを栽培しているこの時期田園は閑散期らしく、時々麦畑を見る程度広々した平野は、米どころらしい 遠くに見えるのは「彦根城」昨年から数回、この路線を通る この日、乗客が少なく、やっと撮れた・・・前の席に座っている女性から話しかけられ、近江についてアレコレ聞くことができた 雪が残る「伊吹山」が、富士山を彷彿とさせる貫禄で、どっしりと構えてた 長浜駅から見える「長浜城」は、32年前再建され「歴史博物館」になっている 長浜市街地は、わかりやすい「マップ」により、歩きやすいこれは、「山車」を保管する蔵 この山車が入っている 市内を歩くと、所々に「水路」が見られる・・・これは堀跡の名残の水路で生活水路だったと言う この地は、雪も多いのだろうか「雪吊り」が残っていた 最近見られなくなった「手荷物預かり所」がまだあった ランチは友人と合流する迄に済ませようと話していたので 長浜周辺のご当地名物「焼鯖そうめん」を食べた 焼鯖素麺とは滋賀県長浜市周辺の湖北地方に伝わる郷土料理。鯖素麺とも呼ばれる。農繁期である5月に、農家へ嫁いだ娘を持つ親が忙しい娘を気遣い、実家から嫁ぎ先に焼鯖を届ける「五月見舞い」という湖北地方独特の習慣に由来する。農繁期に気軽に作って食べられる料理として、また客をもてなす際などのハレの料理としても伝えられてきた。湖北地方は内陸に位置するが、比較的近い地域に若狭湾という鯖の産地があるため、鯖は一般的な食材であった。もともと家庭料理であるが、最近では長浜の名物料理として観光資源化する動きがあり、観光客向けに焼鯖素麺を出す料理店も増えつつある 焼き鯖そうめんの感想・・・虚空はリピートはしないだろう、 そうめんが鯖の汁の味になっているので、好みとは言えないから・・鯖は好きな魚である つづく・・・・・・
2015年03月27日
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今年は何故か毎月旅に出てる1月から2月に掛けてソウルへ行き、ほっとした頃、何度もご一緒している友人から、人の少ない3月に「近江」に行こうと嬉しい誘いが来た 勿論喜んで同行することにしたこの日、名古屋の友人達と久々のディーナーを食べ、一人、3回目の「近江八幡」へ・・1月「京都」へ行く途中に寄ったので、2か月振りである ここ 「近江八幡」には、是非寄りたい所があるこの日は「ホテル」も予約した目的の人に会って、ホテルへ帰るつもりだったが、この日珍しい「祭り」があると言う、それも深夜がクライマックスなのだ ・・・3月15日 365分の1・・この年の1日だけの祭り・・・地元の人が勧めてくれた その名は左義長(さぎちょう、三毬杖)と言う火祭りの行事地方によって呼び方が異なる。全国で広く見られる習俗である。『徒然草』にみえるから、鎌倉時代にはおこなわれていたらしい。起源は諸説あるが、有力なものは平安時代の宮中行事に求めるものだった 左義長まつりは近江八幡に春の訪れを告げるお祭りで、織田信長も盛大に行い、自ら華美な衣装で躍り出たと伝えられている。左義長の中心に据え付けられた「山車(だし)」はその年の干支にちなんだものを、黒豆、小豆、胡麻、昆布、するめ、鰹節等の食材を素材にして、約2~3ヶ月の時間を費やして地域の人々によって作り上げられる近江八幡の左義長は、明治時代に旧暦に行うことになり、この時期になった 詳しい近江「左義長」についてここをクリック 近くまで送って貰い、暗闇の街に突然賑やかな掛け声が聞こえ、こんな山車が見えた ここが主役の「日牟禮八幡宮」 日牟禮八幡宮の近くでは、既に山車に火が点けられていた 立派な「木」の鳥居 近江八幡に寄る事にしたのは、二日前、こんな祭りに遭遇出来るとは僥倖と言う言葉が頭をよぎった、益々近江八幡に縁が深くなった気がする 目の前でこんなにも「凄まじい」火を見たのは初めてであるこの夜は少し冷えていたので、火が温かく心地よかった 明日から「近江」を歩く旅が始まる 覚書 「良寛 乞食行脚」 松本市壽 「生きて愛するために」 辻邦生 「良 寛」 八尋舜右
2015年03月23日
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今回初めて行った「平和市場」 乾物が主の市場らしいウロウロ歩くと、何かにぶつかりそうで気を抜かず、キョロキョロ歩く、兎に角広い ・・・市場は何時も楽しく面白い 韓定食を食べると付いてくる「魚」、買って帰りたい程美味しい 名前がわからない生もの(干物)なので買うのは諦める 賑わう街には何処でも見られる「屋台」のお店これは肉系らしいが、食べないので味は若い人が食べるのをよく見かける、ボリュームたっぷり これも肉の串焼き 「揚げ物・おでん・トッポギ等」 お客が多い ここは、「豚足」専門屋さんきっと美味しいのだろう韓国は、チキンだけを扱う店も多い・・・チキンを食べない虚空は味がわからないが、チキン好きな人は周辺に沢山いる これはおでんの材料になる魚のすり身を、ウインナーに巻きつけ鍋で揚げている・・・揚げたては特に美味・・・以前はよく食べた 「広蔵市場」 この市場は、100年以上前に開設された、歴史上先駆的と言う広さもあり、屋根付きなので、休みなく開催されているソウルへゆけば、必ずここへ足を運ぶこの通りは「食い倒れ通り」と名付けられているらしい簡単に食べたいもの、一杯飲みたいとき等、品数が多い 今回通りが狭く感じたそれは、店の数が増えていたからである若しかしたら、東大門の屋台の人たちが、ここへ移動して来たのかもしれない歩行する道幅が狭くなり、歩くのに神経を使う 兎に角客が多い この中の中心の出店は「ピンデット」「緑豆を潰し野菜などを入れ、たっぷりの油で揚げ焼きするチヂミ」・・・・これは掛け値なく美味しい 市場が賑わっているのは、そこに元気が見え、食べている人々がその時間は、平和であることが嬉しい風景だ 人は食事の時、争いが起きない、食が満たされると穏やかになる食は平和に繋がると言えるかもしれない 金浦空港の内部が全く変わっていた土産屋等が無くなり食堂の場所も変わっていた、たかだか一年余りでこの変化に驚く 10日間のソウル旅も終わる 毎回最後かもしれないと思いつつ、数えてみたら、今回が20回目だったこのあたりで終わりになる気がする・・・先の事はわからない 毎回ソウルを中心になるが行った所を思い起こせば「釜山・木浦・光州・慶州・安東・全州・公州・浦項・九龍浦・扶狳・春川・雪嶽山・論山南怡島・松廣寺・」等々・・・沢山のパンフレットが残った楽しかった
2015年03月07日
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今回ソウルでは、ホテル暮らしが半分だったので、外出も、外食も少なかった・・・この日はソウルの友人が誘ってくれ東大門周辺を歩いた・・・今回は東大門の回りだけの旅になったこんな事って珍しいが、これも良しだ 光化門の前には、凛々しい姿の門番さんが立っている観光客がを持って賑わっている その人波を避けながら、待ち合わせ場所へ急ぐ 振り向けば、今昔の建物が相対して面白い 友人も風邪の病み上がり、虚空も元気なく食欲もイマイチ 二人揃って、うどんとちぢみを食べる 街は元気に賑わっていたが、早々に二人でホテルへ引き上げた ホテルの部屋で暖かいお茶を飲みながら、1年ぶりの積もる話でゆっくり時間を過ごした ある日の「清蹊川」冬なので人が少ないが、安全な路・・豪雨が降ったらここに雨が溜まって、川になるのだろうか 二日目の夕食・・・この店は10年近く通っている大好きな「渡り蟹の醤油つけ」(カンジャンケジャン) 定食がとても美味しく安い 副菜にその時期の野菜が沢山出る・・・味が良いここは「ミヤサムゴリ」と言う地下鉄の駅近く、明洞から離れている場所 この店のメインは「焼肉」で、これも美味しいが、一人では食べきれないので残念ながら、肉に手は出ない 大きなワタリガニが1杯付く この店も十年通っている・・・ここの「ネギ烏賊ちぢみ」一人なのでこれだけしか食べられない・・ちょっと残念 この店の「豆腐チゲ」安くて美味しい・・・冬はこれがうれしい 食欲が無く、うどんも飽きた頃、ドラマで見た「鍋のラーメン」を食べる 一度食べたかったが、何処へ行ったらよいのかわからずこの日やっと見つけた普通に美味しかった・・・リピートはしないと思う 今回ネットで見つけた「麻薬のり巻き」 何となく噂では聞いたことがあったが、場所を確認して、初めて行った 噂通り、行列が出来ていた少し並んで店内で食べた確かに空腹だったら美味しいかもしれないが、「麻薬」になる程とは誰が名付けたのだろうまた食べたいとは思わない、噂の勝利だろう これが「麻薬キンパ」・・・貧弱 大学路近くで見た「ホットック屋」さん・・・何処にもある食べ物学生が並んで買っている、出来るのに時間が掛かりそう何故並ぶのかは、わからないが、聞いたら「美味しいから」と言っていた 今回の度は、食事代が安く終わった食べ物は「地産地消」が一番韓国の食は何時も美味しい・・・ 徳島近郊の方へお知らせここをクリックしてください 覚書 「日輪の遺産」 浅田次郎
2015年03月05日
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城壁から、約1年前に行って感激しながら帰った場所「壁画の街」へ 降りる 壁画は、新しい所があったり、あったものが消されていたり、少なくなっていた この町の壁画は9年も前から始まったと言う、何年かするとここは全く変化をした場所になるのだろうか 大学路梨花洞タルトンネ(月の街)について詳しくはここ 多くの人に踏まれで色褪せている花々 この階段は急で、降りる時は緊張した この一人と一匹は、ズーット眺めていたい気持ちになる 二人 今回初めて見つけた魚たち 子供の頃から、魚が空にある絵が好きだった 若かった頃、魚が飛んで宙にある「絵」があったカフェに、絵を見たさに通った事を想い出した 大学路に近くなる道で、洒落たレストラン この日 素晴らしい夕日がココロに残る絵を見せてくれた 夕日でほんわかしながら下界に下りてマロニエ公園に近くなったとき、まるでリサイタルのような「ピアノ」が聞こえる 近くで見ると若い男性が寒さの中、夢中になってピアノに向かっている 周囲を見ると照明担当・ビデオカメラ撮影担当等、数名がうろうろしている この夜、気温は零下数度、手袋無しでは辛い何故ここで撮影なのか言葉の障害者虚空は、最後まで聞くことは出来なかった 寒さを忘れる程、素敵な時間を貰った気分で、1時間余り、ベンチで聴き続けた ・・・贅沢なひととき ロイヤルブルーの空には月も映えていた凍えそうな「至福」の時間
2015年02月28日
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前回ソウルへ行った時、大学路から「駱山公園」の近辺を歩いた出掛けた時間が遅かったので、上まで上がれず、後ろ髪を引かれながら帰った そこで今回、先ず行きたかった場所・・・東大門から城壁の脇を行くこの城壁は、ソウルを囲むように続いているらしい その内のホンの一部を歩いた 東大門は・・・・・1396年に初めて建てられ、1453年と1869年に修繕され、6百年余りの歴史がある 今の東大門は、ビルの谷間に埋もれ影が薄い まるで要塞のような、いにしえの風景が目の前にこの道を歩きたかったのだ 城壁が見えてくるこの脇を上がってゆく 足元は歩き難いが、真冬なのに汗をかく程ちょっとした、山登り気分・・・ 城壁の隙間から見ると今が見える 近くで見ると、頑丈で力強い ソウルのどの辺りになるのだろう密集した住宅街である ビルと住宅の谷間が見える壁の下は崖だったのだろう 突然道に現れたのは、テレビのコマーシャルで見たことがあるエクササイズの器具近くの人らしい女性が、体がグルグル動く器具に乗って、脇目もふらず熱中していた・・・虚空も乗ってみたが、二度と嫌だ この発想は 、置く方も、許可を出した方も個性が凄い 風雨に強い素材なのだろう この道の探検はほどほどで終わり、以前と逆に大学路の方へ下ることにした この辺は再開発地区だと聞く、廃屋が沢山あった 以前はカフェだった家も、廃屋になっていた 坂道を降りてゆくと、大学路迄の「梨花洞壁画の街」が見えてくる・・・楽しい町並みが始まる つづく・・・・・・・ 覚書 「風の良寛」 中野孝次
