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昨夜なかなか寝つかれず、明け方はまた脚が攣って目覚めてしまってその後はしばらく眠れず、でもうっかり昨朝セットしたアラームを解除し忘れて6時に起こされてしまって、今日は寝不足と体のだるさが取れない一日でした。何時になってもお掃除も洗濯もする気になりません。最低限の朝ごはんと最低限の昼ごはん、最低限の晩御飯は作りました。それと、明日から一週間分のご飯を炊いて冷凍できるように小分けはしました。あと一つ、洗って明日の朝までに乾かしておかないといけないものがあるので、今、洗濯機を回しているので、今日は家事を五つしただけで終了でした。それなのにゆっくり休めたような気がしないので、今日は早く寝たいと思います。朝まで眠れると良いのですが。
2024.06.30
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今日はわたしの父の十七回忌の法事でした。朝11時からというので10時半にお寺に着くように歩いて出かけました。そのため昨夜から忙しく、昨日のブログはパスでした。雨が降らず、暑かったけれど酷暑というほどではなくて、ほんとに幸いでした。息子家は、法事には息子だけ。でも、きてくれる方達(皆、親類です)に孫を是非お披露目したいと弟が言ってくれて、お嫁ちゃんが食事だけ参加ということで、法事が終わった頃に孫を連れてお寺に来てくれたので、今日は雨ではなくて孫シャワーをたっぷり浴びられた1日になりました。ちょうどお墓でお参りをしているところに来てくれたので、小さい子供が大好きだった父にもひ孫を見さてあげることができて、父も喜んでくれたと思います。お参りが済んで、お昼には予約していたお店に到着。伺ったのは石のださんという、最初弟が馴染みになり、それ以来我が家でも何かというとお世話になっているお店です。先月大阪から夫の姉妹たちがきた時も、息子家、弟と一緒にこちらのお店で夕飯を戴きました。マスターが腕利の板前さんで、しかも大変な目利きなので、いつも本当に美味しいものを出していただけます。大阪勢も感動していました。駅前や繁華街でなく住宅街にあるので、お座敷も広くて、ゆったりお料理やお酒が楽しめるのもありがたいところ。孫は、先月も広いお座敷でのびのび遊んでいましたが、一月後の今回はあと二週間ほどで一歳ですから、また一段とよく動くようになっていて、ハイハイは電光石火、掴まり立ちと伝い歩きもお手のもの、手放しでも数歩なら歩いて尻餅です。それでも、広いお座敷で自由に動き回らせることができたのでご機嫌でした。その上、土曜日のお昼なのに貸切にしてくださっていて、おかげで孫が騒いでも、大人は気兼ねすることなく美味しいお料理を味わえて、本当にありがたかったです。マスターが腕によりをかけたお料理、例によって後半は写真を撮り忘れていますが、写せた分だけ紹介させてください。右は前菜。自家製のカラスミが絶品でした。左はお刺身。鯛と本鮪、カンパチ、それに生のトリガイ。こちらのお店のお刺身は何が出ても本当に美味しいのですが、今日の鳥貝はもう最高でした。ほんのり磯の香り、でも臭みは全くなくて甘いので、普段貝は生では食べない夫と息子がぺろっと完食しました。焼き魚、サワラだと思います。付け合わせのキャラブキも自家製です。生しらす、大根おろしで和えていただきました。これも今まで食べた中で一番美味しい生シラスでした。ハモと梅肉だれ。はもって鱧って書く意味がわかるような、とっても豊かな味わいの湯引き。梅肉ダレは酸味と塩味が究極のバランスでした。本日の最高峰。いちご煮です。鮑とウニのすまし汁ですから、超高級料理ですよね。わたし、缶詰しか食べたことがなかったのですが、炊き立てはもう、天にも上る美味しさでした。青菜はほうれん草です。ネギとか青紫蘇を入れるものだと思っていましたが、ほうれん草のほんのり甘味が良く合ってビックリでした。写真を撮り忘れで一番残念だったのは、孫のためにマスターが用意していてくれた卵焼きでした。出汁だけで焼いたとっても綺麗な卵焼きです。もし赤ちゃんが食べないようなら大人の皆さんで大根おろしと醤油で召し上がってくださいと言って出してくださいました。もちろん大人も戴きました。ふっくらして出汁というよりたまごそのものの優しい味でした。肝心の孫は一口大に切って持たせるとパクッと頬張りあっという間に食べてしまいました。それから何度も、持たせると頬張るのを繰り返し、二切れくらい食べたようです。この頃だんだん好き嫌いもするようになって、気に入らないとベッなどと言いながら投げるのですが、この卵焼きは一度も投げませんでした。味もさることながら、絶妙のふわふわ加減がまさにプロの技だと思いました。それと、石のださんの名物、「翡翠梅」。青梅のヘタをとって針で満遍なく丁寧に穴を開け、何回か煮こぼしてアクを取った後、弱火で煮ては火を止め、また煮ては火を止めてゆっくり糖分を染み込ませた皮も実もとろけるように柔らかい、翡翠色の梅の甘露煮です。クラッシュアイスに載せて目と舌で涼しさを味わいました。締めに稲庭うどんと茶そばをいただき、お腹がパンパンだったので、用意してくださった天然ウナギの鰻重はお土産に持ち帰りました。ふっくらしつつ、歯ごたえがあり、皮はパリッと焼き上がったウナギに、江戸風の辛めのタレと硬めのご飯。夕飯に美味しくいただきました。弟のことを無駄に食通などとつい悪口を言ってしまうのですが、その弟がマスターと相談して決めてくれた最高に美味しいお料理の数々に深く感謝し、もう悪口を言うのは金輪際やめようと誓ったわたしでした。
2024.06.29
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時の経つのがはやい!この場合のはやいは早い?速い?考えたら考えるだけわからなくなります。まあ、いいんだけど、どちらでも。問題はそれじゃなくて明日が月末なこと。今月は30日が土日と重なるので、28日がお仕事的には月末なのです。いつもより2−3日早いのだから短く感じるのも当然ですね。月末仕事ってその日のうちにというより3時(銀行が閉まる時間)までに終わっていないといけないことが多いので焦るのですよね。前以て起こせる伝票は起こして、月末支払いや月末入金の準備もできるだけはするのですが、当日でないとできないこともやはりありますしね。今回も準備できることはしてきたので、あとは運次第ですね。考えたら、終わらなかったとしてもごめんなさいで済むこともあるわけですしね。一昨日のトラブルも未だ片付いていないし、というか先行きが全然見えない状態ですが、そのことは考えないように気をつけています。それでも油断すると、ピリッ!ときて心の中で警報が鳴りますから、気持ちがそっちにいかないようにゆるーく見張っています。とりあえず週明けには白黒がつくかも、というか、黒だったら月曜日にはそれがわかるはずなのです。でも白だとしたら、完全に白と言い切れるためにはまだ何段階かの検証が必要みたいですので、しばらく気の揉める日が続くかもしれません。起きてしまったことは変えられないし消せないので、何が起きたかはっきりするまでは、まあ、あまり考えないことにします。
2024.06.27
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昨夜というか今日の未明、でたらめな暑さだったようで、汗で目が覚めました。実は昨日、仕事のことで一騒動あり、帰宅も遅くなり、帰ってきてからも夫と話したりして寝ついたのも遅かった(おかげでブログも書けなかった)のですが、2時間くらいで目が覚めてしまいました。ベッドの位置を変えたこともあって、エアコンとか扇風機とかをどうするか、暑さ対策が未だ固まっていなくて、昨夜は対策を何もせずに寝てしまったのです。目が覚めたのは3時ごろだったと思います。時々うとうとしながら、5時過ぎくらいにようやく寝落ちしたようでした。昨日の騒動も響いていたのかもしれません。わたしは大体、「悩んでどうにかなることでないことは眠れないほど悩まない」性格なのですが、そんなわたしでも大問題ともなるとそれなりには気に病むものですね。4時間くらいは寝たのかなあと思いますが、今朝、起きるのも少しきつかったですし、昼間は寝不足にこの暑さでしたから、かなりしんどかったです。騒動?トラブル?は収まったわけではなく、水面下で鳴りを顰めている状態です。顔を出して再び騒ぎ始めるまでは忘れたふりをして過ごそうと思っています。そうすればよく眠れそうな気がするから。でも、それも熱帯夜でなければでしょうか。今夜の気温はどうでしょうね?あまり高くならないといいけど。明日の昼間は今日より少し涼しくなるようですが、最低気温の予想は今日と変わらないのですよね。やはり暑いかしら?熱帯夜なのかなあ?でも、片側二車線の大通りに面した窓を開けて寝るわけにも行きません。やはり弱くエアコンかけて寝ましょうかね。2日続けて3〜4時間睡眠なんて、年齢を考えたら相当まずいですものね。
2024.06.26
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今日はずっとこれに悩まされました。金曜日に税理士さんが来られて5月分の会計を閉めたので、今日は気分的にだけでなくお仕事も余裕があり、昼間、隙を見ては会社のPCでブログ訪問をしていました。記事は割と読めたのですが、コメントしようと思うと↑これで、仕方なく少しお仕事してまたブログを開けて、コメント欄に行こうとすると、また。。。の繰り返しでした。何件かはコメントを書き込めたのですが、なんだか結局読み逃げの1日という感じででした。これからできるだけ訪問しようと思いますが、伺えなかったらごめんなさい。
2024.06.24
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今日は月に一度、友人のお墓参りの後深川門前仲町のしか野さんで会食する日でした。昨日の好天から打って変わって家の中にいても雨音が聞こえるような朝、夜には止むという予報でしたが、どうなることやらと思いながら1日過ごしました。お墓のあるお寺の閉門は17時頃なのでその30分くらい前に最寄駅の門前仲町で待ち合わせです。ということで、わたしはそれまでにまずお掃除。並行して来週分の食料の準備です。1週間分のご飯を炊いて、ヨーグルトを仕込みます。お米の浸水をしている間にお掃除ロボットのろくちゃんのスイッチを入れ、わたしは、ロボットのろくちゃんが侵入できないようにドアを閉めた台所周りをお掃除します。1週間分なので丁寧にしたいところですが、そこは「自分も大切」のmamatamさん、頑張りすぎない、焦らないをモットーに適当〜〜に頑張りました。タイマーがなったところでお掃除は強制終了。炊飯です。狭い台所に置き場所がないのでmamatam家には炊飯器がなく、STAUBのお鍋で炊きます。なので炊き上がるまではタイマーの音が聞こえる範囲から離れないように、お出かけの間の夫の晩御飯を作ってしまいます。昨夜煮ておいた鯖の味噌煮があるので、きゅうりの酢の物とカブの簡単漬物、筍と春キャベツの味噌汁を作りました。たけのこは夫がゴルフ場で採って来た物で、孟宗ではなく真竹の筍です。皮を剥いて穂先から食べられそうなところまでブツブツと切って、下茹でもせずに煮干し出汁で煮た味噌汁です。愛媛で大人買いをしてきた「松山揚げ」も入れました。なんだかこれがメインディッシュ!と言いたいくらいの美味しさです。味噌汁の支度ができたらブロッコリーを茹で(これは来週のためにストック)、その鍋でそのままほうれん草を茹でる荒技でほうれん草の胡麻和えを作ります。ごまだれはすりごまを軽くもう一度擂って、お砂糖とお醤油を適当に混ぜ、味を見てから今日はお砂糖をちょい足し、で、出来上がり。ご飯の火も止めたので、蒸らしている間にお着替え。それからご飯をほぐして、できあがりです。本日の夫の夕飯は鯖の味噌煮キャベツと筍と松山揚げの味噌汁カブと昆布の塩漬けほうれん草の胡麻和え(我が家ての呼び名はごまよごし)。ささっと作った割にはいつもの平日より、ずっとまともな晩ごはんでした。わたしですか?わたしの晩御飯はお刺身盛り合わせサラダ3種里芋の唐揚げ銀杏の素揚げ玉ねぎの天ぷらかっぱ巻き、柚子干瓢巻き、沢庵巻き。しか野さんのマスターが腕によりをかけて作ってくださる美味しいお料理のお供は生ビールでした。
2024.06.23
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御殿場泊まりの富士山とホタルの旅、2日目は看板に偽りありの一日でした。これは今更ですが泊まったホテルとお部屋です。ベッドと畳がほしかったのでこのタイプを予約したのですが、ツインベッドに12畳の和室、子供2人が寝られるロフトベッド付きという、なんとも無駄に広いお部屋でした。こちらは遅いお昼のせいで食べ切れなかった夕飯です。左上から前菜、かぼちゃの冷たいポタージュ、ステーキ、お寿司と茶碗蒸しというちょっと不思議なメニューでした。前菜やお寿司のお魚は新鮮で美味しかったです。こちらは朝ごはん。いつも通りのパンとサラダとヨーグルトにコーヒー、エキストラは担当のお姉様おすすめのバナナジュース、それに何故か山芋。食べすぎました。朝起きて窓を開けてびっくりしたこと。富士山がなくなってる!上が前日夕方到着時の景色で下はこの朝です。外はかなりの雨降りで遠望が全然きかないという写真なのですが、上下に並べるとまるでイリュージョンですね。前夜、ホタル鑑賞の後降り始めた雨が、朝になっても止んでいませんでした。雨降りの2日目、わたしは全然ノープランでした。蛍さえ見られれば他に行きたいところも見たいものもなかったのです。夫が、忍野八海に行くかというので、一も二もなく決定。朝風呂にも入らずさっさとチェックアウトして山梨県に向かいました。夫の言う通り忍野八海までは意外に近く、しかも夫は前日の失敗に懲りたらしく大人しくナビの言う通りに走ったので、1時間くらいで到着しました。まだ雨がぱらついていたのでここでも富士山は望めませんでした。近くて遠い国の声の大きな観光客の多さに閉口して、そそくさとひと回り、夫は会いたかった人がいるとのことで電話をしてその方のお宅にお邪魔しました。昔の同僚で、今はこの地に住んでいる方です。お会いするのは久しぶりとのことで、2人とも嬉しそうでしたが、あまり遅くならないうちに失礼して帰路につきました。お昼は高速に乗ってからということで、サービスエリアで遅いお昼を食べ、さあ帰ろうとなったら、もう渋滞が始まってしまい、談合坂、八王子、府中、高井戸と、いつもなら断続的なはずの渋滞がほぼ全部繋がっていました。わたしは途中休憩したサービスエリアでお弁当とお惣菜を買いました。家についたらもう18時。お弁当とお惣菜、大正解でした。それにしても、往復ともあんなひどい渋滞だなんて、連休でもないのに、一体なんだったのでしょう。もう当分車での旅行はお腹いっぱいです。
