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さっきテレビ番組で、オレンジを落としたら20人中何人拾うかテストをやってた。国民性の現れる良いテストだと思う。アメリカ・南スーダン・中国・イタリア・日本の順でテストを実施して、結果は日本が20人中20人のパーフェクト!素晴らしい国だね。意外だったのは中国。20人中1人だけ拾ったという結果。意外と思ったのは、もっと拾うのでは無いか?という意味ではなく、誰も持ち逃げしなかったと言う意味で。
2012.01.02
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昨日テレビでやってた「DEATH NOTE」を鑑賞 21世紀はどのような世界になるのか幼少の頃に想像していた世界観と、現実のリアルとは大きな剥離があって、今の日本は確かに色々な意味で成熟してきてはいるけれど、年齢を重ねるごとに漠然とした不安と窮屈さが増すばかりである。DEATH NOTEはそんな今の日本の社会性を極めて深い洞察力で描いた映画である。もともとは漫画だが原作は一度も見たことがない。往々にして映画化にすると原作よりも劣るものだが、この映画は良く出来ていたと思う。デスノートを使用し正義の名の下に次々と殺戮を繰り返す。対象者は基本的に犯罪者と自分を邪魔する者である。この構造自体はテロルと何ら変わりはない。誰もが自己の正当性と権利だけを主張し、傲慢で狭小で、そして劣等感を抱いている。ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」や「罪と罰」を読んでいれば、この映画を通して改めてドストエフスキーの先見性の凄みを思い知る事になる。テロルの時代とメディアの持つジャーナリスティック性もこの映画には欠かせない要素である。犯罪者が殺される様をある種のクライシスを持って報道する。その行為は他者への痛みの希薄化である、想像力を欠如させた大衆に対し凄惨な映像を巨大メディア網を活用し配信する。求められるのは視聴率という数字であり、そこから得られるカネである。グローバリズムの潮流はより過激なものを欲し、大衆はクライシスに対する喚起を求めている。沢尻エリカの騒ぎも倖田発言も起こるべくして起きた。メディアが取り上げなければ事件にも話題にもならない。どうでもいいことだ。メディアも大衆も犯罪者や過ちを犯した者(沢尻や倖田も含めて)達を徹底的に蔑む事で自己の位置を確保する事で躍起になっている。読んだ事がないから分からないが、中澤新一はその意味でテロルを肯定ではなく"認識"しているのでないだろうか。最後に、この映画は非常に良いキャスティングがされていたように感じる。それぞれが与えられた役割をきちんと把握していていい仕事をしていた。特に松山ケンイチの芝居には嫉妬に近い感情を抱いた。明日から走り方と携帯の持ち方を変えるかもしれない。
2008.02.09
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【January 2008 Japan】 妻絞殺容疑で夫逮捕 無理心中図った可能性 仙台無理心中か:寝たきり長女と父が死亡--千葉・野田山梨市の民家全焼し4人死亡/無理心中の可能性親子4人が死傷 長女の犯行、無理心中か 徳島「サバイバルナイフで刺した」八戸母子殺害 長男供述無理心中?:名古屋で妻の絞殺体 夫は福井の海岸で死亡無理心中?:娘父、「介護に疲れた」と遺書--柴田 /宮城無理心中?:母子ら3人首つり--奈良・橿原青森・82歳殺害:次女の看護師を逮捕 「介護に疲れた」【Yahoo! 殺人事件 > ニュース】 - 交際の31歳女を逮捕=マンションの男性殺害-日常的暴力に激高か・警視庁(時事通信) (1日15時1分) - <元役員不明>詐欺容疑逮捕の男が「遺体捨てた」と供述(毎日新聞) (1日2時31分) - 同僚の21歳男逮捕=「金使い込み追及され」-小学校女性臨時職員殺害・道警(時事通信) (1日0時31分) - <青森3人殺害>長男が弁護士と接見、動機はなお不明(毎日新聞) (1月31日23時12分) - <殺人未遂>自宅侵入者に女性殴られる 茨城(毎日新聞) (1月31日12時58分) - <殺人>56歳妻が殺され、57歳夫は不明 千葉・柏(毎日新聞) (1月30日22時5分) - 銃撃で元組員逮捕=借金せがまれトラブル?-大阪府警(時事通信) (1月30日16時31分) - <傷害致死>16歳長男暴行死で母親も逮捕 川崎(毎日新聞) (1月29日20時45分) - 自殺ほう助容疑、男逮捕=21歳女性、車内で死亡-福島(時事通信) (1月29日20時31分) - 子2人投げ落とし、無理心中か=母は11階から飛び降り-神奈川(時事通信) (1月29日19時1分) - 仙台の一家4人殺傷、父を殺人容疑で逮捕(読売新聞) (1月29日3時12分) - 長男を死体遺棄容疑で手配=浴槽内に76歳父-青森県警(時事通信) (1月28日19時31分) - 無理心中? 民家に父娘の遺体 千葉(産経新聞) (1月28日8時0分) - 乳児粘着テープ殺害 母親死亡、歩道橋から飛び降りか(産経新聞) (1月23日11時52分) - <静岡・殺人>交際でトラブル…男性が刺され死亡(毎日新聞) (1月23日10時49分) - 民家で83歳男性焼死 放火・殺人容疑で32歳孫逮捕(産経新聞) (1月23日0時27分) - <死体遺棄>女性を道路脇に捨てた男逮捕 殺害も供述 山口(毎日新聞) (1月22日11時23分) - 妻殺害 46歳夫逮捕 DVで被害届出したばかり 宇都宮(毎日新聞) (1月22日10時6分) ・ ・ ・
2008.02.02
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インターネットビジネスの企画・開発・運営を手がけるエニグモ(渋谷区渋谷3)は1月23日より、個人が所有する「物」をシェアできる携帯電話向けインターネットサービス「シェアモ」を開始する。 エニグモは、世界各国の欲しい商品を代わりに購入し、配送してくれるインターネットサービス「バイマ」を運営する。同サービスでのノウハウを「シェアモ」で活用し、1年で10万人の会員獲得を目指す。 「シェアモ」では、使っていない物やいらない物を出品して、ほかの人に譲ることができるほか、出品している物を借りたり譲ってもらったりすることができる。やりとりの際にはポイントが発生し、獲得ポイントに応じて「よりいい物」をシェアすることが可能になるという。食品など禁止されている物以外は基本的に何でも出品でき、登録料・利用料は無料。 機能は、出品する場合と借りる場合の2つ。出品する際は対象物の画像を登録し、欲しという人が現れればシェア期間(10日~120日)を設定した上で、送料着払いで送る。出品から3カ月たっても借り手が現れない物はサイトから削除される。一方、出品している物を借りる場合は、オーダーボタンをクリック。出品者から送られてきた商品のシェア期間を使用後、気に入れば獲得ポイントを使って引き取ることもできる。違う物が送られてきた場合は、同社が個別に対応するという。明らかに問題が多発しそうな雰囲気は醸し出しているけれども、CGMや文化の生成初期はどのようなものでも徹底的に叩かれる運命にある。素朴で力強く、歴史のある和太鼓を、踊りながら笑顔を振りまきながら叩く様子を、きっと許せないと思うように・・・きっとこのニュースリリースが出て一番喜んだのは、名前が似ているSEAMOだろう。昨年は紅白に出なかったな。三木道三を思い出す。
2008.01.31
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東京・世田谷豪徳寺で、パリ気分のアパルトマンに住んでみる。 小さな街の小さな駅。 小さな商店街と小さな散歩道の角にある、 小さな7つのアパルトマン。 名前は「nana」。 詳細はこちら狭くても構わない。こんな部屋に一度で良いから暮らしてみたい。毎日が瑞々しく変わるだろう。宮崎あおいタンのような娘に凄く似合う部屋だ。白く透き通る肌のように、その余りの白さに、美しさに、目が止まってしまった。出会いとはそういうものだ。中島美嘉/宮崎あおい/NANA スペシャル・エディション
2008.01.29
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0125子年10送料無料でお届け19年産 新米 秋田県産あきたこまち 10kg秋田県のあきたこまちです。口に入れたときの食感が非常に良く、弾力があり粘り、甘み、ともに本物の味といえる、大好評の商品です。20kg入りもあります。
2008.01.27
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脳に酸素が充分に行き渡らない低酸素状態に陥ると、人間は正常な判断が出来なくなるらしい。その典型的な例はSEXの最中らしく、SEXの最中は誰しもバカな状態に陥るという。米国あたりで研究事例がある事を聞いたことがある。実証実験時に被験者には永遠に、・・・何かやり続けたのだろう。1月始めにバーゲンがあって、その時に念願のスーツの購入を決めた。バーゲンで客が殺到し正常な判断が出来ず、自分がどんなスーツを選んだのか、クレジットカードを店員に差し出した時には忘れてしまっていた。正常な判断にはストレスの無い空間と体に対する負荷を軽減させる必要がある。特にストラテジーはそういった条件が揃っていないと出来ない。今日はスーツを取りに行く前にパークハイアットでお茶をする事にしたのだが、パークハイアットのピークラウンジはそういった条件が揃っていて、イギリスの何とかという紅茶を飲みながらしばし友人とストラテジー。前回来た時から4年という時が経ったが、自分を巡る環境は大きく変わった。がむしゃらで若く感情的だった頃を懐かしみ、同時に停滞している自分を蔑む気持ちもある。若いOLが多いと感じた。パークハイアットで紅茶を飲む事は勝ち組ではない。若いOLがパークハイアットで紅茶を飲む事は単にキャッシュの移動先を替えたに過ぎない。誰でも出来る事だ。夜に土風炉へ行き酒と牡蠣を食す。ここでは斜め前の席で商談をしている団体が居たが、きっとスムーズに商談は進まないだろうと感じた。牡蠣が思ったよりも不味く、大橋未歩に少しだけ似ている女性を見ていたら、そのうち移動され、あの店ではとてもじゃないが、ストラテジーなんて出来ないだろう。
2008.01.26
