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2010/01/05
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テーマ: タイ(3443)
カテゴリ: タイ旅行記
この旅の日記も2年越しになってしまいました(笑)
早く続きを書かなければ!


ようやく辿り着いた バーン・カーイ3 の看板を
まじまじと眺めます。


バーン・カーイ3の看板


かつてこの地にあり、終戦直後に約1年間日本人を収容した
バーンブアトーン収容所 について書かれた本は、
研究書も含めてあまり多くないようです。

タイの東京堂書店発行の 『瀬戸正夫の人生(上)・(下)』
バーンブアトーン収容所での生活が記されていますが、ほぼ絶版状態。
私も辛うじて下巻を入手できただけです。


あとは、どこで読んだのか失念しましたが、
女優の 浅丘ルリ子 さんが「バーンバトーン」に子どもの頃いたと
答えている記事を読んだことがあります。

時期・期間から考えてもこの収容所にいらっしゃったことは間違いないでしょう。

その浅丘ルリ子さんの半生を綴った本、



『RURIKO』 林真理子、角川書店 税込1,575円


なぜかタイ滞在時の記述はほんの数ページ。

バーンブアトーン収容所については勿論、タイから引き揚げる際の描写も一切なく、
いきなり東京に飛んでいます。


研究書では、早稲田大学アジア太平洋研究センター発行の
『アジア太平洋討究』創刊号(2000年)に掲載された、

村嶋英治、という論文が、経緯を詳細に掘り起こしています。


タイ語書籍では、
『タイ・日交流120年:東アジアと東南アジア(1887-2007)』 との
日本語の副題のついたこの本掲載の論文の一つで、収容所のことが
当時の写真付きで触れられています。

その写真の一つに、ドラム缶を大きくしたような給水塔のまわりで
人々が作業している当時の様子の写真があります。

そしてその注釈には、
「現在も残るバーンブアトーン収容所のものは、古い給水塔」 と。

本当に残っているんでしょうか?
現在の写真があわせて掲載されているワケでもないので、
どうも信憑性がありません。

ただ、もし残っていたらなぁ、という淡い期待を抱いて
ここに来たのは事実なんですが・・・。

歩きがてらあたりを見回しつつ捜してみますか。


ピモンラート2の売店の兄ちゃんによると、
バーン・カーイ3は広くてムーバーン(住宅街)がいくつもあるとのこと。

どこからどこまでがバーン・カーイ3か分かりませんが、
恐らく100mほど西にある先ほどの 中国寺院 の建ってるところも
バーン・カーイ3なんでしょう。


看板の向かいのソイを北上して プラピモンラーチャー運河 まで
出てみることにしました。


バーンカーイ3の看板向かいのソイ


辺りには人家やムーバーンがところどころある以外は、
ほとんどが草地・藪・林です。


藪・・・


この背の高い藪を見て、遺構探しの期待は、
早くもしぼんでしまいました(汗)

例え何か残っていても、こんな藪の中から見つけ出すのは
至難の業です。気の遠くなるような広さですし・・・。


ソイを奥まで進んで振り返ってみました。


バーン・カーイ3付近


日差しを遮るものがないので、暑いです(汗)


奥にあった人家の表札を見ると、
明らかにムスリムな名前が書かれていました。

やっぱりこの辺りにはイスラム教徒が多いようですね。


ようやく、 プラピモンラーチャー運河 に出ました。


プラピモンラーチャー運河


うわ~っ!!
なんてのどかで素晴らしい景色なんだー!!


