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都市の街路と公園の森を黄色く彩るイチョウの黄葉が美しい。 イチョウの黄葉は、僕たち都会人の身近にある木のため、晩秋の深まりの印としてよく目につく。◎日比谷公園、東大・本郷、そして北大 一昨日、曇天とあいにくの天気だったが、日比谷公園と日比谷通りのイチョウの黄葉を鑑賞に歩いた(写真)。往く秋を惜しみつつ、ゆっくりと黄葉を愛でた。晴れていれば、青空をバックに黄葉はさらに輝いただろうと、少しばかり残念ではあったが。 これまで僕の観たイチョウ並木の黄葉で特に印象深いのは、東大・本郷の正門から安田講堂に向かって立ち並ぶイチョウ並木(下の写真の上)と、北の北海道大学の北13条門から構内を西に走る北13条通りの両側に並ぶイチョウ並木(下の写真の中央と下)である。緯度の差から、前者は11月末~12月初め、後者は、それよりおおむね1カ月早い。 この2カ所は、季節の観光地として割と有名だ。◎ジュラ紀には世界中に広がり栄えたが、今は絶滅危惧種 あまり知られていないが、種としてのイチョウの歴史は古い。世界で最古の現生樹種の1つという。その祖先種は、約3億~2.5億年前のペルム紀に出現している。 中生代ジュラ紀には大いに栄え、全世界的に繁茂した。世界各地で葉の化石が見つかっている(写真=始新世の時代のイチョウの葉の化石)。日本にも初期の頃から自生していたらしいが、約100万年前に絶滅した。 生物史として見れば、イチョウはすでに絶滅へと向かう植物かもしれない。実際、我々が目にするイチョウGinkgo bilobaは、唯一現存する種なのだ。そのためイチョウは「生きている化石」とされ、国際自然保護連合 (IUCN)のレッドリストの絶滅危惧種に指定されている。◎あるオランダ商館医の手で日本からヨーロッパに持ち帰られる 日本では100万年前頃に絶滅したと先述したが、今に見るイチョウは、中国大陸原産で、朝鮮半島を経由して仏教伝来とともに渡来したとされる。ただし渡来年代は、仏教が初めて渡来した古墳時代後期よりずっと後のことだったらしい。奈良時代の文献はもとより、平安時代の文献にも出ていない。だから鎌倉時代以降の渡来、ということになるらしい。 日本に定着したイチョウは、希有なことに、17世紀後半、ヨーロッパに渡る。 江戸時代にオランダ商館医だったドイツの博物学者エンゲルベルト・ケンペルが、日本からイチョウの種子をヨーロッパに持ち帰った。◎スペイン、ポーランド、バルト3国、そして旧ユーゴでも気づかず ケンペルの持ち帰った種子は、オランダの植物園に植えられ、そこから増やされ、ヨーロッパ各地に植えられた。今では街路樹にも広く植えられているようだ。江戸時代の鎖国の日本から、ヨーロッパに渡った数少ない例がイチョウなのかもしれない。 ただ「その目」を持たなかったため、2007年9月に行ったスペインで、2014年7月に行ったポーランドとバルト3国に植わっていたかどうか気づかなかった。特にスペイン、マドリッドでは植物園にまで入園していたのに。 今夏のボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、スロベニアも同様だった。「その目」を持たない者にとって、ケルペンの「遺産」は盲目なのだ。 今度ヨーロッパに行く時は、「その目」で探してみよう。昨年の今日の日記:「初期ホモ属で始まった成長期の遅延、177万年前のジョージア、ドマニシのホモ・エレクトスで」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202412030000/
2025.12.04

それを思うと、天文学好きの心をいつも引きつけるかもしれない。そしていささかな哀切感も。 1977年9月5日に木星と土星の探査のために打ち上げられた宇宙探査機「ボイジャー1号」である(想像図)。ボイジャー1号は、その役目を立派に果たした後、そのまま外宇宙へと飛び出し、ひたすら果てしない星間を探る星間ミッションを続けている。約半世紀後の今も、はるか宇宙の彼方を秒速約17キロ(時速6万1198キロ)で遠ざかりつつ、地球へ観測データを送り続けている。◎1年後、ボイジャー1号から受ける電波は1日前のもの ボイジャー1号の地球から距離が、今から1年後の2026年11月頃には「1光日」に到達する。1光日とは「光が1日に進む距離」のことだ。つまりその時に受信した信号は、実は1日前と古いものであり、その時現在のボイジャー1号がどうなっているのか誰も分からないという途方も無い超遠距離だ。 つまりNASAのボイジャー管制が50年近くにわたってやりとりしてきた探査機との通信タイムラグが片道で24時間(往復でまる2日)を超えるのだ。光速は秒速29万9792キロ、時速は約10.8億キロというとてつもない速度であり、日常生活で我々がその速さを認識する機会はまずない。 その光速でもまる1日かかるほどに遠くを航行し、現在も通信を維持している宇宙探査機はもちろんボイジャー1号が初めてとなる。ちなみにボイジャー1号は、1998年2月17日にやはり地球から遠ざかる軌道にあるパイオニア10号の距離を追い越し、それ以来「最も地球から遠い探査機」の座を維持している。◎過酷な宇宙空間で半世紀近くの運用、各所にガタ ただ、その遠さを我々が認識できるのも、そう長いことではない。ボイジャー1号は48年以上もの長期運用のため、すでに各所にガタが来ているから、いつ交信を絶っても不思議はないのだ。 ただ、その遠さを我々が認識できるのも、そう長いことではない。ボイジャー1号は過酷な宇宙空間で48年以上もの長期運用のため、すでに各所にガタが来ているから、いつ交信を絶っても不思議はないのだ。 例えば23年11月に、送信されて来たデータが解読不能なまでに壊れているという事態が発生し、NASAは問題を回避して正常な運用を再開するまでにおよそ半年の期間を要した。また、今から1年ほど前には、長距離通信を担うXバンドの送信機が不具合を起こしてより電波強度の低いSバンドに切り替わってしまう問題も発生した。これは、システムへの供給電力低下を避けるためにヒーターをオフにした結果、それによってインターロックが動作したのが原因だった。ちなみにインターロックとは機器の誤操作防止や安全確保のための制御機構だ。◎機器を働かせる電源の原子力電池の劣化が進行 NASAがヒーターをオフにしようとしたのは、現在も動作している科学機器を用いた観測や、それで得たデータを地球へと送信し、また管制からの操作コマンドを受信するためのエネルギー源である原子力電池の発電量が年々低下してきているからだ。 原子力電池は、半減期の長いプルトニウムの崩壊熱を電気に変換するもので、当初想定された運用年数を大幅に超えているため、原子力電池の発電力低下は避けることができない。例えば打ち上げした1977年当時470ワットを供給していた原子力電池の電力供給能力は、2025年時点で225ワットまで落ちている。 そのため、NASAは少なくなりつつある電力を節約するため、ボイジャーが搭載する科学観測機器の電源を1つひとつ切りながら運用を続けてきた。◎「対話」できるのはあと1年ほどか だがNASAの推測では、それでもボイジャー1号が通信を維持できるのはあと1年程度だそうだ。するとボイジャー1号が1光日の距離に到達するのが先か、電源が機能不足になるのが先か、となるが、それは分からない。それでもNASAは最後の日までしっかりと運用していく構えだ。 ちなみに、いつか機能停止に陥ったとしても、ボイジャー1号はほぼ同時に打ち上げられた姉妹機のボイジャー2号ともども地球からますます遠ざかっていくことになる(図=ボイジャー1号と2号の海王星以遠の道)。 現在、ボイジャー1号は地球から約253億キロという超遠距離にあり、通信の信号が届くには片道でおよそ23時間半かかる。これが24時間になる、つまり1光日に達するのは2026年11月15日と予想されている。 ボイジャー1号との対話が絶たれた後は、探査機が地球からの使者であることを示す暗号円盤(写真)を未知の地球外知性が拾い上げてくれるのを待つだけとなる。昨年の今日の日記:「初期ホモ属で始まった成長期の遅延、177万年前のジョージア、ドマニシのホモ・エレクトスで」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202412030000/
2025.12.03

悪性デフレに突入しつつあるスターリニスト中国の経済は、かなり重症かもしれない。◎原因は不動産不況と過剰生産 9月期四半期決算が出揃ってみると、上場約5300社の2025年1月~9月期決算は、最終赤字となった企業の割合が24%、実に4分の1にも達した(図)。 データの取れる02年以降では最低だという。 日本なら、スタートアップ企業なら経常赤字は普通だが、東証プライム、スタンダード市場上場で赤字決算企業など、今はほとんどない。かつては酷い時もあったが、市場上場の4分の1が赤字だったことなど記憶に無い。 むろん原因は、はっきりしている。不動産不況と過剰生産だ。◎上場不動産会社の約半数は赤字 不動産不況は、底無しだ。20年に習近平指導部が銀行に融資規制を打ち出して以来、改善の気配も見えない。少子化・人口減・婚姻数減もあって、売れ残り物件が積み上がっており、業績悪化に歯止めがかからない。 いかに酷いかは、1月~9月期の上場100社中、半数に近い48社が最終赤字だった。新築住宅の販売面積が1月~9月期に前年同期比6%減となったから、無理も無い。不動産各社は、少しでも在庫整理をと投げ売りに走っているから、赤字企業は拡大・広がっている。◎マンションブランド企業も1月~9月期で6100億円もの大赤字 中でも、かつてはスターリニスト中国マンション業界トップで品質評価の高い物件を提供する優良ブランド企業だった万科企業(写真)は、1月~9月期の最終損益が280億元(約6100億円)と、スターリニスト中国上場企業の中で最悪の赤字額を出した。スターリニスト中国の不動産の破綻と言えば、恒大集団や碧桂園があるが、当初は比較的安全と思われていた万科企業が破綻に瀕している。 26日には、近く満期を迎える債券について償還期限の延長に関する債権者集会を開催すると公表し、債券価格と株価が急落している。例えば社債は約50%も急落した。社債保有者は、デフォルト必至とみているのだ。 不動産デベロッパーが軒並み不振となれば、運命共同体とも言える建設業も大不振で、建設業の3割超が最終赤字となっている。◎太陽光発電も自動車も デフレ不況が深刻化すると、他の業界にも波及している。特にスターリニスト中国の宿痾とも言うべき過剰生産だ。 典型が太陽光関連の企業群で、晶科能源(ジンコソーラー:写真=同社製の太陽光発電パネル)を初め大手各社が軒並み最終赤字となった。過剰生産で需要を上回る太陽光発電パネルを市場に垂れ流しにしているのだから、赤字になるのも無理はない。 価格競争に巻き込まれている自動車も酷い。乗用車、商用車のメーカー21社中6社が最終赤字となり、純利益合計は10%も減益となった。国有の広州汽車集団が43億元の最終赤字となった他、「中国のテスラ」と言われるEVの比亜迪(BYD)も、黒字を維持するも8%の最終減益となった。◎溢れた製品は海外へダンピング輸出 不動産も太陽光発電パネルも、そして自動車も、みんな作り過ぎである。自動車はなお需要が伸びているが、それも鈍化している。そして奴らのとる最終手段は、かつての鉄鋼業界がやったように、海外へのダンピング輸出である。 スターリニスト中国の太陽光発電パネルの安値輸出のあおりで、かつては世界市場に君臨した日本の太陽光発電パネルメーカーは、ほぼ無くなった。自動車も、日本メーカーの金城湯池だった東南アジアで、少しずつシェアを減らしている。 比亜迪のEVも同様で、日本では車種によっては100万円以上の値引きで安値攻勢をかけている。経産省が今のうちにダンピング輸出を規制しないと、日本のEVは駆逐されてしまうかもしれない。昨年の今日の日記:「ウクライナ戦線に投入された北朝鮮傭兵は幸せか、自由の道への扉が開かれた」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202412020000/
2025.12.02

日本の国債価格の利回りがジリジリと上がっている。利回り上昇は価格下落を意味しているから、それは日本国債の信認の低下でもある。◎「責任ある積極財政」の高市首相だが、国債金利はジリジリ上昇 高市政権の登場からマーケットで顕著になったのは、「責任ある積極財政」の方針のもと、株高と国債価格下落=長期金利の上昇である。 株高は、本ブログでも何度か述べた。しかし債券安は、取り上げたことはなかった。債券安は、「責任ある」と付いているもののマーケットが「積極財政」という名のもと、国債増発を懸念していることだ。 先月28日に閣議決定された補正予算案で、歳出17兆7028億円のうち、歳入として11兆6960億円もの巨額の新規国債を発行することが決まった。 額は大きいが、それでも国債消化の懸念は少なく、また新規国債の発行額の明確化で一応、「材料出尽くし」となるはずだ。 それでもマーケットは、次年度2026年本予算でのさらなる新規国債発行額の大幅増を懸念しているだろう。◎絶不人気の労働党だが、金融市場安定のため増税打ち出す この懸念に対しては、11月26日に公表されたイギリスのスターマー労働党政権の2026年の年次予算案が参考になる。 スターマー政権は、今、不人気の絶頂にある。直近の世論調査によると、与党の労働党支持率は19%しかなく、新興極右の「リフォームUK」の25%に大きく遅れをとっている。今、総選挙をすれば、労働党のスターマー政権の崩壊は確実な状況だ。 それでも驚くのは、スターマー政権は所得税の実質増税など合計266億ポンド(約5.5兆円)もの増税を打ち出したことだ。◎トラス・ショックの教訓 この発表を金融市場は、好感した。レイチェル・リーブス財務相の発表前は、4.55%だったイギリス国債10年ものの利回りは、発表後に0.07ポイントも低下し、4.42%になった(写真=増税を発表するリーブス財務相)。 進んでいたポンド安も買われ、一時1ポンド=1.32ドルと対ドルで1カ月ぶりの高値まで上昇した。 国債安とポンド安に歯止めがかかったのだ。 イギリスのマーケットは、かつて22年9月の「トラス・ショック」の強烈な反応で、就任したばかりのリズ・トラス首相(当時=写真)の大幅減税案を葬り去ったことがある。トラス首相は、就任後の人気上昇を当て込みも大幅減税案を打ち出したが財源が明確でなかったため、マーケットは国債大増発を懸念し、債券・株・通貨のトリプル安となった。◎マーケットの直撃受けたトラス首相はたった49日で退陣 マーケットの信認を失ったトラス首相は、減税案を撤回し、財務相を解任などしたが、それでもマーケットの信認を回復できず、就任わずか49日で退陣した。49日で退陣は、長いイギリスの議会史上最短となった。 スターマー政権が、トラス・ショックを教訓にしていたことは明らかで、たとえ不人気でも増税で財政再建を目指したことは評価できる。 イギリスは日本と違い経常赤字という違いはある。それでも日本は、G7最悪の巨大債務残高を抱える。25年4月時点で対GDP比で235%、約1466兆円もある(図)。 高市首相も先輩女性首相の轍を踏まないように、慎重な財政運営を心がけてほしいと願う。昨年の今日の日記:「富裕層やセレブのプライベートジェット機の利用で、二酸化炭素排出量が激増中」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202412010000/
2025.12.01

ソフトバンクグループ(SBG:写真=本社の入るビルと孫正義・会長兼社長)の高利回りの個人向け国債(第67回債)の発行条件が26日、決まった。総額5000億円、7年債で利率は3.98%だ。税金を引いても、正味3%以上の利回りだとすると、かなり条件がいい。◎多額の債務を抱えているから、格付けは低い これほど高利率なのは、実はSBGの格付けが低いからだ。スタンダード&プアーズ(S&P)がBB+(長期債)、日本格付研究所(JCR)がA-(長期債)としている。S&Pの評価は、機関投資家は投資対象外とする「投機的」な水準だ。株価は1万7000円と高いのに、長期債の評価は一般の常識からは信じられないほど低い。 「投機的」とされるほど低いのは、SBGが多額の負債を抱えているからだ。個人向け社債だけで、今回の5000億円を加えて約10兆円近い9兆8995億円にも達するのだ(図)。そればかりではない。SBGにはさらに負債があり、総額は2025年9月末時点で32兆3010億円にも達する。もちろんこれを上回る資産があるから、債務超過ではない。◎最初の個人向け社債から利率は高かった それでもマーケットは、あまりの債務の多さからSBGの債務不履行の可能性を危ぶみ、それだけ高い社債利率を高くしないと投資家の応募が集まらないのだ。 なお前記の社債発行残高は、償還額が4兆9875億円あるので、差し引きの発行残高は5兆円弱となる。債務超過による倒産など、ほとんど考える必要がないのは事実だ(図=個人向け社債残高全体とSBGの占める割合)。 初めてSBGが個人向け社債を発行したのは、プロ野球のソフトバンクを買収した05年だ。その時、ソフトバンクを応援する意味と高利率に誘われ、僕は200万円の個人向け社債を購入した。利率と年限ははっきり覚えていないが、利率は5%ほどあったと思う。 その時、ソフトバンク・ホークスの名入れトートーバックをもらった記憶がある。◎1年前の個人向け社債は含み損 その後も昨年6月、第63回の個人向け社債を買った。7年債で利率は、3.03%だった。今回の67回債よりはだいぶ低いのは、まだ今のような金利高に向かう前だったからだ。そのため、多少の評価損となっている。今、市場で売却すれば損失が出るが、カネに困っているわけではないので、満期まで持ち切るつもりだ。それなら損失は無い。 その意味で、実は今回の67回債が「買い」だとは俄には言い切れない。 SBGの資金需要と、したがって個人向け社債の発行意欲は旺盛だ。10月には、スイス重電大手ABBのロボット事業を約8000億円で買収すると発表している。SBGは投資会社なので、これからも多額の資金で買収を繰り返していくだろう。つまりその都度、発行市場から資金調達することになる。◎今は金利動向を見る時かも 次に個人向け社債を発行する時、今よりも金利高となっていれば、募集金利は4%を超えているだろう。ひょっとすると5%に近い金利になっているかもしれない。 そうなった時、67回債の3.98%は見劣りするから、時価は下落していて、何かお金が必要になって証券会社を通じて市場売却しようとすると、ある程度の損失が出るのは避けられない。 今回、僕は証券会社の誘いを断った。昨年の今日の日記:「ユタ州の国有林に自生するヤマナラシ(ポプラの仲間)はただ1本の木で5万本もの大群落を作り、その寿命は数万年」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202411300000/
2025.11.30

大分、佐賀関の大火は、木造住宅の密集する古い住宅地(木密住宅群)の怖さを実感させた。来たるべき首都直下型地震で、木密住宅の広がる東京などに警鐘を鳴らす。◎異常な空き家の多さ 佐賀関の大火(写真)は、古い木密の住宅地について他にいくつかのリスクを浮き彫りにした。火元が死亡した酒好きで煙草のみの76歳の独居老人の住宅だったことが1つだ。独りだから寂しさのあまり、酒におぼれ、煙草で無聊を慰める。おそらく酔いつぶれて煙草の火の始末もしないまま、の失火だったのだろう。本人が死んだのは自業自得と言えるが、延焼で住まいと家財を失った人たちには気の毒だった。 もう1つは、あちらにもこちらにも点在した空き家の多さだった。40棟ほどあったという。都市に住む僕には、異常というしかない空き家率だ。管理のなされない空き家は、延焼を広げる絶好の薪に近い。 これが延焼を拡大させた一因だが、過疎化に伴う空き家は、各地の古い住宅街に広がる。せめて佐賀関でも、空き家を撤去して更地にしていれば、それが防火帯となり、延焼を防げたであろう。 首都直下型地震へのもう1つの警鐘である。 再建に当たっては、無秩序な木密の再現を絶対に避け、耐火の集合住宅にしてほしいと思う。◎現場の竹製足場と網が導火線になった香港 その記憶もさめやらぬ26日午後、海の向こうの香港北部・新界地区で、高層マンション群の大火災が起こった(写真)。こちらは、香港政府の28日の発表によると128人が死亡するという大災害となった。なお捜索で死者は増える見込みだ。 火元は不明だが、外壁の補修工事のため竹で組んだ足場と足場を覆う可燃性の防護ネットが延焼の導火線になったようだ。 足場が竹と知り、日本を上回る1人当たりGDPの香港で、日本でとうの昔に鉄パイプに代わっていたのに、なんと遅れていることかと思った。ちなみに香港では、竹の足場が主流なのだという(写真)。鉄パイプのものよりかなりコスト安だろうけれど、足場で働く職人の安全性は、鉄パイプ製の方がはるかに高い。現場での組み立てが容易な鉄パイプは、働く職人が動く通路が作れるのだ。◎竹の足場のコストは鉄パイプ足場の20分の1 しかし香港で、竹製の足場が当たり前なのは、「竹の国」である大陸南部からいくらでも調達でき、したがって安価だからだ。コストは、鉄パイプの約20分の1という。 しかし安全性を軽視し、コスト安を優先した香港名物の竹の足場は、この傷ましい火災から今後、無くなっていくだろう。このあたり、いかにも中国的だ。 ちなみに竹が手に入りにくい途上国では、丸太の足場だ。9年前に行ったエチオピアでは、ビル建設現場の足場は、ほとんどどこでも丸太だった(写真)。ここでは鉄パイプなどコスト高のためかどこにも使われていないようだった。昨年の今日の日記:「レバノンの『ヒズボラ』、事実上の白旗で、イスラエルと停戦」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202411290000/
2025.11.29

韓国の李在明大統領が、中東・アフリカを歴訪し、兵器や原子力発電所を売り込んでいる。◎火薬庫の中東は外国から武器を買うだけ 羨ましいと思う。兵器を売り込んでも「死の商人」と批判する野党もメディアもおらず、原発を売っても「事故が起こったらどうするのか」と足を引っ張る勢力もいない。 スウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SPIRI=写真)によると、2020~24年の累計で韓国は世界のトップ10に入っている(図)。断トツのアメリカの43.0%は別格としても、8位イスラエル、9位スペインに次ぐ10位で、シェアは2.2%だ。 訪問地のUAEを、李在明大統領は重視しているという(写真=最初の訪問国UAE)。戦火の絶えない中東地域は、イスラエルが断トツの軍事大国で、イスラエル自身も兵器輸出国だが、アラブ諸国はSPIRIの統計には1カ国も顔を出していない。もっぱらアメリカやロシアから買うだけだ。◎がんじがらめの規制の日本 アラブ諸国としては、敵国筋のイスラエルから購入するわけにはいかないが、調達先を分散する意味でも韓国はちょうどよい「輸入国」と映るようだ。しかも韓国の場合、売りっぱなしではなく技術協力を通じて国産化の手伝いをする。 ひるがえって日本は、どうか。先のSPIRI統計には、もとより顔を出していない。 そもそも「防衛装備移転3原則」で、武器輸出に厳しい足枷手枷がかけられている。同原則は2014年に政府方針として制定され、ほんの少し外国への輸出のドアが開けられたが、それ以前の「武器輸出3原則」では事実上の禁止だった。その防衛装備3原則でも、厳しい規制がなされている。◎戦前、日本はほとんどの兵器を国産していた 科学技術大国の日本は、武器を輸出するつもりなら、いくらでも開発できるだろう。 自動車生産大国だから、戦車、装甲車などは本気で開発すれば、世界1優秀なものを製造できる。艦船だって、造船世界3位の国だから、空母だって作れる(写真=真珠湾攻撃にも参加した日本海軍の空母「瑞鶴」)。戦闘機も、今はイギリス、イタリアとF-2の後継機となる次世代戦闘機を開発中の段階だ。しかしそれらはみんな、戦前にはすべて国産だったのだ。特に戦闘機「ゼロ戦」は、実戦に投入されるや中国やアメリカの航空部隊が、戦闘を避けて逃げ散ったほど世界最先端の性能を持っていたのだ。 それが、今や見る影もない。自衛隊が細々と更新するだけの需要だから、防衛産業も儲からない、とこの間に相次いで撤退してしまった。◎韓国にも軍事力で劣って竹島は返ってくるのか 軍事需要で得た技術は、民需にも転用できる。 そのパイプが、すべて断ち切られている。もったいないことだ、と思う。 韓国は、このほどアメリカから原子力潜水艦の建造を認められた(11月19日付日記:「韓国、原子力潜水艦の建造が決まる、事実上の核保有国に、東アジアの核戦力バランスは激変」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202511190000/)。核アレルギーとやらで、非核3原則で、日本の原潜保有も建造も今は「夢のまた夢」だ。 日本は軍事力でも韓国に劣後している。これでは、竹島など絶対に返してもらえないだろう。昨年の今日の日記:「韓国側が『佐渡島の金山』追悼式で一斉欠席を促した共同通信のまたしても国益損なう反日誤報」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202411280000/
2025.11.28