2015年02月26日
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ソウルと言えば「東大門」「南大門」「西大門」等歴史的な「門」があり、その周辺は「市場」として賑わっている。東大門には運動場と言う体育館があった6年前その「運動場」を始め、周辺市場を解体し、何ができるのか、行くたび見ていた。 今回5年を掛けて出来上がったのは、「東大門歴史文化公演」デザインプラザだった と言うことだが、さっぱりわからないなにがどうなっているのか 奇怪な建造物がドーンとある外から見ると、何が何だかわからない宇宙船のように見えるが 下へ行くと、只々巨大な迫力ある物 巨大なのに、圧迫感を感じないのが不可思議である 中へ入ってみると 広々としたスペースに不思議な椅子がぱらぱらと置いてある人が気ままに座っているが、その人も長くは留まらず、空気のように流れて入れ替わる 時々空席が出来、その椅子の姿がこの空間に優しく見え、落ち着いた雰囲気になる ここにある椅子たちは、「籐」で出来ている・・・座ってみると、心地よくゆったりした気分が漂うのだそして、人がいるのに、みんな無口になる ここをデザインしたのは、イラク生まれの英国建築家ザハ・ハディッド氏2004年、女性建築家では初めて「建築家のノーベル賞」と呼ばれるプリツカー賞を受賞した。この建物は、世界最大の3次元非定型建築物に挙げられる 建物を上下する時の階段が、これまた奇妙な作りなのだ、階段を下りたり登ったりするとき、思考するのはこれが初めての経験 ここの階段は、木製なのだ 窓から見える廊下のような所は3次元なのだろうか 、人のようだが宇宙人のように見える ゆっくりして外へ出たら、夕闇が近くなっていた、この道も思考の空間 全体図があったが、見てもなお、わからない東大門が迷宮の場所になった 6年前までの煩雑で迷路の、逞しい、エネルギッシュだったこの場所が懐かしいあのぐちゃぐちゃな市場は、何処へいったのだろう沢山の屋台の人たちはどこへ行ったのだろう整理整頓は決して悪くはないが、ぐちゃぐちゃの中にも整頓があった やりすぎは、心が離れる 郷愁を感じるのは、年のせいだけだろうか
2015年02月21日
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ソウルから帰って、もう2週間過ぎたグータラな日々を過ごしているやっとPCに向かうことに・・・1月後半から、マイルを使って冬の「ソウル」へ行った 飛行機から見た孤独な船がスーイスーイと見え、船に乗りたくなる 窓を見れば、翼が美しい 刻々と背景色が映りゆく 韓国に近くなる頃「月」が見えた 搭乗時間がランチも過ぎ、夕食には早いので「食事」出るとは思わなかったが結構それなりの物が出て得した気分 ・・・チョコパイは食べない 機内食が効いて、 お腹が空かないが、明洞の街で、食べたかった「ジャージャー麺」を半分だけ食べた 今回のホテルは、開業4日目玄関で、絵を仕上げ中の画家ペンキ屋さんが奮闘中 絵の額縁から、樹の両方も全て手書きの絵である ここに4泊したが、仕上がっていなかった 東大門市場のファッションビル前は、一杯の「売り物」が寒空に並んでいた通行客は、止まらず足早に通り過ぎる ここは「ソウル駅前」から見える警察署宙に浮かんで見えるのは バスを掲げる「おまわりさん」どう言う事意味不明若しかしたら力強い警察と言う事かな ホテルの近くで食べたランチ「ポッサム」と言うらしい茹でた豚肉を、出ている野菜と一緒に葉っぱで巻いて食べる初めて食べた美味しいので、完食したら、お代わり如何と勧められ「びっくり」十分ですとお断りした・・・7000W(約750円) ゆっくり頂いていたら、ランチ時間が終わったらしく、店員さん3人とも座敷に上がって休んでしまった・・・こう言うの日本では見られないでも、虚空は面白くて楽しめた・・・矢印の下に一人寝ている 今回気がついた物・・・地下鉄の乗り場に「救命胴衣」らしき物が何処でも見られた。火事対策だろうか地上でもあちらこちらに置いてあったお隣の國が何するかわからないので、色々考えらているのだろうか 今回は、毎日飲む薬を入れ忘れて右往左往したり、ホテルの部屋で飲んだ寝酒を飲みすぎて、二日酔いになったり、その後、知恵熱が出たりして、後半は、ホテル暮らしだったなので、前半歩いた時の写真があるのみ・・・追々アップするつもり、気が付けば、ソウルは十数年通った、なので色々な事があった・・・・・ 覚書 「この世この生」 上田三四二「生きる智慧を学ぶ」 栗田勇「良寛蓮の恋」 ひろたみお「良寛異聞」 矢代静一「良寛・その愛」 田村甚三郎
2015年02月18日
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岐阜の友人から、京都を歩くのに参考になればと言って、プリントした物を数件貰った 滞在時間が少なく、行きたい先が多く、時間と場所を選択し、9日の夜は その中から「南座」をスルーしての裏方面にある場所へ歩いた 1月10日は「十日ゑびす」の日である この日は前夜だったが、お客さんも多く賑わっていた。この時初めてのゑびす神社だったので、面白くてきょろきょろ コレなに華やかなぶら下がりもの ・・・これは人を寄せる為の飾り物だそうだ大きな物は数千円・万円もする オモチャのような物だが、これがありがたいものらしい 本殿らしき所には、お酒が並び送った人の名前が下がっているこうしてお供えすることで、商売が繁盛すると考えられるのだろうか金・金・金の世の中の現実を目の当たりにしたようで、笑いが止まらいのは、不謹慎か 鰯の頭も信心から・・・と言う、昔から言われているが、ここではそうかも知れないと、変に納得 これは、鰯の頭ではなく「冷凍の鮪」 アルバイトらしき女性たちが、有り難げに笹を持って踊ったり、歌ったり これを数千円で買って 色んな物を笹に付けて飾るらしい ぶら下げる物色々 これが何だかわからない 賽銭箱が用意されていたが、入れている人は余りいなかった誰彼なく「トントン」とやっていた・・・見ているだけの虚空は叩かなかった この日の夕飯は、歩き疲れたので、近くで見つけたお店に入った 見かけはまあまあだが、昼に食べた「そば定食」には劣る この旅の最終日、1月10日「錦市場」へ行ってみた 京都らしい「おばんざい」の種類が流石である これも京都の名物「漬物屋」 荷物になるので何も買わず、眺める 京都の駅のシンボルタワー (このタワーが出来た時、高さ等が問題になってマスコミを賑わした事を思い出す)50年も昔のことだ 急に思い立った旅だったが、行ってよかったこの旅は18切符なので帰りも各駅停車・快速・新快速・特別快速等様々乗り換えて、帰った途中少しの遅れもあたが「東海道線」は、何も起きなければ乗り継ぎが良い・・・約8時間 今回の反省・・・乗ったとき、空腹でなかったので、お弁当を用意しなかった事・・錦市場で買えばよかった途中駅乗り換え時間が短く、満足な駅弁が買えなかった・・・たまにはハングリーの経験も悪くないが・・ 次は何処へ行こうかなーーーー
2015年01月23日
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東寺を見学したあと、何年振りだろう嵐山へ向かう シーズンオフの嵐山は人も少なく、歩きやすいが、この日気温も低く、渡月橋周辺は風もあるので少し冷えた。暫く歩くと知らない建物が見えた 小倉百人一首殿堂「時雨殿」 と書いてある友人は、百人一首が好きなので入ろうと誘う虚空は余り関心はなかったが、付き合う入って見ると、十分楽しめる内容であった(詳しくはの時雨殿くをクリック) 時雨殿でゆっくりして温まり、外へ出る頃は、ランチタイムである ランチなので「麺」がいいねーーと、意見一致、最初にであった蕎麦屋に入ることにした観光地なので期待せず、待っていたのが「ちりめんご飯セット」である一口食べてお互い顔を見合わせ思わず「美味しい」と言って笑った手打ち蕎麦であり、付いてきたサラダとご飯がとても美味なのだ大満足である、この店からは、渡月橋が見え、ロケーションも満点である 満腹のお腹を減らすため、ぶらぶら歩き、京福電鉄嵐山線に乗って、適当に歩くことにした、この沿線は、観光名所が軒並みである。 この路線、住宅にぎりぎりに走っている「江ノ電」に似た風景だ 何処で降りるか話し合っていなかったので急遽「等持院」で降り、一区戻りながら龍安寺へ行くことにした考えてみると、龍安寺は初めてだ 映像ではこの絵は何度も見ている初めて見た気がしないが、思ったより狭く感じる何故だろう人がいても静寂があるのは、この場の空気なのだろうか 外国人が多いと思った 日本を感じるにはここは絶好の場所だろう一度座ると、立ち難くなる良き所である この建物の回り廊下を歩くと「蹲踞」があった。 「つくばい」とは、茶室に入る前に手を清める手水鉢のことである・・手を出す姿勢が蹲踞に似る・・体を低くして「つくばう」事から付いたと言われる 中心に四角の水を受ける穴が開いている、その周りを時計回りに見ると、 五→隹→止→矢とある 中心の四角を「口」として当てはめると、吾唯足知となるこれが上の説明板の意味である奥深い言葉であり、自己反省の機会 大きな池があり、倒れそうな大木が支えられて立っていた・・・痛々しい 池には鴨らしい家族が悠々として見えた夕日が水面に反射し、美しい光が水に写る木の枝をとらえていた
2015年01月20日
