ロンドン偏食生活・偏食通信
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自分がされて嫌なことはしないようにしている。そんなことをわざわざ宣言しなくても、誰でもそう心がけているだろう。それにもかかわらず、どうして嫌な思いに何度も行き当たるのだろう、と思ったとき、各人の感覚差が浮かび上がってくる。そしてその感覚は人によってずいぶん違うということも最近特に実感している。卑近な例。ネコ博士が出勤する時、私が家にいようが、駅まで送ってすぐに帰る予定であろうが、彼は必ず外出時に外から鍵をかける。しっかり者だ。一緒に出る時はそれでいい。日本で生まれ育った私は、それほど施錠にこだわらないが、大切なことは承知している。しかし、私が家にいるのに外から鍵をかけられるのは辛い。イギリスの家はだいたい鍵が二つ以上ついていて、一つはオートロックで外側からは鍵がなければあかないが、中からは手で開けられるもの。そしてもう一つはどちらからも鍵がないと開かないものがある。これが曲者なのである。実は私は閉所恐怖症。自由を愛する射手座ならではの恐怖症なのかもしれないが、狭いところはどこも苦手だ。狭いだけではなく、自分の意思で自由に外に出て行くことの出来ない状況を病的に恐れる。港に係留されている船を散策していても、ある程度下に行くと、窓がないのに水圧を感じて突然、息苦しくなる。もしかしたら前世かその前の負の記憶なのかもしれない。というわけで、外から施錠されると、非常に息苦しく感じる。一方、締めて行くネコ博士にも「危ないから」という大義名分があるし、それは認める。私も鍵こそかけないが、チェーンは家の中にいるときは必ずかけているのだから。ほんの些細なことであっても、相手の嫌なことをしてしまっているのである。いくら常日頃、自分のいやなことは人にしないようにと心がけていても、良かれと思ってやったことが一番近くにいる人にさえ全く通じていない。ということは、家族以外の人に嫌なことをせずに人生をやっていけるなんてゆめゆめ思ってはいけないんだな、と自分の想像力の欠如を恐ろしく思うのであった。お手数をおかけしますが、コメント・感想は目次ブログにお願いします。
2010/02/10