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同僚の帰宅時間が早い。皆、目も合わさず逃げるように去っていく。そんな姿を見ていると感じる事がある。私はもっともっと仕事がしたい。もっと多くの案件に携わり、多くの売上をあげたい。そしてその内、私無しでは首が回らない状況を作り出したい。今、私は外資のハゲタカファンドの胃袋のように仕事に対して旺盛な食欲を感じている。基本的に雑食だからシステム構築の案件もやればパッケージ販売も行う。暇さえあれば泥臭く電話営業もする。彼らと私の勤務時間の差は歴然で、日に3時間以上、月に換算すると60時間以上は多く働いている事になる。このアドバンテージは大きい。まだまだ彼らは気付いていないが彼らと私には既に大きな違いがある。彼らに決定的に欠けているものがある。やる気、とかではない。というかそれは前提である。提案がないのだ。プレゼンテーションがないのだ。金曜日の夜や休日のアポイントメントに関しては驚くほど、積極的に且つスムーズに、スマートに予定を埋めることができるのに、だ。優秀な人間は現在所持しているの情報をアソートメントし、課題解決に向けてプレゼンテーションをしている。それは事実である。では私から彼らへプレゼンテーションをしよう。売上がどうしてもあげられないと泣き付いてくる日がきっと来る。食欲旺盛な胃袋を持つ私でも、舌の味覚は維持するつもりだ。味覚は胃袋にあらず。中には不味いものもあるから、そういった残りカスはくれてやろう。そら、飛びつけ!くれてやる!それでも「不味い」と愚痴るなら己でどうにかしてみろよ。
2008.01.25
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少し前に深夜映画の「海を飛ぶ夢」を録画しておいたので昨夜鑑賞。人間の尊厳に関する深く重厚なテーマの映画だ。ここ数年自分の中にくすぶっていたテーマである。親族に身障者が居て、介護の必要があり、愛されつつも将来に対する希望は閉ざされ、その身障者が「死への欲望」を持ち続けている境遇にある人には必見の映画だろう。そうでない人もこういった作品は見るべきである。特にこれからの時代はこの作品のような悲劇が必ず増える。「死への欲望」を口にする者に対し、安易に生の素晴らしさや生の希望を問うた所で何の意味があるだろうかと思う。人間の尊厳の所持はあくまでも個人の希望と、経済活動の有無に属するのではないかと感じるが、それだけではない何か別の方策が欲しいと感じる。ただ生きる事が素晴らしいと感じる何かが。生きる事は醜悪な事でもあるから。裡なる海へ裡なる海へ無重力の奥底へ夢が眠る場所でふたつの魂はひとつの願いを叶えるふたりの眼差しが静かに幾重にも重なる深く もっと奥深く肉体を超えて遥か彼方へでも私は目覚めひたすら死を願い私の唇は永遠にあなたの髪をさまよう
2008.01.13
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この間久し振りにYUIの曲を聴いた。 久し振りに聴いた感想だが何というか、演歌を聴いたような感覚に陥った。 歌詞といい甘ったれた歌い方といい、デビュー当時のみずみずしさがすっかり無くなっていて残念でならない。 YUIは若手のシンガーの中でも一歩抜け出た存在だと思う。 それは周知の事実でオーソライズされている。 ブーツ姿の滝川クリステルが現在の日本で一番美しい女性の姿だ、という事と同じくらいオーソライズされている。 こういう人を見ていると(特に歌手に多いのだが) マスプロダクト化する際のプロデューサーなり事務所の見えざる手が、 間違った方向へと進めてしまっていて、大衆に配信されるコンテンツそのもののレベル自体が落ちたように感じる事がある。 YUIのような歌手には自由にやらせて欲しいな。と思う。 エリカの場合はそうはいかないけれど。 私がエリカをプロデュースする立場であったら、 1、半年ほど謹慎処分にする。 ほとぼりが冷めるまで「待ち」の戦略を取る。 世間は関心を失う。そこがチャンスなのだ。 2、復帰CMは、「キンチョール」「マロニーちゃん」「タンスにゴン」あたりだな。 新境地の分野に挑戦をさせ、再び世間の関心を引き寄せる。 3、対談番組の司会に抜擢する。「徹子の部屋」みたいなね。 和田アキ子、細木数子、太田光、木村拓哉、亀梨和也、蛯原友里、長澤まさみ、リア・ディゾン、田原俊彦、三浦和良、長嶋茂雄あたりをキャスティングしたい。 もちろん1対1の真剣対談番組だ。 テーマは基本自由だが、最近の「山田洋行疑惑」や「小沢の辞任撤回」や「相次ぐ食品偽装事件」「消費税アップの時期」なんかをアジェンダとして取り上げる。きっとどんな政治番組コンテンツよりも面白いはずだ。若い世代の政治に対する関心も引き寄せる事が出来る。将来的にエリカはその功績を称えられ紫綬褒章を受賞する。 YUIの話がエリカに移ってしまったな。 エリカを私に任せてくれないだろうか。 完璧に彼女を復活させるプランは出来上がっている。 世間の無関心ほどメディアに出る人間にとって恐いものはないだろう。 私は一顧だにされない心を持ってこの仕事を遂行させたい。 焼酎を呑みながらオファーを待つ事にしよう。
2007.11.17
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古田最後の神宮、4月以来の先発も苦闘象徴の展開昨日、深夜のスポーツニュースで神宮球場での最後の試合の様子を報道していて、球場全体が古田敦也の背番号である27が表示された緑色のパネル一色で覆われいて、奇声に近い声援が古田に向けられていた。「いよいよ・・・引退か・・・」と、いいちこを呑みながら静かに感傷に浸ってしまった。思えば、この選手は存在全てが異色であった。メガネを掛けた捕手なんていなかったし、捕手にしては非凡な打撃センスをもっていたし、ID野球と呼ばれる頭脳的なリードで弱小球団だったヤクルトを4度も日本一に導いている。2004年の球界再編の時の古田の働きはまさしく鬼神のようであった。3年前、古田敦也は選手会長として機構と戦っていた。(中略)朝、古田敦也は各方面に電話をかけて情報を収集分析し、昼、交渉の会場は赤坂のニューオータニだったと思うが、スト決行でセパの選手会を纏めて交渉に臨み、長丁場の会議で機構側が出してくる切り崩しや脅し(スト決行による損害賠償請求)に対して弁護士と何度も協議を練り、最後まで断固として2リーグ制維持の意思を貫き通した。そして夕方、報道陣の質問攻めにもみくちゃにされながらホテルのロビーを抜け、陽が落ちた夜になって、神宮球場にユニフォーム姿で現れていた。古田がバットを振っていた。試合後半、一塁側ベンチから代打で出てきた古田敦也が、ウェイティングサークルで二度三度バットを振り、その雄姿にスタンド全体が熱烈な古田コールで激励、満場の歓呼の中で、それでも古田敦也は顔色ひとつ変えずに打席に立ち、いつものように配球を読み、あの上半身を使った独特のスイングで投手の決め球をセンター前に運んでいた。そして試合後にもスタンドの古田コールは鳴り止まず、ベンチから飛び出した古田敦也が帽子を脱いでファンに一礼、感謝の意を伝えて長い一日を終わっていた。そういう感動的な「古田の一日」を、『ニュースステーション』のプロ野球速報の中で何度も見た。神宮球場に詰めかけたファンは、ヤクルトの試合を見る以上に、古田敦也を応援するために集まっていた。思い出す。炎暑の日中の公式戦、ブルーウェイブのファンが神戸グリーンスタジアムの外野席で「古田支持」と大書したプラカードを持って立ち続け、「宮内、出て来い」と叫んでいた。 ~世に倦む日日より抜粋~このような偉大な選手に対して、引退試合が放送されず、深夜のスポーツニュースで5,6分程度の枠で取り上げられる事に寂しさが募る。個人的には沢尻エリカ問題に時間を費やすくらいなら古田引退に関する報道時間を増やして欲しいのだが。。そしてもう一つ個人的な意見としてヤクルトは、最大の賛美、尊敬の念を持って背番号27を永久欠番にするべきだと思う。昨日の古田の最後の挨拶である「また会いましょう」という言葉。SEAMOを意識したのかは分からないが、再び監督として戻ってくる事を期待して待つ事にしよう。
2007.10.08
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そもそもの話、今回の沢尻エリカ問題に対するメディアの報道姿勢は朝青龍問題と酷似しているように感じる。正直「またか」と感じたほどである。今回の沢尻エリカの起こしてしまった不祥事に対する処罰や謝罪を求めるフォースは、現代の社会性を象徴しているように感じる。誰もが心の寛容さを失い、事実を見たままで捉え、大衆が寄ってたかって個人攻撃をし、謝罪を求める様子は見ていて決して気持ちの良いものではない。極論を言えば、沢尻エリカを巡る世間の対応はイジメと何ら変わらないのだ。「イジメカッコ悪いよ」と声を上げたいが、現代の日本でその言葉を言う事は危険であり自殺行為である。大衆迎合、結局この国に個人が個人の行動に対し責任を取るような個人主義なるものは浸透しないだろうと感じる。こんな事を書くと沢尻エリカ擁護派だとか思われそうだが、そんなことは無い。テリー伊藤が根拠の無い擁護をしていたが、決定的な勘違いをしている。テリー伊藤は「不機嫌ではなく不器用だったのではないか」と説いているが、明らかに映像を見る限り、不機嫌さを滲ませている。女性特有の全てを避け、虐げる事を目的とした感情の表れである。率直な感想を言えば、余りにも醜悪で愚鈍でプロ意識の不足が招いた結果であると思う。1年や2年の謹慎どころか芸能界追放も覚悟しなければならない、それほど罪の重い行動であるといえる。加藤浩次は「演技であるとしか思えない」と語っているが、演技にしては余りにも下手糞であるとしか言いようが無い。行動には常にリスクが伴うが、沢尻エリカ自身があの場面でああいった行動を取る事によって、今後どのような事態を招くのか想像出来なかったのだろうか、と私は疑問に思う。もしも演出としてああいった演技をしたのであれば、余りにも未来に対する想像力の欠如、感性の欠如が疑われる。自身が語る”表現者でありたい”者にとっては致命的な要素の欠如である。演技だったのであれば金輪際2度と仕事が来なくなるのは明白だ。恐らく私は演技ではなく、後に沢尻自らが語ったように人間としての未熟さが生んだ”ケアレスミス”なのだと思う。何かしらの理由があって不機嫌だったのであり、たまさか負の感情があの場面で絶頂を迎えてしまった訳だ。後は・・・男の影響か。ハイパーメディアクリエーターとか言う肩書きの高城という男の存在だ。先日熱愛報道が出たが、事実であればすぐに別れたほうが宜しい。43にもなって独身でメディア業界にいる男の言う事を信用してはならない。とかく女性はお付き合いをする男の影響をすぐに受けてしまう傾向があるものだ。野球好きの男と付き合えば、野球を好きになる努力をしたりだとか、そういう事だ。きっと今回の騒動でも、「大丈夫だよあんな事。俺が付いているから気にするなよ」と嘯いているに違いない。道義的な責任を取れない大人に教育を受けた沢尻と、その周りにいる人間と、報道するメディアと、許容できない視聴者たち。今回の騒動は近代化を遂げた日本の縮図であり象徴的な現象であると感じる。しかし今回の経験は、今後の沢尻エリカの将来にとって大きなプラス材料になると私は確信している。赤江アナが語るように「全ては経験」であり「マイナスとなる経験は無い」のである。経験という名の学習をしてこなかった者は厳しく排斥し続けるだろうが、そのような他者とは私自身無縁で居たい。今後の沢尻エリカが芸能界に残るのか、そうでないのか分からないが、人としてスケールアップする事を切に願う。