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正月明けに京都に雪が降ったと言うニュースを見た常々京都の雪景色を見たいと思っていたので、今だ京都に行こうと、気持ちが動いた。ネットでホテル予約等考えていたら、青春18切符の記事が目に入ったエッ18切符って今やってる調べたら、売り出しは終わっているが、ヤフオクでは売りに出されている早速3回残りのチケットをゲットした。それが4日なので、入金は5日、送って来たのは6日、手間が掛かったが、又各駅停車の旅が出来る残念なのは、10日が使用期限なのだ 3泊しか出来ないのがちょっと辛い。それでも3泊のホテルを予約する折角なので1泊目は、岐阜の従姉妹に数十年ぶりに会う事と、岐阜の友人と飛騨牛を食べることにした。 東海道線を4回乗り換えて岐阜へ行く女性の運転手の姿を初めて見て嬉しくなった 名古屋を過ぎて岐阜に近くなると、空が広いと感じた、何故だろう 飛行機雲のようで、そうでもないような 岐阜城が小さく見えてきた この日の夕食(015・1・7)は、友人が約束通り、「飛騨牛」のお店に連れってってくれた サラダもたっぷり、焼き野菜、お肉はさすがの美味でとろけそう、追加してたっぷり食べた 次の日、岐阜名物「モーニング」のカフェに案内された、この店雰囲気も素敵 正月と言うことで、お屠蘇が出た 友人のメニューは「サンドウイッチ」付きコーヒー・・・これで450円 虚空のメニュー「お粥」付き紅茶・・・500円 岐阜独特のサービスだと言う・・・戦後岐阜は「繊維製品」の製造販売の産地として発展し、カフェの数は日本一らしい現在はその名残で、カフェの存続に各店がサービスを競っていると聞いた。この為市内の主婦たちは、モーニングのカフェに行き、朝食を食べ、友人とお喋りするのが日常だとか この旅でどうしても寄りたかった所が「近江八幡」である・・ここは1昨年金沢の帰りに1泊したその日は誕生日で、旧市街を散策し、歩き疲れながらぶらぶらホテルへゆく途中、見つけた所が「マッサージ屋」さんだった。初めてに近い経験だったが、その技術の素晴らしさに感動した。そこで、今回途中下車して、その店でもう一度経験したかった。幸いその時の方が居て、以前に増して、全身をほぐしてもらえた大満足し、体が軽くなり京都への電車に乗った 京都に詳しい友人が急遽同行してくれることになり、友人の案内でまず行ったのは「東寺」東寺が真言宗の第一の寺だと説明された・・・とても広く安置されている「仏像」も多いここに「彼が居るので会ってくれる」と言う 誰々講堂と言う建物に入ると、彼女はすーっと奥へ入ってゆく奥に誰か待っている 「この方」っと指さしたのは「帝釈天」なのだ 帝釈天に恋してると言うのだ像は、大きくなく、暗いのではっきり見えないが、確かに仏像というより男らしく「美男」である ・・・納得出来る・・・虚空も彼女のライバルになることにした この時「東寺」の五重の塔が「御開帳」していて、中を見ることが出来た 老桜の木
2015年01月17日
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国上山案内ボランティアの方の好意で「弥彦神社」に行く途中の景色紅葉が美しい 弥彦の参道は、人が少なく、寂しげである 参道にあるお店でランチを食べた「わっぱ飯」空腹でもあり、とても美味しかった 「弥彦神社」では菊まつりの真っ最中であった、何処までも「菊」が並んでいた ブログ表紙にした「菊で作った富士山」を見たりして、神社に向かう 1本から咲いた白菊で、こんなにも素晴らしい植木が数箇所置かれていた この大輪はよくあるが、見れば見るほど、花弁の一つ一つが生き生きとして大輪を作っている素晴らしさが見て取れる この菊、不思議な花弁の流れに、虚空は「台風の目」と名づけた駅への道からは少し回り道だったが、もみじ谷と言う所へ寄ってみる 途中から、残っている紅葉が見られちょっと期待が膨らむ 溝には「下もみじ」がたっぷり これも十分美しいもみじ ここを潜るといよいよ「もみじ谷」である 残っていた 1時間に1本と言う電車が待っていたチケットを買うのを待って、乗せてくれた 帰りの窓から見られた「弥彦」の夕日が心に沁みた この旅で、諦めていた「紅葉」が上に下にと最高の時期であった何もかも「良寛さん」の贈り物と価値付ける我々は幸せ者だと頷き合う この地に来て良かったまた来たいねーー と、何度言い合ったかな この日長岡で1泊、美味しくて心地よい雰囲気のレストランで最後のディーナーを食べた次の日友人は、帰りが遠距離なので、朝食後別れる 虚空は、ずーっと前に読んだ司馬遼太郎の「峠」の主人公「河井継之助記念館」を見学忘れかけていた記憶を、奥から引っ張って想い出しながら、読後感動を再び味わった そして「山本五十六の生家」等を散策し、午後の列車で帰った 旅は何時でも何処でも全て良し・・・非日常がそこにある 覚書 「シューマンの指」 奥泉 光
2015年01月15日
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今日1月6日は良寛さんが亡くなって、183年の命日である 五合庵から山道を歩くと、大きな吊り橋に続く、渡り始めは勇気がいったが いざ歩き始めると、見晴らしよく揺れに身を任せて、前に・・・ 吸い込まれそうな林が眼下に 展望台に辿り着く、こうして見ると山々があることがわかる この日は、途中小雨が降ったり止んだりしたので、樹木にはたっぷり水分がある後半は雨も止み、スッキリ晴れて来たが 遠景はぼんやりしている 分水の街もくっきりは見えないが、美しい 水蒸気が上がってゆく様をこんなにはっきり見たのは、初めてのような気がするまるで温泉の湯が沸いているようで、見事な自然現象である 展望台の色付きも、我々を待っていたように華やかであった 渡ってきた吊り橋が下に見えるのも、面白いよく見ると安全対策が施されているどのようにして掛けられたのだろうか考えても分からなかった ここにもあった良寛さんと子供達 この後、歩き始めた場所で案内のボランティアの方とは、お別れするのが普通だがその方の好意で、「乙子神社」を案内して頂いた。この立て看板にあるように、良寛さんは五合庵から、少し下ったここ「乙子神社草庵」で10年と言う歳月を生活された 乙子神社本殿 前日に縁があった「拓本」はこう言う場所の石碑から作られるが、ここの啤にはこんな事になっていた 見たこともない「鳥居」があった 旅は人との出会いで旅の厚味が増すことがあるこの日のボランティアさんとの出会いで、大きな思い出やお土産話が出来た乙子神社を案内して頂き、その上もし行けたら行きたいと思っていた「弥彦神社」まで車で乗せていただいた 。我々の為にお忙しい時間を作っていただき感謝感激である・・・・・・・そしてもう一つ、 後日談・・・挨拶もそこそこに名乗りもせず帰ってしまったので、気持ちが残っていた 前日の「拓本」のことを話したら、連絡先を探して下さった 帰宅後、ホンの少し皆さんへとお茶菓子を送った・・・・・その後、時間を置いて大きな「米袋」が届いた記憶がない名前である中を見たら「手紙」があったアッ 思い出した「拓本」の方だった・・・自宅用に米を作っている物を送ってくださったらしい 我々が「拓本」に興味を持ったのが印象的だったとか長くやっているが、あんなに喜んだ人は初めてだと言うことである・・・こちらこそ嬉しくて、寝付けないほどだったのだ この出会いで、もう一度良寛さんを訪ねようと、二人は話し合ったそして、拓本の方たちとも是非、再開したいと・・・・・何時になるかわからないが、そんな日が来ることを・・・・願って
2015年01月06日
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年末年始出入りが多く、バタバタしてしまう年々正月が億劫になっている それでも元旦深夜の初詣に行く・・・今年も神楽が賑やかに催合うされ気分は否応なく、新年を感じさせられた 今年の正月の天気は上々だった 良寛さんの旅に戻る この日、事前に燕市の観光協会に「国上山」ボランティアガイドさんを依頼していた待ち合わせ場所まで、ホテルの車で送って貰った この山は320mあり、相当山を上がってきた そこでガイドさんが待っていて下さり約2時間の案内をしてもらうことになった まず初めは 良寛さんが20年に及ぶ居住した草庵のある、国上山の本殿「国上寺」この寺は歴史のある古刹である 鎌倉時代の逸話がこの寺と繋がっている この時期(11月19日)とても美しい紅葉に出会えた秋の好きな虚空としては美しい風景を目にすると、喜びで無口になる 古寺である事が、見るだけで感じられる 裏もみじ このもみじを見た時「裏を見せ表を見せて散るもみじ」と言う良寛さんの辞世の句が頭に浮かんだ 本殿の前 この日、急な階段や道を相当歩く 間もなく来る冬の気配が漂う 五合庵への階段をゆっくり降りる 下もみじの様が目を奪う 長い階段を用心しながら降り、付いてゆく 良寛さんが20年も暮らしたと言う「五合庵」・・・感動が走る この草案は1914年、ちょうど100年前に 再建されたものだが雪深いこの地での生活を想像するが、想像すら出来ない 良寛さんの句を、石碑に刻んだもの・・・こう言う物を「拓本」にする 前日の拓本研究会の方達との出会いで、句碑の文字がとても近く感じられた この句の意味がわかった訳ではない・・・
2015年01月03日
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「分水良寛資料館」は分水の駅から徒歩十数分にある前日「出雲崎の資料館」この日、「和嶋」の資料館も見てきた良寛さんの縁ある所には、資料館がある 良寛さんがいかに沢山の書・詩・俳句等々を残されたかが目で見ることができる、 ドキドキしながら、感動しながら見せてもらった 資料館のロビーのようなところから、トントンと言う規則的な音が聞こえてくる何だろうと思い、音のする方へ行ってみた 若しかしたらこれって「拓本」 そうだと言う返事拓本は見たことはあるが、作るのを見るのは初めて ずーっとただ黙ってお邪魔しないように見せてもらう この日は4人でされていた・・・この4人の男性たちがなんとも言い難い味のある雰囲気なのだこの方たちの静かな会話と、ゆったりした動き拓本にマッチしている、まるで絵のようなと言ったら、おかしいのかなーー この地元の人たちで、「良寛さん」が好きで好きでと言う方々良寛さんの「文・詩・句」等々だけを「拓本」にしているのだそうだ 後で別の方から聞いた話で、この研究会の場所は別に有り、この日場所が空いてなかったので初めてこの場所で「拓本」作りをしておられたと言うことだった 偶然とは言えない出会いである 二人並んで見せてもらっていたら、「やってみませんか」と声をかけられたまさかまさかできる筈はないと、尻込みすれば、「大丈夫、教えるから」と言う二人で目で頷き、一から教わる事になった 一番字数の少ない作品を少しだけやらせて頂いた何といっても初めてのこと、殆ど無理、そこで皆さんが手を出して下さり やっとのおもいで、1枚づつ仕上げた 我々はその日少ない電車で「寺泊」までゆく約束があり 電車を1本遅らせ、この場を愉しませていただいた、想定外の出会いだったこと、中身が良寛さんだった事、こうしてこの日も「良寛さん」の存在がそこここに感じられた 帰りに、この作品の他、皆さんが作られた作品合計8枚も土産にと下さったあまりのことに申し訳なく、有り難く、気持ちを頂き、表装して大切に保存しようと頂いて来た ・・・何となく別れがたい人々であったこれには後日談もある・・・後日書くとする 和嶋の資料館前の紅葉が美しかった 皆さんと別れ、分水駅へ行く道すがら大きな「かりん」木があった 家主の方が、カリンを玄関先に置いて、好きなだけ持って行ってと言われた カリンは風邪薬に良いと言われているが、虚空は荷物になるので、残念ながら見るだけ 友人は、スーツケーツに空きがあると行って、少し頂いた 右側の「能登仁旅館」は水上勉さんが、取材の時宿泊した宿我々もそうしたかったが、この宿「廃業」していた残念 この日の宿は「寺泊」の海のそば、夕食は海鮮物で一杯とてもよかった・・・大浴場が最上階に有り、これも良かった 良寛さんに会いに来て、毎日ご馳走ばかり食べていると、気が引けて申し訳なくて、と思いはあるものの、この近辺の宿は、こう言うところが多い良寛さん御免なさい 覚書 「花の歳月」宮城谷昌光
2014年12月27日
