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ポール・マッカートニー&ウィングス「バンド・オン・ザ・ラン」ポール・マッカートニーがザ・ビートルズ解散後、1971年に結成したWINGSは1982年に正式に解散(事実上1980年には解散状態でした)するまでポールのバンドとして一時代を築きました。中でもここに紹介する「Band On The Run」は1973年暮れに英国で発売され日本では1974年に発売された。ポールのザ・ビートルズ解散後の最高傑作と称され(ファンによっては異論もあるようですが)るアルバムで、グラミー賞も受賞した。このアルバムは、その後の、WINGSのライヴやポールのソロ転向後のライヴにおいても、未だにこのアルバムの収録曲からの演奏は高い人気を誇っています。私も東京ドームにおいてポールのコンサートを何度か観ていますが、やはり、「Band On The Run」や「Jet」のイントロが耳に入った瞬間にぶっ飛びました。さて、今回の豪華盤でのリイシューですが、ポールが所属レコード会社をコンコードへ移籍してことで、移籍に伴い原盤権も移ったことから、ポールのWINGS時代やソロ名義アルバムも、今後この形式で随時発売になるそうで、私の様な熱心なマニアには嬉しいニュースです。ディスク:1(リマスター・アルバム)1. バンド・オン・ザ・ラン 2. ジェット 3. ブルーバード 4. ミセス・ヴァンデビルト 5. レット・ミー・ロール・イット 6. マムーニア 7. ノー・ワーズ 8. ピカソの遺言 9. 西暦1985年 Disc1は通常のアルバム収録でリマスターが施されています。因みに、この収録曲順は英国盤使用です。今回、単独でも販売されています。ディスク:2(ボーナス・オーディオ・トラックス)1. 愛しのヘレン 2. カントリー・ドリーマー 3. ブルーバード (『ワン・ハンド・クラッピング』より) 4. ジェット (『ワン・ハンド・クラッピング』より) 5. レット・ミー・ロール・イット (『ワン・ハンド・クラッピング』より) 6. バンド・オン・ザ・ラン (『ワン・ハンド・クラッピング』より) 7. 西暦1985年 (『ワン・ハンド・クラッピング』より) 8. カントリー・ドリーマー (『ワン・ハンド・クラッピング』より) 9. ズー・ギャング Disc2の1,2はシングル発売された音源で当時は2がB面でした。1は米国盤LPでは7と8の間に収録されましたが、これは米国盤のみの特例です。3~8は未発表映像「One Hand Clapping」からの音源で、今まで何故か未発表になっていました。これに関してはDisc4で後述しますが、5,8はそのDisc4の映像盤においては未収録となっており、このDiscだけの貴重なテイクです。9は英国発売のシングル「Band On The Run」のB面にだけ当時収録されていました。英国のTV番組のテーマ曲としてポールが提供したものですが歌なしのインスト曲です。ディスク:3 (オーディオ・ドキュメンタリー)アルバム制作秘話Disc3は音声だけによるアルバム制作秘話です。以前、発売されたDLX盤と同じものですが、一度聴けば充分です。正直言って退屈でした。ディスク:4(DVDボーナス・フィルム)1. バンド・オン・ザ・ラン (ビデオ・クリップ) 2. マムーニア (ビデオ・クリップ) 3. アルバム・プロモ 4. 愛しのヘレン (ビデオ・クリップ) 5. ウイングス・イン・ラゴス(無音のモノクロ映像に「バンド・オン・ザ・ラン」の別ヴァージョンをBGMとして使用) 6. オスタレイ・パーク(アルバム・ジャケット撮影風景) Disc4の1,2,4はPVでYou Tube等で普通にご覧になれます。3はアルバムの宣伝用に制作されたビデオ。5はアルバムを制作したナイジェリアのラゴスでの様子など。6はアルバムジャケット撮影の様子。アルバムのジャケットにはウィングスのメンバー3人とジェームス・コバーンなど英国を代表する俳優が映っていますが、その撮影の様子です。7. ワン・ハンド・クラッピング (TV放送用にアビイ・ロード・スタジオにて1974年8月に収録されたスタジオ・ライヴ) 【ワン・ハンド・クラッピング】収録曲1.ワン・ハンド・クラッピングのテーマ2.ジェット3.ソイリー4.C・ムーン5.リトル・ウーマン・ラヴ6.恋することのもどかしさ(メイビー・アイム・アメイズド)7.マイ・ラヴ8.ブルーバード9.レッツ・ラヴ10.オール・オブ・ユー11.アイル・ギヴ・ユー・ア・リング12.バンド・オン・ザ・ラン13.死ぬのは奴らだ14.西暦1985年15.ベビー・フェイスこのDisc4の7は今回のスーパーデラックス盤の最大の目玉かも知れません。この映像は、このアルバム発売後に、ウィングスがアビーロード・スタジオにてTVスペシャル用に企画したもので、アルバム収録曲を含むレパートリーをスタジオで演奏したものです。タイトルは「One Hand Clapping」で、マニアには当時からブートレグ(海賊盤)などで広く知られていて、映像も海賊版が広く出回っていたようです。私は、You Tubeの存在を知ってからこの映像の一部を見ていました。この映像がお蔵入りした理由は不明ですが、今回のDVD映像を観るとオリジナル・マスターが経年で変化したのか、それともマスター紛失でコピー版からの映像なのか微妙で、所々見苦しい点がありますが音質は問題ありません。収録曲の中では9はペギー・リーへ提供した曲で、ここではポール一人だけの演奏シーンがあります。10と15も9と共にアルバム未収録曲で、11もポールがピアノで一人で演奏していますが、この曲はポールのソロ名義でシングル「Take It Away」に別テイクが収録されている。14はアルバム「バンド・オン・ザ・ラン」収録曲で、こちらも演奏シーンはポール一人だけで。珍しくハンドマイクでレコード音源をバックに歌っている。本来は今回収録された15曲とDisc2の音源の2曲以外にも未発表の映像が存在するのですが、完全版ではないようです。狭いスタジオでメンバーが窮屈そうに演奏している様子がメインですが、所々、メンバーやポールの音声が被ったり、休憩の合間のリラックスした表情なども観ることが出来ます。ドラマーのジェフ・ブリトンが大好きな空手の道着を着用して演奏しているシーンは笑えます。彼のウィングス在籍は短期間でした。その彼の演奏を巡ってリンダが注文を付け、彼がそれを反省するシーンもありますが、その後、渡米してレコーディングの最中に他のメンバーといさかいを起こして脱退することになるので、何となく意味深に私は感じてしまった。以上が、私が買った「スーパー・デラックス・エディション(3CD+DVD)」の中身で価格は12,000円でした。このアルバムは限定1万セットでの発売です。約25.5cm×31.5cmのハードカヴァー・ブック・スタイルで約120Pの超豪華版です。国内盤は対訳が付録で付いているのですが、これを全部読むのは大変なので、少しずつ休日に読む予定です。シリアル・ナンバー付きで私のは「33797」でした。 私は奮発して買いましたが、「デラックス・エディション+DVD 限定盤」やDisc1と2だけのもあったりしますので、興味のある方はCDショップで確認して買った方が良いと思います。ブログランキング参加中です。ぜひ、1票を投じて下さい。(又は、見出しをクリックして下さい)
2010.11.14
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今日12月8日はジョン・レノンの命日である。あれは忘れもしない1980年の12月8日。私の14日の誕生日まで1週間足らずと迫っていたあの日の朝。大学生だった私のこの日の講義は朝からでなく朝は寝ていた。ところが母が私を起こし「ジョン・レノンが亡くなった!」と聞かされた。でも、直ぐには事態が呑みこめなかったのだが、ニュースや新聞を見るにつれ大変なことが起きたと分かってきた。 大学へ向う途中の駅でスポーツ紙を買って電車内で読んだのか、この間の明確な記憶は薄れてしまった。それでも発売直後だった「Double Fantasy」はその時点では未購入だったので、学校の帰りにレコード屋(CDは無い時代でした、LPです!)へ立ち寄ったが既に売り切れ。やむを得ず注文して帰宅した。TVニュースや(インターネットなんて無い時代でした)新聞で何とか情報を集めて、やっと事件の全容が分かってきた。ジョン・レノンは年明けの1981年早々にも日本公演が組まれていて発表を待つだけとなっていた矢先の暗殺はショックだった。そのジョンのソロ後の代表作と言えばやはり「Imagine」でしょう。この場合の「Imagine」はアルバムを指しますが、このアルバムはどの曲も完成度が高く、中でもやはり名曲「Imagine」は今でも世界中の多くの人々から愛されていますよね。この曲の歌詞のような世界は何時になったら実現するのでしょうか?それとも単に「夢物語」なのでしょうか?最後に12月といえばX'masですね。ジョンの「Happy X'mas(War Is Over)」はすっかりスタンダード・ナンバーとして定着しています。人によってはワム「ラスト・クリスマス」でしょうが、私にとってはやはりジョンのこの曲が一番です。今更何の解説も不要な,b>このX'mas曲を聴くのは一年でも今の時期だけど、やはり何時聴いても飽きません。今日は何だかまとまりのない文章でした。←「ジョン・レノン」関係のブログ満載!←西武ライオンズのことならここ←「プロ野球、メジャーリーグ」の情報満載人気blogランキングへ←映画の話題がザクザク━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━【写真館】東北温泉巡り1[今日の主なBGM]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━1.Mariah Carey/Merry Christmas
2006.12.08
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01) Because02) Get Back03) Glass Onion04) Eleanor Rigby Julia (Transition)05) I Am The Walrus06) I Want To Hold Your Hand07) Drive My Car / The Word / What You're Doing08) Gnik Nus09) Something Blue Jay Way (Transition)10) Being For The Benefit Of Mr Kite ! / I Want You (She's So Heavy) / Helter Skelter11) Help!12) Blackbird / Yesterday13) Strawberry Fields Forever14) Within You Without You / Tomorrow Never Knows15) Lucy In The Sky With Diamonds16) Octopus's Garden17) Lady Madonna18) Here Comes The Sun The Inner Light (Transition)19) Come Together / Dear Prudence Cry Baby Cry (Transition)20) Revolution21) Back In The U.S.S.R.22) While My Guitar Gently Weeps23) A Day In The Life24) Hey Jude25) Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)26) All You Need Is Love本作は、ビートルズのオリジナル・アルバムを手がけたプロデューサー、ジョージ・マーティンとその息子ジャイルズが、残されたすべてのテープを組み合わせ全く新しいサウンドとして作り上げた画期的な作品となっている。当初は、世界的なエンターテインメント集団、シルク・ドゥ・ソレイユのビートルズ楽曲を使用した公演『LOVE』に提供するためにスタートしたプロジェクトだったが、結果的に新たなビートルズ作品として発表されることとなった。管理人はこれを購入するか否か迷っているので、サイトで4曲試聴出来るので聴いてから判断したい。でもイメージが崩れそうなら止めようかなとも思っている所です。人気blogランキングへ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━【写真館】東北温泉巡り1東北温泉巡り2[今日の主なBGM]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━1.Barry White/The Barry White Collection
2006.11.20
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ビートルズとのゆかりが深いことからしばしば「5人目のビートルズ」と呼ばれたキーボード奏者、ビリー・プレストンさんが6日、長い闘病生活の末、米アリゾナ州の病院で亡くなった。プレストンさんは昨年11月から腎不全などのため昏睡状態となっていた。葬儀はロサンゼルスで行われるという。プレストンさんは、まだ10代の頃に、リトル・リチャードやゴスペルの女王マヘリア・ジャクソン、ソウルの神様レイ・チャールズとの演奏を果たすなど、エンターテインメント界で長く活躍を続けてきた。大きなアフロヘアと隙間だらけの歯で笑う顔が印象的で、ファンキーな服装センスを持つことでも知られていたプレストンは、リヴァプール時代からザ・ビートルズのメンバーとは親交があった。中でも故ジョージ・ハリスンとは親しく、アルバム「レット・イット・ビー」では5人目のメンバーとしてキーボードを担当しその演奏風景は映画版でも拝見出来る。解散間際のザ・ビートルズのメンバー間の関係が良くなかった時期に、プレストンの参加は良い意味でザ・ビートルズに刺激を与えた。また、主にジョンやポールが担当していたキーボードも、専門家プレストンの参加は演奏面でもプラスだったのは間違いない。ザ・ビートルズは録音は原則としてメンバーだけで行い、メンバー以外には身内を動員するがアルバムを通しての録音となるとプレストンだけだった。ローリング・ストーンズのボーカル、ミック・ジャガーは「ビリーは才能のある素晴らしいミュージシャンだった。シンガーとしても一流で、レコーディングでもステージでも光っていた。とても寂しい」と述べた。エルトン・ジョンは「彼には大きな刺激を受けた。史上最高のキーボード奏者の1人だ。ボーカリストとしてもなかなか良かった」とコメントを寄せた。
2006.06.08
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ポール・マッカートニー(63)と、元モデルで地雷廃止運動家の妻へザーさん(38)は17日の共同声明で、2人が離婚することを決めたと発表した。声明は理由について「(2人の)私生活が絶えず侵害されたことで普通の関係を維持することが困難になった」と説明している。2人は02年6月に結婚。翌年10月には女児のベアトリスちゃんが生まれていた。ポールは98年に前妻リンダさんを乳がんで亡くした後、へザーさんと知り合い再婚。へザーさんは93年に交通事故で左足を切断後、モデルの仕事をやめて地雷廃止運動に取り組んでいる。今回の離婚劇で当然注目されるのは慰謝料の額だが、ポールの女王を上回る1600億円以上とも噂される資産の運用にはリンダの実家イーストマン家が大きく貢献した。4年間のポールとへザー夫人との結婚で得た収入の半分を持っていくのなら納得するが、ポールの資産形成にヘザー夫人が貢献したとは思えないので、余りしゃしゃり出ると世界中のポールファンの反感を食うだろう。ポールにとって自分の愛娘と歳の近い後妻との関係は、生前のリンダ夫人との間で築いた関係の様には行かなかった。ポールより1歳年上だった故リンダ夫人は、ポールのもつ「天才音楽家」としての面と一人の男としての「幼児性」を上手くコントロールしていた。しかし音楽界に疎い後妻へザーでは、やはりポールの持つカリスマ性を理解し支えるには若かったと言うことだろう。声明の中にある「私生活が絶えず侵害された」とあるが、ポールのような世界的著名人ともなれば静かな私生活などあり得ないことは容易に想像できる。それでもポールは音楽活動をしていないときは、スコットランドの農場を含め欧米に点在する別宅などでノンビリと暮らしている。ポール曰くへザー夫人はビートルズ時代の曲も良く知らず「Get Back」も知らなかったそうだ。ミュージシャン・ポールを間近で見ていたリンダとの違いはそうした所でも明らかだ。ポールを自分の取り組む「地雷廃止運動、動物毛皮禁止」などへの活動に利用したのではないだろうか?ポールへのリスペクトが足りなかったのと同時に、やはりリンダの役は彼女には無理だったのでしょうね。ミュージシャンとしてのポールは、そういう環境に慣れておりスタジオに居ることで落ち着きや安らぎを得ることが出来るだろう。だが「元モデルで地雷廃止運動家」の38歳の女性には、幼い子供とポールの世話?は重荷と感じたのだろうか。今回の離婚発表で、やはりポールはリンダを今でも愛し必要としているのだろうな~。人気blogランキングへ[今日の主なBGM]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━1.Various Artists/Island Classics 2.George Harrison/Gone Troppo
2006.05.18
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Paul McCartney~Chaos And Creation At Abbey Road~このショウは昨年の7月にロンドンのアビー・ロード・スタジオ(私もロンドンに行った時に訪れました。中には入れませんが)で行われたライヴが、昨日WOWOWで放送されたので詳細をここに記す。1.Friends To Go(Chaos And Creation In The Backyard)ポールはこの曲をアコギ一本で歌う。歌う前にアビー・ロード・スタジオでの想い出を語る。「Love Me Do」を録音したときは緊張したとか、ここで俺がべースを弾いてジョンとジョージはここでギター、後ろではリンゴがドラムを叩いた。こうしてポールが懐かしがりながら、1曲目を演奏する。2.How Kind Of You(Chaos And Creation In The Backyard)1曲目終了後、プロデューサーのナイジェル・ゴドリッチが紹介される。スタジオでポールがレコーディングの様式を披露する。眼の前にあるワイングラスの縁をなぞると音が出て、それを重ねていくとどうなるかを実演。その延長線上で「Band On The Run」のワンフレーズを歌う。3.In Spite Of All The Danger(Anthology 1)ポールがビートルズになる前に作った曲で、「今日は積極的な人たちが多そうだから、一緒に参加してくれ」と言い「ア~アアア」と観客がハモる。4.Twenty Flight Rock(Choba B CCCP)ポールがビートルズに加入するきっかけになった曲と言って演奏始めたこの曲は、ポールが歌詞を全部覚えていたのでジョンが驚いたと語っていたがこのエピソードは結構有名だ。因みにポールはWINGS時代にもライヴで披露している。5.Lady Madonna(オリジナルはシングル)アコギから一転してポールのお気に入りソング、「Lady Madonna」をピアノで演奏する。しかしここでの演奏はテンポを落として「アンプラグド」風に歌う。WINGS時代から何度もライヴで披露されているが、この形での演奏は初公開。6.English Tea(Chaos And Creation In The Backyard)ポールがこの曲を書くに当たってヒントになったエピソードを披露してピアノで歌う。外国に行ってお茶を注文するときに、「紅茶」を頼む時は「English Breakfast Tea」とか言わないとダメなんだと。それと英国の上品な老女が使う言葉を歌詞に加えたそうだ。7.Heartbreak Hotel(オリジナル未収録)スタジオでポールがエルビスのバンドのベースプレーヤーが使っていたウッドベースで、エルビスのヒット曲を弾いて歌う。7.Melotoron Jam(即興曲)メロトロンでポールが即興的におふざけで歌う。結構ファンに受けていた。この曲が終わると、ビートルズではこうして使ったと言って、「Strawberry Fields...」のワンフレーズを弾いた。8.Jenny Wren(Chaos And Creation In The Backyard)ビートルズ時代に「ブラックバード」を作った際にはバッハの曲を参考にしたそうだが、一度は失敗しながらも完成させたエピソードを披露。そしてその時のことを思い出して作ったのがこの曲と言ってアコギで披露して歌う。9.I've Got A Feeling(Let It Be)アコギでポールが作った部分の曲を披露する。この曲の中間部はジョンの別の曲なのでその部分は省略して歌った。10.Blackbird(White Album)ポールが得意とするアコギナンバーと言えばやはりこれか。WINGS時代やアンプラグドでも披露されているお気に入りナンバー。11.That's All For Now(即興曲)~Blue Suede Shoesポールがショウの締めくくりに披露した即興曲。スタジオのファンと共にドラムス、ベース、ピアノ、ギターでワンフレーズをそれぞれ録音し、ファンにはタンバリンやマラカスを渡して一緒に叩くようにリクエストする。ナイジェル・ゴドリッチが即興演奏を録音し、その度に音を重ねていくと不思議と曲として成り立っていく。ファンも段々ノリノリになっていくとポールもつられていく。各パートの録音が終わると、ポールが即興で歌詞を付ける。歌詞の内容はあくまでも即興なので「今日のショウはこれで終り。皆も帰る時間だよ!」ってロック調にシャウトする。ポール曰く「危険」バージョンがこれで、同じメロディに乗せてカール・パーキンスの名曲「Blue Suede Shoes」の歌詞で歌うバージョンも披露しショウは終わった。ショウはジャスト1時間で終わったようだ。ポールは古巣アビー・ロード・スタジオでの生演奏で従来にはないスタイルで工夫を加えていた。最新アルバムのプロデューサーだったナイジェル・ゴドリッチをスタジオに呼び、ファンを前にして簡単に録音とはこういうものだと「講習」をしているようだった。最後にファンを交えて音を重ねて曲を作る様子を披露するあたり、流石にポールは「サービス精神旺盛」だなと改めて感じた次第。昨年のツアーでは北米に限定されていたので、次回のワールドツアーでは是非日本にも来てもらいたい。人気blogランキングへ満開の桜の写真はこちらでご覧下さい[今日の主なBGM]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━1.Eric Clapton/Just One Night(2枚組)2.Earl Klugh/Heart String
2006.04.08
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バック・ナンバーはこちらでご覧になれます【芭蕉に影響を受けた歌詞?】生前のジョン・レノンはこの曲の歌詞が特に気に入ったと見えて、「僕が書いた最高の歌詞」と自画自賛している。この曲は芭蕉の影響を受けているとも語っているが、ヨーコが英語で芭蕉の細かいニュアンスをどこまで伝えていたかは不明だ。また、ジョンが具体的に歌詞のどの部分を指しているかも微妙だ。ただ一つ言えるのはこの歌詞は、ザ・ビートルズの全曲を通しても最高峰に位置すると言っても過言ではない。ジョンの世界が全面的に展開されている上に、ロック音楽の歌詞というより「一つの詩、文学的短編詩」と言っても充分通用すると私は思っている。この最高の歌詞に神秘的な旋律が一体となって、この名曲を構成しているので詩と曲の両方の持つ意味を噛み締めて聴いていただきたい。因みにこの曲のクレディットは当然ながらレノン=マッカートニーの両名だが、ポールがこの曲に関わったとの情報は一切無い。【異なる4つのテイク】この曲が最初に録音されたのは良く知られている「レット・イット・ビー」での収録より前の1968年2月である。この初期の録音バージョンは「アンソロジー2」に収録されている。ここではシタール、ギターを中心としたシンプルな演奏だが、既に完成品に近い形で出来上がっている。そしてこの曲が最初にリリースされたのは世界野生動物基金(WWF)チャリティ・アルバムの1曲目に収録されたバージョンである。このテイクは長い間幻のテイクとされていたが、LP時代に「Rarities」に収録され、更にCD「Past Masters Vol.2」に収録されている。このバージョンは別名「鳥バージョン」とも呼ばれるが、曲の冒頭とエンディングに鳥の泣き声と羽ばたく音のS.E.(効果音)が入る。テープのピッチを上げたうえに、スタジオ見学に来ていた二人の女性ファンをポールが招き入れてコーラスに参加させた。4つあるテイクでポールと女性コーラスが入る唯一のテイクでもある。一番有名な「レット・イット・ビー」収録バージョンは、この鳥のさえずりなどのS.E.を廃しテープのピッチを落としオーケストラとコーラスをフィル・スペクターが加えた。最後に「...Naked」バージョンはフィル・スペクターが配した装飾を取り外した。そこでアコギの音色とジョージ演奏のタンブーラ(インド楽器)が前面に出てきた。エンディングではエコーが掛かって、まるで魂が天に昇っていくかのような印象を受ける。【カバーについて】ジョンのこの名曲には当然カバーも存在する。基の曲が持つ神秘的なメロディ・ラインと歌詞の美しさを、原曲のイメージを損なうことなく表現するのは難しい作業でもある。私が知っているこの曲のカバーしてはフィオーナ・アップルの「When The Pawn...」のボーナストラックに収録されているバージョンで、このPVも観た事がある。まあ無難なカバーである。後は、10CCの日本公演の模様を収めた「Alive」ではグレアム・グールマンが丁寧に歌っている。私はこの時のライヴは観にいったのだが、まさかこの曲を歌うとは知らなかったので驚いた。映画「I Am Sam」の中でルーファス・ウェインライトがこの曲をカバーしているが、ここでは原曲にほぼ忠実にカバーしているのが特徴。 人気blogランキングへ[今日の主なBGM]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━1.Alanis Morissette/The Collection2.Enya/Amarantine3.Britney Spears/Greatest Hits:My Prerogative4.Bobby Caldwell/August Moon
