madamkaseのトルコ行進曲

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私が旅したトルコの都市・町や村 その1


私が旅したトルコの都市・町や村 その1

このページ、工事中です。追々写真も載せていきますのでどうぞよろしく。


1.トルコ有数の大都市、歴史のある都市

◎ イスタンブール
 トルコ最大の都市、1453年までは東ローマ(ビザンティン)帝国の首都コンスタンティノープルと呼ばれ、その後はオスマン・トルコ帝国の首都イスタンブールとなった。トルコが共和国になった1923年、首都はアンカラに遷されたが、ヨーロッパとアジアの両大陸にまたがり、現在も文明の十字路と呼ばれたトルコの中心的存在であることに変わりはない。人口は1,300万とも言われ、私はここに住んでいる。

◎ アンカラ(首都)
 1923年、トルコ共和国誕生直後、初代大統領アタテュルクによって遷都されたアナトリア中央部の小さな町はいまや人口500万を超えるトルコ第2の都会、そして国会、大統領府・首相官邸等、6,800万の人口を擁するトルコ共和国の政治・教育の中心地である。アタテュルクはこの町の中央部にある小高い丘、アヌット・カビル(アタテュルク廟)に眠っている。イスタンブールより450キロ東。

◎ イズミール
 イスタンブールから南南西に565キロ、エーゲ海に面するイズミールは人口450万を超えるトルコ第3の大きな港湾都市。トルコ有数のリゾート地や、有名なエフェソス遺跡を抱える気候温暖な地で、周辺の町々にはヘレニズム文化やローマ時代からの遺跡が数多く残っている。

◎ アダナ
 イスタンブールより南東に1,000キロ離れたアダナはトルコ第4の都市。街路樹にも南国の花々が咲き誇る。地中海に面した綿花の一大生産地。セイハン川、ジェイハン川という2大河川が潤す広い平野は豊穣で、あらゆる野菜、果物の宝庫である。黒ニンジンを材料にしたシャルガム・スユは新陳代謝を促し、老化防止の健康飲料として日本にもテレビ番組で紹介された。

◎ コンヤ
 トルコ第5の都市。イスタンブールより南東へ665キロ、人口100万余り。12世紀、ビザンティン帝国の支配下にあったアナトリア各地を征服したセルジュク朝は、イコニウムと呼ばれたコンヤを首都として勢力を伸ばした。13世紀半ばまでに一大帝国を築き上げたが、最強のスルタン、アラアッディン・ケイクバト1世の死後、蒙古の脅威に直面、急速に衰え消滅する。毎年12月17日には当時の宗教家メヴラーナの命日を記念して大々的に儀式が執り行われる。

◎ ブルサ
 イスタンブールの南250キロ。かつてオスマン朝時代の開祖オスマン・ガージィが帝国の最初の首都に定めた山懐の緑豊かな町。オスマン朝時代初期の建造物がたくさん残っている。森林・パルプ・綿工業・農業・酪農、ありとあらゆる産業が発達し、豊富な温泉も湧き出る。マルマラ地方第一の高山ウル・ダーは夏は登山、冬はスキーのメッカである。

◎ エディルネ
 イスタンブールから西に約220キロ、ブルガリアとの国境に近い。ローマ時代はハドリアノポリス(ハドリアヌス帝の町)と呼ばれていた。その後オスマン朝時代の3代目スルタン、ムラット1世の時に征服されてブルサから遷都、さらに後に首都はイスタンブールに遷されたが、軍事上大事な西の関門として栄えた。有名なミマル・シナン作のセリミエ・ジャーミイ(モスク)がある。

◎ アンタルヤ
 地中海に面した風光明媚・気候温暖なリゾート地。イスタンブールからは南南東へ約725キロ。夏はヨーロッパからの観光客、長期滞在客で賑わう。オレンジや野菜などの大産地。ローマ時代の遺跡、セルジュク朝時代の遺跡など名所も数多い。年々人口も増加し、大掛かりな都市計画のもとに町は整備されつつあり、海岸線には豪華なリゾート・ホテルが続々と建設されている。

__________________________ 以後は、地域ごとに記入します。

1. マルマラ・エーゲ地方

◎ イズミット市(コジャエリ県)
 イスタンブールより東に100キロ、イズミット湾北岸沿いに拓けた工業地帯を総括する近代工業都市。トルコと日本の合弁企業もあり、人口過密なイスタンブールを離れて移住する人達も多い。1999年8月には大地震のため大被害を蒙ったが現在は見事に復興している。

◎ ギョルジュク町(コジャエリ県)
 イズミット湾南岸、トルコ海軍の基地がある町。1999年8月の大地震で壊滅的な被害を受けたが、いち早く公営住宅を建て、復興に努めている。