2007.10.07
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ランキング好きな私は、数週間前に見た深夜番組でのあるランキングに時代の流れを感じた。確かそれは「私生活が気になる芸能人トップテン」とかだった思うが、浜崎あゆみがトップで、倖田來未や木村拓哉やガクトといった人物が名を連ねていた。ただ意外だったのが、長澤まさみや沢尻エリカや相武紗季などのいわゆるアイドルの名前が挙がらなかった事である。番組の企画上(視聴者層などを考慮して)そうしたランキングに仕立て上げていただけかもしれないが。一昔前であれば同じようなランキングを取ればどうだったであろうと回想する。私自身がそうであったように、当時トレンディードラマの主役を張っていた小泉今日子や中山美穂などの私生活は何をしているのか気になったし、どのような男と結婚をするのか子供ながらに気になったものだ。小学生の低学年時に真田広之主演の高校教師などのドラマを見て育ったので、年齢の割りにはませていたのかもしれない。 世の中の風潮がそうであったように、アイドル達の挙動には常に関心が払われていたし、地方に住む私たちのような存在にとっての情報源はTVや雑誌などのマスメディアしか無かったのだから余計に興味があった事を覚えている。異性を初めて意識した年頃でもあったし、異性の象徴としてのアイドルが、どのようなタイミングで、どのような男に身を傾け、耳元で「いいわ」と囁くのか、スキャンダルを起こすのか、そのような想像はあの年齢、あの環境であったからこそ生まれていたものだと感じはするが、アイドルに対する無関心さ、時代の変化は現在のプロ野球の凋落を髣髴とさせるほど異常な状態であると私は感じている。想像力を掻き立てる力をメディアが失ったのか、あの年齢・環境下での特異性・限界性であったのか分からないが、大衆を対象とした娯楽装置としてのアイドルというコンテンツの商品価値が生まれにくい時代なのだと感じる。しかし最近はあるアイドルに、大衆の世間の目が向けられている。そう、沢尻エリカ問題である。私はこの問題に対し、ある理不尽さと同時にある可能性を感じている。それは次号で書くことにしようと思う。
2007.10.06
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土曜日に会社の同僚のツテで渋谷の居酒屋で2対2の合コンを開催。「渋谷は庭みたいなもんだよ。」と軽口を叩いて店に向かうが、いきなり道を間違えてしまう。僕に道案内をさせるのは大きなミステイクだ。「運動になるから問題ないですよぉ」とリア・ディゾン風の女の子が答える。江東区出身の3人は渋谷ではあまり遊ばないらしい。居酒屋→カラオケ→ダーツバーで結局朝帰りになってしまった。大した話も出来なかったが、かなり努力した感を帰りの電車の中で感じた。翌日曜日の夜に木村君と飲む。昨日の話や仕事に関する話で盛り上がる。木村君の将来の仕事に関しても。この事はいずれ別の機会に書こうと思う。1週間の間に起きたエピソードや感じた事を話し合うのが最近「趣味」になっている。僕が以前、会社の営業マネジャーと一度飲みに行った事があり、その帰り際に「さくら水産最高だよな!」と声を掛けられた時のエピソードから二人特有の思想的考察が始まる。江東区出身の人間があまり渋谷で遊ばないように、営業マネジャーともあろうものが、さくら水産は最高だ、と声を高らかに謳うのは滑稽ではあるが、同時に自分の未来を危惧する。少年の頃大分出身の僕らにとっては、メディアから発信される東京の情報は異次元の話であった。だが上京を果たし、休日の過ごし方や日々の情報収集についてはかなり気を使ってきた。情報収集に関しても彼らとは概念が違う。彼らは生きていくためのレシピや身の丈にあったものしかチョイスしない。極めて現実的な選択を繰り返す中で、僕らが憧れるような選択肢は排除されるべきものとなる。人生という名の旅をいつでも旅行者として傍観し、特異な存在である事を極度に恐れ、ウルルン滞在記なんかを見ては今の自分の置かれた環境に満足し、居酒屋はさくら水産が最高だと部下に吹聴する。そういった人間こそ私にしてみればウルルン滞在記に出てくるような人間である。そういえば駅前で祭りをやっていた。非常に良い雰囲気だ。僕はこの光景を見たときにアメリカでの旅の途中でふらりと立ち寄ったサンノゼのお祭りを思い出した。規模は小さくともワクワクするような感覚は同じである。人との出会いで大きくワクワクするような事が少ない。性格的に大きな欠陥はあったとしても、自分の夢や希望に対しドライヴする活力が感じられない人間は、魅力が乏しいという事に気づいたからかもしれない。活力のない人間もまた移動はしないだろう。
2007.09.17
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少年・少女にとっては、夏休み最後の1週間である。無論私はもう26なので夏休みがそんなに長いわけではない。今年は理由があって夏休み自体がなかった。前にもこのBlogで書いたが、私は夏の終わりが1年の中で1番嫌いな季節である。厳密に言うと「秋の風」を感じた瞬間である。花粉症の人であれば分かると思うが、花粉をキャッチする瞬間のような不快感を感じるのだ。その理由を挙げることは困難な事であるが、昨日、友人と会った時に解答のヒントを得た。例えば、その友人は夕陽が落ちる瞬間が1日の中で最も好きな時間帯らしい。私は逆である。夕陽が落ちる瞬間、美し過ぎる景色と共に1日が終える事が寂しく感じる。その感性はやや鈍ったのかもしれないが、今でも夕陽が落ちる瞬間や、夏の終わりは美しく寂しいと感じる。何かが終える瞬間に見せる恍惚とした美しさと、2度と出会えないかもしれないと感じる漠然とした不安感。友人はその感情を越えて、明日に未来に対する希望があったから、夕陽が落ちる瞬間が好きだったのだろう。私は、美しさだけに目を奪われ、漠然とした不安感に心は完全に支配される。明日や未来に対する希望を感じる余裕を持てないでいる。移ろう美には無常感が漂う。
2007.08.26
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汐留に木村君と正午集合。早速、広告とマーケティングの資料館アド・ミュージアム東京へ。企画展の「第60回広告電通賞展」を鑑賞。概要「広告電通賞」は、わが国最大の総合広告賞で、優れた広告活動を行った広告主を顕彰する広告賞として昭和22年12月に創設されました。今年で60回を迎えた「広告電通賞」の歴史は、質、量ともに日本のクリエーティブの歴史と言うことができます。本展では、今年5月に最終選考が行われ、7月2日に贈賞式を終えたばかりの「第60回広告電通賞」の受賞作品をご紹介いたします。資生堂のシャンプーTSUBAKIのテレビCMは秀逸だと思う。しかし木村君はどうも嫌いらしい。他にもウイスキーのポスターに難癖を付けていたのが印象的だった。もしかしたら木村君は電通というだけでアレルギーを起こす体質なのかもしれないが、機会と既得権益を未だに手放そうとしない団塊以上の世代に対する嫉妬感は、多くの若者が根底の部分で感じているのかもしれない。人的ネットワークの大切さを感じる。中田英寿さんや新庄剛志さんといった人達は、これまでに培った実績と人的ネットワークの過去の遺産だけで食べていく事が出来るだろう。だからこそ彼らは、まだまだ現役でやれそうな早い段階で引退する勇気を持てたのだと思う。次に向かったのは、「皆川リョウイチ CLAY ART展 ナーセリーランド物語」カ、カワイイ。村上隆さんを連想させるキャラクターは非常に精巧に作られたフィギュアだ。ここでも木村君が何か言ってたな。大田区の町工場で・・・怖くて書けないよ。その後、月島へ。もんじゃ焼きを食べる。有名人の色紙が壁一面に飾ってあったので有名なお店だと思う。もんじゃ焼きはそれほど興味はなかったが、今日のは非常に美味しかった。でもやっぱりお好み焼きの方が好きだな。店員のおばちゃん、水も出さないし接客が攻撃的だし。その後銀座に戻り、いくつか個展を回る。どれも琴線に触れるようなモノはなかったな。本来であれば他に、コダックのフォトサロンや資生堂のギャラリーなどを巡る予定だったが、いずれも休館日。無料のギャラリーで良さそうなところは、大抵日曜と祝日が休みだという事を学ぶ。学ぶ事は体験する事である。だから例えば、「何のために旅行に行くの?」といった質問は僕にしてみれば愚問に他ならない。
2007.07.16
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英国の女性デザイナーが手がけるバッグの人気ブランド「アニヤ・ハインドマーチ」の綿製エコバッグが14日、数量限定で先行販売されたが、東京・銀座の直営店には開店時間の午前11時前に4000~5000人の購入希望者が殺到し、店の周辺は一時騒然となった。人気モデルご愛用の話題商品だけに「即売り切れ必至」ではあったが、これほど激しい“争奪戦”は関係者も予想外だった。 ~フジサンケイ ビジネスiより~昨日、三井記念美術館で最高の職人技を見た後での、このニュースは不快感極まりない。なんでもこのバッグはセレブの中でも愛用者が急増中らしい。地球の環境保全に一役買うためのエコバッグに大衆がおしよせ物欲を掻き立てるというのは、何とも皮肉な現象である。ブランド品でセレブ御用達で、且つ値段も2,100円とくれば大衆が押し寄せるのも無理はないと頭では理解できても、ニュース映像などを見ると何とも購入者の品の無さが際立つ。本来このエコバッグに関しては、環境保全を少しでも考えて欲しいという採算度外視のブランドとしての姿勢を評価すべきであるが、他者の欲望に走る物欲は、本来の使用価値や製作者のメッセージ(「まずは、スーパーで使う袋を減らそうと思ったの。」というアニヤ)に対して盲目である。購入者の客層のせいで、ブランドとしてのイメージが大きく損なわれたように思う。1年もすればこのバッグは見向きもされないし、大衆の記憶からも始めから無かった物のように消え去られるだろう。