2006.02.18
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バック・ナンバーはこちらでご覧になれます プロデューサー:ジョージ・マーティン曲名 1.Tug Of War 2.Take It Away 3.Somebody Who Cares 4.What's That You're Doing?(W/Stevie Wonder) 5.Here Today 6.Ballroom Dancing 7.The Pound Is Sinking 8.Wanderlust 9.Get It(W/Carl Perkins)10.Be What You See(Link)11.Dress Me Up As A Robber12.Ebony And Ivory(W/Stevie Wonder)【元々はWINGSのアルバム!】このアルバムは録音当初はWINGS名義のアルバムとして制作が開始された。従って初期のころの録音にデニー・レインが参加していたので、彼の名前が一部の曲にクレディットされている。しかしWINGSは日本公演の中止(ポールが成田空港で現行犯逮捕された)以降活動を停止していたので、これが再開後の新アルバムとの位置付けだった。最もこの間も断続的に過去のトラックのミキシングなどで集合はしていたのだが、新アルバムとなると「Back To The Egg」以来だった。結局WINGSはデニー・レインの脱退宣言(1981年4月)もあってこの直後に解散の道を辿ってしまう。このアルバムはプロデューサーにジョージ・マーティンを迎えた時点で、彼の進言もあってソロ・アルバムとしての位置付けになった為にWINGSのメンバーは不要となった裏事情もあった。【幻の2枚組アルバム】ポールのソロ名義のアルバムとして本格的な録音が始まり、このアルバムには豪華なゲスト達が呼ばれることになった。ポールの希望で「Ebony And Ivory」にスティーヴィー・ワンダーが呼ばれた。セッションでは更に意気投合して「What's That You're Doing?」が録音される。発売にあたりポールは2枚組を希望したが、マーティンの意見を尊重し結局1枚となる。選曲から漏れた曲は次のアルバム「Pipes Of Peace」に収録されることになった。【このアルバムについて】1曲目のTug Of Warはアルバムのタイトル曲でもあり「綱引き」を意味する。曲の冒頭でも綱引きの時の掛け声みたいなSEが聞える。ポールのアコギから始まり途中でエレキが加わる展開で、オーケストラがバックに入るのはマーティンらしい。因みにエレキギターは10CCのエリック・スチュワート(コーラスも)とデニー・レインだ。曲はフェードアウトしながら2曲目のTake It Awayへと繋がっていく。この曲ではリンゴ・スターとスティーブ・ガッドのツイン・ドラムが堪能出切る。ポップなチューンでライヴ映えする曲でもあるが、一度もライヴで演奏されたことはない。PVではスタジオライヴのシーンがあり大変盛り上がっているのだが。3曲目のSomebody Who Caresは一転して物悲しい雰囲気の曲ながらポールの作曲センスの良さがきらりと光る一曲だ。演奏陣はドラムスにスティーブ・ガッド、ベースにスタンリー・クラーク、ギター・シンセにデニー・レイン、パン・パイプ(パンフルート)エイドリアン・ブレット、バックコーラスはポールとリンダにエリック・スチュワートの布陣だ。演奏陣の顔触れから言っても何処となくフュージョン色も感じさせる上に、ポールのスペイン・ギターにパン・パイプが加わるのもこの曲の良さを引き立てている。4曲目のWhat's That You're Doing?はポールとスティーヴィー・ワンダーの共作でポールがドラムス、スティーヴィーがシンセを担当する。如何にもジャム・セッションから生まれたような曲で、スティーヴィー色が濃く出ている一曲だ。5曲目のHere Todayは「'80年代のYesterday」と言った様な感じの曲で、ずばり盟友ジョン・レノンへ捧げた曲だ。ポールのアコギに2人のヴァイオリン、チェロ、ヴィオラの編成だ。ポールの前回の来日公演でも披露された。6曲目のBallroom Dancingは前曲から一転して明るいアップテンポでダンサブルな一曲で、ポールがピアノを弾むように弾きそこにホーン・セクションが加わる。デニー・レインがエレキギターで、エリック・スチュワートがコーラスで参加している。7曲目のThe Pound Is Sinkingは当時の通貨危機をポールなりに歌った曲だ。タイトルも「英国ポンドが下落している」という意味で、独マルク・仏フラン・ギリシャドラクマに混じって日本円が急騰していると歌っている。演奏陣はベースにスタンリー・クラーク、アコギにデニー・レイン、エリック・スチュワートがここでもコーラスに加わる。8曲目のWanderlustはこのアルバム中でも隠れた名曲と言っても過言ではない。ポールがピアノを弾きながらどこか懐かしむかのように歌う。「Wanderlust」はWINGS時代に「London Town」を録音にカリブ海に出かけて船で録音したときの船名でもあるが「旅行癖、放浪癖」と言った意味が本来ある。本来はポールのピアノを中心とした曲に、マーティンがブラスを加えこの曲をサポートしている。デニー・レインがベースを弾いている。9曲目のGet Itはビートルズ時代にも「Matchbox」などのカバー経験があるカール・パーキンスとの共演曲だ。ポールとパーキンスはこの時気ままなセッションを数日間に渡って繰り広げたと言われているが、収録されたのはこの曲だけだ。この曲でもそのリラックスした雰囲気が伝わってくるかのようだ。ポールの高いキーに対し、パーキンスの野太い声が絡んで何処となくパーキンスのスタイルに近いカントリー調の曲を二人が肩の力を抜いて歌っている。10曲目のBe What You See(Link)は次の曲への繋ぎとなる短いフレーズだけで成る曲。11曲目のDress Me Up As A Robberはアルバム中で最もギターが炸裂?するナンバー。ポールがファルセットで歌うが良い意味でメリハリを付ける役割を果たしている。演奏陣はドラムスにデイヴ・マタックス、シンセとアコギにデニー・レイン、エレクトリック・ピアノにプロデューサーのジョージ・マーティンが加わる。最後の曲Ebony And Ivoryは第一弾シングルとして発売された余りにも有名な曲で、スティーヴィー・ワンダーとのデュエットとして大ヒットを記録した。黒を意味するEbonyをスティーヴィー、白を意味するアイヴォリーをポールが歌うことで「白人と黒人」の融和と対立への終止符を願うメッセージをこめた曲となった。全ての演奏も二人でこなしポールはギター、ベース、シンセなどを担当し、スティーヴィーはピアノ、シンセ、ドラムスを担当した。PVも制作されたが多忙な二人のスケジュールが合わずに、別々のスタジオで撮影されて一つのPVとして編集で繋いだ。【好調なセールス】話題を呼んだ「Ebony And Ivory」は大ヒットを記録しビルボード・シングル・チャートで7週間1位を記録し、年間チャートでも4位を記録した。第2弾シングルの「Take It Away」も好調で10位を記録した。一方のアルバム・チャートでは1位、年間チャート28位を記録した。尚、ポールのシングルには多くのアルバム未収録曲が収録されており、「Ebony And Ivory」にはジョンが亡くなった日に録音していたカリプソ風ナンバーの「Rainclouds」、「Ebony And Ivory」のソロ・バージョン「Take It Away」と共に収録されている「I'll Give You A Ring」などがある。だが一連のこれらの曲は未だにCD未収録のままである。賞レースにおいては最高峰のグラミー賞にも多くの部門でノミネートされたがこちらは授賞を逸している。【私の感想】ポールがザ・ビートルズ解散後発表した如何なる名義(ソロ、リンダとの連名、ウィングス、変名など)のアルバムの中で、これは上位5番のなかに入る。更に言えば1980年以降発表したアルバムでは、間違いなくこれが一番である。ポールの持っている作曲能力、多くの楽器を弾きこなす演奏家としての能力などが結集された一枚だ。ポールのアルバムをまだ持っていない人にも、このアルバムは勧めたい一枚だ。個人的にも何度聴いたか分からないほど聴きまくったが、24年前のアルバムは今でも輝きを放ったままだ。人気blogランキングへ[今日の主なBGM]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━1.Lemuria/Lemuria2.Mackey Feary/Forever & One Day3.Mick Jagger/Primitive Cool4.Marvin Gaye/What's Going On5.Pages/Pages
2006.02.04
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バック・ナンバーはこちらでご覧になれますジャケットは右側の方が当時発売時ので、左側がCD化されたときのものです。Track ListBeatles Medley Song List - 16:13 Stars On 45 No Reply I'll Be Back Drive My Car Do You Want To Know A Secret We Can Work It Out I Should Have Known Better Nowhere Man You're Going To Lose That Girl (シングル・バージョンはここまで)4:46(ここから先はアルバム・バージョン収録)Ticket To Ride The Word Eleanor Rigby Every Little Thing And Your Bird Can Sing Get Back Eight Days A Week It Won't Be Long Day Tripper Wait Stars On 45 Good Day Sunshine My Sweet Lord Here Comes The Sun While My Guitar Gently Weeps Taxman A Hard Day's Night Things We Said Today If I Fell You Can't Do That Please Please Me From Me To You I Want To Hold Your Hand Stars On 45 【スターズ・オン45について】スターズ・オンはオランダのスタジオ・ミュージシャンを起用して作られた覆面グループである。プロデューサーのヤープ・エガーモントが「ビートルズ・メドレー」を作るにあたり、スタジオ・ミュージシャンの中で声の似ている三人(リンゴ・スター役は存在しないため)を選んだそうだ。こうしてスターズ・オンが結成され「ビートルズ・メドレー」が録音され、シングルとして発売された。スターズ・オン45の「45」はシングル盤は45回転だったためと思う。【ビートルズ・メドレー世界を席捲!】スターズ・オンが流行っていた頃の1981年は、私が大学生のころ。この時代はディスコ・サウンドが一大ムーブメントだった。スターズ・オンはザ・ビートルズの主に初期の頃のヒット曲のサビの部分を20~30秒以内で繋いでいき、バックには拍手(クラップ)音を流し所々オリジナルのスターズ・オンのテーマを挟むというスタイルだ。ディスコ・ブームに乗ってオランダ・チャートで1位を取ると、たちまち欧州各国へブームが伝わっていく。そして遂に大西洋を渡ってアメリカにまで飛び火した。ジワジワとビルボード・シングル・チャートを上昇するころには、スターズ・オンなる覆面グループの正体に関心が移っていく。そこでレコード会社は急遽ジョン、ポール、ジョージ役の氏名を公表する。この中ではポール役のオッキー・ハウズデンスは「The President」というグループで「By Appointment Of」というAORアルバムを発表している。このアルバムは赤いロブスターのジャケットで有名なので、御存知のAORファンもかなり多いだろう。アメリカでも欧州各国やカナダ、メキシコなどの隣国での評判が伝わってきたのか、遂にこの1981年6月20日のチャートで1位を獲得する快挙を達成した。年間でも24位を記録した。この企画は元々オランダ国内でブームだった、ディスコ・メドレーにヒントを得て制作されたのがきっかけだった。【日本でもブーム】アメリカ・チャートでヒットすれば当然日本にも伝わってくる。私の記憶ではこのスターズ・オンは当時のFM曲でも度々オンエアされていた。余談だがこのブームに乗って?、「ビートルズ・ムービー・メドレー」なるメドレーが発売されPVまで制作された。これは正規音源から映画関係の曲を繋げた。スターズ・オンの「ビートルズ・メドレー」がヒットすると、今度はレコード会社も貪欲になる。そしてアルバム発売のリクエストも出て、この後は、欧州で絶大な人気を誇るアバの「アバ・メドレー」、スティーヴィー・ワンダー・メドレー、シュープリームス・メドレー、ロックンロール・メドレー、カーペンターズ・メドレーなどこの他にも多くの企画メドレーを打ち出した。この一連のメドレーを集めてCD化されたのが2枚ある。上のジャケット写真は「VOL.1」で1996年にCD化したものだ。当時のアルバム・ジャケットとは異なっている。因みに「VOL.2」も出ている。「ビートルズ・メドレー」「アバ・メドレー」辺りは当時の私も聴いていたが、他のメドレーはCD化の際に買って始めて知った。このメドレー・ブームはクラシック、ジャズにも飛び火し、似たような企画が多かった。日本では「演歌チャンチャカチャン」なるものまで出てきて、何だかブームへ「悪乗り」の感が否めなかった。人気blogランキングへ[今日の主なBGM]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━1.Wings/Wings Wild Life2.Workshy/Mood3.Air Supply/The Definitive Collection
2006.01.21
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人気blogランキングへWAR IS OVER(IF YOU WANT IT)この単純なメッセージ【あなたがそう望めば、戦争は終わります】は、1971年のクリスマス曲のタイトルとして登場した。それから30年以上が過ぎて21世紀に突入しても、9・11やイラク戦争に代表されるように世界各地で紛争は絶えない。ジョン・レノンが戦争のない平和な世界を夢見て、【夢追い人と言ってもいいさ、でも俺一人だけではないゾッ】(You may say i'm a dreamer,but i'm not the only one)と「Imagine」で吐露したように多くの人が戦争のない世の中を願っている。それでも世界各地で毎年戦争が起きているのは哀しいことだ。12月8日はジョン・レノンの命日!あの忌々しい訃報を聞いた日の事は忘れない!私は大学生であり、当日は授業は午後からで朝遅くまで寝ていたのを母に叩き起こされて知った日の事は忘れていない。学校の帰りにレコード屋に駆け込むも、発売後間もない「Double Fantasy」は売り切れで注文して後日手に入れたことなど25年前の一日を今でもはっきりと思い出せる。世界中でこの日だけはジョンを愛する人なら特別な思いを馳せる日でもある。ジョンが40年の生涯を終えた地、ニューヨークのセントラル・パークの追悼スペースにも多くに人が集まったと聞いている。死後25年を経てもジョンの肉体は滅びても、彼が残してきた素敵な音楽を通して我々の中で彼はいまだに生きている。ジョンの死後、ジョージ・ハリスンもガンで亡くなった今リンゴ・スターとポール・マッカートニーの二人の元ビートルへの期待は大きい。ポールは秋から始まった北米公演を終えたばかりで、公演では多くのビートルズ時代のナンバーが演奏され集まった聴衆を魅了し続けている。リンゴ・スターは「オールスター・バンド」を率いてライヴ活動を精力的にこちらもこなしている。この二人が健在なうちはザ・ビートルズのファンはまだまだ増え続けることだろう。そして公演で世界各地を回ることで各地のファンにザ・ビートルズの存在を植えつけていく。クリスマスのシーズンに入ると、ジョンの「Happy Christmas」やポールの「Wonderful Chridtmas」があちこちで聞ける。特にジョンの方は'70年代を代表する定番曲だけに、この曲の持つクリスマスを祝う気持ちと戦争のない平和な世界の意味を噛み締めながら是非聞いていただきたい。そうすることで、ジョンが残してくれたメッセージを我々が今度は次ぎの世代へバトンタッチし広めていくことが大事なのだ。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━自己PRコーナー去りゆく秋の明治神宮外苑の黄葉に染まった銀杏並木の写真をご覧下さい。
2005.12.08
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人気blogランキングへポール・マッカートニーが国際宇宙ステーションに滞在する、米露2人に向けて2曲ライヴ演奏を届けたそうだ。これは野口聡一さんが、宇宙滞在中のお目覚めに「Good Day Sunshine」を使ったことがきっかけらしい。ポールはカリフォルニア州で行われたライヴから「Good Day Sunshine」「English Tea」を宇宙へ届けた。私はこの映像は観ていないが、宇宙に滞在中の二人へは大きなプレゼントになっただろう。
2005.11.14
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人気blogランキングへプロデューサー/ポール・マッカートニー曲名 1 Venus And Mars 2 Rock Show 3 Love In Song 4 You Gave Me The Answer 5 Magneto And Titanium Man 6 Letting Go 7 Venus And Mars (Reprise) 8 Spirits Of Ancient Egypt 9 Medicine Jar 10 Call Me Back Again11 Listen To What The Man Said 12 Treat Her Gently-Lonely Old People 13 CrossroadsBonus Tracks14 Zoo Gang(Instrumental) 15 Lunch Box/Odd Sox(Instrumental)16 My Carnival【新生ウィングスのアルバム】ウィングスは1973年に「バンド・オン・ザ・ラン」を発表し、見事に全米1位を記録しグラミー賞を獲得するなど一気に人気を爆発させたポール・マッカートニーがビートルズ解散後に結成したバンドである。ところが前作はメンバーのドラマーとギタリストが、レコーディングに向う飛行機に乗る直前に脱退を表明するというアクシデントに見舞われた。結局ポール夫妻とデニー・レインの三人でナイジェリアのラゴスのスタジオに向かい録音された。二人の穴を埋めるべくドラムスには現地で雇ったドラマーとポールが務めた。ポールはこのアルバムを「僕のソロアルバム」と言っているが、それではデニー・レインの立つ瀬が無い?メンバーを補充した新生ウィングスはカントリー音楽のメッカであるナッシュビルに向った。ここではセッションを繰り返しながら、リハーサル模様を収録した映画「One Hand Clapping」の制作に乗り出したがこれは未完成に終わる。「Junior's Farm」「Sally G.」のシングルを発売し、前者はストレートなロックナンバーで、新加入のギタリストジミーの鋭いギターが唸る。後者はナッシュビルらしいカントリー・フレイバー満載の一曲だ。その年の11月に一度ロンドンに戻ってこのアルバム用に3曲の録音を済ませた。翌1975年初頭ニューオリンズで録音を再開したが、ここでドラマーが脱退してしまう。直ちに補充しポール夫妻、デニー・レイン(ギター)、ジミー・マッカロック(ギター、発音的にはマッカラー)、ジョー・イングリッシュ(ドラムス)のラインナップとなった。リンダとジョーはアメリカ人で、あとの三人は英国人の編成だ。(辞めた前任のドラマーは英国人)5人編成で固まったウィングスはニューオリンズの、アラン・トゥーサン所有のスタジオで録音しアルバムを完成させた。【このアルバムについて】このアルバムはライヴを意識して制作されたとあって、1曲目のVenus And Marsからそうした雰囲気だ。ショウのオープニングのようなナンバーで、実際の当時のライヴでもこれと次の曲へと雪崩込むスタイルで始まる。2曲目のRock Showはいきなりタイトルどおりロック色全開の軽快なナンバーだ。Venus And Marsからほぼ繋がるメドレー形式だ。ジミーのギターも終始炸裂し、ポールも思いっきりシャウトしている。曲は一旦エンディングを迎えてから、再びアラン・トゥーサンのピアノのリフレインが付く。そのパートではポールが早口でまくし立てている。3曲目のLove In Songはアビー・ロード・スタジオで録音されたナンバーで前任のドラマーのジョフ・ブリトンが参加している(邦題:歌に愛をこめて)。一転してしっとりとしたナンバーとなる。ポールがこのバラードを力強く歌っているのが特徴。4曲目のYou Gave Me The Answer(邦題:幸せのアンサー)は何処と無く'50~'60年代の雰囲気の漂うナンバーで、ポールはフレッド・アステアのイメージを抱きながら書いた曲だそうだ。当時のツアーでも披露されていたナンバーで、ポールはピアノを担当している。5曲目のMagneto And Titanium Manは邦題「磁石屋とチタン男」で、ポールが当時興味を持っていたコミックスから題材を得て作った曲でツアーでも披露された。6曲目のLetting Goは邦題「ワインカラーの少女」で、ジョフ・ブリトンがドラムスを担当していた頃のナンバー。ツアーでも披露されていたナンバーで、ホーン・セクションをバックに従えてポールが歌いデニーがコーラスを付ける。LP時代はこの曲がA面最後となる。7曲目のVenus And Mars(Reprise)からLP時代はB面の1曲目だったがCDでは7曲目に当たるナンバー。ここでは多少エコーを掛けたポールのヴォーカルが、まるで宇宙空間を漂っているように聞える。因みにタイトルの意味は「金星と火星」である。8曲目のSpirits Of Ancient Egypt(邦題:遥か昔のエジプト精神)ではデニーがリード・ヴォーカルを取り途中からポールがヴォーカルに加わる。当時のツアーでも披露された、何処と無くミステリアスな雰囲気を持ったアルバム中では異色の曲。9曲目のMedicine Jarはギタリストのジミーが、ウィングス加入前のグループに在籍していた当時のドラマーとの共作曲。ポールはこの曲ではプレイヤーに徹している。ステージでも披露されていたが、特にこれといって特徴のないロックナンバー。10曲目のCall Me Back Againでは6曲目と同様にホーン・セクションを大胆に起用しているが、こうしたアレンジはポールの曲のイメージとは多少外れた位置にあると思うがそれもポールの特徴である。個人的には9,10曲目は多少退屈なナンバーと感じている。11曲目のListen To What The Man Said(邦題:あの娘におせっかい)は、このアルバムの表紙のような曲である。個人的にもこの曲はポールの全レパートリーの中でも最もポップなナンバーであり、当時のライヴでは披露していたのに最近では全く披露されないのは残念である。ビルボード紙では見事に1位に輝いている。ポールの恋愛感?が歌詞全体を覆っているかのようで、聞いているとウキウキしてくる楽しい一曲でもある。演奏面ではアコースティック・ギターにデイヴ・メイソン、印象的なサックスの音色を聞かせているのはトム・スコットだ。トム・スコットのサックス・ソロはリハーサル・テイクを本人に内緒で録音して採用したそうだ。12曲目のTreat Her Gently~Lonely Old Peopleは11曲目のラストと繋がる形で始まる。明るい曲調が続く中でアルバムの事実上のラストを飾る壮大なバラードだ。ポールはピアノを弾いていて、バックにはハープやストリングスを配しておりポールのヴォーカルを引き立てている。途中からはジミーのギターも入り、このギターがストリングスとピアノと絡んで良い調和をかもし出しでいる。13曲目のCrossroadsは、ショウのエンディングを告げる役目を担っている。ポールのオリジナルではなくて、トニー・ハッチがTVシリーズ「クロスロード」のテーマで実際にエンディングに使用されていた。だがまるで12曲目と繋がって一つの曲のようにも聞えてくる。14曲目からはCD用のボーナス・トラックでZoo Gangは今回のセッションとは関係ない1973年1月の録音で、TVシリーズのテーマ曲としてポールが提供したインスト曲。英国でシングル「Band On The Run」B面として発表されていた。15曲目のLunch Box/Odd Soxもインスト曲だが、こちらは本アルバム用セッションで録音された不思議な雰囲気を持つ。1980年のシングル「Coming Up」のB面に同曲のライヴ・バージョンと共に収録されていた。最後のMy Carnivalは本アルバムのセッションで録音されたが、収録は1985年のソロ名義のシングル「Spies Like Us」のB面として収録された。ウィングスのメンバーがリラックスしながら演奏している様子が伝わってくるかのような曲だ。【ウィングス絶頂期の一枚】ウィングスとしては正にこの頃が絶頂期であり、この当時のライヴ盤「Wings Over America」はLPで3枚組の大作であり当時の熱狂が収められている。更に、映画版「Rock Show」では映像としてステージを見ることが出来る今では貴重な資料だ。私は公開当時は高校生だったが映画館でしっかり観ましたし、ビデオも持っています。1975年11月には豪州公演に続く日本公演も組まれていながら、公演1週間前に法務省が過去の麻薬歴を理由に急遽発行済みの査証を無効にした為に流れてしまった。ウィングスの日本公演は1979年にも企画されたが、成田空港で現行犯逮捕されて再びキャンセル。遂に一度もウィングスとしての公演は実行でき無かったのは残念でたまらない。最近のポールの公演でもウィングス時代の曲は定番曲のみとなり、本アルバムからも全く演奏されない状態に陥っている。米国でもそうしたポールの選曲に一部で不満があるものの、ポールは相変わらずウィングス時代の曲を演奏しないのは何故か?せめて日本では特別に何曲か演奏してもらいたいな~。「あの娘におせっかい」を生で聴けたらもう一生の思い出になるのですが...。【バック・ナンバー】1.リー・リトナー「RIT」(1981)2.ボズ・スキャッグス「MIDDLE MAN」(1980)3.ジェイ.P.モーガン「JAYE.P.MORGAN」(1976)4.クインシー・ジョーンズ「THE DUDE」(愛のコリーダ)(1980)5.サントラ盤「FOOTLOOSE」(1984)6.ヒューイ・ルイス「SPORTS」(1983)7.ジョン・レノン「IMAGINE」(1971)8.フランキー・ブルー「WHO'S FOOLIN' WHO?」(1982)9.ワークシャイ「OCEAN」(1992)10.バーシア「SWEETEST ILLUSION」(1987)11.グロリア・エステファン・アンド・マイアミ・サウンド・マシーン「LET IT LOOSE」(1987)12.リンゴ・スター「RINGO」(1973)13.デイン・ドナヒュー「DANE DONOHUE」(1978)14.フィル・コリンズ「NO JACKET REQUIRED」(1985)15.ビリー・ジョエル「GLASS HOUSES」(1980)