◎ アダパザール市(サカルヤ県)
 イスタンブールより東に150キロ、かつては宗教色の濃い田舎町だったが日本の最大手自動車会社トヨタと、その関連産業の進出により、周辺は大工業地帯となりつつある。

◎ サパンジャ村(サカルヤ県)
 トルコで5番目に大きなサパンジャ湖のほとりにある村。イズミット市とアダパザール市の中間にあり、イスタンブールの別荘地。風の音、鳥の声、自然の中で憩いのひと時を味わいたい人にいいところ。

◎ ヤロワ市(ヤロワ県)
 マルマラ海(トルコの内海・黒海からボスポラス海峡で繋がる)の東岸に面した気候温暖な温泉町。オリーブやチューリップの栽培でも有名。日本の富山県礪波市と姉妹縁組を結んでいる。イスタンブールからは陸路なら約175キロ、マルマラ海を世縦断するフェリーで40分。

◎ ムダンヤ町(ブルサ県)
 同じくマルマラ海に面した漁業の盛んな港町。イスタンブールより南へ約270キロ。高速フェリーで1時間。山村部ではオリーブの栽培も盛ん。沖合いにあるイムラル島への玄関口。(イムラル島には現在政治犯のアブデュラ・オジャラン只1人が収監されている。無論一般人の渡航は禁止)

◎ テキルダー市(テキルダー県)
 イスタンブールから約130キロ。マルマラ海の西北岸に面した漁業中心の港町。陸路ギリシャへ行くバスや車の通り道。テキルダー・キョフテ(肉団子)と、トルコ専売公社第27工場のラク(蒸留酒)が有名。

◎ チョルル市/チェルケズキョイ町(テキルダー県)
 エディルネに行く途中のチョルルは宿場的な商業の町だったが、今は高速道路が通り、宿場の役目は終わった。イスタンブールから150キロ以内なので近年はベッドタウンとして人口が急増している。チェルケズキョイはチョルルの隣町。フォルクスワーゲンや日本のファスナーYKKの工場もある工業地帯。

◎ ケシャン町(エディルネ県)
 イスタンブールから陸路ギリシャに行くときや、トロイ遺跡のあるチャナッカレに行くときダーダネルス海峡(チャナッカレ海峡)を渡るために必ず通る、昔からの宿場町。

◎ イプサラ町(エディルネ県)
 陸路ギリシャに行くときの国境の町。ここでパスポート・コントロールを受ける。麦畑や綿花畑の続く農業地帯。トルコが独立戦争に勝利を収め共和国となったとき、ギリシャとの間で強制的な住民交換が行なわれた。住み慣れた土地を離れてそれぞれの国に向かう人々の悲劇の涙が染み込んだ国境でもある。 

◎ チャナッカレ市/トロイ遺跡(チャナッカレ県)
 イスタンブールから約280キロ南西、マルマラ海とエーゲ海を結ぶダーダネルス海峡の中ほどのアジア側にある港湾都市。チャナック(素焼きの土器)の生産が盛んなのでこの名がある。トロイ遺跡の見学拠点でもあり、日本語教育を正課にするオンセキズ・マルト(3月18日)大学もある。

◎ ゲリボル町(チャナッカレ県)
 第一次大戦で戦場となったゲリボル半島にある漁業の町。チロズが有名。ダーダネルス海峡の北岸で、現在はアジア側に渡るフェリーの拠点。イスタンブールより約250キロ南西。 有名なトプカプ宮殿の秘宝ピリ・レイスの地図の作者である海軍提督ピリ・レイスの生地でもある。

◎ アイワジュク町/アッソス遺跡(チャナッカレ県)
 イスタンブールから南西におよそ320キロ。トルコの西端にあたる。絨毯織りや酪農が盛んな町。エーゲ海でも最大級のレスボス島は指呼の距離。アッソス遺跡のあるベフラムカレ村には小規模ながらリゾートホテルが並び、海水浴客で夏は賑わう。アッソス遺跡の景観が素晴らしい。

◎ セルチュク町/エフェス遺跡(アイドゥン県)
 エフェス(エフェソス)遺跡見学の拠点になる町。イスタンブールからはおよそ630キロ南南西。考古学博物館にはアルテミス神像2体がある。セルチュク城址下にはセント・ジョージ(聖ヨハネ)教会の遺跡がある。

◎ クシャダス町(アイドゥン県)
 イズミールから南へ約70キロ、セルチュクのすぐ南。豪華クルーズ船が停泊する有名なリゾート。古い城壁に囲まれたカレイチのマーケットが楽しい。

◎ マルマリス市(ムーラ県)
 ボドルムと並ぶトルコでも有数の人気リゾート。マルマリス港は夏の間中ヨット、クルーザーが行き交い、ヨーロッパからの観光客で賑わう。イスタンブールからは約820キロ南。

