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自分のブログがなかなか開けなくて・・・くじけてしまいました。
夕方だけではなく、真夜中も調子悪いのです・・・。原因は何?![]()
トルコ共和国(Republic of Turkey)
中部アナトリア地方カッパドキア
ギョレメ国立公園(Goreme National Park and Rock Site of Cappadocia)
ウチヒサール(Uchisar)
カッパドキアはいくつかの地下都市を有しており、主として初期キリスト教徒によって、隠れ場所として使用されていた・・と言われています。
ローマ帝国の第2代皇帝のティベリウス帝(在位 BC14年~37年)の時代、カッパドキアはローマの属州となります。
この地域への 初期の移住は キリスト教が伝播した頃の古代ローマ後期にさかのぼると言われ、キリストの終末思想を信じる者達が、その厳しい風土を求めて修行に入ったのが最初のようです。
ローマのキリスト教徒迫害を逃れ、さらには7~9世紀のイスラム教徒の攻撃を受けても信仰を曲げずに奇岩や岩盤をくりぬき内部に教会や礼拝堂を造って住み着く熱心なキリスト教徒が多くこの地に集まり密かに進行活動をつづけていたようです。
10世紀からはイスラムの領地になります。
14世紀になるとイスラム教徒からの迫害はまた厳しくなりその1部は廃墟となったそうです。
14世紀頃の当時の勢力図をついでに・・・。
当時アナトリアを拠点としたルーム・セルジューク朝(1077年~1308年)
「ルーム」とは「ローマ」を意味し、イスラム圏から見た東ローマ帝国領であったため当時はアナトリアとは呼ばれていなかったようです。
ベイリク(Beylik)
同時にこの頃 ベイリク(ベグ=君侯)と呼ばれる諸々の君侯国がアナトリア半島に割拠。
これらの部族は軍事的・経済的援助を受ける代わりにセルジューク朝側について戦うが、完全な主権を持って活動していたと言われる諸侯国と思われます。
要塞の岩、ウチヒサール(Uchisar)は、キリスト教徒ではなく、どこかのベイリク(君侯国)の要塞(城塞)だったのだと思います。
カッバドキアのギョレメが一望に見渡せる展望となっているのですから・・・。
道路のある入り口側とはほぼ反対の方面の高台から撮影。
ズーム
巨岩に空いた穴は人工でくり抜いたものです。昔は立てこもるべくくり抜いた穴は、今や観光資源となっています。
ウチヒサールの観光は、国立公園ですがタダです。
但し、ギョレメとカイマクリなどは観光料(入場料金)をしっかり取られます。
通常我々は写真だけでスルーして登る時間はありませんが、登った人の中には料金を払ったらハシゴを持ってきてくれた。と言う話もあります。
(ここも大岩の奇岩に入場する時は料金をとられるのかもしれません。)
今手前に写っている三角岩の中にも人が入れるようです。
ちょっとしたアパートメントの玄関ホールのようですね。
こちらから遠くをズーム。
最初の撮影場所の道路側とギョレメ谷がここからでも望めます。
この三角アパートの裏側です。
道路側の方から撮影したものです。
右の三角錐がそうです。
こちらには無数に穴(窓)が開いており、窓ガラスがはまっている所もあります。
これらは比較的近年に改装されて住居とされていた名残です。
現在はトルコ政府により全員退去させられて、住むことは禁止されています。
1部岩窟ホテルは、どのように許可がでているのかわかりませんが、特別許可でもあるのかもしれません。
ウチヒサールおわり
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