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今新潟は雪の中だろうか良寛さんを訪ねた旅の続き・・・ 出雲崎から乗った電車の窓外に見たのは、鷺らしき 集団こんなに沢山の鷺を目にしたのは初めてうれしい この駅から歩いて行く先には、この日の目的地がある この駅には「コインロッカー」は無いそこで駅前のこのお店にお願いして、荷物を預かって貰った・・・とてもありがたかった 人も車も見かけない道をてくてくと歩く 聞く人もなく、本の説明を読みながら、大凡に検討を付けながら・・・何とか行き着けた 「隆泉寺」良寛さんが眠る墓がある 立派な鐘楼もある 良寛さんの弟「由之」さんと並んで墓があった良寛さんの意思と関係なく、遺族・友人が建てたのだろう 寺の1角に「良寛さん」の像があった、最後の紅葉に囲まれ背中を丸めた良寛さんは、どんな気持ちであろう ここは、終焉地「木村家」の一角、良寛さんの部屋の跡 良寛さんの終焉の地からの帰り道、 友人と二人、無言で駅へ荷物を預けたお店にお礼を言い、次の目的地「分水」へ 水上勉「良寛を歩く」を読んでこの旅に出た 「生誕の地・終焉の地 」を歩いた250年前の事であるが、この数ヶ月、良寛浸けになっていた虚空は、良寛さんに会えるような錯覚さえ覚えながら、この地へ向かったのである 季節柄か、人一人、会うことがなかったこの地は、良寛さんが迎えて下さったような気持ちになれた友人も同じ感覚だったようで、不思議な時空を共にした 良寛さんは、出雲崎名主「橘屋」の長男と生まれたが、18歳で突然剃髪し、出家し禅僧となった4年後、諸国行脚の旅に出た38歳で父を亡くし、39歳で故郷に戻った その後、出雲崎を中心に、各地に庵を結び、生涯「寺」を構えず、「托鉢修行」の生活だった 最晩年は豪商「木村家」の一角に部屋を借り、そこが終焉の地となった良寛さん74歳 禅僧だった良寛さんの墓は、浄土真宗の寺「隆泉寺」にある宗派を超えた深い信仰を極めた人と言われる この後、行く「分水」で良寛さんに出会う・・・(014・11・18)
2014年12月26日
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この日は、ゆっくりホーチミンの街を散策する 町のあちらこちらで見られる物売りの人、これは何を売っているの 三角帽子(菅笠)は、この国の人が男女を問わず、被っている 陽除け、雨よけに効果絶大らしい雨の多いベトナムで、余り傘をさしている人は見なかった 、気温が高いので必要ないのだろうか バスターミナルの前にある「ベンタイン市場」 1907年に建設が決定し、1914年に完成、第二次世界大戦時に大きな被害をうけ、1950年に改修が行われ現在に至る。伝統様式により建設された巨大な堂の中に個人商店が数畳の店を構えてひしめき合っている屋内市場である。周辺は日が落ちると、巨大な屋台が埋め尽くす夜市となり、ベトナム料理を肴に酒を飲む観光客や市民でにぎわう。 花束の作りも、南国らしくカラフルで素敵 果物の種類が多く、見たことのない物がある 沖縄にはある物が多いらしい 食堂も色んなモノがあり、賑わっている美味しそう お店の人もランチ ・・・ソウルの東大門でも見たことあるような ぶらぶら歩いたら、「サイゴン川」に出た・・・ここまで来るには沢山の道路を渡るので、緊張の連続・・・川を見て少しホッとする この日の温度は34度大きな木の下は人が集まる 台湾や香港で見たことある「木」 「サイゴン中央郵便局」 観光名所 1891年の当時のフランス領、インドシナ郵便電信施設として完成したパリ・オルセー美術館をモデルにし、鉄骨設計はギュスターヴ・エッフェルが手がけた・・・ 観光客の郵便受付で長い列が出来ていた虚空も肖って出した絵葉書は、約2週間掛かって届いた 中央にはベトナム戦争の救世主「ホーチミンさん」の優しい笑の肖像画がある 始まったばかりの「ベトナム旅」先が楽しみかどうか世界は広くて「エキサイティング」
2014年12月23日
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何時何があっても後悔しないよう、やりたい事は先延ばししないそう思って日々を過ごそうと決めている 良寛さんの旅から帰って、余り時間が経っていないブログも途中だが、思い切って出かけた 12月だけ自由になる友人からの誘いで、「ベトナム縦断の旅」に同行させてもらった 彼女とは、スペインの旅で知り合い、ここ数年12月に旅をしている ・・・今回は成田で合流し、「ホーチミン」へ向かった 約6時間余りで出た「機内食」和食を選択・・・美味しい (014・12・5) ホーチミンに近くなって、「メコン川」が見えてきた川は、何処までも続く 水の豊かな所らしい 市街が見えてきた住宅が密集している 空港から市内へ向かうバスから見てバイクの多さにびっくり この風景で、とても自由に歩くのは困難だろうと意気消沈 バイクと車の波を渡るのに、大げさでなく命懸けだった4人の人に聞いて、やっとホテルへ・・・緊張がほっとゆるむ 設備もロケーションもとても良い ネットでは、バスタブありだったはずが、ツインには無いと言う仕方なく諦める・・・暑い所なのでまあ良いだろう 一休みして夕方、ホテルを一歩出ると「爆音」道と言う道は 「バイク」で埋まっている 信号はあるにはあるが無視して四方八方からバイクがやってくる地元の人らしい人につながって、びくびく横断する この日(金曜日)からお祭りで、公園広場は人が一杯 食べ物屋台も出て、食事をする人で賑わっていた 次の日、ホテルから見た空が 良い 朝食はビュフェ、品数が豊富、主食は「パン」「ご飯」「フォー」 副菜も多い、デザート・果物も一杯 ベトナムは「食」が美味しいと聞いていたが、本当にびっくりこのまま食べ続けると、体重が気になる・・・困った ・・・前日バスを降り、スーツケースを引いて横断歩道を渡るのに、あまりのバイクの多さに困っていた。そんな時、スーっと前横に若い男性が立った、無言でちらっと我々に、目で、一緒に渡るように促してくれた必死で彼の後に付いて渡ることが出来た。お礼を言う余裕もなく、気がついたら消ていた あの人何だったの天使神様仏様そんな感じだった その日から10日間、ベトナムの道の横断を、事故もなく出来るようになった
2014年12月20日
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良寛記念館・良寛と夕日の丘公園は街の中心辺りから、急な階段を結構上って、少し坂を上がるこの日は小雨で、気温も下がっていたこの階段は雪国らしく、屋根がある 記念館には、良寛さんに因む数々の品が展示されていた公園から下を見ると、出雲崎ならではの風景「妻入りの街並み」が見渡せる、海岸地区3.6キロ続いていると言う 妻入りとは・・・屋根の形が山折の二面構成の町家で、屋根の端の部分(妻)を街道の方に向けて正面として、その面に入口(玄関)があるつくりの家のことを妻入りの町家と言う 約60年前までは、方向は海だった数百年前の固定資産税は、間口の広さで決められていたのでこの町の家は、奥行が深く、しかも隣が壁一枚である家の中は明かりが入らず、どの家も暗かった今は、明り取りの窓を作っているが、やはり家の中心は暗い 雨が止み、うっすらと佐渡ヶ島が見える 、下には、良寛堂 公園には、手鞠を持つ良寛さんと子供たちの像があった 公園から降りる途中で、少しづつ譲り合い、窓が見られる 海岸に突き出た場所に行ってみた 「夕凪の橋」と言うらしい 海に出ているので、冷たい風が強く、冬は辛い場所 街歩きで見た干し柿の家 この立札は亡くなってから何時まで立てて置くのだろうこの日、11月17日なので若しかしたら49日まで広くもないこの街で、4~5軒同じ立札を見た 宿での夕食膳、肉系無し、海の幸が沢山・・・とても美味しかった 朝食も海の幸がたっぷり、幸せな食事で気持ちも幸せ一杯 宿の部屋から見た庭は、良い季節にはここでハーブティーが頂けるらしい この日我々を歓迎するように、久々の青空が この季節には珍しいと言うことだった バスに乗って「出雲崎駅」へここから良寛さんの「終焉の地」へ向かう この日は、想定外の素晴らしい出会いが待っていた
2014年12月03日
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長岡からバスに乗って、約50分「出雲崎」へ この日は越後らしく少し寒く、雨模様のすっきりしない天気だった 越後の冬は早く、日差しのある日は少ないと聞いていた 道路は何処までも美しい 山を越えて行く地であることがトンネルを通る事で実感した 秋冬の季節、まだ紅葉が僅かながら残っている 今夜の宿に荷物を預け、町をのんびり歩く 人の気配がなく、静まり返っている出雲崎の街並み この窓のない木の壁の間には、家があった人口が減り、家が無くなり、所々こんな風景を目にする 家と家との境は、極狭く、隙間から「海」が見える この家は、石油王と言われた人の家だったが出雲崎に寄贈された 新潟は、石油の産地でもあった この街では、珍しい作りの家である この旅のテーマ「良寛さん」「光照寺」は良寛さんが得度をした寺 町中から少し坂を上がったところにある・・・この頃から良寛さんの気配を少しずつ感じ始める 生誕の地は、何も残っていない92数年前この地に「良寛堂」が建立されたと書いてある 良寛堂を背に、良寛さんが風雨に晒されて座っている傘をかけたい気持ちになる 目の前は日本海そして「佐渡」が見える この日、この時間、雨が止み、 横たわる「佐渡ヶ島」が見えた この数日全く雨が止まず船が出ない日々だったと言う、薄い日差しが見えたのは久しぶりだと宿のオーナーから聞いた 「良寛さん」の本を読むまで、全く知らなかった場所でありこうして、この地へ足を運ぶとは、思いもしなかった 縁あって、良寛さんに巡り会えたのは、友人のお陰僥倖である 初日は、ここから始まった、この旅でも素敵な出会いが待っていた 覚書「三十光年の星たち」 宮本輝
2014年11月29日
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東北旅がまだまだ残っているが、後回しで先週行ってきた旅を先にアップする この夏のある日、何時も一緒に旅をする友人から、「秋の旅は良寛さんに会いに行きませんか」とメールが来た良寛さんなになに[水上勉の「良寛を歩く」を読んで見てーー]と言う宿題を貰った。早速本屋に走る全く知らない事ばかり良寛さんってこんなすごい人だったこの夏は、「良寛浸けになった」他に3冊買って読んだ旅に出るその日を待った、そして行ってきた 18切符はないが、全て鈍行(各駅停車)で行く横浜高崎水上長岡(2回乗り継ぎ約6時間) 水上は山の中である この先、諦めていた紅葉が待っていたので、本も読めず窓外に目を奪われっぱなしの行程であった 水上からの上越線は、スキー場の絶景が続く車両を使った「レストラン」が並ぶ 雪のあるゲレンデが見えてきた スキー場は間もなく、スキーヤーで賑わうことだろう この雲を何というのだろう 新しい雪なのか越年の雪景色なのか 紅葉の山に雪が降った この川は何というのだろう 若しかしたら長岡に近くなったので信濃川の下流だろうか この沿線は美しさが途切れる事がなかったときめくのは、 良寛さんへの気持ちだけではなく亡き母の故郷へ行くのだから 何時以来だろう懐かしさがふつふつと心を揺らす 四国からやってくる友人と「長岡」のホテルで合流する彼女は、早朝バスに乗り大阪金沢 長岡 にやってくる・・・半年ぶりの再会である うれしい楽しい旅が始まる 覚書 「沢庵」水上勉 「芭蕉」岡本勝
2014年11月25日