2024.06.22
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今日の東京は、一日中酷い雨でした。天気予報は曇り時々雨で、朝のテレビの天気予報でも土砂降りとは言ってなかったのですよ。それが、会社に行こうと家を出たら、滝のようなとまではいかないけれど、お空の上からバケツで水撒きしてる?という感じの雨でした。カッパを着て自転車で10分足らず、風がなかったのでまだマシだったとはいえ、スカートの裾はびしょびしょでした。線状降水帯が東京の上にいるのかと思いましたが、いたのは東京でなく鹿児島の上空だったようですね。指宿市だったか、1日で400mmを超える雨が降ったとか。線状降水帯に居座られたらあんな生やさしいもんじゃないってことですよね。怖いです。夕方になったら、あのひどかった雨はさっぱりと止んでしまいました。残業していたので、会社を出た19時ごろにはもうすっかり止んでいたので、スーパーに寄って夕飯を買って帰ってきました。買い物が全部済んで出口の手前まで巻きた時、お花コーナーで、買って買って、連れてってと声をかける子たちがいたので、連れて帰ってきました。この子達です。牡丹と菊はお安くて450円くらいでしたが、オリエンタルリリーは一本で880円でした。でもすごく良い香りで、蕾もついているしとても元気そうで、誘惑に負けました。明日明後日と週末休みだし、お花でも愛でながらのんびり過ごしたいと思います。追記一旦アップしてから、さっき気づいたのですが、タイトルがおかしいですよね?あ、また!と思いました。実はこれも、わたしを悩ませている楽天ブログの不具合症状の一つなのです。「本文を書いているのに、なぜか入力した文字がタイトル欄に入ってしまう。」という症状。何かをするとそうなるらしいのですが、「何か」がなんなのか、何をするとそうなるのかはいまだにわかっていません。全く困ったものです。以上、蛇足でした。
2024.06.21
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やはり歳のせいでしょうか、週末旅行に行くと、翌週がキツイと実感しています。先日の愛媛旅も土日を挟んで4日間で、次の土曜日がやたら待ち遠しかったですが、今回の富士山ホタルツアーも近距離とはいうものの、渋滞がほーんとに酷くて、往復とも半日くらい車に縛り付けられていた感じでしたので、週明けはなかなか厳しい日々です。若い時とは違うんだとつくづく感じます。土日は休む日、旅行に行くなら仕事を休んで!♪時は流れた♪なんて口ずさみながら、これ↑を金科玉条にしないといけないと、胸に刻んでいます。
2024.06.20
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皆さんそのことを書いていらして、今回はだいぶとばっちりを受けた方が多いようですね。でも、私はその影響をほとんど受けませんでした。ほぼ通常通りブログあっぷできていたのです。常々謎な不具合や、スマホアプリの使い勝手の悪さに悩まされて、時々そのことをブログで愚痴っているわたしなのに、不思議です。もっと不思議なのは、その常々悩まされている現象は2022年6月14日にアップした記事「楽天ブログの謎」(ここです)に書いたこと(2年経ってもまだ悩まされているんですよ)なのですが、その現象が今回の不具合での出来事によく似ていることです。それなのに、今回はわたしは問題なしだったのですよね。どころか、珍しくすらすらアップできていたのです。なんだか変ですよね〜〜。本当に本当に不思議です。だけど、その不具合はおさまってきたらしいので、なんだかよくわからないままではあるけれど、わたしの何年か越しの不具合も、この収束に便乗して?巻き込まれて?なくなってくれちゃえばいいなぁと星に願っているところです。
2024.06.19
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昨日は楽天の調子が悪かったようで、写真のアップができなくなってしまって、尻切れとんぼで失礼しました。お部屋の様子や食事、この施設はイルミネーションも有名なので、その写真もアップしたかったのですが、なんかもういいかってなりました。お食事は「フツー」って感じで、しかもお昼の生桜エビかき揚げが夕方になってもまだ存在を主張していて、ごめんなさいと謝りながら食べ残してしまったし。で、ホタル祭りは19時半からというのでちゃっちゃっと晩御飯を済ませて部屋に戻り、お疲れな夫は時間までゴロンと一眠り。わたしは窓際に座り、名残の富士山を見ようと窓を開けました。すると何やら鳥の声?もう夜なのにと思いながら耳を澄ますと、あれ?もしかしてこれは!?すかさずスマホ検索したら、やっぱり!!鳥ではなく、カジカガエルさんでした。この間愛媛に行った時、臥龍山荘のお茶室でこの声が聞こえ、実はわたし、それがカジカの鳴き声だとガイドさんに教えられて初めて知りました。聞いたことはあったような気がしますが、カジカだとは知らなかったのです。30分ほどして夫が目を覚まし、(鹿児島育ちの夫はカジカガエルの鳴き声、知ってました。)時間なのでホタル祭り会場の川に行きました。暑くはなく、どころか少し肌寒いくらいでしたが、湿度はすごく高くて今にも雨が降りそうでしたから、まさにホタル日和。ワクワクしながら川縁を歩いていくと、草むらや気の根元に豆電球より小さな光がポッポッと点滅していました。実はわたし、蛍を見るのは人生で三度目、でも前の二度はどちらも人工孵化をしている温室みたいな飼育施設で、こういう場所で見るのは初めてでした。ゆっくり歩いていくと、蛍が舞い始めました。見上げる枝の間をふわっふわっと光が漂います。足下でも、あちらで光り、こちらで光り、その可愛さ、健気さに、胸の内で声にならない歓声を挙げていました。出口まで時間にしたら10分か20分ほどだったと思います。よく話に聞く光の乱舞みたいなのではなく、とても優雅で静かな光の舞でしたので、心の中の一部に少しの物足りなさも覚えつつ、別の部分では静かに感動もしていました。子どもさん連れのご家族もたくさんいらっしゃいましたが、さほど騒がしくする子もおらず、とてもよかったです。不思議なことにあれほどうるさかったお隣の国の方達とここではあまり会いませんでした。(ちょっとラッキーと思ってしまった。)ホタル鑑賞の後、この施設はイルミネーションも名物とのことで、ちょっと見に行きました。今日もまた写真がアップできないので、お見せできませんが、正直な感想は、無料エリアはたいしたことない、でしたよ。(有料のエリアがあったので、きっとそこはもっと綺麗なのでしょうけど)だから、アップできないのはそれほど残念ではないので、今日は心置きなくここでお終い。大した旅でもないのに(ごめんなさい)明日に続きます。あら、ダメ元で再チャレンジしてみたら、写真がアップできました。大したことなかったと憎まれ口を利いてしまったイルミネーションです。
2024.06.18
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週末に蛍を見に出かけました。今回は夫と2人で、行く先は、御殿場高原時之栖(ときのすみか)でした。ホタル観賞のベストコンディションは雨が降る直前の気温の高い日の日没後だそうで、観光的にはむしろかなりな悪条件ですが、目的はホタル、それ以外は何も期待せずに出かけました。ホタル鑑賞というと、蛍が生息する地域の公園などで行われるほたる祭りを近くのホテルに泊まって見に行くという感じですが、ここは敷地内の川辺にホタルがいるということだし、シングルのお部屋もあり、車がなくても1人でも行けるので、今年こそ!と計画しました。でも、この間1人で四国に行ったばかりでしたので、今回は夫も誘って2人で行くことにしました。夫が車がいいというので、それならと、天候に左右されない小田原城に寄ってから御殿場に行こうということになりました。急ぐこともないので9時に家を出たら、タイミング悪く事故渋滞、故障車渋滞、工事渋滞のフルコースで、小田原まで、3時間以上かかりました。ガイドツアーを予約しておかなくてよかったです。銅門(あかがねもん)です。この日は建物の中を公開しているとのことで、入ってみると、お人形たちが小田原評定の最中でした。窓のような隙間は上から石を投げ落とすためだそうです。本丸を囲む堀中から赤い橋は菖蒲橋、堀は菖蒲田になっていましたが、花菖蒲は盛りを少しすぎていました。堀の岸辺には紫陽花の花。これも盛りは過ぎているようでした。本丸への入り口、常盤木門です。夫が足が痛いというし、お城は愛媛ですごいのを見たばかりでしたから、小田原城天守閣は下から見るだけにしました。外からでも美しいです。もうだいぶ遅くなっていましたので、 お城近くのお蕎麦屋さんでお昼をいただきました。楽天さん不調なのか写真が入らないので後でアップしますが、(やっと写真がアップできました)2人とも、生桜エビのかき揚げせいろをいただきました。お蕎麦は細打ちで、つゆは薄くはないけれど上品な味でした。サクサクに揚がったかき揚げは桜エビとネギの香りがして美味しかったのですが、ちょっと大きすぎました。お昼営業の最後のお客だったわたしたちはささっといただいて車に乗り、御殿場に一直線。のはずでしたが、どういうわけか箱根を走り回りました。夫は若い頃、御殿場、富士吉田のあたりに割に長くいたそうで、土地勘があるし道もわかると自信があったらしく、ナビの指示は適当に聞き流して自分の感覚で走った方がかえっていいくらいに思っていたようなのです。右折、左折の指示が出ているのにスピードを緩めず行きすぎてしまったり、ナビの指示は方向が違うと言って反対に曲がったりを何度かして気づいたら、ナビは今まで来た道を戻る指示になっていました。そんなこんなで箱根スカイラインを一往復してすごい旧道を通ってターンパイクにようやく辿り着き(それが本来走りたかった道のようです)、御殿場に向かうことができました。2時半ごろ小田原を出て、御殿場のホテルに着いたのはなんと17時をすぎていました。 小田原までの渋滞もあり、1日で6時間くらい運転した夫はだいぶ疲れたようでした。でもおかげで、お天気が悪いのにこんな素晴らしい富士山や道脇の自噴泉(命の泉)の祠を見られたり、駿河湾沿いの町(夫曰く沼津だと)や、珍しい雲を被った富士山や、素晴らしい景色を見られました。ホテルは建物は古いようでしたが、ロフトまで入れると何人泊まれるの?というほどお部屋が広くて、何より窓の正面が、この景色。最高でした。
2024.06.17
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タイトル、間違えてる?とおもわれませんでした?あはは😁、間違いじゃないんです。昨日の日記へのkororin師匠のコメントで知りました。紫陽花もちゃんと実が生るんですって。わたしったら昨日の日記で、もうすでにそれをアップしているそうです。これだそうです。両性花が散った後のコロンとした丸いのが実だそうです。それで帰り道に、通りすがりの紫陽花をよーーーく見てみました。そしたら、そこにもありましたよ。これがわかりやすいでしょうか。咲いていく順番はこんな感じでしょうか。いやいや本当に知りませんでした。超ビックリ!それにしても可愛いです、紫陽花の実!!紫陽花は種ができない、実は生らないってきいていた、あれは何だったのでしょうか?kororinさん、教えてくださってありがとうございました。わたしも楽しみが増えました。
2024.06.14
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今日はほんとは愛媛旅最終日に取り掛かろうと思っていたのですが、これがもうめっちゃ大変。いろいろ行きたかったのに結局松山城しか見られなかったこの日、だからパパッと書けてあっさり終わりそうなものなのだけれど、そうは問屋さんが卸してくれません。この国宝はちょっと格が違うのです。白状すると写真を撮りすぎて収拾がつかなくなってるわけですが、だけど、皆様、門やら塀やら目に入るもの目につくもの、ぜーんぶ国宝なんですよ、このお城。それじゃもう撮るしかないじゃありませんか!さらには、説明板もなるべく撮ってきたのですけど、いろいろあってガイドさんをお願いできず、系統だった説明を聞いていないので、頭の中が整理できてなくて、文章がまとまらないと言うのもあります。と言うことでアップはちょっと延期です。で、唐突にアジサイのオハナシですが、まず、写真を見てください。今日撮ったものです。これとかこれとか、ご覧になって、はて?(寅ちゃん風に)と思われませんか?(答え合わせは後でね。)紫陽花の花と一般に言われているものが実は花ではなく萼片だと言うのはご存知ですよね。それはわたしも朧げに知っていました。それを装飾花と呼ぶことは、ブロ友のkororinさんのブログで知りました。では、まことのお花は?両性花と言って(それもkororinさんからの受け売り)、上の写真にも出ていますが、装飾花の真ん中にぽちっとある丸いもの、これが両性花だそうです。上の写真のような額紫陽花だと、装飾花が周りを縁取るように咲いている中央の粒々集団がありますよね、あれが真の花(真花)別名両性花です。詳しいことはわたしも不勉強で、よくわからないので、よろしければこの辺りをご参照ください。先ほどの答え合わせ、はて?の正体はここなのです。粒々のあるはずのところにお花が咲いている、それが真花。なんか、もう、愛おしいとしか言いようがないでしょ。これが答え。これをお見せしたかったのです。今日見つけた真花たち。kororinさんのお庭は、彼女の愛情あふれるお世話のお陰でたくさんの種類のお花たちが力強く、美しく咲き歌っています。毎日その子たちの写真を紹介してくださるのですが、普通なら終わっていると思われる紫陽花のお花たちを、ここからがいいの!とたくさん紹介してくださって、おかげでわたしは、これまでとは違う紫陽花の楽しみ方を知りました。道端にもたくさん植っていて、どこででも見かけるお花ですけれど、真の花を愛でるのは、しっかり立ち止まって、わたしの場合なら自転車を止めて、身を屈めて、目を近づけないと見えない世界です。皆さんも時々でも、この密やかで華麗な世界を楽しむ秘密結社に参加なさいませんか?