地球とランデブー状態で太陽の周りを周回しているが、見た目には月のように地球の周りを回っている、という天体がある。「準衛星」という。 月とは異なるのは、前記のように地球の重力に捕らえられておらず、実際には太陽の周りを回っているのだ。しかし準衛星は、地球とほぼ同じ軌道と公転周期を持つため、地球からは見かけ上、地球の周りを回っているように見える(想像図)。◎準衛星「PN7」60年ほど前から地球に 太陽系にわくわくするようなニュースが飛び込んできた。学術誌「Research Notes of the AAS」に先ごろ発表された論文によると、ビルほどの大きさの謎の小惑星が、地球と並走して太陽の周りを回っていることが分かったのだ。PN7と名付けられたこの天体は、今年の夏まで天文学者も知らなかったが、実は60年ほど前から「準衛星」としてひそかに地球に寄り添っていたという。 アメリカ、メリーランド大学の天文学者であるベン・シャーキー博士がPN7について最初に聞いた時に思ったのは「また見つかったか」。というのも、地球の近くには衛星のような小さな天体が常にあり、PN7はその最新の発見にすぎないからだ。 地球にはPN7のような準衛星が他にもある。これらの準衛星は実際には太陽の周りを回っているのだが、地球とほぼ同じ軌道と公転周期を持つため、あたかも地球の周りを回っているかのように見える。◎地球の重力に捕らえられ「ミニムーン」も一時的 準衛星に似た天体には「ミニムーン」もある。こちらは実際に地球の重力に捕らえられ、一時的に地球の周りを回ってから地球重力圏から脱出する。 準衛星もミニムーンも、地球の唯一の衛星として宝石のように夜空に輝く神秘的な月とは比べものにならないほど小さい(写真=古くから人々に愛でられた月)。そのためどちらも、暗闇の中で高速で動く小惑星が反射するかすかな太陽光を捕らえられる強力な望遠鏡でないと見えない。それでも、こうした天体が新たに発見されるたびに、「地球には、私たちが思っている以上にたくさんの『月』がある」という嬉しい事実を思い出させてくれる。 「私たちは普段、太陽系のことを、整然とした変わらないシステムのように考えているが、時々発見される準衛星やミニムーンは、実際にはそうではないことを実感させてくれる」と、シャーキー博士は言う。◎PN7で発見された準衛星は7個目 太陽系で準衛星を持つ惑星は地球だけではない。天文学者たちは2002年に、金星の周囲で最初の準衛星を発見した。今回のPN7の発見によって、地球の既知の準衛星は7個になった。見つかっていない準衛星なら、もっとありそうだ。 シャーキー博士によると、準衛星は、重力的な偶然によって地球と軌道を共有したり出ていったりすることがあり、地球の重力の影響もわずかに受けているという。これまでに見つかっている準衛星の大きさは、たった9メートルから大きくても300メートルほどで、幅がある。今のところPN7は最小クラスである可能性が高い。 PN7は今年8月下旬にハワイのパンスターズ天文台によって発見されたが、地球と同期したのは、人類が初めて月に降り立つ前の1960年代半ばだったと考えられている。ただ地球とランデブーしているのも長いことではなく、2083年に太陽の周りを回る別の軌道に移行すると科学者たちは予測している。同じくパンスターズ天文台によって2016年に発見された「カモオアレワ」という準衛星は、約1世紀にわたってこの状態を保っていて、今後300年間は同じ状態を維持すると見られている。◎24年に発見されたミニムーンはわずか2カ月で地球重力圏から飛び去った ミニムーンも重力的な偶然の産物だが、実際に地球の重力に捕らえられている点で準衛星とは異なる。ミニムーンが地球の周りを回るのは通常は1年未満だ。その軌道は非常に不安定で、簡単に脱出してしまう。天文学者がこれまでに観測したミニムーンは5個で、2024年に発見されたスクールバスほどの大きさの最新のミニムーンは、わずか2カ月で地球から飛び去っていった(25年2月20日付日記:「一時『第2の月』となった小惑星『2024 PT5』はかつて月の一部だった」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202502200000/、及び24年10月12日付日記:「地球に期間限定の『第2の月』が出現、小惑星が重力に捕獲され周回中」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202410120000/を参照)。 ミニムーンのほとんどは、非常に小さく、岩ぐらいの大きさなので、検出するのは難しい、とフィンランド、トゥルク大学の天文学者のグリゴリ・フェドレツ博士は言う。現時点で地球の周囲にあるミニムーンは知られていないが、フェドレツ氏の分析によれば、地球には常に数メートル程度の大きさのミニムーンが1個はあるという。同じくらいの大きさのミニムーンが6個あるかもしれないとする別の分析もある。◎そもそも衛星とは何なのか? 岩をミニチュアの衛星と呼ぶのは無理があるように思えるかもしれない。同じことは、観覧車ほどの大きさのカモオアレワのような小さな準衛星にも言える。実は、天文学者たちは、衛星のようにふるまう天体を分類する公式なルールを持っていないのだ。 例えば2018年には、ある科学者チームが、月とともに地球の周りを回る宇宙塵の雲「ゴーストムーン(幽霊衛星)」を2個発見したと報告した。それぞれの雲が多数の粒子から出来ているなら、「その雲は1個のゴーストムーンと呼ぶべきなのか、それとも10万個の衛星と呼ぶべきなのか?」とシャーキー博士は問いかける。 準衛星やミニムーンを研究している同僚たちを羨ましく思うことがあると語るのは、アメリカ惑星科学研究所の惑星科学者であるキャット・ヴォルク博士(女性)だ。彼女の研究対象は海王星以遠の小天体で、公転周期が非常に長いので、彼女の生きている間には太陽の周りを1周すらしない。これに対して、準衛星やミニムーンの旅ははるかに短い時間スケールで進行するので、「軌道力学の楽しい実例」を見せてくれる、とヴォルク博士は言う。◎月から弾き飛ばされたかミニムーン「カモオアレワ」 シャーキー博士によると、科学者たちは、地球を時折訪れるこうした天体の起源を突き止めようとしているところだ。 第1の可能性は地球近傍小惑星だ。かつては火星と木星の間の小惑星帯にあったが、木星の重力によって太陽系の内側へと押しやられてきた天体だ。 第2の可能性は、宇宙空間を飛んできた小惑星に衝突されて飛散した月の破片だ。シャーキー博士らが準衛星カモオアレワを調べたところ、その組成は「私たちがこれまでに見てきたどの小惑星よりも月に近く」、典型的な地球近傍小惑星に比べて風化が進み、太陽に焼かれていることが分かった(想像図=月から弾き飛ばされたカモオアレワ)。 カモオアレワの本格的な探査はすでに進行中であり、その起源の特定に役立つ可能性がある。中国が今年春に打ち上げた探査機は来年2026年の夏にカモオアレワに到達する予定で、準衛星の表面から岩石の破片を採取して地球に持ち帰り、科学者が分析することになっている。 第3の可能性は、太陽系の初期の激動の時代に地球の近くで形成された古い小惑星群の最後の生き残りだ。 シャーキー博士は、正解は1つではないかもしれないと考えている。地球の過去、現在、未来の「第2の月」たちは、この3つの可能性のどれにでもあてはまり得る。◎望遠鏡の発達で増えていく地球の「衛星」 天文学者たちによると、望遠鏡の技術がPN7のような小さな天体を発見できるレベルに到達したのはつい最近のことであり、強力な観測装置、特に新しいベラ・C・ルービン天文台が、次にどんな「月のような」天体を発見するのかを、彼らは楽しみにしている。 かつて天体力学は地球を宇宙の中心から追い落としたが、今日の科学者が準衛星やミニムーンをいくつ発見しても、コペルニクス的転回が起こるわけではない。しかしミニムーンは、宇宙が常に動いていること、重力はこんなに身近な場所でも静かにたゆまず天体の配置を変えていること、そして人類がその変化を捉えられるようになったのは比較的最近であることを思い出させてくれる。◎もはや無い、巨大な衛星を捕らえられる可能性 フェドレツ博士は、1つだけ変わりそうもないことがあると言う。それは地球が今後、重力の少々の乱れでは飛び去っていかないような本物の衛星をもう1つ捕らえることは永久にないだろうことだ。そのためには惑星サイズの巨大な天体と接近遭遇する必要があり、「太陽系の歴史上、それはもう不可能なのだ」と博士は言う。 けれども未来は、PN7のような旅の仲間で溢れかえっているだろう。その1つひとつが、太陽系で衛星を1つしか持っていない唯一の惑星である地球の孤独を癒してくれるのだ。昨年の今日の日記:「ポンペイの遺体の欠片から抽出されたDNAが明らかにした従来観によるストーリーと異なる真実」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202411270000/
2025.11.27

新石器革命(農耕牧畜の開始)は、およそ1万2000年前に始まったと考えられている。これは最終氷期が終わり、現在の地質時代、完新世が始まる時期と重なっている。ちなみにその年代は、1万1700年前頃のヤンガー・ドリアス期の終結時期、と考えられている。新石器革命は、人類の生活様式、食習慣、周囲との関わり方を完全に変え、現代文明への道を開くことになった。◎破滅的山火事や土地の浸食が原因とする説 旧石器時代、狩猟採集民は自然を歩き回って、食料を調達していた。だが、劇的な変化が訪れる。食べ物を狩猟採集していた人々は農業を始め、放浪から定住へ生活様式を変えたのだ。 この変化の正確な時期や理由については諸説あるが、人々が狩猟採集から離れ、農耕牧畜へ移行していった証拠は世界各地で挙がっている(写真=上からエジプト、ナイル河畔のメイドゥムのピラミッド近くの畑で穀物をより分ける農家、ポルトガルのトラス・オス・モンテスにて、石鎌を用いてコムギを収穫する女性たち、シリアでヒツジを率いて行くロバに乗る男性)。 農耕が最初に始まったのは、中東の「肥沃な三日月地帯」であり、複数の集団がそれぞれ農業を発展させていったと考えられている。そのため農耕革命とは、異なる時期にそれぞれの場所で起こっていった、複数の革命の連続と思われる。 人類が狩猟採集をやめて農耕を始めた理由については、様々な仮説がある。2025年4月には、破滅的な山火事と土地の浸食が変化の原因ではないかとする研究が学術誌「Journal of Soils and Sediments」の25周年特別記念号に発表された。◎人口圧説に異議 この研究は、変化の発端を人類とする既存の説に異議を唱える。人類が発端だと推測する説の1つに、人口圧によって食料の獲得競争が起き、新たな食料源が必要になったとするものがある。他には、食料生産を増やすため、高齢者や子どもなどが参加しやすい農耕へ移行したと主張する説がある。 栽培化を試みた初期の頃から改良してきた植物に、人類が頼ることを学んでいったのだろうと考える説もある。同様に、植物も人類に依存するようになっていった可能性がある。 狩猟採集から離れていった理由や経緯に関わらず、人類はどんどん定住するようになっていった。その一因は、植物の栽培化が進んだことだ。◎定住化の結果 人類は2万3000年前頃には植物や種子を集めるようになり、1万1000年前頃にはコムギやオオムギのような穀類を育てていたと考えられている。その後、蛋白質が豊富なエンドウ豆やレンズマメなどの作物も栽培され始めた。 初期の農耕民が熟練し、農耕技術が向上していくにつれて、種子や作物が過剰に生産されるようになり、貯蔵場所が必要になっていった可能性がある。 すると、安定した食料供給によって人口増加に拍車がかかり、同時に、種子の保存と作物の栽培のために定住生活の必要性が生じただろう。 共同生活する集団の定住が進むと、人々は農耕の助けとなる石器を作り出した。例えば、穀物を磨りつぶすための石皿や刈り取るための石鎌などだ。建築の面でも革新が起き、トルコ東南部のサイブルチ遺跡(写真=石のベンチに刻まれた肉食動物に囲まれたヒトを描いたレリーフ)で考古学者が発見したような、はっきりと用途のわかる公共の建築物や住居用の建築物が建てられるようになった。◎動物の家畜化 農耕で試行錯誤するなかで、人類は動物の家畜化も始めた。1万2000年前頃にヒツジとヤギの世話をしていた痕跡が、イラクやアナトリア(現在のトルコ)で見つかっている。 家畜となった動物は、労働力として見た場合、より集約的な農業を可能にした。同時に、乳や肉を通じて、さらなる栄養素をもたらし、ますます安定していく人口を支えた。 農耕牧畜による新石器革命は、数々の影響を人類に与えた。不安定な食糧供給による飢餓の恐れから解放されたが、半面、陰も射した。 人類が土地に依存するようになって食料生産が増加したから余剰食糧が出来、その結果としての社会の不平等=階層化から、単純に穀物食への依存による栄養分の低下、家畜から取り込まれた伝染病の増加まで、あらゆることにつながっている。 ただ新石器革命では、その深化によって人口の集中した中心地が生まれ(やがて「都市」と呼ばれる規模にまで大きくなる)、進歩してきた技術があり、食料生産から解放された書記や神官を含む専門職人によって知識、芸術が発展し、都市間の交易が発達した。 近代社会、つまり現代文明の可能性が開かれたのである。昨年の今日の日記:「国民の税金を自分のポケットの金のようにばらまく石破茂の大罪」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202411260000/
2025.11.26

作家の友人と話をした。出版氷河期の直撃中で、本が売れないのは相変わらずらしい。かつては、ハードカバーしか出さず、文庫などお呼びでなかったのに、今は書き下ろし作品を文庫で出している。いや、出してもらっている、というのが、正確なところらしい(写真=書店の棚)。◎書き下ろし文庫でも初刷りはとうに1万部割れ しばらく小説を発表せず、社会福祉などのルポを書いたりしていたため、主だった出版社の付き合いのあった編集者はみんないなくなり、若手に代替わりしている。その若手の編集者に面会するだけでも、大変のようだ。 やっと面会できて、出してもらえても文庫から、ということらしい。しかも文庫なのに、初版部数は8000部とか6000部とか、だ。ほんの10数年前は、初刷りは1万数千部からスタートしたそうだが。 なので、作家としては、大変な事態だ。文庫だと単価が安いので(ハードカバーのおおむね半額)、それに刷り部数をかけて、10%程度の印税率を得ても、大した収入にならない。◎著しい紙代、印刷費、物流費など諸経費値上がり そしてデフレ時代を脱してインフレ時代に突入した今、編集者からはコストアップ要因が目白押しで、氷河期はさらに過酷さがつのっているという。いわく、紙代が上がった、印刷費が上がった、物流費が上がった……。 だから今や文庫・新書でも1000円以上はザラだ。 諸経費アップを乗り越える唯一の策は、紙を使わない出版、つまり電子出版だ。 その作家氏には、年初に出した僕の本を献呈しているが、それはソフトカバーだが、文庫より判型の大きい四六判で、しかも400数十ページもある。本は持ち歩いて、電車の中などで読むことが多いというその作家氏は、僕の献呈した本は重くて、と閉口の体だった。そしてこういう重い本こそ、電子出版向きではないか、という(写真=電子書籍)。◎頭に入らない電子書籍の中身 ただ、僕は疑問に思っている。内容がライトなものではない学術的著作だ。電子出版で出しても、読者は読まないだろうと思うのだ。 ちなみに僕は、スマホでもキンドルでも、電子出版物は読まない。ノンフィクション、学術著作なら、赤線を引いたり、書き込みをしたりする。電子出版では、それができない。 しかも内容に深く入っていくには、やはり紙の本に限る。電子画面だと、文章が頭の上を通り過ぎていくかのような不全感を感じるのだ(ある作品をPC画面で読んだ時、そう痛感した)。◎ミステリーでも電子は紙の40分の1 電子出版を評価するその作家氏は、しかし自身のミステリー著作でも電子出版は、紙の40分の1しか出ていないという。内容が重い学術的著作なら、電子出版ではほとんど読んでもらえないだろう。 ただし紙の本の減りには追いつかないが、電子出版は少しずつ増えている。年齢別では、若者の比率が圧倒的だ。ここからうかがえるのは、電子出版で読むのは、文字の小説や学術出版物ではなく、漫画だろうということだ。活字文化が衰退しているのは、電子出版でも明らかだ(図=電子出版の売上げはうなぎのぼり。ただし大半は漫画、すなわちコミックだ)。 氷河時代に世界中で闊歩していた大型動物は、氷河期の終結と前後して一斉絶滅した。「第四紀絶滅」と呼ばれる。 電子出版もダメなら活字文化は、ますます先細り、やがて絶滅するのだろうか。 大手出版社は、漫画とその著作権ビジネスで、やっと息をついている状況なのだ。昨年の今日の日記:「2024メジャーを席巻した大谷選手の掉尾を飾るMVP選出」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202411250000/
2025.11.25

再生可能エネルギーバブルも、ここまで来たか。 オーストラリアは、来年7月から昼間の最低3時間、電気料金を無料にすることを電力会社に義務づける。◎普及し過ぎた太陽光発電 太陽光発電と風力発電の急ピッチの普及で、同国では2024年に発電量に占める再エネの割合が36%に達した(図)。今年末までには5割近くに達する模様だ。 再エネの約7割は、安価な中国製パネルを屋根に敷き詰めた太陽光パネルによる太陽光発電で、人口2700万人の国内で400万以上の世帯がパネルを設置している(下の写真の上と中央=屋根に敷き詰められた太陽光パネル)。土地が安価だから、広大な荒地にソーラーパネルを敷き詰めたメガソーラーも多い(下の写真の下)。 オーストラリアは、年間を通じて晴天の日が多い。しかも土地は広大で、太陽光発電にうってつけだ。 ただ太陽光発電は、昼間に発電する。夜間は発電できないのに、家庭の電力需要はむしろ夜の方が多い。ここに、大きな需給ギャップが生まれる。◎電力卸売市場では「マイナス価格」も あまりに太陽光発電量が多くなると、電力系統に負荷がかかり、大規模停電の原因となる。だから日本でも、九州など西日本では、昼間の太陽光発電の出力抑制をしている。 大きくなりすぎた昼間と夜間の需給ギャップのために、再エネ発電を一時的に止める措置がとられているが、すでに電力卸売市場では、発電事業者が小売り事業者や大規模需要家にお金を支払って引き取ってもらう「マイナス価格」も生まれている。 オーストラリアでは、午前9時から午後2時の間に電力卸売価格が0ドルを下回るマイナス価格になる割合が30%を超えている。すでに一部の州では、家庭に無料にするプランを始めている電力会社もある。◎先進国のヨーロッパで増える電力マイナス価格の発生時間 かくして全国的に昼間の3時間の電気料金をタダにして、消費者に日中に洗濯機やテレビなど家電を使ってもらったり、EVを充電してもらったりするように消費を促す。昼間の使用を把握するために、無線通信機能を持つスマートメーターを付けた家庭が対象になる。 太陽光発電を主にした再エネ発電の盛行は、先進地のヨーロッパでも問題化している。フランスの電力卸売市場でマイナス価格が発生した時間は24年1月~6月の半年間で計205時間にもなった。ドイツも同時期に224時間と、前年同期の3倍にもなった。アメリカでも先進地のカリフォルニア州では、全時間の4分の1も占めた。 オーストラリアが来年始める昼間の電気料金無料化は、今後も再エネ発電が拡大していけば先進国中心に拡大していくだろう。 世界的にも割高な電気料金を払わされている日本では羨ましい話だ。昨年の今日の日記:「厳冬の上高地でも魚狩り行動などで生きる逞しいニホンザルたち」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202411240000/
2025.11.24

ベネズエラの広大なカナイマ国立公園(地図)の中に、岩絵が描かれた遺跡群がある。そこに描かれた星々や木の葉の絵を調査した考古学者たちは、この岩絵遺跡群が未知の古代文化の中心地だったとみている。◎発見は2009年 岩絵遺跡群があるのは、総面積約3万平方キロにおよぶカナイマ国立公園の中でも特にアクセスの難しい地域だ。 最初に岩絵が見つかったのは、2009年のことだった。以来、アメリカ、マノア財団からの資金提供のもと、首都カラカスにあるシモン・ボリバール大学のホセ・ミゲル・ペレス・ゴメス博士を団長とした調査団は、20カ所もの先史時代の岩絵遺跡を発見してきた(写真=クサリ岩陰のメインパネルを撮影するペレス・ゴメス博士)。 2023年11月にはそれまでの成果を学術誌「Rock Art Research: The Journal of the Australian Rock Art Research Association」に発表している。◎アクセスの悪い所で発見遅れる カナイマ国立公園には密林と草原地帯が広がる。その数百メートル上にはテーブルマウンテンが連なり、ここには、先住民のペモン族が「ケレパクパイ・メル(最も深い地にある滝)」と呼ぶ世界最大の落差を誇る滝「エンジェルフォール」がある(写真)。世界一の落差の滝にもかかわらず、世界3大瀑布(ナイアガラの滝、イグアスの滝、ヴィクトリアの滝)と違って、アクセスが悪いために世界の観光客がほとんど寄りつかない。 このようにカナイマはアクセスが極めて困難で、人類未踏の地も多い。それだけに膨大な岩絵群も、発見が遅れた。 しかし、人工衛星のセンサーなどを使って遠隔地から対象物を調べるリモートセンシング技術や、VR(仮想現実)技術などのおかげで、考古学者たちは実際にその場にいるように調査ができ、新たな岩絵の発見につながった。◎知られざる文化の痕跡 岩絵は天然顔料であるレッド・オーカー(赤鉄鉱)で描かれたピクトグラムや、岩面に彫刻されたペトログリフからなる(写真)。 岩絵があるのは孤立した岩壁や断崖で、急流の中の岩に描かれていることもある。 肉眼では確認が難しいため、様式や色彩などを詳しく調べるにはまず岩絵を広範囲にわたって撮影し、特殊な技術を使ってデジタルで高画質化する必要があった。 年代測定はまだ行われていないが、ベネズエラにある他の同様の岩絵は、南米におけるアルカイック期(古期:紀元前1万年~紀元前3000年)の初期に描かれたと推定されている。 また調査された岩絵遺跡群は、これまでブラジル、ギアナ地方、コロンビアで発見された、より時代が下がった岩絵と様式的に強いつながりがある。そのことはカナイマがこれまで知られていなかった文化の中心地であることを示している、と調査団の考古学者たちは考えている。◎抽象的なモチーフ カナイマ渓谷の中ほどの高台に立つ「ウプイグマ岩陰」は孤立した露頭で、今回発見された岩絵遺跡群の中心的な存在だ(写真=ウプイグマ岩陰の空撮写真。周囲から孤立しているのが良く分かる。遺跡の右側にあるのがメインパネル。岩壁が火によって黒くなっていることから、岩陰は描き手にとって避難所だったようだ)。狩りをして暮らしていた岩絵の描き手がこの場所を選んだのは、獲物を狙うのに理想的な場所だったからだろうか。 またクヤリンパ絶壁のメインパネルは、ウプイグマ岩陰からかなり離れた急峻な断崖に位置している(写真)。 岩絵は点と線で描かれたシンプルなものから星のような図形まであり、こうした文様は20もの岩絵遺跡群で繰り返し描かれている。生き物や木の葉などを円と直線で表現したものもある。◎幻覚作用のある植物で視た幻影か これらの画像の意味を読み解くのは簡単ではない。だが調査団は、何らかの儀式的な営みに関係しているのではないかと指摘する。 抽象的なモチーフが繰り返されていることは、描き手が意識の変容した状態で視界に入ってくるものを描いていたことを強く示唆している。幾何学的な模様や浮遊物のような形状が描かれているのは、幻覚作用のある植物によって引き起こされた内視現象(眼球内のものが見える現象)によるものだろうと考えられる。 岩絵は超自然界とつながる手段だったろう、とペレス・ゴメス博士は考える。そして先住民にとって岩壁は、何百年、何千年もの間、祖先と交流する教会のような存在だったのかもしれない。 2024年6月にイタリアのヴァルカモニカで開かれた学術会議で、ペレス・ゴメス博士は今回の発見を報告し、描き手が環境の美しさに影響を受けたのだろうと言っている。◎周辺地域の文化的な原点か 地形的に立ち入りが困難なことから歴史的な調査がほとんど行われてこなかったなか、ペレス・ゴメス博士らの15年に及ぶ調査によって、岩絵が描かれた理由やその方法、周辺地域における岩絵の重要性について理解は深まった。 カナイマの岩絵で描かれた幾何学模様は、ベネズエラで発見された他の岩絵ではより複雑化している。つまりカナイマの岩絵は、それ自体が新たに発見された様式であることに加え、地域一帯で見られる岩絵の基礎となった文化的な原点と言える可能性が高い。 これらの岩絵から、狩猟採集民だったアルカイック期の先住民がどう暮らし、どう行動してきたかが分かるだろうと調査団は考えている。また岩絵の周辺から見つかった土器や道具は、岩絵の年代を特定する上でヒントとなるだろうと期待を寄せている。 調査団は今後、専門家の協力を得て岩絵の年代測定と、遺跡群の記録を進めていく予定だ。昨年の今日の日記:「『政商』=テスラのイーロン・マスク氏の政権入り、どうなのか、トランプ政策との相性」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202411230000/
2025.11.23

戦狼外交を基本とするスターリニスト中国とどこまで本気で付き合うかは、自由主義国各国の頭痛のタネだが、とりわけ今、標的となっている我が国、日本の関係者たちは、この国の暴虐さをつくづく身にしみているだろう。◎水産物にまたも禁輸の脅し 経済の巨大さを梃子に経済的威圧を、次々とかけてくる。自国の駐大阪総領事の薛剣(せつけん)が高市首相に「汚い首は斬ってやる」とすさまじい恫喝をしたことに詫びもせず、全くのデマの日本が危険だからと自国民の訪日自粛を促し、日本への留学生にも行かないように呼びかける(11月16日付日記:「スターリニスト中国の恫喝の戦狼外交に日本は決して屈せず、個人テロを煽る薛剣を『追放』せよ」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202511160000/を参照)。 今度は、つい最近、ほんのわずかの隙間を開けたばかりの日本産水産物に、再び禁輸の脅しをかけてきた。とっくに破綻した放射能汚染のデマをぶり返して。 スターリニスト中国への輸出再開に準備していた業界は、梯子を外された。もうこんな理不尽極まりない国とビジネスをするべきではない。◎沖縄県の領有をほのめかしたスターリニスト中国の「環球時報」 共産党の喉と舌であるスターリニスト中国のメディアは、どんな約束事も破る。18日、報道をする事前すりあわせもないまま、スターリニスト中国が一方的に発表した写真は屈辱的だった。中国外務省で18日に行われた日本外務省の金井正彰・アジア大洋州局長がズボンのポケットに手を突っ込んだままの中国外務省アジア局長の劉勁松に頭を下げているかの様子を流された(写真)。 そして19日、中国共産党系メディアの「環球時報」は、沖縄県の日本への帰属を問題視する社説を掲載した。明・清の時代、琉球王朝が明、そして後に清に朝貢をしていた歴史を背景に、「琉球諸島の主権と帰属の歴史や法理をめぐる争いは今も続いている」としたのだ。 沖縄県の尖閣諸島の領有権に続くトンデモ主張だ。 確かに琉球王朝は、明・清に朝貢はしていたが、それは「朝貢」を名とした交易である。琉球が贈った物産に対し、それを上回る価値の稀少な品を琉球に返したからだ。朝貢により、琉球王朝は莫大な富を手にした。◎沖縄領有主張の瀬踏みか しかし一方で、江戸幕府に対しては、薩摩藩の監督の下、20回近い「江戸立ち」という使節を送った(絵=江戸立ちの琉球使節の行列)。これは、幕府に服属する証しであった。そして明治維新後、明治政府は琉球王国を清国の冊封体制から切り離して沖縄県として自国領に正式に編入している。清国からの異議は一切無かった。以来、1世紀半もの歳月が過ぎている。 ただし、沖縄県の中国領という主張は、一部の偏狭的「歴史家」からは従来からなされてもいた(11年1月9日付日記:「唐淳風、この男、危険につき……、「琉球人も中国人」、「琉球独立」という妄言を宣伝する中国の『日本問題専門家』」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/201101090000/を参照)。 中国共産党の準機関紙とも言うべき環球時報までこのような主張を始めたことは、沖縄領有の野心の表れだ。高市首相の国会答弁を問題視し、台湾侵攻が日米などで懸念される中、この際、沖縄領有の主張の瀬踏みを始め、日本への恫喝をさらに強めたとみることができる。◎オランダがスターリニスト中国に屈服 スターリニスト中国がこのように強気一辺倒に出ているのは、レアアースの輸出禁止と大豆の輸入禁止という輸出入双方の禁輸を振りかざし、超大国アメリカのトランプに譲歩をさせた成功体験が大きい。これで、フェンタニル上乗せ関税を一気に半減させた。 そしてその威圧が弱小国に対してなら、さらに効果的だ。 オランダ政府は19日、安全保障上の懸念から政府の管理下に置いていたスターリニスト中国資本の半導体メーカー「ネクスペリア」の管理措置の停止を決めた。 ネクスペリアは、オランダのフィリップス社の子会社だったが、2020年までにスターリニスト中国企業に買収されていた。自動車の電子制御ユニットなどに使う汎用半導体のメーカーで、戦略的半導体を製造していたわけではなかったが、8割をスターリニスト中国の工場で造り、シェアは高い(写真=ネクスペリアの広東省東莞の工場)。世界各国の自動車メーカーはネクスペリアの中国工場から半導体を輸入していた。◎今や脱中国は喫緊の課題 怒ったスターリニスト中国は、この半導体輸出のネジを締めた。ネクスペリアに依存していた日本のホンダをはじめ、各国の自動車・部品メーカーが一部で生産停止に追い込まれていた。 日本はもちろん各国とも、スターリニスト中国に輸出入を依存するリスクを骨身にしみたに違いない。 今やスターリニスト中国は、国家と企業のサステナビリティーの大きな脅威になっている。脱中国は、喫緊の課題と言えるだろう。昨年の今日の日記:「アメリカ、いよいよスターリニスト中国の最恵国待遇取り消しへ」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202411220000/
2025.11.22