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この旅で観光気分になったのは、ここ「浄土が浜」だけ この遊覧船に乗り、約40分のクルージング 船好きの虚空は 久々にちょっとときめく 随分客が少ないと思っていたら、出発間際に 団体さんが2組ドーっと来て、満席になり、船が動き出す。何処からか「かもめ」がこれも団体で付いてくる。船の中で、かもめ用の餌(パン)が一個100円で売り始められ人の騒ぎ(ギャーギャー)と、かもめの鳴き声で、 五月蝿いのなんのいやはや、説明のアナウンスが聞こえない これは「ローソク岩」と呼ばれている・・・なるほど だんだん波が荒くなってきた 後半船上は、何かに掴まっていないと、危なくて動けないカメラのシャッターを押すのが難しい 船酔いの人が続出したらしい・・・虚空は楽しくて 何処までもかもめは付いてくる 波が強い日だけに見られる「潮吹穴」この日は数日ぶりに見られたという、ラッキーだった 「日出島」・・・朝日が昇る島、学術的に貴重な地層の宝庫国指定の 天然記念物 この日難義しながら歩いた、「浄土が浜大橋」を海から見た 少し感動が走るなんだかうれしい 穏やかな「内海」がある 宮古へはのバスは、海の近くを通り、「津波浸水区間」のポールがあちらこちらに見られた 浄土ヶ浜の名前の由来は、天和年間(1681年 - 1684年)に、曹洞宗に属する宮古山常安寺七世の霊鏡竜湖(1727年没)が「さながら極楽浄土のごとし」と感嘆したことから名付けられたとする説がある 行きたかった場所に行けて、よかった 覚書「疾きごとく」・・伊東潤 「鍵のない夢を見る」・・辻村深月
2014年11月03日
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宮古には、「浄土ヶ浜」と言う場所がある一度は行ってみたいと、憧れの地だった 今回の旅で、宮古を連泊したのも、「浄土ヶ浜」へ行く事を決めていたから・・・ 「田老」へ行くバスの中から、「浄土ヶ浜」の方向がわかった帰りに乗った「宮古行」のバスのドライバーさんに、「浄土ヶ浜」へ行く方法を聞いたが「宮古」へ帰って出直した方が良いと言われた来る道で「浄土ヶ浜」の標をみたので、歩きますと言って、バスを降りた ドライバーさんは、「歩くのは距離がありすぎる」と心配顔だった これが、土地を知らない旅人の「無謀」な行動であることを、歩き始めて知ることになる 人も歩かない道をてくてく歩く人家が無いので、聞く人もいない 何処からどう行けばよいのか それでもやっと「浄土ヶ浜線」に来てホッとした少し疲れたので、木陰を見つけながら、のんびり歩く 寒い国で雪も多いのだろう、この道は登り坂が続く 苔の美しさに心和む この道は車が通るので、バスもあると想定していたのが大間違い後でわかった事バスが通る道は、全く別の道だった 来るであろうと心待ちしながら、歩くと、下界が見えた 相当疲れた(気持ちも)頃、こんなところに出た 橋の上から見えたのは 右側は、津波災害の被害地 左側は、景勝地 美しい景色に出会い、気持ち立ち直る 大橋を渡り暫く行くと、「仮設住宅」が沢山並んでいた仮設があるとは聞いていたが、周囲にはお店どころか、人家もない まるで見放された場所に思えたこの地での生活はどうされているのだろう申し訳なくて、近寄れなかった この地には、高級ホテルが1軒あり、そこでトイレを借り、山から下りる道を歩く やっとの事、「浄土ヶ浜園」ビジターセンターと言う、駐車場・バス停のある所へ着いた バスで来る観光客は少なく、観光バス・車が殆どバスは、一日数本と言う場所だった 無謀と言うより無知だったが、大橋を歩いたり、仮設住宅を見たり、人の行かない場所に出会える事も、無知の効用かなそれにしても、遠かった 来ない、来るはずもない「バス」を期待した愚かな自分を知る機会だった 覚書 「一茶」 藤沢周平
2014年10月24日
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日差しの強い日だった、田老駅を目指して歩き、見つけた 想像より高い位置にある 田老駅は、岩手県宮古市田老字小林にある 「三陸鉄道北リアス線の駅」であり、日本の私鉄で最東端の駅である かつて田老町観光協会が受託する簡易委託駅であり、出札窓口などを備える「田老物産観光センター」を駅舎として有していたが、東日本大震災によりその駅舎は外壁を残して全壊ネットから見つけた災害前の田老駅 更に駅舎とホームの間を結ぶ階段も瓦礫で埋め尽くされたほか、駅周辺の一部箇所で津波に晒された。その後、駅舎は取り壊され、現在は完全な無人駅と化している当駅前一帯が津波で大きな被害を受けて線路上に瓦礫が散乱するも、ホームの倒壊は免れた 階段を上がる 駅の屋根が目に入って来る、殆ど錆ている ホームの倒壊が免れたので、待合室もある 駅の前に簡易トイレがあり、大変ありがたかった ホームから海方面を見ると、相当な高さがあり 線路まで津波が来たとは、想像するだに恐ろしい 一日数本の列車があるが、この駅の乗降は少ないだろう この旅で、この駅に往復止まったはずだが、記憶がなかった 下記の 写真もネットで見つけた 災害前の田老の街並み 今の現実を見ると、信じがたい風景である みなさん、何処へ行って生活されているのだろう 田老から帰るバスは、1時間後にあったので、周辺を一人 歩いて眺めているのも、気持ちが塞ぎがちになる場所だった コンビニも無く、休むには駅の待合室だけ 時間通りに来たバスには、誰も乗っていなかった 帰りのバスで、ちょっと無謀かもしれない事をしてしまった この先、田老と言う街の動静を、注視してゆく気持ちにさせられた 011・03・18田老の現場の動画 You Tube から 覚書 「償い」 矢口敦子
2014年10月18日
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周辺で一番津波被害が大きかった所を、宮古の観光案内所で聞いた 田老(たろう)と言う場所だった。宮古駅からバスに乗って約30分 途中、トンネルがあったり、大きな病院へ寄ったり、バスは市民に取って、大切な足であるしかも、本数は少ない しかし、乗客の殆どは、途中で下車し、田老まで行ったのは虚空一人 何となく不安になるも、田老地区に入って風景が一変する 人を寄せ付けない場所になっている、人家が山側に点在するが、海側には家屋も見当たらない。この地区には4400人が住んで居た ここは「津波太郎」と言う異名がある程、津波の多い地区である 津波による歴史が物語る 江戸時代初期の1611年に起きた慶長三陸地震津波で村がほとんど全滅した 1896年(明治29年)6月15日 - 明治三陸地震で発生した 高さ14.6mの津波が襲い1859人(村人口の83%)が死亡 1933年(昭和8年) 3月3日 - 昭和三陸地震による大津波では911人(村人口32%)が死亡。 1958年(昭和33年)3月 - 最初の堤高10m超の防潮堤が完成。その後も増設を続ける。 1979年(昭和54年)長さ2433m、高さ10m(海面から)の防潮堤が完成 「日本一の防潮堤」「万里の長城」――。住民たちは、そう呼んで信頼を寄せていた。岩手県宮古市田老地区にあった全国最大規模の津波防潮堤。防潮堤は安心のよりどころだった。だが、『防潮堤があるから』と逃げ遅れた人も多かったのではないか 2011年3月11日東日本大震災の未曽有の大津波にはなすすべもなく、多数の死者と行方不明者が出た。 ネットから 田老は今、何処もこんな風景 日本一の防潮堤 防潮堤の一部が残っている 道を歩く人は居ない、歩きにくい道路は土埃をあげて、大型の工事車両が頻繁に行き来していた 覚書 「一休を歩く」 水上勉良寛「手毬」 瀬戸内寂聴
2014年10月13日
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2011年12月10日の深夜 素晴らしい皆既月食を見た 今夜の空模様は残念ながら ご機嫌ナナメ(\_/) 18時過ぎからカメラ片手に空見上げ 約1時間半 遂にすごすご引き上げた お天道様も晴れもありゃ、曇りもアラーーと それでも、そんな中で、ホンの少しだけ お月様が ご挨拶「「ウインク」」 こんな写真では、月食なのかどうか 見ただけでは判断出来ないが、記録だから 無理やりアップすることにした もう今の時間(21時)は、復活し始めているはずだが 空は益々雲が厚くなって来ている 18:28分 18:29分 18:53分 18:54分 同時刻の周辺 と言う事で、天体ショウも中くらい 西の方は晴天で、素晴らしいショウが見られたらしい よかった よかった 覚書 「一休の言葉」 松本市壽
2014年10月08日
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宮古は「三陸鉄道」「JR」 の2つの駅舎がある 海に面した道路には、こうしたポールが沢山ある これを見る旅、どきっとする 穏やかな海を見ていると、津波の傷跡が見えてこない 半島の向こう側が、太平洋である 入り江になっているこのあたりも、被害が大きかった ホテル前の海岸を散策する 散歩に来たという地元の人から、この場所の被害の大きさを聞いたこの人は暇らしく、自分の事を含め、この地の事等沢山の事を話してくれた、そしてこの道を少し行くともっと素晴らしい景色が見られるから、是非来てと誘われ付いて行ったが、その距離は近くなく、帰り道が気になった「馬には乗ってみよ・人には添ってみよ」と言う言葉がある この旅の「人と話そう」を叶えるため、付いて行った 人の縁は、偶然ではない 話を聞きながら、陽が落ちた道を暫く歩いて振り返ると、この地の明媚さが見える この景色を見せたかったようだ 一人では決して来なかったので 感謝して別れた・・・ホテルまで、夜道を20分以上掛かった 今回泊まったのは、現地で聞いて分かったのが、「災害復旧支援ホテル」の一つだった 昨年宿泊先が見つからず、苦心したので、今回は全泊予約を入れておいたここは、復旧作業に参加する人達優先のホテルらしく、長期滞在者が必要な設備・サービスが行き届いていた 虚空のような旅人は少なく、出張サラリーマンらしい人は多かった部屋は広く、新しい上使いやすく、とても良かった但し、この場所は、駅からバスで20分近くかかるバスに乗って来たのは、虚空ぐらいなもの殆ど車である ホテル周辺には、店は無いので、2食付はありがたい 常駐者の為か、家庭料理に近い献立で、味も良く毎日内容が違うらしい・・ここなら長期滞在も悪くない 初日の夕食 朝食 ・・・食事は全てビュッヘである 覚書 「黒猫堂商店の一夜」 藤宮 史
2014年10月02日