2024.06.14
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昨日はあまりのショックに思わず愚痴を垂れ流してしまい、失礼しました。昨日飛んでしまった記事はまた今度気を取り直して再挑戦するとして、今日は愛媛旅の長い長い三日目にピリオドを打つことにします。松山駅から道後温泉に向かう電車のなかで、さてこれからどうしようと考えていました。ホテルにチェックインはできるもののまだ夕方というにも早い時刻。最初の晩に見学できなかった道後温泉の又新殿(ゆうしんでん…皇族専用の浴場)を見学させてもらおうと思ってスマホで予約状況を調べたらどうやら当日の申し込みは受け付けていない模様。1日目の夜入り口のおじさんが「少し待てば入れる」と言っていたのは本館の温泉の入浴のことだったようです。その温泉も日曜日だったので行って直ぐには入れないかもな感じ。かと言って、この雨の中、入浴の予約をしてからホテルにチェックインし、時間になったら戻って入浴する…のは気が進みません。でも、道後に来たからにはやっぱり温泉には入りたい!ということで、あまり混んでいないらしい「椿の湯」に行ってみました。そこは駅に一番近いし、アーケードを通って濡れずに行けるのです。で、行ってみたらOKだったので、着替えも持っていませんでしたが、入ることにしました。ちょっと立派な銭湯って感じです。中の様子はこんな感じ(ネットより拝借)。道後の町のおばちゃんらしき方達が数人挨拶を交わしたりしています。体を洗うのもシャンプーもOKで、本当にちょっと立派な銭湯です。温泉は単純泉と言うのか、癖のない、ちょうど良い加減な濃さのお湯で、気持ちの良い温度に調整されているようで、とーってもリラックスできました。歩きすぎて攣りそうだった足やふくらはぎをじっくりマッサージして、30分ほどゆっくりしました。美肌の湯だそうですが、オババの肌はそう易々とは潤ってくれませんでした。残念!本当は写真で見た飛鳥乃湯泉(あすかのゆ)にも本館にも入ってみたかったけれど、その気力がもうありませんでした。その代わり記念にこんなバスタオルを買ってきました。今治タオルです。たっぷりなサイズでフカフカ。お家で愛用しています。ここからは一目散にホテルに向かいました。荷物はお部屋に入れてくださってあるとのことで、チェックインすると20分後に夕食のテーブルを予約できると言うので、お願いしてしまいました。この日のお部屋は予約の通りダブルルームでした。初日のツインほどではないけれど、1人には十分な広さです。ベッドも余裕の大きさ。中段左は壁紙とカーテンです。右は上と反対の窓側から見たレイアウト、テレビも無料で見られます。浴室と洗面は一緒でした。お部屋の探検はそこそこに一階のレストランに。この日は窓からは少し離れた、額の下のテーブルでした。この日の食事の内容は、この前より少しアップグレードしてくださったのですって。左が前回のメニューで右がこの日です。最初に飲み物をオーダーします。今回はグラスの赤ワインをお願いしました。このワインがとても美味しくて、前回もビールでなくてワインにしておけばよかったと思ってしまいました。写真は、上段がその赤ワインとグリーンピースのムース、コンソメジュレです。下段は左がスモークサーモンと春野菜のテリーヌ、右がビスクスープ。テリーヌが美味しかった!メインのお魚は甘鯛のポワレ、さっぱりしたソルベを挟んで、お肉は今回もフィレステーキ、マディラソースでした。地元のお肉なのかな今回も美味しいお肉でした。そして下段はデザート、紅茶がこの前とても美味しかったので今回も紅茶をいただきました。安定のおいしさでした。お腹がパンパンになってお部屋に戻り、この日はもう大浴場へは行かず、お部屋のバスでもう一度お湯に浸かりました。それから、このホテルの自販機にはスーパードライしかないことが分かっていたので今回は駅前のコンビニで仕入れてきたクラフトビールを、窓を開けたら見えた、この夜景をお供にプハーッと飲んで、ベッドに直行しました。これを以って長かった旅の3日目は幕を下ろしたのでした。
2024.06.12
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スマホからのブログ入力がどんどんしづらくなります。打ち込んだ文章を変換しようとすると消えるのは、もうデフォルトかと思うほどだし、意図しない動作も、意図した動作ができていないこともアルアルです。下書きの保存ができておらず消えていたり、訂正して保存したのが上書きされてなかったりというのも頻繁に起こります。中でも昨夜起きたことは最悪でした。入力した記事を、アップする前に一つ確かめておきたいことがあったので下書きに保存して、一旦閉じたのです。他の作業をしてからまたブログに戻ってきて、下書きを開いたら、復元しますかと聞かれ、うっかりはいを押してしまいました。出てきたのはアップしようとして下書きに入れたものではなく、その前の書き初めの文章に戻ってしまっていたのです。これでは何のための下書き機能か、地団駄踏むほどのくやしさでした。でも、もう、どうしてもその直前に書いていたものは戻ってきませんでした。多分あの文章は二度とかけません。もう一度、新たに書くしかないと思います。今までも似たようなことはあって、そのときは、あら、わたしまた下書きに入れるの忘れたのねと思っていたのですけど、もしかしたらあながちわたしの操作ミスばかりではないのかもと思いました。パソコンからの入力の方は問題ないですか?スマホだと、最近サイドからはみ出してくる広告(パソコンのポップアップ広告みたいなの)が以前よりまたさらに増えている気がします。「広告を見るとブログの続きが読めます」のあれも、この頃すごく頻繁に出てきますよね。無料で利用させていただいている、それは確かですから、感謝こそしても、こんな不満を言うのは筋違いなのかもしれないけれど、正直なところ不満は多いです。楽天ブログ、本当はもうやる気ないのかしらと、ちょっと疑心暗鬼です。
2024.06.11
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さて、内子の旅レポを続けますね。 続きは上芳我家からです。ここは、昨日書いた通り、二代目当主の妹にあたる方が旦那さんと一緒に築き上げた筆頭の分家です。 江戸末期から明治の数十年の間に芳我家の分家は13家になったそうです。 上芳我家が、ごく小さな作業場でわずかな木蝋の製造を始めたのは、産業革命後の工業の近代化に伴って世界的に木蝋の需要が高まっていく時期でした。この時流に乗って、夫婦は作業場を広げ、製法を工夫して商いを繁盛させていきました。本家も全ての分家も同様に時代の波に乗って業績を伸ばし、大正時代には芳我一族も内子の町も隆盛を極めました。上芳我家も、この賑わいと共に改築、増築を行い、居宅も店も作業場も全て立派になっていきました。訪ねた時はちょうど雨が一番ひどい時で写真が撮れませんでした。こちらで写真をご覧くださいね。贅を凝らした建物、坪庭、そして作業場から、往時の繁栄が偲ばれます。ところが店舗の二階の工事をしていた時にご夫婦の最愛の息子さんが亡くなってしまい、すっかり意気消沈して、息子のために作りかけていたその工事を途中で止めてしまったそうです。作業途中で繋がっていないままの柱が何本も見えるのがなんだか無惨です。倉庫にする予定だったらしいこの屋根裏も、太い柱や木の床、壁は全て剥き出しで、造りが立派なだけに、かえって悲しくなるような光景でした。ネットにもこのことに触れた記事はありませんでしたが、Fさんが話してくださったことなので間違いはないと思います。そのFさん、実はこの上芳我家と浅からぬご縁があったそうで、内子座で素人歌舞伎に出られてい伯父様とは別の叔父様が学校の先生をされていて、その方がご夫婦でこの屋敷の離れを借りてお住まいだったそうです。なので、子供の頃は近くで遊んだ帰りによくその離れの叔父様宅により、お水を飲ませてもらったり、おやつを食べさせてもらったり、この庭でもよく遊んだと仰っていました。叔父様は直ぐ近くにある内子高校の先生でいらしたのかもしれません。余談ですが、ノーベル賞作家の大江健三郎氏は内子町のご出身だそうです。内子高校に入学され、ほんの短期間在籍されていたそうですが、すぐに松山市の松山東高校に転入されたようです。大江さんのお話は項を改めてまた書かせていただくことにして、今は内子街歩きに戻ります。Fさんのガイドはここで終了なので、事務所に戻られるFさんとお別れし、Nさんとわたしの2人旅になりました。このあと彼女は松山から羽田への飛行機に乗り、わたしはもう一度道後温泉のホテルに戻ります。ということでお昼ご飯と松山までの列車をご一緒することにしました。最初に歩いた商店街まで戻り、迷いましたが下芳我邸がFさんのオススメでもあったようなので、そこでお昼にしました。ここです。正式には「蕎麦とつみ草料理 下芳我邸」というそうですが、Fさん曰くJRの経営だそうで、実はここも重要文化財。一歩足を踏み入れて、その重厚な作りに思わず回れ右しそうになりました。店内ほぼ満席だったので写真はネットからお借りしたものですが、上が入り口と待合のベンチで、下がわたしたちが座った土間のテーブル席です。雨が酷くて、靴下まで濡れていたのでお座敷には上がりませんでした。沓脱を上がるとお座敷席です。椅子の席と座卓の席がありました。素晴らしい船箪笥が置かれていました。欄間も厚い板に透かし彫りが見事です。お蕎麦は手打ちらしくわたしは野遊び弁当、Nさんは冷たい天ぷらそばを注文しました。これが野遊び弁当です。もりそばが丼に入って出てきたのでびっくり。でもお蕎麦自体は国産の蕎麦粉で香りもよく甘味もあって、程よいコシの美味しいお蕎麦でした。つゆはやや薄めだけれど(ごめんなさい、東京人なので、かなり濃いめがスタンダードなのです。)甘くなくて(個人的に、つけ汁は出汁の甘みだけで十分と思っています。)、お出汁のきいた良い感じのつゆです。あとは漬物、酢の物、野菜の煮付けとだし巻き卵、天麩羅、五穀米のおにぎり、そしてデザートの杏仁豆腐。この素敵なお屋敷で、このボリュームで、1850円って信じられます?Nさんの天ぷらそばはお蕎麦と天ぷらとデザートの杏仁豆腐で、確か1300円くらいだったと思います。それもお安いとは思いますが、リーズナブル度は明らかにわたしの方に軍配上がりますよね。 メニューの写真を見た時、正直このボリュームは無理かなと思いましたが、お蕎麦だけでなくこのおかずを是非戴いてみたかったのです。最初の晩の道後温泉のホテルでフレンチを戴いた時、お野菜がとても美味しかったので、慣れた調理法のお野菜も食べてみたいと思い、食べきれないかもしれないのに注文してしまいました。そうしたら、正解!頑張ったmamatam偉い!!でした。お野菜、どれも超美味しかったのです。愛媛県のお野菜、すごい、あっぱれです。おにぎりは一口しか食べられませんでしたが、あとはそのお野菜のおいしさに釣られて完食!とってもとっても幸せなお昼ご飯でした。このあとお手洗いをお借りすると、お座敷を通って廊下をぐるっとまわった裏手にありました。お手洗いも感激するほど綺麗でしたが、中庭の素晴らしさは、廊下に座ってしばらく眺めていたいと思うほどでした。2階が博物館のようになっていて、見学もできるらしかったのですが、時間も気になるので見ずにお店を出ました。午後からはもうすっかり本降りで、内子のお土産なども買いたかったのだけれど、荷物になるし、とにかく早く屋根の下で落ち着きたかったので、まっすぐ駅まで行ってしまいました。傘を差してNさんといろんなことを話しながら歩きました。Nさん、松山にいらっしゃるのは2度目で、2度とも目的はライブだったそうです。ライブは昨夜で、今日は帰るのだけれど、内子座が改修工事に入る予定があると聞いたので前回は時間がなくて来られなかった内子に、今回はぜひとも来たくて、飛行機に乗るまでの数時間で訪問したとのことでした。50代?と思っていたら、今年60歳になられたそう。息子さんが就職して家を出られたので、今回は身も心も軽く松山に来たと仰っていました。あとはどんなことを話したか覚えていませんが、特急列車を待って松山まで小一時間、楽しく過ごさせていただき、駅でお別れしました。わたしは1人で内子でお昼を食べて直ぐ松山に向かう予定で、もともと松山には午後早い時間に着くつもりでした。というのは、道後温泉のホテルに行く前に松山で寄りたいところがあったのです。萬翠荘という、これも重要文化財に指定されている建物で、お庭も素晴らしいとことなので、そこに行きたいと思っていました。ココです。この日も松山到着は早かったので見学の時間はまだ十分あったのですが、この時間、本当に雨が酷くて、靴の中まで濡れて靴下もビショビショな感じだし、締め付けられた足も痛かったし、邸宅の中や庭園を歩くのは翌日まわしにしようと決めて道後温泉行きの電車に乗ってしまいました。ところが翌日、これが大間違いだったことが判明し、落胆で座り込みたくなりました。まあ、それは翌日の話ですので置いておいて、道後温泉行きを待っていたら、砥部焼電車とお腹に書かれたラッピング電車が来て停まってくれました。行き先が違うので、これには乗れませんでしたが、テンション爆上がりの状態で、この後に来た電車に乗り、道後温泉に向かいました。この日の宿泊はまた「オールドイングランドホテル 道後山の手」ですので、3日目はまだ終わりません。明日に続きます。