2005.10.22
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人気blogランキングへ【このアルバムについて】ポール・マッカートニーの新作スタジオ盤が出たと思ったら、今度はジョン・レノンの2枚組ベスト・アルバムが発売された。ジョンのベスト盤がしかも2枚組というボリュームで何故この時期に発売されるのだろうか?ポールの新作へのヨーコさんからのあてつけだったりして?下の曲目を見ても分かるように従来のベスト盤との収録曲の大きな違いは感じられない。敢えて言えば、今回のアルバムはリマスタリングを施したそうだがはっきり言って余り変わらないようにも思う。ただ2枚組なので従来のベスト盤では収録されないような「Bless You」「You Are Here」「Out Of The Blue」「Intuition」や、「Come Together」のライヴ・バージョンや「I'm Losing You」のチープ・トリックがバックを務めるバージョンがレアなトラックかな?折角2枚組の企画なら「Live Peace In Toronto」からの曲や掘り出し物を収録して欲しかった。今回のアルバムはこれからジョン・レノンについて学ぼうとする、【初心者】向けの一枚だ。では、何故初心者でない私が買ったか?理由はありません、「何となく買ってしまいました」。(半分冗談です!)Disc1 01. (JUST LIKE) STARTING OVER02. IMAGINE03. WATCHING THE WHEELS04. JEALOUS GUY05. INSTANT KARMA! (WE ALL SHINE ON)06. STAND BY ME07. WORKING CLASS HERO08. POWER TO THE PEOPLE09. OH MY LOVE10. OH YOKO11. NOBODY LOVES YOU (WHEN YOU'RE DOWN AND OUT)12. NOBODY TOLD ME13. BLESS YOU14. COME TOGETHER (LIVE)15. NEW YORK CITY16. I'M STEPPING OUT17. YOU ARE HERE18. BORROWED TIME19. HAPPY XMAS(WAR IS OVER)Disc2 01. WOMAN02. MIND GAMES03. OUT THE BLUE04. WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT05. LOVE06. MOTHER07. BEAUTIFUL BOY(DARLING BOY)08. WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD09. GOD10. SCARED11. #9 DREAMS12. I'M LOSING YOU13. ISOLATION14. COLD TURKEY15. INTUITION16. GIMME SOME TRUTH17. GIVE PEACE A CHANCE18. REAL LOVE19. GROW OLD WITH ME━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━自己PRコーナー日記のテーマとは関係ないけど、私のカンボジア・タイ旅行記の写真が完成しました。是非、暇つぶしにでもご覧下さい。ついでに感想を書き込んで戴けると、とても嬉しい管理人でした。写真をご覧になれます第一日目第二日目第三日目第四日目第五日目
2005.10.02
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人気blogランキングへアルバム名と曲名『CHAOS AND CREATION IN THE BACKYARD』(試聴出来ます)プロデューサー/ナイジェル・ゴドリッチ【ポール4年ぶりの新譜と北米ツアー開始】ポールに取って新譜は『Driving Rain』以来でほぼ4年ぶりの新譜となる。前作の後にもやはりツアーを開始しているので、今回もそれに倣って?全米公演がスタートした。今や元ビートルズのメンバーもリンゴと二人となってしまったので、どうしてもポールに掛かる期待は大きいと思う。そんな中で発売された新譜からもツアーで披露されているし、ビートルズ時代の曲もタップリ披露されている。ポールがこうしてビートルズを単に伝説上のロック・グループとして葬られるのでなくて、あくまでもポールがステージで披露することでいまだに人々の記憶に留めながらも新たなファンを開拓する使命を担いそれを実行しているのは嬉しい。1990年代以降のポールの新作はどれもセールス的には伸び悩んでいるし、目新しさも感じない。だがその一方で60歳を越えてもソロ・ツアーを敢行し、新譜を出すというエネルギーを持ち続けていることへの評価はして欲しい。【このアルバムについて】1曲目のFine Lineは第一弾シングルでも有る曲で、何処と無くビートルズ時代の雰囲気を漂わせている。本作では基本的にこの曲でもそうだが、ポールがピアノ、ベース、ギター、ドラムスその他の楽器を一人で演奏する多重録音であるが、ここではストリングスを効果的に配してバックアップしている。2曲目のHow Kind Of Youも何となく前曲と似た雰囲気ながら、ポールがまるで新妻への感謝を表現したかのような歌詞を噛み締めながら歌う様子が伝わってくる。演奏面ではアコギとピアノの音色が曲を支配している。3曲目のJenny Wrenはポールらしいアコギによる弾き語り曲で、ビートルズ時代の「Blackbird」や1987年の「Put It There」に良く似た雰囲気を持っている。こうした曲がやはりポールの良さであり、ファンのニーズに応えた一曲?DUDUKなるホーンが良い雰囲気を醸し出している、どことなくほろ苦い感じが漂うのはジェニー・レンなる女性への告白か?と思ったが「Wren」とは「みそさざい」という英国の小鳥らしい。「Blackbird」や「Bluebird」と合わせて三姉妹(兄弟)の曲?4曲目のAt The Mercyここでもしっとりとした雰囲気の曲に、ストリングスとブラスのアンサンブルが演奏をバックアップしている。5曲目のFriends To Goでは再びポールの演奏だけによる編成で一切他のアーティストの援助なしだ。ここで前の4曲と変り、ポールのヴォーカルとコーラスは多少力強く且つ明るく歌っている。6曲目のEnglish Teaはポールの中にあるイギリス人としての趣向が強く反映されている。曲の内容も紅茶、ケーキ、イングリッシュ・ガーデンなどの歌詞がそれを物語っている。1、3曲目と同じ編成によるストリングスが、ポールの弾むようなヴォーカルに見事にマッチしている。7曲目のToo Much Rainは哀しい事は嫌だから笑って過ごそうと励ますようにポールが歌う。雨ばかりでうんざりとはイギリスの天候のことを人生に例えたのかな?8曲目のA Certain Softnessではポールの演奏に、クラシック・ギターのジェーソン・フォークナーとベースドラムとボンゴにジョーイ・ワロンカーが加わっている。曲調は大人なしめのフォークソングと言った所か?9曲目のRiding To Vanity Fairではポールの演奏に、ドラムスでジェームス・ガドソンとストリングスが控えめにバックでメロディ・ラインをなぞるように絡んでくる。チョッとミステリアスな雰囲気を持った一曲。バックのジングルが何かの合図の様にも聞える。10曲目のFollow Meでは前作のアルバムに参加しツアーメンバーにもなっているラスティ・アンダーソン(ギター)、ブライアン・レイ(ギター)、エイブ・ラボリエルJR(ドラムス)編成とストリングスを絡めた唯一のバンド形式による録音。ギターの音色がどことなくビートルズッぽく感じる。11曲目のPromise To You Girlでは再びポールのソロ演奏に終始するが、アップテンポの曲調が途中でスローに転調したりギターソロが入ったりとポールがノビノビと演奏を楽しんでいるように思える。12曲目のThis Never Happened Beforeでは再びポールのソロ演奏にストリングスが控えめに絡む。ポールがへザー夫人への恋について述べたかのような歌詞にも思える。ラストのAnywayはポール得意のピアノ演奏をフィーチャーした曲だ。これに控えめにストリングスを配したアレンジは見事である。一旦終わったような印象を与えた後に、インスト部分が3分ほど続いて終わる構成だ。【感想】ポールの新作はほぼ4年ぶりということで期待して待っていた。前作の「Driving Rain」ははっきり言ってポールのビートルズ以降の作品では、「平凡」な部類に入るだろうし個人的にも余り聴かなかった。今回の作品がポールのソロ演奏で制作されたと聞いて、「McCARTNEY」「McCARTNEY2」の延長線上のようなサウンドを想像していた。だが今回聞いてみてその印象とはいい意味で異なっていた。そこにはプロデューサーのナイジェル・ゴドリッチの手腕による所も大きいと思う。演奏では全てのギター、ドラムスを含む打楽器、キーボード類、ホーンセクションにも挑戦とポールの才能が最大限に発揮されているのがこの一枚であるだろう。
2005.09.25
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人気blogランキングへポール北米ツアーがスタート【セット・リスト】 1.Magical Mystery Tour(The Beatles) 2.Flaming Pie(Solo) 3.Jet(Wings) 4.I'll Get You(The Beatles) 5.Drive My Car(The Beatles) 6.Till There Was You(The Beatles) 7.Let Me Roll It(Wings) 8.Got To Get You Into My Life(The Beatles) 9.Fine Line(Solo,新曲)10.Maybe I'm Amazed(Solo)11.The Long And Winding Road(The Beatles)12.Inspite Of All The Danger(The Beatles,デビュー前のレパートリー)13.I Will(The Beatles)14.Jenny Wren(Solo,新曲)15.For No One(The Beatles)16.Fixing A Hole(The Beatles)17.English Tea(Solo,新曲)18.Yellow Submarine(The Beatles)19.I'll Follow The Sun(The Beatles)20.Follow Me(Solo,新曲)21.Blackbird(The Beatles)22.Elenor Rigby(The Beatles)23.Too Many People(Solo)24.She Came In Through The Bathroom Window(The Beatles)25.Good Day Sunshine(The Beatles)26.Band On The Run(Wings)27.Penny Lane(The Beatles)28.I've Got A Feeling(The Beatles)29.Back In The USSR(The Beatles)30.Hey Jude(The Beatles)31.Live And Let Die(Wings)~Encore1~32.Yesterday(The Beatles)33.Get Back(The Beatles)34.Helter Skelter(The Beatles)~Encore2~35.Please Please Me(The Beatles)36.Let It Be(The Beatles)37.SGT.Pepper's Lonely Hearts Club Band(The Beatles)9月16日のマイアミ公演からスタートしたポールの2005全米公演は、11月まで米国を廻るツアーでカナダのトロントでの1回のツアー以外は全て米国での公演だ。早速上記のセットリストが判明したのだが、この曲目を見て多少複雑な思いも有る。個人的にはこういうセットリストを期待していた。一見して分かるように相変わらずビートルズ時代の曲が大部分を占める。WINGS時代のが定番の4曲、新アルバムからは4曲、新アルバム以外のソロからは3曲で「Too Many People」はライヴ初登場だ。それ以外は全てビートルズ時代の曲で、「Inspite Of All The Danger」はデビュー前のレパートリーで「アンソロジー1」に古い音源が収録されているレアな曲だ。その他のライヴ初登場曲は、「I'll Get You」「Till There Was You」「I Will」「She Came In Through The Bathroom Window」「Please Please Me」5曲がそうだ。定番の「Yesterday」「Let It Be」「Hey Jude」「Blackbird」は出来れば他の曲と差し替えてもらいたかった。そして毎度のことだがリンダの死後、WINGS時代の曲は定番曲だけとなりWINGS日本公演が二度も流れた日本のファンには寂しい限りである。米国のサイトを読んでいると、あちらではポールに歌ってもらいたい曲目が掲載されている。そこにはWINGS時代のレパートリーが多く掲載されているから、米国のファンでもWINGSの曲は聴きたいのだろう。ポールは一度決めたセットリストの差し替えは少ないが、2~3曲の入れ替えは過去の例から言ってもありえる。その際はどういう曲になるのかはその時の楽しみだ。日本公演は今のところ予定には無いそうなので、暫くは日本のファンは我慢をするか米国へ出かけるしかないようだ。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━自己PRコーナー日記のテーマとは関係ないけど、私のカンボジア・タイ旅行記の写真が完成しました。是非、暇つぶしにでもご覧下さい。ついでに感想を書き込んで戴けると、とても嬉しい管理人でした。写真をご覧になれます第一日目第二日目第三日目
2005.09.20
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人気blogランキングへアルバム名と曲名『Cloud Nine』【復活!ジョージ・ハリスン】この曲を含むアルバム「Cloud Nine」は1987年に発表された。ジョージはザ・ビートルズ解散後最も目立ったのは彼の活躍だ。いきなり3枚組みの大作「All Things Must Pass」で彼の眠っていた才能が一気に開花し、チャリティ・コンサートの開催と大活躍だった。そのジョージの活動も徐々に落ち着いたものとなり、サウンドもインド音楽への傾倒からも抜け出して'70年代後半は当時流行りだしたAOR的なサウンドへと変遷していった。'80年代に突入してジョンへの追悼歌が全米2位を獲得して一時的に浮上した。だがその後の「Gone Troppo」はセールス的に失敗に終わり暫く音楽活動から遠ざかった。そのジョージが復活を賭けてビートルズ・フリークのELOのリーダーである、ジェフ・リンにプロデューサーとしてこのアルバムの制作を委ねた。これが成功してビートルズ的なサウンドを全面にだし、シングルとしてはカバーながら「セット・オン・ユー」は見事に全米1位を獲得した。これで再びジョージは一線に戻ってきたのだった。【この曲について】この「セット・オン・ユー」はルディ・クラークなる人物による曲で、レコーディング中にジェフ・リンとの会話で偶然この曲のことが出てきたきっかけで録音したそうだ。原曲は全く知らないが、シンプルな曲構成でジェフ・リンらしい音を重ねていく手法のアレンジが見事にはまった。リズム感もよくジョージも楽しそうに歌っているのが分かる。第一弾シングルとしてリリースされて見事に全米1位を獲得し、年間チャートでも1988年に3位を記録する大ヒットをもたらした。この曲で新たなジョージ・ファンを獲得出来たのではとも個人的には思う。更にこの曲には2つのバージョンのPVがあり何れも放映された。1つはゲームセンターでのバージョンと、もう一つはジョージはソファでギターを弾きながら途中で見事なステップを披露(吹き替えだそうだが)するものだ。【この後のジョージ】ジョージはこのアルバムからは更に「FAB」というビートルズ時代の事を歌った「アイ・アム・ザ・ウォーラス」のような雰囲気の曲もシングルカットしてヒットした。ジェフ・リンとはこのアルバムがきっかけで、この後、ボブ・ディランやロイ・オービソンやトム・ペティ等と共に「トラベリング・ウィルベリーズ」を結成しグラミー賞まで授賞する。また、ビートルズの「アンソロジー」シリーズのプロデューサーまで任されるなどジョージの信頼は厚かったようだ。ジョージがガンで亡くなった後の遺作「Brainwashed」や、追悼コンサートのプロデュースも担当するなど晩年のジョージには欠かせない人物となったのがジェフ・リンだ。【バック・ナンバー】1.ボズ・スキャッグス「We Are All Alone(二人だけ)」(1976)2.ウィングス「Band On The Run」(1973)3.レッド・ツェッぺリン「Stairway To Heaven(天国への階段)」(1971)4.ロバータ・フラック「Killing Me Softly With His Song(やさしく歌って) 」(1973)5.イーグルス「Hotel California」(1976)6.クイーン「Bohemian Rhapsody」(1975)7.バグルス「Video Killed The Radio Star(ラジオスターの悲劇)」(1979)8.ビリー・ジョエル「Tell Her About It(あの娘にアタック)」(1983)9.ザ・シュープリームズ「You Can't Hurry Love(恋はあせらず)」(1966)10.ア~ハ「Take On Me」(1985)11.ボビー・コールドウェル「Special To Me」,「What You Won't Do For Love(風のシルエット)」(1978)12.デレック・アンド・ザ・ドミノス「Layla」(1972)13.エア・サプライ「Lost In Love」(1979)14.クリストファー・クロス「Sailing」(1979)15.マイアミ・サウンド・マシーン「Conga」(1985)16.ジョン・レノン「Jealous Guy」(1971)17.10CC「I'm Not In Love」(1975)18.シャニース「I Love Your Smile」(1991)19.マライヤ・キャリー&ボーイズ・2・メン「One Sweet Day」(1997)20.ワム!「Last Christmas」(1984)21.スパイロ・ジャイラ「Morning Dance」(1979)━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━自己PRコーナー日記のテーマとは関係ないけど、私のカンボジア・タイ旅行記の写真が完成しました。是非、暇つぶしにでもご覧下さい。ついでに感想を書き込んで戴けると、とても嬉しい管理人でした。写真をご覧になれます第一日目第二日目第三日目
2005.09.19
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人気blogランキングへアルバム名と曲目/『RINGO』 発表年/1973年 プロデューサー/リチャード・ペリー【ザ・ビートルズの4人が結集したアルバム】ザ・ビートルズ時代にドラマーだったリンゴは、ジョージの勧誘もあってもっとも遅くメンバーになった。グループは1969年には事実上解散状態にありながらも、ただ一人リンゴだけは他のメンバーとの関係は良好だったのは彼の大らかな性格ゆえか?1970年に解散してからメンバーはそれぞれソロ活動に入った。ポールだけはウィングスというバンドを率いていたが、そんな四人が別々にではあるがこの「RINGO」というアルバム制作に協力した。ジョン、ポール、ジョージがそれぞれ自作曲をリンゴに提供したし、特に、ジョージは3曲を提供しリンゴと共作し大いに支えた。アルバムのジャケットは、「リボルバー」のジャケットを担当しグラミー賞に輝いたクラウス・フォアマンだ。【このアルバムについて】1曲目のI'm The Greatestはいきなりジョン・レノン提供のブギー風ロックの不思議なメロディ・ラインを持った曲。ピアノにジョン、ギターにジョージ、ベースにクラウス・フォアンマン、オルガンにビリー・プレストンとファミリーで固めている。後半の歌詞に「俺の名前はビリー・シアーズ」とのフレーズが出てくる。これは「SGT.PEPPER'S...」でポールが「それではビリー・シアーズです」と言って「WITH A LITTLE HELP FROM MY FRIENDS」に繋がりリンゴが「ビリー・シアーズ」として登場するシーンを指している。ジョンのこの曲のデモ・テイクが「アンソロジー」で聴ける。2曲目のHave You Seen My Babyはランディ・ニューマン作の曲で明るいポップスでホーンのアレンジにトム・スコット、ギターにマーク・ボラン(T-REX)が参加している。3曲目のPhotographはリンゴとジョージの共作だがジョージが主導して作ったと思われる、リンゴの解散後の最高傑作。ジョージはギターとコーラスで参加している。4曲目のSunshine Life For Me(Sail Away Raymond)はジョージの単独作品で、バンジョー、マンドリンの演奏が加わりどことなくカントリーっぽいサウンドが特徴。5曲目のYou're Sixteen(You're Beautiful And You're Mine)はカバー曲だがとてもポップで親しみやすいナンバー。バック・ヴォーカルのニルソン、口でサックス・ソロを演じるポールが彩りを添えている。このアルバムでも耳に付く一曲だ。6曲目のOh My Myはリンゴとヴィニ・ポンシアの共作。何の変哲もない「Oh My My」を繰り返すナンバーで、バックにはモータウンでも活躍したマーサ・リーブスが加わっている。演奏面ではトム・スコットのホーンが目立つ。7曲目のStep Lightlyはどことなくノンビリとした、それでいてチョッとジャズっぽい雰囲気がある。中間部ではリンゴの華麗なタップ・ダンスの音が入る。8曲目のSix O'Clockはポールの作品で、ポールはピアノとシンセを演奏しリンダと二人でコーラスも付けている。如何にもポールらしい美しい旋律を持った曲であるが、この曲に幻の初期バージョンもあった。発売直前に差し替えられたが一部では流出した。そのバージョンは次作の「グッドナイト・ウィーン」のCDのボーナス・トラックとして収録されている。違いは曲の最後にリフレインが付いてポールとリンゴがシャウトしているが、この部分の有無については議論が分かれるだろう。個人的には無い方が良いと思う。9曲目のDevil Womanはこのアルバム中一番のロック調の曲で、リンゴとジム・ケルトナーのツイン・ドラムが終始唸っている。10曲目のYou And Me(babe)はアルバムでは最終曲になるが、エンディングを飾るに相応しい曲でジョージと元ローディーのマル・エバンスとの共作。最後にアルバム参加のアーティストやスタッフへの感謝の言葉が述べられているのはリンゴの真骨頂か?CDではここからボーナス・トラックが収録されているがこの三曲もとても大事な曲なので紹介したい。11曲目のIt Don't Come Easyは珍しくリンゴ単独作で1971年にシングルとして発表された。リンゴの作品としては単調ながらも、コーラスも加えて聴きやすくシングル・ヒットした。12曲目のEarly1970は11曲目のB面として収録されたリンゴ単独作のナンバーで、確かジョージがギターを担当していたと思う。13曲目のDown And Outもリンゴ単独作だが特にこれと言った特徴のないブギ-調の単調なナンバー。【ヒット・チャート】リンゴの解散後最大のヒットをもたらしたこのアルバムからは3曲のシングル・ヒットが生まれた。「Photograph」「You're Sixteen」は共に見事に1位を獲得した。「Oh My My」は5位、アルバム全体では2位と大健闘だった。ボーナス・トラックに収録の「It Don't Come Easy」は1971年に4位を記録した。最後にポールと共に元ビートルとして、何時までも元気で精力的に活動してもらいたい。今年出た新譜は買っていませんけど、ポールの新譜は来月出ます。【バック・ナンバー】1.リー・リトナー「RIT」(1981)2.ボズ・スキャッグス「MIDDLE MAN」(1980)3.ジェイ.P.モーガン「JAYE.P.MORGAN」(1976)4.クインシー・ジョーンズ「THE DUDE」(愛のコリーダ)(1980)5.サントラ盤「FOOTLOOSE」(1984)6.ヒューイ・ルイス「SPORTS」(1983)7.ジョン・レノン「IMAGINE」(1971)8.フランキー・ブルー「WHO'S FOOLIN' WHO?」(1982)9.ワークシャイ「OCEAN」(1992)10.バーシア「SWEETEST ILLUSION」(1987)11.グロリア・エステファン・アンド・マイアミ・サウンド・マシーン「LET IT LOOSE」(1987)