◎ トゥルンジュ村(ムーラ県)
 マルマリスの町から少し南にある村。断崖絶壁の山道を20分ほど行くと、こじんまりしたリゾートがある。映画のセットのように可愛い村だ。

◎ フェティエ市(ムーラ県)
 エーゲ海と地中海の境目にあり、波穏やかなフェティエ湾内の島巡りやトルコきっての美しい海といわれるオリュデニズを擁する人気リゾート。ここに別荘を持つイギリス人が急増しているという。ここにもリキアの岩窟墓群がある。オリュデニズではハングライダーが楽しめる。イスタンブールから南に約940キロ。

◎ ダルヤン町/カウノス村(ムーラ県)
 ダラマン空港からマイクロバスで30分余り。海がめが産卵に来る海岸ダルヤンと、ダラマン川の周辺の崖に穿たれたリキア時代の古代岩窟墓が有名。




2.アナトリア西部地方

◎ キュタヒヤ市(キュタヒヤ県)
 イスタンブールから南南東へおよそ660キロ、陶器の町として知られている。イズニック・タイルの伝統を受け継ぐ人、新しい創作を生み出す人、さまざまだが、町の人口の8割以上が何らかの形で陶器産業に関係しているとのこと。ストゥク・ウスタとニイメットさんは日本にも紹介された人気陶芸家である。

◎ フリグ・ヴァデシ(フリキア渓谷 キュタヒヤ県)
 キュタヒヤの街から30キロ北。フリキア時代の遺跡が残る渓谷。深山幽谷の気配を持ち、夏なお寒くカッパドキアのような浸食された岩場地帯もある。奥まった平原で毎夏キャンプ場が開かれる。

◎ エスキシェヒール市(エスキシェヒール県)
 イスタンブールから南東へ330キロ、温泉と大学の町エスキシェヒール。この近辺で出土するリュレイ・タシュ(海泡石)で作られたパイプや置物が観光土産に人気を呼んでいる。トルコで最も優秀な大学のひとつである国立アナドル工科大学があるので、街の中心は川を挟んだ両岸にお洒落なカフェ街が出現。ヨーロッパのような雰囲気を醸し出している。

◎ マフムディエ村(エスキシェヒール県)
 エスキシェヒール市から東へ50キロほど。田園の中に巨大な競馬の総合施設がある。トゥルキエ・ジョッキー・クラブの競馬場とトレーニングセンターである。年に一度、8月にここでトルコ最大級の規模の草競馬が行なわれる。

◎ セイット・ガージィ村(エスキシェヒール県)
 トルコ国民の伝説の英雄、バッタル・ガージイが埋葬されていたという言い伝えを信じたセルジュク朝時代のスルタン母后は、家来に命じてついに探し当て、バッタル・ガージイ・ジャーミイを寄進し、現在では博物館として公開されている。また郊外には紀元前の遺跡キュルルオヴァがあり、発掘調査が行なわれている。

◎ アフィヨン・カラヒサール市(アフィヨン・カラヒサール県)
 中国語の阿片のもとになったというアフィヨンは、けしの栽培が盛んである。街の中心には峻険な岩山が聳え、その頂上にはビザンティンのアフィヨン城がある。アフィヨンはけしのほか、スジュック(生サラミ)が名産である。

◎ パムッカレ(デニズリ県)
 トルコの観光資源としてカッパドキアと並び立つ有名なパムッカレ(綿の城)とは、地下から湧き出す温泉に含まれる石灰が棚田のような形に凝固して、遠くからはまるで綿で築いた城のように見えることから。トルコのランドマークとも言えるこの神秘な眺めは夕映えになお美しい。




3.アナトリア中央部

◎ カッパドキア(ネヴシェヒール県)
 ウルギュップ、ギョレメ、アヴァノスなどのほか、ウチヒサール、オルタヒサール、デリンクユ・カイマクル地下都市群、ウフララ渓谷などトルコを代表する観光地。カッパドキアを見ずしてトルコは語れない。何十万年もの浸食作用が作り上げた岩の世界。そしてその岩々に穴を穿ち、地下深く7階、8階もの蟻の巣のような地下都市群を造り、初期のキリスト教徒達は異教徒の迫害に耐えてきた。

◎ ネヴシェヒール市(ネヴシェヒール県)
 カッパドキア観光の拠点になるネヴシェヒールは、カッパドキアの盛名に隠れているが、初期キリスト教徒の隠れ住んだ岩山や谷もあり、カッパドキアの観光資源のすべてが、ネヴシェヒール博物館の管轄下に置かれている。イスタンブールから約730キロ南東。

