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大きく
、編集。
ミイラから離れるのですが、 棺桶素材のレバノン杉。その
「レバノン杉不足の問題
」事情を入れました。
紀元前4世紀頃、
プトレマイオス朝の前章はアレクサンドロスの遠征でエジプトがその支配下に入った事。要するにギリシャ人の支配者が来たので、以降でエジプトの王朝は激変する事になる。
シリア沿岸のフェニキア人の都市を傘下に納めペルシャに入るが、この時 フェニキア人最大の都市テュロスを壊滅
させている。
この事は地中海の交易事情を激変させた。
会社で言えばテュロスは地中海の貿易商人であるフェニキア人の本社である。それを街ごと破壊してほとんどを虐殺。のがれたわずかの者がカルタゴに渡った。
※ 以降フェニキア人はカルタゴを拠点に活動するが、アレクサンドロスの破壊により途切れた文化や産業は多かったのではないか? と予想される。
レバノン杉はまさにテュロス含むシリアの木材であり、フェニキア人の大きな交易品の一つであったのだ。確かにレバノン杉は伐採のしすぎで枯渇し始めていた。今のシリア沿岸地帯は森がどんどん消滅して砂漠化をすすめていた。
これに加えてアレクサンドロスによるテュロスの壊滅。レバノン杉を大きく輸入に頼っていたエジプトではかなり困ったはずだ。
※ 不足した物はレバノン杉だけではなかったはず。
古代エジプトのミイラと棺 3 (カルトナージュ)
木造の人型棺からカルトナージュ
(Cartonnage)
へ
プトレマイオス王朝以降
新王国時代以降、ミイラ造りは増え数は増加して行く一方、その棺の質は著しく低下
していったようです。
王侯や神官などの限られた人達だけのミイラ保存がもっと下層の者にまで広がった? のかも。
ウイーン美術史美術館のエジプト展示コーナー


木造の人型棺からカルトナージュ
(Cartonnage)
へ
第22王朝には、 容器の材質も変わって行く
。 ミイラを木造りの人型棺だけでなく、カルトナージュで造られた棺も現れます。
その理由は恐らく棺を造る為の木材不足かと思われます。
エジプトでは木材がほとんどとれないので木材は輸入に頼っていた。それがレバノン杉です。
これらはフェニキア人らによって地中海を経て運ばれますが、高級品ですし、レバノン杉じたいが伐採のしすぎで枯渇してしまうのです。
簡単に言えば、 カルトナージュはクラフト仕立ての容器
です。
凹凸が表現できるカルトナージュはミイラを包み、亜麻布やパピルスを漆喰で固めたものに彩色を施したもの。
変化自在のマスクの制作には特に向いており、安価で迅速に作れるといったいくつかの利点
があったようです。
おそらく、エジプトで豊富にとれるパピルスをベースに作られたのでしょう。
しかし、外側の棺自体の装飾は簡素なものになってしまったようです。
プトレマイオス朝の棺はこのタイプが多いように思います。
カルトナージュのミイラは作成された時代により個性もある。
衣装、網目状のビーズ細工、仮面、装飾が施された木板、などで覆われ様々なパーツをのせて飾られていったようです。
因みに、 グレコ・ローマン時代と言われるプトレマイオス朝後半or以降の古代ローマ帝国時代にはミイラには包帯が巧妙に巻かれた見事なものが多く 見られるようになったといいます。
プトレマイオス王朝以降
古代ローマ人とエジプト人では死生観も全く違いますが・・。
古代ローマの埋葬はそもそもギリシャ由来でした。「霊魂は地下において生活を続ける。」(遺体を墓所に葬ると同時に、魂も同じように葬る。)と考えられ、霊魂の埋葬を重要な儀式としていた。葬儀そのものに重点が置かれていたのです。何よりそして火葬が多かったようです。
人間の体を火に帰す? 飛翔させて天に帰す?
※ ローマで暗殺されたジュリアス・シーザーは広場で火葬でした。
しかし、エジプトでもプトレマイオス王朝はもともとはアレクサンドロスのディアドゴイであったプトレマイオスが継承したのでギリシャ文化が融合されている。
エジプト古来の王朝とは全く違うので、その葬儀や埋葬方法も大きく転換していると考えられ考慮しなければならない。
※ プトレマイオス朝の首都アレキサンドリアのローマ人の場合。遺体の葬り方はエジプト流にしているようです。
また、ギリシア人から火葬の習慣を早くに採用していたローマ人ですが、キリスト教の浸透とともに火葬が減っていく。遺骸を残すエジプト式の方がキリスト教に近い事もある。
が、キリスト教自体が中東で生まれているのでエジプトの影響があったのかもしれない。
下はカルトナージュ技法の棺のようです。とても雑ですが・・。
右はエジプト人とわかりますが、左は神官か豪商? でしょうか。サラセン人ぽい顔です。美的にはゼロですが、カルトナージュされたものが他になかったので参考まで・・。
下はミイラの上に付けるマスクです。ルーブル美術館所蔵です。

上もルーブル美術館です。リアルですね。
下はひょっとしたらカルトナージュでできているかも? のマスクです。
かつて、エジプト考古学博物館、ルーブル美術館、大英博物館、メトロポリタン美術館、ボーデ博物館でミイラと棺を見る事ができました。
量と美しさで感動したのはボーデ博物館だったと記憶しています。ボーデ博物館は旧東ドイツのベルリン(東ベルリン)の博物館島の中にある美術館の1つです。
プトレマイオス王朝と思われる時代のエジプトとローマ帝国の彩色豊かで美しい棺の数々が、「閉ざされていた東の壁の向こうに眠っていた。」と当時思ったのを記憶しています。(行ったのは壁崩壊後ですが・・。)
1つ1つが美術的にずば抜けていて、コレクションのセンスが伺えて感激したような気が・・。あのコレクションはゲーリング空相? orヒットラー? が集めたのでしょうか?
(ボーデ博物館には有名なネフェルティティの胸像もあります。)
もちろんルーブルの棺やイギリスの棺は時代の古い木棺など考古学的にも価値の高い棺が多く、とても素晴らしいです。
ミイラはともかく、遺跡発掘の金銭的オーナーになった人達が、自分の取り分としてかなりの量の遺跡の出土品を本国に持ち帰り、個人コレクションにしています。デンマーク、コペンハーゲンにあるニュー・カールスベア美術館(ビール会社社長)は、そういった意味で個人にしてはかなり膨大な彫刻コレクションを持っていました。
まったく余談ですが、「ゲーリング空相が集めたコレクションはどうなったんですか?」 と、
ドイツ人で、戦争当時国防軍側だった方(独の大学教授)に質問した事があります。彼は「アメリカに持って行かれた!」と冷たく答えてくれました。恐らく絵画などの良い物だけ持って行かれたのでしょう。それが今メトロポリタン美術館にあるかは判りませんが・・。
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リンク 古代エジプトのミイラと棺 1
リンク 古代エジプトのミイラと棺 2 (容器)
古代エジプトのミイラと棺 3 (カルトナージュ)
リンク 「死者の書」とカノプス
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