2007.07.15
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昼頃に三井記念美術館へ。企画展美術の遊びとこころ 「旅」~国宝「一遍聖絵」から参詣図・名所絵、西行・芭蕉の旅まで~を鑑賞。【概要】昨夏に続き「美術の遊びとこころ」シリーズの第2回は、「旅」をテーマに、先人が「旅」のなかで培ってきた日本の文化と「旅」に寄せてきた様々な思いを、「小さな旅」、「霊場と名所への旅」、「イメージへの旅-詩歌と文芸-」、「鳥の目の旅-上空からの視点-」、「大日本五道中図から海外へ」の5つの小テーマに分け、絵画・書跡・工芸品の名品・優品約60点で紹介いたします。展示室1の印籠や茶器は目を見張る職人技の数々が宝石箱のように輝きを放ちながら展示されている。大量生産では実現できない技術とデザインには思わず息を呑む。世の中で幅を利かせるブランドの在り方についての概念が揺らぐ。この世の中に一つないし数が限定される職人の作品と、ブランド品を単純に比較する事は出来ないが、現代における価値は社会的な他者の欲望によって支えられているところがある。希少性という部分においては職人技も価値や評価を得られるが、作品そのものの技術を純粋に評価できる人間はさらに少なくなるのではないだろうか、と危惧する。絵画において印象的だったのは、殆どすべての絵が金色をベースに描かれており、直感的にマルコ=ポーロの「東方見聞録」の一節を想起した。それは「黄金の国ジパング」という言葉だ。Wikipediaによると「実際に日本には訪れておらず、中国で聞いた噂的な話として収録されている。「黄金の国~」というのは中尊寺の金色堂についての話を聞いたものと思われる」とある。映像技術が乏しく、絵画や書跡はあったにせよ当時は見聞等の発想による認識は大きかったと思う。「幻想的な追体験としての旅」という説明文が何かの作品であったが、現代となっては「幻想的な追体験としての旅」自体が幻想的になってしまった事は残念だ。昼食は、日本橋たいめいけん、の向かいにある小汚い焼肉屋で。それから銀座へ移動し、ポーラミュージアムアネックスへ。新鋭展2007を鑑賞。荒木さんが居た。とてもチャーミングな方だった。36歳か。独身だったら親は泣いているだろうか。バーニーズ・ニューヨークでシャツを購入。その後、表参道へ移動しオルネ ド フォイユ・M/13 CAFE 渋谷・遊邑RAKUZA 渋谷店で〆る。
2007.07.14
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★映画上映『軍隊を捨てた国 コスタリカ』(山本洋子監督作品2001年/86分)「軍隊を廃止し、半世紀以上がたつ中米コスタリカ。音楽と踊りがコスタリカの現実に交錯する異色のドキュメンタリー・・・地球の裏側から「平和のあり方」を問う作品」コスタリカがどこの大陸にあるのかも分からない人が会場にはいるのではないかと訝りながら鑑賞。軍隊の所持の是非はともかく、多くの民間人は平和を望んでいるし僕自身も望んでいる。コスタリカは奇跡的にも軍隊を所持しなくても良い状態にあった。意図した政策というよりは経済状況や政治的な立場から可能であった事は奇跡的である。最近、経済に関しての本を読むことが多いんだが、経済というものはエコノミストやアナリストが計算するような、誰もが自己に都合の良い合理的な行動をとっているわけではなく、逆に多くの不確定要素を孕んでいるものである。ヒューリスティクス・プロスペクト理論・フレーミング効果・サンクコスト効果・デファクトスタンダード・トレーサビリティ・パレート最適・マネーサプライ・前川レポート・コールレイトetc映画後、壇上で高々と軍隊放棄を謳った女性は、これらの経済用語を知っているだろうか。経済と軍隊放棄は別だと言うかもしれないが、経済こそ現代における戦争に他ならない。軍隊さえ放棄すれば世界が平和になるなんて謳う人間を僕は信用できない。とはいえコスタリカのように奇跡的とは言え、軍隊を放棄できる状況が生まれる事は喜ばしい事だろう。たとえば彼女に問いたいのだが。スーパーで買う外国産の白身魚や鶏肉やエビやマグロや水や・・・何でも良いのだが日本に運ばれるまでにどのような戦争状態を生み出しているのかを知っているのだろうか。また輸送時に多大のCO2が発生する事にも気が付かなければならない。資本主義経済の怖さは自らが武器を手にとって戦わずに、戦争(資源の搾取も含む)に少なからず関与している事である。日本は資源の大半を輸入に頼っているある意味”戦争加害者”と言っても過言ではないと思うのが・・・。それにしてもこういった海外のドキュメンタリー映像で感じる事は、女子供限らず皆、精神性を帯びた顔をしているところだ。人間本来の動物性を感じさせる言動と所作は魅惑的ですらある。それに引き換え日本にはボーっとした顔の野郎が多い。中山は何かの隙間のような顔をしていたのだと初めて気づいた。ペン立てと卓上灯の隙間とか、本立てと煙草の箱の隙間とか、電話の子機と鉛筆削りの隙間とかに見える焦点のぼやけた何かに似ている顔をしていた。(中略)彼女たちには中山とか近藤と共通の印象があった。教育というものを受けた痕跡が皆無だった。(村上龍 「空港にて」より抜粋)もうすでにあの会場で出会った人達の顔は忘れてしまった。最後に一言、人前に出て挨拶するときぐらいは帽子を取るべきだと思うよ。ああいった場で帽子を取らない事が恥ずかしい行為だという事を知らない人は危険だ。
2007.07.08
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東京国立近代美術館にて「アンリ・カルティエ=ブレッソン 知られざる全貌」を鑑賞=概要=「決定的瞬間」をとらえた写真家として知られるフランスの写真家アンリ・カルティエ=ブレッソン(1908-2004)。彼は絵画を学んだ後、1930年代初頭に、本格的に写真にとりくみはじめます。35mmカメラによるスナップショットの先駆者として、独特の鋭い感性と卓越した技術を結晶させたその写真表現は、ごく早い時期から、高い完成度を示していました。1952年に初の写真集『逃げ去るイメージ(Images a la sauvette)』を出版。そのアメリカ版の表題である『決定的瞬間(The Decisive Moment)』は、カルティエ=ブレッソンの写真の代名詞として知られるようになります。日常のなかの一瞬の光景を、忘れがたいイメージへと結晶させる作品は、同時代の写真表現に大きな影響を与えました。日本でも1950年代にその仕事が紹介されると大きな反響を呼び、その作品は広く愛されてきました。=ここまで=非常に構図にこだわっている印象な写真の数々。どれもコレも非常に味があって素晴らしい。是非一度は見てみるべき写真だと思う。僕が一番気に入ったのはリバプールの廃墟を少女がうつむき加減に歩いている写真だ。廃墟の奥は霧が立ち込めていて、現実とファンタジー(少女であるところもファンタジー感を際立たせている)が入り組んでいるような写真だ。ネットで検索したが生憎無かった。晩年には写真を撮ることを止めて絵画に集中していた事も興味深い。先月、森美術館で[ル・コルビュジエ展]を見たが、コルビュジエが晩年に建てた住まいが僅か8畳分のスペースしかなかったのだが、何となくその事を思い出した。人間の最終形態はその個人が持つ最大の武器を捨てる事なのかもしれない。ゴミだろうが捨てる時には勇気を要する。ル・コルビュジエは、様々な住宅を実験し、巨大な集合住宅や公共建築に挑戦し、都市を構想した。そして建築とは何かを問い続け、近代における人間の理想の環境を生み出そうとした。その彼が、最後に到達した最小限の住まいが、この小屋だったということは、象徴的で意味深い。~MORI ART MUSEUM [ル・コルビュジエ展] セクション10:「海の回帰へ」より~手稿も展示されていて、写真と絵画の違いを説明していたんだけど、思い出せないな。メモっておけばよかった。昼は竹橋パレスサイドビル内の天麩羅屋で寿司と天麩羅のセットを食す。夜は東京トンテキを。某番組でギャル曽根が番宣の為に此処で食べていた。味はまあまあ。最近大食い番組が増えてきたが、この現象は何かを示唆しているのではないかと思いながら食す。
2007.07.07
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白い巨塔以来久し振りにドラマを見た。「プロポーズ大作戦」だ。日本で今一番波に乗っている女優と山Pの組み合わせだからみた、わけではない。ドラマをミーハーな気持ちで見ることはもう無いな。何かしら現在の日本が垣間見える物語性を期待しながら見たのだ。しかし目を覆いたくなるような演出の数々だなァコメディっぽく仕上げてはいる。台詞も流行している「どんだけ~!?」とか多用している。しかし笑えない。面白くない。ドイツW杯で、実力的に日本代表が大きく劣るにも関わらず、マスコミは最後のブラジル戦で2点差以上で勝てば予選リーグを突破できる、というような希望観測的報道をしサポーター(視聴率の)の引止め工作を画策していたが、肝心の選手たちがTVの画面から見ても分かるほどシラけていた。何かこのドラマはそんな状況を思い起こさせる後味の悪さがある。現代のドラマは現実社会との乖離が激しく、現実のモデルと成り得ないような印象を受けるがこのドラマもしかりである。それはこのドラマが原作無しのオリジナルドラマである事とも関係がある。最近はマンガや小説からドラマ化が一般的なので、この場合大抵現実離れしていてもある種の安心感を得ながら見ていられる。日本の近代化が終わった事でドラマの役割は終わったと思う。僕らが少年時代だった頃は、TVくらいしか娯楽が無かったし、親以外の大人の世界を知るにはドラマというものは一定の効果があった。自分を含めてクラスの半分以上が、同じようなTVやドラマを見ていたことと思う。あの頃のドラマの主人公は、割と分かりやすい職業(一般的なサラリーマンや警察官やクリーニング屋や教師やレストランのシェフetc)で、家族構成や住居の様子も大して変わりが無かった。バブルがはじけて本格的にIT分野の職業が増えてから、ドラマの主人公がやたらクリエイティブな職業に就いたり妙に凝った部屋に住むようになった。経済的な感覚を感じない。この話にはオチがないのでここら辺で止めようと思う。ただ一つ言いたい事は、個人のライフスタイルが多様化する中で、未だに超人気女優やジャニーズ俳優を使い続ける設定には無理があるように思う。昔からそうだったじゃないか!と言われそうだが、確かに今になって思えばドラマというものはいつだって現実とは乖離していた。僕たちは騙されていたのだろう。ドラマはマジックショーみたいなもので視点を変えなければ、そのマジックを見破る事は出来ない。