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前日乗った、三陸鉄道北リアス線「久慈駅」から「宮古」に戻るこの日の列車は、「クウェート」からの災害支援で作られた車両新しく、乗り心地も良い・・・贈られた善意の気持ちも伝わる 車内は明るく、左右前の席は、テーブルがあり、字を書いたり、読んだり出来、使いやすかった ここまで来る時の列車は、殆ど「ワンマンカー」である都会のバスと同じシステム この風景はまるで、畑のように見えるがここは、町があり、沢山の家があった 今は、草だけが生い茂り、何の手も入っていない 住民たちは何処へ 線路が高いところにあり、美しい景色が望める 線路わきには、初秋の草花が連なって見られる 途中からドーッと乗ってきた「ツアー団体客」が3区程乗って、どーっと降りて行った・・・車内は静か 遅い午後、「宮古」に着いた駅は、ドアからドアの目の前である ホームにあった意味不明の置物 ランチタイムも過ぎた時間、駅周辺の食堂は何処も開いて無い地元の人に聞いた「生鮮市場」へ歩いた(約15分) やっていた食堂に入り 今日から夕食付のホテルなので、軽く「海鮮ラーメン」を食べた数種類のシーフードとわかめが一杯・・・さすが、海が近い食堂・・・さっぱりした美味しい味 市場の中は、ランチタイムが終わり、人が少ない この場所は、地元の農家の方々が、 自家製の産物を持って来て、売る場所 左の店の女性が、熱心に勧められるので 新鮮取れたての「葡萄」を送って貰った 旅先で残念なことの一つ その土地の美味しそうな生ものを持って、ホテルへ帰れないこと 日頃の「主婦心」が時々目覚める 長期滞在やキッチン付のホテルはあるが・・・ そうは言っても、自炊をする必要が無いのが、旅の楽しみでもある ここ「宮古」からのホテルは、朝夕食付で期待一杯 食いしん坊の出来心・・・まだまだ修業が足りない 覚書 自由訳「良寛」 新井満
2014年09月28日
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ホテルからみた久慈の町 町を囲むように、低い山がある・・・ この町は故郷と言う言葉が似合う 久慈市の立地 被災前の久慈地下水族科学館は、日本で唯一の地下水族館で、約200類2,000匹程度の魚介類が展示されていた。トンネル水槽では頭上を魚が泳ぎ、地中にあって海中にいるような体験が出来た2011年3月11日の東日本大震災で被災して以降休業中であるが、市街久慈駅前の空き店舗を利用し「もぐらんぴあ まちなか水族館」として仮営業している。 仮営業中の場所は、駅から直ぐにある 。水族館は、好きなので時々行く 新しい場所は海近くに計画中だそうだ 仮営業中のビルは、何かうら寂しげである 余り時間もないのに、美しく、逞しい魚たちをゆっくり見ると心和む 仮の場所ながら、魚たちは元気にしていた 水族館を出て、街中を散策した 駅の前の風景 夜の街は人が見られなかったが、昼も殆ど人がいない 岩手県は、「みちのく銀行」なのだ JR 「久慈駅」左隣は 「三陸鉄道「久慈駅」今回は「三陸鉄道」に乗る 駅前を眺めるが、ここも静かである列車は一日何本もないので、乗客は乗車時間にならないと集まってこない 昨年の三陸旅では、宿泊先が殆ど満室で、とても困った経験から 今回は、全宿泊予約をして出かけた 出来れば久慈でもう1泊したかったが、 次の予約を入れていたので 残念ながら、この日の午後、昨日乗った「北リアス線」で宮古に向かう事にした 行ってみなければわからないことが多い 縁があれば、「久慈」にまた来たいと思う この旅の目的の一つ「三陸鉄道」南北線に乗る事だったので 目的は果たした ・次は今回のメイン先「宮古」へ 覚書 「三屋清左衛門残日録」 藤沢周平
2014年09月26日
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青春18切符はJRのみ有効、この日の行き先は 「三陸鉄道北リアス線」なので宮古から久慈行のチケット(1850円)を買う ホームに行くと、こんな車両が目に入る 待っていた列車が何だか場違いな 雰囲気が漂って見える 車内に一歩入ると何かの間違い「オリエント急行」 乗客は少ないが、重厚な車内に人々は雰囲気に合わせて静かで、心地よい 早速トイレもチェック普通の列車の倍以上の広さしかも、窓がある壁は黄金色 感動を乗せて走り出した車窓は何処までも津波災害の傷跡が生々しく、現実に気持ちが引き戻される 巨大な壁を作り始めていた この日「久慈」駅近くで見た夕日 「久慈」駅は開業30周年だとか この時間、学生が帰宅の時らしく、見られた 夜の街中は、人も車も殆ど見られない 駅で、色々聞いたスタッフが、災害当日の事その後の事等、1時間以上話をしてくれた津波をビルの上から見た話しは臨場感あふれ、恐怖が伝わった 簡単に寿司屋で食べた後、気になる店で一人酒・・・のはずがこの店の常連客と話が弾み暖簾を下ろすまで、お邪魔してしまった 今回は、この日から津波の現場を見た人々数人から話を聞くことが出来た・・・これから始まり・・・・・ 覚書 「一命」 滝口康彦
2014年09月20日
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東北本線仙台から小牛田経由 一関・盛岡・宮古乗り換えで目的地へ 約9時間の行程である 「小牛田」(こごた)は懐かしい昨年もこの駅から乗り換えて帰った 盛岡から宮古(山田線)約2時間は単線である 車内の座席は埋まっている この路線、一日4本のみ乗れるのは貴重な列車 ゆっくり本を読む予定だったが、窓外に気持ちを奪われ 前・後に立って、ずーっと線路を見ていたかった 他にも同じ気持ちの乗客達が多く、立ったり座ったりの観光客 盛岡から3つ目の「上米内」は歴史のある駅らしい 駅長さん、一日往復10本程度の列車なので 空き時間は何をしているのだろう 殆ど山の中を通る、気持ち安らぐ路線である 非日常の極致 トンネルがすこぶる多い この川何川だろう清流である 2時間で宮古に着いた・・・初めての地なので、何となくうれしい ずーっと来たかった所だ ホームから見た駅前・・・思ったより都会 海外より遠くへ来た感動がある この日はここからまた、この日の目的駅までの 乗り換え時間(40分)を楽しむ ・・・・・
2014年09月13日
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8月の末から9月へ1週間、3年連続3回目の東北三陸の旅をしてきた 青春18きっぷは、24時間乗降自由(普通席のみ)5回分綴りのチケット 学生の夏休みの旅を誘導する目的だろうか 年齢関係なく使えるので、わたくしもこれで旅を決めた 初日、神奈川~朝出発宇都宮黒磯郡山福島仙台 4回乗り継ぎ仙台へ約8時間 宇都宮から車内はらくらくである 郡山行の電車を待つ時間で、黒磯の「駅そば」を食べる乗り継ぎの客で、蕎麦屋さんは忙しい 黒磯を乗ると、たわわに実った「稲穂の緑」が 両窓から目に入ってくる 郡山は3分の乗り換え時間忙しい 途中駅「伊達」 この電車からワンマンカーで、乗降のドア開閉は、客が自分でやる 開くのを待っていると、降りられない・乗れない 何川なのか美しい 東北は何処までも、実りの秋を迎えていた 稲穂を見ると心が安らぐ この日仙台では何軒かの店で食べているが、 初めての「牛タン」屋へ行ってみた 目の前でスライスした牛タンの塊から、一枚一枚網で焼いて 皿に盛ってどんどん運ばれる・・・スピードが 出てきたのがこれっ期待したが、ほどほどであったこの店、何故か客がどんどん来る、びっくりするほど流行っていた 忙しげで、ゆっくり食べられないばたばたとして、急いで出る この店で隣にいた青年(大学生)が、大宮~歩いて6日で仙台まで来たと言う びっくりである北海道の大学なので、行ける所まで歩くと言っていた 「無理しないでね」 っと言って別れた 若さは素晴らしい お腹を一杯にして、ホテルへ帰り、大浴場でたった一人、豊かな初日であった 次の日から、いよいよ三陸の旅が始まる 覚書 「良寛」 松本一壽 「良寛」 水上勉
2014年09月12日
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貴重な、稀有な、僥倖な、数分を・・・・・・ 日常「朝焼け」に出会う事は殆ど無い 何故って朝焼けの見える時間は、寝入った頃だから 昨日(8月20日)の朝、寝付いて2時間、ふっと目が覚めた 窓を見ると、空に焼けたような雲が見えた 寝ぼけ眼で時間を見ると、5時過ぎたところあっ朝なのだ 夏の夜明けは早い びっくりして、思わずカメラを片手に外へ 外は静寂、人影はない良かったパジャマ姿だった そこで撮った写真がこれっ 夕焼けとの違いは・・・出る場所が180℃対面の東側である それと、少しだけ色彩が違うと言えば違うかも 大きな違いは、月の位置と、色だろうか 夕日好きの虚空も、朝焼けの美しさに感動 その後、水分取りベットへまっしぐら 早起きは3文の得なのだが、何時ものように、昼まで寝てしまった 覚書 「良寛と言う生き方かた」松本市壽
2014年08月21日
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小さい音だが、風に乗って、盆踊りの音響が聞こえてくる 「東京音頭」らしい 夏本番、人々の挨拶は「暑いですねーー」から始まる 夏は昔から「暑い」ものだと思っている虚空としては 「暑いけど何か」っと、嫌味な答え 米所にとっては、暑くないと困るのだ だから、暑くて良いのだ・・・・・ さてと、6月の末当たり、近所の邸宅の庭土手城壁の 大大的な草刈があった 6人でやっている人が埋まる程伸びた雑草が、どんどん刈られて行く 数時間後には、すっかりすっきり、夏を待つ準備が整った 昔の子供の刈り上げを、彷彿とさせて あれから40日程・・・元気に雑草たちが根を張りだした 蕎麦は何時でも美味しいが、夏は格別である 蕎麦好きの虚空は、「月末蕎麦屋」を心待ちして通っている この日も勿論「大盛り」・・・付いてくる副菜が、 毎回美味しくこれも楽しみの内 おにぎりが二つ付いてくる、このおにぎりの美味しさは食べた人だけのもの この店の女将さんが料理抜群 そして、その友人であり、 調理場の彼女のお手製「デザート」ケーキ各種が これまた、大評判で最終日には売り切れ御免である 素敵な二人で、集まるメンバーも面白い この店の紹介ホームページ 決して夏好きではない虚空としては、首を縮めて秋を待つ 覚書 「悲運の果て」 滝口康彦 「インターセックス」帚木蓬生「良寛を歩く」 水上勉
2014年08月02日
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台風が去って次の日の夕方、燃えるような空を見た 残念ながら、外出の帰り道で、急いで自転車を飛ばし 帰り着いたときは、一面の赤い色は終わっていた 残り香のような落ち行く夕日を眺めた 風がさ爽やかで心地よかった (7月12日) 昨日の夕方も風強く、雲の流れが速い 夕日も広範囲を照らし、夏らしい厳しさが見える 梅雨明け前の空(7月13日) これからの季節、夕空に要注意 覚書 「龍秘御天歌」 村田喜代子
2014年07月14日
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岐阜3日目の朝食・・・岐阜・名古屋方面のカフェは「モーニング」 と言うサービスメニューがあるらしい この日連れってって貰ったカフェは、果物カフェ 中身は「果物・サラダ盛り合わせ・ トースト・みたらし団子・コーヒーゼリー」そしてメインの「飲み物」 である 3人でテーブル一杯とても食べきれない・・・これでコーヒー代のみ 他にも、その店店で内容が異なり、和食・洋食風等あるらしい 首都圏では聞いたことがない これで商売として成り立つのだろうか店内は満席だった 岐阜の主婦たちは、朝からカフェでお喋りが日常らしい 2日目のランチ・・・予約が取りにくい「中華料理店」 グルメの友人は、距離に関係なく、こんな店の情報をキャッチする達人 初めに出てきたのが「豆腐」・・まったり、クリーミーで美味 前菜3品 キヌガサダケノスープ 青菜の炒め物 この店自慢の「エビチリ」 卵のチャーハン アオサのりのラーメン 初めて食べたが、不思議な美味しさ デザート杏仁どーふ 中華と言う感じを超えた、さっぱり味で全部美味しかったが 出来れば量をもう少し「お願い」と言う気持ち ・・・¥2500コース ランチの後のティータイム ここも、友人行き付けの「カフェ」 ・・・紅茶をオーダー 付いてきたのが「シフォンケーキ」と果物 オーナーはお洒落なご夫婦 店内には、ここも主婦たちが溜まっていた 奈良・岐阜の旅は、食べる旅でもあった 日本は何処へ行っても、美味しい物があり、旅から帰ると 何時も、体重がそのまま続き 減量を妨げ、最近増え続けているマーイッカの性格も災いなのだ いよいよ夏に突入し、旅に不向きな季節である 秋まで2か月以上、死んだ振りに暮らそう 覚書 「生きる」 乙川優三郎「風の果て」上・下 藤沢周平
