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マンションの外階段はまるでゲレンデのようになだらかに美しい傾斜を見せてスノボーでもできそうな状態でした ![]()
おかげで階段に25センチ以上積もった雪をどけるのに体力を使い、腰を痛め指にはまめができました ![]()
雪国の人からみたら何そのくらい・・と思われるでしょうが、雪よけの道具などなく、素手でサンダル履きでチリトリ片手に奮闘したのですから仕方無いのです。
ブリュッセル(Brussels) 11 (王宮)
王宮(Palais Royal)
ブリュッセル公園(Parc de Bruxelles)
さて、ブリュッセル・シリーズ王宮をささっと紹介です。夏の特定の時期になると内部を一般公開しているそうですが今回はその時期では無かったので外側だけです。

日本の皇室と親しい事で知られているベルギー王室は案外新しい国です。
その歴史は 1830年のネーデルラント連合王国からの独立革命から始まり、国王は現在で7代目。
(ベルギーの正式な独立承認は1839年)
国王一覧
レオポルド1世(Léopold I)(1790年~1865年)
レオポルド2世(Léopold II)(1835年~1909年)
アルベール1世(Albert I)(1875年~1934年
)
レオポルド3世(Léopold III)(1901年~1983年
)
ボードゥアン1世( Baudouin I)(1930年~1993年
)
アルベール2世(Albert II)(1934年~)
フィリップ(Philippe Léopold Louis Marie)(1960年~)
歴史が浅い・・と言っても初代国王レオポルド1世はザクセン=コーブルク=ゴータ公国出身の家系。
中世以来、主にドイツのザクセン地方を納めていたザクセン王の家系であるヴェッティン家(Wettin)の分家に当たる由緒ある家系だそうで、現在のベルギー王家の他ブルガリア国王フェルディナンド1世、ポルトガル国王フェルナンド2世、イギリス王配アルバートなどが輩出されている。
王宮は広くて写真一枚には入り切らないのである。
クーデンベルク(Koudenberg)の丘に最初に城が建てられたのは11~12世紀
。
この頃はまだ小さな城で、同じ頃隣接する裁判所も建てられたと言う。
15世紀頃、くブルゴーニュ、ブラバン、フランダース、リンブルフナミュールを治めていた Filips de Goede(1396年~1467年)の時代に公が居をここに移すべく大きな宮殿を建設
したようです。
(Filips de Goedeはネーデルランド(現ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)の歴史に重要な役割を果たした人物だそうで、政治の中心がここに来た・・と言う事。)
17世紀の絵画の中に前の宮殿が描かれています。(ウィキメディアより借りてきました)
Paleis op de Koudenberg(クーデンベルク宮殿)
アルブレヒト・デューラー(Albrecht Dürer)(1471年~1528年)も見ていた・・とされる以前の宮殿は魅力的な庭園と多くのアートコレクションで欧州では有名な宮殿だったそうです。
しかし、 1731年に、オーストリアの女性知事マリアエリザベスの治世に宮殿は焼失。
1775年に地区の再設計で残骸は全て撤去されたようです。
左の翼の先
現在の王宮(Palais Royal)は
ベルギーがまだ南ネーデルランドと呼ばれていた ハプスブルグ家の支配下にあった時代(1713年~1794年)に再建
されたものだそうです。
とは言え最初は館が二つ建てられ、後に増築合体。(1784年頃完成?)
1815年にはネーデルランド王国国王の宮殿となる。
そしてベルギー王国に入って レオポルド2世(Léopold II)(
1835年~1909年) の時に宮殿の改装改築が行われ現在に至っっていると言う。(1862年~1904年)
因みにハプスブルク家および神聖ローマ帝国はフランス皇帝となったナポレオン1世の攻勢に屈して解体される。(ハプスブルク家のフランツ2世は1806年に退位。)
新古典主義様式(Neoclassical Architecture)で建築された王宮はちょっとルーヴル宮殿に似ている。
宮殿ファサードの破風
宮殿正面にはブリュッセル公園のゲートがある。
本来は宮殿の前庭につながっていた所。さかのぼればブラバント公の狩猟場として使われていた場所だそうだ。
今は宮殿と公園は通り抜けできる広い道路になって分断されている。
ブリュッセル公園(Parc de Bruxelles)
敷地13.1 ha
宮殿の前は1776~1783年に新古典主義派のフランスの建築家Gilles-Barnabé Guimard(1734年~1805年)とJoachim Zinnerにより幾何学様式でデザインされ造園。
1830年のベルギー独立時は戦場にもなり、破壊された公園は時間を掛けて復元されたそうです。
王宮の南東側にはレオポルド2世(Léopold II)(1835年~1909年)の騎馬像が置かれている。
ちょうど真向かいあたりに日本大使館がある。
写真右の奧がブリュッセル公園。
王宮の塀に飾られているオブジェ?
甲冑をモチーフにしたこのような像はめずらしい。
何かの意匠か? と思ったが解らなかった。
王宮隣の裁判所の窓にも甲冑の兜をモチーフにした窓が・・。
これも新古典主義のモチーフなのか?
解ったらどこかでお知らせします。
おまけ・・裁判所
王宮おわり。
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