2007.06.25
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自称経営コンサル会社からすぐに採用の連絡が来た。本社は福岡だが、東京の事務所への配属前提というお話。東京進出は僕の願うところで二つ返事で採用を快諾した。親には福岡で働く旨を伝え、姉だけには、実は東京なんだ、という事を伝えた。それは僕に何かがあった場合の為のパイプと、親に何かがあったら頼むよ、という意味において。6/4(月)からの出社であったが、仕事内容にどうしても気乗りがせず、結局一昨日採用辞退の連絡をした。じゃあ大分に残ったんだな、と思われだが結局東京に来た。木村君の家に何日かお世話になる間に住まいを決めて就職活動をするプランだ。羽田空港へ降り立った瞬間、去年大分へ戻ったときと同じような感情が沸き起こった。現実に起きている事柄や意思という歯車が噛み合わないというか、うまく捉えられない感覚。それを少しずつフィットさせる事と東京での新たなライフスタイルを築く事。その平行作業が26歳を迎えてすぐに始まった事に意味は感じないが、感慨深いものがある。きっと忘れられない日になるだろう。
2007.06.02
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福岡の経営コンサルティング会社に面接に行く。社員6名のベンチャー企業だから、学歴が無い私のような人間にも(しかし職務経歴書はかなり華々しい経歴に彩られている)ポテンシャル重視でとりあえず会って頂けるのだろう、と感謝の意と十分な気合を持って挑んだ。3人ずつの集団面接-始めは緊張したが、自己紹介、長所、短所、将来の夢、会社員について思う事(抽象的すぎる)、東京のイメージ(面接官はアメリカに近いと言っていた。ドコガダロウ・・・)、質問事項(質問したのは私だけだった)。といった形で進んでいった。今年福岡の大学を出た坊ちゃんと、学校の期間職員と、私だった。私も途中から自分が面接官になった気分で坊ちゃんと期間職員の話を聞いていたが、どうして2人がこの仕事を選んだのかさっぱり理解できなかったし、完全に向いていないように思えた。2人とも純朴すぎるのだ。2人は大分へ行ったほうが良い。キャノンやダイハツや東芝が(実際は派遣請負業者が)可愛がると思う。面接会場を出て、そうアドバイスしようとしたが止めた。私は3分で、どんな会社なのか、どのような業務なのか、職場の雰囲気はどうなのか、といった疑問が大体分かった。この仕事は、純粋な熱い気持ちのある人物には向いていない。むしろそのような感情を括弧に入れるほうが重要だと感じた。だからこそ私は面接中にも拘らず、かなり悩んだ。経営コンサルとは名ばかりで将来的にそのような仕事にありつける可能性も少ないと感じた。東京で再び働けるというオポチュニティは得る事は出来るが、仕事自体は悪魔に心を捧げなければならない。面接官:「みなさん、そんなに緊張しなくていいですよ。それにしても面接やってると分かるんですがmajestic5.7さんは落ち着いてますねぇ。」majestic5.7:「いえ。緊張してますよ。」思考の邪魔をして欲しくなかった。帰ろうかとバッグに手を掛けたがそれも止めた。面接会場を後にした私は、内定を確信していたが、最終的な判断を決めかねていた。最終的な判断は家族にではなく(反対されるのがオチだから)、木村君に託した。
2007.05.21
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5/2に冷やかしでフォルクスワーゲンに行った事を以前書いたが、今日はその事について。5/2の時点で僕は、フォルクスワーゲンのある車を褒めはしたものの、全く、100%買う気は無かったし、今も無い。これからも無いだろうと思う。フォルクスワーゲンなんて国産車並みに興味が無い。だから「冷やかし」で行ったのだ。少しでも本気であれば冷やかしにはならない。そんな僕の気持ちを察しない営業熱心なYは、金額のプランをアレコレ話し、値段も勉強する事を約束し、挙句に、「コレに乗ったら髪形とか服装とか雰囲気とか変わると思いますよぉ♪彼女も出来ちゃったりして♪」だってさ。マジで殴りたい。間接的に僕という人間の存在否定をされたので(確かに先方の弱点に漬け込むというのは営業の常套手段ではあるが、Yの場合は僕を不快にさせただけである)、それ相応の仕返しをしてやろうと心に決めていた。そして機は熟した。昨日電話があり、Y「majestic5.7さんの希望に叶う条件でお話が出来ますので、そちらにお伺いしてもよろしいでしょうか?」という内容。家に来られては拙いので、僕「いや、僕からまたそちらに行きますよ。(努めて明るい声で)」Y「あぁ!そうですか!お待ちしてます!よろしくお願いします!」で、約束の日の18時。僕はディーラーに向かわず、静かに携帯の電源を切った・・・。いやそれだけの話なんだけどさ。結構効くと思うんだよ。ボディーブローのように。携帯の電源を入れたときに留守電が入っていたが聞こうと思わない。さっきも電話が掛かったが出なかった。これからも出る事は無いだろう。Yにしてみればいくら電話しても連絡の着かない僕という存在は、つまるところ幻想なのである。それはYの営業手法が招いた結果であり、Yは自分自身によって架空の契約締結を夢見たのである。だがしかし、彼にしてみれば、僕の存在価値は低いのだから、こんな事を論じようが何一つ学ぶ事が無いほど彼は優れた営業マンなのである。
2007.05.18
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モロッコで起きたある一つの銃撃事件が、モロッコは元よりアメリカ・メキシコ・日本の各家族に次々と家族の在り方について考えさせられる出来事を起こす。この構図は、ヴィクトリア湖のナイルパーチを巡って様々な負のスパイラルを起こす「ダーウィンの悪夢」に似ているとも言える。「結果を原因と混同する誤謬(ニーチェ)」という言葉が当てはまる映画であると思う。それはダーウィンの悪夢にもいえる。「ダーウィンの悪夢」はドキュメンタリーという手法を用いて、建築的にデータを検証し論理づけさせグローバリズムの負のスパイラルを暴き出した。しかしデータが論理の確実性を証明づけさせるのではなく、ある論理の元でデータは構築されるのだ。映画「バベル」においては、社会派映画でありながら具体的な解を与えていないので、私は劇場を出た後ひどく混乱した。この映画は何かを論理付けさせるための映画では無く、各家族のケーススタディを取り上げて、視聴者に解を要求させるような映画ではないかと思う。それもかなり恣意的に操作されているようで、そこがまた気に入らない点でもある。だからもし私が何かしらの解をこの映画に当てはめたとしても、それは私の論理の元で構築された解であり、データがはじき出されるといった感覚である。何故このような感覚(恣意的に操作されているような感覚)を抱くかといえば、この映画が余りにも多くの疑問点や矛盾点を孕んでおり、そのいずれもがある種の隠喩や意味を全く含んでいないように思われるからである。尚更混乱する。意味に無関心であれば見れなくない。ただし空疎である事は間違いない。個人的な感想ではあるが、凛子が刑事にメモを渡すシーンがあるのだが、そのメモの内容さえ分かればこの映画が示す解は分からないでもない(それでもかなり乱暴な解になるであろうが)。ともかく菊池凛子の演技は秀逸だった。身体的な接触で不安と孤独と自己の価値を示そうともがく姿は見ていて本当に痛ましいものがあった。ストーリー的にはアメリカ・メキシコ・モロッコ編は凡庸である(つまり想定内である)。日本編だけを重点的に取り上げたほうが良かったと思う。菊池凛子だけがこの映画の異常性とマッチした演技をしていたし、同時にキャラクターとして何ら「中心」がなかった。ロラン・バルトが言うところの「中心のない街」東京(実際東京の映像だけがまた異常性を醸し出していた)、この映画も同様に物語の中心がないのであるから、両者はパラレルな関係にあり、社会派である限りにおいて建築的でありながら異常的である。この映画は様々な混乱を残しただけの巨大建造物であり、解釈が分かれる限りにおいて、その事が「バベル」と言われる所以なのかもしれない。※「バベル」はヘブライ語で、「乱れ」を意味する言葉である。
2007.05.17
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朝8時にホテルを出る予定だった。奇しくもこの日は松阪登板で相手はマリナーズだったので、時間が無い僕らはとりあえず松阪vsイチローの第一打席だけ見てホテルを出た。駐車場から車を出す際に駐車料金を請求された。僕らはホテル代と駐車場は込み価格だと思っていた。何の説明も無かったしよ。みんなも本当に長崎のインターコンチネンタルホテルには気をつけて欲しい。長崎は雨だった。雨の中まず向かったのは龍馬通り。とは言うものの長崎特有の石段の坂道に龍馬が遺した(?)言葉の看板が道端に立てられているだけであった。頂上の方まで行けば何か施設があったようだが、時間の無い僕らはグラバー園へ向かった。長崎の観光名所に来るのは殆ど県外の人達だろう。街中を走っていても県外ナンバーが目立つし観光名所の駐車場はほぼ100%県外ナンバーだ。グラバー園は観光客でごった返すほど多かった。隣の大浦天主堂から観光しグラバー園へ。人が多いので入場料600円だったらもう元は取れているのでは?という疑問があったが入場ゲートから頂上付近までずーっと続くエスカレーターを見て「これに金を・・・」と感じる。グラバー園は中々見所の多い名所だった。三菱重工の造船分野の歴史なんかもあって楽しめた。もちろんグラバーさんらの駐在員が暮らしていた部屋の様子も面白い。ラストサムライの世界観が味わえる。園内の喫茶店自由亭で朝食がてらカフェる。長崎のカステラにダッチコーヒー。純喫茶特有の珈琲の香りに包まれる。至福の時間の過ごし方だと思う。オランダ坂経由で長崎県立美術館へ。ガラスと木のコントラストが際立つ外観は建築物の軽さと透明さを印象付けさせる。港町に、最高の立地条件に最高の建築物をよくぞ建てたものだと関心する。北欧モダン展と常設展のセットになったチケットを買ったが、僕の目当ては東松照明さんの写真だ。8点くらい貯蔵されているとの事だったので常設展の方が楽しみであった。が、モダン展を見て周り常設展も隈なく見て回ったが写真が無い。。1階部分のPCで検索すると、貯蔵はされているものの常設展に出す期間も決められているようだった。正直常設展に置かれてあるピカソの絵より僕にとっては値打ちがあるのに。。それだけ貴重という事か。。東松照明さんの写真展は基本的に年に1回、東京・名古屋・長崎のどこかで開かれるようなのでそこを狙うしかないな。その後長崎出島ワーフで昼食。長崎名物のトルコライスをトンカツ屋がしゃしゃってアレンジしたものを食べた。トンカツは美味かったが、長崎名物のトルコライスが食べたかった。14:00長崎出発17:00大分到着19:30前から気になっていた津留のGARDEN CAFEでカフェる。居心地のいい空間にコーヒーだけで2時間程度粘る。その後下郡の韓国苑へ。不味い。味が落ちたのか満腹だったのか疲れていたのか・・・。別府のパーキングエリアで食べた地鶏の方が美味かった。今年のGWはこんな感じで終了。次回は鹿児島・熊本・宮崎あたりを観光する事になりそうだ。