2005.08.21
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ジョンの名曲「愛こそはすべて」の直筆の歌詞カードが、イギリスでオークションに出された。60万ポンド(約1億1800万円)の値がついたが、落札者は不明だとのことだ。こうしたオークションなどでジョンの品物が競売にかかるケースは度々耳にする。だがどれもとても高額で、流石ジョンと言ったところか?更に、こうした高額の落札価格がニュースで流れると、ますますジョンの「神格化」が進みそうだ。我々庶民には手が出ないが、庶民にはそうした品物より未発表の音源の方がよっぽど興味ありますよ。どうか新しい音源を発掘して、アルバムとしてリリースして欲しいです。人気blogランキングへ
2005.07.29
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アルバム名/『IMAGINE』発表年/1971年 プロデューサー/ジョン・レノン、ヨーコ・オノ、フィル・スペクター【ジョンのソロ時代の傑作】ジョンのソロ時代の代表作として取り沙汰されるのは、この作品と「ジョンの魂」「ダブル・ファンタジー」が三本柱だろう。特に「ジョンの魂」と「イマジン」は個人の好みにもよるだろうが甲乙付けがたい名作である。私もその時々でどちらを一番に持ってくるか悩むのである。「ジョンの魂」がかなり私的な作品でバックメンバーも最低限に抑えているが、本作ではバンド形式での録音をしたのとフィル・スペクターのプロデュースもあって音の広がりを感じる。【このアルバムについて】このアルバム制作にあたってジョンはビートルズ時代に作曲しボツになった曲も積極的に取り上げた。アルバム全体を通して聴くとやはりフィル・スペクターの色が濃く反映されているのに気が付くと思う。1曲目のImagineは言わずと知れたこのアルバムの表題曲でもあり、今ではすっかり平和を象徴する曲として定着した。ジョンのピアノに軽くストリングスを配したアレンジが見事にはまった名曲である。2曲目Crippled Insideは一転してブギーっぽいサウンドが特徴。3曲目のJealous GuyはImagineと並んでこのアルバムを代表する曲で、原曲の部分はビートルズ時代に作られて「ホワイト・アルバム」セッション時に一部が最初に披露された。カバーも多くブライアン・フェリーも録音している。4曲目のIt's So Hardは再びジョンらしい変幻自在のヴォーカルが聴けるナンバー。5曲目のI Don't Want To Be A Soldierは徴兵に反対する叫びを母にぶつけるナンバー。LPではB面に相当するのが6曲目からでGimme Some Truthはビートルズ時代に書いたナンバーでジョージ・ハリスンのリード・ギターが終始唸るロック調のナンバーだ。7曲目のOh My Loveは一転してしっとりとしたナンバー。ヨーコとの共作でジョンのピアノを中心にしたラヴ・ソングでレコーディングの様子を撮影したヴィデオでもその演奏シーンが見れる。8曲目のHow Do You Sleep?は当時関係が悪化していたポールへのあてつけと思われる曲。「Sgt.Pepper's」「Yesterday」「Another Day」とかポールが作曲した曲を皮肉っている。9曲目のHow?は再びしっとりとしたナンバーで、フィル・スペクターのアレンジしたストリングスが映えるナンバーだ。10曲目のOh Yoko!はジョンが作ったナンバーで愛妻ヨーコの名前が入ったナンバーで、ジョンのヨーコへの思いを綴ったアップテンポの曲。【参加メンバー】イマジンのセッションではジョンの親しいミュージシャンが呼ばれた。身内からはジョージ・ハリスン、ベースのクラウス・フォアマン、ドラムスに元イエスのアラン・ホワイト、サックスのキング・カーティス、バッドフィンガーのジョーイ・モランドらが参加している。他にはドラムスのジム・ケルトナー、キーボードのニッキー・ホプキンスらのジョンと親しいセッションマンも加わっている。【バック・ナンバー】1.リー・リトナー「RIT」(1981)2.ボズ・スキャッグス「MIDDLE MAN」(1980)3.ジェイ.P.モーガン「JAYE.P.MORGAN」(1976)4.クインシー・ジョーンズ「THE DUDE」(愛のコリーダ)(1980)5.サントラ盤「FOOTLOOSE」(1984)6.ヒューイ・ルイス「SPORTS」(1983)←「ザ・ビートルズ」関係のブログもあります!←西武ライオンズのことならここ←「セ・リーグ首位争い関係」の情報満載人気blogランキングへ←映画の話題がザクザク
2005.07.18
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人気blogランキングへザ・ビートルズを聴いて育ったミュージシャンは世界に数多く存在するだろう。更に、影響を受けたミュージシャンの音楽が好きでミュージシャンになった連中まで含めると数知れない?そこで今回紹介するのは、私の約1000枚のCDやレコードの中から思いついたカバー曲を紹介したい。1.Don't let me down/Annie Lennox1992年に元ユーリズミックスのヴォーカリストのアニー・レノックスがMTVアンプラグドに出演した際のライヴから。CDシングル「Cold」には三つのジャケットが異なるバージョンがあり、4曲収録のうちの1曲目の表題曲以外の3曲づつ(合計9曲)がMTVでのパフォーマンスだ。元はシングル「Get back」のB面に収録され当時はアルバムに収録されなかったが、「...Naked」に収録された。アニーは感情を込めて噛み締めるように歌っている。2.Back in the U.S.S.R./Billy Joelビートルズを聴いて育ったビリーは熱狂的なファンでもあり、しばしば自分のライヴで演奏してきた。この曲は当時の旧ソ連公演のライヴ盤に収録されており、TVでも放映された。「ビートルズを聴きたいか?」と言ってからこれを歌う。ビリーは他にもシングルB面に「I'll cry instead」のライヴ・バージョンを収録しているが、今ではCD化されていない?はずなので貴重な一曲だ。この他にはビデオで「A Hard Days Night」も歌っていたと思うが、正確にどれかは思いだせない。3.While my guitar gently weeps/Kenny RankinAORアーティストのケニー・ランキンの1977年の「Kenny Rankin Album」に収録されている。オリジナルのビートルズの方はクラプトンのギターが唸るが、ここに収録されているのは多少違う。どちらかと言えば「アンソロジー」シリーズに収録されている、デモ・バージョンに近い。アコギとストリングスが軽く入るアレンジに終始している。ランキンは「ボトム・ライン」のライヴではアコギで、この曲と共に「I've just seen a face」、「Blackbird」、「With a little help from my friends」、「Penny lane」も歌っているが完奏はしていない。4.A day in the life/Stingこれは1993年に発表した映画「Demolition Man」のテーマ曲と共に、イタリアでのライヴが5曲挿入されている中の1曲。スティングは原曲に比較的忠実にカバーしている。ライヴでこの曲を再現するのは難しいだろうが、少ないバンドメンバーでシンセを使いながら演奏しているようだ。5.Across the universe/10CC1993年の日本公演を収録した2枚組「10CC Alive」にはグレアム・グールマンの歌うこの曲と、エリック・スチュワートの歌う「Paperback writer」と、ビートルズがカバーした「Slow down」も収録されている。「Across...」は原曲に忠実に歌っているが、「Paper...」はレゲェーっぽいアレンジがエリックらしさをだしている。10CCの特にエリックはビートルズの影響を受けていて、自らもポールと親交が深く'80年代にはソングライティングのパートナーにも起用されていた。因みにこのライヴ盤の中には私の声も入っているかな?この時のライヴは観にいってきました。Fiona Appleもこの曲を歌っている。6.Helter skelter/U2U2の劇場公開映画「Rattle and Hum」の1曲目に収録されているライヴ・バージョン。この曲はボーノが比較的原曲に忠実に歌っているが、演奏はU2らしさが出ている。このアルバムの14曲目には「God part2」という曲があるが、当然このパート1はジョンの代表アルバム「ジョンの魂」に収録されている。歌詞はそれと同じスタイルを踏襲している。この曲以外ではシングルのみに収録されてその後「The Best Of 1990-2000 & B-Sides」に収録されている、「Happiness is a warm gun」がある。だがこの曲を一聴して原曲を言いあてるのは困難なほど【自分たちの物】にしている。7.Two of us/Aimee Mann & Michael Pennショーン・ペンとダコタ・ファニングが出演した映画「I Am Sam」のサントラ盤は、全てビートルズのカバーで構成されている。その中でも印象的なのがショーン・ペンの弟マイケルとエイミー・マンのデュエットのこの曲。まだまだ数え切れないほどビートルズの曲はカバーされているので、ここに取り上げた以外にもある。こうして取り上げた曲はそのアーティストの彼らに対する思い入れを探るにはいい材料になる。レイ・チャールズやスティービー・ワンダーだってビートルズを取り上げている。第一世界で一番カバーされた曲は「Yesterday」ですからね...。カバー曲はオリジナルで勝負するアーティストには、自分のアルバムには収録されないことが多い。でもコンサートでは自分の好きな曲や影響を受けた曲として、度々ステージから紹介しファンの喝采をあびる。今回紹介したのもライヴ・バージョンが多いのはそうした事実を証明している。この日記を最後まで読んだ方で、まだまだ御薦めのビートルズのカバー曲があれば是非書き込んで下さい。
2005.05.15
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人気blogランキングへ自分が最初に買ったLPはザ・ビートルズの「リボルバー」だ。記憶が確かであれば小6か中1の頃であるはずだ。やはり最初に買ったLPは印象深いものだ。このアルバムは武道館公演の有った年に発表されたが、当時はこのアルバムからは演奏されなかった。代わりにシングル「Paperback Writer」が武道館で披露されたが、これは明らかにシングル向きにポールが作った曲だった。アルバムの収録曲はどれも粒揃いで、中でもジョージの個性が目立ち始めたアルバムでもある。従来はジョージは1枚に2曲以内という眼に見えない「割り当て」が存在していた。しかし「Revolver」では「Taxman」「Love You Too」「I Want To Tell You」という個性的な3曲を送り込んだ。中でも「Love You Too」は初の本格的インド音楽の導入となった。一方このアルバムの中で最も印象に残る数々の曲を作ったのはポールだ。デビューからジョンが常に音楽的にも主導権を握っていたが、このアルバムで遂にポールが全面に出てきた。「Elenor Rigby」はクラシックの要素をふんだんに取り入れているが、後にジョンが歌詞の大半を手伝ったと告白していた。「Here There And Everywhere」はポールらしい美しいバラードで、生前のジョンもこの曲の良さを認めていた。「For No One」でも美しいメロディは健在で、「Got To Get You Into My Life」ではブラス・ロックに挑戦している。ポールはWINGS時代にもこの曲をオープニングで使ってた時期もあった。リンゴは主にポールが作った「Yellow Submarine」を唄い、今では彼の代表的レパートリーとなっている。最後にジョンは明らかにサウンドが変って来ている。サイケな「Tomorrow Never Knows」やシングルB面収録の「Rain」はその典型だろう。この辺が発展して「Strawberry Fields Forever」「I Am The Walrus」へと繋がっていった。ザ・ビートルズのアルバムでは「Sgt.Pepper's...」の評価が世間では一番高いと言われる。だがその前に出たこのアルバムが無ければ「Sgt.Pepper's」も世に出なかっただろう、と言うのが私のこのアルバムへの評価だ。
2005.02.18
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全エントリー曲リストはこちら1 :: Stairway To Heaven :: Led Zeppelin2 :: Freebird :: Lynyrd Skynyrd3 :: Layla :: Derek And The Dominos4 :: Baba O'Riley :: The Who5 :: Hey Jude :: The Beatles6 :: Hotel California :: The Eagles7 :: Born To Run :: Bruce Springsteen8 :: Won’t Get Fooled Again :: The Who9 :: Comfortably Numb :: Pink Floyd10 :: Sympathy For The Devil :: Rolling Stones11 :: Sgt. Peppers Lonely Hearts Club Band (reprise)/A Day In The Life :: The Beatles12 :: Kashmir :: Led Zeppelin13 :: Let It Be :: The Beatles14 :: Wish You Were Here :: Pink Floyd15 :: Thunder Road :: Bruce Springsteen16 :: Gimme Shelter :: Rolling Stones17 :: Satisfaction :: Rolling Stones18 :: Imagine :: John Lennon19 :: Bohemian Rhapsody :: Queen20 :: Light My Fire :: The Doors21 :: American Pie :: Don McLean22 :: Piano Man :: Billy Joel23 :: Like A Rolling Stone :: Bob Dylan24 :: L. A. Woman :: The Doors25 :: Funeral For A Friend/Love Lies Bleeding :: Elton John26 :: Rosalita :: Bruce Springsteen27 :: Another Brick In The Wall :: Pink Floyd28 :: Shine On You Crazy Diamond :: Pink Floyd29 :: All Along The Watchtower :: Jimi Hendrix30 :: Dream On :: Aerosmith31 :: Who Are You :: The Who32 :: Whole Lotta Love :: Led Zeppelin33 :: Purple Haze :: Jimi Hendrix34 :: While My Guitar Gently Weeps :: The Beatles35 :: Sunshine Of Your Love :: Cream36 :: Aqualung :: Jethro Tull37 :: Pinball Wizard :: The Who38 :: Brain Damage/Eclipse :: Pink Floyd39 :: You Shook Me All Night :: AC/DC40 :: More Than A Feeling :: Boston41 :: Jungle Land :: Bruce Springsteen42 :: Scenes From And Italian Restaurant :: Billy Joel43 :: Behind Blue Eyes :: The Who44 :: Paradise By The Dashboard Light :: Meat Loaf45 :: Sweet Child O’ Mine :: Guns N' Roses46 :: Knights In White Satin :: Moody Blues47 :: You Can’t Always Get What You Want :: Rolling Stones48 :: White Room :: Cream49 :: Crossroads :: Cream50 :: Something :: The Beatles51 :: Black Dog :: Led Zeppelin52 :: Rock And Roll :: Led Zeppelin53 :: The Weight :: The Band54 :: Time :: Pink Floyd55 :: Walk This Way :: Aerosmith56 :: Sweet Home Alabama :: Lynyrd Skynyrd57 :: Angie :: Rolling Stones58 :: My Generation :: The Who59 :: Smoke On The Water :: Deep Purple60 :: Help! :: The Beatles61 :: The End :: The Doors62 :: Over The Hills And Far Away :: Led Zeppelin63 :: Tiny Dancer :: Elton John64 :: Jessica :: Allman Brothers Band65 :: Back In Black :: AC/DC66 :: Iron Man :: Black Sabbath67 :: (Don’t Fear) The Reaper :: Blue Oyster Cult68 :: Yesterday :: The Beatles69 :: Roundabout :: Yes70 :: Green Grass And High Tides :: Outlaws71 :: Midnight Rider :: Allman Brothers Band72 :: Sultans Of Swing :: Dire Straits73 :: In My Life :: The Beatles74 :: Suite: Judy Blue Eyes :: Crosby Stills Nash75 :: Karn Evil #9 1st Impression Pt. 2 :: Emerson Lake & Palmer76 :: 25 Or 6 To 4 :: Chicago77 :: Wild Horses :: Rolling Stones78 :: Me And Bobby McGee :: Janis Joplin79 :: In A Gadda Da Vida :: Iron Butterfly80 :: Going To California :: Led Zeppelin81 :: Melissa :: Allman Brothers Band82 :: Love Reign O’er Me :: The Who83 :: Sgt Peppers Lonely Hearts Club Band/With A Little Help From My Friends :: The Beatles84 :: Roadhouse Blues :: The Doors85 :: It's Only Rock And Roll :: Rolling Stones86 :: Werewolves Of London :: Warren Zevon87 :: Ten Years Gone :: Led Zeppelin88 :: Wonderful Tonight :: Eric Clapton89 :: Sugar Magnolia :: Grateful Dead90 :: Here Comes The Sun :: The Beatles91 :: Money :: Pink Floyd92 :: Brown Sugar :: Rolling Stones93 :: Sweet Emotion :: Aerosmith94 :: Bad To The Bone :: George Thorogood95 :: Jump :: Van Halen96 :: Losing My Religion :: R.E.M.97 :: I Want To Hold Your Hand :: The Beatles98 :: Truckin’ :: Grateful Dead99 :: Locomotive Breath :: Jethro Tull100 :: Maybe I’m Amazed :: Paul McCartneyNYのQ104.3という放送局がその周波数に因んで、リスナーからの投票で選ばれた1043曲をサイトで発表している。私はこの放送局に関する知識は皆無であるが、主にロックのクラシックを流す放送局のようである。更に、この放送局がどの程度の影響力があり、リスナーの数とかは分からない。だが、リストを精査していくとこの放送局が普段どういう曲をオンエアしていたかが分かる。第1位はやはりというかZEPの「天国への階段」で、この曲は米国の放送局でのオンエア回数から言っても妥当な戦か。日本や英国だと1位はクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」とか、ジョン・レノンの「イマジン」が必ずトップ争いをする。しかし今回の順位は前者が19位で後者は18位だ。また、日本で人気の高いイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」は6位だ。ロックバンド関係ではやはりストーンズ、ZEP、ザ・フー、ビートルズのエントリーが多く、トップ10にザ・フーが2曲入っているのが目立つ。ビートルズはメンバーのソロ作を含めると、全体の9%を占めるのは流石だ。ソロ・アーティストのトップはブルース・スプリングスティーンで全体では5位だ。サイトでも意外に多かったと解説しているのは、10位にランクされているビリー・ジョエルで22曲を送り込んでいるが、これは彼の「地の利」か?因みにロックバンドの活動が一時ほど活発ではなくなってきた、'90年代以降は殆どエントリーしていない。やはり、ロックが一番勢いのあったのは'60年代から'70年代の英国勢だ。日本で人気のクラプトンはグループ時代から含めて24曲を送り込んで7位で、3位にドミノス時代の「レイラ」がエントリーされている。まだまだ、細かい点を見つけていけばきりが無いが、興味のある方は是非全曲リストを参考にして欲しい。その中で自分のご贔屓のアーティストや曲が何位なのか見つけるのも楽しいと思います。
2004.12.11
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12月8日は故ジョン・レノンの命日だ。日本時間では9日になるので、一部のファンの間には9日説を唱える人もいるが8日とするのが正当だろう。なぜならジョンはNYCで亡くなったのであり、日本で亡くなったのではない。ジョンの命日とジョージの命日はとても近いが、ジョージの命日が注目されることはまずない。12月になるとジョンの「ハッピー・Xマス」が至るところで聞かれる。この時期の定番曲のひとつで、ワム!の例の曲同様耳タコ状態になる。この「ハッピー・Xマス」はXマスの日に、戦争が終わるように祈りを捧げようと訴えている曲です。曲はヨーコ夫人との共作扱いとなっている点も見逃せない。現在ビートルズのメンバーはポールとリンゴの2人になってしまったのは残念だ。それでもポールもリンゴも精力的にツアーに出ているのは嬉しい限りだ。特にポールはいまだにスタジアム・クラスの会場をフルハウスに出来る動員力を持っている。ポールがこうして世界各地を廻り、自分のソロ時代やウイングス時代の曲と共にビートルズ時代にも披露する意義は大きい。こうしてビートルズを生で体験出来なかった世代(私もそうかな?)にも、ポールが歌う事でアピール出来るし新たなファン層も獲得している。ジョンの企画物CDも秋に発売されたし、ビートルズの米国盤もCD化されたりと、毎年に事欠かないビートルズ。さて、来年はどんな話題を我々に提供してくれるのだろうか?最後に、ジョンの魂が安らかに眠れるような世界は何時訪れるのでしょうか...。今日も人類は地球上で戦争や、戦いを繰り広げている。
2004.12.08
