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2025.10.16
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カテゴリ: 生物学
​ 今からちょうど100年前の1925年。フランスの軍人で写真を趣味にしていたマルセラン・フランドランは、偵察任務の合間に、そうとは知らず、ある伝説的な動物の最後の姿を写真に収めていた。

​◎1人の軍人が偵察任務の合間に偶然撮影​
写真 )。その写真は後に、歴史的に有名なネコ科の大型動物、バーバリライオンの姿を確認できた最後の1枚として知られるようになった。



​◎映画にも希少種として取り上げられ、モロッコには像も​
​ その実例は、モロッコを舞台にしたアメリカ映画『風とライオン』にも描かれている( 写真 :24年7月28日付日記:「『風とライオン』の描いたバーバリライオンと20世紀初頭のドイツによるモロッコ危機前哨戦」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202407280000/を参照)。​



 時は、1904年。列強がしのぎを削る中、アメリカ大使はモロッコ太守にご機嫌取りでライオンを贈るシーンがある。モロッコにまだわずかにバーバリライオンは生き残っていたが、個体数は絶滅寸前まで激減していた。だからこそモロッコ太守はライオンを所望したのだろうが、アメリカは捕獲に困難を極めただろう。
​​ 上掲日記にも触れたが、11年前にモロッコを観光した僕は、2カ所でバーバリライオンの像を観ている( 下の写真の上 =アトラス山脈を降りたイフレンの街の公園に設置されていたバーバリライオン石像、 下の写真の下 =フェズの街角に建つライオン像)。それだけ、今もモロッコ人にバーバリライオンは畏敬の念をもたれているのだ。
​​




​◎黒いたてがみが背中や腹部を厚く覆う​
​​ バーバリライオンの特徴は、たてがみの色が黒っぽいことだ( ​下の写真の上​ =1898年の絵葉書のバーバリライオンの写真、 下の写真の下 =飼育下の混血種のバーバリライオン)。​​





 「アトラスライオン」という異名もあるバーバリライオンはもともと、北アフリカの山林や不毛の砂漠地帯に生息していた頂点捕食者だった。現生のアフリカライオンの一亜種として、独立分類が必要なほど遺伝的な違いを有するか否かについては、科学者の間でいまだに議論が続いている。研究者がバーバリライオンの形態的な特徴としたのは、たてがみが背中や腹部まで覆うほど厚く、その色が黒っぽいことだ。
 バーバリライオンは、モザイク画や彫刻、盾の飾りになり、後の世紀には王侯貴族の間で贈り物としてやりとりされたり、見世物にされたりした。その姿は国章にも採用され、モロッコやイギリスの王室紋章にもその姿を見ることができる。
 しかし、時代が進むにつれ、野生のバーバリライオンは姿を消し始めた。

​◎狩猟によって姿を消していったバーバリライオン​
 1800年代に入ると、オスマン帝国と、後には植民地をもつヨーロッパ列強が北アフリカを支配下に置くようになった。都市化が進み、森林が伐採されていった結果、バーバリライオンの生息地は縮小した。
 しかし、バーバリライオンを絶滅に追い込んだ原因は、生息地の喪失だけではない。バーバリライオンは、スポーツとしての狩猟の対象でもあった。植民地を治める官僚を中心としたヨーロッパのハンターたちが、バーバリライオンを戦利品として狙うようになったのだ。彼らは、危険で贅沢な狩猟の証拠とされた。
 アルジェリアを植民地支配していたフランス軍の公式記録によると、19世紀の間に何百頭ものバーバリライオンが獲物として射殺された。そして、彼らがかつて栄えていた生息地一帯は静まり返った。

​◎アトラス山脈の霧に包まれた斜面を歩く最後のバーバリライオン​
 20世紀初頭までには、野生のバーバリライオンはすっかり姿を消していた。冒頭の写真は、今からちょうど100年前の1925年、野生のバーバリライオンをとらえた最後の貴重な1枚だった。
 フランス軍部隊に所属する1人のアマチュア写真家が、アトラス山脈の霧に包まれた斜面を進む1頭のライオンを空から見つけ、偵察任務の合間の短い休憩中にその姿を写真に収めた。その写真がやがて、ヨーロッパ自然史アーカイブに収蔵されることになるとも知らずに。
 この1枚の重要性を引き立てているのは、撮影された時の状況だ。撮影者は、野生が見せた一瞬の美しい光景を収めようとシャッターを切ったが、それが、野生のバーバリライオンの最後の写真記録となった。それからまもなくして、バーバリライオンは絶滅が宣言された。

​◎動物園の現存個体はすべて交雑種​
 バーバリライオンの遺伝子プールは、飼育されている個体に現在も残っている可能性がある。野生のバーバリライオンが完全に姿を消したのを受け、ヨーロッパと北アフリカ各地の動物園はバーバリライオンを飼育していると主張した。とはいえ、それらの個体が純血種なのか、他の亜種との混血種なのかは定かではなかった。
 モロッコ王室が飼育していたライオンには、何世紀も前に、イスラム系王国のスルタンから贈られたバーバリライオンの子孫と考えられる個体もいた。1990年代に入ると、遺伝子検査によってその真偽が明らかになり始めた。残念なことに、それらの個体の多くは、バーバリライオン由来の遺伝子マーカーを部分的にしか保有していなかった。飼育下で交雑が進み、混血種となっていたのだ。
 現存するバーバリライオン(そう呼べるかどうかは不明だが)は今、動物園や保護施設で飼育されており、熱心な繁殖プログラムが行われている。中でも、モロッコのラバト動物園と、エチオピアのアジスアベバにある施設が力を入れている。
 最優先すべきは、バーバリライオン特有の遺伝子の保護と保存だ。バーバリライオンという亜種を本当に復元できるかどうかは不確かであり、保護活動に取り組む人々にとっては依然として大きな課題となっている。

​◎絶滅種を象徴する存在​
 最後の姿が撮影されてから100年が過ぎた今、バーバリライオンの物語は何を意味するのだろうか。生物学者にとっては、人類がいとも簡単に種を絶滅に追いやれることを示す痛ましい事例だ。たとえ尊ばれ、神話になるほどの種であっても、例外ではない。
 人類は、バーバリライオンに対して畏怖の念を抱いていたが、責任ある行動へと駆り立てるほどではなかった。芸術や紋章、文学でその存在を称えていたにもかかわらず、バーバリライオンの住む森やその獲物、野生における居場所を守ることに失敗した。
 動物保護の分野ではしばしば、警鐘を鳴らす存在としてバーバリライオンが引き合いに出される。歴史的に有名な存在であっても、必ず生き残れるわけではないことを思い出させるからだ。認知だけでは不十分であり、積極的に保護活動を行わなければ、最強の種であっても姿を消してしまう可能性があるのだ。

昨年の今日の日記 :「タリム盆地ミイラの首飾りに用いられた3500年前のケフィアチーズの古代人DNAから定説と異なる起源が判明」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202410160000/​





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Last updated  2025.10.16 05:56:05


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