2014年07月11日
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奈良・岐阜への7日間の旅の終わりは、名古屋の隣町「瀬戸市」へ 瀬戸は瀬戸物で有名な陶器の街である 道路は広く、真中に川があり、直線が目に入る この町へ行ったのは、4日間共に旅した陶芸家のお供である 彼女は、陶磁美術館へ一人で行き、虚空は駅周辺を散策 何となく懐かしさを覚える街並み 駅近の商店街は人も少なく、シャッター通りになっている 銭湯らしいが、現役かどうか不明 古色蒼然の家・・・相当危ない 和菓子屋 風情がありそうな店、回りには、食べ物やが無いので、流行っていた 数時間後、美術館から帰った友人と合流し 名古屋に行き、「徳川園」へ・・・・・ この日4月19日、先ずは美術館へ入り、1万点以上あるという所蔵品をさらっと見て回る (国宝・重要文化財・重要美術品等々、骨董がどっさり) 古美術に縁遠い虚空は、アウトドアがうれしい新緑が眩しい園内を散策 徳川園は言わずと知れた 徳川御三家筆頭である尾張藩二代藩主光友が 元禄8年(1695年)に自らの造営による隠居所である大曽根屋敷を起源としている。 光友の没後は尾張徳川家の邸宅となった昭和 20年(1945)大空襲により 園内の大部分を焼失した後は、名古屋市が保存・管理する 広い池には、沢山の美しい鯉」が悠然と泳いでいた モネの「睡蓮」を彷彿とさせる 一人好きの鯉もいる 池の向こうには、今が盛りの「牡丹園」がある これでもかとばかりに、赤が映える 後先考えずの旅、袖触れ合った友人が4人、気の置けない友人は何時会ってもうれしい きっと又会えると、そんな保障は無いのが人生である その時々が、「一期一会」 次の旅はもしあれば、秋だろうか 覚書 「花のあと」 藤沢周平
2014年06月27日
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岐阜観光の最後の地・・・「大垣」だった 大垣が松尾芭蕉にちなんだ土地であることを、初めて知った この周辺は美しく整備され、さぞ芭蕉さんも気に入っているだろうっと、 想像する・・・桜はすっかり葉桜になっていた 芭蕉の句碑を立て、ミニ奥の細道を再現してある 句は22を抜粋したものである 周辺の一部の家並みは、昭和を彷彿とさせる この店は、グルメの友人が目星をつけて案内してくれた 店の中を通ってレトロな階段を上がると・・・ ここは、大正時代吊り下げられた電球の傘が良い 彼女たちは、チーズケーキにご満悦 わたくし虚空は、紅茶のみ・・・美味しい 大垣から岐阜市内へ帰り、少し時間があったので「長良川」の川べりに腰を下ろし 岐阜城を眺めながら、悠久の時間を想像する・・・こんな時が旅の真骨頂 最後の夜、一人になった・・・何時行列が出来ている店に少し並んで、この日最後に近い客として入った みんなこれ目当てらしい「小龍包」が5個・・・確かに良くできているだがしかし、小龍包以上でも以下でもない、それにしても並んで食べる程ではない虚空の感想・・・みんな好きなのだろう 外から店の中を見る 隣にあるのが何となく入りたくなる「居酒屋」 最後の夜なのでお腹一杯なのに入ったこんな店はちょっと好き ワインと野菜の串焼き、これが美味しいので、完食してしまった 一人酒なんて、めったにないので、思わずニンマリ この町の雰囲気は、旅情緒あり ここへは又「来たい」気持ちを繋ぐ この岐阜の旅は魅力満載、彼女のお陰が隅々まで、行き届いていた 持つべきはグルメでフットワークの良い友人 感謝感激の気分で、ホテルへ・・・ まだまだ続く・・・ 覚書 「冥途めぐり」 鹿島田真希
2014年06月26日
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今日は何処へ連れってくれるのかなーーー1時間余りで着いたところは 「千代保稲荷神社」 千代保稲荷神社(ちよぼいなりじんじゃ)は、岐阜県海津市平田町三郷1980にある稲荷神社である。京都の伏見稲荷、愛知の豊川稲荷とともに、日本三大稲荷の一つともいわれることもある。 お稲荷さんさので、大きな赤い鳥居がある これは何 これぞ、正真正銘の「おいなりさん」薄あげに藁を通して売っている・・・賽銭と同じ 賽銭のように、ここにあげを置く この場所のあげが沢山になると、それを集めてまた売り場へ返され 再生されるのを見てびっくり面白く、みんなで大笑い 石の写真は無いが、結構思い丸い石が置いてある下記のようにやってみると、確かに軽くなったような気持ちになるこれは、人の深層心理を見越した、面白い考え方だと思った信じられるその人に、何より価値がある この日の門前町は、静かだった キンキラ金の お店で食べた物は 散々楽しんで、次の目的地・・・ランチの場所へ行く窓外岐阜は山あり、川あり、そして平野では農作物が豊富 自給率は相当高そうに見えた この日のランチ・・・場所は「養老市」 久々の「ステーキ」である 養老と言う所は、「養老乃瀧」と言う名前で知っていたが 飛騨牛で有名な所だと言う・・・この日のお店も名のある店だそうだ ここ数年肉には縁が薄いが、昨年の飛騨古川で飛騨牛を食べて以来である 左奥にある鉄板で焼く・・・予想以上に「美味」 近くだったら、食べに行きたーーーい店 続く
2014年06月20日
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酒屋の店頭に、冷やした「トマト・キュウリ」が、1個100円で売っていた お祭りの屋台で見たことがあるが、日常の店売りは初めて見た・・・愉快 この建物は何だろう火の見櫓のような この道の先にあるのが 柳の下まさか「泥鰌」 湧水「宗祇水」・・・名水百選の一つ冷たくて美味しい「飲料水」 だった この町の水の豊かさがここにもある 道の水路に「鯉」が放たれている この水路には、洒落たデザインで見るものを和ませる この川は「小駄良川」 ・・・この風景とても好い・・・ 街中の桜は、儚く散って 川面に残っていた 駐車場にある「しだれ桜」この町はしだれが多かった 今年最後の、光り輝く「しだれ桜」を見た 郡上八幡は、「山内一豊の妻」の生地であると言う初代八幡城主遠藤盛数の娘千代とする「系図」が残っている 真上に「八幡城」が 一望すると、小さな町に見えるが、「奥美濃小京都」と言われる所以が納得できる宿泊してゆっくり散策したい魅力的な「街」の一つである この日のランチは、予約が取りにくい「中華料理」であった確かに頷ける「美味・内容・料金」で全員満足 転勤で岐阜在住の友人は、兎に角「グルメ」で、何処へ転勤しても、美味しい店を見つける名人である お陰で、各県の美味しい店を、堪能させてもらっている有難ーーーーい友人である 次の日は何処へ・・・・・ 覚書・・「日御子」帚木蓬生「蝉しぐれ」藤沢修平
2014年06月13日
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岐阜の1泊した朝、4人揃って、友人の車で出かけた 何処へ行くのか、お任せである 案内して貰ったのは「郡上八幡」 ズーット昔、一度来たことがあったが、何の記憶もなく今回が初めてと言える 四方を山に囲まれ、整備された道路がすっきりとした町 祭り提灯、がしっくりとくる家 郡上八幡は、道の両側にきれいな水が流れている この時期、春祭りだった、この家並み何処かで見たような 昨年行った、木曽路の「奈良井宿」を彷彿とさせる岐阜県は、古い町が今なお、結構あるのを知った 何処を歩いても、塵ひとつない 都会では見られない「掃除当番」札・・・これで町の美観を納得 ここ「職人町」の各家の前に「バケツ」がぶら下がっている 木造の家並みを守る、「火の用心」なのだろう水は目の前にある エアコンも木枠で囲ってある・・・島根の「石見銀山」の街でも見た そして、玄関に掛けてあるのがこれ「俳句」の色紙 この木箱の中には、何が入っているのだろう 別の家の句 雪深いのだろうかそれとも町の美観の為「ガレージ」は家の中道に車が止まっていない この風景徳島県「脇町」の「うだつの家」に似ているがちょっと異なる気がするここも「うだつの家並み」なのだろうか 間口の広い家中はどうなっているのだろう 山が迫ってくる・・・ここ郡上八幡の夏は、さぞ暑いのだろう この数年、こんな街並みばかり歩いているようだ と言うより、日本中には、いたる所に沢山残っていると言える 続く・・・・・・・ 覚書・・「輪違屋糸里」下浅田次郎「冬の標」乙川優三郎冬子と綾子の「老いらく人生」
2014年06月07日
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3泊4日の奈良の旅最後の日 奈良に詳しい友人が、別れる前に町を案内してくれた 駅からほんの少し歩くと、もうここは奈良時代 この店は書道に使う「墨」専門店 その朝、虚空(わたくし) が寝ている間に、ここへ墨を買いに来たという 友人は「書画骨董」に秀でる「芸術家」である、故に 何処へ行けば、何があるか、詳しい 狭い道も、先に何かありそうでわくわくする もちいどの(餅飯殿)商店街・・・妙な名称 道幅が狭く、この町の古さを感じるが、面白い町だった この町で行き先・時間が違う、3泊した友人と別れる 彼女とは24年のお付き合いで、共に「或る活動」をした仲間である 十数年前、Uターンして帰省したが、毎年行き来があり、 数えきれない程、旅もしてくれた 距離感無く、若く、何時も変わらない人である 又ねーーっと、別れた 奈良駅の構内は、古風豊かな感じを出している 奈良から京都経由、東海道本線で岐阜へ 昨年秋に宿泊したこの地が、懐かしい 窓外は春爛漫 この時4月16日、首都圏の桜は葉桜だったが 東海道沿線は、まだ満開の桜が見られて、何か得したような気分 霞みの中に見えるのは、「彦根城」 歴史に残る古戦場「関ヶ原」を通るときは、 気持ちが少し揺れるのは何故だろう この駅も1年ぶりでちょっと懐かしい 駅近くのホテルでは、今夜の同宿者、国内外の旅を一杯共にしてくれた 豊かで、頼りになる友人が、リラックス状態で待っていた この日の「ディナー」は 徳島からぐっと若い人・在岐阜の人、そして我々二人の4人である 4人とも、ここ数年来の友人 ・・・・・賑やかで楽しい時間だった
2014年05月30日