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ザ・ビートルズが活動して1960年代には、本国の英国盤とそれらを米国独自で編集した米国盤の二つが存在していた。日本でも当時は双方が店頭に並んでいて、それなりの人気を博していた。だがザ・ビートルズ側からの要望でSGT.PEPPER'S以降はアルバムのコンセプトをより重視する政策によって、米国盤は一時的に減る。だが例外的に「Magical Mystery Tour」は母国英国でオリジナルが発売されずにいたので、こちらは半ば米国編集盤がオリジナル扱いをされている。ザ・ビートルズの英国盤がCD化される際にも、米国編集盤として唯一発売された実績を持つ。今回発売された4枚組ボックスセットは、そんなザ・ビートルズの米国でのレコード会社であるキャピタルから発売された4枚である。今回のはばら売りはしないでボックスセットとして売り出した。私が買ったのは米国輸入盤で8,390円(税込み)(曲目はこちらをクリックして)で、因みに国内盤は10,000円で最悪のCCCD(コピーコントロールCD)で当然これは買わない。高くてCCCD盤で売っている東芝EMIの姿勢は全く理解出来ないので、皆さん米国盤を買いましょう。収録曲は上のサイトをクリックして下さい。曲目を見ると分かるように、アルバムで言えば「Please Please Me」から「Beatles For Sale」までの最も若々しくて勢いのあった頃のザ・ビートルズを堪能出来ます。アルバム収録曲にはシングル発売された曲も収録されているし、「抱きしめたい」のドイツ語版も収録されています。Anthologyシリーズ見たいに未発表曲は一切ありませんが、改めて彼らの楽曲に触れてその偉大性を感じてもらいたい。さて、今回のボックスセットの正式タイトルは「The Capitol Albums Vol.1」です。そう最後にVOL.1と付いている所に注目!。という事はVol.2、3と続編があることを匂わせています。そこで私的な希望として「The Beatles Live At The Hollywood Bowl」は是非、CD化を期待したい一枚だ。ザ・ビートルズの公式ライヴ盤(デビュー前のハンブルクは未公認)としてはこれだけである。後はアンソロ・シリーズに単発で収録されているだけ。このアルバムはジョージ・マーティンがプロデュースしたアルバムで、収録時間は確か30分そこそこと短いが絶頂期の「絶叫と音」を聞ける貴重な一枚だ。CDに30分では不満もあるだろうから、そこで未発表の音源があれば抱き合わせで発売すれば世界で評判を呼ぶだろうな。今回のシリーズだってモノとステレオを抱き合わせて収録しているので、アップル社の英断を待ちたい。
2004.11.21
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このニュースを読むザ・ビートルズの米国編集盤の初期の4枚がボックス・セットとしてCD化される。対象になる4枚は米国のキャピタル社が1964年に発売していた物だが、オリジナルの英国盤とは収録曲も異なる。これらの米国編集盤での唯一の例外は、「Magical Mystery Tour」である。このアルバムは逆に英国ではシングル発売のみされていた曲を編集して、一枚のアルバムに仕立ててファンの間でも人気が高い。このアルバムだけはCD化された際にも加わった。ザ・ビートルズ側の意向もあって、米国編集盤は廃盤となり現在では店頭で買うことは出来ない。今回のCD化になぜこの4枚が選ばれたかの事情は伝わっていないので不明だ。個人的には解散後に発売されたハリウッド・ボウルでのライヴ盤は是非CD化してもらいたい。そしてシェア・スタジアム辺りのライヴとカップリングで出せば間違いなく売れると思う。ザ・ビートルズのライヴはデビュー前のハンブルク時代のと、アンソロジーにポツポツと収録されているだけだから完全収録盤の発売を望む。だが観客席からの物凄い叫びと当時の録音技術からして難しいとは思うが...。今回の発売は11・17であり、英米ではX’MAS需要を見込んでこの時期には多くの企画盤が出される。今回のボックス・セットもザ・ビートルズからの少し早いX'masプレゼントだろうか?。ジョン・レノンの新譜と再発盤のリリースがあるが、来年はどんなニュースが飛び込んでくるのだろうか。ワクワクしながら待ちたい。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━自己PRコーナー日記のテーマとは関係ないけど、私のベトナム旅行記の写真が完成しました。是非、暇つぶしにでもご覧下さい。ついでに感想を書き込んで戴けると、とても嬉しい管理人でした。これをクリックして下さい。
2004.10.13
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【今日はジョンとショーン親子の誕生日】今日の10月9日は元ザ・ビートルズのリーダーであった故ジョン・レノンの生きていれば64度目の誕生日だった。ポールはSGT.PEPPER’Sで「When I'm 64」という曲を発表していたが、もしジョンが生きていれば、どういう64歳を迎えていただろうか?。ポールは64歳になったらこの曲を聴衆の前で歌うだろうか。【ジョンの音楽活動期】ジョンの音楽活動期は'60年代の大部分をザ・ビートルズとして過ごした。そしてポールと共に多くの印象的な曲を世に出し世界中の人々を虜にした。解散後の'70年代に入ってからも精力的に、プラスティック・オノ・バンドを率いて米国を中心に活動した。そのなかで「ジョンの魂」「イマジン」という名盤を発表した。そんなジョンの音楽活動を公私共に支えていたヨーコさんとの別居を機に、徐々に生活は荒れてきて西海岸で連日ニルソンやリンゴと「失われた週末」を過ごす。この時期には地元のパブで呑みまくり、アル中になり暴れた店を追放されたりしていた。一時はヨーコさんとの離婚も囁かれていたが、この西海岸時代はヨーコさんがあてがった中国系のメイ・パンが身の回りの世話をしていた。それどころか下半身の世話もしていたみたいである(どうでも良いけど)。【待望のショーン君の誕生】そうした「失われた週末」時代を終えてヨーコさんとも和解して、再び同居するようになりジョンの精神状態も徐々に落ち着きを取り戻したようだ。やはりジョンにはヨーコさんの存在が大きかったようだ。2人は健康状態を取り戻し子供を作る事を望んだ。過去にも度々ヨーコさんは妊娠するもののいずれも流産して叶わなかった。そして難産の末に高齢(42歳)出産を果しショーン君を授かった。ショーン君を授かったジョンとヨーコさんは音楽活動を中断する。ヨーコさんがビジネスを請け負いジョンは主夫として子育てに集中した。近くのセントラル・パークでショーン君を抱いている姿が度々目撃された。ジョンは長男のジュリアン君はウイスキーのボトルから生まれたと語っていたことがある。これは酒の勢いで若気の至りでシンシアとの間に生まれたと言いたかったのだろう。そのジュリアン君と過ごす時間は多忙なバンド活動で無いに等しかった。そんな寂しい思いをさせたくなかったのが原因で、主夫活動に入ったと言うのが事実だろう。【無念の死】ある日友達の家で観たアニメ「イエロー・サブマリン」で、自分の父が元ザ・ビートルズだと始めて知りそれを父に告げた。告げられた父は多少驚きながらもそうだと認めながらも、すでに過去のことだと息子に言った。この言葉に影響されたジョンは、息子に自分がミュージシャンである姿をみせる事を決意。主夫時代にもギターでデモテイクを録音していたが、いよいよスタジオに篭る時期が到来した。アルバムは完成して2枚分の曲が録音されて、「DOUBLE FANTASY」は発売された。が、1ヶ月後の1980年12月08日スタジオから戻ったジョンは、マーク・チャップマンの凶弾に倒れた。チャップマンは先日の仮釈放申請を再度却下されて、再び2年間服役することが決定。チャップマンの申請が報道されると、世界のビートルズ・ファンが早くも報復宣言を出していた。チャップマンにすれば塀の中が一番安全だろう。【ジョンの理想郷はどこに】ジョンは解散後に幾つかの政治的なメッセージを残してきた。そうしたジョンの行動を警戒した当時のFBIは、ジョンを米国から追放しようと画策していた。ジョンのメッセージはシンプルで且つ分かりやすい。特に、「イマジン」では自分で思い描いた世界を実現するのだと解いた。「神」ではどんな神も信じない、信じるのは自分(ジョン)とヨーコだけでビートルズでさえ信じないと叫んだ。因みにU2は「GOD PART2」を作ったがパート1は勿論この曲だ。「ハッピー・X'MAS」では貴方が望めば戦争は終わると曲中で語った。ジョンの語った「世界が平和になれる機会」は与えられただろうか?。今でも世界の各地で紛争が起こっている。何時までたってもジョンの理想としていた世界の実現はまだまだ難しい。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━自己PRコーナー日記のテーマとは関係ないけど、私のベトナム旅行記の写真が完成しました。是非、暇つぶしにでもご覧下さい。ついでに感想を書き込んで戴けると、とても嬉しい管理人でした。これをクリックして下さい。
2004.10.09
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1980年12月8日はザ・ビートルズファンにとっては忘れられない一日である。解説する必要もないがジョンが、自宅前のダコタハウスでマーク・チャップマンに暗殺されたのです。最後のひと言は「I HAVE BEEN SHOT(オレは撃たれた!)」です。その時はヨーコさんも一緒に隣に居て、ジョンだけが命を落としました。この時のヨーコさんの恐怖は計り知れないでしょう。チャップマンは2000年と2002年にも仮釈放申請をしたが却下された。ヨーコさんは自分とショーンやジュリアンの身の安全を考慮して強く反対したそうだ。チャップマンは懲りずに今回も仮釈放申請をだし、10月4日の週から審問が始まるそうだ。今回も却下されれば問題ないが結果がどう出るかは不明だ。だが既にネットでは一部のファンが、チャップマンが仮釈放されれば殺害すると息巻いているそうだ。当然だろう。第一白昼堂々銃で世界的著名人を暗殺しておいて死刑にならなかったのが不思議なくらいだ。ビートルズのメンバーの中ではジョンはカリスマ的な人気がある。ジョンのファンは日本も含めて世界中に居るから、たとえチャップマンが仮釈放されてシャバに出ても枕を高くして寝れる所は無人島以外にないだろう。いや、待てよ無人島に逃げ込んだら目撃者が居ないから、人知れずチャップマンは命を落としかねない。大のザ・ビートルズファンの私としてはチャップマンは一生牢屋にぶち込むか、さもなくば死刑にしてもらいたい。
2004.09.28
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人気blogランキングへ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━VOL.16▲△▲△■私の好きな曲16~ジョン・レノンの「ジェラス・ガイ」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■□■□■□■□■□■□■□□■□■□■□■□■【アーティストの略歴】今更ここで略歴を紹介するまでもないが、ジョン・ウインストン・レノンとして英国のリヴァプールで1940年10月09日に生まれた。生まれた時のミドルネームの「ウインストン」は、首相のチャーチルの名前でもありそれに因んで命名された。日本人の小野洋子と1969年に結婚したのを機に、ミドルネームを「オノ」に改めた。ザ・ビートルズのリーダーとして活躍して1970年の解散後は、「プラスティック・オノ・バンド」を率いて活動した。1975年に「主夫(House Husband)活動」に専念して音楽活動から遠ざかったが、1980年に再開した直後の12月にNYの自宅前でマーク・チャップマンの凶弾に倒れた。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━【この曲について】□ジョン・レノンの解散後の曲と言えば直ぐに「イマジン」「スターティング・オーバー」が取り上げられるが、この企画は「私が好きな曲」なので躊躇わずにこの曲にした。この曲はジョンにとって事実上の初ソロ・アルバムである、「ジョンの魂」の次に発売された名作「イマジン」に収録された。当然タイトル曲の「イマジン」が有名なのだが、3曲目に収録されたこの曲も名曲の誉れが高い。ブライアン・フェリーもこれをカバーしているので、比べてみるのも良いだろう。■この曲はピアノの音色のイントロから始まり、どことなく物悲しげな雰囲気が漂ってくる。そんな曲の雰囲気を終始損う事無く、バックにはストリングスが配されている。このストリングスに導入はプロデューサーのフィル・スペクターの仕事だろう。スペクターはご存知ザ・ビートルズの「レット・イット・ビー」をプロデュースしたことでポール以外の三人から信頼を得た。特にジョンとジョージは、この頃のソロ・アルバムのプロデュースを全面的に任せるほどだ。ジョンのヴォーカルは何時もの力強さは無くて、ここでは何か悩み事があるかのような雰囲気を醸し出す。ブライアン・フェリーのカバーも聴いたが、やはりこの雰囲気を表現するには至っていない。この辺の表現力の違いはポールとは明らかに異なる。○折角の名曲であり詞を大切にするジョンなので、曲全てでは無いが一部を私自身が訳してみたい。I DIDN'T MEAN TO HURT YOU(別に貴方を傷つける積りはなかったよ)I'M SORRY THAT I MADE YOU CRY(泣かせてしまって、御免よ)I DIDN'T WANT TO HURT YOU(貴方を傷つけたくなかったのに)I'M JUST A JEALOUS GUY(俺って、単に嫉妬深い奴なんだ)●この曲は元々は1968年のビートルズ時代のインド瞑想旅行中に「CHILD OF NATURE」の題で完成させて録音した。だがビートルズとしては結局発表されないでこのアルバム制作時に、歌詞の内容を書き換えて完成した。因みにこのアルバムには他に「GIMME SOME TRUTH」「OH MY LOVE」も同様に、ビートルズ時代に書いて今回のセッションで完成させた曲だ。ジョージやポールもこの頃、ビートルズ時代に発表されなかった曲を持ち出して完成させている。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━【ヒット・チャート】残念ながらこの曲はもう一つの世紀の名曲「イマジン」の影に隠れて、発売当時はシングル・カットされなかった。ジョンの死後にシングル・カットされたが、死後だった為かチャートには無関係に終わった。だがアルバムとしてのチャートでは見事に1位を獲得している。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━【最後に】名曲とは必ずしもヒットチャートの順位とは一致しないと思う。この「ジェラス・ガイ」は「イマジン」の影に隠れてはいるが、ジョンのチョッとはにかんだような気分が表現されていると思う。勿論、私がそう思うだけで他の人はどう思うかは分からない。だが一つ言えるのはこの歌詞は元々こうではなかったし、録音前に代えたということ。恐らく当時の洋子夫人と出会って、その時の自分が感じていることを素直に吐露したのかもしれない。ポールは、曲の中で一つの物語を作るのが得意だ。だがジョンは詞に自分の体験や、現在の心境や、メッセージ色の強い主張、架空のはちゃめちゃな意味不明な歌詞などを交えて曲にする。そうした点も踏まえて聴いてもらえると一ファンとてはうれしい。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━【編集後記】今回は久し振りにビートルズ関係の曲を取り上げて見ました。ポールの解散後のは一度取り上げたけど、ジョンのは今回が始めて。そうすると普通は「イマジン」と「想像」するでしょうが、私はこの曲の「雰囲気」がとても好きなので今回の企画に選らんでみた。ポールの「陽」な部分と、ジョンの「陰と激しさ」が重なって、ビートルズ時代は数々のヒットを連発していた。お互いがグループ解散して不安があったはずだ。だがそれをエネルギーに替えて音楽活動をしてきた2人。こうした当時の背景を頭の片隅に入れて聴いてもらえたら、私としては嬉しい限りである。最後まで読んでいただきありがとうございました。
2004.08.08
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昨日のスポニチ紙を見ていたらこんな記事の内容が大きく出ていた。オーストラリアのメルボルン近郊の古物市で、英国人男性が中古のスーツケースを約4,000円で購入した。そして嘘のような話だが、その中から現れたのはビートルズ関係のお宝ばかり。莫大な量の生写真やレコード、「非公開」と書かれたオープンリール・テープの数々が。テープの内容はジョンとポールの会話や、新曲のリハの様子が録音されているそうだ。気になるこの記事の真偽と元の持ち主は一体誰か?どうやらこれはビートルズのロード・マネージャー(ローディー)だったマル・エバンスの持ち物だったらしい。マル・エバンスの名前を聞いていきなりピンと来た人はかなりの通だ。映画「レット・イット・ビー」の冒頭でビートルズの楽器のセッティングを指示したり、「MAXWEL'S SILVER HAMMER」で歌詞カードを片手に金槌(ハンマー)を振り下ろしているメガネの人物だ。彼はビートルズが行く所には必ず動向しているし、スタジオでは紅茶を入れたり楽器のセッティングも手伝う何でも屋さんだ。解散後も暫くはビートルズと付き合いが続き、アルバム『RINGO』では曲のクレディットにも名前が載っている。そんな彼も1976年にガールフレンドとのトラブルが原因で、ロスで警察官に射殺されてしまった。その後彼のスーツケースがどういう経緯で今回南半球に辿り着いたかは不明だ。それに不思議なのは古物市に出品されていたスーツケースの中身は、何故ゆえに今回始めて分かったのか?いずれにしてもこのテープの中身がどの程度の価値があるものかは聴いてみないと判断が出来ない。昨年の暮れにもロスでビートルズが解散後に極秘に行った録音テープが発見されたとの報道もあった。こちらの方も真偽は分からないし、今回もまだまだ謎が多い。ただ一つだけ言えるのは、解散して34年を経ても未だに音楽界はビートルズの未発表の音源には関心を寄せていると言う事だ。ビートルズは偉大なり。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━30数年ぶりの体験今日30数年ぶりに歯医者さんに行ってきた。実は私はその30数年前に何度も歯医者さんに通い、散々いやな思いをしてきた。先週末から何だか歯が疼き始めていた。元元歯は余りいい状態ではないのは事実であったが、今週に入って夜になると疼きが「激痛」に変り寝不足に。月曜日に続き昨日も就寝前から痛み出し、市販の薬で痛みを散らしていた。だが何とか寝れたが徐々に痛みは激しさを増すばかりで寝れない。月曜日に続き昨日も徹夜状態で殆ど痛みで寝れなかった。これで遂に歯医者行きを決意!。会社を早退して自宅傍の歯医者さんに治療に行ってきた。今日は朝から痛みで会話も辛い状態で朝食も抜いた。最寄駅から徒歩で歯医者に向かったが、何と夕立に遭遇してびしょ濡れに。本当についてない時はとことんついていない。結局歯を開けたと同時に歯医者さんに長年歯医者に通っていなかったことを見抜かれた。麻酔をかけて神経を抜いて歯石の一部を除去して、そして上からかぶせて終わり。今ではやっと痛みも治まり、今日は今週の睡眠不足を補うべく早めに寝たい。
2004.07.15
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今日は日本では七夕だけど、元ザ・ビートルズのドラマーのリンゴ・スター(本名:リチャード・スターキー)の64回目の誕生日だ。ザ・ビートルズはジョン・レノンとジョージ・ハリスンが鬼籍に入ってしまっているので、存命中なのはポール・マッカートニーとリンゴの二人だ。ポールは5月から1ヶ月間と短期間ながら欧州ツアーを敢行したし、来年の2月来日説も飛び交っている。日本風に言えば還暦を過ぎても、若い奥さんとの間に子供が出来たし相変わらず元気いっぱいだ。一方のリンゴも一時体調を崩していたが、すっかりオール・スター・バンドでのツアーも定着している。リンゴ・スターはザ・ビートルズの中ではジョンと並んで年長ながら、最も遅く加入したので肩身は狭かった?。そんなリンゴがビートルズ時代にリード・ボーカルを担当するのはせいぜいアルバムのなかで1曲だった。それも初期はカバー曲やジョンとポールから曲を贈られたりして、完全なオリジナルは「ホワイト・アルバム」まで無かった。リンゴのビートルズ時代の代表曲といえば、「YELLOW SUBMARINE」「WITH A LITTLE HELP FROM MY FRIENDS」「OCTOPUS'S GARDEN」あたりだろうか。ソロ転向後は「PHOTOGRAPH」「YOU'RE SIXTEEN」等が馴染みのある曲だろうか?ソロ転向後のアルバムでは「RINGO」「GOOD NIGHT VIENNA」がセールス的にも内容的にもお薦めだ。ザ・ビートルズ解散後のリンゴは、その誰からも好かれる人柄から幅広い人脈を駆使して毎回豪華なミュージシャンがバックを固めている。そして息子のザックもドラマーとして活躍している。他の三人のビートルではジョージも付き合いが広かったが、リンゴにはかなわなかった。リンゴは一時破産状態に陥ってその窮状をポールが救った事があった。一説にはこの時の交換条件として、リンゴがポールのセッションに協力することがあった。もっともリンゴは他の三人とは常に良好な関係にあったから問題は無かったはずだ。ザ・ビートルズは解散してから既に34年が経過して、既にその現役時代を知る人は減ってきている。だが、ポールがウイングスや現在の様にツアーで世界を廻っているおかげで、過去のグループ扱いされていない。そしてリンゴにも出来る限りビートルズを次の世代に伝えるべく、活動をして欲しい。
2004.07.07
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今日6月18日はポール・マッカートニーの62歳の誕生日だ。ポールは現在短期間の欧州ツアーを敢行しているが、これは今までの欧州ツアーで廻れなかった都市を中心に廻るツアーである。今日は時差の関係もあるが18日はツアーはオフで、前日の17日にヘルシンキ(フィンランド)を終えて20日のサンクト・ペテルブルグ(ロシア)へ移動中のはずである。最終の26日は母国英国のグラストンベリーである。今回のツアーは前回のワールドツアーを踏襲したセットリストが基本で相変わらずビートルズ・ナンバーが大半を占めている。ウィングスのコンサートが二回も中止になった日本のファンは、ウイングスの曲も聴きたいのだがこちらは定番曲のみだ。だが今回の欧州ツアーではウイングス時代の曲の反応がいいことにポールも気を良くしているそうなので、こちらは次回以降に期待かな?。ポールは還暦を過ぎて再婚相手のへザー・ミルズさんとの間に子供が出来るなど、相変わらず精力的だ。本来は赤ん坊のぞ場に少しでも長く一緒に過ごしただろう。だがポールにはやはりミュージシャンの血が流れている。この時期の欧州は気候もいいのでツアーで廻るには適しているのではないか。今ではポールとリンゴの二人でビートルズを更に広めていく義務がある。リンゴも積極的にライヴをこなしているが、ジョン亡き後はやはりポールがツアーをしてビートルズの存在を広げるのは大いに賛成だ。リンゴには悪いけど彼にはこの約は無理だ。ポールの音楽と共に育ってきた私としては、ポールの体力が続く限り積極的にツアーで世界中を廻って欲しい。勿論、年内にでると言われている新曲も期待します。
2004.06.18
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【ポールの欧州ツアー】待望のポールの1ヶ月間の短期間の欧州ツアーが25日からスペインで始まった。今回の欧州ツアーはここ最近にツアーのような大規模のものとは違って、今までのツアーで行きそびれた所を中心に日程を組んだみたいだ。この時期の欧州は気候も良くて、還暦を過ぎたポールには体力的にも丁度良いだろう。蛇足だが、ジューン・ブライドとはこの6月の安定した気候の時期に結婚式を挙げると幸せになれるという欧州の慣習だ。だから梅雨の時期の日本には関係のないことなのだ。閑話休題。さて、そこで下記のセット・リストを見て興味のある方は是非私のBBSに書き込んで欲しい。このセット・リストは正に今現在のもので、ポールの過去の例からみてもこれを中心に進むだろう。ただポールはたまに数曲ご当地ソング?として、入れ替える事もあるので注意が必要だ。事前のリハーサルでも既にこれらの曲を演奏していて、曲目も個人的には把握していたので驚きは無かった。そのリハーサルではWINGS時代のも数曲演奏しているのだが、それらが実際にステージで披露される確率は低いと見ている。でもね、ポールの長いキャリアのなかでやはり一番輝いていたのはビートルズ時代なのは間違いない。それは下記のリストを見れば分かるが、殆どがビートルズのだ。これにはチョイト不満もあるのだ。でも今回のツアーが今まで訪問できなかった都市を中心にしているので、従来のセット・リストの大部分を踏襲しているのはやむを得ないのかも。それに現在は既に新譜用の録音は終えてミキシングを残すのみとなっている。それらの一部がステージで披露されるという噂もあるが、これもリハの時間不足から考えられないと思う。ここで取り上げている曲の大部分は過去のツアーでも演奏しているのが殆どだ。因みに今回のそれらの中では、「I'LL FOLLOW THE SUN」「HELTER SKELTER」(アンコールで演奏して果たしてポールの喉が持つかな?)「YOU WON'T SEE ME」「IN SPITE OF ALL DANGER」「FOR NO ONE」らが初登場だ。ソロ名義時代のでは「FLAMING PIE」が初登場だ。結局WINGS時代のは定番のしか演奏されないのは寂しい限りだ。日本公演を含むワールド・ツアーは当分は企画されない模様だが、今回のツアーの評判次第ではこの欧州ツアーが発展する可能性も無いとは言えない。【セット・リスト】Jet (bass)(WINGS)Got To Get You Into My Life (bass)(THE BEATLES)Flaming Pie (bass)(SOLO)All My Loving (bass)(THE BEATKES)Let Me Roll It (with Foxy Lady ending)(WINGS)You Won't See Me(THE BEATLES)She's A Woman(THE BEATLES)Maybe I'm Amazed (piano)(SOLO)The Long and Winding Road (piano)(THE BEATLES)(acoustic set )In Spite of All Danger (ザ・ビートルズデビュー前のポールとジョージの珍しい共作。アンソロジー1に収録)Blackbird (solo)(THE BEATLES)We Can Work It Out (fake-out)(THE BEATLES)We Can Work It Out (solo)(THE BEATLES)Here Today (dedicated to John - Paul solo)(SOLO)All Things Must Pass (dedicated to George with band)(GEORGEのSOLO時代のレパートリーで彼への追悼曲)Yellow Submarine (singalong)(これは恐らくワンフレーズだけ)I'll Follow the Sun (with reprise)(THE BEATLES) For No One (Paul sits at magic piano)(THE BEATLES)I'll Follow the Sun (reprise only)I've Just Seen a Face (acoustic)(THE BEATLES)Calico Skies (acoustic)(SOLO)Eleanor Rigby(THE BEATLES)Drive My Car (bass)(THE BEATLES)Penny Lane (bass)(THE BEATLES)Get Back (bass)(THE BEATLES)Band On the Run (bass)(WINGS)Back in the USSR (bass)(THE BEATLES)Live and Let Die (piano)(WINGS)I've Got a Feeling (guitar)(THE BEATLES)improvisational on piano introLady Madonna (piano)(THE BEATLES)Hey Jude (piano)(THE BEATLES)(encore)Yesterday (acoustic)(THE BEATLES)Let It Be (piano)(THE BEATLES)I Saw Her Standing There (bass)(THE BEATLES)(encore)Helter Skelter (bass)(THE BEATLES)Sgt. Pepper's/The End (guitar)(THE BEATLES)