それまでは、ミイラと思われる化石であるにもかかわらず、古生物学者たちにそう認識されるのが遅かったため、骨の周辺の岩石を除去する過程で、皮膚にあたる部分が削り取られてしまったようなのだ。そうした例もたくさん見てきた」と、アメリカ、テネシー大学の古生物学者ドラムヘラー・ホートン博士は話す。◎ハドロサウルス類は大型で個体数が多かったから 恐竜のミイラがどのくらい見つかるかは、古生物学者たちが何を探し、化石に何を求めるかにかかっている。少なくとも現時点では、皮膚が多く保存されているのが知られているのはハドロサウルス類だ。 ではなぜ、ハドロサウルス類ばかりなのか。 皮膚の保存されているハドロサウルス類が多いのは、単に個体数が多かったからだろう、とアメリカ、ノースダコタ州立大学の古生物学者であるクリント・ボイド博士は私見を述べる。エドモントサウルスなどのハドロサウルス類は生息数自体が多く、死骸の数も多かったので、ミイラが残るチャンスが多かったということだ。 また大型動物なら、関節がついた骨が保存される確率も高くなる。骨と皮膚がバラバラにならず、つながり合って残るからだ。◎ミイラから浮上、「二足走行、四足歩行」説 恐竜のミイラなどの軟組織の化石は、中生代の世界にどんな動物が生活していたのかを想像する手がかりになる。しかし、それだけではない。様々な恐竜のミイラや軟組織の化石が見つかるにつれて、恐竜の生活の思わぬ面が明らかになりつつある。 これまで見つかっている足跡と、ワイオミング州および「ダコタ」のエドモントサウルス・アネクテンスのミイラにあった蹄のような構造から、前足と後足に細かな違いがあることが分かった。そこから、移動方法について仮説が立てられる。ポウル・セレノ博士は、「この恐竜は、2脚で走り、4脚で歩いていた、と推定する。◎皮膚の痕跡から同一種か別種かの議論に決着がついた ハドロサウルス類の仲間である2種のサウロロフスの皮膚の痕跡から、これら骨格がよく似た2つの恐竜が本当に別の種かどうかという議論に決着がついた事例もある。 オーストラリア、ニューイングランド大学の古生物学者フィル・ベル博士は、2012年の研究で、モンゴルで見つかったサウロロフス・アングスティロストリス(Saurolophus angustirostris=下の写真の上)とカナダで見つかったサウロロフス・オズボーニ(S. osborni=下の写真の下)の皮膚の痕跡を比較した。 すると、それぞれのウロコに特徴があることが分かった。S.アングスティロストリスの尾にはウロコによる垂直の帯状の模様があり、背中には中央に沿って大きく隆起しているウロコが並んでいた。もう一方のS.オズボーニには、そのような特徴は見られなかった。このウロコの特徴は、恐竜たちが自分と同種の仲間を見分けるために役立っていたのかもしれない。◎恐竜の色を知る手がかりに ウロコは、恐竜の色を知る手がかりにもなる。最初に確立されたのは、恐竜の羽毛と現在の鳥の羽毛を顕微鏡で細かく比較して色を復元する方法だが、特に保存状態のよいウロコにも同じ原理を活用できる。 その一例として挙げられるのが、角竜類の一種である小型恐竜、プシッタコサウルスだ(写真=骨格模型)。2016年に行われたこの恐竜の皮膚を題材にした研究から、上側は色が濃く、下側は色が薄くなっていたことが分かっている。これはカウンターシェイディングと呼ばれるカムフラージュで、上から見ると背中の濃い色の部分が森に紛れて見えにくくなる。 その翌年に発表されたボレアロペルタという「鎧竜」についての研究でも、同じことが分かっている。この恐竜は上側が赤っぽく、下にいくにつれて色が薄くなるため、森の中でティラノサウルスに見つかりにくくなっていたと考えられる。◎ワイオミングの「ミイラゾーン」 発掘現場や博物館のコレクションで、恐竜の軟組織が見つかるケースが増えている。だが、軟組織の化石がどのように形成されるのかは、まだよく分かっていない。 ドラムヘラー・ホートン博士は「組織がどのように化石になるのか、その様々な過程を紐解くたくさんのすばらしい研究が行われている、と語る。その内容は、組織がどのように分解されるのか、恐竜の体が化石化する際にどのような化学的変化が起きるのかなど、様々だ。 セレノ博士は、初めての恐竜のミイラと今回の2体のエドモントサウルス・アネクテンスが見つかったワイオミング州の岩石層を「ミイラゾーン」と呼んでいる。同じ場所からは、ティラノサウルスとトリケラトプスのミイラも見つかっている。他にも、粘土に覆われたミイラが埋もれているかもしれない。◎皮膚の化石化が解明できればさらに多くのことが分かってくる 今のところ、一番起こりやすい「ミイラ化」の過程が何かは分かっていない。粘土に皮膚の痕跡が保存される現象が他の場所でも起こるのかを突きとめるには、さらに調査が必要だ。 ボイド博士が関心を寄せるのは、皮膚の痕跡や軟組織が骨とともに化石化する際の化学的なプロセスだ。 なぜ骨が化石になるのかは分かっている。骨には、化石化を促す天然の鉱物構造が備わっているからだ。しかし、恐竜のミイラについて言えば、皮膚には鉱物成分が含まれていないため、別の過程で化石化するはずだ。 皮膚がどのように化石になるのかを解明できれば、その謎が解けるだけでなく、軟組織が保存された化石を探しやすくなる。恐竜のミイラが作成される過程が明らかになれば、さらに多くのことが分かってくるだろう。(完)昨年の今日の日記:「香港民主派45人への弾圧判決、最長禁錮10年、最大規模の国安法裁判で」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202411210000/
2025.11.21

アメリカ、ワイオミング州で新たに見つかった2体のエドモントサウルス・アネクテンス(Edmontosaurus annectens)の「ミイラ」についての論文が、アメリカの科学誌『サイエンス』10月23日号で発表された。後足の蹄や背中の肉質の突起(クレスト)などの痕跡がよく保存されており、このような化石が出来上がる謎を解く鍵になりそうだ。◎ミイラ化されていた白亜期末の北米北部のエドモントサウルス ミイラといっても、古代エジプトのような化学的に防腐処理をしたものではない。皮膚の痕跡が岩石の中の薄い層として残された化石、を指している。こうしたミイラ化石を綿密に調べることで、おなじみの恐竜たちの骨だけでは分からない外見を解明できる。 また、恐竜のミイラの化石が生まれる過程が明らかになるにつれ、この奇跡的な保存状態は、かつて考えられていたほど珍しいものではない可能性があると分かってきた。 こうして姿が明らかになりつつある恐竜の1つが、冒頭で述べたエドモントサウルス・アネクテンスだ(写真)。これは「カモノハシ竜」とも呼ばれるハドロサウルス類の恐竜の一種で、6800万~6600万年前のアメリカ、モンタナ州やカナダのサスカチュワン州あたりの氾濫原を歩き回っていた。白亜期末の小惑星衝突の直前の頃だ。 現在、この地域からよく化石が見つかっている。そのようなエドモントサウルスのミイラの一部から、専門家でも見られるとは予想もしなかった軟組織の構造が分かってきた。今回の2体、成体と幼体のミイラもそうだ。◎泥に覆われた海岸近くにいた、ミイラ化石の理想的環境 約6600万年前、エドモントサウルス・アネクテンスは泥に覆われた海岸線近くに生息していた。これは、「ミイラ化石」を生み出すのに理想的な環境だ。ワイオミング州東部に当たる一部の場所では、恐竜の死骸が洪水で埋まり、化石化した骨を覆った粘土層に肉質の表面の形状が残ったと考えられる。 新たに見つかったのは、子どもと成体のエドモントサウルス・アネクテンスの標本だ(下の写真、上から死亡時の年齢が2歳くらいと見られる幼体のミイラ、「エド・ジュニア」と呼ばれる、その下はエド・ジュニアの背中のウロコ状の皮膚、その下は「エド・シニア」と呼ばれる成体の後足、下の写真の下はエド・シニアの皮膚)。そこに保存されていた特徴は、古生物学者たちの仮説を裏付けるものとなった。例えばこの恐竜の後足の指には、蹄や爪のような硬い部分があった。腰から尾の先にかけて、とがったウロコが重なり合って並んでおり、それが背骨につながっていた。この特徴が完全な形で見つかったのは初めてのことだ。 まさにドラゴンのようだった、と話すのは、アメリカ、シカゴ大学の古生物学者で、今回の論文の共著者の1人であるポール・セレノ博士だ(写真=エドモントサウルス成体のミイラの足に残されたひづめの保存状態に驚くポール・セレノ博士)。◎1世紀以上前から見つかっていたエドモントサウルスのミイラ 今回の発見は、これまでの研究によって判明していたエドモントサウルスの外見の特徴とも一致している。頭には肉質のトサカのような突起があり、肉がついた前足の指先は蹄のようなもので覆われており、鼻先からはシャベルのようなくちばしが突き出ていたと考えられる。 ただ、恐竜「ミイラ」は初めてではない。 北米西部では、かなり昔からエドモントサウルスのミイラが見つかっている。初めて見つかったのは、1世紀以上前の1908年のことだった。広い範囲にわたって骨の周囲の岩石に皮膚の痕跡が残されていたことから、こういった標本はミイラと呼ばれるようになった。それ以来、このような化石から、ウロコ状の皮膚などの軟組織が見つかっている。 この良好な保存状態が保たれるには、恐竜が死んだ後、すぐに堆積物に埋もれることが必要だと考えられてきた。しかし詳しい調査が進むにつれて、別の可能性が浮上している。むしろ、死後数週間から数カ月にわたって地表に露出していたことが、このような珍しい化石の誕生につながったようなのだ。恐竜のミイラの出来方は、1つではない。◎死肉漁りに一部が食われて 2022年にクリント・ボイド博士とステファニー・ドラムヘラー・ホートン博士らが提唱した説によれば、「ダコタ」と呼ばれるエドモントサウルスのミイラは、一部が死肉漁り動物に食べられるほど長い間地表に露出していた。そしてそのことが保存に役立った。 博士らの論文によると、死肉漁り動物と腐食の過程によって、恐竜の体に穴が開き、そこからガスや体液、微生物が放出されたことで、丈夫なウロコ状の皮膚や前足の蹄が乾燥し、骨とともに保存され、そのまま堆積物に覆われたという。 今回ワイオミング州で見つかったミイラは、別の過程をたどったものかもしれない。セレノ博士らの説明によると、化石のとがったウロコと後足の蹄状の部分は、硬い砂岩に挟まれた薄い粘土層で出来ていた。薄い粘土層が腐敗する恐竜の体にくっつき、軟組織の形状が保持され、いわば恐竜の型が取られたようになったのだ。 粘土層の厚さは、約0.25ミリという薄さだった、とセレノ博士は言う。とても薄いので、発掘や下調べの際に見落としてしまう可能性もある。微粒子だらけの場所で作業していたが、それを取り除きすぎてしまうと、完全に見逃してしまうことになるという際どい地層環境だった。◎かなりの確率で残るハドロサウルス類のミイラ 皮膚やその痕跡が残された化石は、エドモントサウルス以外にも見つかっている。サウロロフスやグリポサウルスといったハドロサウルス類の他、ティラノサウルスや角竜類、竜脚類などだ。しかしミイラと呼べるほど十分な皮膚が残されているものばかりではない。広範囲にわたって皮膚が残されているのは、ほとんどがハドロサウルス類だ。 全身の骨格でなくとも、関節を含むハドロサウルス類の骨が見つかれば、かなりの確率で多少の皮膚の痕跡が含まれている、とカナダ、ロイヤル・ティレル古生物学博物館の研究員であるフランソワ・テリエン博士は語る。 恐竜のミイラのことは古くから知られてきたが、それまで考えられてきた以上によくあるものだと分かってきたのは、ごく最近のことだ。(以下、続く)昨年の今日の日記:「旧石器時代初期から始まった日本人の優れた進取性」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202411200000/
2025.11.20

韓国が原子力潜水艦を建造することが、アメリカによって承認され、保有すれば世界で7番目の原潜保有国になる。場合によっては、日本の安全保障に影響を与えるかもしれず、日本も原潜を装備する必要が出てきそうだ。◎原潜の核燃料は高濃縮ウランで核兵器と同じ 原潜は、動力が原子力である点で、通常のディーゼルエンジンで動く潜水艦と異なるが、それ以上に異なるのが、原潜の戦略性だ。 原子力で動くから、燃料補給の必要性は通常はない。乗組員の食料・飲料水さえ十分に積んでいれば、半永久的に潜行できる。乗組員の換気は、化学的に二酸化炭素から酸素を作り出せば不要だ。 そのため敵国の領海内にも侵入でき、さらに装備する核ミサイルを用いれば、超遠距離からも敵の首都や各基地に核攻撃できる。 核燃料は原子力発電用の核燃料の低濃縮ウランと異なり、高濃縮ウランだ。高濃縮ウランは、容易に核兵器に転用できる。ただし韓国の原潜の核燃料は国産ではなく、アメリカ軍から供与される。核拡散防止条約によって韓国には高濃縮ウランの製造は認められていないからだ。 核燃料はアメリカから供与されるとはいえ、原潜を持てば、事実上、核保有国になったに等しい。しかも原潜に搭載するミサイルは、当然、核ミサイルである。核ミサイル、つまり核兵器も保有することになる。それは、アメリカ製かもしれないが。◎原潜保有国は核保有国のみ これまで原潜保有国は、アメリカ(65隻)、ロシア(32隻)、スターリニスト中国(12隻)、イギリス(10隻)、フランス(9隻)、インド(2隻)と、核保有国だけだ(下の写真の上=アメリカが建造中のコロンビア級最新式原潜の想像図;下の写真の中央=ロシアのアクラ級原潜;下の写真の下=スターリニスト中国が最近配備した094型原潜)。あの北朝鮮ならず者集団さえ持っていない。ここに韓国が保有国入りすれば、極東の核軍事バランスを大きく変える。 アメリカのトランプ政権が、韓国の原潜保有を認めたのは、スターリニスト中国の原潜が、日本海ばかりだなく、太平洋も回遊しているからだ。韓国の原潜が、スターリニスト中国の原潜を追尾し、アメリカ海軍の負担を軽減できることを期待しているとみられる。 ただ今回、アメリカが承認した韓国原潜をどこで建造するかはまだ曖昧だ。韓国は、明らかに自国で建造し、核燃料だけアメリカから供与される認識だが、トランプは、アメリカ東部フィラデルフィアの造船所で建造すると説明してきた。◎北朝鮮ならず者集団も原潜配備を目指す 懸念されるのは、韓国の原潜建造の決定で、北朝鮮ならず者集団もロシアの支援で原潜を建造する企図に拍車がかかることだ。核燃料は、核保有国だけに製造は難しくない。 すると、日本海や東部太平洋で、韓国と北朝鮮ならず者集団とが原潜で対立することになる。日本は、その間、蚊帳の外に置かれる。これは、容認できない。 日本も、トランプ政権と話し合い、1日も早く原潜を配備するようにして欲しい。高市政権でしかこのような決定はできないだろうから。スターリニスト中国がゴチャゴチャ言うだろうが、彼らはとっくに原潜を就役させているのだ。臆することはない。昨年の今日の日記:「死にかけの恒星を周回する『未来の地球』を発見:数十億年後の太陽系の姿」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202411190000/
2025.11.19

プロ野球はオフシーズンに入った。話題は、ジャースの大谷の満票での3年連続4度目のナ・リーグMVP受賞などで賑わう。 そして今年も、ヤクルトの村上のような超一流選手のメジャー挑戦などがこの後の話題に続く。◎子どもたちから見放されつつあるプロ野球 こうして見ると、日本のプロ野球はメジャーのファームになってしまった感がある。大谷や村上がメジャーで本塁打争いを展開し、山本や千賀が豪腕を競うという姿は、もう日本では見られない。しかも近々、メジャーの試合は、無料の放送がなくなり、ネットでの有料放送になるといわれる。いささか寂しい思いがする。 「マイナー」に転じた日本プロ野球は、そうした中でもプロスポーツの王者として日々、進歩のための磨きをかけざるを得ない。このまま安住していては、本当のマイナーリーグになってしまう。実際、高校球児人口は、かつての最盛期の半部に減っている。子どもたちからそっぽを向けられれば、衰退していくしかない。◎交流戦、クライマックスシリーズはリーグ戦を活性化させた 進歩の例として、例えば2005年からパ・セ12球団の参加する交流戦が始まった(写真)。それまでは、パ・セ両リーグとも6球団同士での代わり映えしない組み合わせだった。 またパ・セ両リーグの3位以上が日本シリーズ出場権をかけて争うクライマックスシリーズは2007年から始まった。野球評論家の権藤博氏などの、1年間のペナント争いの成果を無視するものとの批判はあるが、リーグ戦終盤の、優勝争いから脱落した4位、5位チームが日本シリーズ出場権の得られる3位、2位に入ろうという争いは、球趣を煽る。 今年も、例えばセ・リーグは首位阪神が2位DeNAに13ゲームも差をつけて圧勝した(写真=阪神優勝で胴上げされる藤川監督)。クライマックスシリーズが無ければ、セ・リーグのリーグ戦は熱狂的な阪神ファン以外はつまらないものになってしまっただろう。◎サッカーJリーグのような入れ替え戦を待望 しかしクライマックスシリーズにも出場できそうもなくなったリーグ戦後半の5位、6位チームの日程消化ゲームは、さらにつまらない。 もしサッカー、JリーグのようにJ1下位2チームとJ2上位2チームの入れ替えのような制度があれば、プロ野球の下位チームにも降格を避けるための白熱争いが起こるだろう(写真=サッカーの入れ替え戦)。例えば首位ソフトバンクに31.5ゲーム差もつけられたパ・リーグのロッテなど、後半は熱心にファンの期待を裏切るように試合ばかりだった。 これは、下位チームの絡むゲームの球趣を大きく損なっている。 そこで、夢物語に近いが1つの提言がある。パ・セ2リーグ以外に、入れ替え用の新リーグを10球団ほど創設し、その1、2位チームとパ・セ両リーグの最下位チームとの入れ替え戦を行ったらどうだろうか。そうなると下位チームも降格のリスクを避けようと、リーグ戦終盤も盛り上がるのは必定だ。 ただ日本のプロ野球には、入れ替え戦をしようにも、サッカーのJ2リーグのようなリーグが無い。だから新リーグを創設するのだ。◎人口50万規模の都市に新リーグのチームを新設 現在、プロ野球チームのあるのは、札幌、仙台、東京、横浜、千葉、所沢、名古屋、大阪、西宮、広島、福岡しかない。そこで、新リーグは、それ以外の人口50万前後の都市や有力な県庁所在地都市に本拠地を構える。チームは、独立リーグチームや社会人野球チームをプロ化させて構成すればよい。 むろんいくら下位チームとはいえ、プロ野球チームとそれ以外の独立リーグや社会人野球チームとの実力差は大きい。当初は、プロ野球最下位チームが新リーグの1位、2位チームに圧勝するだろう。入れ替え戦で4勝先勝としてパ・セ最下位チームは新リーグの1、2位チームにストレート勝ちするに違いない。 しかし何年かたてば、きっと入れ替え戦に勝利する新リーグチームが出てくる。昇格チームの初参加は、プロ野球に新風を吹き込むに違いない。例えば2005年の楽天のパ・リーグ参加のように。◎日本プロ野球のギルド的体質にメスを 昇格チームがたとえ1シーズン限りでまた降格しても、次の昇格を狙えば、新リーグも白熱した争いが展開されるに違いない。少なくとも最下位、5位チームの終盤戦の緊張感の無いゲームは無くなるだろう。 日本のプロ野球は、1950年の2リーグ分立以来、前記の楽天参加以外、ほとんど新陳代謝の無いギルド的体制だった。既存球団、特に読売の利益が最優先されてきたからだ。 そのギルド的体制を打破し、各地に新リーグチームを結成できれば、少子化などで先細りしつつある野球人口の減少も歯止めをかけられるに違いない。昨年の今日の日記:「トランプ人事、混乱の様相、長官候補に相次ぎスキャンダル発覚、極めつけは反ワクチンのジュニアの厚生長官指名」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202411180000/
2025.11.18

先週末は、FRBによるアメリカの金利引き下げ観測が後退したことに伴うニューヨーク・ダウなどの大幅安を受けて東京市場も、905円大幅安の5万0376.53円で引けた。◎AI関連株の総崩れで潮目が変わった? しかしあれほどの悪材料でも5万円台維持で踏みとどまったことに、日本株の強さが今一度確認された。 ただ、先週の東京市場だは潮目が大きく変わった。ソフトバンクグループ(SBG)やアドバンテストなどAI関連株が大きく売られる一方、銀行や一部製造業株が買われた。 こうした潮目変わりの代表がSBGだ。11日に発表された25年第2四半期決算では純利益が前年同期比2.9倍の2兆9240億円もの大幅純利益増だったのに、約10%ほど保有していたエヌビディア株を全株売却したことなどで今後の利益成長に不透明感が広がり翌12日は大きく売られ、週末の14日も6.6%安となった。3日間合計で13%安となり、終値では2万円を割った。 また目を引いたのは、減益決算を発表したAI関連銘柄のキオクシアで、3000円安のストップ安(23%安)1万0025円で、なお132万株以上の売り注文を残した(写真=横浜の同社研究拠点)。◎「グロース」なのにこの5年間、全く冴えない 東証プライム市場の風景は、上記のように先週に大きく変わったが、この前も書いたJ-REITは指数2012.23と値を保った(11月12日付日記:「出遅れREIT、やっと指数2000を回復、ただし年初来では2割高の好パフォーマンス」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202511120000/を参照)。 REITや銀行株などの好パフォーマンスの一方、上述のようにAI関連株は総崩れだったが、それでも年初来ではなお倍以上となっている。 しかし相変わらず蚊帳の外に置かれっぱなしなのが、東証グロース(成長株)市場だ。図は過去5年間のチャート図である(下の図の上)。お分かりのように、この5年間、全くパッとしない。この2年間に日経平均が約2倍になっているのに(下の図の下)、なんという好対照だろうか。 このような体たらくだから、もし読者の中にグロース株ばかり持っている方は、日経平均銘柄の好調さを前に歯ぎしりしているかもしれない。 グロース市場にはAI関連銘柄があまり上場されていないこともパッとしない原因の1つなのだろうが、これまで未来の成長を過大評価されていたこともあったに違いない。◎3銘柄を損切り 個人的にも、それを痛感している。この9月に昨年にIPOで取得したグロース市場上場の3銘柄を損切りした。この3銘柄とも、そもそも公募価格割れでスタートし、1度も公募価格を上回らなかった「性悪株」である。しかも無配で、保有し続ける意義も見いだせなかったし、将来性も見込めない、と見切った。 なんでそんなのを買ったのかと言われそうだが、以前の公開直後の急騰という夢に浮かれたのだ。証券会社の営業員に推奨されてろくに吟味もせずに買ったのが悪かった(「営業パースンに勧められて」というのは典型的な失敗パターンである)。 グロース市場に、例えばアメリカのエヌビディアのような銘柄が出てこない限り、低迷は続くかもしれない。 それでもなお含み損を抱えるグロース市場株があるから、これも年末にかけて損切りしていこうと思う。今はグロース株は「悪夢」となっている。昨年の今日の日記:「ヒルに血を吸わせて治療させた19世紀医療、ヒル取引はバブル化」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202411170000/
2025.11.17

