わたしのこだわりブログ(仮)

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2009年06月04日
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​今回で最終章は無理でした・・。ついでに容量を20GBにupです。それ以上になったらどこをけずるか・・ですね。

実は今回は水道橋は出てきません。今回は、珍しく残っている古代ローマの浴場跡と、導水用の配管を紹介です。(配管を紹介するブログなんてありか? と思われるかも・・。)3回に分割します。


古代ローマ水道橋 8 (イングランド・バース 編 1)

​​ 古代ローマの浴場(イングランド・バース (England Bath)  ) 

ブリタニア( Britannia )へのローマ人の浸入
ングランド・バース (England Bath)


ブリタニア(
Britannia) へのローマ人の浸入

ガリア(現フランス)の地を越え、ドーヴァー(海峡)を渡り、カエサル(シーザー)がブリタニア(現イギリス)に踏み入ったのはBC55年
カエサルがアルビヨン(白い国)と名付けたのは、恐らくフォークストーンの白亜質の白い岩壁を見たからなのでしょう。

カエサルがガリア戦争中のBC55年とBC54年に2度の遠征を行っている。 カエサルが遠征した時点ではそガリアを掌握する為の遠征で、当初は恒久的な拠点を獲得するものではなかった と言われている。

​※ ブリタニアが実際にローマの属州に組み入れられたのは43年の第4代皇帝クラウディウスの遠征の時。
クラウディウスはロンデニウム(現ロンドン)をブリタニアの首都として建設。
※ それ以前には「このテムズ北岸にはケルト人が居住し土地を耕していた。」と、カエサルの「ガリア戦記」に書かれている。​

​ 以後、ブリタニアには多数のローマ軍が駐在し、総督には皇帝の信頼が厚い人材が当てられた 。
そのせいか?  ローマ皇帝には、ブリタニア総督の経験者が多いらしい。

​しかし、そんなブリタニアも ​407年、コンスタンティヌス3世がローマ皇帝を自称し、残軍を率いてブリタニアを撤退?  離れた時に、ローマ帝国による支配は終わった。​

​​その後ブリタニアでは古来からのブリトン人の部族制が復活する。
※ ブリトン人は紀元前からブリテン島に定住していたケルト系の土着民族です。

しかし、それぞれが王を戴く部族国家が乱立してブリタニアは混迷期に入るらしい。
そして、 1066年にウィリアム征服王(William the Conqueror) がイングランドを制圧した時より、グレート・ブリテンの歴史が始まるのである。

イングランド・バース (England Bath)
今回紹介するバース(Bath)は、イングランド有数の観光地で三つの源泉を持つ温泉保養地として有名な所。それは 古代ローマ人もここの温泉に目を付け温泉付きローマ浴場の建設をしたからです。

ここには、今も生きている「古代ローマ時代の温泉浴場」が残っているのです。
実際、現在は遺跡博物館として、入浴はできませんがローマ時代に遡ったかのような錯覚に陥る浴場です。(こんな物が修復されていたとしても、現存する事自体、素晴らしいです。)

バースのローマ温泉浴場 1
バースと温泉紹介はつづく・・。​​​​​

​リンク ​​ 古代ローマ水道 9 (イングランド・バース編 2) ​





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Last updated  2020年11月03日 04時29分29秒
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