2004.05.29
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人気blogランキングへ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■私の好きな曲2、~ポール・マッカートニー&ウイングスの「バンド・オン・ザ・ラン」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━【アーティストの略歴】改めてここで経歴を振り返る必要の無い人ではあるが、敢えて初心者向けに簡単に紹介する。ポール・マッカートニーは英国のリバプール出身で1942年6月18日生まれ。学生時代に故ジョン・レノンと出会いクオリーメンに参加する。その後ジョージ・ハリスンとリンゴ・スターが加わり、ザ・ビートルズとしてレコード・デビューを果たす。1970年にグループ解散後は1971年にウイングスを結成する。ウイングスは10年後に解散するが、その後はソロ名義で活動をして来月からは欧州ツアーが控えている。╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋【この曲について】『BAND ON THE RUN』作詞:作曲/PAUL McCARTNEY ▲ポール・マッカートニーが1973年にウイングスとして発表した曲で、同名タイトルのアルバムの冒頭を飾る。この曲は大きく分けて3つのパートから構成されていて、これはポールの曲に度々登場するパターンだ。冒頭の部分はリンダのシンセとポールのギターが交互に絡む展開で、その後にポールのボーカルが入る。その次のパートではギターが少しテンポアップして、「IF WE EVER GET OUT OF HERE」でこのパートは終わり。そしてここでオーケストラが入りアコギがこれからのパートを引っ張っていく。ポールのボーカルは徐々に力強くなってきて「FOR THE RABBITS ON THE RUN」と「BUT WE NEVER WILL BE FOUND」の部分は力を込めてシャウトする。○この曲はその後のポールのライヴでも重要な部分で演奏されて、ファンの間でも今でも人気が高い曲である。VENUS AND MARS発表後のOVER AMERICAツアー、1979年の英国ツアーでもアンコール前後に披露されていた。'80年の後半からワールド・ツアーを再開してからは、大量のビートルズ・ソングが採用されているがそれでもこの曲は必ず演奏される。★このアルバムの大部分はアフリカのナイジェリアで録音された。ところが録音の為に出発する直前にドラマーとギタリストの二人が脱退してしまう。出発を取りやめることはせずにとりあえずポール夫妻とデニー・レインの三人で録音した。ドラマーが抜けた穴はポール自らがドラムを担当したが、このドラミングには高い評価が下された。ポールはドラム、ギターも積極的に演奏してロンドンに戻ってからは、オーケストラをオーバーダビングして完成させた。☆解散後は他のメンバーの快進撃に押されていたポールだったが、このアルバムの完成度の高さで3人を一気に抜いた。曲の内容は『刑務所から抜け出して逃げて逃げる為に走りまくるんだ。そうしてバンドは走りまくって(BAND ON THE RUN)振り切って見せる。そして裁判官は怒りだすだろうが、僕らは決して捕まらないさ』と歌う。♪この曲の第二部に「IF I(WE) EVER GET OUT OF HERE」というフレーズがあるのは前の文章で紹介したけど、おぼえているかな?。このフレーズはビートルズの解散前に連日の会議に嫌気がさしたジョージが、ふと『ここから抜け出せたらな~』と呟いた言葉をポールが引用したのだ。#このアルバムにはこの曲以外にも名曲が目白押しだ。収録曲は9曲だが全ての曲の完成度が高くて、ポールの解散後の最高傑作と言っても過言ではない。2曲目の「JET」3曲目の「BLUEBIRD」までの流れは文句のつけようが無い。このアルバムからは最近のツアーでも「JET」「LET ME ROLL IT」が披露されている。デニーとの共作の「NO WORDS」はポールのチョッと苦しそうなファルセットも聞けるし、これは'79年の英国ツアーで披露された。その他ではチョッとアフリカのリズムを取り入れて「MAMUNIA」や「MRS.VANDEBILT」もリズム感があってメリハリが利いている。是非、このアルバムはお薦めだから未聴な方はすぐにでもCDショップに駆け込んでね。╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋【ヒット・チャート】'73年の12月にアルバムは発売されてシングル・チャートでは翌年6月に1週1位を獲得。アルバムの方は通算4週間1位を獲得した。バンド・オン・ザ・ランの前に第一弾シングルとしてリリースされた「JET」は7位だった。'74年のグラミー賞では最優秀ポップ・グループと最優秀録音(受賞者はジェフ・エメリック)の二部門で授賞した。╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋【最後に】ポールは'70年代をウイングスの活動に力を注いできた。その中で今回紹介したアルバムと、その後'75年の『VENUS AND MARS』の二枚が一番勢いがあった。当然この後のツアーでは日本公演が決まっていたが、直前に法務省が過去の麻薬逮捕歴を理由に査証を取り消したので中止となった。当時全盛だったウイングスのライヴが武道館で見れなかったのは残念。結局その後の'79年の日本公演も成田空港で麻薬所持の現行犯で逮捕されたのでパアー。是非、'70年代のポールを知りたければ上で紹介した二枚を聴いて下さい。当時のポールの勢いと音楽の完成度の高さを感じる事でしょう。╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋╋【編集後記】今回はポールの'70年代を代表する曲を取り上げてみました。当分は'70年代のロックの名曲を取り上げる予定です。それでは予告編として今後考えているのは...。(順不同)1.STAIRWAY TO HEAVEN2.HOTEL CALIFORNIA3.KILLING ME SOFTLY WITH HIS SONGです。最後までお付き合い戴いて感謝しております。
2004.04.25
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元ビートルズのジョン・レノンがニューヨークで、暗殺された直前15分前のサインがインターネット・オークションに出展された。買い手はまだ出ていないが約3,250万円で売りに出された。ジョン・レノン関連では髪の毛がやはり売りに出されて、高額で取引きされていた記憶がある。今回のこのサインは今日の夕刊に掲載されていたが、このサインには現在来日中(里帰り中?)のオノ・ヨーコさんのも一緒にある。ビートルズ関連のこの手のオークションでは、やはりジョンのが一番高額になる傾向が高い。中には本人達が知らないうちに売りに出されて、オークションで買い戻すといったこともある。そしてこれらの落札者の氏名は公表されないケースが多いが、この中には日本人もかなりの数が含まれているとの噂も流れる。果たして今回のオークションはどんな結果になるのだろうか?。
2004.04.20
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ポールのツアー再開が5月から欧州で短期間ながら行われる。このツアーは今のところ5月~6月の間の短期間の日程しか発表されていないが、一部ではロシアとブラジルでの公演の実現もささやかれている。この公演がその後ワールドツアーに発展して、アメリカや日本でも公演を行うかは未定だ。ポールは昨年に待望の後妻へザーさんとの間の赤ちゃんが生まれたから、今回の公演も恐らく欧州のみに留まるのかも?。まだどんなセットリストになるのかは想像が付かない。でも自分はWings時代からほぼ同時進行で聴いていたから、やはり'70年代を多くセットリストに入れて欲しいですね。何せWINGSの公演は日本で2回も流れているから、最近のポールはリンダの死から意図的にWINGS時代のを減らしているのかな?。日本のファンにはやはり幻になったWINGS時代のを増やしてほしい。それに'80年代のでもライヴ受けするのがあるからそういったのも入れて欲しい。ねえ、ポール聴いてる!。【ポールのライヴに期待したいセットリスト】1.VENUS AND MARS(1975)2.ROCK SHOW(1975)3.JET(1973)4.EVERYNIGHT(1970)/ANOTHER DAY(1971)5.OB-LA-DI OB-LA-DA(1968)6.YOUR MOTHER SHOULD KNOW(1967)/WHEN I'M SIXTY-FOUR(1967)7.GETTING CLOSER(1979)8.TAKE IT AWAY(1982)9.AND I LOVE HER(1964)/I WILL(1968)10.NO MORE LONELY NIGHTS(1984)11.LET ’EM IN(1976)12.LITTLE LAMB DRAGONFLY(1973)13.OH DARLING(1969)14.HELTER SKELTER(1968)15.BEWARE MY LOVE(1976)16.WHAT YOU'RE DOING(1964) 17.YOUNG BOY(1997)18.HOPE OF DELIVERANCE(1993)19.I’M DOWN(1965)20.LISTEN TO WHAT THE MAN SAID(1975)21.CAFE ON THE LEFT BANK(1978)/I'VE HAD ENOUGH(1978)22.GOT TO GET YOU INTO MY LIFE(1966)23.DAYTIME NIGHTIME SUFFERING(1979)24.MOTHER NATURE’S SON(1968)25.BEAUTIFUL NIGHT(1997)/C'MON PEOPLE(1993)26.CALICO SKIES(1997)27.GOODNIGHT TONIGHT(1979)28.BAND ON THE RUN(1973)29.LIVE AND LET DIE(1973)----------ENCORE--------30.MULL OF KINTYRE(1977)31.JUNIOR’S FARM(1974)/HI HI HI(1972)32.SILLY LOVE SONG(1976)33.THE FOOL ON THE HILL(1967)--------ENCORE2--------34.PRESS(1986)/STRANGLEHOLD(1986)35.TOMORROW(1971)/EAT AT HOME(1971)36.BACK SEAT OF MY CAR(1971)37.ALL TOGETHER NOW(1969)独断と偏見で自分の好みでこんな曲を演奏してくれたら最高だと、思える曲をリストアップしてみた。既に最近の定番になっている曲は極力減らした。LET IT BE,HEY JUDE,YESTERDAY,LADY MADONNA等のビートルズ時代のや、MY LOVE,COMING UPも外したのはそういう理由から。
2004.03.18
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【ジョージ・ハリスン誕生とビートルズ結成まで】2月25日は故ジョージ・ハリスンの生きていれば62回目の誕生日だ。1943年に4人兄姉の末っ子として生まれたジョージは、1歳年上のポール・マッカートニーと友人関係にあった。ジョン・レノンがポールと知り合った後に、ポールの紹介でジョージと会った。最後にビートルズに加入したリンゴ・スターは前任者のピート・ベストの後に加入したが、それはジョージの助言があったからだった。こうして4人がロックバンドを組んでザ・ビートルズは誕生した。ビートルズの活躍期は改めて書き記す必要は無いだろうが、今日はジョージの誕生日だからジョージのグループ内での貢献を中心に書いて見たい。【ビートルズとしてのジョージ・ハリスン】ジョンとポールの二人が余りにも偉大だった為か、グループ内では最年少のジョージは目立つ存在ではない。曲作りも二人の足元にははるかに及ばなかったが、アルバムで言えば「HELP!」からはオリジナルを必ず1枚に2曲以上を提供してきた。最初の頃のジョージの作風は、明らかにジョンの作風をなぞったかのような曲が中心だった。ジョージの声はジョンの様なパンチ力に欠けているので、ジョンとポールの二人がバックでコーラスを付けてカバーしていたのが印象的だ。「IF I NEEDED SOMEONE(RUBBER SOUL)」なんかはその典型ではと思える一曲だ。【インド音楽との出会い】そんなジョージの転機となったのがインド音楽との出会いだった。アルバム「RUBBER SOUL」のなかの『NORWEGIAN WOOD』ではシタールを始めて録音に使った。「REVOLVER」では『LOVE YOU TO』で始めて本格的なインド音楽に取り組んだ。バックにもインド人の音楽家をスタジオに招いて録音された。この路線は1967年になっても活発化していき、ビートルズはジョージの強い勧めでインドに瞑想旅行に行ってきた。だが他の三人にとっては退屈だったのか、インドに行ったが程なくして戻って来た。このインド行きの成果といえば暇だった時間が多かったので、曲作りに専心して後に「WHITE ALBUM」として2枚組で発売された事だろうか。【交友関係】ビートルズの中では最も外部との交友が活発だったのがジョージだ。『WHILE MY GUITAR GENTLY WEEPS』ではエリック・クラプトンをスタジオに招いて、尻込みするクラプトンにギターをプレイするように進めたのもジョージだ。ジョージとクラプトンとは公私に渡る長い付き合いがこの頃から始まった。『LET IT BE』ではキーボード・プレイヤーのビリー・プレストンを、レコーディング・セッションに招いたのもジョージだ。映画ではプレストンがジョージの隣でオルガンを弾いている様子が写っている。『ANTHOLOGY』シリーズのプロデューサーには当初ポールが渋っていたが、ジョージとの交流で信用していたジェフ・リン(ELO)を起用したりしていた。他にはボブ・ディラン、スティーブ・ウインウッドらの大物との交流もある。ポールは演奏からプロデュースまで全て自分が仕切らないと満足しないが、ジョージにはそういったところが見られないのも交流の広さに繋がっているのだろう。【代表曲】ジョージのダーク・ホース時代のアルバムのCDは長い間廃盤になっていたが、昨日ボーナス・トラック入りで再発されたので是非聴いてほしい。ジョージのキャリアを通して代表曲といえば、「TAXMAN」「WHILE MY GUITAR GENTLY WEEPS」「HERE COMES THE SUN」「SOMETHING」が真っ先に思いつく。ソロ時代には「MY SWEET LORD」「WHAT IS LIFE」「LIVING IN A MATERIAL WORLD」「ALL THOSE YEARS AGO」「GOT MY MIND SET ON YOU(カバー曲)」等があげられる個性的な曲は多いがジョンやポールとは一線を引いた曲調は、直ぐにジョージのそれと分かる。ジョンとポールだけの曲にジョージの個性が混じって始めてビートルズだと言える。あえて言うならジョンのスタイルに近いとも表現出きる。ジョージの歌詞もジョンの歌詞も、どこか宗教的で内省的な部分があい難解な意味を曲に込めているのは共通項だろう。ポールとは全く作風が違うが、「HERE COMES THE SUN」はポールが書いても違和感がない曲かも。
2004.02.25
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グラミー賞の授賞式からすでに1週間以上過ぎましたが、音楽界の最も権威のある賞はグラミー賞と呼ばれています。その選考基準は一般の売り上げ枚数や、ヒットチャートとは関係なく業界人の投票で決まるシステムだ。一般ファンには分かりづらいシステムなので、年によっては受賞者によっては賛否両論が噴出することも稀ではない。更にグラミー賞は初期の頃は、米国勢に偏っているとの批判も多く英国勢は売り上げが良くても授賞できない事も多かった。そんな中であのザ・ビートルズも思ったほど授賞はしていない。下記のリストを見ても分かるとおり、ビートルズは数多くの部門でノミネートされながらも授賞数は少ない。ここではグループとしてと、解散後のソロ活動時期と授賞歴を分けてみた。尚、解散後のソロ活動期は明日以降。■THE BEATLES1964年 ノミネート 最優秀レコード 『I WANT TO HOLD YOUR HAND』授賞→イパネマの娘、スタン・ゲッツ&アストラッド・ジルベルト1964年 ノミネート 最優秀楽曲 『A HARD DAY’S NIGHT』授賞→ハロー・ドーリー、ジェリー・ハーマン1964年 ノミネート 最優秀オリジナル・スコア(映画、TV部門) 『A HARD DAY’S NIGHT』授賞→メリー・ポピンズ1964年 ノミネート 最優秀ロックン・ロール・レコード 『A HARD DAY’S NIGHT』授賞→恋のダウン・タウン、ぺトゥラ・クラーク1964年 授賞 最優秀新人1964年 授賞 最優秀ボーカル・グループ1965年 ノミネート 最優秀レコード 『YESTERDAY』 授賞→蜜の味、ハーブ・アルパート&ティファナ・ブラス1965年 ノミネート 最優秀アルバム 『HELP!』授賞→セプテンバー・オブ・マイ・イヤーズ、フランク・シナトラ 1965年 ノミネート 最優秀楽曲 『YESTERDAY』授賞→いそしぎ、ポール・フランシス・ウェブスター&ジョニー・マンデル 1965年 ノミネート 最優秀ボーカル・グループ授賞→アニタ・カー・シンガーズ1965年 ノミネート 最優秀オリジナル・スコア(映画、TV部門) 『HELP!』授賞→いそしぎ、ジョニー・マンデル1965年 ノミネート 最優秀アレンジメント 『YESTERDAY』(ジョージ・マーティン)授賞→楽しかったあの頃、ゴードン・ジェンキンス(フランク・シナトラ)1965年 ノミネート 最優秀コンテンポラリー(R&R)シングル 『YESTERDAY』(ポール・マッカートニー)授賞→キング・オブ・ザ・ロード、ロジャー・ミラー1965年 ノミネート 最優秀男性コンテンポラリー(R&R)歌手 『PAUL McCARTNEY』授賞→ロジャー・ミラー1965年 ノミネート 最優秀コンテンポラリー(R&R)グループ授賞→スタットラー・ブラザーズ1966年 ノミネート 最優秀アルバム 『REVOLVER』授賞→マン・アンド・ヒズ・ミュージック、フランク・シナトラ1966年 ノミネート 最優秀男性歌手 ELEANOR RIGBY『PAUL McCARTNEY』授賞→夜のストレンジャー(フランク・シナトラ)1966年 ノミネート 最優秀コンテンポラリー(R&R)レコード 『ELEANOR RIGBY』授賞→ウインチェスターの鐘(ニュー・ヴォードビル・バンド)1966年 ノミネート 最優秀アレンジメント 『ELEANOR RIGBY』(ジョージ・マーティン)授賞→夜のストレンジャー、アーニー・フリーマン(フランク・シナトラ)1966年 授賞 最優秀楽曲 『MICHELLE』(JOHN LENNON&PAUL McCARTNEY)1966年 授賞 最優秀コンテンポラリー(R&R)歌手 『ELEANOR RIGBY』(PAUL McCARTNEY)1967年 ノミネート 最優秀ボーカル・グループ授賞→フィフス・ディメンション1967年 ノミネート 最優秀コンテンポラリー・グループ授賞→フィフス・ディメンション1967年 ノミネート 最優秀アレンジメント 『A DAY IN THE LIFE』授賞→ビリー・ジョーの唄(ジミー・ハスケル)1967年 授賞 最優秀アルバム 『SGT.PEPPER’S LONELY HEARTS CLUB BAND』1967年 授賞 最優秀コンテンポラリー・アルバム 『SGT.PEPPER’S LONELY HEARTS CLUB BAND』1967年 授賞 最優秀録音 『SGT.PEPPER’S LONELY HEARTS CLUB BAND』(ジェフ・エメリック)1967年 授賞 最優秀アルバム・カバー(グラフィック) 『SGT.PEPPER’S LONELY HEARTS CLUB BAND』(ピーター・ブレーク&ジャン・ハワース)1968年 ノミネート 最優秀レコード 『HEY JUDE』授賞→ミセス・ロビンソン(サイモン&ガーファンクル)1968年 ノミネート 最優秀アルバム 『MAGICAL MYSTERY TOUR』授賞→恋はフェニックス(グレン・キャンベル)1968年 ノミネート 最優秀楽曲 『HEY JUDE』(JOHN LENNON&PAUL McCARTNEY)授賞→青い果実(ボビー・ラッセル)1968年 ノミネート 最優秀コンテンポラリー・ポップ・グループ授賞→サイモン&ガーファンクル1969年 ノミネート 最優秀アルバム 『ABBEY ROAD』授賞→血と汗と涙(ブラッド・スウェット&ティアーズ)1969年 ノミネート 最優秀コンテンポラリー・グループ授賞→フィフス・ディメンション1969年 ノミネート 最優秀オリジナル・スコア(映画、TV) 『YELLOW SUBMARINE』授賞→明日に向かって撃て(バート・バカラック)1969年 授賞 最優秀録音 『ABBEY ROAD』(ジェフ・エメリック&フィリップ・マクドナルド)1970年 ノミネート 最優秀レコード 『LET IT BE』授賞→明日に架ける橋(サイモン&ガーファンクル)1970年 ノミネート 最優秀コンテンポラリー・グループ授賞→カーペンターズ1970年 ノミネート 最優秀コンテンポラリー・ソング 『LET IT BE』(JOHN LENNON&PAUL McCARTNEY)授賞→明日に架ける橋(ポール・サイモン)1970年 授賞 最優秀オリジナル・スコア(映画、TV) 『LET IT BE』(JOHN LENNON&PAUL McCARTNEY)1996年 授賞 最優秀ポップ・グループ1996年 授賞 最優秀短編ビデオ 『FREE AS A BIRD』(ザ・ビートルズ&ジョー・ピトカ)1996年 授賞 最優秀長編ビデオ 『THE BEATLES ANTHOLOGY』(ザ・ビートルズ、チップス・チッパーフィールド&ジェフ・ワンダー)
2004.02.17
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サンケイスポーツ紙が報じた所によると、ポール・マッカートニーが世界ツアーを年内にも再開するらしい。記事ではポールはライヴ活動から撤退すると発言していたかの様に書いていたが、実際は子供の誕生で本年はライヴ活動はしないと言っただけだと記憶している。生来のライヴ好きのポールだから、完全撤退なんて無いとは思っている。第一ビートルズ時代に一度はライヴ活動からの撤退を表明したが、ポールだけは根強く再開を主張していた。GET BACK SESSIONはそんなポールのアイデアを取り入れて、レコーディングを始めたが上手く纏まらずに、最終的に「LET IT BE」として発売された。期待されたライヴの再開も「ルーフ・トップ」での非公開演奏だけが映像とアルバムに記録されただけに終わった。最近のポールは以前とは違って、スタジオ新作のリリースの間隔があくようになった。その間は世界規模でのコンサートをしているのでやむを得ないことではあり、ライヴ盤がその合間を埋める格好だ。ビートルズは既にジョンとジョージが鬼籍に入っているので、ポールにかかる期待は大きい。ポールが’80年代後半から積極的に行っている世界ツアーで、ビートルズ・サウンドが忘れられずに更に新たなファンを開拓する役目を果しているのは大きい。もし世界ツアー再開が発表されれば、今までの慣例どおりに日本にも秋口以降に来ると期待される。その前に発表されるであろう新作を携えて、どんなセットリストで世界を廻るのか想像するだけでもワクワクする。ビートルズ・ソング中心になるだろうが、我々日本のファンは二度も幻に終わってしまった「WINGS」時代の曲も積極的に披露して欲しい。個人的には「SILLY LOVE SONGS」「LISTEN TO WHAT THE MAN SAID」「BEWARE MY LOVE」「GETTING CLOSER」「VENUS AND MARS~ROCK SHOW」等のWINGS時代の曲や、「TAKE IT AWAY」「YOUNG BOY」「NO MORE LONELY NIGHTS」等のソロ名義時代の曲も取り上げて欲しい。
2004.01.19