2024.06.10
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昨日は整体の予約があり、お昼を食べてから出かけました。股関節がだいぶ固まっていたそうで、時間をかけてほぐしていただいたので、このところの不調が解消するといいなと思っています。施術が終わった後、いつものスーパーに寄ったら、期待していた活車海老はありませんでしたが、殻付きの岩牡蠣が2個入りで499円、殻付きの生の鮑が2個入りで700円前後でした。その場でスマホ検索してみたらお料理は結構簡単そうだったので、我が家と息子家用に購入。帰宅して夫に見せ、息子の家にも届けると言ったら珍しく車で一緒に行ってくれるというので(目的は孫と遊ぶことって、見え見えでしたが)、届けてついでに孫とも遊んできました。だいぶ長く起きていられるようになった孫、そりゃそうです、もうすぐ11ヶ月だもの。昨日も夕方なのにお目目ぱっちり、ご機嫌で大はしゃぎ、楽しかったです。それぞれ夕飯の支度もあるので早めに切り上げて、バイバイしました。帰ると早速ご飯の支度です。料理自体は調べておいた通り簡単でしたので、わたしもアツアツをいただくことができました。蒸し牡蠣に鮑のバター醤油焼き、筍とちびっ子ハマグリとアオサのお味噌汁、冷やしトマトという簡単かつ超豪勢な晩御飯を楽しみました。鮑は買う時から小さいことはわかっていましたが、味は濃厚だし、柔らかくて大満足でした。岩牡蠣は殻は大きいけど、中は赤ちゃんだろうと思っていたのです。ところが苦労して開けてみたら、想像を遥かに超える大きさて、しかもぷっくりツヤツヤ!この前買って冷蔵庫にまだ居たオレンジ色のレモンとお醤油で作ったポン酢がまた絶品で、殻の中に残った牡蠣の汁とポン酢のミックスまで、舐めるように味わってしまいました。味噌汁も、ちびっ子ハマグリの出汁が、少しアクのある筍を引き立て、アオサもいい仕事をしてくれました。ご飯はわたしの実家では茶飯と称していたお醤油味のご飯、冷凍してあったものです。これ、多分茶色いから茶飯なんだろうと思っていますが、桜飯と呼ぶ地方もあるそうですね。我が家ではおでんの時は必ずこの茶めしでした。昨晩は、夫がゴルフ場からたくさん持ち帰ってくれた真竹の筍、今年はとても柔らかくて美味しいので、スライスして煮ておいたものをチンして混ぜ込み、なんちゃって筍ご飯にしました。この豪華料理が2人分で2,000円以下という超特価でいただけて、本当に最高の晩ごはんでした。簡単で手間はかかっていないものの、熱々の美味しいうちに食べたくて気が焦り、写真は撮り忘れました。悪しからず!愛媛一人旅レポ、内子編の続きはまた明日。続きは上芳我家からです。
2024.06.09
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内子の街歩きは続きます。内子座から商店街、目抜通りを歩いてきて、伊予銀行のある角を山手の方に曲がると、住居のような感じの建物も多くなり、ここからはおまけなのかなと思ったら、とんでもない、街歩きはここからいよいよ佳境を迎えることになります。あまりに見どころ、書きどころが多すぎて写真の編集や資料の確認に手間取り、それで昨夜のうちにアップできなかったほどでした。時代を経た商家や町屋を右に左に眺めながら歩いて行きます。雨が激しくなってあまり写真が撮れていないのでネットからお借りした写真ですが、こんな街並みです。「内子町八日市護国伝統的建造物群保存地区」というそうです。これはわたしが写した写真で、ここには重要文化財の住宅が二棟写っています。一つは真ん中の白壁の家で大村家住宅、もうひとつは奥の2軒の家のように見える大きな建物、これが芳我一族の中心だった本芳我家の屋敷です。本芳我邸は、建物内部は非公開ですが、門から入って、お庭と建物の正面を見ることはできました。「邸宅」という言葉はこういうもののためにあるのだと実感させられました。皆さんは、鏝絵(こてえ)というのをご存知でしょうか。佐官職人さんが壁を塗るコテを使って描く絵なのですが、内子町には至る所にその鏝絵が残っています。中でもこの本芳我邸の鏝絵は、それは見事なものです。(ネットから拝借)これは、上のコラージュの下段左、母屋玄関の上、屋根の破風板部分に取り付けられた、縣魚(げぎょ)と呼ばれる妻飾りです。本芳我邸の縣魚は、着色された漆喰を用いて鏝で描いた鏝絵なのです。他にも母屋2階の窓格子の下の壁(上段)と、母屋の玄関の反対側にある棟木の縣魚(中段)そして母屋に隣接する蔵の壁に鏝絵が見られます。母屋の棟木の縣魚です。下の写真はネットでやっと見つけてお借りしてきた縣魚のアップです。雲龍という意匠だそうです。蔵の、印象的な浅黄色の壁に掲げられているのは、当時の芳我商店のトレードマーク「旭鶴」だそうで、右上がこちらもネットからお借りしアップの写真、右下はFさんに見せて戴いたもの、輸出用に作られたものだそうです。TRADE MARKという文字が見えますね。それにしても、これを鏝一本で再現するって、すごい技術ですね。ところで、こちらの蔵の壁と同じ印象的な浅黄色の壁の建物をここまでにも何棟も見かけました。この色がなんともいえない異国情緒というかヨーロッパ感を醸し出して、内子の町並みをより印象的なものにしています。何かあるのか気になっていたら、これは、内子の近辺で産出される黄色土と漆喰を混ぜて壁を塗るのに使ったためなのだそうです。本芳我邸はここで終了、向かいにある建物こちらに移動します。本芳我邸かと思ってしまいますが、ここも芳我一族の一軒、上芳我家の屋敷で店舗、作業場、住居をかねており、現在は木蝋資料館として公開されています。上芳我家は、江戸時代末期に芳我家の二代目当主が妹に婿を迎えて分家させた家だそうです。それでも最初からこんな立派な屋敷を建てられるほど裕福だったわけではなく、大変な努力もあり、江戸から明治という時代の変遷に後押しもされながら時流をうまく捕まえて身代を大きくしてきたようです。 すみません、間違えて公開するボタンを押してしまったようです。そのため書き始めた6月7日の日付の日記としてアップされてしまっています。でも、スマホで全文コピー/ペーストして新しい日付でアップしようとするとエラー表示されてしまうので、日付も内容もこのままでアップしてしまうことにします。長くなってしまったことでもあり、今日はここまでということで、続きはまた明日。もう少し内子の街歩きにお付き合いください。
2024.06.07
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2日続けてお休みしましたが、今日は自分にカツを入れてみたら少しシャキッとしたので、旅レポ復活頑張ってみることにしました。またよろしくお願いします。内子座の普段なら見られる場所がほとんど見られなかったので、内子座ツアーはショートバージョンになってしまいましたが、Fさんのおかげでたっぷり楽しんだ気分でのひと廻りでした。このFさんとの内子座巡りは、途中から1人メンバーが増えていました。一緒に説明を聞かせてもらっていいですか?と声をかけてこられて、Fさんが承知されたのでご一緒したのです。わたしと同様、一人旅の女性でしたが、とても自然に相槌を打ったり歓声を上げたり、質問もされたりしていました。わたしたちは内子座を見た後は街歩きに出発するのですが、その方も出口まで一緒にいらして、同行してもいいかどうか尋ねてこられたのです。Fさんがちょっと答えあぐねていらっしゃるので、わたしがしゃしゃり出て代わりにこう言いました。「この方は、今日、街の案内をお願いした有料のガイドさんなのですよ。当日の飛び入り参加が規則上問題がなければ、わたしはご一緒するのは全然構いません。」そうしたらその方は、もし大丈夫なら料金はお支払いしますので、お願いしたいですと言われ、Fさんも別に問題はありませんと言われるので、ご一緒することになり、3人での雨傘道中が始まりました。新しいメンバーはNさんと仰る50代くらいの可愛らしい女性で、わたしもおしゃべりをしながら見学するのはむしろ大歓迎でしたし、Fさんはステキなオーディエンスが増えて、むしろ張り切ったご様子で、とても楽しい時間になりました。内子座を出て、先ずは街の目抜き通りを歩きました。並んで建つ二棟の建物は左の黄色っぽい方が内子のビジターセンターで右の可愛らしい洋館は児童館だそうです。で、元は警察署と尋常小学校だったそう。失礼ですけれど、「こんな小さな田舎の町の警察署と小学校がこれですか?」と、驚きしかありませんでした。本当に豊かな街だったのだと感じますね。そしてこちらは上は元の下芳我邸。ここは木蝋で財を成し隆盛を誇った豪商、芳我(はが)一族の一軒、下芳我家と称した一家の屋敷だった建物です。現在は「蕎麦 摘み草料理の店 下芳我邸」として営業する内子の人気店です。下は同じく重要文化財の町屋を改修して宿泊施設として営業している、こちらも大人気の宿「こころ」さんです。こちらは写真をネットからお借りしました(この時ちょうど雨がひどくなって写真を撮れませんでした)「内子民俗資料館 商いと暮らし博物館」という施設です。江戸から明治の建物で、大正の頃の薬屋さんの暮らしを、人形と当時の家財道具を使って再現しています。この通りに、例のFさんの「お金でなんとかなることなら」の伯父様のお店もあったそうで、そこは今でもなかなか人気な飲食店になっているそうです。こちらは伊予銀行です。現役です。看板が立っているでしょう?すごく素敵な洋館で、ここを建てるのに、当時の街の旦那がたがあちこちに視察に出かけ町の建築家と相談してデザインを決めたそうです。さりげなく立ってる骨董品の赤いポストがなんとも言えず良い味を出していますね。ここは和蝋燭のお店です。写真がありませんが、火を灯している和蝋燭も見せていただきました。和蝋燭は炎が揺らがないことと、溶けた蝋が下に垂れないのが特徴なのだそうです。今では生産量もとっても少なくなってしまった木蝋を使って店先で和蝋燭の製造をしておられました。前に据えた容器の中で溶かした蝋を、手で汲み上げて丁寧に巻いて行くのです。大変なお仕事です。和蝋燭と鋳物の燭台とを組み合わせて展示販売をしていらっしゃいました。こういう建物が軒を連ねています。今も跡を継がれた方がお住まいの家もあれば、空き家になって売りに出されているお家もあり、ともかく街を挙げてこの歴史的な街並みの保存に取り組んでいらっしゃいます。建物についてもいろいろ説明していただきましたが、なかなか部材の名前やその働きなどは覚えきれません。ニコニコマークをかぶせてあるおばさんはわたしです。この日は大島紬のリメイクワンピースに絽の黒羽織を着ています。ワンピースは何度か水を潜っていますが、絽wの黒羽織は古いけれど未着用のものでした。写真を撮った時は雨が小止みになっていましたが、かなりの吹き降りな時間もあって、羽織はもうじっとり湿ってきていました。未着用の、水を通していない絹は濡れるとちょっと動物臭がするのですよね。なのでこの時のわたしは、ニコニコマークとは裏腹ななかなか不機嫌な顔になってしまっていました。日付も変わってしまったので今日はこの辺で。内子町の歴史地区の街歩きはまだまだ続きます。お楽しみに。
2024.06.06