スターリニスト中国の戦狼外交が、またも牙を剥いた。 アメリカとの貿易交渉で、レアアース禁輸でトランプを事実上屈服させ、上乗せ関税などを撤回させた勝利感もあってか、生来の威圧姿勢が増している。◎「首を切ってやる、覚悟しろ」というテロを振りかざす外交官 高市首相の7日の国会答弁で、そもそも高市首相に警戒感を持っていたスターリニスト中国の高圧姿勢が火を噴いている。 高市首相の7日の答弁は、台湾有事をめぐって「戦艦を使って武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になりうるケースだ」と答えたものだ。今までの首相がとかく曖昧にしていたことを明確にしただけで、日本の安全保障には当然の姿勢だ(写真=質問に対して答弁する高市首相)。 それを、スターリニスト中国は噛みついた。まず駐大阪総領事の薛剣(せつけん=下の写真の上)が8日、Xに「勝手に突っ込んできたその汚い首は一瞬の躊躇もなく斬ってやるしかない。覚悟ができているのか」(下の写真の下)と、とても一国の外交代表とは思えないほどの汚い、テロリストのような恫喝を加えた。◎謝るどころかさらに居丈高の威圧 この発言は、日本の与野党議員に衝撃的なものだった。ある意味、高市首相の個人テロを使嗾するものでもあるからだ。議員たちの間に、薛剣を「ペルソナ・ノン・グラータ(好まし飾る人物)」としてスターリニスト中国政府に召還させることを求める声があがった。 しかしスターリニスト中国は、これに対して反省を示すどころか、さらに反撃を加えた。13日にはスターリニスト中国外務省次官の孫衛東が我が国の金杉憲治・駐中国大使を呼びつけ、高市首相答弁の撤回を求めた。むろん金杉大使は、とんでもない言いがかりに明確に反論した。しかし翌日、スターリニスト中国国防省の報道官は、さらに高市首相答弁を非難する談話も出した。 そして14日夜、スターリニスト中国外務省は、自国民に対し、日本への渡航を控えるよう、注意喚起を行った(写真=15日午前の上海の空港で日本行き便を待つ中国人観光客)。◎自国民の日本旅行控えろという声明はスターリニスト中国の「いつもの手」 日本への中国人観光客は月間100万人を越えるほどのブームになっていて、彼らが日本に落とす外貨が旅行業界、ホテル・旅館、お土産ショップ、レストランを潤しているから、それを手段にして恫喝しようという「いつもの手」である。 スターリニスト中国外務省の注意喚起で、おそらく団体旅行は軒並み中止されるだろう。日本側にとって痛手になることは確かだ。 こうした自国経済力を利用した威嚇外交は、これまでノルウェー、オーストラリア、台湾などに数多く試みられ、劉暁波氏のノーベル平和賞授与に対してなされたノルウェー産アトランチックサーモンの輸入禁止ではノルウェーは屈服しはしたものの、武漢肺炎真相究明を求めたオーストラリアへの多くの産品の輸入禁止の恫喝はほとんど効果をあげなかった。台湾に対するパイナップルなどの輸入禁止の威嚇も成功したわけではなかった。◎弊害目立つオーバーツーリズムを冷ますにはちょうどよい 日本に対しては、処理水海洋放出に「核汚染水」と難癖をつけ、水産物の禁輸をした。とりわけ深刻だったのは、ホタテ禁輸だったが、北海道などの産地はアメリカなどの需要を開拓して切り抜けた。 経済的威圧は、気に入らない相手に対して行うスターリニスト中国の常套手段である。 これに屈することなく、日本は薛剣を「追放」し、毅然たる態度を堅持すべきだ。 中国人観光客が減っても、京都などの多くの観光地はオーバーツーリズムによる交通渋滞や宿泊費・飲食費の高騰を招くなどの弊害が目立っている。少しでも緩和されれば、むしろ良いことだ。観光客は、マナーの悪い中国人だけではない。もっと他の国々から招けばよいのだ。昨年の今日の日記:「再登場トランプ氏の次期閣僚予定者は、経験の浅いイエスマンばかり、ただし国務長官のルビオ氏を除くが」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202411160000/
2025.11.16

2024年の夏、地球上で最も寒い定住地として知られるロシア、サハ共和国(ヤクーチア)の奥地で、地元のハンターで化石収集家のロマン・ロマノフ氏が解けた永久凍土から頭蓋と湾曲した巨大な角を発見した(写真=発見した角を持つ古生物学者のゲンナジー・ボエスコロフ博士)。◎推定死亡年齢は40歳、極寒の環境で現生のサイと同じ寿命 首都ヤクーツクにあるマンモス博物館は、この化石を1万9700年前のケブカサイ(ケサイとも言う=Coelodonta antiquitatis)と特定し、現生種、絶滅種を問わず記録が残る全てのサイの角を調べたところ、約165センチの長さはこれまでで最長と結論した(写真)。論文は2025年9月12日付の学術誌『Journal of Zoology』で発表された。 今回報告された角は、過去に最長とされていた南アフリカのシロサイの角より5センチほど長い。重さはおよそ9キロ。ケブカサイが生きていた時の体重はSUV車ほどあり、毛むくじゃらの毛皮に覆われていたと思われる(想像図)。 角の主成分であるケラチンという蛋白質に刻まれた成長輪からは、このサイが少なくとも40年は生きていたことが分かった。アフリカの野生で暮らすサイも通常40歳くらいまで生きることが研究から分かっている。 氷河期という過酷な環境の中でも、ケブカサイが現生種と同じくらいの寿命を持っていたことが、今回初めて明らかになった。◎メスはオスより長い角を持つ また頭骨の形から、角の持ち主はメスだと考えられる。現生種でも見られる特徴で、記録的な長さの角を持つのはメスなのだ。 ただケブカサイの場合、角のサンプルが少なく、科学者たちもメスの角が常にオスよりも長かったと言い切れないのだろう、とドイツ、ゼンケンベルク第四紀古生物学研究ステーションの古生物学者ラルフ・ディートリック・コールケ博士は語る。判断するには材料が少なすぎるという。 ケブカサイの場合、角の長さは平均して102センチほど。次に長い角を持つシロサイ(平均して58センチほど)の倍近い長さだ。 ケブカサイの巨大な角には一風変わった使い道があったようだ。角の下側が平たくなっていることが多い。これは凍りついた地面に角を繰り返しこすりつけて草を削り取って食べていたためだろうと、コールケ博士は推定する。◎角をぶつけ合っていた 現生種と同様、ケブカサイも角を武器に使っていたと考えられる。コールケ博士によると、これまで発見された角の中には、中央部に他のサイと角をぶつけ合った時に出来たと考えられる切れ込みがあるものがある。 ケブカサイ同士がぶつかり合う壮大な姿は、フランスのショーヴェ洞窟にある3万年前の壁画の中に永遠にとどめられている(写真)。多くのサイの仲間たちと同様、ケブカサイには頭のすぐ上に2本目の短い角がある。これは闘いの際、脳を保護するためにあったのだろうと、コールケ博士は付け加えた。◎氷河期の動物たちが眠る宝庫 ケブカサイは氷河期にヨーロッパ、アジア、カナダに広がっていたマンモスステップ(寒冷で乾燥した草原)を闊歩していた。そして約1万4000年前に絶滅するまでホラアナライオンやケナガマンモス、さらには人間とも共存していた。 サハ共和国には、バタガイカ・クレーターのように永久凍土が解けて出現したものがたくさん見つかっている(写真)。永久凍土には数千年分の動植物の死骸が埋まっているが、北極地域の急速な温暖化によって融解が進み、こうした氷河期の動植物が相次いで見つかっている。 サハ共和国は、ケブカサイの他にも氷河期に生きた動物たちが眠る宝庫で、永久凍土が融けているためだ。それを考えると、素直に発見を喜べないところもある。 この地域の広く深い永久凍土のおかげで動物たちが数万年間にわたり保存されてきた、とロシア科学アカデミーの古生物学者で論文の筆頭筆者であるゲンナジー・ボエスコロフ博士言う(冒頭の写真で角を持つ人)。◎地球温暖化の進行でさらに発見相次ぐか 2024年はサハ共和国の解けた永久凍土から3万2000年前のサーベルタイガーの子どもも見つかっている。 今後も永久凍土が解け続ければ、さらに多くの遠い昔に絶滅した哺乳類が姿を現すだろう。今回頭蓋と角だけが発見されたケブカサイの残りの部分も見つかるかもしれない、とコールケ博士は考えている。昨年の今日の日記:「1億6100万年前の最古のオタマジャクシの化石を発見、しかも巨大!」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202411150000/
2025.11.15

小形でスリムなティラノサウルス類の化石は、はたして幼いティラノサウルス・レックスなのか、それとも別種の恐竜ナノティラヌス・ランケンシス(Nanotyrannus lancensis)なのか。40年にわたる激しい論争がついに決着するかもしれない(写真=Tレックス頭蓋化石)。◎論争に最終決着の評価も ティラノサウルス類の化石を200以上分析した研究結果が10月30日付けイギリスの科学誌『ネイチャー』に発表され、Tレックスとは別種の敏捷でスリムな恐竜ナノティラヌスであると論文著者らは宣言した。 「論争を終わりにするため、私たちはこの問題をあらゆる角度から検証することにした」と語るのは論文の筆頭著者で、アメリカ、ノースカロライナ自然科学博物館の古生物学者であるリンジー・ザンノ博士だ。 外部の専門家の中には、この研究の厳密さを賞賛し、数十年にわたる論争に最終的な決着をつけるかもしれないと言う人もいる。 アメリカ、オハイオ大学の古生物学者のローレンス・ウィトマー博士は、次のように評価する。「彼らの慎重な研究の結果は明快で、古生物学が達成できる限りの確実さがある。ナノティラヌスは実在していたのだ」。◎まだ留保意見も 一方で、この発見は説得力があるとはいえ、ナノティラヌスをめぐる論争の最新の紆余曲折に過ぎないかもしれないと釘を刺す古生物学者もいる。 ティラノサウルスの脚の成長速度に関する以前の研究で「ナノティラヌスはTレックスである」としたアメリカ、オクラホマ州立大学の古生物学者のホリー・ウッドワード・バラード博士は、「彼らの発見は、これまでの報告と同様、仮説の提示だ。最終的な答えが得られたと思っても、後日、新しい手法やデータによって覆されることはよくあるものだ」と研究グループの結論を留保する。◎「決闘する恐竜」のジレンマ 2020年、ノースカロライナ自然科学博物館は、6700万年前の有名な「決闘する恐竜」の化石を取得したと発表した(写真=「決闘する恐竜の化石」とリンジー・ザンノ博士)。 長年、民間の所有物だったこの化石は、保存状態が非常に良く、トリケラトプスと小形のティラノサウルス類が死闘を繰り広げている姿をそのまま閉じ込めたように見える。一部の科学者はこのティラノサウルス類を、成体になる前に死んだ若いTレックスだと考えたが、ナノティラヌスだと考える科学者もいた。 化石が公的な博物館に収蔵されたおかげで、古生物学者は、この恐竜のほぼ完全な骨格標本に触れることが可能になった。ザンノ博士はこの標本を調べるために、アメリカ、ストーニーブルック大学の古生物学者で、ワニ類の成長・発達について研究していたジェームズ・ナポリ博士をチームに招き入れた。◎幼体(?)なのに腕は成体Tレックスよりはるかに大きい ザンノ博士がナポリ博士と共に化石を調べ始めると、すぐに「数多くの警告サイン」が点灯したという。この標本には、Tレックスをはじめ、すべての動物の成長の仕方に関する彼らの予想に合わない点がたくさん見つかったのだ。 中でも腕は、何かがおかしいことを示す解剖学的に重要な手がかりとなった。化石の腕は、成体のTレックスの腕よりもはるかに大きかったのだ(下の写真の上=Tレックスの腕(左)はナノティラヌスよりも短い;下の写真の下=ナノティラヌス・ランケンシス(右)の指の骨と爪はTレックスのものより大きい)。化石が幼体だとすれば、成長の過程で腕が縮むはずなどありえない。 また、この恐竜の尾(下の写真の上=「決闘する恐竜」の化石のナノティラヌス・ランケンシス標本には、この属のものとしては初めて完全な尾が保存されていた)はTレックスよりも短く、脚がやや長く、歯が多かった。さらにCTスキャンによって、脳神経と呼吸器系がTレックスとは異なっていること、副鼻腔が余分にあることも分かった(下の写真の下=ナノティラヌスの鼻には、口の上部にTレックスにはない追加の副鼻腔がある)。これらの特徴は、この恐竜がTレックスの成体になる途中ではなかったことを示している。◎実際は成体だった また、骨の薄い切片を採取して年輪のような成長線を分析した結果、この恐竜は約20歳で、成体であることが判明した。 これらの証拠から、問題の化石がTレックスだと科学的に主張する余地はない、とチームは判断、ナノティラヌス・ランケンシスだとした。 結論に懐疑的なウッドワード・バラード博士も、研究チームのデータは、この標本が成体の大きさに近いことを示しているようであることに賛同し、ナノティラヌスと呼ぶ「強い根拠となる」ことを認めた。 では、他の標本はどうだろう?◎多数の他のティラノサウルス類化石を調査 ナポリ博士とザンノ博士は、「決闘する恐竜」の化石から得られた証拠を基に、アメリカ、カナダ、アジアのコレクションにある他のティラノサウルス類も調査した。その中には、幼いTレックスとされるアメリカ、イリノイ州バーピー博物館の「ジェーン」や、1988年にナノティラヌスと命名されたクリーブランド博物館の標本などの、論争の的になっている標本も含まれている。 「ナノティラヌスをめぐる論争は何十年も続いてきたけれど、ほとんどの科学者はTレックスの幼体だと考えていたと思う」と、カナダ、ロイヤル・オンタリオ博物館の古生物学者のデビッド・エバンズ博士は言い、「今回の研究結果は、多くの人を驚かせるだろう」と続けた。◎先史時代の新しい捕食者像を築く可能性 今回の論文は、ナノティラヌスの体長はTレックスの約半分で、体重は10分の1しかない捕食者だったことを示唆している。体重8トン、体長12メートルのTレックスが白亜紀後期のライオンだったとすれば、体重約700キロ、体長5.5メートルのナノティラヌスは、パワーよりもスピードに特化したチーターだったのかもしれない。 「この論文以降、私たちの研究分野では、ナノティラヌスは種として認められているという前提で話を進める必要がある」とナポリ博士は言う。 今回の発見が裏付けられれば、先史時代の最も有名な捕食者についての科学者の知識は大きく書き換えられ、白亜紀後期に生息していた他の肉食動物についても新たな知見が得られるかもしれない(想像図=幼いTレックスを襲う成体ナノティラヌス集団)。 さらに著者らは、Tレックスの成長・発達過程についても再検討されるようになるかもしれないと言う。なぜなら一部の有力説は、ナノティラヌスの化石を幼いTレックスとする仮定の上に成り立っているからだという。◎一部懐疑派もナノティラヌスを認める姿勢 ただ、次のような意見もある。「私はまだ、小形のティラノサウルス類の骨格のすべてがナノティラヌスであると断言するつもりはない」と語るのは、イギリス、エディンバラ大学の古生物学者でもあるスティーブ・ブルサッテ博士だ。同博士は長年、ナノティラヌスは幼いTレックスだと主張してきた。けれども、ナノティラヌスの存在を裏付ける今回の証拠は強力だとも言う。 「新しい証拠によって、ティラノサウルス類の研究者として私が大切にしてきた考えが間違っている可能性が高いと示されるのは素晴らしいことだ」とブルサッテ博士は言う。それが科学というものだからだ。「化石については、自分たちが数百万、数千万年前のわずかな手がかりを扱っているにすぎないという現実に対して、常に謙虚でなければならない」と語る。昨年の今日の日記:「3億7500万年前の石炭紀に出現していた謎の怪魚ギンザメ」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202411140000/
2025.11.14

人里どころか市街地にまでやってくる。明らかに今までと違うツキノワグマの行動だ。 今年度のクマの出没件数は北海道のヒグマも含めて4~9月の上半期だけで2万件を上回った。過去5年で最多である。◎冬眠前に主食のブナが大凶作 件数だけではない。今年の大きな特徴は、冒頭に触れたように、盛岡市中心街の岩手銀行本店(写真=本店地下駐車場に居座っていたクマを捕獲し運び出す)や秋田市の商業施設など県庁所在地の中心部や官庁街、学校にも姿を見せていることだ。それだけ人と接触する機会が増えている。 クマは学習能力が高く、過去の経験を多く蓄積する動物だ。今年市街地に出没するクマは、2年前に母グマから行動を学んだと思われる。ツキノワグマは、1歳半で親離れするから、2年前の春に生まれた仔グマが成長して親離れし、2年前の記憶に頼って市街地まで出没しているようだ。 2年前、東北5県(青森、岩手、秋田、山形、宮城)は、冬眠前のツキノワグマの秋の主食のブナの実(写真)が大凶作になり、母グマは仔グマを連れて人里に食物を求めて出てきた。その時に仔グマは、人里の景観や雰囲気、食物の所在を学んだ。 そして2年後、成長して親離れした仔グマに再び災厄が襲った。東北5県のブナの実が再び大凶作になったのだ。東北森林管理局によると、ブナ林の中にはほとんど実をつけなかった森もあったという。◎農家の放置カキが誘引に 長年の保護政策でクマの個体数も増えているようだ。 そうなれば飢えたクマが市街地まで出てきても不思議はない。市街地には、飲食店やコンビニに大量の食物がある。襲われた店も、多い。 市街地に出てくる入口ゲートになっているのが、農家の庭先に植わっているカキだ。中には住民がいなくなって廃屋になっても、庭のカキだけは放置されて残されている所もある。実際、農家の庭のカキの木に登って食べているクマも多数目撃されている(写真)。 それを食べ尽くすか、先着のクマに食べ尽くされてあぶれたクマは、市街地までやってくる。 クマも、訪れる冬の前に脂肪を蓄えて冬眠するために必死だ。◎増えすぎたクマの個体数管理は仕方ないか 今年の死者が13人にも達するほど危険な存在になった以上、ある程度の個体数管理は、もはや仕方がないのかもしれない。 ただ市街地には食べ物があると学習したクマは、来年以降も現れるかもしれない。ただブナの実が豊作であれば、本来は臆病なクマもむやみに市街地に出てこないだろう。しかしブナの管理など、人の手にあまる。しばらくは東北地方の人たちは、「猛獣」に注意をもって過ごすしかないかもしれない。◎九州絶滅、四国は絶滅寸前、千葉県にはいない ちなみに本州のツキノワグマは、20世紀末までは九州にも生息していたが、今は絶滅した。四国には10数頭レベルというわずかに生き残る。個体群数がこのレベルまで下がってしまっては、四国のクマの絶滅も近いと思われる。 僕の住む千葉県は、幸いにもクマはいない。森が茨城県南と東京・埼玉と、途切れていてツキノワグマが往来できないからだ。 ただ子どもの頃、古老に近くの森で「ササグマ」がいると言われた記憶がある。おそらくアナグマの見間違いだろうけれど、もっと昔には東北地方からやって来た個体群もいたかもしれない。 クマもいない県、とはいささか寂しい思いもする。昨年の今日の日記:「インド北部で30万~40万年前のヒト族が巨大ゾウを解体していた跡を確認」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202411130000/
2025.11.13

遅まきながらやっと待望の指数2000回復である。金利ジリ高が嫌気されてながく投資対象から敬遠されていたJ-REITだったが、昨日11日、ついに指数2000を回復し、2016.37で引けた(図)。 株価は日経平均で5万円台をつけ堅調なのに、REITだけ取り残されていた。◎金利高はREITの大敵 REITは、保有する不動産からあがる利益を投資家に分配する投資信託だ(図)。不動産に投資する資金の半分くらいは、銀行からの借入金だ。だから金利高は、REITの運用に逆風になる。また分配金率と国債金利との差は、後者の安全性が絶対的に高いのに対し、不動産投資信託からの益回りには多少のリスクがある。そのため国債との利回り差が、REITの価格に影響する。利回り差3%台後半であれば、まずまずと言える。 どちらにしても金利高は、REITにとって大敵だ。それなのに、なぜ値上がりなのか。今年に入って値上がり率は20%を越す。 実際、冒頭のチャート図でもお分かりいただけるように、REIT相場はこの3年間、ずっと低迷していた。長く新規上場も無く、今年8月、やっと1銘柄「霞ヶ関ホテルリート投資法人」が新規上場しただけだ(写真)。しかも4年ぶりのことだった。◎好調な不動産市況がREIT相場を支える 金利が低下に転じたわけではない。なお日銀が利上げを睨むように、金利はジリ高歩調だが、不動産価格の回復がREIT見直しにつながっている。 オフィスビル需要は堅調で、大型オフィスビルは空前の空き室率の低さだ。REITの保有物件は、賃料値上げの改定ができている。 ホテルも、インバウンド需要もあって空前の繁忙状況だ。シティーホテルばかりでなく、溢れたインバウンド客需要もあって、ビジネスホテルも超満室だ。連休中など、東京や大阪のビジネスホテルは2万円前後もする。昨年秋、大阪のアパホテルに泊まったが、1泊1万5000円くらいもして驚いたことがある。 物流倉庫も、一時期の空室は解消されつつあり、賃料も上場している。◎REITは値上がり期待ではなく分配金期待で つまりREITが保有する不動産がすべて逼迫状態に近いということだ。だから上昇する賃料を裏づけにしたREITも値上がり基調なのだ。しかも保有不動産の含み益も膨らんでいる。REITは、1~2棟を処分すれば、買い換えも分配金増もできる。 ただ天井の無い株と違って、REITはどうしても不動産の収益次第で、それが今後、2倍、3倍になっていくとは考え難い。 だからREIT投資とは、値上がり期待ではなく、いかなる公社債・国債などをも上回る分配金の高利回り期待である。ただ、REITがこれほど注目を集める前に僕がIPOで買った銘柄の中には、価格が2倍以上になったものもある。地銀などの機関投資家が注目する今は、それほどのパフォーマンスはもうあり得ないだろう。 安いところで買えば、分配金利回りはそれだけ高くなる。指数2000を超えても、年利回りが4%台のREITはゴロゴロしているのだ。下げたところで投資すれば、それだけ高い利回りを狙えるから、それを待ってから投資したい。昨年の今日の日記:「現代世界の哺乳類バイオマスの3分の1を占める家畜ウシのもとになったオーロックスの消長が古代ゲノムで明らかに」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202411120000/
2025.11.12

地球の衛星である月は、地球に別の天体がぶつかり、散らばった残骸が集まって月が出来たとする「ジャイアント・インパクト」説が有力だ。 では、火星の2つの衛星のフォボス(下の写真の上)とダイモス(下の写真の下)はどうなのか。◎コンピューターと手計算で捕獲説の可能性を確認 フォボスとダイモスは月と比べて小さすぎ(フォボスの半径は約11キロ、ダイモスのそれは約6.2キロ)、ジャイアント・インパクト説は成り立たないが、衝突した破片が集まって小衛星になったという衝突説がある一方、小惑星が火星重力によって捕獲されたという説もあり、起源ははっきりしていない。 北海道大学の研究グループは、フォボスとダイモスについて、火星重力によって捕獲された可能性があるとのいう研究成果を新しくまとめた(想像図=火星の2衛星が外部から捕獲された天体だった場合のイメージ)。捕獲説は後述のように可能性が低いと考えられていたが、コンピューターシミュレーションと手計算による理論解析を組み合わせて明らかにした。地球などの惑星がつくられる仕組みの研究に役立つ成果だ。 成果はイギリスの学術誌『王立天文学会月報』に掲載された。◎原始太陽系の環境でゆっくりと接近すれば捕獲され得る 捕獲説は、火星―木星間を周回する大小様々な多数の小惑星があるため有力な仮説だが、捕獲説では2つの衛星が、火星の赤道面に揃うように規則正しい軌道をとる理由を説明できていなかった。 研究チームは火星が誕生した原始太陽系に特有のガスの状態や、衛星の捕獲に影響を与える太陽や火星の重力などをコンピューター内で詳細に再現した。また、手計算を用いた理論的な解析も組み合わせて調べた。 その結果、惑星軌道上に薄いガスが残る原始太陽系の環境では、火星にゆっくり接近した小惑星は火星の重力に捕らえられて衛星になりやすいことが分かった。また、火星の自転による遠心力で赤道部が膨らみ、それがもたらす重力の働きによって捕捉された後で火星の赤道面にほぼ沿った軌道を取るようになることも示した。 コンピューターシミュレーションと理論の組み合わせで、軌道の再現だけでなくメカニズムを明らかにした。◎MMXに期待高まる どの説が正しいかの最終的な結論を出すためには、衛星からのサンプルリターンで持ち帰った試料を分析する必要がある。採取した火星衛星の試料が、小惑星のものに近ければ捕獲説を裏付けられる。 宇宙航空研究開発機構(JAXA)は2026年に探査機を打ち上げる2つの衛星の火星衛星探査計画(MMX)を実施する(想像図)。2つのうちフォボスに着陸して衛星の試料を採取して持ち帰る予定だ。昨年の今日の日記:「営業員を家にあげるリスクが顕在化、証券大手はどうする?」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202411110000/
2025.11.11

伊豆高原に行った。某温泉旅館に泊まり、翌日、大室山に行った。◎1周1キロの外輪山散歩「お鉢めぐり」 大室山は2度目だ(15年6月15日付日記:「曇天、霞の伊豆高原の大室山に『登る』;レジャー、植物学、火山学」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/201506150000/を参照)。前回は曇天だったが、今回は晩秋の好天で、山頂からの景観に期待がもてた。 大室山は標高580メートルのお椀を伏せたような美しい休火山で、登山には絶好の山のように思えるが、山体が国の天然記念物に指定されているので、残念ながら徒歩では登れない。北斜面のリフトに乗って登るしかない。約4000年前に噴火して出来た、まだ新しい山だ。 火口は直径約300メートルほど、山頂の外輪山は、1周約1キロで、「お鉢めぐり」とされる散策路となっている。少々の雨の日でも滑らないように、舗装がされている。ただ、外輪山もけっこうアップダウンがあり、足回りはしっかりしていた方がいい(写真)。 行程7~8分ほどのリフトで登ると、お土産屋やお休みどころ、トイレなどの施設が整備されている。時計回りでも反時計回りでもどちら回りでもいいが、僕は時計回りを選んだ。◎北に富士山、南に大島などの伊豆諸島遠望 伊豆半島の東に聳える独立峰だけに、歩くたびに遮るものの無い景観が開ける。 白いキャップをかぶったように9合目辺りまでわずかに冠雪した富士山が、北に望める(下の写真の上)。そして右に目をやると、青い海に縁取られた伊東市街が望める(下の写真の下)。 比高40メートルはありそうな火口を見下ろすと、美しい芝生はアーチェリー場になっている(写真)。 快晴だが、前日に雨が降ったわけではないので、わずかに霞んでいるのが残念に感じたのは、南の伊豆諸島を望んだ時だ。大島は、すぐ近くに見えたが、市街地は見えない(下の写真の上)。その右、すなわち南には、利島、新島、神津島が望める(下の写真の下)。 そしてそのやや左にはうっすらと房総半島が横たわっている。しかしむろん街などは全く視認できない。 神津島については、以前に本日記に、3.8万年前の旧石器人が黒潮分流を突破して黒曜石を採取しに行ったことを述べたことがある(24年11月20日付日記:「旧石器時代初期から始まった日本人の優れた進取性」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202411200000/を参照)。1度そこに良質の石器原材があると分かれば、神津島は伊豆から視認できるので丸木舟を操って採りに行けたのだろう。 季節は晩秋だから、ワイルドフラワーは見られなかった。◎お鉢めぐり、2回 お鉢めぐりは、2回、行った。最初は、約35分かけ、写真を撮りながらゆっくりと。1周終わって時間があったし、やや物足りなさが残ったから2度目は、ハイキング感覚で約20分。 外輪山1周の行程は約1キロだが、アップダウンがあるのでハイキングでも20分はかかるのだ。 山体は、全周にカヤが生えている。春に野焼きして、カヤの更新を図っている。昔は、ここから住民たちが屋根その他の生活材料を調達するために雑木が生えないように行っていたらしいが、今では観光用に美しい山容を維持するためにしているにしている。また早春の野焼き行事は、絶好の観光資源にもなっている。 晩秋の良いハイキングだった。昨年の今日の日記:「スターリニスト中国、習近平、いよいよ沖縄奪取に動き出したか」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202411100000/
2025.11.10