2007.05.04
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朝の8時に木村邸で待ち合わせ。木村邸も何となし風格のある屋敷である。木村邸の一階部分は倉庫となっており、誰も使っていない為、もうすぐ私のオフィス兼アトリエ兼カフェになる予定だ。早速福岡に向け車を走らせる。高速道路に乗るのは、実はアメリカ旅行以来になると思う。今回レントしたのはダイハツのムーブ。100キロも出せばハンドルが取られそうになるし、少し上り坂が続けば途端にスローダウンする何とも頼りない車だった。最初の目的地は九州国立博物館。斬新なデザインと流線型のUFOのような建造物のあまりの大きさにビックリした。 時間が無い僕らは、常設展を足早に駆け巡り、隣の太宰府天満宮にも足を運び、参拝をし、おみくじ引いて、名物の梅ヶ枝餅を食べながら早速長崎へ向かう。福岡には正味3時間もいなかったかな。午後4時長崎に到着。 平和公園を10分で散策。駐車料金が痛い。それからホテル探し。円山公園付近のビジネスホテルで即決。ホテルの外観が横浜のインターコンチネンタルホテルに似ていてショックだった。こっちの方が歴史は古いだろう。本場なのかもしれない。そう自分を奮い立たせればここで泊まる事に異論は無かった。 18時20分頃、出島観光。和洋折衷の長崎の武家屋敷(再現だが)も面白い。その後歩いて中華街方面へ。長崎名物の皿うどんを食べる。安くて美味かった。その後夜の長崎の街を散策。迷路のような街並みは僕らにとっては非日常の生活観、言うなれば映画のような世界観を味わえ興奮を覚える。ただし興奮は疲労に変わり、酒を飲む事無く就寝。
2007.05.03
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東京から帰省した木村君と杵築の武家屋敷へ観光。大分空港から市内へ帰らず直接向かった。北台武家屋敷跡、南台武家屋敷跡、大原邸、磯矢邸、杵築城、きつき城下町資料館、一松邸の他、名所の坂道や関所などを巡る。杵築市にこんな名所があったとは知らなかった。僕の視点は常に外側(県外)を向いている。灯台下暗しってやつだ。驚いた事に各名所には、必ず駐在員がいて入場料を徴収した後、駐在員が案内人にジョブチェンジするシステムになっている。どの名所の駐在員(案内人)も饒舌でなかなか僕たちを帰らせようとしない。一方的な展開を打破するために木村君がちょっとした質問をしたが、その事には答えず質問を何か自分の知識にすり替えて全く関係ない事を話し始めた。非常に人は良いんだが、この一件で僕たちは駐在員を避けるように、なるべく目に見えない空気のように観光せざるを得なくなったのは残念だった。ただ、若い人があまり散見出来なかった為、恐らく僕らは彼等にとっては珍しい存在であったと思う。目立った事と思う。僕らの努力も非常に効果は薄かった。あまり若い人や大分市内のような地元の人は来ないのだろう。一松邸の駐在員のおじいさんは縁側のガラス越しに見える国東方面を目を細め見つめながら独り言のように呟いた。「最後の本当の名所は国東ですよ。もう箱物は要らない・・・」言葉には変化に対する拒絶よりも現状へのこだわりを感じる。出会った人みんなから「良い所でしょう?」と声を掛けられた。石段の多い城下町は視覚的に非常に優しく、肉体的には厳しい気もしたが、彼らはこだわりを持っている。美しい物には人間の技術と歳月を要する。その要素を極限にまで簡素化した家は世界中を探しても武家屋敷ぐらいにしかないのではないだろうか。大分市に戻り、冷やかしでフォルクスワーゲンのディーラーへ。機会があればここでの出来事もいつか書こうと思う。
2007.05.02
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おいおい・・・今日コレゴミで出てたぞ~。去年くらいまで世界は彼女を中心に回っていたけど、やっぱり今年は彼女でしょう。ゴミで出てくる日が楽しみでしょうがないよ。SA業務用ゴミ袋 スタンダードタイプ半透明 No.45(400枚入)
2007.04.29
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花見をしましたよ。桜が綺麗ですね。でも今週で桜の季節も最期かな。帰る頃には桜吹雪が舞ってたからね。色々な方向からワイワイキャッキャ聞こえてきてあぁ春だなぁ。と感じる。「トゥワンティホワィ!ハッハッハー!」などと叫ぶように宴会を繰り広げているグループもある。田舎の方言に+α酒が進めば僕にも理解出来ないような会話はきっとある。よくある話だ。でもよく見たら東南アジア系の外人さんだったけどな。数日前に、桜並木を悠然と闊歩する紋付袴姿の殿方と艶やかな着物姿の姫方を見かけた。何と言うのか分からんが結婚のアレですね。祝福の嵐に桜吹雪。実に赴き深い瞬間だ。日本の誇るべき文化だと感じる。外人さんもあの美しさにはきっと魅了されるのではないだろうか。と、思ったらつい最近ニューズウィーク日本版で新しい日本の文化が世界を席巻しつつあるという。詳しくはこちらで。そう、所謂「萌えぇ」ってやつです。日本に行った外国人は、「まるでメッカの巡礼に行ってきたようだ」との事。「花より団子」ならぬ「花より萌え」か。花の命は短い。その短さを延命させる努力もまた美しい。あぁ君は美しい。
2007.04.08
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この間、木村君お勧めの「ダーウィンの悪夢」という映画を見てきた。ヴィクトリア湖でのナイルパーチという白身魚を巡る真実の物語。白身魚に限らず、資本主義経済の下では、普段の何気ない自分の経済活動の影で驚くほどの負のスパイラルが起こっているのだろう。見終わった後は、先進国で生まれ育った幸運と何ともいえない罪悪感のようなものを感じた。今日はショッピングモールをブラブラしてきたが、広場で田原俊彦が歌い踊っているではないか!?・・・っと思ったらモノマネ芸人の原俊作さんだった。ギャラ幾らなんだろう?とか思いました。生きる事は大変である。その事を本当の意味で理解出来ている人は案外少ないと思う。僕は仕事のほかにオークションでこずかい稼ぎをしている。でも僕はまだまだ甘い。上級者は体を張って、それこそ命がけで商品を出品している。オークションの達人 ←気分を害する可能性があります。気をつけてください。生きる事は大変である。最近つくづくそう思う。
2007.03.25
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最近は殆どラジオから情報収集している。ニュースに関しては事実だけを端的に伝える点ではラジオはテレビに勝っていると感じる。以下聞いているラジオ番組一覧・生島ヒロシのおはよう一直線・吉田たかよしプラス!・武田鉄矢・今朝の三枚おろし・なるほど!ニュースネットワーク・小沢昭一の小沢昭一的こころ・ズバリ快答!テレフォン身の上相談・永六輔の誰かとどこかで・原田直之の民謡ふるさと夢紀行・「純喫茶・谷村新司」マァはっきり言うてオヤジ臭いと自分でも感じるよ。最近は屁も臭くなってきたし。しかし大人の知性の獲得という点で捉えれば、私の体からは、神々しいほどの華麗臭が湧き出ているのかもしれない。自分では分からないから知ってる人は是非教えてほしい。体臭、口臭、便臭、加齢臭、ニオイをシャットアウトオダール
2007.02.21
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初期条件のわずかな差が時間とともに拡大して、結果に大きな違いをもたらす。そのことが「北京で蝶が羽ばたくと、ニューヨークで嵐が起こる」と、よく例えられ、これをバタフライ効果と呼んでいる。この理論を題材にした映画、『バタフライ・エフェクト』が、2004年全米で公開された。日本公開は2005年。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』参照)「映画史上最も切ないハッピーエンド」というキャッチコピーにやられてしまいレンタルしてみました。良いねぇこういう作品。★★★★くらいかな。主役のアシュトン・カッチャーなんだけど、いやね、これは無視してもらって構わないんだけどね、僕がね、アメリカで生まれてたらあんな顔だったんじゃないかなぁと思ったんですよ。それはともかく、今気になるのは、友人の木村君お勧めの「ダーウィンの悪夢(http://www.darwin-movie.jp/)」というドキュメンタリー映画。これもバタフライ効果の結果を象徴したような映画だ。見てないけど。大分は3/17からか。・・・待てないな。東京に行くか!バタフライ効果起こしてやるぞぉ!オラァ!!バタフライ・エフェクト プレミアム・エディション
2007.02.18
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バレンタインデーにチョコレートを送るのは、菓子メーカーの陰謀だという説を昔聞いたことがある。 確かにそういう日がなければ僕は普段チョコレートを買ってまで食べないな。 ほいで今日ラジオを聴いてたらトキワ(大分のデパート)でバレンタインデーの催し物をやっているとの情報。 あぁぁもうそんな季節か・・・と何気なく聞いてたんだけど、聞いているうちに段々食べたくなってきた。 よく分からんけど、フランスのアルノー・ラエールさんや、セバスチャン・ブイエさんや、ジャン=シャルル・ロシューさん、ベルギーのナントカさん(忘れた)他、名前を聞いただけで美味そうだ。 事実彼らは「パリ最優秀パティシエ賞」や「M.O.F.(フランス国家最高職人)」等の受賞経験者ばかりなのだ。 店舗も日本では、銀座と羽田空港だけしか出店していないメーカーなんかもあって、「おいおい、たかがチョコレートじゃねぇな」と唸る思いですよ。何だかGODIVAが霞んでしまった。 食べたいなぁ。誰もそんなもの買ってくれそうにないから買ってこようかしらん♪ 神様僕に勇気をください。最高級フランスチョコレート欲張りセット(恋にも欲張りな人に)がこの価格!