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マップに沿って静かな町並みを抜けた所に 目指す「秋篠寺」の山門があった 入って行くと、色んな神社の名前のある、小さな社殿が並んでいる 中心の前に灯篭がある灯篭の窓から覗くと 中心の正面がぴったり見える・・・こういうの何処かで見たことある 砂利道を歩いて奥へ進むと、苔生した見事な庭が左右に見られた丁度、西陽が差し込み、枝の影が美しい ここが「本堂」ここにも灯篭がある扉が開けられると、中心に鎮座された「薬師如来」が見られるのだろう 本堂は撮影禁止 寄せ棟造りのこの建物は、創建当時は講堂として建立された。金堂が保延元年(1135)の兵火で焼失ししたため、鎌倉時代に講堂の大修理を行って、以後本堂と呼んできたという。奈良時代の建築様式の伝統を受け継いでいる。寺院は常に火災と隣り合わせが宿命なのだろう 本堂の中は薄暗いが、暫くすると目が慣れ仏像がはっきりとしてくる ひととき本堂に人が途切れ、二人で正面にある椅子に座り至福の時間を過ごした団体がどーっと入って来て、般若心経を唱える声で、現実に引き戻される 帰りは、南門を見て外へ出た・・・この寺は数年前から来たいと思っていた来られてよかった 歩くと直ぐ「八所御霊神社」と言う神社があった 鳥居から拝殿まで、綺麗な玉砂利が両側に敷き詰められている 正面にある拝殿は普通に見えるが・・・・・ 覗くと奥に本殿らしきものが見えた・・・2段構造になっているらしい 玉砂利に魅せられ、ちょっとお邪魔した・・・足長オジイサンオバアサン 南門を背に、住宅地を通り、「大和西大寺駅」へと歩く 今回の旅は、3泊4日、京都奈良を熟知している友人に同行して貰った 7年前に彼女に案内されて行った、京都・奈良の旅の素晴らしさが忘れられず、行き先を奈良に絞ったこの旅のマップも、彼女が通いなれている奈良駅で見つけ、事前に送られていた内容が豊富で行きたい所が決まらず、初日ホテルで合流した時、決めた 奈良は少し歩けば人気が少なくなり、ローカル色豊かである 二人で歩けば心強い・・・よき友に感謝・・次回の再会を楽しみに 覚書 「輪違屋糸里」上 浅田次郎
2014年05月24日
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一夜明けて、二人とも昨日の疲れは全くなかったが、この日は アップダウンの無いコースを選ぶ 「歴史の道ウワナベ古墳・秋篠寺コース」9k さすが観光都市「奈良駅」らしい駅舎 近鉄奈良駅前をスルーして、新大宮駅まで歩く 新大宮駅を起点にして車の多い道を入ると目の前にこんな風景が これが古墳 想像していたのとは全く違った 古墳は池の中だった 舟に乗らなければ見られない、人を寄せ付けない所だった・・・見たくもあり、見たくもなし こんな道をてくてく この近くには、3つの古墳があった、歴史の道と記した灯篭が、あちこちにある この池は、古墳から少し離れた場所にあり、魚を取っているらしい人を見た 上天気の道を歩く、ここが万葉ロマン街道なのかと 遥かなる時代を想像して、にんまりする 周辺の風景に溶け込んだつくりの家がある この地蔵さん達は、何だろう聴こうにも、人影が無い 暫く行くと、落ち着いた家並みがあった 家並みを出たところにびっくりの風景これは一体なになに 平城宮跡に建っている、2010年に復原された「大極殿」 前にある沢山の植木は、柱に見立てた刈込である 白壁の家が並ぶ街並みを通り 家並みを離れると・・・・・この辺りでちょっと迷う 又水辺があり、鷺が目の前に現れた うれしかった (鷺好きの虚空) 浅い川である・・・何か狙っている目 この日の緑が新緑の真っ只中 ここまで、人影なく、約1500年前に栄えた道を楽しめた 次は「秋篠寺」へ・・・・・
2014年05月22日
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清滝石仏群から登ってゆくと、人里が現れる 鳴川の集落である。瓦屋根が美しく、どの家も立派である 千光寺を横目に見ながら、手だけを合わせ先へ進む これから、益々厳しい山道が待っている 大きな椿の木には、小さめながら花が一杯 足元には、散り初めたさくらと椿の花弁が スーーット伸びた木々からの木漏れ陽に、心和む それも束の間、気を抜くと転びそうなごろごろ山道が 結構長い トンネルの上は車が通る?? 後、50m程でこのコースの頂上 山道の50mは 結構歩く この枝全部上に向かって伸びている 虚空の大好きな「木蓮」が山の中で元気に咲いていた 然も下界と違って、白さが輝いている ここが頂上「府民の森なるかわ園地」 にあった この日、気温が上がって、遠景はもやもや 右端に、高校ラグビーのメッカ「花園ラクビー場」が見える 毎年楽しみにテレビ見ている ここで見つけた「この木」 何だか好い 下山の途中で、ここまで降りる道が相当キツイ 急坂道は、緊張の連続 、登っただけ降りるのだから 膝がくがく・・・・・・・ 何事もなく、10キロ踏破(ちょっとオーバーかな) 明日は、平地を歩こうと意見一致 この日の夕食も、地元の人に勧められた店で・・・・・乾杯
2014年05月21日
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一日目のコース・・・ 元山上口駅から千光寺~鳴川峠~枚岡駅(山道約10キロ) 駅から最後の駅まで、歩く以外交通手段は無い この日の天気は最上級・・・暑くなく、寒く無く マップを片手にのんびり歩きだした 長屋王と言えば、聖武天皇の時代悲劇の一族 新緑に水の流れを見ながらわくわく 殆ど人に会う事がなかった 山口神社 ・・・全国の山口さーーんの神社ですよーー 上の方で 案山子ではない人が農作業をしている 稲田が田植えを待っている・・・もうじき田植えの時期… この日014・4・14日 いよいよ目的の千光寺に向かって、てくてく 早速山道が始まった 暫く歩くと、シイタケ栽培用の木がごろごろ ・・・取り終ったのだろう またきらきらした水辺がある 山道を3キロほど歩くと、磨崖仏・石仏群の里にでる 何時の時代、誰が作ったのだろう 沢山あるが、写真は省略 この立て石看板から千光寺へは、少し登り道である このコース、この先から 思ったよりハードで、特に下りが相当きつかった 千光寺の先は、次回続く おしゃべりしながらの 二人旅の始まり・・・・・ 覚え書き 佐伯泰英 「鵺女狩り」 乙川優三郎 「蔓の端々」 帚木蓬生 「日御子」(途中)
2014年05月15日
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北陸の旅のアップが終わらないが4月も数日なので、先日行ってきた旅の写真を先にすることに・・・・・時間に羽が付いて、飛ぶように時が過ぎてゆく時の経つのが早いのは、うれしい事であるが・・・成すべきことが残って行き、ちょっとだけもどかしい急ぐ旅でも無いような、そうでもないような複雑な気分4月の半ばから1週間の旅に出た東海道線に乗るのは、丁度1年前以来富士山が雲一つなく見られた旅の幸せの始まりである 初日は、西方から来る友人と、奈良のホテルで合流ホテル近くの寺で満開の「しだれ桜」に出会ったしだれは、少し遅く咲く関西の今年の桜は、首都圏より遅かったらしい 老木なのか支え木が多く痛々しい5日前にはな祭りがあった楚々とした乙女のような花びら半年振りに友人と合流「足袋」好きの虚空に見つけたという「地下足袋」屋へ誘われて行ってみた お洒落で、魅力的だったが、残念ながら購入には至らなかった一見の価値ある、珍しい店オーナーがとても良い 足袋屋のオーナーから紹介されたその夜の乾杯と食事の店「満玉楼」少し狭い道に入るので、表通りを歩く「旅人」は出会うのは難しい・・・聞いてよかったここで一杯と食べた物香の物でさえ、こう出ると、上物の位置を占める簡単に言えば「おつまみ」各種湯豆腐も、美しく化粧の中店の一部の柱・天井が古式蒼然 古い雰囲気が漂う場所で、美味しい酒と、お料理を頂き明日からの奈良歩きが、楽しみになりほろ酔いで、ホテルへ帰った (014・4・13) 覚書(宮城谷昌光「王家の風日」)(乙川優三郎「霧の橋」)
2014年04月27日
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飛騨古川で一人別れ、富山で3泊お世話になった友人と別れ、二人になったその後の行き先相談の結果、金沢へ行く金沢は2回目であるが、以前行ったときの事はすっかり記憶が消えているので、楽しみである香林坊までバスで行き、そこからマップを手に暫くうろうろ歩く空気と気配が徐々に変化するのを感じられた道を曲がると、そこはもうタイムスリップした場所長町武家屋敷跡髷を結った侍が出てきそうな雰囲気旅先での雨に会うのはとても珍しい、この日一日雨だった金沢は雨がとてもよく似合う町だ足元に気を遣いながら歩くと、思わず立ち止まりたくなる一見屋敷のように見える塀の中はこの町の風景に溶け込んでいる、トイレと言うよりお手洗い・便所・お手水が似合うこの日、雨が周囲の色を美しく映えさせる振り返って見えた、赤い傘がとても好い木の門の濡れ具合と、落ち葉のコラボが何とも好きこの石積みは何というのだろう出来すぎて見とれてしまった一般公開された「野村家」の中を見て2階へ上がると茶室があるそこで一服、ゆったりした時間を過ごす 以前来たのは、10年以上前だった金沢は、一日で気に入った何処へ行っても直ぐ、好きになる虚空である 続く・・・・・ (013・10・25)
2014年03月29日
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その前に前回アップした「町の美術館」について詳しいサイトが見つかった ので、参考までにここに載せておく昨年11月25日から12月5日迄の韓国旅で食べた物一部の写真をアップ毎回定番の「冷麺」必ず1回は食べたい物これは、金浦空港の食堂これっ何だろうキムチチゲ定食かな ここは、10年前1回入った記憶がある店鶏が丸ごと1羽、鍋と言うより、洗い桶に入ってくるそれと、白菜・豆腐・餅等が付いてくるこのスープが何とナント美味なのだ鶏(嫌いなので)を食べなくても、野菜だけでも結構良い隣に座った家族と、なんとは無く、話が通じるここは、庶民の店、食べたり話したり、外の寒さはこの店で、ほかほかになる、不思議な場所だった鶏好きの二人は、大満足だったこの店も、毎回通う好きな店この皿数と美味しさに、足が向く 出かけた先で小腹が空いたのでちょっとだけ食べようと「清涼理」の駅前で、初めて屋台食「うどん・トッポギ」を食べた鍾路にある「広蔵市場」 「うまいもん通り」と言う場所この通りの中心にある「ビンデット」の店でアツアツのビンデットと海苔巻にマッコリで、彼らと、最後の夜を「乾杯」美味美味<<ピンデトッは緑豆を挽いた生地に、野菜や肉などを入れて焼いた、韓国風お好み焼き>>市場で見た干物 虚空の大好物「カンジャンケジャン」(ワタリガニの醤油漬) 市場と言う所は、どの国へ行っても活気がある特に韓国の市場は、好きな物が手の届く所にあり毎回、足を運んで、目で楽しみ、何処かで腹を満たすその一つが、この市場である 不思議なファッションで、目がズーット追っかけた今回は、3人で韓国を旅したとても仲の良い姉妹であり、気持ちも楽な旅であった 前後4泊は、何時もの一人旅で、これまたよかった旅は一人良し、二人良し、3人も良い・・・・この先、どんな旅があるのだろう乗り物に乗るだけで、非日常を覚える春は「花粉」夏は「暑さ」で思えば旅の季節は、あまり長くは無い気が向いたら、又何処かえ行こう
2014年03月14日
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