わたしのこだわりブログ(仮)

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2010年01月21日
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カテゴリ: 旅行



エジプト 11 (地元民の市場とマムルーク朝のスルタン)
エジプト・アラブ共和国(Arab Republic of Egypt)カイロ(Cairo)
ハーン・アル・ハリーリ(Khaan il-Khaliiii)地元民の市場


ハーン・アル・ハリーリ地区アル・ハズハル通りから見たアル・ムイッズ通り
カイロの街 33
スルタン・ゴーリー廟(左)とスルタン・ゴーリーのマドラサ(右)があります。

マムルーク朝のスルタン
スルタン・ゴーリーは アシュラフ・カーンスーフ・ゴーリー(在位 1501年~1516年)
ブルジー・マムルーク朝の末期のスルタン
です。
マドラサは1503年に建設。スルタンが情熱を注いだ学校だそうです。
彼の墓となる廟は1504年~1505年に建設されましたが対オスマン・トルコとの戦いでアレッポにて戦死して遺体は見つからなかったそうです。(だから彼の廟ですが、遺体はありません。)

マムルーク朝は 「エジプト 8 (ベデスタン通りとサラディン)」で紹介しましたが、奴隷から軍人となり、自由人となったマムルーク達の建てた王朝です。
ただ、 一貫した王朝スタイルをとりつつも王位の世襲は行われず (多少の例外はあったようです。)スルタンには マムルークの軍人の中の有力者が代々就いたそうです。
軍人だからマムルーク朝のスルタンは、自ら剣をとって戦いに出かけたのでしょうか・・・。

マムルーク朝(1250年~1517年)267年でスルタンの数は55人もいます。在位期間1~3年がほとんど
しかし、 同じ人が間を入れて3回スルタンに返り咲いている場合も あります。
と言う事は
全て死んでチェンジではなく、任期か人気か選挙だったのかも知れませんね。

両建物の上は屋根が付けられていますが、下はハーン・アルハリーリを縦に横断するアル・ムイッズ通りとなっています。
カイロの街 34

屋根をささえる柱は建物の壁に・・壁にはくぼみがあり、最初から固定されるように造られているようです。
と、言う事は建設当初から想定されていたのでしょうか?
カイロの街 35

アル・ムイッズ通りには他にもいくつかのモスクがあります。バザールはこうした所に造られて拡大していったようです。
カイロの街 36

アル・ムイッズ通りは途中名前は変えていますが、まっすぐにほぼナイル川に平行するように伸びている道です。
どうもファーティマ朝以来の古道のようです。
カイロの街 42

アル・ハズハル・モスク近くの食品街(地元の人達が買うお店)
露天のエイシ売りのおばさん
カイロの街 41
「エジプトのパン・エイシ」は11月に簡単に紹介していますスマイル
衛生面が気にかかる・・・・例えば路上に落ちてもエイシの表面は粉粉しているから解らないし・・。ただでさえ砂嵐が来るから街はほこりっぽいのに・・・。

カイロの街 39
よくよく見れば、水パイプを吸いながら商売しているようです。

ディスプレーは大切だとつくづく思う。
カイロの街 43
刈り取った雑草を積み上げているような八百屋さん・・・・購買欲の無くなる飾り方ですね。

トマトを1個1個ボロ布で磨いているおじさん・・・。
カイロの街 40
できれば何もしないでそっとしておいてほしいものです・・。

現実のエジプト市場はこんな感じ。駐在中の外国人居住者は一般的には外国人向けスーパーで買い物するようです。(値段は高いですが・・。)

つづく
リンク ​ エジプト 12 (クイズ・・・どこの神殿でしょうか? ) ​

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リンク ​ エジプト 7 (ハーン・ハリーリ) ​
リンク ​ エジプト 8 (ベデスタン通りとサラディン)バザール Part2 ​
リンク ​ エジプト 9 (香辛料の店) ​
リンク ​ エジプト 10 (コーランと礼拝所とマドラサ) ​
エジプト 11 (地元民の市場とマムルーク朝のスルタン)






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Last updated  2020年10月10日 15時27分49秒
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