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あっという間にもう6月、お中元の手配を始める時期です。mamatam社も、何社か毎年何かお送りするお取引先がありますので、それなら昨日始まった楽天スーパーセールでポイント稼ぎもしようかと、ゴロゴロしながらスマホで品選びをしていたのですが、気がついたら寝ていました。時計を見たらまだ11時前でしたが、目を覚まそうとお風呂に入ってきたけれど、かえってぐったり。頭も余計にぼーっとしてしまいました。ネットショッピングなどしていると、とんでもないものをポチッとやらかしそうなので明日にすることにしました。じゃあ、ぶろぐかきてねようかとおもったのてわすが、それも何か変なことを書きそうです。危ないので、ここは大人しくまた寝てしまうことにします。どちら様もまた明日。
2024.06.05
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今日は家に帰ってきてからしなくてはならない仕事があって、夫と2人、というかわたしは手伝いなのですが、夕飯を挟んで先ほどようやく一区切りつけました。終わったわけではなく、あとは夫がまた明日、別の社員さんと一緒に続きをするのですが、とりあえず本日は終了です。食事の後片付けがすんだので、これからようやくお風呂に入ります。ということで本日のブログはお休みします。皆様もゆっくりお休みください。
2024.06.04
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番外編、お料理の三題噺ではありません。内子座にスッポンがあると書きましたら、kopanda06さんから花道にあるスッポンとは?というコメントをいただいたので、そのオハナシです。スッポンは主に歌舞伎で使われるもので、わたしは歌舞伎には詳しくないのですが、「セリ(迫)と同じ機構で、小さいサイズのもの(小迫)。花道の舞台に近いところに設置されていて、人外のもの(妖怪とか霊とかお化けとか?)の出入りに使われるもの」という説明で良いと思います。ネットを探してみたらこれが見つかりました。こちらの会社のページからお借りしました。上の方に四角い線が見えますが、そこがスッポンです。セリのこともこんな風に説明されていました。内子座には舞台にセリ(迫)ではなく回り舞台があるそうで、しかも上に書いてあるように今も人力で動かしているそうです。誰が?と聞いたら、町の職員さんだそうです(Fさん情報)。そしてスッポン。ということで、おわかりいただけたでしょうか?七三というのも歌舞伎用語で、花道の、舞台に近いところに、花道を通って登場した人物が見得を切ったり大きな動作をする場所がありますよね、あそこだそうです。伯父様というのは、内子町でボランティアガイドをしてくださったFさんのお父様のお兄様のことです。劇場にお写真がありましたが、素人歌舞伎の舞台に立ったりして、なかなかの通人だったようで、真面目一辺倒のFさんのお父様とはあまり反りが合わなかったようです。お芝居だけではなく商売の才能もおありだったそうで、街の目抜通りに構えた飲食店が当たり、羽振も良かったのだとか。親戚の方達も皆、何かと頼りにされ、相談事もよく持ち込まれていたのだそう。ご本人も面倒見の良い方だったらしく、いつも「何か困り事があったらいつでも相談に来なさい。お金で片の付くことなら何でも相談に乗るから。」と仰っていたのですって。その頃の内子の町にはそれほどのお金が流れ込んできていたということなのでしょうね。それにしても、「お金のこと以外ならなんでも相談に乗る」というセリフはよく聞きますが、その逆はあまり聞かないですよねえ。その弟のFさんのお父様は、師範学校に通われていたけれど、経済的な事情でやめて家の農業を継がれた方だそうで、親戚中の方が何かにつけてその伯父様を頼るのに、Fさんのお父さまだけは、どんなに困ってもあの兄にだけは絶対に頼らないと言っていらしたそうです。お父様に似ておられるのかとても真面目そうなFさん(お顔だけなら伯父様にも似ておいででした)が、淡々とその話をされるのを聞いていたら、ツボにハマって笑いが止まりませんでした。番外編はこれで終わりです。寄り道、失礼しました。では、明日に続きます。
2024.06.03
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ようやくやってきたお休みの週末、なんと3週間ぶり!掃除機かけてカバー類を洗濯、1週間分の温泉卵を作りご飯を炊いてご飯は冷凍しました。土日2日かけてやったことはたったそれだけ。あとは3週間分のゴロゴロです。充実していました!さて、旅レポの続きに取り掛かりましょうか。いよいよ憧れの内子座の内部、探検です。Fさんから、今日は午後から住民の方たちの芸能祭で使用されるので、2階からの見学だけしかできませんがよろしいですか?とご案内を受け、了承して侵入、いえ入場しました。その代わり見学料は本日は無料でした。中に入って二階席から見下ろすと、まあ、なんとも本格的な立派な舞台です!舞台の後ろ、鏡板には能舞台のような松が描かれ、舞台には廻舞台もあるそうです。花道もあり、花道にはスッポンもあるって、どれだけ本格的?上手(右)手前には義太夫席?(文楽を上演する際には、三味線方と太夫さんが座る「床」)になるスペースがあるようです。舞台袖の上手下手両側の上の方に簾のかかったブースがあるように見えますよね?これも文楽で、若手の三味線方や太夫さんが床には出ずに演奏するための場所(御簾内)だと思うのです。これだけあったら、能、狂言、歌舞伎、文楽と何でも安心して上演できますね。折しも、舞台では本日の出演者の方々が打ち合わせ中でした。どんな作品を上演なさるのか聞いてみればよかったです。客席は一階は両脇は昔は桟敷席だったそうです。今は椅子が置かれていました。一階正面の席は枡席らしく、二階席、いわゆる「大向こう」には木のベンチがおかれていました。舞台から遠く見難い席ですが、料金が安いので、通の観客や常連客の方たちが好まれる席ですよね。この内子町は、木蝋と生糸の生産で大変に栄えた街で、明治大正の頃にはその産業に携わる人たちが多く集まりました。その人たちの娯楽のためにと、町の有志(有力者)が出資してこの劇場が建設されたそうです。柿落としは大正5年(1916年)、Fさんが見せてくださった柿落としの日の写真です。それから長く町の人に親しまれてきましたが、木蝋も生糸も衰退していき、内子座は会館や映画館に転用されてその都度改築され、やがて取り壊しが云々されるようになってしまったそうです。けれども、修復、再開を望む町の住民たちの強い希望で、街並保全事業として復元されることになり、昭和60年(1985年)、再建なった内子座の2度目の杮落としが行われました。そして、2015年、内子座は重要文化財の指定を受けます。この日は二階席からの見学のみで、通常なら舞台に上ったり、奈落や周り舞台、スッポンの仕掛けなども拝見できるのですが、この日は不可でしたので、わたしが見られた範囲でレポートさせていただきますね。もし、もっと詳しく見たいと思われたら内子町のHPを見てください。舞台の上に掲げられている扁額に書かれているのは「芸於遊」、げいにあそぶと読むそうです。町の方が書かれたそうですが、孔子の言葉で、芸は芸能だけのことでなく、教養というような意味だそうです。正しい道を志し、徳に基づき、仁を大切にしながら、芸(学問や芸術、武芸)の中で自由に遊びなさいと、そういう教えの一節だそうです。この素晴らしい板張りの天井、惚れ惚れしますね。シャンデリアは戦争中に金属をとるために軍に供出され失われていたので、資料をもとに似たようなものを見つけ購入したそうです。客席をぐるりと取り囲むような形で天井から下がっている看板、これは、ガイドのFさんによれば、当時内子町にあった会社やお店の広告だそうです。今では業種自体がなくなっているものもあり、現在も営業を続けている会社はほとんどないそうです。2階には資料室もあり、文楽関連のものがたくさん展示されていました。大洲には大谷文楽という江戸時代から伝わる民俗芸能があるそうですから、内子でも文楽の人気が高かったのかもしれません。人間国宝の技芸員の方、現役はもちろん、故人の方もお写真や色紙、新聞の切り抜きがたくさんありました。故豊竹嶋太夫師の写真。わたしは舞台を一度拝見できたのですが、その後すぐに引退され、亡くなられてしまったので、本当に素晴らしいお声、そして語りにたった一度だけでも触れられて良かったとは思うものの、あれが最後になってしまったことが悔しくて仕方がないのです。それで思わず、写真の写真を撮ってしまいました。たくさんの技芸員の方の書かれた色紙や文楽人形が展示されていました。わたしが、こんな劇場で文楽を見てみたいというと、Fさんが今年も公演があり、本当に素晴らしいですからぜひ見にきてくださいとおっしゃいます。内子文楽は、演者ももちろん一流ですが、観客の方もレベルが高い、というのです。それはそうでしょう。どこからくるにしても飛行機か船、決して安くない交通費を払った上に少なくとも一泊は必ずしなくてはならない、いわゆる「あごあしまくら」です。生半可な好奇心では来られないと思います。それでも、ここで文楽を見たいと何度もリピートして来られる方もいらっしゃるそうなのです。そんなことを聞いたら、頑張ってお金と時間の都合をつけて来ても、気後れの塊になって、楽しむなんてきっとできないわと、もうそこですっかりビビってしまったわたしでした。鑑賞力もですが、鈍感力も鍛えてから来ないといけませんね。この後も、この内子座で町の人たちとお芝居をされていたFさんの伯父様のお話をうかがったり、町の歴史と結びつけながらたくさんのお話を聞かせていただきました。資料に書かれていることだけでなく、ご自身が感じたり、見たり聞いたりされたことがたくさん含まれた、本当に一味違うガイドをしていただきました。この後、またちょっと面白い出会いもあり、大雨の降る中ですが、楽しく内子の街を巡りました。次回に続きます。(昨日から書き始めていたので、日付けが昨日になっています。アップしてから気がついたのですが、アップした後で日付の変更はできないみたいなので、このまま置いておきます。)
2024.06.01
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大洲の駅から少しだけ離れたビジネスホテルに泊まり、朝目覚めると愛媛3日目の朝は大雨でした。この日は内子の町を歩く予定で、内子町のボランティアガイドさんと9時30分に内子座という劇場の前でお会いする約束です。なので、伊予大洲駅を8時25分の特急で出発しようと思っていました。内子駅は特急だと伊予大洲の次の停車駅で、10分しかかかりません。前日疲れ切ってビールを飲んでカエルの声がすごいなあと思っているうちに寝てしまったので、余裕の早起き。でも窓の外は土砂降りです。とりあえずチェックアウトして傘を買おうとフロントに降りてコンビニのありかを聞いたら駅と反対に歩いて10分とか15分とか。タクシーを呼んでもらおうかと考えていたら、あまりいいのじゃないけど、返さなくていいのでよかったら使ってくださいと奥から傘を持ってきてくださいました。ありがたやー!何度もお礼を言って駅に向かいました。駅までは5分くらい。駅前に早くから開いているパン屋さんがあるそうなので、朝ごはんはそこで仕入れます。パン工場KISAさん。入ってみると、パンの種類も多くおいしそう。しかもお値段が、えっ???というほどお安いのです。3点選んでトレイに載せてざっと計算すると合計200円足らず。なんだか申し訳なくなって少しお高いアップルパイを追加。これを足しても320円、レジのところにあった野菜ジュースも入れてワンコインでお釣りが来ました。伊予大洲駅のこんな可愛らしいベンチに腰かけていただきました。雨は強まったり弱くなったりしていて、内子駅についた時は小止みになっていました。駅舎の左側は売店兼観光案内所でしたが、まだ開いていませんでした。他に何もない駅前広場にはSLがポツンと展示されていました。何故かはわかりませんでした。また降り出した雨の中をスマホのナビを頼りに内子座に向かいます。早く着きすぎて待ち合わせまでまだたっぷり時間があるので、美味しいコーヒーの飲めそうなお店が開いていないかと探しながら歩きましたが、こんな感じの道。見つけたお店も開店前で、キョロキョロしながらダラダラ歩いているうちに内子座の前についたしまいました。この内子町は大洲市と同じ、木蝋で大変に栄えた町でした。大洲市は貿易で、一方この内子町は木蝋の製造で隆盛を誇った街でした。この内子座はその頃のこの街の賑わいと暮らしの豊かさを象徴する物の一つで、櫓もついた立派な劇場でした。ボランティアガイドさんを待って建物の前でウロウロしていると高齢の女性に声をかけられました。内子座の目の前のお宅にお住まいの方で、雨が降っているから玄関前の屋根のあるスペースに入りなさいと声をかけてくださったのです。内子座のことや、離れて暮らす娘さん、息子さん、お孫さんのお話、日課のお散歩のこと、内子座に来る観光客の方との交流などなど。先日はドイツ人のご夫婦に声をかけられて、スマホの翻訳アプリを使ってお話しされたそうです。その後一緒に撮った写真を送っていただいたとか。そんなお話をしているうちにあっという間に時間が経ち、タブレットを首からかけた熟年の男性が1人で歩いてこられたので、ガイドのFさんですか?と声をかけたら、どんぴしゃり。なんか、まさにボランティアガイドという感じの、優しく生真面目そうな方で、この方のおかげで内子の街の観光も、王座と同様に大変充実したものになりました。ツアーは内子座の内部探検から始まりますが、そのお話はまた明日にでも。