取り敢えずピモンラート町役場方面を目指して、
運河沿いの遊歩道をてくてくと歩き始めました。




<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:157バーツ

つづく


バーンカーイ3看板~プラピモンラーチャー運河





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最終更新日  2010/01/05 06:32:10 PM
コメント(6) | コメントを書く


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Re:バーン・カーイ3を歩く バーンブアトーン再び![13](01/05)  
浅丘ルリ子さんがご家族と収容されていたってことですか?かなりびっくりしてしまいました。へええ。
その時代の、しかも戦乱の激動のタイを子ども時代に見ているなんて。
うちのおかんは終戦間近の満州で生まれて命からがら引きあげてきたみたいなので、おとーちゃんが軍の人ってことなのはわかるような気がする。どうせならタイだったら・・・なんてのはあれですが、タイだったらおじーちゃん生きてたかな、とか。 (2010/01/05 06:59:36 PM)

Re[1]:バーン・カーイ3を歩く バーンブアトーン再び![13](01/05)  
Lamyai_daeng  さん
gogoよっしぃ!さん
>浅丘ルリ子さんがご家族と収容されていたってことですか?かなりびっくりしてしまいました。へええ。
>その時代の、しかも戦乱の激動のタイを子ども時代に見ているなんて。

びっくりですよね。満州時代には、あの甘粕満映理事長に目をかけられて可愛がられていたと知って、さらにびっくりです!
戦中のバンコクはどんなだったんでしょうね。映画『クーカム』で見たシーンぐらいしかイメージが湧きませんが、日本軍が進駐して英軍機の爆撃があったので、やっぱり「戦乱」と呼べる状況だったんでしょうかね。

>うちのおかんは終戦間近の満州で生まれて命からがら引きあげてきたみたいなので、おとーちゃんが軍の人ってことなのはわかるような気がする。どうせならタイだったら・・・なんてのはあれですが、タイだったらおじーちゃん生きてたかな、とか。

よっしぃさんのお母さんのご家族は、満州脱出に苦労なんて言葉で片付けられないほど本当に大変な思いをされて九死に一生を得て帰国を果たされたんでしょうね。
在タイの日本人も敗戦で法人・個人問わず資産没収(またはその前に主に華僑らによって略奪)の憂き目にあったので、大変だったみたいです。
(2010/01/05 10:48:11 PM)

Re:バーン・カーイ3を歩く バーンブアトーン再び![13](01/05)  
竹亭 さん
タイは基本的に対日感情のよい国ですが、まだそれほど遠くない過去に、日本と交戦状態にあったことを改めて思い出します。
我々は、平和な時代に生まれることができて本当にラッキーです。 (2010/01/07 12:46:26 PM)

Re[1]:バーン・カーイ3を歩く バーンブアトーン再び![13](01/05)  
Lamyai_daeng  さん
竹亭さん
>タイは基本的に対日感情のよい国ですが、まだそれほど遠くない過去に、日本と交戦状態にあったことを改めて思い出します。

そうですね。真珠湾攻撃と同じ日にタイ数か所の海岸から上陸した日本軍と一時交戦してますから…。

>我々は、平和な時代に生まれることができて本当にラッキーです。

バーンブアトーン収容所跡地に立ってみて、改めて心からそう感じました。上で紹介した瀬戸氏の本を今読んでいるんですが、ポルポト政権樹立時にタイへと逃れてきたカンボジア難民の様子なんて悲惨極まりなく、思わず涙してしまいました。
平和な世の中に生きて幸せです。
(2010/01/07 01:53:11 PM)

Re:バーン・カーイ3を歩く バーンブアトーン再び![13](01/05)   
粗無策 さん
収容所での浅丘ルリ子さんの話も紹介されています。
https://www.nikkei.asia/gallery/vol67/67_tokushu2.pdf (2010/10/11 07:42:24 PM)

Re[1]:バーン・カーイ3を歩く バーンブアトーン再び![13](01/05)  
Lamyai_daeng  さん
粗無策さん
>収容所での浅丘ルリ子さんの話も紹介されています。
>https://www.nikkei.asia/gallery/vol67/67_tokushu2.pdf

粗無策さん、とても素晴らしい情報を教えてくださり本当にありがとうございます!!
やはりあの給水塔の遺構は現存しているのですね。さらに「友好橋」の架かっていた場所も非常に興味があります。いつかまた探しに行ってみたくなりました。
重ねて素晴らしい情報をお知らせいただきましたことに心より感謝いたします!
(2010/10/11 11:33:56 PM)

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