2007.02.11
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不二家問題が日々メディアを騒がしている。僕は不二家のケーキなど食べる機会のない家庭で育ったので、個人的な恨みはない。FC店の方たちはさぞこれからの生活設計に頭を悩ませるだろうと思う。気の毒だと感じる。最近ニュースは殆どラジオを通じて得ている。昔はテレビからが殆どだったんだが、ラジオの方が事実だけを客観的に伝える印象がある。テレビは何だかんだと脚色しすぎるきらいがあるように思う。不二家問題は確かに深刻ではあるが、利益追求の為やチェック機能の不備からくる不祥事は後を絶たない。こういった事件は普遍的なものだと思う。何年か前に雪印が同じような事件を起こしたし、去年はライブドア問題があったし、三菱自動車も騒動があったし、耐震偽装マンションの事件などなど。ほいほい出てくるわい!ぢゃあ泣き寝入りを決め込むのか?と問われるとある意味では泣き寝入る。ただし当然の事ながら企業は利益の追求や社会の発展のために不断の努力を続けるべきであるという前提はある。「成長より赤字を垂れ流してでもお客様のために奉仕する企業」では意味がない。商品の研究開発・改善・コスト削減等など、利潤の追求と企業の成長を目指す。そうする事によって従業員は待遇面や精神的な豊かさ(名のある企業で働くというステータスを得る豊かさ)を得る事が出来る。成長の果実がなければ、豊かさを犠牲にすることなしに、日々噴出してくるであろう問題を解決することなど不可能だろう。今回のような事件を引き起こす企業は必ずいつか不祥事が明るみに出るものだ。自業自得・因果応報である。殊更にメディアがある事ない事過剰に反応するまでもない。マスメディアの報道いかんで企業の存続が決まるわけではなくて、あくまでも市場が自然な淘汰を判断するはずであると思う。個人についても同じようなことは言える。特に今のご時世は世知辛いから、皆スポイルされないように必死であるか、諦めている。僕は完全にスポイルされた側の人間に見えるだろう。自分のストーリーを自分で描く事は出来ない。そういった意味では個人レベルで見た場合は他者が僕にとってはメディアのような存在だと感じることがある。
2007.01.21
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2006年の年というのは僕にとって、大分への帰郷とそれに伴う家業の手伝いなど環境がガラリと変化した年だった。住み慣れた関東での生活。自由と資本主義の潮流を肌で感じ、気の合う友と酒を飲み耽り、煙草を覚え、その癖そんな状況に悲観した毎日を送っていた日々にサヨナラを告げた年だった。大分へ帰ってからというもの、自分が特別な人間などではない事を痛感した。自分の存在意義は、自分を必要とする者の為に搾取され続けられるべくして生まれたのではないかと思うほどの不遇な時期を過ごしているけれども、祖母との対話の中ではその心は伝わらず、祖母はひたすら「今日食べるものに困らないことが幸福ではないか」と毎日のように僕を諭す。関東へ出た4年間の間に僕は傲慢になったおかげか、もはや自分の夢や希望や自由といったものを放棄せねばならないことを気づかせてくれた。精神的にこの生活が「自由である」と思える日まであと何日必要なのか。肉体と思考の可能性は飛翔することなく、そのまま限界点に達し虚無に近い感情となって零れ落ちていくような感覚を何度となく味わった。車の中で幾度となく”発狂”した。実家にある、幼少の頃から毎日のように眺めていた3匹の子猫のジグソーパネル。今僕にパワーを与えてくれる存在は大分ではこの絵のほかに無い。
2007.01.04
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職場の女の子のつてでよく当たるという占い師さんに占ってもらった。 本格的な占いは高校生の時以来で、その時は結構ボロクソに言われてしまったのでさすがに昨日は緊張しながら占ってもらった。 総合的な性格(姓名判断)と恋愛運(タロット)をみてもらった。 結果はここでは書かないけど正直当たってるな!と思う事が非常に多かった。 実は占ってもらった占い師さんの本業が経営コンサルタントで、超有名な会社に勤めている人だった。 経営コンサルタントらしく、漠然と占うだけではなく、きっちりと現状の問題点をあぶり出し、選択肢をいくつかに絞ったうえでバシバシと提案していくスタイルが斬新で面白かったし何よりも頼もしかった。優柔不断ですからね、僕は。 昔の戦国の世に占いで物事を決めていたのは少し解せない部分もあったけど、占いの力って侮れないなって思った。 その頃からもしかしたら占いってコンサルティング的な要素を持っていて、現代になって経営的な部分は経営コンサルティングとして特化していったのかもしれない。 占ってもらった後は、ひたすら飲みましたよ。 一緒に行った女の子の方の結果が芳しくなくて、やっぱり昨日も荒れてました。。 占い師さんも飲んで色んな話が飛び出して面白かった。 人柄も良くて、ぜひまた占い&飲む機会を頂きたいと思いました。
2005.08.08
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携帯がやばい。朝たっぷりと充電してやっても、夜には命からがらの状態で家に帰ってくる。 関東に引っ越してからの付き合いだから3年くらい使ってる。もう寿命だな。そろそろ機種変しよう。 しかし携帯の充電が無い状態は不安になるね。 「家に忘れてしまった!」とかならまだ諦めが付くんですけど充電がいつ切れるのかびくびくしながら過ごすのは辛いものだ。 昔は携帯なんてものは無かったのに不思議なものだ。 現代では「携帯が無いと不安で生きていけない!」なんて人も大勢いる。 俺は違うけどね。 カフカの「城」という小説があるんだけど、なんだかその小説を読んだ気分になりますね。 「城」は職業が人間の唯一の存在形式となった現代人の疎外された姿を抉り出す物語として捉えられているんだけど、あの当時の現代人と今の現代人とではまた違う部分があると思う。 人間の存在形式なんて現代では山のように数え上げることが出来る。 職業だけではなく、インターネットの中でのコミニティ(まさにmixiとか)だったり、週末はアキバに繰り出す系だったり、センターGUYだったり、六本人だったり、ヨドバシが自宅と化していたり、滝川クリステル命だったり・・・ 携帯電話もある意味では存在形式に当てはまるんじゃないかな。 電話帳を見れば自分と関わりがある人しか登録されていないわけだし(つまり”自分”と認識してくれる人しか登録されていない)、カメラ付き携帯ならデータフォルダには写真や動画が入っているはずだ。それは全くの他人が見ても面白くとも何とも感じないわけだ。 他にも自分なりに携帯のパッケージを変えたりだとか着メロを選んだりだとかシールをベタベタ貼ったりだとか、ベッキーみたいにストラップで携帯が埋もれてしまったりだとか、とにかく携帯は個人情報と自分なりのこだわりが詰まった、自分と他者を繋ぐ、まさに自分の分身ともいえるアイテムなのだ。 第4世代携帯の登場もそう遠い未来ではない。 ますます携帯の性能は進化し続け自分の存在を示す分身の役割を演じてくれるものだろう。
2005.08.05
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米ディズニーランドでゴタゴタが起こっているようだ。僕はディズニーランドには高校時代に一度だけ修学旅行で行った事があるが、そんなに面白かったという印象が無い。基本的に興味が無い。それでもこのニュースが僕の興味を惹きつけたのは、ディズニーがビジョナリー・カンパニーだからである。ビジョナリーカンパニーについての説明は一言では終わらないのでここでは省略させてもらう。ただし是非読んで頂きたい良著である。今回の騒動では創業者側が現経営陣に対して訴えを起しているようなので、少しマズいかもしれない。記事の中で『次期CEOは社外も含め幅広い候補者の中から選ぶと約束したのに、真剣に候補者探しをしなかった。』とあるのですでに現体制で企業理念の履行が出来ていない部分があるのかもしれない。株価も2%近く下がって安値圏から抜け出せないでいる。ディズニーの今後に注目したい。
2005.05.10
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・座右の銘・化学反応・岐路・自明性の崩壊
2005.05.01
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色んな人達のBlogでも取上げられていますので、今更書く事なんて何も無いんですけど、ああいった運動している人達を見ると、正直暇な人達だなぁと感じますね。やるべき事はいくらでもあると思うんですけどね。以前、アジア杯の時の暴挙についてもサラリと書いた事がありましたが、まぁ、あんなもんでしょ、中国は。石原都知事もう一回言ってくれないかな~「民度が低い」って。マスコミは過激な演出を施し、投石シーンや暴挙の数々をニュース番組で配信していたけれども、ハッキリ言って誰にも緊迫感が伝わっていないと思うんですよね。少なくとも僕にとってはどうでもいいニュースでした。これからもし日本に反米運動が起こったら(まず起こらないだろうけど・・・)、マクドナルドやスターバックスに投石しますか?僕には恥ずかしくて出来ませんよ。もしくは投石してる奴に投石するかも。何やら日本製品の不買運動に発展しそうとの事で、中国関連銘柄はここ2日間ほど値下がりを続けていますが、日々の暮らしの中で、もはやMADE IN JAPANの製品を見つけることの方が難しいんですよね。アンディ・ウォーホルのポップアートなんかを見ると、皮肉なもので暮らしの中に溢れている製品が一つの思想を形成しているのを現していたりする。そう考えると、純粋なナショナリストなんて日本だろうが中国だろうが居るわけが無い。経済がグローバルに活動を広げていて、何が今更日本製品の不買運動なんだ。中途半端に愛国主義運動を繰り広げやがって何の説得力もねぇよ。ただ日本の教科書の内容を換えたっていうのも、やっぱり酷い話ですけどね。どっちもどっちだな。