2024.05.31
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今朝、去年お墓を建てさせてもらったお寺に年会費を払いに行ってきました。平日でないと受け取れないというので、会社に行く前に寄りました。行きがけに、通り道で見つけたフェンスに絡ませたお花。それが勘違いの1件目でした。何と思ったかというと、トケイソウ。パッションフルーツが生る、あれですが、よく見るとちょっと違うような。葉っぱを見ると。。。うーん、テッセンかな?ということで、Googleレンズで確認したら、やっぱりトケイソウではなくて、クレマチス。クレマチス・ビオネッタという種類だそうです。満開とこれから開くのとの微妙な違いが面白いですね。そしてもう一つは帰りがけにみつけました。スマホに着信があり、自転車を止めたところに咲いていたのです。もしかして月下美人、かと思ったのです。まだ朝のうちだったし、白だし。でも、調べてみたら、月下美人は夜明けどころか20時ころ咲き始め数時間で萎んでしまうそうです。なので、こちらはクジャクサボテンのようです。よく見るとまだ蕾もいくつかついていて、お家の方はしばらく楽しめそうですね。今日は帰りが遅かったので、旅レポの続きはまた明日書かせていただきますね。
2024.05.30
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臥龍山荘を出て、ガイドツアーの拠点になっている大洲まちの駅あさもやまで歩きます。午前中に見た3箇所でツアーのメインは終了で、あさもやまでは大洲の街歩きです。大洲はこうして観光開発に力を入れ始める前から明治の街並みが残る街として有名で、古くは朝ドラ「おはなはん」のロケ地になったことで話題になりました。明治の面影を残したそのロケ場所が「おはなはん通り」として、観光名所になっています。男はつらいよにもここを舞台にした作品があります。嵐寛寿郎演ずる大洲藩のお殿様の末裔と真野響子演ずるその息子の嫁と寅さんが紡ぐ物語でした。他には東京ラブストーリーや最近のアニメ映画(すずめの戸締り)など。映画すずめの戸締りより(ネットより拝借)大洲城と川、鉄橋、そこを走る列車のコラボがいいと、評判になった場面だそうです。そんな風情ある街並みを通って解散場所まで行きます。あさもやはお土産売り場もあり、バスターミナルにもなっているということで、そこで午後の予定を立てるつもりで、歩きながらガイドさんから街並みの説明やその他の観光情報を仕入れながら行きました。ネットからお借りした写真、左があさもやです。正面テントの奥が事務所で右側はお昼をいただいた分油谷(わけあぶらや)さん。息子からリクエストのあったソラマメの味噌とシイタケオイルは見つからなかったので、しらチョビ(しらすのアンチョビ)などを買い、お昼ご飯です。戴いたのは大洲で最近話題のご当地グルメ「とんくりまぶし」です。四国らしい甘辛い味付けの豚肉とご当地名産の栗を載せたご飯をおひつからお茶碗に盛り分けて、最初はそのまま、次にだし汁をかけてどうぞ、ということで、そのように戴きました。とてもしっかりした味付けで丼だったら持て余したかもしれませんが、出汁をかけると味が変わり、また食べられて、それでも少し残してしまいました(多分若者向けのボリュームです)が、大変美味しく戴きました。お腹がいっぱいになったところで街歩きです。今日は大洲泊まりですから、時間はたっぷり。のんびり行きます。こちらもネットからお借りしました。先ずはおはなはん通りから明治の街並みへ。左は大洲神社への階段。お参りしたかったけれどこれを見たらごめんなさいってなりました。階段の下で手を合わせておきましたよ。右は2軒とも市内に点在するNIPPONIA HOTEL、素敵なのでパチリ。赤レンガ倉庫。という名前のお店なのですが、買い物をしようと入ったら、数分後に出発する肱川の遊覧船(大洲お舟めぐり)に乗れるというので、チケットを買って川まで走りました。走る途中で見た別のレンガ倉庫を必死ででぱちり。帰りがけに地図で確認したら醸造会社さん、パンも売ってたらしい。味見したかったなあ!パン大好きなわたしの呟きです。中段左は肱川の岸に降りる堤防です。すごく頑丈でしょう?この肱川、とんでもない暴れ川だそうで、今でも数年に一度氾濫するとか。チョット見にはかっこいいけれど、よく見るとめっちゃゴツい防水扉(でいいのかしら、なんて呼んだらいいのかわかりません)や水門などがたくさん目につきます。下段はお舟めぐりの船です。船端からパンをちぎって投げたらトンビが取りにきました。一周45分、ゆったりのんびりな時間です。写真を撮るのも忘れていました。おまけですが、大洲のマンホール蓋、きれいでしょ?夏の大洲の風物詩、鵜飼に因んで鵜が描かれています。この後またのんびりあさもやまで戻り、ぐるりんバスという小さなコミュニティバスに乗ってその日の宿に。駅に近いビジホしか予約が取れなかったので、レストランも大浴場もありません。この日は午前午後とものすごく歩いて、この時点でかなり足が痛かったので、お部屋の小さなお風呂ですが、まず湯船につかって脚をマッサージ。その後身支度して一階に降り、フロントでお店を教えてもらって夕飯を食べに行きました。お勧めされたお店はホテルから徒歩10分?15分?の「との町たる井」さんでした。(まだ歩く!)こんな感じのお店でした。わたしより少し先輩らしい女性がこのカウンターでビールを飲んでいらして、1人客のわたしもちょっと心強かったです。せっかく四国に来ているのに和食、お魚食べてないわ〜ということで、戴いたのはお刺身定食でした。お醤油が甘かったですが、後は普通でした。ビールは?飲みたかったのですが、ホテルが割と遠かったし、せっかくなので肘川縁を散歩しながら帰りたかったので、ビールはホテルまで我慢。我慢した甲斐?ありましたよ!肱川の土手を歩いて遠回りして帰ったら、こんなに素敵な大洲城の眺めに出会えました。小鳥の鳴き声をお聞かせできないのが残念!それでね、ほら、空模様がだんだん怪しくなってくるのがわかりませんか?風はどんどん強くなるし、それでもめげずに、土手から看板の見えるイオンに向かって歩き続け、スプリングバレーのシルクエールをゲットしてホテルに戻りました。もう一度お風呂に入ってそれから飲みました。これ、美味しかったです。お勧めです。そしてこの晩は、驚いたことに、カエルの大合唱を聞くことになりました。ホテルは広い道路沿いで、田んぼの真ん中とかではなかったのに。けれど、それもそのはず、翌日は土砂降りでした。なんでも警報級の雨だったらしいです。これでようやく大洲の巻が終わりました。美味しいビールでほろ酔いになり、疲れ切ってぐっすり眠ったmamatamでした。
2024.05.29
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お待ちかねの臥龍山荘です。左は庭園。これらの踏み石もなにやら謂れみたいなものがあったりするらしいです。灯籠だってなんだかいわくありげですよね。そして、素晴らしい表札?のかかった門の手前にちょこっと見えている石積み、これが実はもうすでに圧巻!石積みの中に埋め込まれた丸い鉢、これは石臼だそうですが、月を象徴しているとのこと。臥龍山荘は月や夕暮れに関りのある部分がとても多いのです。そして石積みから木が生えていますよね。これはここにこの山荘を建てるときにここにすでに生えていた木で、それを傷めないように石を組んで石垣を作ったそうです。さりげなく見せながら何と手の込んでいること!上段は母屋の臥龍院、書院造りです。下段はその臥龍院に付属する建物で書庫、どちらも重要文化財です。母屋の部屋です。上段の写真は、邸内に入ってすぐにある清吹(せいすい)の間です。東西南北に四季を表す意匠が施されていて、この欄間は透かし彫りにより水の流れが表現されています。庭からの光が入ることで庭の四季が映し出されます。高い天井には屋久杉が使われ、桂離宮様式と言われるものだそうです。下段の座敷には入らないでくださいという札が立ててありますが、これはこのお部屋に敷かれている畳が非常に貴重なものだからだそうです。一見どこがすごいのかわかりませんが、よく見ると畳の目が極めて細かいのです。素材は普通の藺草だけれど使用量がとんでもなく、これを作れる技術を持った職人さんがもういないそうで、破損や劣化があっても同じものを制作することは二度と出来ないと言われているため立ち入り禁止にして保存に努めているということでした。ところがある時文化財保全の専門家をお招きしたところ、畳は大事にするばかりではだめで、時々は踏んで人間の足の脂を与えてあげないとかえって傷みやすいと言われたと、ガイドさんが笑っていらっしゃいました。こちらは霞月の間。濡れ縁に仙台松の一枚板が使用されるなどここも贅を尽くした作りです。その縁側の木材を留めてある釘、一列に10本ずつ数列打ち付けられているのですが、もちろんこの釘も一本一本手作りです。今その釘を注文すると一本の単価は恐らく数万円だと仰る見学者がいらしたそうです。また、こちらの襖の修復の際、京都の表具店で見積もりをとったところ、襖紙が特注品なので図柄の版を作るところから始めなくてはならず、値段は一本200万円以上、工期も数年必要との回答だったそうですが、運良く愛媛の会社で襖の版が見つかり、そこまでの費用も年月もかけずに修復できたということでした。お茶室です。浴室を改装してお茶室として使ったと聞きました。そして、3棟目の重要文化財、不老庵です。肱川の崖に寄りかかるように建てられており、目の下は臥龍淵という絶景ですが、出入りは写真奥の庭園側から普通に歩いて行えます。お茶したと伺いましたが、明るくて開放的で爽快感のある雰囲気がお茶室とは思えず質問すると、煎茶道のお茶室なのだということで、その違いを知り、また驚きました。これらの建物は、木蝋の輸出で大成功を収めた元大洲藩士河内寅次郎が、京都から職人、工人を招き、10年の歳月とほぼ全財産をかけて建てたものだそうです。こちらもお城同様、記録がほとんど残っていないため、どの部分の何を作るためにどういうことが行われ、どれだけの金額がかかったのかといったようなことが何一つわからないと聞きました。ただ、前述の襖や釘のエピソードから推し測れば。。。もし現在これを建てるとしたら億、それも桁が3桁なのか4桁なのか、もしかしたらもっと?などと下世話な憶測をしてしまいました。これほどの巨額の富をもたらした木蝋というのは、櫨の実を原料とする、いわゆる蝋、和蝋燭の原料になるアレのことで、それがこれほどの富をもたらしたということがとても信じられませんでした。木蝋の産地は江戸時代からそのおかげで大変に財政が潤ったのだそうですが、明治に入ってクレヨン、ポマードやワックスなどの整髪料、化粧品、カーボン紙などの文具、艶出しや防水材、さび止め、減摩剤など広い用途に使われて世界的に需要が増え、しかも日本の木蝋はジャパニーズワックスとと呼ばれてその品質の良さが認められたことで、世界を相手に貿易を行う豪商が生まれたようです。しかし、それほど隆盛を誇った木蝋の需要は、コストの安い石油由来のパラフィンに取って代わられ、また原材料不足もあって、明治40年代をピークとして、大正時代には産業自体がほぼ消滅したということでした。今日で大洲レポートは終わりにしたいと思っていましたが、これだけ書いてもまだ半日分ですので、とりあえず今日はこの辺で切り上げ、明日また続けさせて戴くことにします。