◎ カイセリ市(カイセリ県)
 イスタンブールから南東へ約770キロ。カッパドキアに飛行機で行く場合はカイセリ空港が利用できる。セルジュク朝時代、重要な政治・経済の中心地だった。古いカイセリ城内には、小さな店がひしめきあうカパル・チャルシュ(屋根つき市場)がある。トルコ風半生ビーフジャーキー「パストゥルマ」の名産地である。

◎ トゥズ湖(塩湖)
 アンカラ、アクサライ、コンヤと3つの県にまたがるトゥズ湖は、トルコ第2の大きな湖。しかし塩分が濃すぎて魚や貝などは棲めない。トルコの塩の70パーセントが生産されるという。夏は干上がって面積が大幅に小さくなる。

◎ アクサライ市(アクサライ県)
 コンヤとカイセリを結ぶ500キロのほぼ中間に位置する。アンカラ~アダナ街道との交差点でもある。旧シルクロードの宿場町だった。イスタンブールからは約675キロ南東。

◎ ギョステルリ村(ニーデ県)
 カッパドキアの最南端にあたり、近年になって地下都市群を結んでいるらしいトンネルが発見された。酪農と僅かに開墾された畑で自家消費用の野菜を作っている。イスタンブールからは南東へおよそ750キロくらい。

◎ タシュカレ村(カラマン県)
 コンヤから120キロ南東。岩山にたくさんの岩窟墓が穿たれた初期キリスト教時代の遺跡がある。現在はイスラム教徒が住み、穀物庫に使われているという。

◎ コンヤ・エレイリ町(コンヤ県)
 コンヤから180キロ東、エレイリ台地のほぼ中央に位置し、風害で草木は育たないが、トルコで唯一芯まで黒い良質の黒ニンジンが産する。

◎ カラプナル町(コンヤ県)
 コンヤから100キロ東、エレイリと同じ台地にあり、風害が激しく荒涼とした風景がある。町外れのカラジャ山の中腹に地下都市群が発見され、一躍脚光を浴びた。カラプナルにはたくさんの隕石のあとと見られる窪地に水が溜まった沼や、メケ・クラテル湖と呼ばれるカルデラ湖の中にもうひとつ山がある不思議な場所がある。

◎ シッレ村(コンヤ県)
 コンヤ市の7キロ郊外で、かつてはキリスト教徒達が暮らしていた。西暦327年に、コンスタンティン大帝の母后が寄進したアヤ・イレーネ教会が現存する。ここにも初期キリスト教徒達の洞窟をくりぬいた隠れ家が見られる。

◎ チュムラ/チャタルホユック遺跡(コンヤ県)
 世界最古の定住村落と言われる発掘中の遺跡。その出土品は紀元前6,000年以上昔に遡る貴重な発見である。世界中の注目を集め、イギリスやアメリカなどの外国資本がスポンサーとなって、世紀をまたぐ事業となるようだ。コンヤの南東30キロ。

◎ ハートゥンサライ村/リストラ遺跡(コンヤ県)
 聖パウロが布教に訪れた1世紀の中ごろ存在していたキリスト教徒の町リストラ。数々の逸話が残っているが、ハートゥンサライ村の近くにあるホユック(塚)が、リストラの遺跡であろうと推定されている。コンヤの南30キロ。

◎ ギョクユルト村/キリストラ遺跡(コンヤ県)
 同じく聖パウロが布教に訪れた頃のキリスト教徒の村のあと。こちらは数年前から発掘が進められている。発掘責任者は日記でおなじみ、考古学者のヌレッティン・オズカン先生。ハートゥンサライ村から5キロ。

◎ ベイシェヒール湖/クバドアバド宮殿遺跡(コンヤ県)
 トルコ第3の大きな湖、ベイシェヒール湖の西岸にあったクバドアバド宮殿は、コンヤのセルジュク帝国の並ぶものなきスルタン、アラアッディン・ケイクバト1世が母后のために築いたといわれている。発掘調査中。ここの出土品はコンヤ市内のカラタイ博物館に展示されている。コンヤから西へ152キロ。

◎ セイディシェヒール町(コンヤ県)
 コンヤから約100キロ南西、アンタルヤ街道・西トロス山脈の麓にある町。山越えの基点となっている。

◎ アフシン町/エルビスタン町(カフラマン・マラシュ県)
 トルコの中央部に位置するアフシン町とエルビスタン町にまたがる地域には、巨大な火力発電所がある。そこはまたアダナから地中海に注ぐジェイハン川の水源地でもある。エルビスタンはポプラ並木に風がそよぐ静かな田舎のたたずまいを残している。イスタンブールからは南東へ約1,020キロ。

◎ マラティヤ(マラティヤ県)
 トルコ随一のカユス(あんず)の産地マラティヤは、メソポタミアの豊かな水源に潤う土壌を誇り、カユスのみならず果物、野菜の大供給地である。イスタンブールからは約1,110キロ東南東に位置している。



























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