イヌは、いつ、いかにして人間の友になったのか、すなわちイヌの家畜化はいつ、いかにしてか、をめぐっては、これまで様々な議論が交わされてきた。◎オオカミから初期のイヌに進化するまで時間の計算は合った 人間は、友として飼うために、古代のオオカミの群れにいた温和しい個体を迎え入れたり選び出したりしたのだろうか? それとも、オオカミの群れの中に人間をあまり怖がらない個体がいて、人間が捨てる残飯に自ら近づいていったのだろうか? この論争では、時間計算は合うのかという点が大きな課題の1つになってきた。つまり、オオカミから初期のイヌへの進化が起きたと考えられているおよそ3万年~1万5000年前までの間に、人間の残飯を漁るオオカミがイヌという全く新しい種に進化できたのか、それは十分な時間だったのかということだ。 2025年2月12日付けのイギリスの学術誌『英国王立協会紀要B(Proceedings of the Royal Society B)』に発表された論文は、その計算が確かに合うことを示した。適切な条件が揃えば、オオカミは約8000年でイヌへと進化できた可能性がある、と数理モデルから推定されたのだ(写真=カナダの海岸で暮らす珍しいオオカミ)。◎人間がイヌの人為選択を行っていた確かな証拠 過去1万5000年間については、人類のあらゆる文化圏でイヌの人為的な選択が行われていたことを示す確かな証拠がある、と論文著者の1人のアメリカ、ジェームズ・マディソン大学の理論生態学者のアレックス・キャパルディ博士は語る。つまりこの間の人類は、自然な進化に任せることなく、イヌの性質を選択していた。 だがそれ以前の3万年前から1万5000年前までの間に何が起こっていたのかは誰も知らない。 もしかすると古代人たちは、人に慣れやすい性質を持つオオカミに狩猟を手伝わせるために、オオカミの交配を行っていたのか。そこまでしていなくても、古代人たちは、私たちと同じようにかわいい幼体オオカミを拾って家に連れて帰ったのか。そして野生のオオカミとは別に、そこから人に慣れたオオカミの群れが出来て、その中で交配が行われて急激に人為的な選択が起こったのだろうか。◎古代、ヒトとオオカミは獲物を奪い合うライバル しかし、古代の狩人にとって、オオカミは仲間ではなく獲物を奪い合うライバルであった。したがって、ヒトとイヌが一緒に狩りをしたとは考えにくい。こう考えるのは、マサチューセッツ大学チャン医学大学院の進化生物学者のキャサリン・ロード博士だ。 野生の現生オオカミは、極めて排他的で凶暴だ。こんなオオカミと協力できたとは僕も思えない。 それなら、古代のオオカミが自ら人間に頼る生活を選んだとしたらどうだろう? 例えば古代人が捨てた残飯に引かれ、人間から残飯をもらうようになったオオカミは、他の個体よりも人に慣れ、攻撃性と引き換えに労せず食事を手に入れられる身分を手に入れた。人間と接点をもったオオカミは、群れの他の個体から孤立し、同じように人に慣れた個体と勝手に交配して、やがて人間に尾を振るようになったのかもしれない。◎「原始家畜化説」、「自己選択説」、「残飯漁り説」などと呼ばれる この説は「原始家畜化説」、「自己選択説」、「残飯漁り説」などと呼ばれている。前出のキャパルディ博士がこの説に興味を持つようになったきっかけは、あるテレビ番組で、イヌの方から人間に近づいたという説を初めて知って驚き、イヌの家畜化の様々な側面を見てみたいと思うようになったからという。 そして博士は、論争が続いている点に気づいた。残飯漁り説に対する主な批判の1つに、人間の残飯を漁るオオカミたちの間で自然選択が起きただけなら、イヌに進化するにはもっと長い時間がかかったはずだ、というものがあった。◎人に慣れたオオカミの数理交配モデル 数理モデルは、この批判に対して答えを出すのに適した手法だと、論文の筆頭著者で、アメリカ、ウィスコンシン大学ラクロス校の数理生態学者のデビッド・エルジンガ博士は言う。イヌの起源をめぐる論争に数理モデルが登場したのはこれが初めてだと思われる。 キャパルディ博士とエルジンガ博士らは、数理モデルを用いて、人間の残飯を漁っていた古代のオオカミの群れの中から、イヌという独立した種が新たに誕生するまでにどのくらいの時間がかかるかシミュレーションを行った。 研究チームは、人に慣れたオオカミが、同じく人に慣れたオオカミと交配するモデルと交配しないモデルを、1万5000年分にわたって実行した。また、人間が出す残飯の量が一定の場合(人口が少ないまま安定している状態)と、増加する場合(人口の増加に伴って残飯も増加する状態)で、どのように種が分わかれるかも検証した。◎たった8000年でオオカミからイヌが分岐 研究チームがモデルを繰り返し実行したところ、古代のオオカミは37%の割合で初期のイヌに進化した。 また人に慣れたオオカミが、同じように人に慣れたオオカミと交配することを好む場合、74%が初期のイヌに進化した。その場合、たった8000年でオオカミからイヌが分岐し、この変化はしばしばモデルを実行する時間が終わるまで持続した。さらにこの変化は、残飯の量が一定でも増えても生じた。 一方、人に慣れたオオカミが野生に近いオオカミと交配した場合には、種分化は決して起こらなかった。◎残飯漁りのオオカミが自らイヌになったとするシミュレーション プリンストン大学の進化生物学者であるブリジット・フォンホルト博士は、人に慣れたオオカミが同じく人に慣れたオオカミと交配するのは、互いに近くにいたからだろうと言う。フォンホルト博士は、人間を怖がらないオオカミが、人間のそばで暮らし、これにより恩恵を受けているなら、この現象は自然選択の一部だ、と指摘する。 博士はまた、わずかな遺伝子の変化で動物が「極端に社交的な」行動をとるようになる可能性があると指摘する。そうしたイヌをモデルに加えることで、初期のイヌたちについてさらに明確なイメージが得られるかもしれないと提案する。 上記のシミュレーションは、人間の残飯を漁るオオカミが自らイヌへと変化したことの決定的な証拠にはならないが、「残飯漁り説」を裏付ける証拠の1つになる。◎上部旧石器人は初期のイヌを追い払っていたか しかし、これには異論もある。「上部旧石器人は、蓄えていた食料や残飯を守るために、大型肉食動物が居住地に侵入しないようにしていたことが、考古学的証拠から推定されている」と、ベルギー王立自然史研究所の古生物学者ミーチェ・ヘルモンプレ博士は語る。 つまり、人に慣れたオオカミが群れを形成するのに十分な時間があったとしても、初期の人類は彼らを追い払っていた可能性があるというのだ。 またキャパルディ博士は、今回の結果は、残飯を漁ることが家畜化の唯一の方法だったことを意味するものではないとも言う。◎家畜化は双方向的なプロセス イヌの家畜化にはおそらく人間が何らかの役割を果たしていたと思われるが、イヌもまた重要な役割を果たしていたのだ。 今回の研究結果は、家畜化は人間が他の生物に一方的に押し付けたものではないことを物語っているのかもしれない。家畜化は双方向的なプロセスであり、両方の種が互いに近づいていくとき、最高の友情が新たに始まるのだ。(写真=先史時代のヒトとイヌとの関わりを描いた絵、上からアンテロープを狩るイヌの群れ。リビアのタドラルト・アカクス遺跡に残る1万2000年前の岩絵;ジャッカルの頭を持つアヌビス神。3000年前の古代エジプト「死者の書」に描かれている;ライオンを狩る「モロッサー」と呼ばれる恐ろしげなイヌ。紀元前7世紀の新アッシリア王国宮殿に描かれたレリーフ;紀元前360年頃のギリシャの墓標に描かれた飼い主に忠実なイヌのレリーフ;ポンペイの埋没した家の玄関のモザイク画。「猛犬に注意」と書かれている)☆参考 野生の荒々しいキツネから、比較的温和しい個体だけを選抜して飼育・繁殖させ、さらにそこから温和しい個体を選択して……という累代飼育を60年も行い、ついに人に慣れた「イヌ」的なキツネを誕生させた研究が、別にあるので、参考までに挙げておく。・17年7月23日付日記:「60年もの研究者人生を投じ、野生キツネを選抜育種して『犬』を誕生させた再現実験」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/201707230000/昨年の今日の日記:「研究者が全精力を傾注した本を出すのに100万円を用意しないといけない出版界の現実」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202411090000/
2025.11.09

イヌは、いつ、いかにして人間の友になったのか、すなわちイヌの家畜化はいつ、いかにしてか、をめぐっては、これまで様々な議論が交わされてきた。◎オオカミから初期のイヌに進化するまで時間の計算は合った 人間は、友として飼うために、古代のオオカミの群れにいた温和しい個体を迎え入れたり選び出したりしたのだろうか? それとも、オオカミの群れの中に人間をあまり怖がらない個体がいて、人間が捨てる残飯に自ら近づいていったのだろうか? この論争では、時間計算は合うのかという点が大きな課題の1つになってきた。つまり、オオカミから初期のイヌへの進化が起きたと考えられているおよそ3万年~1万5000年前までの間に、人間の残飯を漁るオオカミがイヌという全く新しい種に進化できたのか、それは十分な時間だったのかということだ。 2025年2月12日付けのイギリスの学術誌『英国王立協会紀要B(Proceedings of the Royal Society B)』に発表された論文は、その計算が確かに合うことを示した。適切な条件が揃えば、オオカミは約8000年でイヌへと進化できた可能性がある、と数理モデルから推定されたのだ(写真=カナダの海岸で暮らす珍しいオオカミ)。◎人間がイヌの人為選択を行っていた確かな証拠 過去1万5000年間については、人類のあらゆる文化圏でイヌの人為的な選択が行われていたことを示す確かな証拠がある、と論文著者の1人のアメリカ、ジェームズ・マディソン大学の理論生態学者のアレックス・キャパルディ博士は語る。つまりこの間の人類は、自然な進化に任せることなく、イヌの性質を選択していた。 だがそれ以前の3万年前から1万5000年前までの間に何が起こっていたのかは誰も知らない。 もしかすると古代人たちは、人に慣れやすい性質を持つオオカミに狩猟を手伝わせるために、オオカミの交配を行っていたのか。そこまでしていなくても、古代人たちは、私たちと同じようにかわいい幼体オオカミを拾って家に連れて帰ったのか。そして野生のオオカミとは別に、そこから人に慣れたオオカミの群れが出来て、その中で交配が行われて急激に人為的な選択が起こったのだろうか。◎古代、ヒトとオオカミは獲物を奪い合うライバル しかし、古代の狩人にとって、オオカミは仲間ではなく獲物を奪い合うライバルであった。したがって、ヒトとイヌが一緒に狩りをしたとは考えにくい。こう考えるのは、マサチューセッツ大学チャン医学大学院の進化生物学者のキャサリン・ロード博士だ。 野生の現生オオカミは、極めて排他的で凶暴だ。こんなオオカミと協力できたとは僕も思えない。 それなら、古代のオオカミが自ら人間に頼る生活を選んだとしたらどうだろう? 例えば古代人が捨てた残飯に引かれ、人間から残飯をもらうようになったオオカミは、他の個体よりも人に慣れ、攻撃性と引き換えに労せず食事を手に入れられる身分を手に入れた。人間と接点をもったオオカミは、群れの他の個体から孤立し、同じように人に慣れた個体と勝手に交配して、やがて人間に尾を振るようになったのかもしれない。◎「原始家畜化説」、「自己選択説」、「残飯漁り説」などと呼ばれる この説は「原始家畜化説」、「自己選択説」、「残飯漁り説」などと呼ばれている。前出のキャパルディ博士がこの説に興味を持つようになったきっかけは、あるテレビ番組で、イヌの方から人間に近づいたという説を初めて知って驚き、イヌの家畜化の様々な側面を見てみたいと思うようになったからという。 そして博士は、論争が続いている点に気づいた。残飯漁り説に対する主な批判の1つに、人間の残飯を漁るオオカミたちの間で自然選択が起きただけなら、イヌに進化するにはもっと長い時間がかかったはずだ、というものがあった。◎人に慣れたオオカミの数理交配モデル 数理モデルは、この批判に対して答えを出すのに適した手法だと、論文の筆頭著者で、アメリカ、ウィスコンシン大学ラクロス校の数理生態学者のデビッド・エルジンガ博士は言う。イヌの起源をめぐる論争に数理モデルが登場したのはこれが初めてだと思われる。 キャパルディ博士とエルジンガ博士らは、数理モデルを用いて、人間の残飯を漁っていた古代のオオカミの群れの中から、イヌという独立した種が新たに誕生するまでにどのくらいの時間がかかるかシミュレーションを行った。 研究チームは、人に慣れたオオカミが、同じく人に慣れたオオカミと交配するモデルと交配しないモデルを、1万5000年分にわたって実行した。また、人間が出す残飯の量が一定の場合(人口が少ないまま安定している状態)と、増加する場合(人口の増加に伴って残飯も増加する状態)で、どのように種が分わかれるかも検証した。◎たった8000年でオオカミからイヌが分岐 研究チームがモデルを繰り返し実行したところ、古代のオオカミは37%の割合で初期のイヌに進化した。 また人に慣れたオオカミが、同じように人に慣れたオオカミと交配することを好む場合、74%が初期のイヌに進化した。その場合、たった8000年でオオカミからイヌが分岐し、この変化はしばしばモデルを実行する時間が終わるまで持続した。さらにこの変化は、残飯の量が一定でも増えても生じた。 一方、人に慣れたオオカミが野生に近いオオカミと交配した場合には、種分化は決して起こらなかった。◎残飯漁りのオオカミが自らイヌになったとするシミュレーション プリンストン大学の進化生物学者であるブリジット・フォンホルト博士は、人に慣れたオオカミが同じく人に慣れたオオカミと交配するのは、互いに近くにいたからだろうと言う。フォンホルト博士は、人間を怖がらないオオカミが、人間のそばで暮らし、これにより恩恵を受けているなら、この現象は自然選択の一部だ、と指摘する。 博士はまた、わずかな遺伝子の変化で動物が「極端に社交的な」行動をとるようになる可能性があると指摘する。そうしたイヌをモデルに加えることで、初期のイヌたちについてさらに明確なイメージが得られるかもしれないと提案する。 上記のシミュレーションは、人間の残飯を漁るオオカミが自らイヌへと変化したことの決定的な証拠にはならないが、「残飯漁り説」を裏付ける証拠の1つになる。◎上部旧石器人は初期のイヌを追い払っていたか しかし、これには異論もある。「上部旧石器人は、蓄えていた食料や残飯を守るために、大型肉食動物が居住地に侵入しないようにしていたことが、考古学的証拠から推定されている」と、ベルギー王立自然史研究所の古生物学者ミーチェ・ヘルモンプレ博士は語る。 つまり、人に慣れたオオカミが群れを形成するのに十分な時間があったとしても、初期の人類は彼らを追い払っていた可能性があるというのだ。 またキャパルディ博士は、今回の結果は、残飯を漁ることが家畜化の唯一の方法だったことを意味するものではないとも言う。◎家畜化は双方向的なプロセス イヌの家畜化にはおそらく人間が何らかの役割を果たしていたと思われるが、イヌもまた重要な役割を果たしていたのだ。 今回の研究結果は、家畜化は人間が他の生物に一方的に押し付けたものではないことを物語っているのかもしれない。家畜化は双方向的なプロセスであり、両方の種が互いに近づいていくとき、最高の友情が新たに始まるのだ。(写真=先史時代のヒトとイヌとの関わりを描いた絵、上からアンテロープを狩るイヌの群れ。リビアのタドラルト・アカクス遺跡に残る1万2000年前の岩絵;ジャッカルの頭を持つアヌビス神。3000年前の古代エジプト「死者の書」に描かれている;ライオンを狩る「モロッサー」と呼ばれる恐ろしげなイヌ。紀元前7世紀の新アッシリア王国宮殿に描かれたレリーフ;紀元前360年頃のギリシャの墓標に描かれた飼い主に忠実なイヌのレリーフ;ポンペイの埋没した家の玄関のモザイク画。「猛犬に注意」と書かれている)☆参考 野生の荒々しいキツネから、比較的温和しい個体だけを選抜して飼育・繁殖させ、さらにそこから温和しい個体を選択して……という累代飼育を60年も行い、ついに人に慣れた「イヌ」的なキツネを誕生させた研究が、別にあるので、参考までに挙げておく。・17年7月23日付日記:「60年もの研究者人生を投じ、野生キツネを選抜育種して『犬』を誕生させた再現実験」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/201707230000/昨年の今日の日記:「研究者が全精力を傾注した本を出すのに100万円を用意しないといけない出版界の現実」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202411090000/
2025.11.09

白人植民者は、大平原でウシを放牧するために東部からやって来た。彼らにすれば、バイソンはウシの食べる牧草を横取りする邪魔者である。 さらに放牧地の中に入り込む先住民も邪魔者だったから、バイソンを狩れば彼らの主要食糧を奪うことにもなり、バイソン狩りに拍車がかかった。◎バッファロー・ビルの活躍した時代 スポーツ・ハンティングのように、バイソンを撃ち殺す催しさえ開かれた(絵)。特に19世紀には、鉄道会社がバイソンハンターを乗せて遊興する企画が繁盛した。 それで思い出したのは、イエローストーン国立公園の数日間をかけての見学を終え、他の国立公園に向かう際に、ワイオミング州コーディという街で何気なく立ち寄った施設内に、「バッファロー・ビル博物館」があって、ちらりと覗いたことだ(写真=僕の訪れた時と名称が変わっている)。 バッファロー・ビルとは、西部開拓時代のガンマン、ウィリアム・フレデリック・コーディ(写真)の愛称だが、その名の通り、生涯で数え切れないほどのバイソンを仕留めたことで知られる。ちなみにバッファローとは、バイソンを指すアメリカ人の通称で、ファーストネームがウィリアムだから愛称は「ビル」だ。 当時は、いかにバイソンを狩ったかが競われた時代だった(絵=19世紀に描かれたバッファロー・ビルのバイソン狩りショー)。◎絶滅寸前に保護され、今は50万頭ほどに回復 こうした乱獲で、バイソンは激減し、全盛期には全米で6000万頭もいたバイソンが、ついには500頭程度にまで減り、事実上、人々の前から姿を消した。 これに危機感を抱き、バイソンの保護と育成に乗り出したのが、26代大統領のセオドア・ルーズベルトだった。動物園で保護されていたバイソンを増やして大平原に放ち、また狩猟を厳禁した。 その甲斐あって、今では大平原に50万頭近い野生のバイソンが復活している(写真=グランドティートン国立公園の雪原で雪の下の草を食べるバイソンと春のイエローストーン国立公園で群れるバイソン)。例えば第1回で述べたように、イエローストーン国立公園では苦労なく、彼らの雄姿を観察することができる。◎バイソン牧場も ちなみにアメリカにはバイソンの牧場もある。もちろん飼育し、食肉にするのだが、こちらも20数万頭、飼育されている。 ともあれ現生のバイソンが、大型2種のような悲惨な運命にならなかったことは喜ばしい。たとえ事故で、時に人に被害を与えることがあっても。(完)☆参考・23年2月4日付日記:「数ある海外旅行で訪ねた地、もう1度行ってみたい:グランド・ティートン国立公園」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202302040000/昨年の今日の日記:「いよいよ対ウクライナ軍と対戦した北朝鮮傭兵たちは役立たずかも」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202411080000/
2025.11.08

昔、子どもの頃、農村育ちの僕の周りには見渡す限りの水田が広がっていた。イネを秋に収穫すると、晩秋までに刈り株の再生した「ひこばえ」に穂が膨らみ、粒がついた。あれを、食べればいいのに、と子どもながらに思った(写真=ひこばえの稲)。当時は、コメ不足の時代で、毎年、秋が豊作になるかならぬかが大きな国民的関心事だった。ただ粒は小さく、収穫しても家畜の餌にしかならなかったらしい。◎ひこばえの稲を育てて収穫する再生二期作 時代は変わる。 最近、「再生二期作」という記事をあちこちで目にするようになった。そもそも「二期作」とは、水田に2回イネを植え、水稲を収穫する農法で、コメ不足時代の戦後は、四国や南九州でかなり行われていた。 その後のコメ余りと減反政策で、ほとんどニュースなどに登場することはなくなり、僕は「絶滅」したと思っていた。 それが今、西日本など一部地域で、再生二期作が行われるようになっているという。 8月の収穫後のひこばえを育て、追肥して水を張ると、10月に2回目の収穫ができるようだ。10アール(1反)当たり(反収)約540キロ(約9俵)の1回目の収穫に対し、収量は落ちるが、5割~3割の収量は堅いのようだ。二期作分合わせれば、反収1トンも可能という(写真=再生二期作の収穫)。◎関東以西ならやる気になれば十分可能 もし再生二期作が普及すると、今の高米価に大きなインパクトを与えることになるだろう。例えば、米所である東北・北海道では無理としても、関東以西なら早めに苗を植えれば、高温化の進んだ今の日本なら、再生二期作は十分に可能だ。 米価が安かった時代は、見向きもされなかったろうが、昨年から今年の高米価時代には一躍脚光を浴びることになった。◎豊作なのに消費者米価が昨年以上の高値の怪 25年産の主食用米の生産量は、前年比10%増の747万7000トンになる見通しだ。昨年からの「令和の米騒動」で消費者米価が2倍化した影響で生産が刺激された(写真=秋の収穫)。 それでいて、店頭で25年産新米の価格は、昨年より高くなっている。豊作なのにコメの値段が下がらないのは、JAなどが農家に昨年よりも高い概算金(前渡し金)を支払っているからだ。おそらく高いコメ価格維持を狙った策なのだろう。 すると、卸にはそれ以上の値段で卸す。卸は、スーパーなどにさらに高い値段で売る。だから店頭価格が下がらないのだ。 しかも小泉進次郎氏に代わって新たに農相に就任した鈴木憲和は、小泉氏以前の社会主義的生産管理によるJA寄りの高米価維持に舵を切った。鈴木農水省は、26年産コメ生産量を今年比約5%減の711万トンにする予定だ。生産減により、高米価維持を狙ったものだ。 しかし鈴木と農水省、その背後のJAの思惑どおりには、決していかないだろう。◎コメ離れと外国産米販売の激増 まず高いコメ価格で、消費者のコメ離れが進んでいるからだ。パンと麺類に、一部の消費が流れている。5%くらいの需要がコメ離れしたと見られている。 次に、カリフォルニア米などの輸入米が急増している(写真=カリフォルニア米「カルローズ」)。財務省が10月30日公表した貿易統計によると、25年度上半期の輸入量は8万6523トンで、前年同期(415トン)の208倍となった。最大はアメリカ産の7万714トンで、前年(59トン)の1000倍超に達した。 民間のコメ輸入には、1キロ当たり341円もの関税が課される。それでも店頭で見られるように、高関税を上乗せされても、外国産米は5キロ3300円前後と、24年産銘柄米より1000円以上も安い。 確実に消費者の国産米購入量は減る。◎JAはいつまでも高米価を維持できない そして、農水省の管理外の再生二期作が広範囲になされ、供給が上乗せされるようになると、そのアナウンスメント効果でもコメ価格を弱含みさせる。 JAなどが倉庫に山積みさせた25年産米も、いつまでも高い価格で維持できない。保管料がかかるうえ、金利負担もきいてくる。 卸の中では、資金繰りに困って、投げ売りしてくるところも出てくるだろう。 そうは、「蟻の一穴」だ。持ちこたえられなくなって我先にと売りが洪水のように出てくるに違いない。 店頭価格で、外国産米よりも安い5キロ3000円に向けた「暴落」が始まる、と予想する。◎5キロ3000円にいずれは収斂 そもそも今の5キロ4500円前後という消費者米価は、不当価格のバブルに過ぎない。 23年産米は5キロ2200円くらいだった。その後の生産資材高と人件費高を加味しても3割高がいい線だ。5キロ3000円というのは、適正な価格だと思う。 むろん消費者米価が下がれば、パンと麺に流れたコメ離れ層もかなりが戻り、輸入米需要も急ブレーキがかかるだろう。 しかし大規模農家には、それでも生産意欲を十分に刺激される価格なのだ。再生二期作のコメも、伸びは抑えられてもある程度、出てくるに違いない。 そこに米価の均衡点があると思う。・昨年の今日の日記:「自動車大国ドイツの『国民車』フォルクスワーゲンが苦境に」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202411060000/・昨年の明日の日記:「アメリカ大統領選で民主党のハリス氏を下してトランプ氏が勝利、大統領に復帰へ」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202411070000/注 所用のため明日の日記は休載します。
2025.11.06