2024.05.28
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大洲城を後にすると、まず目についたのはNIPPONIA HOTELという、古民家を宿泊施設として再生したホテルでした。そこはSADAと名付けられた宿泊棟で、大正時代に大洲城の敷地内に建てられた建物だそうです。このSADAのほかにも豪商の邸宅、料亭、店舗、実業家の本宅、武家の屋敷などの素晴らしい歴史的建造物が修復されNIPPONIA HOTELとなって観光客を迎えてくれているといいます。(HPより拝借。真ん中がSADA。)この古民家再生ホテルは現在市内に26棟あり、客室数は31とのこと。このホテルの存在はわたしも知っていて、とても素敵そうだしお食事やサロンなどの評判も大変良いので、大洲に泊まると決めた時一応チェックはしたのです。けれども、1人でも大丈夫だったし宿泊料も想像した程ではなかったもののやはり高嶺の(高値の)花でした。ガイドさんからホテル開業の苦労話などを聴きながらホテルの前を過ぎ、どこか懐かしいような街並みを見つつ、わたしたちが向かったのは「盤泉荘」という建物でした。明治期に木蝋という耳慣れない品物の輸出で財を成した貿易商が作った別邸だそうです。盤泉荘の石垣です。すごい!ステキ!!と思わずパチリ。その下は玄関とお庭です。こちらは室内の様子。上段は応接室、下段はお茶室と廊下?です。用材は主に松で、あちこちに凝った意匠が凝らされています。この日は有料でコーヒー(お茶菓子付き)がいただけるとのことで、お願いしました。どこでも好きなお部屋でとのことでしたので、こちらのお部屋で飲ませていただきました。お金持ちになった気分をちょびり味わいました。お茶菓子は大洲の名物の一つ、しぐれです。あずきを米粉や餅と混ぜて蒸したものだとか。コーヒーにもよく合い、美味しかったです。こちらはネットから拝借した写真。上段は全景、中段は玄関前のお庭から見た前景、下段は室内です。これが個人の邸宅、しかも本宅ではなく接待用の別邸だというのですから、成したという財がどれほどのものか、mamatamごとき庶民の想像の域を超えています。次の見学先は、「臥龍山荘」。やはり明治の同時期に木蝋の貿易で成功された方の別邸です。山荘なんて言うと、ログハウスのようなものを想像されるかもしれませんが、実はこちらは盤泉荘よりもっとすごくて、邸内に重要文化財に指定された建物が3棟あるというのです。こちらのレポートはさらにさらに長いものになりそうです。今日はいつものお墓参り兼会食にでかけるため、稿を改めてお伝えしたいと思います。どんなすごいもの?早く知りたい!という方はリンクを貼っておきますので、Wikipediaで予習をなさってください。でも、それを読んだら、mamatamのレポートなんていらなくなりそうですが。大洲のレポート、ちっとも終わりませんが、悪しからず。では、また、次回。
2024.05.26
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去年咲いているのを見つけたお宅で、今年も見られました。カルミアです。ほんとは(ネットから拝借)アポロチョコみたいな蕾いっぱいのこの状態で会いたかったのですが、旅行など色々あってバタバタしてたので目に入らなかったようです。こんなお花(東洋蘭?名前がわかりませんが)が咲いていました。季節は春を飛び越えて夏に進んでいるようですが、お花たちは粛々と時を刻んでいるようですね。どれも少し急ぎ足だけれど。旅レポ、今日こそ続きを書きますので、少しお待ちくださいね。
2024.05.25
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今週は毎晩かなり早くベッドに入ってしっかり眠っています。睡眠が足りている証拠に、毎朝、アラームが鳴る前に目が覚めるくらいに早起きです。でも、よほど疲弊し切っているようで、午後になるとだるくてうすら眠くて、夜になればまた早くから眠くなります。昨日はブログアップもせずに寝てしまいました。今日も、まだこれからお風呂に入るので起きてはいますが、写真を整理して文章をまとめる気力が湧きません。より早い回復のために、あと一息、怠けておこうと思います。ここで、おやすみなさいというところですが、一つだけ。今読んでいる本なのですが、この子が可愛くてたまりません。いつものようにガンガン読めなくてゆっくり読んでいるのが良いのか、読めば読むほど、この子がいい子でますます可愛くなるのです。この気持ちを長く味わうためにもゆっくりゆっくり読もうと思います。あ、この子は警視庁に所属しているファシリティドッグのピーボです。警察犬ではなくて、病院で、ってうまく説明できないので、お知りになりたい方は「ファシリティドッグ」で検索してください。では、本当におやすみなさい。
2024.05.24
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歳には勝てないですね。2週間休みなしはやはり堪えたようで、今日は身体に力が入らず、最低限の仕事を片付けて早退。早めに家に帰ってきて1-2時間ゴロゴロしていたら少し元気が出たので、書きかけていた旅レポを仕上げてアップします。大洲に到着したところからですね。でも、この街に来るべき時は本当は今ではありません。それは、秋から冬にかけて。晴れた日の朝、上流の大洲盆地で生まれた冷気が霧を伴って一気に流れ出す珍しい現象「肱川あらし」を見ることができる(もちろん運がよければ、ですが)、それが10月から3月なのだそうです。川霧が町をのみ込み、うねりながら海へと扇状に広がる肱川あらしの様子は、幻想的で息をのむ美しさ。なあんて、講釈師よろしく見てきたような嘘をついてみました。もちろんこの季節に見られるはずはなく、わたしの妄想です。はあ、見たかった!ということでまずは大洲城。とても有名だけれど、実際に見ると端正な姿ながら小さな可愛いお城です。ではなぜ有名か、それをじっくりガイドしていただきました。ここは1994年(平成6年)から10年かけて復元された木造のお城で、四層の天守閣の高さ19.1mは木造のお城としては日本一だそうです。本来ならその規模の木造建築は建築基準法で認められないのですが、建築時の棟梁(江戸時代の人!)が命懸けで自宅の屋根裏に隠していた城の精密な模型や三方向からきっちり撮影された明治時代の白黒写真などの素晴らしい資料が存在し、築城当時の姿を構造まで正確に再現可能という文化的価値が認められて、例外的に建築が許可されたそうです。というのも、昔は築城後は模型はおろか図面を残すことも、内部について記録に残すどころか人に話すことさえ堅く禁じられており、秘密保持のため建設に携わった人たちが殺されることも珍しくなかったので、こうした資料が一切ないことの方が普通だったそうなのです。ですので、今後も、この大きさの城郭が完全な木造で再建される可能性は非常に低いということでした。こちらがその資料。左が明治時代に撮影された写真3枚のうちの1枚、右は発見された建築当時の模型です。復元に使用された木材は全て国産で、全ての木材の産地と提供者の名がパネルに明示されています。小さなお城とはいえ、立派な木組の内部です。再建には、総工費約13億円が見込まれたのだけれど、そのうち5億円が大洲市民の寄付で賄われたんですって。すごい!当時の市の広報紙。右側の中段を拡大すると見える振り込み依頼書、この用紙が各家庭に配布されたとガイドの方が言っていました。寄付すると市民は市民税の控除が受けられ、記念品ももらえたそうです。高額の寄付者は名前と金額を刻んだ額が掲げられていて、さらに驚いたことには、このミニチュア、築城当時の様子を描いたもので、お人形は当時の領民なのですが、近づいてみるとそれぞれに名札がつけられています。この名札に名前を入れてあげますよと別口で寄付を募ったところ、もちろんお人形の数が限られているので、名札の数も限られており、先着順の受け付けだったそうですが、秒で、はないにせよ、とにかくあっという間に定員になったとこれもガイドの方のお話でした。天守閣から出ると、正面に大洲市のシンボル冨士山(とみすやま)が見えました。まさに富士山のような綺麗な形をしているでしょ?でも、ごく低いお山なので、富士山を名乗るのは烏滸がましいと、富の上の点を取ったワかんむりにして、冨士山と書くことにしたそうですよ。お城に巡らされた石垣がとてもいい味出していましたので、思わずパチリ。大洲観光はまだまだこれから山場を迎えるのですが、わたしはここらで一休みさせていただきますね。続きはまた明日。
2024.05.22
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昨日、夫の姉妹が3人大阪からやってきました。昨年の暮れに鹿児島にあった夫の実家のお墓を墓仕舞いして家の近くに移したので、そのお墓参りに来てくれたのです。もちろんいきなり来たわけではなくて、前からの約束でした。夫はいいところを見せたいのか、お金のことも含めて何でもかんでも面倒を見たがります。でも、実際にいろんなことを手配するのはわたし。支払いも、「オレが払う!」と威勢が良いのは予約の時だけで、実際にはお金はわたしの(家計の、ですけど)お財布から出て行き、戻ってきたことはありません。当日のお世話も、計画を立てている時は自分がすると言うのですが、それは2ー3日前までのことで、いつの間にあれもこれもわたしがすることになっています。 今回も前日には担当がほとんど入れ替わっていました。でも、昨日の日曜日、朝10時に家を出て品川で出迎え自宅まで案内するのは、流石に急に言われても無理だとわたしは突っぱねました。仕事を持つ主婦が週末に朝から出かけるにはかなりの前準備が不可欠です。でないと、翌週の生活も体調もめちゃくちゃになります。それでもまだ何だかごねているので面倒になり、それならわたしが行くから、いない間にお花屋さんに行ってお墓のお花を2組4束買って、和菓子屋さんでお茶菓子を5人分買って、5人分のお茶の支度もしておいてねと言ったら、急に行く気になりました。というわけで出迎えは夫が行きましたが、夫がそれ以外にしたのは移動のための車の運転だけでした。それもあーでもないこーでもないのおまけ付き。今日も大阪に帰る3人に、東京駅まで同行して、はとバスに乗るまでアテンドするのは夫だったはずなのに、昨夜、翌朝の段取りを姉と確認するのを聞いていたら、わたしがすることになっていました。わたしは、今日中に仕上げなくてはならない作業が金曜日のうちに片付かなかったので、月曜日は休めないと金曜日から何度も言っておいたのに。姉妹を気遣う優しさはあっても、妻を労る気持ちは毛ほどもないのでしょう。究極の外面人間。東京駅ではとバスに乗るのを見送り、朝のうちにお別れして出社のはずが、お天気が悪かったのではとバスには乗らないことになり、結局お土産の買い物から丸ビル見物、新幹線の改札口までお付き合いしました。改札口に入る時には、良かった、ありがとうと何度もお礼を言ってもらいましたが、東京駅は行くたびに変わっていて案内するのも超緊張、正直疲れ果てました。会社に着いたら14時30分。そこから発送作業をし、残っていた仕事を片付けて、会社を出たのは20時前、さらに疲れて帰宅でした。 というわけで今日は皆様のところへはご訪問できないと思います。悪しからず、ごめんなさいです。
2024.05.20
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5月11日(土)、2日目の朝も快晴です。この日は大洲(おおず)へ移動、宿泊も大洲にホテルをとってあるので、1日たっぷり大洲の街を楽しむ予定です。9時に大洲城前でガイドの方と待ち合わせをしており、7時25分に道後温泉駅発を出て、JR特急に乗り継ぎ、伊予大洲8時45分着の予定なので、7時前にチェックアウトしました。翌々日12日の夜にここにもう一泊するので、キャリーバッグは預かってもらえることになり、とても助かりました。重い荷物がなくなり身軽になって駅まで歩いて行くと、なんと営業しているパン屋さんがありました。ユノマチベーカリーですって。そこでパンを買って特急の中でいただきました。パンのお値段は東京並みでしたよ。駅前では7時を過ぎたばかりなのに、もう足湯に浸かっておしゃべりしている方が。気持ちよさそうです。わたしはこの電車に乗って松山駅へ。松山からの特急はアンパンマン列車でした。車内までもアンパンマンです。もう直ぐ伊予大洲駅、車窓の景色が素敵です。大洲市は観光で町おこしをしようと本気で頑張っているみたいで、観光事業の企画、運営をするための組織も法人化(営利団体)しているらしく、だからお約束しているガイドさんも、街の住民の方ではあるのですけど、他の街と違ってボランティアではないようで、料金も観光タクシーの料金とかに近い感じだし、雰囲気も少し違う気がしました。この日は、大洲城で待ち合わせ、大洲城見学の後、明治時代に「木蝋」の貿易で財を成した方が建てた建築物を二棟見学する予定です。どれも本当に楽しみです。再建された大洲城です。この続きの、大洲での中身の濃〜〜い観光のオハナシはまた明日。ではでは。