2005.04.12
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今さらながら自己紹介します。僕はこんな人間です。●自由が大好き! 親や恋人などに束縛されたり、ひとつの場所に拘束されるのが大嫌いな性格。いつも自由な身でいたいのです。おまけに、細かく指図されるのもイヤです。 ●面倒くさいことが苦手 怠け者ではないけれど、細かい用事が重なったりすると、面倒くさく感じてしまいます。アバウトで大ざっぱな性格だから…。 ●ひらめきは天才的 12動物キャラの中で最もカンが鋭いタイプ。また、発想力が豊かで、とつぜん、良いアイディアを思いついたりします。 ●人の話は上の空状態!? 「うん、うん」と相づちを打ちながら、熱心に人の話を聞いているように見えて、考えているのは全然違うほかのこと! 社交辞令も多かったりします。 ●機嫌の差が激しいお天気屋 機嫌が良いとニコニコしてるけれど、悪いと思いっきり沈んでたり。その日の機嫌に行動が左右されやすいのです。 ●自分の気持ちに正直な人 思ったことをそのまま口にして相手を傷つけたり、悪びれずに遅刻してきたり。思考と行動が直結しているからです。 ●つかみどころのない人柄 いつもどこかに飛んでいってしまい、行動パターンも謎。周りの人につかみどころのなさを感じさせる人柄です。 僕を知っている人がこれを見たら首を傾げるかも。実はコレ動物占いの結果です。ちなみにペガサスでした。最近占いが面白くて0学占いだとか、占星術とか、タロットとか色々やっている。ズバリと当てるという占い師の先生に視ていただきたい気もするが、それはそれでちょっと怖いんですよね。
2005.04.03
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・取捨選択・調和と境界・普遍理念の開拓・視点
2005.04.02
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ゴッホ展に行ってきました。上京から2年以上経ったが、最近はArtやArchitectureへの関心が非常に高い。東京という場所はこういった美術展やギャラリーがたくさんあって便利ですね。ゴッホ展には残念ながら有名な「ひまわり」や「アルルのはね橋」などは無かったがそれでも十分に楽しめた。27歳から絵を描きはじめ、いくつかの段階を踏みながら自己の思想をキャンパスに表していたのが伝わってきた。初期の頃の作品は、彼の宗教心を芸術へと昇華させる試みが見られ、織物工や農民の生活、経済的弱者の気高き生活に見られる、生への積極的な姿勢などを描いたかと思えば、作風をガラリと変えたり、「ひまわり」に見られる植物・花の描写(モデルに支払う金がなかった為らしいが・・・)、日本の浮世絵の要素を取り入れたり、ゴーギャンとの破局を経て精神状態を悪化させ耳を切り落とし、≪糸杉と星の見える道≫のような不吉な絵を描いたりと、ゴッホが実際に絵を描いた期間は10年くらいだから非常に忙しく自分のスタイルを変えている。というか作風は変えてはいるが、自己の主張・スタイルは一貫しているのかもしれない。彼は宗教を愛していたし、素朴で自然と暮らす農民を愛していたし、自然の景色を愛していた。自分が夢見るユートピアの創造を、絵を描くという行為によって体現し、他者に啓蒙しようとしていたのかもしれない。ピカソの絵が感性に訴えかける絵であるならば、ゴッホの絵は人々の倫理に訴えかける絵である思う。
2005.04.01
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スカイプを導入してみた。さっそく友達に電話してみたが、なかなか繋がらなかった。でも何度かトライするうちに、雑音しか聞こえなかったのが友達の声だけ聞こえるようになり、そのうち僕の声も聞こえるようになった。あの繋がったときの感動感は素晴らしかった。トライしているうちは、なんだか自分たちが電話を発明しているような気分だった。通話品質は僕のHDが動く音(キュイ~ンて感じの)が少々聞こえるが、ほとんど家の電話と変わらない。少なくとも携帯電話よりは優れていた。チャットでは時間がどうしても掛かってしまう事が多かったが、これは便利だ。何しろ通話料はタダだし、海外の見も知らぬ人たちとも繋がる。これを生かさない手はないよ。
2005.03.28
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8chのEZTVでソフトバンクインベストメントのCEO北尾吉孝さんの特集を組んでいたが、この北尾さんの登場をニッポン放送の社員たちは手放しで喜んでいた。←もちろんこの番組独自の脚色は施していると思うが。・良かったです、ホッとしてます・正義が出てきて嬉しいです・楽しくなってきました北尾さんの登場に対して、ニッポン放送の社員たちはインタビューにこのような表現で答えていた。ライブドアに対する拒否反応の強さは僕の想像以上だったが、もし今後ソフトバンクに乗っ取られそうになったら(業務提携を含む動き)どのような発言に変わっていくのだろうか?「信じていたのに裏切られた」とか「残念です」とかあるいは「仕方がありません」的な発言に変わっていくような気がしてならない。それにしても「楽しくなってきました」なんてよく言えるな。信念があるのか疑ってしまうな。自分の保身にしか興味がないように見えてしまう。ニッポン放送の企業理念を知りたくなったよ。
2005.03.27
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今日の試合は、これまでの予選の中でも一番厳しい戦いになる事は間違いない。97年のジョホールバルの時と比べると格段に強くなっている印象がある。タレントも豊富だ。・カリミ(アジアサッカー協会2004年最優秀選手)・マハダビキア(高原のチームメイト。ウイイレでもすこぶる能力が高い)・ザンディ(ドイツ人との混血野郎。)で、後はアリ・ダエイ!まだいたのかよ!このおっさん!日本で言うところのカズとか中山クラスの世代じゃなかったっけ?ダエイ、ダエイと騒がれているようじゃまだまだな気がするな、イランも。
2005.03.25
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NYでMOMA美術館に行ったときにピカソの絵に非常に衝撃を受けた。一度見つめればなかなか目を離す事が出来ない程釘付けになってしまっていた。何と言うか、虚無と孤独と絶望感に同時に襲われたような衝撃だった。体中の血の気が一瞬引き、その後徐々に心臓の鼓動が高まり、結果体は熱くなっていた。そんな感覚は今までの人生で初めてだった。完全に魅了されてしまっていた。ジョアン・ミロやシャガールの絵も良かったがピカソが一番だった。NY滞在最終日にBarnes&Nobleに行く機会があったので、Architecture&Artの所へ真直ぐに向かった。ピカソの絵画集をもちろん探してたのだけれど、ふと一冊の写真集に目を奪われた。それはスコットランドの写真集だった。豊かさを象徴するかのような緑に覆われた大地が地平線の限りに続いていて非常に美しかった。古代遺跡も非常に綺麗な形で残っており、古代の神秘的な世界に思いを馳せてしまった。まったく美の観点は違うがどちらも素晴らしいArtだ。子供の頃にあのスコットランドの写真集を見て育ちたかったなぁ。まぁ家庭環境を考えるととても無理な話なのだけれど。でもピカソの絵はちょいと危険な気がする。 こんな絵子供には毒だぜ。。
2005.03.18
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夕方17時に成田空港へ無事到着した。物憂げな雨が降っていて、N.Y.に比べると幾分生ぬるい空気に包まれた。非日常生活から日常生活へ戻るためのささやかな抵抗をしたくなかったため、僕は一切の体の感覚をすぐに日本のフィルターに張り替える作業を行った。でもそんな作業をする前に目が痒くなっていた。つまり花粉症の再発で、これが嫌でも日本に居ることを認識させてくれた。N.Y.で見てきたものや学んだものは色々とあるが、それをこのBlogに載せる事を今はためらっている。あまりに個人的な衝撃が多かった事や日記を途中で書く事を辞めたことなどが原因である。あぁ夢のNY!またいつか行ってやるぜ!待ってろYO!
2005.03.17
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N.Yに行ってきます。期間にして一応8日間。世界の中心で叫んできます!( ̄△ ̄;)エッ・・?何をかって?今のところ材料が無いんですよね~・・・まっ、NYの街並みと美味しい食べ物と身を切るような寒さとNYの人々の息吹(とりわけ朝の活気)を肌で感じて来たいと思う。モマ美術館にも行ってきます。帰国したら日記に載せます。それじゃ行ってきま~す。
2005.03.10
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