ちなみに第四紀絶滅に巻き込まれたバイソンには、もう1種、ムカシバイソン(Bison antiquus)がいた。◎パレオインディアンによるオーバーキルの犠牲 かつてロサンゼルスを訪れた時、ランチョ・ラ・ブレア・タールピットそばに建てられたペイジ博物館で、タールビッツに嵌まり込んで死んだムカシバイソンの骨格を観たことがある(写真)。 ムカシバイソンは、先に絶滅したジャイアントバイソンのニッチを埋めるべく数を増やしたが、氷河期末ギリギリにやはり絶滅する。ジャイアントバイソンはおそらく氷河期末の温暖化しつつあった環境変化に適応できなくなって絶滅したのだろうが、こちらムカシバイソンは、大平原に人類、すなわちパレオインディアンが姿を現していた時と合致するから、人類による大量殺戮(オーバーキル)によって絶滅したとも考えられる。◎ムカシバイソンとフォルサム型尖頭器 実際、クロヴィス尖頭器の後に現れるフォルサム型尖頭器に伴ってムカシバイソンの骨が見つかることがある。ネブラスカ州のハドソン・メング・バイソンキル遺跡では、500個体以上ものムカシバイソンの骨が検出されているが(写真)、ここからフォルサム型尖頭器も出土した。 またムカシバイソンの肋骨の間に埋まったフォルサム型尖頭器も検出されている(写真=バイソンの肋骨とフォルサム型尖頭器) ムカシバイソンは、現生のアメリカバイソンより15~25%大きかった。体高は約2.3メートル、体長は約4.6メートル、体重は平均で1.6トン近かった。角も、先から先まで約1メートルもあった。◎最大6000万頭ものバイソンが群れた 現生のアメリカバイソン(Bison bison)は、おそらくジャイアントバイソンやムカシバイソンがいた時は、大型2種の存在感が大きかったので、こぢんまりと暮らしていたに違いない。 しかしパレオインディアンの殺戮を免れたアメリカバイソンは、大型2種のいなくなった後氷期の拡大した大草原で爆発的に個体数を増やした(写真)。 白人が開拓者として大平原に姿を現すまで、最高6000万頭ものアメリカバイソン(以下、単にバイソンと略)が群れを成していたと推定されている。◎完新世のアメリカ狩猟民もバイソンと調和して繁栄 フォルサム狩猟民の後の完新世の狩猟民は、バイソンと調和して繁栄した。3種の中で最も小型であっても、オスのバイソンなら体重は700キロ近い。肉は、狩猟民バンドの腹を満たしてあまりあった。余った肉は干し肉にしたり、ペミカンに加工したりして、良質な保存食料になった。 さらに皮は、防寒性に優れ、毛皮として最高の品質を備えていた。 6000万頭もいれば、先住民がちょっと獲っても、個体数は減りはしない。 その均衡を大きく変えたのが、ウマに乗って獣を携えた白人の大平原への進出である。(この項、続く)昨年の今日の日記:「リーグ3位チームが日本シリーズに勝ち日本一という快挙に残る違和感:祝横浜DeNAベイスターズの制覇」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202411050000/
2025.11.05

昔、アメリカ国立公園を回っていた際、イエローストーン国立公園に数日間、滞在したことがある。◎イエローストーンの薄明の中で観たバイソンの大群の移動 公園外のモーテルに泊まり、ある朝、まだ暗いうちに起き出し、公園に車で入った時だ。道路を走っていると、どこかで地響きの音がする。なんと、アメリカバイソンの大群が薄明の中に移動していたのだ。その様は、壮観だった。それと共に、大群の移動に巻き込まれたら、車などあっという間に蹴散らされるだろう、ゾッとした。 初日にイエローストーン国立公園に入った時、あちこちに注意喚起看板が出ていて、バイソンに近寄るな、と警告されていた。オスで体長3メートル、体重は700キロほどになる。これが、最高時速80キロで突進してきたら、北米最強の肉食獣のオオカミも無事ではない。まして動きがのろい人なら、弾き飛ばされてイチコロだ。 イエローストーン国立公園では、最もポピュラーな野生動物はワピチ(エルク)だが、バイソンも、よく見られる(写真=道路にも出てくる)。◎イネ科を好む草食獣バイソンには天国 現在、イエローストーン国立公園など北米の草原で見られるバイソンは、もともとも旧世界原産の動物で、例えばヨーロッパにいたバイソンは、旧石器人により氷河期の洞窟壁画にも描かれている(写真=アルタミラ洞窟に描かれたバイソン)。 そのヨーロッパにいたステップバイソンの骨格と復元模型(写真)は、この9月に上野、国立科学博物館の「氷河期展」を観覧した時に観た(10月2日付日記:「上野の国立科学博物館、『氷河期展』を観に行く(1):圧巻のメガファウナのジオラマ」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202510020000/を参照)。 北米には20万年前頃、ベーリンジア陸橋を渡ってきたと考えられている。 渡ってきた北米は、彼らにとってまさに天国だったろう。ロッキー山脈東の、カナダからアメリカ合衆国にかけて広がる、日本の7~8倍もある大平原には、バイソンの好むイネ科の広大な草原が隙間無く広がっていたからだ(バイソンは反芻動物なので、繊維質のあるイネ科も食べられる)。 その天国で、彼らは3種ほどに種分化した。◎体長約4.8メートル、体重2トン以上の史上最大の反芻動物 中でも圧倒されるのは、ジャイアントバイソン(Bison latifrons)である(想像図)。氷河期末の「第四期絶滅」で、マンモス、マストドン、ウマなどと共に大型動物大絶滅で絶滅したが、生きていればさぞかし壮観だったろう。 ジャイアントバイソンの体高は約2.5メートル、体長は約4.8メートルもあり、体重は最大のもので2トン以上、と推定されている。現生のアメリカバイソンよりも25~50%大きかったと考えら、史上最大の反芻類であった(写真=復元骨格)。 ただ、全身骨格は残っておらず、角を伴った頭蓋と脚の骨しか見つかっていないから、前記の推定値は、現生のアメリカバイソンを参考に導いたものだ。 角は、端から端まで213センチメートルにも達している。現生のアメリカバイソンの平均は66センチほどだから、はるかに大きかったのだ。(この項、続く)昨年の今日の日記:「深海に棲む奇妙奇天烈の動物たち:オニアンコウ、ホネクイハナムシ、シロウリガイ」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202411040000/
2025.11.04

生物学の妙は、他種に寄生し、そこから栄養を奪い取る種が自然界にありふれたほど多いことだ。動物でも植物でも。そして細菌に寄生するウイルス(ファージ)のような極微の世界にも見られる。◎「吸器」を作って宿主植物の維管束に侵入して水と養分を奪う 植物に関して見ると、不思議なのは他種から水や養分を奪う寄生植物が、同種の仲間や種の近い仲間には寄生しないことがある。この仕組みは「自己回避」というが、奈良先端科学技術大学院大などのチームがアメリカの科学誌『サイエンス』10月23日号にこの仕組みを解明した、と報告した。農作物への寄生による被害を減らせると期待される。 チームによると、寄生植物には他の植物から養分を吸収するための特殊な器官「吸器」があり、維管束に侵入して水と養分を奪う。 農作物に寄生する雑草には悪名高い「ストライガ」などがあり(下の写真の上=アフリカの農地でピンクの花を咲かせたストライガ。見渡す限りの農地が作物に寄生したストライガで埋め尽くされている;下の写真の中央=ソルガムに寄生したストライガ、ソルガムはエチオピアなどでは主食に近い重要作物;下の写真の下=トウモロコシの根に寄生したストライガ)、アフリカなど世界で年間10億ドル(約1500億円)を超える被害を引き起こしているという。◎特殊な酵素で自己回避 前記のように寄生植物が自分自身や近縁の植物に寄生しないことは分かっていたが、これまでその仕組みは不明だった。今回チームは寄生植物コシオガマ(写真)を解析。吸器の生成に影響を与える酵素や、寄生先の宿主シロイヌナズナを使って自己回避の仕組みを調べた。 吸器は植物の根などが分泌する物質に促され、生成される。チームはこの分泌物質を含む植物中の代謝物と糖を結びつける特殊な酵素「UGT72B1」に着目。UGT72B1があると、糖と結びつくことによって分泌物質の働きが無効化されることが分かった。これが、自己回避の仕組みだ。◎将来は吸器を作らせない宿主を開発して被害を減らす 生成を促す分泌物質は複数あるが、寄生側の酵素は無効化できる物質の種類が多いことも判明。宿主より広い範囲で吸器の生成を防ぐことで、同種や近縁への寄生を回避していたという。 チームの吉田聡子教授(写真)は「将来的に吸器を作る物質を出さない宿主を開発することで、寄生雑草の被害を減らしたい」と話している。昨年の今日の日記:「世界のヒョウが絶滅危機に、個体数も生息地も20年余で3割減、ただし一部には改善の兆しも」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202411030000/
2025.11.03

アフリカの密林に単身飛び込み、人類に最も近い動物のチンパンジーをこよなく愛し、詳しい生態観察を行い、彼らのヒトらしさを解明した著名な霊長類学者のジェーン・グドール博士(写真)が91歳の生を終えた。 2025年10月1日、ジェーン・グドール研究所は、その創設者で国連平和大使でもあるジェーン・グドール氏の死去を発表した。 グドール氏は霊長類学者で、動物行動学者で、自然保護活動家で、動物福祉の擁護者で、教育者でもあった。◎ルイス・リーキーの支援で単身ゴンベ・ストリームに グドール氏は、イギリスの海辺の街ボーンマスで、赤レンガ造りのビクトリア様式の家で育った(写真=実家の前で生まれて初めて出合ったチンパンジーのぬいぐるみを抱いてポーズをとるグドール氏)。イギリス陸軍士官だった父親は不在がちで(後に離婚)、母親と妹、2人のおばと祖母という女性ばかりの家庭で育った。 子どもの頃、彼女は冒険をし、男だけがやっていたことをするのに憧れた。中でも強く憧れたのは、アフリカに行って動物の研究をすることだった。 そして学位も持たないのに、単身・素手で東アフリカ、ケニアの著名な古人類学者のルイス・リーキーの元に飛び込んだ。リーキーは、彼女の熱意にほだされ、ナイロビのコリンドン博物館の助手にし、タンガニーカ湖の東にあるゴンベ・ストリームに派遣、野生チンパンジーの観察に従事させることにした。彼女の最初に入ったゴンベ・ストリームは、その後、日本をはじめ多くの霊長類学者がフィールドにすることになる。◎リーキーの伝手でナショナル・ジオグラフィック協会に資金支援求める 彼女は、ただ1人、森の中に小屋を造り、そこで暮らしながらチンパンジー観察を続け、やがてそれまで世界の誰1人気づかなかった(むろんリーキーも同じだった)「チンパンジーの道具作りと道具使い」をつかんだ。彼女は、チンパンジーが草の葉や小枝を使って道具を作り、それを蟻塚に突っ込んでシロアリを「釣る」行動を記録した。 リーキーは1961年、彼女が観察に専念できるよう、ワシントンに本部を置く、世界最大級の非営利科学・教育団体である「ナショナル・ジオグラフィック協会(National Geographic Society、NGS)に研究助成金1400ドル(当時の為替レートで約50万円)と生活費400ポンド(当時の為替レートで約40万円)の支援を要請した。◎チンパンジーの道具作り・道具使用を切り札に 要請された研究探検委員会の委員たちは、当惑した。グドール氏はガラガラに痩せていて、いかにもひ弱そうだったし、科学教育は受けておらず、学位も持っていなかった。そんな若い女性が、東アフリカの未開の地で、肉食動物や毒ヘビ、マラリア蚊がうようよいる厳しい自然環境の中で、たった1人でチンパンジーの行動を研究することなどできるのだろうか。 そこで、リーキーが切り札として持ち出したのが、チンパンジーの道具作りと「シロアリ釣り」行動の観察記録だった。誰もチンパンジーの道具作り・道具使用など想像だにしていなかった委員会は、グドール氏の支援を決めた。 それからも、アメリカやイギリスでの学界の一部の雑音を気にすることなく、彼女のチンパンジー観察の姿勢は変わらなかった。グドール氏は1966年にイギリス、ケンブリッジ大学で動物行動学の博士号を取得しているが、それは彼女の初期の研究が「きちんとした科学になっていない」と批判されたことを気にしたリーキーが勧めたからにすぎなかった。◎チンパンジーの死に泣く 彼女は、チンパンジーを単なる研究対象としては決して見ていなかった。通常、研究者は観察対象の動物に数字を割り当てるが、グドール氏は1頭1頭に名前をつけた(今では観察者は個体識別に際し、名前をつけて記録するのが当たり前になっている)。それは彼女がチンパンジーに感情を見て、擬人化していたからだ。若いチンパンジーが母親を亡くした悲しみで鬱状態になって死んでいくのを見たことがきっかけだった(写真=111990年、ゴンベで遊ぶチンパンジーたちを観察しながらメモを取るグドール氏)。 彼女がゴンベで最初に観察したチンパンジー家族の女家長である「フロー」は、子育ての大切さを教えてくれた。耳に切れ込みがあり、団子鼻のフローは、愛情深く、気配り上手で、献身的に子どもを育てていた。後にフローの死を知った時、グドール氏は仲間のチンパンジーたちと同じように悲嘆に暮れ、泣いた(写真=ゴンベのキャンプの窓で遊ぶ「フリント」を見つめるグドール氏。フリントは「フロー」の息子だ)。◎チンパンジーの暗部も見せられる グドール氏に最初に近づいてきて、その存在を受け入れてくれたオスの「灰色ひげのデビッド」は、穏やかで、揺るぎない信念を持ち、「奇妙な白いサル」である彼女を信頼した。「ゴリアテ」は群れのリーダーで、気性が荒かった。「フロド」は弱い者いじめをしていた。チンパンジーが1頭1頭の個性を持つことも、観察とチンパンジーとの交流で明らかにした。 しかしそうしたチンパンジーの暗黒面も見せられた。オスたちは暴力によってリーダーの座を手にしようとしたし、群れが2つの派閥に分裂した時、殺し合いが勃発した。同じ種内の殺し合いを、世界で初めて伝えた。 「私はそれまで、チンパンジーは人間に似ているけれど、人間よりも優しい動物だと思っていました。だからチンパンジーの残忍さを受け入れられるようになるまでには少し時間がかかりました」と、グドール氏は語っている。◎環境・動物保護に力を注ぐ やがてグドール氏は、自分のフィールドワークを他の人々に引き継ぎ、環境保護のための啓発活動と資金調達に専念するようになる。 グドール氏は、檻に入れられた動物が、萎縮し、誇りを傷つけられ、その感情が目つきや動作に現れてくるのを目の当たりにしてきた。この状況を変えることが彼女の道徳的な使命だった。グドール氏は、自分の記事を印刷する手伝いをしていた雑誌の写真編集者のメアリー・スミス氏に、「私たちは動物に優しくあるべきです。そうすることで、私たち全員がより良い人間になれるからです」と語っている。 グドール氏はアメリカ国立衛生研究所(NIH)に働きかけて医学研究へのチンパンジーの利用を中止させた。今ではチンパンジーを実験動物にしている国も研究所も1つとしてない。◎環境保護団体を創設 1989年にはアメリカのジェームズ・ベーカー国務長官(当時)にアフリカにおける野生動物の食肉取引の禁止に向けて努力することを約束させている。ただ野生動物の食肉(ブッシュミート)取引は、アフリカの貧しさもあって全面禁止されてはいない。 古い世代よりも若い世代の方が世界の良い導き手になると確信していたグドール氏は、1991年に、若者の力で環境破壊を食い止めることをめざす非営利団体「ルーツ&シューツ」を設立した(写真=1995年、「ルーツ&シューツ」のイベントで中学生と談笑するグドール氏)。 意外な人々もグドール氏の味方についた。彼女は米コノコ石油を説得してコンゴ共和国にチンプンガ・チンパンジー・リハビリテーション・センターを建設させ、親をなくしたチンパンジーの子どもの保護施設を1992年にオープンさせた。◎多くの名誉を受けたが代償も グドール氏は、フランスのレジオン・ドヌール勲章、大英帝国勲章デイム・コマンダー、京都賞、シュバイツァー・メダルなど、数々の賞を受賞している。ヨーロッパ、北米、南米、アジアの大学からは名誉学位を授与された。 こうした名声には代償も伴っていた。どこに行っても、「彼女の言葉と視線に飢えた」マイクとカメラが殺到した。グドール氏を崇拝するファンたちは、聖遺物を求めるように彼女に手を伸ばして触れ、言葉を求め、サインをねだった。 自然保護の福音を説くために旅に出た彼女は、70歳を過ぎてもなお年間300日を世界各地での講演に費やしていた。目覚めた時に、自分がどこにいるのか分からなくなるほど疲れていることもあった。それでも構わなかった。使命の方が大切だったからだ。◎質素な生活、同僚は「貧乏人のよう」と評 フィールドでも世間でも、グドール氏は環境にほとんど負荷をかけなかった。彼女は森ではしばしば裸足で行動し、ベジタリアンで、小鳥のように少食だった。同僚は彼女の暮らしぶりを「貧乏人のような生活」だったと証言している。 グドール氏にとって物質は重要ではなかった。チンパンジーのこと、環境のこと、自然保護のこと、世界が自滅しないようにすることにしか興味がなかった。 聖書の創世記を文字どおり信じる創造論者を怒らせることになるかもしれないが、グドール氏の研究は、サルが人間の行動をなぞっているのではなく、人間がサルの行動をなぞっていることを示したのだ。昨年の今日の日記:「中央アジアの2000メートル以上の高地に中世の大都市跡が見つかる、鉄冶金術を生業にし、シルクロードの交易網と結ばれていた」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202411020000/
2025.11.02

冬でも時には深いな羽音をたて、刺すこともあるチカイエカ(地下家蚊)――その和名漢字のとおり、地下鉄やビルの地下室など、地下空間に発生する(下の写真の上)。英語では別名「ロンドン地下鉄蚊」とも呼ばれる(下の写真の中央=ロンドン地下鉄蚊;下の写真の下=ナチ・ドイツ軍のロンドン空襲で地下鉄に避難した市民は、ロンドン地下鉄蚊の餌食になった)。◎起源を古代エジプトと特定 その生態から、近代の都市化によって「生物史上最速で進化した」という説がある。 本当なのか。 アメリカ、プリンストン大などの研究チームは、ビルの地下などに生息する世界の「チカイエカ」のゲノム配列を調べ、通説を覆す起源を解明した、とアメリカの科学誌『サイエンス』10月23日号に発表した。それによると、チカイエカの起源は2000年以上前の古代エジプトだったという。 マラリアやデング熱など、人間にとって脅威となる病気を媒介する蚊の進化を解明することで、感染症の拡散予測などに応用できる可能性があるという。◎欧州、北アフリカ、西アジアのサンプルのゲノム解析 研究を主導した博士研究員の羽場優紀氏(現コロンビア大)らは2018年、チカイエカに関する国際共同研究コンソーシアム「Pip Pop」を立ち上げた。46カ国の200人以上の研究者が参加する。 なお羽場氏はソフトバンクグループの孫正義氏が設立した「孫正義育英財団」の1期生で、研究チームの設立には同財団などの支援を受けた。 研究チームはロンドン自然史博物館が所蔵する1940〜80年代に採取した22個体のチカイエカの標本を分析し、現在の蚊とDNAを比較した。100年足らずでは出現しないような遺伝子配列の変異が確認できたという。 研究チームはヨーロッパや北アフリカ、西アジアに現在生息している357個体のイエカ種を集め、全遺伝子配列を調べた。系統樹を作って解析をしたところ、エジプトにすむ蚊が約2000年前に分化したチカイエカの祖先である可能性が高いことが分かった。◎ナイル河畔の農耕と感慨がチカイエカのオアシスになり、人間に吸血 ナイル川流域の古代エジプトで農耕や灌漑が始まり、水辺に卵を産むチカイエカにとって「オアシス」となったという。その結果、2000年以上前のこの時期に人間から吸血するように進化した、と研究チームは結論づけた。 羽場氏は「地下など人間が作った環境が生まれたことで、すでに進化した蚊が人間の動きとともに世界中に拡散した」という(図)。昨年の今日の日記:「幼形成熟するメキシコの『ウーパールーパー』、4歳で老化が止まる不思議」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202411010000/
2025.11.01

一昨日29日の東京株式市場は、一極集中・跛行相場の典型で、一部投資家以外は違和感の大きな相場だったのではないか。生き馬の目を抜くようなマーケットだが、僕も過去に見たこともない相場だったので、あえて2日前のマーケットを論評したい。◎日経平均1000円以上上げ、TOPIX安の極端 一昨日、出先のスマホで相場途中を見ると、日経平均は約1000円で、5万1000円を超えていた。しかし戻って、PCで市場をさらに詳細に見ると、市場動向を的確に示すTOPIXはマイナスとなっていた。 日経平均だけは、4桁台の1088円47銭も高い5万1307円63銭だったのに(写真)、TOPIXは逆に7.63ポイント安の3278.24だった。 日経平均高・TOPIX安という現象は時折見かけるが、日経平均が1000円以上も高くなったのにTOPIX安というのは、僕の長い投資歴で初めて見た光景だ。 実際、日経平均は1307円63銭高なのに、値下がり銘柄数は86%で、ほぼ全面安の商況だ(値上がり200銘柄に対して、値下がりは1394銘柄)。日経平均がまた新高値を更新したのにも、年初来安値を更新した株は37銘柄もあった。◎1銘柄だけで日経平均を1000円以上押し上げた なぜそんなことになったのか。原因は半導体検査装置の大手メーカーで、有力AI関連株「アドバンテスト」株のストップ高だ(写真=同社事業所とロゴ)。同社は前日28日の大引け後に、今第2四半期の連結利益が前年同期比2.4倍の1698億円に、また通期の連結純利益を2750億円(前期は1611億円)に急拡大すると上方修正していた。 いずれも市場予報を大幅に上回った。 それを受け、翌29日には同社株に買い注文が殺到し、後場にストップ高の4000円高(22.0%高)となる2万2120円をつけ、そのまま引けた。もともと高株価だったから、同社株の値上がりだけで日経平均を押し上げた。押し上げ寄与額は1077円と、日経平均値上がり額の1088円47銭とほぼ等しかった。◎SBGをも押し上げ寄与度で上回る ふだんはやはり高株価でこのところ値上がり幅が多く、その分日経平均とTOPIXの乖離を大きくしていたソフトバンクグループ(SBG)の押し上げ寄与額207円にも、アドバンテストの寄与度は大差をつけた。 同じく値上がり寄与額の大きいAI関連株の東京エレクトロンやフジクラも大きく値上がりしていたが、それらを少数の銘柄の株価が日経平均を押し上げ、1394銘柄もの値下がり銘柄のマイナス寄与を押しのけて日経平均株価4桁の値下がりを見せたのだ。 この反作用は、翌30日の相場に現れた。TOPIXは22.55ポイント (0.69%)も高い3300.79で引けたのに、日経平均はたった0.04%(17.96円)高の5万1325.61円に留まったのだ。アドバンテストもわずかな上げで引けた。 29日のような一極集中相場にはデジャブがある。◎建設株のほとんどがストップ高し、一方で他の全セクターが値下がりした極端な一極集中相場 昔、バブル相場最高潮の時に、建設セクター株がほぼ全部がストップ高をつけた一方、それ以外の全株が値下がりした極端な一極集中相景を目にしたことがあった。 その後、バブル崩壊と共に建設株の多くは値下がりし、売り逃げ損なった投資家は、長期間の含み損への忍耐を強いられた。 今のAI関連株への一極集中相場も、その1つかもしれない。乗り遅れてはならじと高値に飛び乗り、その後梯子を外されたら高株価だから、ダメージは大きい。 むろん生成AIの進歩や社会への浸透ぶりを見れば、AI関連株相場は息長く続くかもしれない。投資するとすれば、調整を入れた時だが、ただ難はその時でも十分に高株価になっている。例えば2万円を超えるアドバンテスト株は、調整したとしても2万円を割るかどうか。 そのタイミングで1単元100株のアドバンテストを買えたしても、200万円だ。 二の足を踏むには十分な高株価である。昨年の今日の日記:「野生種グアナコとそれを家畜化したリャマ」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202410310000/
2025.10.31

スペインは、約85万年前のホモ・アンテセソールの時代から青銅器時代まで、かなり食人(カニバリズム)が普遍化していたようだ(ホモ・アンテセソールの食人については、25年8月24日付日記:「初期人類、ホモ・アンテセソールの幼児の首の椎骨に切り傷を発見、85万年前から共食いの新たな証拠か」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202508240000/を参照)。◎11個体のバラバラの骨に加工痕 このほどスペインで、新石器時代末の食人の可能性を示す研究報告が出された。約5600年前の人骨の集合体が、古代スペインにおける食人のさらなる証拠を提供する可能性を報告する論文が、このほどオープンアクセスジャーナル『サイエンティフィック・レポ-ツ(Scientific Reports)』 に掲載された。 アタプエルカ山脈のエル・ミラドール洞窟(El Mirador Cave:下の写真の上=発掘中の様子)で発見された推定11個体の骨を分析した結果、数十の骨に火を受けた痕跡(下の写真の中央)、人間の歯の痕、または解体の痕跡(下の写真の下=解体によりバラバラになった骨)が確認され、死後に処理を受けた可能性が示された。 イベリア半島には、集団埋葬や死後の遺体の再分配を含む多様な埋葬慣習の記録が残っている。半島での食人の例は冒頭のような85万年前まで遡る記録があるが、当時の文化慣習の曖昧さや埋葬条件の不確実性から、人体処理の直接的な証拠は稀で、解釈が困難である。◎半数近い239点の骨に加工の痕跡 カタルーニャ人類古生態・社会進化研究所(IPHES)の研究チーは、エル・ミラドール洞窟の2つの異なる地域から発掘された、死後改変の痕跡を示す650点の個体の骨断片を分析した。これらの骨は、新石器時代末から青銅器時代初頭(放射性炭素年代で5709年~5573年前)のもので、幼児、青少年、および成人が含まれていると推定され、同位体分析から地元住民のものと推定されている。 研究チームは、サンプル中の239点の骨に加工の痕跡を発見した(写真=バラバラになり、カットマークの残された骨の一部)。これらの遺骨は、より最近の集団埋葬の遺物と混ざり合った状態で発見された。222点の骨には火葬に伴う色変化が認められ、そのうち69点の骨には死後に行われた可能性のある解体痕が確認された。さらに、132点の人骨には切り裂き、削り取り、切り刻みなどの切痕が認められ、これらは皮剥ぎや肉除去と関連している可能性がある。著者らは、一部の骨に人間の歯跡の可能性を示す痕跡があるとも指摘している。◎バラバラの骨は解体作業によるもの 確認された外傷は、いずれも生前に発生したものとは考えられない。チームは、加工のパターンは、紛争中に受けた傷や戦利品としての身体部位の切断よりも、解体作業によるものとの一致が最も高いと述べている。 チームは、これらの発見は、新石器時代のコミュニティーに特徴的な、より深い社会的緊張と紛争の動態を示す、単一の紛争関連の食人事件を反映している可能性があると指摘している。昨年の今日の日記:「世界の先端品を立ち枯れさせるスターリニスト中国の過剰生産の深刻」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202410300000/
2025.10.30