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「HAPPY CHRISTMAS(WAR IS OVER)」は1971年に発表されたジョン・レノンとヨーコ夫人連名によるナンバー。今や、この曲がロックのクリスマス曲の最定番曲でしょうね。あくまでも売り上げ枚数とかのレベルではなくて。イラクでは戦争がまだ完全に終わっていません。何時になったら「WAR IS OVER」と言えるのでしょうか?。そしてその日はいつなのかな~。今日はこの曲の歌詞を掲載するので、自分の言葉はこれ以上不要でしょう。人気blogランキングへ『HAPPY CHRISTMAS(WAR IS OVER)』(YOKO ONO/JOHN LENNON)SO THIS IS CHRISTMAS,AND WHAT HAVE YOU DONEANOTHER YEAR OVER,AND A NEW ONE JUST BEGUNAND SO THIS IS CHRISTMAS,I HOPE YOU HAVE FUNTHE NEAR AND THE DEAR ONE,THE OLD AND THE YOUNG■CHORUS■A VERY MERRY CHRISTMAS AND A HAPPY NEW YEARLET’S HOPE IT’S A GOOD ONEWITHOUT ANY FEAR■CHORUS■AND SO THIS IS CHRISTMASFOR WEAK AND FOR STRONG,FOR RICH AND A POOR ONETHE WORLD IS SO WRONGAND SO HAPPY CHRISTMASFOR BLACK AND FOR WHITE,FOR YELLOW AND RED ONESLET’S STOP ALL THE FIGHT■CHORUS繰り返し■AND SO THIS IS CHRISTMAS,AND WHAT HAVE WE DONEANOTHER YEAR OVER,AND A NEW ONE JUST BEGUNAND SO HAPPY CHRISTMASWE HOPE YOU HAVE FUNTHE NEAR AND THE DEAR ONE,THE OLD AND THE YOUNGA VERY MERRY CHRISTMAS AND A HAPPY NEW YEARLET’S HOPE IT’S A GOOD ONEWITHOUT ANY FEARHARE RAMA,IF YOU WANT IT...←「ジョン・レノン」関連のブログ満載!←西武ライオンズのことならここ←「プロ野球、メジャーリーグ」の情報満載人気blogランキングへ←映画の話題がザクザク
2003.12.23
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今日の読売新聞の夕刊に、ビートルズが1976年に密かにレコーディングをしていたという、驚愕の事実の記事が掲載された。 ビートルズは解散から6年後の1976年に、ひそかに再結成し、新曲5曲を録音していた――。米オンライン競売商モーメンツ・イン・タイム社は16日、1970年に解散したビートルズの元メンバー4人が76年11月2日に米ロサンゼルスのスタジオにこっそり集まり、新曲を録音した事実を示す証拠のテープが存在していることを明らかにした。 但し、レコーディングは進められたもののメンバー間の不和で完成には至らなかった。それどころかスタジオを飛び出してしまって、この事実そのものを封印して録音曲も殆どが消去されたそうだ。だが記事が伝える所によれば、何故かロンドンのアビー・ロード・スタジオに未消去版が存在するかも知れないと、紹介しているが確認はされていないそうだ。今回のこの暴露内容は恐らく知られていなかっただろうから、事実なら凄いことだ。この時期はジョンもLA近辺で「失われた週末」を過ごしていたから、この記事もあながち嘘ではないかも。だが肝心のポールとリンゴのコメントが無いので、この日の様子と何でこの日にスタジオに集合したのかは不明だ。もしかしたら本気で新譜を出す予定だったのか?。更に確かこの頃は、何処かのプロモーターがビートルズ再結成コンサートとライヴ盤発売を持ちかけていた時期だ。それと関係が有るのかも今では、二人の元ビートルがコメントしない限り分からない。今後、この記事の真実が判明するのかな?。 このテープは近く競売にかけられるそうだが、内容はどうなのかな、殆ど消去されているそうだから発売は無いと思うが。■記事を転載■’70年に解散を発表したザ・ビートルズのメンバー4人が、’76年に再集結しLAでレコーディング・セッションを行なっていたという事実を示す証拠テープがインターネット・オークションにかけられることとなった。4人は、’76年11/2にLAにあるダヴレン・スタジオで、「Happy Feeling」「Back Home」「Rockin Once Again」「People Of The Third World」「Little Girl」というタイトルの新曲5曲をレコーディングしており、その際のテープとレコーディング・リストがこのたびオークション・サイトmomentsintime.comで競売にかけられるという。なお、このセッションはうまくいかず、4人がスタジオから飛び出す形で終了したという。このオークション・サイトによれば、バンド側が秘密を保つよう主張したため、テープの中身はほとんど消去されているとのことだが、ロンドンのアビー・ロード・スタジオには中身が消去されていないテープも存在するのではないかとウワサされている。一方、ポール・マッカートニーのスポークスマンは、「その再結成とはどのことを指しているのですか? ’70年代にビートルズが再結成したとは認識していません」と語っている。 ■後日談 1月10日→その後この記事に関する二人のビートルのコメントは無い。結局は当事者の二人が何かしらのコメントを出さないと真相は藪の中だ。
2003.12.17
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「PLEASE PLEASE ME」「I SAW HER STANDING THERE」「TICKET TO RIDE」「TILL THERE WAS YOU」「I WANT TO HOLD YOUR HAND」今週のニュースステーションで23:00頃から、ザ・ビートルズのライヴ映像を放映していた。これはアメリカでの人気番組、「ED SULLIVAN SHOW(エド・サリヴァン・ショー)」がDVD化されるのにあわせての放映だ。上記の5曲が放映されて、これらは1964年から1965年までの間に番組に出演した時のものである。この時代はザ・ビートルズの米国での人気が絶頂期の時代であった。映像を見ても分かるように、演奏中に終始若い女性の黄色い声に包まれて歌うのでやりづらかっただろう。当時は今みたいに音響設備が発達していなし、ステージ上にはモニターも置いていない様だ。そんな中でも彼らは、多くのファンの前で嫌な顔一つせずに笑顔で歌っている。ヴォーカル担当のジョンとポールの熱唱姿や、ジョージやリンゴの演奏姿は当時のアメリカで75%の人達が観たと言われている。この75%の日だけはNYCでの犯罪率が史上で最も低かったとのもう一つの伝説もある。行く先々でファンを虜にしていった彼らも、段々と自分達の演奏や歌声が直に伝わらない事に失望して、1966年の8月のサンフランシスコでのライヴをもって演奏旅行から身を引いた。武道館公演はそんな彼らのライヴ活動の最後の方だったが、無事に務め上げた。大きな混乱も無かった武道館公演もその直後のフィリピン公演では、連絡ミスからマルコス大統領主催の夕食会に出席せずに、大きなトラブルとなってしまった。そしてこれ以降一切の活動は、レコード製作だけに限定されていくのであった。だが例外があって、先月再リリースされた「LET IT BE...NAKED」は当初は、観客の前で歌う事を前提としたアルバムだった。しかし諸事情により断念し、ビルの屋上で非公開に行ったライヴを映画に収録しただけに終わってしまった。今回のNステでは、その1969年の上記のアルバムから「GET BACK」と「DON’T LET ME DOWN」も放送していた。前者はスタジオでの演奏シーンと打ち合わせ中の映像。後者はその屋上での演奏シーンだ。こうして見て来ると、既に何千回と彼らの曲を耳にしたが、何時聞いてもその都度新鮮さを感じる。今でも彼らの音楽は古臭さを感じさせない魔法が存在する。もしこれらの曲を全く知らない人に聴いてもらっても、30~40年前の音楽とは思えないだろう。今回のNステの映像を見て、20代前半の若若しい姿を観れてまた感動を新たにした。でもやっぱりジョンとジョージが既にこの世の中にいないのは、返す返す残念である。
2003.12.12
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JOHN ONO LENNON(1940.10.09-1980.12.08)生 誕 地:イギリス・リバプール死に場所:アメリカ・ニューヨーク家 族:小野洋子夫人、SEAN太郎(ショーン、日本名太郎)シンシア(最初の夫人)、JULIAN LENNON12月8日はザ・ビートルズのJOHN LENNONがニューヨークの自宅前で、マーク・チャップマンに暗殺された日であります。1980年の12月8日はこのニュースが世界中を駆け巡り、深い悲しみに包まれた。ジョンは主夫時代にピリオドを打つべく、「DOUBLE FANTASY」を発売した直後であり、日本公演の日程も決まっていて発表を待つばかりとなっていた。20年以上が経ってその犯人の仮釈放請求は、洋子さんの訴えも有って却下されているがこれは当然の事だ。。最近になってどういうルートだか分からないが、ジョンが死の直前に犯人の差し出した新譜にサインをした、その写真は当時も公開されていたがそのサインされた新譜がこのほどオークションに掛けられているそうだ。このサインは長年行方不明と言われていてが、出所は分かっていない。生前のジョンは暴力によって命を奪う事にとても憂慮していました。そんなジョンがテロとも言うべき<暗殺>で命を落とした事は、彼自身も残念だった事でしょう。『POWER TO THE PEOPLE』で声を上げて訴える事を教え、『GIVE PEACE A CHANCE』では平和になる機会を与えろとシンプルな、だがインパクトの強いメッセージを我々に伝えてきた。『IMAGINE』では俺の事を夢追い人と呼んでもいい、しかしそれは自分だけじゃないさと歌い、更にいつか君にも分かる時が来るさと締めくくる。『LOVE』ではシンプルな言葉で男女間の愛を歌っている(9/14の日記参照)。そしてこの時期になると必ず世界中のラジオ局でオンエアされる、『HAPPY CHRISTMAS(WAR IS OVER)』だ。クリスマス・ソングとして今では70年代を代表する定番曲だが、貴方が望めば戦争は終わると説いているが...。もしジョンが生きていたらどんな風に思うかな?。ジョンのこういったメッセージ色が強い曲は、ザ・ビートルズ在籍時よりはソロになってからの方が目立った。ポールがいた頃はやはり政治色が強い曲は敢えて避けていたふしがある。『REVOLUTION』はそんな中でも政治色が前面に出た数少ない曲だ。ジョンは今では音楽界を超えて20世紀を代表する<偉人>として、世界中で認知されている。ジョンはその死に方がロック・スターらしからぬ死に方も含めて、グループ時代からも思った事をズバリ発言してきて良くも悪くも世界中から常に注目を浴びてきた。そんなジョンが自らの存在感の大きさを逆手に取って、<平和な世の中>の実現へ向けて大きな力となってきたのは否定できない。ジョンが今でも存命であれば、ノーベル平和賞も夢ではなかったかもしれない。そんなジョンの生前の願いも虚しく、今でも地球上では紛争が絶えず発生している。最近でもイラク、アフガニスタン、コソヴォ、グルジア、チェチェン、北朝鮮等で緊張が続いている。人類の歴史は戦争の歴史でもあるが、これではジョンの願いは何時までたっても叶わない。どんなに些細な事でも常に自分には地球に対して、或いは地域に対して、国に対してどういう貢献が出来るかを考えたい。それにはそれを実現しようとする行動力が必要だ。それがジョンが生前に望んでいた事ではないかな...。そう言って想像(IMAGINE)していればいつか実現出来る。
2003.12.08
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♪CHRISTMAS TIME(IS HERE AGAIN)~THE BEATLESザ・ビートルズが活動時期にクリスマス曲を発表していたのは、日本のファンには意外と知られていない。日本のファンは当時ファン・クラブにどれだけ加入していたかは不明なので。一部のファンには海賊盤で馴染んでいる方も(私はこの海賊盤は買っていない)いたようだが。1963年から1969年の間に、ファン・クラブ会員対象に自作曲を録音して配布していた事実がある。これらの全ての曲が聴けるわけではないが、アンソロジー・プロジェクトの一環として、シングル発売された「FREE AS A BIRD」に収録されている。ここには1967年に録音された簡単な曲に、最後に1966年に録音された4人のメッセージが一緒になって収録されている。曲調はシンプルで4人がひたすら同じフレーズを歌う。♪CHRISTMAS TIME IS HERE AGAIN♪この題を楽しそうに歌いまくり、途中でメッセージが挿入される。エンディングのこれとは違うメッセージは、PAUL,JOHN,GEORGE,RINGOの順番に入る。それが終わったあとに何だか妙なJOHNによる朗読があってから終わる。RINGOが自分のX’MASアルバムでこれをセルフ・カバーしている。曲のクレディットは4人全員の名義になっている。このシングルは今ではCDショップでも置いていないところが多いので、オンライン・ショップで確認するのがいいかな?。~参考~解散後のソロ時代にメンバーが吹き込んだX’MAS曲関連。1.JOHN/HAPPY CHRISTMAS(WAR IS OVER)♪1971解説する必要も無い今では定番曲となった一つ。2.PAUL/WONDERFUL CHRISTMAS TIME♪1979 RUDOLPH THE RED NOSED---REGGAE♪1979ポールがウイングス時代にソロ名義で、全て自分で演奏して発表した曲。赤鼻のトナカイはインストでレゲェー風にアレンジした。 12/01の日記を参考に。3.GEORGE/作品なし。4.RINGO/I WANNA BE SANTA CLAUS♪1999オリジナルと定番曲と合わせて12曲を歌っている。4人の中では唯一アルバム単位で発売している。
2003.12.06
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ワンダフル・クリスマス・タイム12月に入って早いもので1ヶ月経てば2004年を迎える事になりますね。その前には天皇誕生日~X’MASと仏教国の日本には関係ないですが、やはりクリスマスは今では日本でも定着した<行事>です。そんなX’MASを迎えるに当たって、やはりX’MASソングは重要なアイテムです。キリスト教国の欧米には素敵な曲が溢れていて、毎年の様に大物アーチストや新進のアーチストのホリデイ・アルバムがリリースされる。それらの曲にはやはりキリスト教への信仰が根底にあるのは、見逃す事の出来ない事実です。さらにX’MAS曲は元を辿れば<賛美歌>から一部来ているのも事実ですね。♪WONDERFUL CHRISTMAS TIME(1979)/PAUL McCARTNEY♪この曲はポール・マッカートニーがまだウイングス時代に、ウィングスをバックに録音をして発表したが、発表時の名義はポール個人の名前になっている。相棒のジョンは既に1971年にクリスマス・ソングを発表していた。あまり知られていないが、ザ・ビートルズ時代にはファンクラブ会員用に毎年配布される、プレゼント用のレコードでクリスマス・ソングを作っていた。ジョンが平和のメッセージを託した曲を発表したのに対して、ポールは<皆で楽しいクリスマスを過ごしている>様子を歌っている。演奏やアレンジもクリスマスのベルやコーラスの多重録音等で、それらしい雰囲気を醸し出している。この曲は最近では、アイドルのHILARY DUFF(ヒラリー・ダフ)が賑やかにカバーしている。この曲はポールのウイングス名義の同時期のアルバム『BACK TO THE EGG』にボーナス・トラックとして含まれている。更に、クリスマス関係のオムニバス・アルバムにも含まれているケースが多い。ポールはシングルでこの曲を発表して、当時はB面にインストで『赤鼻のトナカイ---レゲェー・バージョン』が収録されていた。このインストは全てポールが演奏をしているけど、チョッとトロピカル?なX’MASソングだ。ジョンの『HAPPY CHRISTMAS(WAR IS OVER)』と共に聴いてもらいたい。そうすれば二人のカラーの違いが良く分かるよ。人気blogランキングへワンダフル・クリスマス・タイム(1979)/ポール・マッカートニー■歌詞■Bb Dm/BbThe mood is rightBb Gm7/BbThe spirit’s upBb F/BbWe’re here tonightBbAnd that’s enoughCm7 Cm7/F Dm Dm/G Eb Ab9 BbSim-ply ha-ving a wonderful ChristmastimeThe party’s onThe feeling’s hereThat only comesThis time of yearSimply having a wonderful ChristmastimeBb Dm/Bb Gm/Bb F/Bb BbLove choir of children sing their songBb Dm/Bb Gm/Bb F/Bb BbBb Dm/Bb Bb Dm/Bb Bb Dm/BbDing dong, ding dong oo oo oo oo ooOoo ooo oo ooWe’re simply having a wonderful ChristmastimeSimply having a wonderful ChristmastimeThe word is outAbout the townSo lift a glassAnd oh, don’t look downWe’re simply having a wonderful ChristmastimeSimply having a wonderful ChristmastimeLove choir of children sing their songThey’ve practised all year longDing dong, ding dong, ding dong, ding dongDing dong, ding dong, ding dong, ding dongThe party’s onThe spirit’s upWe’re here tonightAnd that’s enoughSimply having a wonderful ChristmastimeWe’re simply having a wonderful ChristmastimeThe mood is rightThe spirit’s upWe’re here tonightAnd that’s enoughWe’re simply having a wonderful ChristmastimeSimply having a wonderful ChristmastimeSimply having a wonderful ChristmastimeOh,Oh wonderful christmas timeブログランキング参加中です。ぜひ、1票を投じて下さい。(又は、見出しをクリックして下さい)
2003.12.01
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ERIC STEWART(10CC)エリック・スチュワートはウェイン・フォンタナ&マインドベンダーズのギタリストとしてレコード・デビューを果たした。このグループはその名が示すとおりにWAYNE FONTANAがリーダーとなったバンドではあるが、1965年に『THE GAME OF LOVE』が全米1位を獲得した。その後はヒットは出せずフォンタナはバンドを辞めてしまった。残されたメンバーで活動を続行して『A GROOVY KIND OF LOVE』が翌年に全米で2位を記録。バンドは解散後この時のメンバーだったERIC STEWART,GRAHAM GOULDMAN(グレアム・グールドマン)がコンビを組んで後に知り合ったKEVIN GODLEY(ケヴィン・ゴドレー)とLOL CREME(ロル・クレーム)と一緒に結成したバンドが10CCだ。1973年にレコード・デビューを果たしたバンドは順調に活動をスタートさせて、1975年には最大のヒットでロック史にも残る名作『I’M NOT IN LOVE』を発表した。この曲は全米で2位を獲得するヒットを記録して、度々カバーもされている。中でも1991年にウイル・トゥ・パワーによる現代的なアレンジによるカバーはトップ10に食い込んだ。しかし、グループは徐々にその方向性を巡って意見の対立が表面化した。結局スチュワート&グールドマンのコンビは10CCに残留し、ゴドレー&クレームは離脱した。後者は80年代に入って映像分野で偉大な足跡を残し、数多くのアーチストのおPVを手がけた。どれも当時は斬新なイメージで作られていて、MTVなどを通して視聴者の度肝を抜いていった。さて本題のエリック・スチュワートは1979年に交通事故で重傷を負い長期入院を余儀なくされた。ザ・ビートルズの中ではポールが10CCのメンバーとは密接に関係があったようだ。10CCが考案した実験的楽器<ギズモ>にポールも関心を持ち、<LONDON TOWN>のセッションでも用いて実際に演奏までもした。そして、ポールはウイングスが解散後にソロ・アルバムの制作に着手した。固定メンバーを失ったポールは親交のあったエリック・スチュワートを呼んだ。彼も10CCの活動は開店休業状態だったので、ポールのレコーディングに参加した。参加したのは『TUG OF WAR』~『PIPES OF PEACE』~『GIVE MY REGARD TO BROAD STREET』~『PRESS TO PALY』+アルバム未収録のインスト・ナンバー1曲の期間だ。一方ポールはエリックの10CC名義のアルバムには『...MEANWHILE』、『MIRROR MIRROR』に参加。前者は1曲提供しただけで、その曲は『PRESS TO PLAY』での共作曲で未発表になった曲にグレアムが歌詞を追加したものだ。後者では2曲で参加してうち1曲は共作している。ポールにとって70年代はウイングスのデニー・レインが常に脇役で支えてきた。80年代は中盤まではエリック・スチュワートが右腕となって支えてきた。最初に三作では演奏とコーラスでの参加だったが、『PRESS TO PLAY』では半分以上の8曲を共作して支えた。しかしこのアルバムはポールの80年代の中でも、結果的には商業的にも音楽的にも振るわなかった。エリックにとってポールは、自分が音楽的に憧れていた人物であり曲調も似ていた。ポールはエリックにジョンのようなパートを求めていたのだろうが、エリックには出来なかった。しかし別にこれをもってエリックの才能が否定されたわけでは決して無いと思う。当初の二作では曲作り以外のほぼ全ての曲でギターやコーラスに参加。そして何とPVの『SO BAD』ではポール夫妻とリンゴ・スター、エリック・スチュワートのスタジオでの演奏シーンが観れる。このPVは似た内容の二つのバージョンが有るが、演奏するバックにはリンゴとポールの写真とともにエリックのもある。PVでは他に『PRESS TO PLAY』の中の『ONLY LOVE REMAINS』でのスタジオでの演奏でアコギを弾いている姿が映る。ザ・ビートルズのメンバーとの交流では、自分が知る所ではポールとが一番親交が深いだろう。ポールとは’60年代のビートルズ時代から親交があったとも言われている。リンゴとはポールのアルバムで一緒にセッションをしているが、リンゴのソロ・アルバムには参加してはいないと思う。ジョージとの交流関係は不明だし、ジョンとの交流も無いものと思う。
2003.11.28