高市内閣(写真)について、各メディアの世論調査結果も出揃い、支持率は快調に滑り出している。 我が家で講読している日経新聞の27日付け朝刊で、高市内閣の支持率は、2002年の現行方式での調査開始以来、過去2番目の74%となることが報じられた(図)。◎石破内閣は立民と公明の「連立内閣?」、だから保守層と若者に嫌われた この記事を子細に読み、前石破内閣が、成立以来1年間もずっと支持率が不支持率を下回り、24年衆院選、25年都議選・参院選の3連敗となった原因が良く分かった。 下の図を見ていただきたい(図)。支持政党別の内閣支持率だが、自民党支持者の支持率が91%と高かったのは当然として、野党の立憲民主党と連立離脱した公明党の各支持者では、石破内閣を下回っている。 つまり石破内閣は、立民と公明に相対的に支持されていたのだ。これを見ると、石破内閣はまるで立民と公明の「連立政権」だったかのように思える。石破政権末期に、立民支持者らが大挙して「石破辞めるな」デモに繰り出した現象が思い起こされる(写真)。そして肝心の自民党支持層では石破内閣支持率は、高市内閣よりはるかに低かった。自民支持層は、石破内閣を冷ややかに見ていたのだ。 極めつきは、30歳代以下の石破内閣支持率が高市内閣支持率の半分以下であることだ(図)。◎石破の選挙3連敗は当然の結果 支持基盤の自民の支持が薄く、むしろ野党の立民の支持が厚く、30歳代以下の層からも見放されていたのであれば、24年衆院選、25年都議選・参院選の3連敗も当然だった、と言えよう。石破のリベラル姿勢が保守層と若い世代に嫌われ、保守票は参政党や国民民主党に流れたのだ。 だから衆院選後の自民党内に吹き荒れた「石破降ろし」は、日本の保守政治を救う上で極めて重要で必要だった。◎自民と維新の連立政党に保守票が回帰 同時に行われた政党別支持率も、自民党は前回より5ポイント上昇の36%、連立を組む維新も5ポイント上昇の9%となった。 そのあおりを受けたのが、石破を嫌って逃げた保守層の逃避先となった参政党と国民民主党で、支持率は前者が4ポイント減の6%、後者が3ポイント減の6%だった。岩盤左翼の立民の支持率は変わらずの7%だ。 これで見ると、高市首相は衆院を解散し、総選挙に打って出たい誘惑にかられるだろう。小選挙区・比例代表制の現行制度なら、自民と維新の2党で圧倒的多数の議席を得られることは確実だ。 衆院解散はしないと何度も明言している高市首相だが、臨時国会中の先行きを注目したい。昨年の今日の日記:「2024年衆院選で石破自民党の過半数割れ大敗と他政党の戦いの後」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202410290000/
2025.10.29

日経平均が昨日の10月27日、ついに5万円の大台載せを達成した。引け値は、前日比1212.67円高の5万0512.32円だった(写真)。米中貿易摩擦の懸念が後退したことが背景にある。 まさか年内に5万円達成とは予想もしていなかったので、5万円に至る道は、さながらアレヨ、アレヨ、である(25年9月19日付日記:「日経平均4万5000円突破、新たな高みに挑む日本株式市場」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202509190000/を参照)。 1990年~91年のバブル崩壊後に長い低迷の後、リーマン・ショック後の2009年3月10日にバブル崩壊後の最安値となる7054円98銭(終値=写真)を見た僕には、まさかこのような日が来るとは夢にも見なかった。◎4月7日の大暴落を撥ね付けた驚異的躍進 今年日経平均が5万円を達成するとは、金融市場関係も経営者、経済学者も誰も想像しなかっただろう。実際、毎年1月3日に掲載される経営者・金融市場関係者20人の2025年の高値予想でも、誰1人5万円を予想した人はいなかった。最高値を予想した人でも、記憶をたどれば4万2000円がただ1人だった。ちなみに24年年末の終値は、3万9894円だった。 終値からすれば、年明けに4万円突入は誰もが予想しただろうが、それから1万円以上も騰げ、5万円に達するとは、前記のように誰も予想できなかったのだ。 振り返ってみれば、ニューヨーク・ダウを含めて株価は大統領トランプの一挙手一投足に翻弄されたと言える。特に4月2日にトランプが世界各国に高率の「相互関税」を発表すると、世界経済の大低迷を予測して世界の株価が一斉に売られ、東京市場は7日に過去3番目の下げの2644円安の3万1136.58円をつけた。 思えばこれが大底だったわけで、その時に勇気を出して買った人は大儲けをしたことになる。◎「絶対安全」思考に漬かり冒険心を試さなかった人の愚かさ ここに、株式市場の怖さと醍醐味がある。世界的な株巧者とされるウォーレン・バフェット氏は大暴落をいつも待っていたという。その時こそ優良株をバーゲン・ハンティングできるからだ。 逆にヘタッピは、恐れをなして売ってしまう。その後の反騰相場に絶対に乗れないから、資産を減らす一方となる。 冒険を好まず、「安全」だけを金科玉条にし、他人任せで経済の勉強もしない人は、08年のバブル後最安値以降、金利ゼロ%に近い預貯金を積むだけで、その後のインフレで資産の減価に見舞われている。一方で、その間に資産を5倍も6倍もした人たちもいるのに、だ。 この差は、今の賃貸に住み続ける人とタワマン億ションに暮らす人との差、老後を耐乏で暮らすか余裕で楽しむかという大差につながっている。◎「失われた30年」の完全脱却、「黄金の30年」へ 今日の5万円相場は、トランプ関税で鍛えられて日本経済はさらに飛躍するだろうことを予想しているのだろう。そこに、タイミング良く高市政権樹立の「高市トレード」が起こった(写真=高市内閣)。 株式市場は半年から1年先を予見すると言われる。すると、市場が間違えていなければ、日本経済は1990年からの「失われた30年」を完全に脱しきったことになる。次に来るのは「黄金の30年」となるのかもしれない。 むろん日本経済は人口減と高齢化という2つの構造的リスクを抱えている。前者は経済の担い手の縮減、後者は社会福祉費の肥大化を招き、経済成長に大きなマイナスとなる。 しかしAIを含む技術革新で生産性が伸びていけば、人口減・高齢化を上回る経済成長を達成できるだろう。 日経平均5万円は、そうした決して暗くない未来を予見していると考えられないだろうか。 そしてマーケットは高市政権の長命化も見ているのかもしれない。昨年の今日の日記:「日本の消費と経済が盛り上がらない老老相続の増加をなんとかしないと;追記=衆院選自公大敗過半数割れ」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202410280000/
2025.10.28

石破内閣で唯一のヒットだった適任者は、途中で江藤拓と交代した小泉進次郎氏だった。高市内閣で、その小泉氏が防衛相に横滑りしたのは、残念だった。 そして代わりに、高市氏が農水相に選んだのは、実は想定していた以上の不都合な人物だった。この人物が、高市内閣のアキレス腱にならないか、心配である。 その男は、衆院山形2区選出の鈴木憲和だ(写真=記者会見する鈴木憲和)。◎江藤拓時代に戻った農政 東京の開成高校・東大の出身のくせに、父のいる山形県南陽市のある山形2区から当選した。出馬前には農水省の官僚だった。 農水省・山形県というキーワードだけで、ゴリゴリの農林族議員と分かるが、就任するとさっそく改革的だった小泉農政を否定、コメの農水省管理に戻し、価格安定のための備蓄米放出を否定した。しかも2026年産米の主食用生産目安を、前年生産量比2%減の711万トンにさせた(写真=新米)。 せっかくコメ増産、輸出振興を石破と小泉氏が打ち出したのに、更迭された江藤拓時代に戻ってしまった。◎TPPに反対した「フダ付き」 そのためか同省が24日発表した10月13~19日のコメの平均店頭価格は、5キロ4261円と前週から109円上昇した。 マーケットは、コメ生産と価格の「農水省管理」化をかぎ取り、価格上昇になったのだろう。フダ付き農相の鈴木憲和のままでは、せっかく豊作になった25年産米も価格下落に歯止めがかかるだろう。 「フダ付き」と言ったのは、鈴木が農業の自由化に全く後ろ向きだからだ。初当選時の12年12月の衆院選では、TPP交渉参加反対を掲げて出馬し、TPPによるコメの自由化の進むことを恐れた農家票を集めて当選した。 当選してからも、姿勢は改まらず、16年11月10日の衆議院本会議で行われたTPP承認案・関連法案の採決では、退席して投票を棄権し、賛成方針の党議拘束に造反した。◎外食で進むカリフォルニア米のブレンド米化 再びコメが農水省管理に戻り、消費者米価も高止まりすると、コメ離れが進む一方となる。すでに低所得層を中心に、高いコメをやめて主食にパンや麺類を取り入れる層が増えている。またさほど高級でない外食で、カリフォルニア米などの外国産米を国産米とブレンドして使用する所が続出している(写真=カリフォルニア州の水田)。 時々昼食に利用するそうした店の米飯の味が明らかに落ちている。値上がり以前は、ほのかな甘みの美味しい米飯が、さほど味のないコメになっているのだ。 それで、今も思い出すのは、18年1月に行ったニュージーランドのクイーンズタウンの日本料理屋に入って食べた米飯の不味さだ。粘りけがなくパサパサで、色も灰色で、美味しさはまるでなかった。日本人の店員に聞くと、オーストラリア産だという。 ただ帰途にオークランドの日本飯屋で食べたコメは、それほど不味くはなかった。クイーンズタウンの店は、コメの保存管理がなっていなかったのかもしれない。 カリフォルニア米は、以前、アメリカに行った時、よく食べて味は国産米に劣ることはなかったが、クイーンズタウンで食べたオーストラリア米はちょっとひど過ぎた。◎進むコメ離れ・国産米離れと農家の高齢化 そんなコメに、国産米が取って代わられることは決してないだろうが、味がさほど落ちないカリフォルニア米なら、低所得層を中心に家庭でも浸透していくだろう(写真=店頭で売っているカリフォルニア米カルローズ)。何しろ国産ブランド米に比べて5キロで1000円以上も安いのだ。 そのうえに、前記のようにコメ離れも進む。 これでは日本の稲作はますます衰退するばかりだ。専業農家、すなわち基幹的農業従事者は高齢化が進む一方で、24年では65歳以上が約8割も占めている。したがって基幹的農業従事者の数も減る一方なのだ(図)。 日本の美味しいコメを心から愛している者にとって、これは本当に心配だ。 稲作の国家管理は、当面は高米価を維持して農家にはいい顔ができるだろうが、長期的には日本の稲作を崩壊させる。 高市首相は、1日も早く鈴木憲和を農相から罷免して欲しい。手遅れにならないうちに。昨年の今日の日記:「100年前、マロリーとアービンはエベレスト登頂に成功していたのか? もう1人のアービンの遺留品見つかる」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202410270000/
2025.10.27

週末は日経平均5万円がいよいよ指呼の間に迫る4万9299.65円で引けた。この1年、4月にトランプ関税で2000円以上下げる場もあったが、おおむね強い基調で推移した。こんなご時世、多少に生活に余裕があるなら、貯蓄より投資に注力すべき時である。◎「貯株」と方針で買値を上回る含み益 貯蓄で得られるインカムゲイン(利子)より、配当と値上がり益を両方得られる可能性のある株式(REITやパッシブ運用投信を含む)投資の方が、長い目で見れば確実に資産を増やせるからだ。しかも今は、毎月積立用の利益無税のNISAもある。貯蓄で得られるわずかな利子も、そこから容赦なく2割も税金が差し引かれるのだから、運用しない手は絶対にない。 例えば私事だが、僕は2つの証券会社で投資運用をしていて、いずれも全銘柄の含み益は取得額を上回る。つまり買値の2倍以上になっている。額の多少はあってもほとんどの銘柄が含み益で、中にはテンバガーの株もある。ただわずかだが含み損のものもあるのは事実だが、これも株高の中で解消されつつある。 僕の投資の原則は「貯株」で(17年10月22日付日記:「『貯株』の思想=コツコツ買い貯め、決して売らないのが極意、配当金・分配金で再投資の好循環」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/201710220000/を参照)、1度買ったら、よほどのことがない限り売らない。だから毎日の値動きに気をとらわれることはない。◎メガバンクに預けるよりメガバンクの株を買うのが得 貯蓄よりいかに投資が有利かは、大手メガバンクの定期預金と配当率を比較すれば明白だ。3メガバンク(写真)とも、一時より上がったとはいえ、1年物定期預金で利率はたった0.275%だ。 対して3メガバンクの配当利回りは、来年3月期の予想配当利回りを10月24日引け値で割ると、高い方から順に、 1 三井住友FG 3.4% 2 三菱UFJFG 3.1% 3 みずほFG 3.0% となる。 大きな値下がりがないとすれば、株を買って配当を得た方がはるかに得であるのは明らかだ。◎1日に2000円前後も上げ・下げはよくあること むろん株価は、日々刻々と変化する。値上がりも値下がりもある。1年に1回程度は、前記のように日経平均が2000円前後も暴落する日もある。反対に、それを一気に回復するほどの急反発の日もある。 それに一喜一憂するようでは、投資はやれない。だからよく言われるように、投資資金は明日必要になるカネではなく余裕資金で、ということになる。急に必要になったからといって、株価が底値だったら売るに売れない。幸いにも高値であっても、現金化できるのは売却してから3営業日目なのだ。◎13年前に日経平均投信を買っていたら今は5倍! 投資は安い時に買って、高い時に売るのが基本だ。安い時に買うのは、頭で分かっていても勇気が要る。買ったら翌日には大きく値下がりすることもあるからだ。 しかし余裕資金での長期投資なら、そんな値下がりも無視できる。 最も分かりやすい例を挙げよう。例えばリーマン・ショック直後の2008年10月27日に日経平均株価はバブル崩壊後の最安値7162円90銭(終値)をつけ、2012年12月まで、実に4年以上もの低迷期があった(図)。 この低迷期の間、時たま1万円を超えることがあってもすぐに9000円~8000円台に押し戻された。 だがもしこの低迷期の間に勇気をもって、仮に日経平均1万円の高値でパッシブ運用日経平均連動投信を買っていたら、今なら5倍になっている計算だ。 10数年で5倍である! いかに好パフォーマンスかが分かるだろう。◎パッシブ日経平均投信や日経高配当ETFやREITも もちろん個別株なら10倍~20倍にもなったものもある一方、企業倒産したり、経営不安で元本割れしている株もある。だからその不安の無いパッシブ運用日経平均連動投信が、今の株高の時代に最も良い投資になるのである。 他にも日経平均株価のうち高配当銘柄を組み込んだETFもある。 例えば「日経平均高配当株50指数連動型上場投信」だ。チャート図を見ると(図)、このところ足踏み状態だが、着実に値上がりしている。このETFは高配当株上位50銘柄を組み入れる。組み入れ銘柄が減配したりすると、入れ替える。配当利回りは直近で3.43%もある。高い配当利回りと値上がり益の両方を狙える。 ただし今が絶好のタイミングかどうかは、疑問もある。前掲の日経平均チャート図でも見られるように、日経平均株価はヘビが鎌首をもたげたように急騰しているからだ。 前記したように年に1回程度はある大暴落を待つ考えもあるが、いくら待ってもその時が来ないかも知れず、来てもその時はさらに値上がりしていて今よりも高値になっているかもしれない。 そこが株式投資の悩みどころである。◎REITも選択肢の1つ 株よりも値動きが安定している投資商品に、REIT(不動産投信)がある。 比較的高い分配金(株の配当金に相当)が見込め、値動きは急騰もなければ、急落もほとんど無い(写真=今年唯一新規公開した霞ヶ関ホテルリートの初日の打鉦)。ビルや商業施設、住宅、ホテルなどを裏付け資産にしているからだ。分配金は、そこの賃料が当てられる。 利回り4%台がゴロゴロしており、5%台という銘柄も多い。 ただ前記のように株ほどは、高い値上がりはない。しかも今後利上げがあるなら、REITの借入金利子が増え、分配金は減る懸念もある。僕自身、REITは多数の銘柄を持っているが、ほとんどが含み益なので、これも売らない。 以上を見てくると、漫然と銀行預金だけしている人と投資をしている人との違いは、その人の老後の顕著な差となってくるのは明らかだろう。昨年の今日の日記:「古代マヤのチチェン・イッツァの洞窟から出てきた人身供犠遺体は、血縁関係のある男児だった」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202410260000/
2025.10.26

門司港駅の噴水の隣の一角に風変わりな碑があった(写真)。 バナナの叩き売り発祥の地、とある。◎バナナの叩き売り発祥の地 由来の記によると、バナナの叩き売りは大正の頃に始まったらしい。今ではあまり見かけないが、昔、縁日では露店の一角で必ず見られたものだ。門司港は大陸への貿易港として栄えたから、台湾から移入したバナナを、大陸に渡る旅客向けに昔懐かしい口上とともに売ったのだろうか。 門司港駅前を横切る広い道路の前に、日本郵船のビルが建つ(写真)。かつての貿易港の名残だ。ただしごく普通のビルだから、レトロの観光地としてガイドブックには紹介されていない。◎素晴らしい外観の洋館「旧門司三井倶楽部」 紹介されているのは、その隣、その名も旧大阪商船通りと旧三井倶楽部通りの交差点の「旧門司三井倶楽部」の洋館だ(写真)。昔、三井物産門司支店の関係者の社交クラブとして、1921年(大正10年)に建てられたという。 庭はきれいに手入れされ、塵1つ落ちていない。玄関から中に入ると、往事の展示があるかと思ったが、案に相違してレストランだった。 道理で入場無料となっているはずだ。建物の外観を観るだけで終わった。◎風情たっぷりの「旧門司税関庁舎」 次は海岸に出て、そこを北に向かう。歩行者専用の「ブルーウィングもじ」という橋が架かっている。この先の馬関海峡に、前回述べた関門橋が目の前に架かっていた。 ブルーウィングもじを渡って右に見える赤レンガ造り建物が「旧門司税関庁舎」だ(写真)。1912年(明治45年)に建設されたが、その後戦災に遭って、一時は廃屋寸前だったらしい。 1995年に門司港レトロ事業の一環として修復されたという。 ここも入場無料だったので、内部参観は期待していなかった。1階に喫茶店などがあり、2階ホールでは市民の絵画作品展が行われていた。ほとんど屋根が剥き出しで、戦災に遭ったことが偲ばれた。◎帝政ロシア風外観の大連友好記念館 その名も「レトロ中央通り」の向かいに、これまて赤レンガ造りの「北九州市大連友好記念館」だ(写真)。戦前、門司港と植民地だった大連港とを結んでいた縁で、大連と北九州市とは友好都市になり、それを記念して1994年に建てられたという。その意味では、新しい建物だが、モデルになったのは大連市の「東清鉄道汽船会社事務所」という建物で、ロシア統治下でドイツの建築家により建設された帝政ロシア風外観の建物だ。 こちらも入場無料。期待もせず中に入った。1階に「大連あかしあ」という中華レストランがあるだけで、2階もさして目を引くものはなかった。◎旧大阪商船 そこを出て、海岸沿いの「ガス灯通り」を元の門司港駅に向かう。途中で、少し早いが昼食を摂りに和風レストランに入った。快晴で、10月なのに真夏日の高温で、休憩を兼ねて入り、大した美味くもない海鮮丼を食べた。 窓越しに右に最前観た旧門司税関庁舎、左に旧大阪商船の堂々とした建物が見えた(写真)。1917年(大正6年)に建てられた現・商船三井の大阪商船支店が入っていた。 実はこの建物は、旧三井倶楽部を観た直後に間近で観たが、遠望した方が全体に見えて風情がある。 たった1時間ほどだったが、門司港レトロ街は堪能できた。僕は門司港駅に戻り、電車に乗り、小倉駅で新幹線に乗り換え、東京に戻った。それにしても、新幹線のぞみをもってしても、約4時間40分はかかる。下関と門司は、やはり遠かった。(完)昨年の今日の日記:「アメリカの牛肉消費減と鶏肉増という食肉事情とウシの出すメタンガス排出量の多さ」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202410250000/
2025.10.25

ケニア、トゥルカナ湖東岸で発見された推定約152万年前のホミニン部分骨格化石KNM-ER101000は、東アフリカで古人類化石を探求していたリーキー夫妻(メアリー、ルイス)が1959年にタンザニア、オルドゥヴァイ峡谷で初めて見つけたジンジャントロプス以来の未解決課題を解決したようだ(写真=ジンジャントロプスの下顎骨を観るリーキー夫妻)。◎初発見の手の骨は現代人的な把握力と器用さを示す 10月15日に『ネイチャー』オープンアクセス版でキャリー・モングル助教授(ストーニーブルック大)らが報告した。 この標本KNM-ER101000(雄)は、頭頂部に矢状隆起が走る頑丈な頭蓋、巨大な歯、足の骨などと共に初めて手の骨も伴っていた。年代と化石の特徴から、同標本は明らかに東アフリカの頑丈型ホミニンのパラントロプス・ボイセイ(260万~130万年前)だ。歯や頭蓋からパラントロプスは強力な咀嚼力を持っていたが、石器製作能力などは疑問視されていた(写真=最古のパラントロプス属ホミニンのP.エチオピクス。頭蓋上部に強力な咬筋を付着させた発達した矢状隆起が見られる)。 だが今回初めて見つかった手の骨(写真)は、現生人類とアフリカ産類人猿の両方の特徴を共有していた。例えば、親指と指の長さの比率は、パラントロプス・ボイセイが現代人と同様の把持力や器用さを持っていたことを示唆するが、精密なつまみ動作はできなかった可能性がある。一方、この他の手骨は、ゴリラのものに類似しており、登ることに役立つ非常に強い握力を持っていたかもしれないという。◎共存していた4種のホミニンのうちパラントロプスのみ石器製作者とは認められず 約200万~100万年前にかけて、東アフリカでは4種のホミニン(パラントロプス・ボイセイ、ホモ・ハビリス、ホモ・ルドルフェンシス、およびホモ・エレクトス)が共存していたと推定される。 このうちホモ属3種は、東アフリカで出土する石器の製作者と認定されているが、パラントロプス・ボイセイが道具を製作・使用したかどうかは、明確に同定された手の骨が見つかっていなかったため、議論が分かれていた。◎化石発見当時は石器製作者と考えられたが ちなみにパラントロプス・ボイセイ発見時(当時はジンジャントロプス・ボイセイと呼ばれた)、リーキー夫妻は、以前からオルドゥヴァイ峡谷(写真)で見つかっていた石器の製作者はパラントロプスと考えていたが、その5年後の1964年初頭、彼らは別のヒト族の化石を発表した。頭蓋の破片から、このヒト族はより大きな脳を持っていたことが示唆された。ルイスはこれを器用な人の意味の「ホモ・ハビリス」と呼び、彼らこそ石器製作者で、パラントロプスはこの地域の「侵入者」にすぎなかった可能性があるとして、石器製作者の地位を剥奪した。 以来、学名のとおり(パラントロプスとは傍系のヒトという意味)、パラントロプスは石器を作らなかったと考えられていた。道具を作ったとしても、地中から塊茎を掘り出すための掘り棒程度だろうとされていた。◎道具製作・使用の他に枝を握るなどのユニークな特性を有する だが今回の発見を総合すると、パラントロプス・ボイセイはある程度の石器製作・使用能力を有していた可能性があり、強力な握力は手作業による食物加工(例えば、食べにくい植物の消化できない部分を取り除く剥ぎ取りなど)を容易にしたと考えられるともいう。 「このパラントロプス・ボイセイの手のあらゆる特徴は、葉の茂った植物や道具、岩、枝を握る強力な能力を指し示しており、既知の人類化石の中でもユニークな特性を有している」と、同時掲載されたNews & Views記事でマックスプランク進化人類学研究所のトレーシー・キヴェル博士らは述べている。昨年の今日の日記:「生殖行動中に琥珀に閉じ込められた3800万年前のシロアリを発見、生殖行動を復元」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202410240000/
2025.10.24

東京へ帰る日、下関から門司駅で乗り換え、門司港駅に降りた。レトロな街並みを観たかったからだ。◎東京駅丸の内駅舎と並ぶ重要文化財に指定の門司港駅 門司港駅そのものも、レトロの歴史遺産と言っていい(写真)。大正3年(1914年)に現在の駅舎が完成している。1世紀以上の歴史を持つ。 今、駅舎は重要文化財に指定されている。現役の駅舎で重要文化財に指定されているのはこの門司港駅と東京駅丸の内駅舎だけだ。 太平洋戦争中に関門トンネルが開通するが、それまで門司港駅は関門連絡線の九州の鉄道の玄関口であった。 門司港は、明治期には日本の3大貿易港として栄えた。筑豊の石炭の中継貿易、大陸との貿易港として賑わった。◎門司港駅も今や貴重な観光資源、内部には結婚式場も 時代には三井物産や大阪商船、日本郵船の出張所などが置かれ、さらに日本銀行をはじめとする銀行の支店が集中し、門司港は九州の金融中心地となったという。後に前記のレトロな建物を僕は観ていくことになる。つまり往事の賑わいは、今や僕のような観光客の受け入れの地として蘇っている。 その門司港駅の駅舎の中は、結婚式場などに改装され、僕が駅を降りた時も礼服を着た結婚式の出席者があちこちに見られた。◎和布刈神社神事像と関門橋 門司港駅前に和布刈(めかり)神社神事の銅像が建っていた(写真)。今回は時間がなくて訪れなかったが、ここから北の半島の突端にある和布刈神社で、旧暦元日の早朝に3人の神職が干潮の海に入ってワカメを刈りとり、それを神前に供えて航海の安全、豊漁を祈願する神事だ。 松本清張が半世紀以上も前に書いた『時間の習俗』という推理小説の冒頭に描かれている。旧暦正月だから真冬で、しかも早朝だ。すごい寒さの中で行われるのだ。 広い道路を渡って海辺に行くと、右手に関門橋が見えてきた(写真)。この先に和布刈神社があるようだが、近くで観ると、威風堂々としている。 前回の日記で、海峡ゆめタワー30階展望台から関門橋を遠望したことを述べたが、ここに架かっていたのだ。すると、目の前の海は馬関海峡なのだ。昨年の今日の日記:「欧州最古の3200年前のドイツ古戦場跡、遠方からも参戦し、すでに国家間の戦争だった?」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202410230000/
2025.10.23

21日の衆院本会議で自民党総裁の高市早苗氏が第104代首相、憲政史上初の女性首相に選出された(写真)。前日20日に連立合意した自民党、日本維新の会の他に、無所属議員の指名も得て、1回の投票で決着した。自民・維新の231議席は過半数の233議席に2議席足りなかったが、無所属6議席が高市氏指名に回って237議席となったのだ。 公明党の連立離脱というハプニングで選出が1週間遅れたが、維新との新たな連立合意を受けての選出だった。◎公明との連立解消は清々した思い 公明党の連立離脱(写真=公明党が連立離脱を言い渡した10日の両党首脳会談)は、当の高市氏を含めての多くの自民党議員の想定外だったろうが、僕は清々したと思っている。これまで野党時代も含めて26年間の協力・連立政権の中で、媚中派の公明党には安保政策などでことごとく自民は足を引っ張られてきた。 公明党は、連立離脱で衆院小選挙区で、参院3人区以上の選挙区で、自民党の支援を受けられなくなった。次の総選挙では、小選挙区は全滅だろう。連立離脱が高くついたことを思い知ることになろう。 公明党の連立離脱、維新との新たな連立政権という枠組みで、さっそく明白な現れがあった。20日に結んで維新との連立政権合意書で、参院選に自民党が掲げた2万円の現金給付を行わないことを明記したのだ。2万円給付は、もともと公明党が言い出した、愚劣でバラマキの典型政策だったから、撤回されたのは良かった。◎成るか、国会議員1割削減 ただし新たな維新との連立合意では(写真)、飲食料品の消費税0%に関して「2年間に限って(消費税の)対象にしないことも視野に、法制化につき検討する」とされた。消費税ゼロにするとは言い切っていないが、実施されれば大幅な歳入欠陥になるから、将来に禍根を残しかねない火種である。 自民・維新の連立合意書には、政権の不安定化を来しかねない項目も並ぶ。衆院議員定数の1割削減も、その1つかもしれない。今のところ小選挙区には手をつけず、比例区を50議席程度を削減することになりそうだが、自民党にとっては小選挙区で落選した議員の復活当選の枠が大きく狭まる。地盤の弱い議員には抵抗が大きい。◎維新は連立に半身、閣外協力に留まる 自民との一蓮托生を懸念してか、維新は連立政権に閣僚を送らず、閣外協力に留めた。いつでも連立を解消できるぞという自民への牽制だ。 当面、高市新首相の念頭には衆院解散は入っていないようだ。維新と小他会派との協力で、政権を運営し、十分に実績を積んだ上での解散となるのだろう。 高市氏の自民党総裁の任期は、石破の残りの2年弱だから、それまではよほどのことがない限り解散しないだろう。◎政局に振り回されたマーケットは高市新政権の誕生を歓迎 こうした動向を株式市場は歓迎している。公明党の連立離脱が報じられた時は10日金曜日の大引け後だったから、市場が政局不安を織り込んだ翌週明け14日は1241円安の4万6847円と暴落だったが、自民・維新連立合意間近と伝えられた20日は1603円高の4万9185円とまたも新高値を更新。連立合意明けの21日は、高市新政権の誕生を織り込んだために引けにかけて伸び悩み初の5万円突破は成らなかったが、それでもまたも新高値更新の4万9316円となった。昨年の今日の日記:「砂漠の洞窟で発見された謎の種子が発芽して木に成長した「シバ」、旧約聖書記述の絶滅種か」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202410220000/
2025.10.22

所用で下関と門司に行った。東京を出る時は雨模様で、肌寒かったのに、新幹線・小倉経由で下関に下車したら、ギラギラ照って真夏のように暑かった。◎馬関海峡を渡す関門橋 海峡メッセ下関の隣に立つ「海峡ゆめタワー」に登った(写真=日中のゆめタワーと夜のゆめタワー)。晴れているので、高さ143メートルの30階にある展望台からは関門海峡などがよく見える。 馬関海峡(関門海峡)にかかる関門橋が、偉容を見せている(写真)。1973年に開通しているから既に半世紀を過ぎた。それ以前は、関門トンネルが本州と九州を結ぶ動脈だった。今はトンネルは3本もあるらしい。 橋を貨物船が何隻も通航している。◎武蔵と小次郎の決闘をした巌流島も間近に その右(西)に目を向けると、小さな島が見える(写真)。宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘をした巌流島だ。今は無人島らしいが、観光船が接岸し、島内を観光できるらしい。決闘の像など建っているようだ。 さらにその右(西)に狭い水道で隔てられた彦島がある(写真)。そう言えば、昔、彦島に人を訪ねて訪れたことを思い出した。 さらに右(西)に振れると、うっすらと島影が見える(写真)。六連島だろうか。◎たくさんの南京錠 ひとわたり観覧し、28階に降りた。ここの「ラブネット」と呼ぶらしい一角にたくさんの南京錠がかかっている(写真)。恋人たちがかけていくらしい。今年の7月に訪れたクロアチアの首都リュブリャナの「肉屋の橋」に、たくさんり南京錠がかけられていたことを思い出した。 どこにでもある客寄せの趣向なのだろう。昨年の今日の日記:「何十年ぶりかの大阪の変貌に目を丸くする、ビジネスホテル2万円時代の到来にもため息」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202410210000/
2025.10.21

45億年前、火星に衝突した巨大な天体の破片が、今も火星の内部にたくさん残っていることが分かった。アメリカの火星地下探査機「インサイト(洞察)」(写真=ロボットアームのカメラで自撮りしたインサイト。2019年に撮影)が観測した地震データなどを基に、イギリス、アメリカなどの研究グループが解明した。◎地震波で洞察(insight)した火星内部構造 火星には地表のプレート(岩板)が移動するプレートテクトニクスの仕組みが存在しておらず、同じような惑星の内部構造の理解につながるという。 地球とは違ってプレートテクトニクスがない火星では、プレートの動きで地殻にひずみがたまって起きる地震はないものの、熱や圧力で岩石が割れて起きるタイプの地震と、天体の衝突で起きる地震はあるとされる。 地震で生じた波は様々な物質を通過する際に変化し、その観測データは惑星の内部を研究する手がかりとなる。火星の内部は、表面から順に地殻、マントル、核という構造をしており(想像図)、インサイトが観測した地震データなどを基にそれらの大きさや構造が研究されてきた。◎マントル組成と異なる物質の塊を突きとめる 研究グループは、インサイトの観測データのうち8回の地震について分析したところ、強い高周波のエネルギーを含む地震波が地下のマントルの深くまで達して明確に変化していた。地震波がマントルの遠くへと伝わるにつれて、高周波信号が大きく遅れていたのだ。 またコンピューターシミュレーションにより、こうした信号がマントル内のごく限られた領域を通った時だけ、速さを変えることを示した。これらの領域は、マントルとは異なる組成の物質の塊であるとみられる。こうした状況から研究グループは、45億年前に火星に巨大な天体が衝突した際(下の想像図の上)、それらの天体や火星の破片がマントルの深くまで達し、今も残っていると結論づけた。天体の破片が深くまで達したのは、衝突によって地殻やマントルが溶け、広大なマグマの海が出来たからだという(下の想像図の下)。◎火星内部を初めて詳細、精密に観測できた 太陽系は46億年前に出来たとされる。ガスやチリが集まって円盤状の雲に成長。ここから太陽や原始的な小天体が生まれた。その後、小天体が衝突と合体を繰り返して惑星に進化し、太陽の近くには地球や火星のような岩石型の惑星が並んだと考えられている。これらの若い惑星には、大小の天体が頻繁に衝突していたようだ。 プレートテクトニクスがない火星では、内部の物質循環は地球に比べ、はるかに緩やかだ。研究グループのイギリス、インペリアル・カレッジ・ロンドンのコンスタンティノス・チャラランボウス特別研究員は「惑星の内部をこれほど詳細、鮮明に観測できたのは初めて。太古の破片が今も残っていることは、火星のマントルが数十億年かけてゆっくりと変化してきたことを示している。地球では、このような特徴は(プレートテクトニクスのような地殻変動に伴って)大部分が消えたのではないか」としている。 火星のマントルに残るこうした巨大な岩石は、火星の内部や歴史を理解するための手がかりになる。また太陽系の惑星では火星の他、水星や金星でもプレートテクトニクスは確認されていない。今回の成果は、こうした岩石型惑星の内部構造の理解にもつながる可能性があるという。◎既に3年前に運用終えたが、1319回の地震を観測 インサイトは、火星の内部構造の調査にほぼ特化した初の探査機で、NASAが運用した。2018年5月に打ち上げられ、11月に火星の赤道付近にあるエリシウム平原に着陸した。地震計や熱流量計、電波で内部を調べる装置などを搭載。火星表面に設置した地震計で、1319回の地震を観測するなどの成果を挙げた。 1970年代のアメリカの着陸機バイキング1、2号も地震計を備えたものの、探査機の上部にあってデータが不明瞭だった。インサイトが地球以外の惑星で初の、明確な地震観測となった。ただ熱流量計を地下に埋め込む作業には失敗。2022年12月に運用を終えた。 研究グループはインペリアル・カレッジ・ロンドン、フランス国立科学研究センター、アメリカのジョンズホプキンズ大学、カリフォルニア工科大学で構成されている。成果はアメリカの科学誌『サイエンス』8月28日に掲載され、NASAも同日、発表した。昨年の今日の日記:「兵員と武器弾薬の不足するテロ国家ロシア、北朝鮮からカネで空きっ腹傭兵を雇いウクライナ戦線に投入!」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202410200000/
2025.10.20

日本旧石器時代のパラドックスは、前回でも述べたように古本州島と北海道半島では旧石器は1万カ所以上で出土しているのに人骨は浜北人部分骨のみなのに、琉球列島では旧石器人骨は多くの個所(部分骨だけを含めればたぶん10カ所以上)で見つかっているのに旧石器の出土はほとんど無いことだ。 これは、琉球列島が主に石灰岩で覆われていることに由来する。石灰岩地帯では骨は溶かされることなく石灰岩に包まれて残存しやすい。しかし旧石器人は石器原材を入手できなかった。石灰岩は脆くて石器になり得ないのだ。◎港川人など旧石器人骨が続々と見つかる、世界最古の貝製釣り針も その琉球列島で初めて見つかった旧石器人全身骨格が、港川1号(写真=男性)だ。他に女性人骨3体も見つかった。ちなみに港川1号は、東アジアでも唯一とも言える完全な旧石器人全身骨格だ。 その後、サキタリ洞窟や石垣島の白保竿根田原洞窟でも旧石器人骨が続々と見つかり、琉球列島は旧石器人骨の「展示場」のようになった。 「氷河期展」では、サキタリ洞窟の旧石器人骨は左下顎大臼歯(写真)しか展示されていなかった。まだ研究中だからだろう。また白保竿根田原洞窟でも全身骨格が出土しているが、同じ理由か、展示はなかった。 なお冒頭でも述べたように琉球列島には、例外的な存在以外、まず旧石器は見つからない。その代わり、旧石器人は豊富な貝殻を加工して貝器を作った。 サキタリ洞窟では、貝で作った釣り針が見つかっている(写真)。年代は2万3000年前頃で、世界最古の釣り針とされる。◎リュウキュウジカなど小型化も2万年前頃には絶滅 沖縄旧石器人の獲物になっていた哺乳動物は、リュウキュウジカ、リュウキュウムカシキョン、リュウキュウイノシシなどだ。このうちイノシシだけは、完新世になっても生き残ったが、リュキュウジカとリュウキュウムカシキョン(写真)は、いずれも旧石器時代末の2万年前頃までに絶滅した。多産のリュウキュウイノシシが絶滅を免れたことと対照的だ。おそらく狭い島嶼で、遅くとも3万数千年前には現れた人類の影響が大きかったに違いない。 写真では分かりにくいが、リュキュウジカはホンドジカと比べて一回り小さい。前期更新世ではそれほど顕著ではなかった。島嶼化と言って、狭い島に閉じ込められた大型動物は小型化するのが通例だ。◎ヒトもまた例外ではなく港川人は小柄 人類も例外ではなかった。港川人も小柄だった。4体の港川人骨の推定身長は、男性(1号)で約155センチ、女性(2~4号)は約144センチだった。 島嶼化が起こるのは、狭い島では捕食動物がいないので草食獣は大型化する必要がなく、半面、食料資源が乏しいから、できるだけ小型化する方向に進化するのが合理的だからだ。生まれた仔のうち成長して大きくなった個体は食料不足で死ぬ(その遺伝子も次に伝えられない)が、その一方、身体の小さい個体は繁殖年齢まで生き、その遺伝子は次世代に伝えられる。こうした選択が続けば、島の動物群は小さくなっていくのだ。◎氷期末に草創期土器が出現 こうして1万1700年前に、全地球的に氷期が終わり、温暖な後氷期になっていく。 その直前に、古本州島に1つの技術革新が起こった。土器の誕生である。 神奈川県月見野遺跡群上野遺跡で発見された隆起線文土器が展示されていた(写真)。年代は、約1万5000年~1万3000年前で、縄文時代草創期に当たる。 氷期末に現れた土器文化は、やがて古本州島と北海道半島に伝わり、縄文文化が開花するのである。(完)昨年の今日の日記:「イスラエル、ハマスの最高指導者で最強硬派のシンワール殺害、ガザ戦争の終わりに希望の灯」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202410190000/
2025.10.19

前回で1万カ所以上知られている日本の旧石器遺跡は99.9%は石器だけ出土するものばかりと書いた。◎旧石器人の墓?から出土した琥珀製ビーズ しかし北海道知内町の湯の里4遺跡は、おそらく旧石器人の墓と推定される土壙から装身具類などが出土する希有な遺跡だ。おそらく遺跡外からもたらされた琥珀を加工したビーズが出土している(写真)。細石刃を伴うので、年代は1万5000年以上前か。人骨は、酸性土壌のために残らなかった。 琥珀は道内では道央の三笠市で見つかるが、あと細い水道で隔てられた古本州島の現岩手県久慈市でも産出されている。湯の里4遺跡の琥珀産地は分からないが、案外、久慈産ではないかと思う。◎下北の石灰岩洞窟で石器とノウサギの歯 あまり知られていないが、古本州島の最東北端、下北半島東通村の尻労安部(しっかりあべ)洞窟(下の写真の上)でおびただしいノウサギの歯と石器が見つかっている(下の写真の中央と下=ノウサギの歯とナイフ形石器)。年代は、2万年前頃か。おそらく旧石器人が狩った動物と石器の共伴する唯一の遺跡である。 慶應義塾大学の民族考古学教室が、旧石器人骨の発見を目指して長年発掘調査してきた石灰岩洞窟だが、旧石器人骨はついに見つからなかった。その代わり、獲物にしていたノウサギの歯はたくさん見つかった。ここで、石器でノウサギの皮を剥ぎ、肉は食用にしたのだろう。 ここで旧石器人骨が見つからなかったのは、日本の旧石器人は、死者を洞窟に埋葬しなかった可能性を高める。石灰岩洞窟に埋葬したのなら、人骨が残るからだ。 古本州島で旧石器人骨がただ1カ所を除いて見つからないのは、遺体は開地に埋めたからかもしれない。旧石器時代の開地なら、海面が上昇した今なら海の底だ。◎古本州島と北海道半島で見つかった旧石器人骨は浜北1カ所のみ その古日本島の唯一の旧石器人骨が出土したのは、石灰岩地帯の静岡県旧浜北市(現浜松市)の根堅(ねがた)洞窟である。ここは、石灰岩採掘場で、石灰岩層に混じって様々な獣骨が発見されていた。人骨は1962年に発見された。 出土層位は上層と下層があり、展示の実物人骨は上層のものである(写真)。年代は1万4000年前くらいか(右脛骨のみ出土した下層は1万8000年前)。推測だが、保存されやすい石灰岩層でも写真のように破片でしか見つからないのは、女性と推定されるこの旧石器人が肉食獣に捕食された残骸ではないだろうか。 古本州島では、旧石器人骨はここだけでしか見つかっていない。しかし前回でも述べたように古本州島と北海道半島での旧石器遺跡は1万カ所以上も見つかっているのだ。ヒトがいなければ石器は作れない。古本州島と北海道半島の旧石器人は、幻の中にある。昨年の今日の日記:「デンマークでヴァイキング時代の保存状態の極めて良い人骨50体を発掘」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202410180000/
2025.10.18

日本の旧石器遺跡で特徴的なのは、出土遺物が異常に石器に偏っていることだ。北海道も含めて列島で検出されている旧石器遺跡数は1万カ所を超えるが、その99.9%は石器だけが出土した遺跡だ。◎石器製作過程を復元する石器接合 火山列島である日本列島は全土に火山灰が積もり、したがって土壌は酸性土となる。骨は容易に溶けてしまい、残らない。江戸時代の人骨すら、特殊な状況でなければ残らない。 したがって日本の旧石器研究といえば、石器を対象にするしかないが、その代わり世界でも異例に石器研究は進んでいる。 例えば、旧石器人が原石を割って石器を製作した過程を跡づける「接合」例は日本の旧石器研究の精緻さを物語る一例だ。石刃技法で石刃を剥離していったものを石屑まで集めてジグソーパズルよろしく復元するのだ(写真=大阪、翠鳥園遺跡の瀬戸内技法による石器製作過程を復元したもの)。これによって石器製作過程がよく分かる。◎資源節約型の爪楊枝大の細石刃 また火山列島だけに、石器原材には恵まれている。とびきりの原材は、火山ガラスである黒曜石だ。ガラスだから、割れば鋭利な刃が得られる。 出土地は失念したが、黒曜石製の細石核と細石刃の展示がある(写真)。おそらく年代は、氷期末の1万5000年前頃だろう。 下段中央の爪楊枝のような石器が細石刃である。上段右が細石刃を打ち欠いていく細石核と細石核の加撃点を作るために打ち剥がした船底形剥片だ。細石刃はそれだけでは小さすぎるから骨や木、鹿角に植え込んで槍先を作った。細石刃は小さいだけに、少量の石材から大量に製作できた。つまり資源節約型の石器製作技術である。◎黒潮を超えて外洋の神津島に黒曜石採取して戻る そして古本州島最古の石器と考えられるのが、静岡県井出丸山遺跡の石器群だ(写真)。3万8000年前である。 4と5の番号の振られた黒い色の石器が黒曜石製だ。ただしこれは、伊豆諸島の神津島産だ。神津島は今まで1度たりとも古本州島と陸続きになったことはない。しかも神津島の北には黒潮の分流が流れている。重要なのは、3万8000年前の旧石器人は黒潮を乗り切って神津島に渡ってきて、そこで黒曜石を採取し、さらに古本州島に戻ったことだ。 古本州島のホモ・サピエンスの進取性と冒険心がすごい(24年11月20日付日記:「旧石器時代初期から始まった日本人の優れた進取性」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202411200000/を参照)。◎未来への予見性を示す「落とし穴」遺構 古本州島の旧石器人の先進性を示すものとして、もう1つ重要な遺構に「落とし穴」がある(写真)。写真パネルだけだったが、神奈川県船久保遺跡の例が展示されていた。 普通なら気にも留めないかもしれないが、考えようによっては、ホモ・サピエンスの先見性を示すすごい遺構かもしれないのだ。 狩猟と違って、必ず獲物が獲れるかどうか分からない。しかし原野の獣道に1列の穴を掘っておけば、ひょっとすると動物が落ち込み、捕獲できるかもしれない、と旧石器人は考えたのだ。ヨーロッパでは例はなく(ひょっとすると発掘調査でも気づかれていないのかしれない)、東アジアでも知られていない。古本州島の旧石器人だけが考えついたものなのかもしれない。昨年の今日の日記:「ノーベル平和賞に日本被団協、しかし日米などには厳しく、北朝鮮、中国、ロシアのならず者国家にはなぜ優しいのか」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202410170000/
2025.10.17

今からちょうど100年前の1925年。フランスの軍人で写真を趣味にしていたマルセラン・フランドランは、偵察任務の合間に、そうとは知らず、ある伝説的な動物の最後の姿を写真に収めていた。◎1人の軍人が偵察任務の合間に偶然撮影 モロッコのカサブランカを飛び立ち、セネガルの首都ダカールに向かっていた飛行機から、ほんの一瞬をとらえてシャッターを切った白黒写真には、野生のバーバリライオン(アトラスライオン)が写っていたのだ(写真)。その写真は後に、歴史的に有名なネコ科の大型動物、バーバリライオンの姿を確認できた最後の1枚として知られるようになった。 畏敬と畏怖の念を同時にかき立てられるバーバリライオンは、北アフリカでは権力と威厳を体現する不朽の存在として言い伝えられていたが、当時、急速に消滅しつつある野生の象徴でもあった。生物学者にとってバーバリライオンの物語は、絶滅に関する戒めにとどまらず、人類の活動拡大がいかにして最も畏怖すべき動物までをも消し去り得るかを思い知らせる教訓でもある。◎映画にも希少種として取り上げられ、モロッコには像も その実例は、モロッコを舞台にしたアメリカ映画『風とライオン』にも描かれている(写真:24年7月28日付日記:「『風とライオン』の描いたバーバリライオンと20世紀初頭のドイツによるモロッコ危機前哨戦」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202407280000/を参照)。 時は、1904年。列強がしのぎを削る中、アメリカ大使はモロッコ太守にご機嫌取りでライオンを贈るシーンがある。モロッコにまだわずかにバーバリライオンは生き残っていたが、個体数は絶滅寸前まで激減していた。だからこそモロッコ太守はライオンを所望したのだろうが、アメリカは捕獲に困難を極めただろう。 上掲日記にも触れたが、11年前にモロッコを観光した僕は、2カ所でバーバリライオンの像を観ている(下の写真の上=アトラス山脈を降りたイフレンの街の公園に設置されていたバーバリライオン石像、下の写真の下=フェズの街角に建つライオン像)。それだけ、今もモロッコ人にバーバリライオンは畏敬の念をもたれているのだ。◎黒いたてがみが背中や腹部を厚く覆う バーバリライオンの特徴は、たてがみの色が黒っぽいことだ(下の写真の上=1898年の絵葉書のバーバリライオンの写真、下の写真の下=飼育下の混血種のバーバリライオン)。 「アトラスライオン」という異名もあるバーバリライオンはもともと、北アフリカの山林や不毛の砂漠地帯に生息していた頂点捕食者だった。現生のアフリカライオンの一亜種として、独立分類が必要なほど遺伝的な違いを有するか否かについては、科学者の間でいまだに議論が続いている。研究者がバーバリライオンの形態的な特徴としたのは、たてがみが背中や腹部まで覆うほど厚く、その色が黒っぽいことだ。 ローマ帝国時代には、生け捕りにしたものが珍重された。モーリタニアの原野で捕獲された個体は、剣闘士競技が行われる競技場に運ばれ、奴隷や兵士を相手にした残虐な闘いに投じられた。 バーバリライオンは、モザイク画や彫刻、盾の飾りになり、後の世紀には王侯貴族の間で贈り物としてやりとりされたり、見世物にされたりした。その姿は国章にも採用され、モロッコやイギリスの王室紋章にもその姿を見ることができる。 しかし、時代が進むにつれ、野生のバーバリライオンは姿を消し始めた。◎狩猟によって姿を消していったバーバリライオン 1800年代に入ると、オスマン帝国と、後には植民地をもつヨーロッパ列強が北アフリカを支配下に置くようになった。都市化が進み、森林が伐採されていった結果、バーバリライオンの生息地は縮小した。 しかし、バーバリライオンを絶滅に追い込んだ原因は、生息地の喪失だけではない。バーバリライオンは、スポーツとしての狩猟の対象でもあった。植民地を治める官僚を中心としたヨーロッパのハンターたちが、バーバリライオンを戦利品として狙うようになったのだ。彼らは、危険で贅沢な狩猟の証拠とされた。 アルジェリアを植民地支配していたフランス軍の公式記録によると、19世紀の間に何百頭ものバーバリライオンが獲物として射殺された。そして、彼らがかつて栄えていた生息地一帯は静まり返った。◎アトラス山脈の霧に包まれた斜面を歩く最後のバーバリライオン 20世紀初頭までには、野生のバーバリライオンはすっかり姿を消していた。冒頭の写真は、今からちょうど100年前の1925年、野生のバーバリライオンをとらえた最後の貴重な1枚だった。 フランス軍部隊に所属する1人のアマチュア写真家が、アトラス山脈の霧に包まれた斜面を進む1頭のライオンを空から見つけ、偵察任務の合間の短い休憩中にその姿を写真に収めた。その写真がやがて、ヨーロッパ自然史アーカイブに収蔵されることになるとも知らずに。 この1枚の重要性を引き立てているのは、撮影された時の状況だ。撮影者は、野生が見せた一瞬の美しい光景を収めようとシャッターを切ったが、それが、野生のバーバリライオンの最後の写真記録となった。それからまもなくして、バーバリライオンは絶滅が宣言された。◎動物園の現存個体はすべて交雑種 バーバリライオンの遺伝子プールは、飼育されている個体に現在も残っている可能性がある。野生のバーバリライオンが完全に姿を消したのを受け、ヨーロッパと北アフリカ各地の動物園はバーバリライオンを飼育していると主張した。とはいえ、それらの個体が純血種なのか、他の亜種との混血種なのかは定かではなかった。 モロッコ王室が飼育していたライオンには、何世紀も前に、イスラム系王国のスルタンから贈られたバーバリライオンの子孫と考えられる個体もいた。1990年代に入ると、遺伝子検査によってその真偽が明らかになり始めた。残念なことに、それらの個体の多くは、バーバリライオン由来の遺伝子マーカーを部分的にしか保有していなかった。飼育下で交雑が進み、混血種となっていたのだ。 現存するバーバリライオン(そう呼べるかどうかは不明だが)は今、動物園や保護施設で飼育されており、熱心な繁殖プログラムが行われている。中でも、モロッコのラバト動物園と、エチオピアのアジスアベバにある施設が力を入れている。 最優先すべきは、バーバリライオン特有の遺伝子の保護と保存だ。バーバリライオンという亜種を本当に復元できるかどうかは不確かであり、保護活動に取り組む人々にとっては依然として大きな課題となっている。◎絶滅種を象徴する存在 最後の姿が撮影されてから100年が過ぎた今、バーバリライオンの物語は何を意味するのだろうか。生物学者にとっては、人類がいとも簡単に種を絶滅に追いやれることを示す痛ましい事例だ。たとえ尊ばれ、神話になるほどの種であっても、例外ではない。 人類は、バーバリライオンに対して畏怖の念を抱いていたが、責任ある行動へと駆り立てるほどではなかった。芸術や紋章、文学でその存在を称えていたにもかかわらず、バーバリライオンの住む森やその獲物、野生における居場所を守ることに失敗した。 動物保護の分野ではしばしば、警鐘を鳴らす存在としてバーバリライオンが引き合いに出される。歴史的に有名な存在であっても、必ず生き残れるわけではないことを思い出させるからだ。認知だけでは不十分であり、積極的に保護活動を行わなければ、最強の種であっても姿を消してしまう可能性があるのだ。昨年の今日の日記:「タリム盆地ミイラの首飾りに用いられた3500年前のケフィアチーズの古代人DNAから定説と異なる起源が判明」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202410160000/
2025.10.16
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