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JEFF LYNNE(E.L.O.)ジェフ・リンは1972年の8月にレコード・デビューしたELECTRIC LIGHT ORCHESTRA(略してE.L.O.)の中心メンバーとして活躍してきた。E.L.O.はそのコンセプトがロックバンドにクラシックのシンフォニーの要素を加えたものとしてスタートしていった。時代の変遷と共にそのサウンドは微妙に流行色を取り入れながらも、独自のすぐそれと分かる者を確立して来た。それは、ストリングスの導入と打楽器や鍵盤楽器との融合を目指したサウンド。複雑に音を重ねながら分厚いサウンドを利かせる、他には真似の出来ないシステムを作った。その中でもジェフ・リンは中心的な役割を演じてきて、作詞作曲やアレンジ等の全てを担当するに至り徐々にE.L.O.イコール<ジェフ・リン>となってきた。曲自体は取り立てて複雑ではなくて、むしろポップなイメージさえあるもののこの独特のアレンジでそれを発展させた。その結果単なるポップスも別の次元の曲となり独自のステータスと名声を獲得した。70年代のDISCOブームもあってE.L.O.のサウンドもそうした時代の流れに見事に乗った。その結果6曲のベスト10ヒットを生み出して、更にオリヴィア・ニュートン・ジョンとの共作『XANADU(ザナドュ)』のサントラ制作でも主題歌がトップ10ヒットになった。当時売れっ子だったオリヴィアとE.L.O.との共作は大いに話題を提供した。しかしシンセサイザーの発達と同時に当初のシンフォニー的な、楽器を沢山使っての演奏が意味を成さなくなってきた。80年代に入り徐々に勢いも失せて来たE.L.O.はメンバー・チェンジもあって、ジェフ・リンの個人プロジェクトの意味合いが強くなってきた。ジェフ・リンとザ・ビートルズのメンバーとの最初の音楽的な関わりは、ジョージ・ハリスンの1987年のアルバム『CLOUD NINE』の制作をジョージと共同で行ってからだ。1980年代に入ってアルバム『SOMEWHERE IN ENGLAND』の中の曲『ALL THOSE YEARS AGO』がヒットを記録して以来発表したアルバムは商業的には成功しなかった。そこでジョージは親交のあったDAVE EDMUNDSの紹介でJEFF LYNNEを呼んだ。ジョージは若いプロデューサーが自分の過去の栄光に敬意を払わないで、最新のテクノロジーを用いる事に抵抗感を感じていた。その点ジェフ・リンは自分の憧れの元ザ・ビートルズのメンバーとの競演を強く望んでいた。そんな彼ならきっと上手く行くと踏んで組んだのだった。狙いは見事に当たりこのアルバムからは『GOT MY MIND SET ON YOU』というナンバー・ワン・ヒットをもたらした。これはルディー・クラークなる人物のカバーだが、彼はこのナンバーを独自のアレンジも取り入れてみせて見事に大ヒットに結び付けた。このアルバムからは『WHEN WE WAS FAB』もシングル・カットされてここでもストリングスを巧みに導入した。ジョージの得意とするインド音楽の演奏を最後に持ってきて、そのキャリアに敬意をさり気無く評しているしこの曲は『I’M THE WALRUS』風に料理されているのも彼の功績だ。このアルバムのシングルの発売にあたって、B面として新たに曲をレコーディングすることになりゲストには大物スター達が呼ばれた。ここから発展して生まれたのが『TRAVELING WILBURYS(トラベリング・ウイルベリーズ)』である。このグループはジョージ、ジェフ、トム・ペティ、ロイ・オービソン、ボブ・ディラン達が変名で組んだスーパー・プロジェクトだ。この中でロイ・オービソンは結成直後に亡くなってしまったのが悔やまれる。このメンバーで結局アルバム2枚と1曲が制作されて、そのPRODUCEにはジェフ・リンが大きな力を発揮した。このグループとしてツアーを行う企画もあったそうだが、前述したようにロイ・オービソンが亡くなったりレコード会社の利害関係などが絡んだのか結局幻となった。もし実現していたら大変な反響を呼んだことだろう。このアルバムは翌年のグラミー賞で『最優秀ロック・グループ(グループ・デュオ部門)』賞を見事受賞した。昨年のジョージの命日に行われた追悼コンサートにも参加。この企画は盟友エリック・クラプトンが、ジョージに縁のある人達に声を掛けて実現した。クラプトンは音楽監督として、ジョージの一粒種ダーニを含めてポール、リンゴ、ビリー・プレストン、ゲーリー・ブルッカー等が参加した。ジェフ・リンは『GIVE ME LOVE(GIVE ME PEACE ON EARTH)』でリード・ボーカルを披露している。ハウス・バンドとしてはギターでも参加して、CDのPRODUCERとしても名を連ねている。このアルバムでの仕事振りがジョージと同じくアルバムに参加していたリンゴの信頼を得て、1995年からのザ・ビートルズのアンソロジー・プロジェクトの際に再び呼ばれた。ここではジョンが残した未発表のテープ『FREE AS A BIRD』に、残った3人が演奏や詞を加えて完成させるPRODUCEを一緒に任された。ポールとはこの時が初対面だったが、その仕事振りを気に入ったポールがアンソロジーの仕事が終わった後の自分のアルバムのプロデュースを依頼してきたほどだ。その結果は1997年の『FLAMING PIE』で聴く事が出来る。彼の得意とする分厚い音を重ねる手法は控えめだが、随所に彼らしさも散りばめられているし丁寧な仕事は評価されるだろう。リンゴとはジョージの先述のアルバムが初対面だと思う。その後は、アンソロジーのプロジェクトで再度一緒になったしポールの先述のアルバムでも一緒だった。ジェフ・リンは2001年にE.L.O.名義で久し振りにアルバムを発表して、そこでもジョージとリンゴはゲストで参加している。ジョージはその年の11月にガンで亡くなっているのでこれは貴重なセッションとなった事だろう。JEFF LYNNEはこう振り返ると生前のジョンとの直接の交流こそ無いが(テープではある)、3人とは交流がある数少ない音楽家である。アーチストとしてよりはプロデューサーとして3人の信頼を得た。彼の力なくして晩年のジョージは無かったと思うし、ビートルズのプロジェクトでも大きな力となった。是非、彼の足跡を辿る場合はE.L.O.の全盛期のアルバムを聴いて思いを巡らして欲しい。
2003.11.23
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DAVID FOSTERグラミー賞受賞経験者の超大物プロデューサーであるデビッド・フォスターが、かつてはジョージ・ハリスンが主宰するDARK HORSE RECORDと契約してキャリアをスタートさせた事は意外と知られていない。そのグラミー賞を1984,1991,1993年でプロデューサー部門で3度受賞しているのは流石だ。彼は1949年にカナダの西海岸のヴィクトリア出身で今では、制作の方で名が知られているが当時はピアノの演奏の方でもセッションに参加していた。ジョージ・ハリスンのアルバムには『EXTRA TEXTURE』(邦題:ジョージ・ハリスン帝国)(1975)で始めて参加した。ここではオルガン、ピアノ、ストリングスを担当している。そして翌年の1976年には早くも幻と言われていた初プロデュース作の『JAYE P.MORGAN』を担当。インディー系のレコード会社からの発売であった為に、発売から間もなく店頭から姿を消し何時の間にか人知れず廃盤となった。その後にフォスターがビッグネームになってこのアルバムの存在が知れるようになった。ところが何時まで経っても再発されるずに2000年になってDREAMSVILLE RECORDから日本で再発された。一部ではかなりの高額で(5万円以上とも)取引されていたこの作品が遂に陽の目をみた。このアルバムでは後の盟友ジェイ・グレイドンも参加している。まだ27歳だったフォスターだが、このアルバムは全体的に彼のセンスが遺憾なく発揮されている。主人公の<ジェイ・P・モーガン>の存在よりは、フォスターの抜群のアレンジ能力によるAORテイストの満載のこのアルバムの<質>の方に注目が集まっていたようである。フォスターはこの時のセッションにも参加している、JAY GRAYDONとコンビを組んで多くのアルバムの制作を引き受けた。二人でユニットを組んでミュージシャンとしても『AIRPLAY』を発表し高い評価を受けている。この二人が組んで制作して数々のAORの名作を世の中に送り込んだ。ジェイ・グレイドンの最近の活動は一切伝わってこない。フォスターは最近の仕事では同郷のセリーヌ・ディオンのアルバムで曲の提供や制作にも手を出している。セリーヌの大ヒット『THE POWER OF LOVE』の制作もフォスターが担当して、セリーヌに初の全米1位をもたらした。この曲はオーストラリア出身のエア・サプライも発表していたが、当時はアルバムの中の1曲として埋もれていた。そのアレンジとセリーヌのバージョンを比べると明らかに違う。ボーカルもエア・サプライは男性のラッセル・ヒッチコックが高音で歌うのに対して、セリーヌはドラマチックに歌い上げる。そんなセリーヌのボーカルをより一層引き立てたフォスターのプロデュースは見事の一言にに尽きる。セリーヌが是ほどまでの地位を築いたのには、フォスターの力も大きく作用している。他には、シカゴの『素直になれなくて』、EW&F『アフター・ザ・ラブ・イズ・ゴーン』、ホイットニー・ヒューストン『オールウェイズ・ラヴ・ユー』、ボズ・スキャッグス、ナタリー・コール、ホール&オーツなど数え切れないほどの名曲やヒット曲に関わって来た。ザ・ビートルズのメンバーとの関わりではポールとも関係がある。1984年の12月に4曲のセッションをポールと一緒にこなして、キーボードの演奏と共同制作者として名を連ねた。その中の1曲が1987年に発売された『FLOWERS IN THE DIRT』の中の収録曲『WE GOT MARRIED』だ。この曲はポールのライヴでも取り上げられた多少古い感じのロック調の曲で、この曲のギターはピンク・フロイドのデイヴ・ギルモアが弾いている。リンゴや生前のジョンとの関係は今のところ確認されていない。最近のフォスターの活動は一時ほど名前が取り沙汰されるケースが減ってきた。しかし、昨今の日本でのAORアルバムの再発ブームで彼のプロデュース作品もその中に多く含まれている。フォスターは特にスケールの大きなバラード・タイプの曲のプロデュースや曲作りに定評がある。ジョージがこの若き時代のフォスターを自分のアルバムに起用していた時代は、AOR調のタイプの曲調が目立っていたのは単なる偶然では無いだろう。ジョージは解散直後はスワンプやブルースに傾倒していたが、1975年を過ぎた辺りから1980年位の期間はAORに興味があった期間だ。ストリングスを配したアレンジをさせれば彼の右に出るものはいないだろう。彼の仕事によってその地位を確立したアーチストは数知れない。セリーヌ・ディオンとの仕事が落ち着いて、今度はどんなアーチストを我々に紹介してくれるのかが楽しみだ。もし、AORのアルバムで何を買うか迷っている人がいたらプロデューサーの名前を見て<デビッド・フォスター>の名前があったら迷わず買って下さい。絶対間違いは無い。
2003.11.19
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ERIC CLAPTONエリック・クラプトンとビートルズのメンバーとは個々のレベルにおいても結び付きが強い。元は、ジョージ・ハリスンを通しての付き合いで『WHILE MY GUITAR GENTLY WEEPS』でのゲスト参加が最初の競演だった。ビートルズは原則としてその演奏は外部の音楽家達を招かずに制作してきた。外部の音楽家はごく限られた範囲で、メンバーの担当楽器外のクラシック系のアレンジを施す際に起用された程度だ。『FOR NO ONE』やジョージがインド音楽に傾倒していた時代にインド音楽の専門家が招かれた事はあった。そういった一部のゲスト以外はプロデューサーのジョージ・マーティンやマネージャーのマル・エバンスを駆り出したりして凌いでいた。特に、ジョンはキーボード関係をこなすしポールに至ってはドラムスもこなせるからこれで充分だったと思う。そんな中でジョージによってスタジオに招かれたクラプトンの緊張感は想像が付く。最も彼位の実力の持ち主ならビートルズのメンバーの演奏力には負けない筈だけどね。彼の起用はビートルズ内部にもいい意味での緊張感を持ち込んだことは認めているし、クラプトンにも有意義なセッションだったそうだ。ビートルズが解散してからは主にジョンやジョージとの交流が盛んになった。特に、ジョージとは後に妻のパティとの交流も積極的に?行った結果ジョージから奪う形になってしまう。その過程でできたのが彼の代表作『LAYLA』であるのは有名な話だ。しかし残念な事にパティはこの二人のロック・スターに愛され名曲も数多く贈られながらも、子供を宿す事は無かった。それが原因かは知らないがやはりクラプトンもジョージも子供は欲しかったそうだ。皮肉な事にそれぞれパティとは離婚して、その後に結婚した女性との間には子供が出来たのだった。妻を奪われても二人の交流は絶える事無く続き(結婚式にもジョージは出席した)、お互いのアルバムでの競演も常に続いた。曲での競演は『BADGE』が二人の共作名義で発表されているし、ジョージも『RUN SO FAR』を提供している。クラプトンは現在来日中で精力的に1ヶ月をかけてコンサートをこなす予定だ。前回の来日中にはその盟友ジョージの死の報をコンサート前の楽屋で知ったそうだ。暫く黙ってしまったクラプトンは、悲しみをこらえてステージをこなす。観衆はそんなクラプトンの気持ちは知る由も無かったはずである。そして、ステージ上ではいまでも彼のコンサートでは度々披露される『BADGE』を歌った。その際には『THIS ONE IS FOR GEORGE!』と短く言ってから曲に入っていった。この科白を聞き逃したファンも多かったと思うがTVではしっかりと聞き取れた。クラプトンにとってはジョージは年の近い兄のような存在だったとも伝わっている。ジョージがライヴから遠ざかっていた時に、クラプトンが多くの人達からジョージはどうしていると尋ねられていたそうだ。そんな優しいクラプトンの気持ちがジョージにやっとの思いで伝わった。ジョージはソロになってから1974年に北米をツアーで回ったが、レコーディングで喉を傷めて必ずしも好評ではなかった。この評判がジョージをライヴに対して臆病にさせていたのだ。そこで、クラプトンは比較的プレッシャーの少ない本国や米国ではない日本を選んだ。日本のファンの気質を熟知しているクラプトンはジョージに自分のバンドをバックに従えることを提案した。バンドを持たないジョージに対して見せた気遣いだった。何度か心の葛藤があって弱気になりかけていたジョージの背中を押して、遂に二人での来日コンサートが実現してライヴ盤まで制作した。残念ながら自分はそのコンサートには行っていないけど、ライヴ盤でもその雰囲気は伝わってくる。その後は再びライヴ活動を封印したまま亡くなったジョージだからこの音源は貴重だ。そして、今再びジョージの追悼コンサートの(去年行われた)CDとDVDが今月末に発売される事になった。またこの模様は劇場でも公開される事になっている。このプロモーションの一環としてオリヴィア未亡人が日本に来ているらしい。クラプトンも現在日本でツアー中だし彼もこの追悼コンサートでは重要な参加者だからもしかしたら、この二人で何かしらの行動があるのかな?。ジョージのパートが長くなってしまったがジョンとも一時期密接な関係があった。まだ、ビートルズに在籍していた当時に既に解散の方向性を打ち出していたジョンが彼に接近。トロントで行われたライヴに参加するために急遽呼ばれた。何とまともなリハーサルは行われずに、飛行機の中で簡単な打ち合わせをリハとしてやって望んだそうだ。この模様はライヴ盤にもなって収録されている。リンゴはクラプトンから曲の提供を受けたりアルバムに参加したりして、ジョージ同様に長い付き合いを今でもしている。ジョージとの共作『BADGE』ではクレディットこそ無いがリンゴも歌詞の一部を提供している。『RINGO’S ROTOGRAVURE』というアルバムにはクラプトン作の『THIS BE CALLED A SONG』が収録されているが、ハードなブルースではなくてどこかカントリー・タッチの香りがする曲だ。1982年には『OLD WAVE』のなかの1曲で共作もしている。最新のアルバム『RINGO RAMA』にも参加している。ポールとは唯一アルバムの中での競演は無いが、ポールとクラプトンはチャリティー・コンサートなどで度々一緒に参加している。その際のバックにクラプトンが付いてギターを披露する事は珍しい事ではない。先述したジョージの追悼コンサートでもこの二人は『SOMETHING』『WHILE MY GUITAR GENTLY WEEPS』で一緒に演奏している。前者では途中からはクラプトンがボーカルを取っているそうだし、後者ではクラプトン自らボーカルを取っている。このパターンは女王陛下の即位50周年記念コンサートでも見られたのでその再現だ。これはNHKの衛星(総合は?)でも放送していた。以上がビートルズのメンバーとクラプトンとの交友関係を語る事実だ。メンバーの一部と関係はあっても全員とセッションを行ったのは珍しいパターンだと思う。それだけ彼の人柄とギターの実力が高く評価されている証拠だといえる。こうしてビートルズの音楽だけではなくて、そこに関わる人達の音楽を知ることも重要な事だと思う。何故、ビートルズが関係を持ったのか知ればビートルズの違った側面を覗く事も可能なのだ。自分はクラプトンも大好きで永年の彼のファンでもあり、武道館に観に行ったことも一度ある。是非、彼の音楽やバックボーンにも興味を持って欲しいと願う。P.S.クラプトンは大の格闘技マニアで度々日本で開催される、イベントを観戦するために私的に何度も来日している。格闘技の試合を見ていると良い席で観戦しているクラプトンが一瞬写ることがある。英国人である彼が格闘技に興味が有るのは今までは知らなかった。ライヴでも10回以上来日しているので私的な訪日も含めれば一体何度来ているのかな?。今年の大晦日にもK-1と猪木祭りが有るので来るかな?。 ■後日談1/10 年末の格闘技番組を見ていた限りでは彼の姿は無かった。流石の彼も若いカミサンを何時までも米国に残すわけには行かなかっただろう。それとも夫人同伴の日本ツアーだったのかな?。
2003.11.15
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今日はザ・ビートルズの『LET IT BE...NAKED』を早速買ってきた。印象としてはそれらの曲で若干違うけどフィル・スペクターのミックスを一端全部カットしている。既に海賊盤とかで聴いていた印象とは若干違っていたのも事実。...NAKEDとは<裸、素のまま>とかの意味が含まれるけど、今回のリリースは<裸>というニュアンスとは若干違う。オリジナルのアルバムでは曲間のおしゃべりがあったけど、今回はこれらは全てカットされた。その代わりにボーナス・ディスクに一連のセッションでの会話が納められている。中身は、ライヴ再開への話し合いが中心で合間に未発表の曲やセッションの断片が収録されている。それでは各曲の印象を自分なりに記してみたい。1.GET BACK(LENNON-McCARTNEY)このアルバムの本来のタイトルは是だったし、今回のアルバムのタイトルもこれが相応しいと思う。すでに収録されているのと大差は無い。オリジナルと比べると最後の部分のF.O.(フェード・アウト)が若干早いのが分かる。2.DIG A PONY(LENNON-McCARTNEY)ルーフトップでのセッションで演奏されたのがベースになっている。これも大差は無い。出来ればイントロの演奏の後にポールが<ALL I WANT IS~>と言ってから曲が始まる部分も加えて欲しかった。映画でもその部分は紹介されているのにね、何故かな?。3.FOR YOU BLUE(GEORGE HARRISON)これはオリジナルではよく聴けなかったジョージのアコギがはっきりと識別できる。ジョージのギターが好きな人にはこのテイクの方が納得すると思う。この演奏は映画でも披露されていて、ポールがピアノをジョンが洋子のリップスティックでスティール・ギターを弾いている。4.THE LONG AND WINDING ROAD(LENNON-McCARTNEY)この曲のアレンジをめぐってポールとフィル・スペクター(殺人事件で公判中)が対立。是が解散の一因とも呼ばれている。既に映画やアンソロジー3で是に近いテイクが演奏されているからさほど驚かないと思う。最近のポールのライヴでもこれに近い形で歌っているのでポールもこのテイクで満足だろう。仰々しいオケや女性コーラスはやはり不要だと思う。ポールのピアノもいい味出しているけど、中間でのビリー・プレストンのオルガンの間奏もこの曲にアクセントを付けている。映画でのテイクがそのまま使用されているから聴き慣れているテイクだ。オリジナルと比べて若干歌詞の一部が違ったり、YEAH YEAH YEAHと言ったラストもここには無い。この曲のアレンジはこれでいいと思う、これでポールも満足なのではないでしょうかね?。5.TWO OF US(LENNON-McCARTNEY)これはオリジナルと比べて目立った変化はなくて、若干ジョージのベースの音が上がっている?位かな。映画でもジョンとポールのアコギによる演奏とボーカルが聴ける。アコギの音もオリジナルよりはこちらの方が若干強調されている様にも感じるのと、こちらの方がF.O.の口笛が少し早いのが違い。ポールは今年になってからライヴで披露しているが、相手は当然ジョンではなくてバンドのギタリストと。青春の一ページかの様な歌詞も見事にはまっている。映画『I AM SAM』でもカバーが披露されている。6.I’VE GOT A FEELING(LENNON-McCARTNEY)ルーフトップでの2つのテイクを細かくつなぎ合わせて作ったテイク。これって本当にNAKEDと言えるのかな?。違いはビリー・プレストンのオルガンの音が強調されていてスピーカーからもはっきりと聞き分けられる。これで一層ライヴ感が協調されている。元々はポールの曲にジョンの未完成の部分を一つにして強引に完成させた曲。今回のアルバムでは一番手を加えられた曲だ。ジョージのギターもオリジナルとは若干違うのが分かる。7.ONE AFTER 909(LENNON-McCARTNEY)オリジナルとは同じテイクらしいが、こちらの方のギターが寄り一層協調されている。元々はジョンがリバプール時代に作曲して1963年に録音したがボツになっていた。そのテイクはアンソロジー1で聴ける。曲の最後がいきなりやって来るような編集に変えられた。オリジナルはラストにおしゃべりがあったけど今回はカットされているので、その影響かも知れないがチョッと唐突に感じる。8.DON’T LET ME DOWN(LENNON-McCARTNEY)オリジナルには含まれていなくてシングル『GET BACK』のB面としてリリースした洋子への愛を語った曲。オリジナルと違いこれはルーフトップでの演奏。ビリー・プレストンのオルガンとギターがスタジオ盤に比べて強調されている。9.I ME MINE(GEORGE HARRISON)ザ・ビートルズが1970年の年始に録音した最後の録音曲。映画でもスタジオでの演奏が披露されている。オリジナルはフィル・スペクターがオケを加えて彼らしいサウンドに仕立てている。コーラスはジョージとポールが担当している。タイトルは自我を押し立てるポールへのあてつけと言われている。編集で曲は録音時より長くなって発表された。10.ACROSS THE UNIVERSE(LENNON-McCARTNEY)元々はホワイト・アルバムでのセッションで録音されてチャリティー・アルバムに収録された。このセッションで再度引っ張り出されて収録されたが、ここでもフィル・スペクターによりオケと女性コーラスが加えられた。チャリティー収録盤はイントロとアウトロに鳥の鳴き声のS.E.が入りコーラスではファンの二人の女性が飛び入りで入り加えられたので、このテイクとは違う。アンソロに収録バージョンもこれらとは異なるから今回で都合3つの異なるバージョンが存在することになる珍しい曲。歌詞は、洋子を通じて松尾芭蕉に影響を受けたとも生前語っていた。今回のバージョンではオリジナルよりはこっちがアコギでの演奏が強調されている。バックで流れるウイ~ンという音がする楽器はタンブーラというインド楽器。11.LET IT BE(LENNON-McCARTNEY)ここでの演奏は映画で披露されたジョージが間奏でギターソロを弾くバージョン。最後のパートのリンゴのドラムスがここでは異なるし、フィル・スペクターが加えたオケも無い。ギターの入り方も微妙に違うのがここでも良く分かる。この曲もシングル、オリジナル、今回とすべてテイクが微妙に異なる。オリジナルとの違いをメインに書いて見たが、オリジナルを聴いた事がある人は当然多いけど曲順も違うのにはきずいたかな?。後は、DON’T LET ME DOWNがシングルB面だったのがここではアルバム入りしている。逆に、『DIG IT』『MAGGIE MAE』や曲間のおしゃべりがカットされた。『DIG IT』には本来のダラダラとした長いバージョンがあるのに何故かカットされている。それに、このアルバムは当初は『GET BACK』で発売される予定になっていて何度もデモ・バージョンが制作されたがその都度却下された。その中には『TEDDY BOY』も含まれていた。オリジナルにも結局最終編集時点でカットされてジョージの『I ME MINE』と差し替えられた。この曲はその直後のポールの最初のソロ・アルバム『McCARTNEY』にバージョンを替えて収録された。ザ・ビートルズのこの曲は結局はアンソロジー3で一部をカットして収録して陽の目を見た。今回の構想でもカットされていたのは不思議だ。アンソロジー3でも今回の...NAKEDと同様にゲット・バック・セッションのリハを収めてあるが、ある意味ではこちらの方が...NAKEDかも知れない。ジョンとジョージが既に鬼籍に入って仕舞いリンゴとポールが音頭を取ってこのプロジェクトを完成させた。なかでもポールが主導権を握っていたのは間違い無いだろう。盛んにザ・ビートルズの新作と歌っている宣伝文句が見られるけど、厳密には違う。<再編集盤>とでも言った方が適切かな。フィル・スペクターの過度な装飾を排除して今回のアルバムが登場した訳である。ポールもリンゴも今回の結果には満足している(だから出したんだよね)そうだが、果たしてこのアルバムを聴く事が出来ない二人がいたら果たして今回のプロジェクトは成り立ったかな?。特に、ジョージはあらゆる意味でこのセッションには嫌な思い出しか残っていないだろうから。この映画の方のDVD化も間もなく実現するのでそれが決まればこのセッションも30年を越えてやっと終わりを告げる事になる。日本では、この盤はCCCD(PCでのコピーが出来ない)で発売するそうだ。これは、音質の劣化を招くしPCを傷める可能性がある代物なので発売前から大ブーイングの荒らしが吹き荒れている。何を隠そう自分もこの後に輸入盤も買う積りです。それに、もう一つ2枚組ではなくて1枚で出して欲しかった。2枚で60分を切る収録盤なのだから本盤とボーナス部分に空白を入れればオリジナリティーも保てると思うな。今回の発売に合わせてCDショップでも大キャンペーンを張っているし(ビートルズには不要?)、TVでも盛んに是を取り上げている。そういっている今もTVで放送しているよ。このアルバムもやはり世界中で売れまくるのは間違いないし、是をキッカケにまた爆発的に新たなファンが増えるのに違いない。こうしてザ・ビートルズはどの世代にも存在するし、世代を超えての交流にも一役を買っている。更に国籍、人種、肌の色に関係なくレコードが発売されている国なら何処にでもファンは存在する。少し飛躍して彼らの売り上げの多さから言って世界中に英語が広がる事にも貢献したのでは無いかな?。彼らのサウンドや曲を理解したいが為に英語を学んだ人達も少なくない筈だ。ザ・ビートルズは20世紀だけではなくてこの地球上が生んだ財産であり、一つの文化であると断言したい。21世紀になっても彼らの肉体が例え滅びても人々の心の中には残り続ける。そしてかれらはロックというジャンルを飛び越えて『THE BEATLES』という名のジャンルを築いた不滅のスーパー・スターである。彼らの音楽に出会えた自分は幸せだ。
2003.11.14
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ザ・ビートルズの『新譜』である『LET IT BE...NAKED』が日本で世界に先駆けて明日(一部では既に今日...)発売となる。別段このアルバムに<新曲>が収録されている訳ではないが、ボーナス・ディスクには未発表のセッションの曲が収録されている。曲名が出ていたけどどういう形での収録かの情報が一切発表されていないから、買った時のお楽しみだ。アンソロジー3のバージョンとどれだけ違うのかな?。このアルバムは明日買う予定だけど買ったら早速聴いて、ここに印象を書いてみたい。でもこれってやっぱりCDショップで売れまくるんだろうね。
2003.11.13
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