2024.05.19
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さて、はらぺこさんは晩御飯です。備え付けの浴衣でのレストランへの出入りはご遠慮くださいとのことで、着替えもせずにレストランに向かいます。1人なのですみっこの小さなテーブルに案内されました。一人分のテーブルセットがされていて、ここで、あれ?フルコースなの?と気づいたわたし。度胸を決めてまずは道後温泉ビールをオーダー。黒ビールでした。ビールと一緒にこの日のお品書きを持ってきてくれました。かぼちゃのムース(なぜか単独)はなかなか濃厚でしっかりした硬さ、なめらかなクリームやバターの風味の中にかぼちゃの味もして、美味しくいただきました。野菜のテリーヌ(下)は、わたしはこの日のお料理の中で一、二を競う味と感じました。お野菜はどれもきちんとお料理されていて、でも濃い味付けはされていなくてお野菜それぞれの自然な味がしっかり残っています。お野菜自体の力強さもあるのだと思います。四国、お魚だと思ってたけど、四国の野菜、侮れないかも。色とりどりのソースもそれぞれ味が違って美味しかったです。冷製コンソメは、ジュレも穴子も美味しかったのだけれど、薬味のカイワレスプラウト?が辛くてわたしはちょっと苦手でした。上のソルベは、お魚とお肉の間に口直しとして出てきました。さっぱりしていて、確かにお口直しにぴったりでしたが、何味だかちょっとわからずでした。パンはまあ普通に美味しいパンでした。上はお魚料理。スズキのポワレでした。そして下はヒレステーキのマデラソース。お肉の味がとても濃くて、マデラソースも程よいコクと甘みで、絶品でした。そしてデザートです。飲み物はなんとなく勘が働いて、珍しく紅茶にしてみたらこれが大正解!とってもおいしくて、レモン入れなければよかったと思いました。デザートはシェフの特製とメニューにありますが、なんだったか忘れちゃいました。美味しかったですよ。そうそう、この日のツインルームは、予約ではセミダブルでした(シングルがないホテルなので)。理由は分かりませんが、グレードアップしてくれたみたいです。で、この日は晩御飯はつけてもらいましたが、翌日朝ごはんの時間より早く出かける予定だったので朝ごはんはないプラン。それで料金は、クーポンを使って税込15,000円弱でした。その料金であのお部屋、このご飯。びっくりですよね。ということで、お腹もいっぱいになったけれどまだ時間も早いので、夜のお散歩に出掛けてみました。ホテルのアプローチ、夜は感じが違いますね。そして駅前へ。駅舎と坊っちゃん列車のツーショット(上)、下の左は駅舎を正面から。下の右はライトアップされた坊ちゃんからくり時計。この後からくりが動き始めました。動画のアップの仕方がわかればお見せできるのですけどねえ、残念!からくりを見てから夜景を見に。神社はもうしまっていましたが、その先に足湯があり、上段右は、その足湯から見た夜の道後温泉です。そして道後温泉本館と三日月の共演です。お月様、実際には大きくて綺麗だったんですよ。頑張って見てあげてくださいね。道後温泉本館はまだ温泉にも入れる時間でしたが、あまり遅くなるのも怖いので、ここで切り上げてホテルに戻り、ホテルの温泉に入って寝ました。ホテルの大浴場入り口です。手前が男性用、奥が女性用のお風呂場です。赤ちゃん用のベッドの場所も配慮が行き届いているなと思いました。温泉は透明なつるっとしたお湯でした。
2024.05.18
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旅から帰って4日も経ってしまいましたので、記憶が少しでも確かなうちに旅日記を書き始めようと思います。何しろ歩いて歩いて歩いた旅でしたので、普段ほとんど歩かない暮らしをしているわたしには予想外に過酷な旅となってしまい、実はまだ膝には湿布を貼って暮らしていますが、それでも体調は少し落ち着きました。旅の初日は5月13日金曜日。まあ!13日の金曜日だったのですねえ!!(ごめんなさい、往きと帰りの日にちをごっちゃにしていました。往きは10日の金曜日でした。)連休明けで仕事がどうなっているか、旅の計画をした去年の秋頃には全然予想できませんでしたので、何かトラブルがあった時に備えて出発は14時55分の便を予約していました。松山空港は16時半頃の予定です。1日目はほとんど夜から始まるような感じになってしまい、多分何もできませんが、それはOKとしました。往きは元気なつもりでしたが、飛行機が動き出した途端にウトウトしてしまったらしく、そのあたりの記憶が全くありません。ふと目を開けたらもう南アルプスらしき山々が見えていました。とても良いお天気で眼下の山がとても綺麗でした。しばらくすると、海と海岸線が見えてきました。瀬戸内海です。まさに多島海です。傾きかけた陽の光を反射して海がとても美しいです。この後、海面がずいぶん近くなったと思ったら、いきなり草原が目に飛び込んできて、あっという間に松山空港に着陸でした。四国初上陸です。リムジンバスで道後温泉に向かいます。初上陸を迎えてくれた新緑です。道後温泉は日本最古の温泉の一つだそうです。道後温泉駅は伊予鉄道の路面電車の駅ですが、こんなレトロで素敵な外観です。駅前を見回すと坊っちゃん列車そして有名なからくり時計。これ、夜8時まで毎正時にからくりが動くのです。わたしも動画を撮ったのだけど、アップの仕方がわからん。残念。で、駅前から少し歩くと、道後温泉本館があります。重要文化財です。旅館みたいだけど宿泊はできなくて、いわゆる温泉銭湯なのです。ただいま修復工事中で、余計なものが写ってますけど、先月までは建物に覆いもかかっていたので、今はまだだいぶマシなのです。何枚写真を撮っても全貌を伝えられた気がしません。ここを通り抜けて、今日のホテルに向かいます。「道後温泉オールドイングランド 道後山の手ホテル」という、長すぎて、正確なフルネームがよくわからないホテルです。山手というだけあって結構な急坂を登っていきます。見えてきました。はい、着きました。中に入るとロビーです。ロビーにワインセラーがあって、見学もできるそうなのだけど、遠慮しときました。エレベーターが二基。ドアと、中のライト、床のモザイクです。宿泊階のエレベーターホール。そして、1泊目のお部屋です。ドアを開けて、あまりの素敵さにぼーぜんとしました。自分で選んでこの部屋を予約したのですけど、それがだいぶ前のことなので、なぜこの部屋だったのか、忘れてしまいました。この広さのツインをシングルユース!って、なかなかの贅沢ですよね。思わずいろんな角度から写真を撮ってしまいました。お部屋だけでなく洗面室やバスも素敵です。ホテルにチェックインしたのは17時半過ぎくらいだったのですが、なぜかお腹がぺこぺこで、すぐご飯にしていただきました。一階ロビー脇ののレストランに行くと、そこがまたとってもいい感じ。外のテラス席では大きなテディベアさんたちがくつろいでいるし、壁にはウィリアムモリスのパネル、別のテラスには可愛いバーカウンターが設えてありました。そして、夕飯はまさかのフレンチフルコースだったのです。なんだかわたし、ものすごいリッチなマダムになった気分でした。まだ1日目が終わっていませんが、長くなったのでここで一旦休憩させていただきますね。
2024.05.17
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旅行からは13日に無事帰宅しました。国内2度目の一人旅、1人の良さを満喫できた旅でした。というか、満喫しすぎて、今はちょっと変。お洗濯と荷物の片付けだけはようやく終わったものの、生活ペースはギクシャクだし、4日も休んだら、頭がなかなかお仕事モードに戻らないし、帰ってきて3日も経つのにまだ疲れてます。足指の押された痛みはほぼ消えましたが、膝はまだ少し痛むし、痛む膝と同じ左のくるぶしから先がなんとなく浮腫んでいるみたいな感じです。なにしろ四日間歩きすぎました。普段2-3000歩しか歩かないわたしの、旅行中の歩数は5月10日はお昼前に家を出たので、その日は半日分ですが、そこからの四日間の旅行中の歩数と、それ以降の歩数、違いすぎますよね。最初の日はまあ良かったのです。泊まったのが道後温泉でしたし、ホテルの温泉にしっかりつかって、翌朝は元気いっぱいでした。翌2日目は16,000歩以上もあるきましたので、流石に夕方にはヘロヘロでした。この日はビジホしか取れなくて、大浴場もなかったのですけど、そのビジホの狭いバスで、夕飯前と夕飯後の2回もお湯につかってしまいました。温泉でもないただのお湯でしたけれど、それなりに効果はあったみたいでした。翌朝、足が元気になっていたのは幸いでしたが、不幸だったのは、朝から雨だったことでした。天気予報では警報級の雨が降るっていうことでしたが、そこまでの雨ではなく、でも結構強く降る時間帯もありつつでしたので、靴もびしょびしょになってしまい、足のダメージはかなり大きかったのです。この日はもう一度道後温泉に戻ってきましたので、有名な道後温泉にはいって、ゆっくり丁寧に足をマッサージしました。けれど、普段の1週間分くらいの歩数を続けて2日も歩いたのですから、だいぶ堪えました。膝も少し痛みましたし、あしも浮腫んでいたらしく、4日目の最終日は靴がきつく感じるほどで、歩くのも痛くて、ちょっと辛かったです。脚は丈夫な方だったのですが、年齢と運動不足、本当に侮れませんね。時間がなく、ウォーキングをする時間がないので、その代わりにシックスパッドのフットフィットプラスで3日に2日ぐらいのペースで歩くトレーニングをしていたのですけど、全然足りてませんでしたね。もっと鍛えないとと、改めて反省しました。
2024.05.16
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去年の春の津和野と萩への一泊旅行を覚えていてくださるブロ友さんもおいでになるかもしれませんが、あの旅は、家を出てから戻ってくるまでずっとひとりという、初めての本当の一人旅でした。始まりは、息子から、消えてしまうマイルがあるんだけど、1人分の往復チケットなら買えるくらいでも良かったらあげるよと言われたことでした。一人旅にはさほどの抵抗はなかったのに、それまでしたことがなかったのは、1人だと夕食付きの宿の予約が取り難いからでした。素泊まりだと、知らない街で、夜、お店を探して、知らないお店でひとりで晩御飯。。。は無理!と思っていました。ビジホとかではなくて食事付きで1人客でも泊まれる宿は中々見付からないだろうし、あってもきっとすごく高いだろうしと想像するだけで終わりだったのです。でも、航空券が無料なら話は別。1人でも泊まれる宿が見付からないか、希望日に予約が取れないか、トライしてみる価値はありますよねえ。そこで、まず、都合の良い時期にチケットが取れる空港をピックアップ、その中から行きたい町を選んで、一泊二食おひとり様OKで、その時期に空いている宿があるか調べました。そうしたら萩が残ったのです。萩に行くなら津和野も行きたいと欲張って出かけた旅は最高に良い思い出になりました。なので、今年もマイル使って良いよと息子が言ってくれた時は、一も二もなく飛びつきました。今度は、結構大冒険です。行く先は四国、愛媛県。松山市と大洲市と、漠然とそんなふうに目的地は決めて、宿の予約だけはしましたが、忙しい忙しいばかりで下調べも何もしないでいるうちにあっという間に1ヶ月前になってしまい、計画は手付かず、旅の予定は何も決まっていませんでした。大まかには松山市は道後温泉と松山城、萬翠荘。大洲市は大洲城と古い街並み。ていうか、それがわたしの知っている全てでした。ゴールデンウィークにしっかり調べてきっちりスケジュールを決めるつもりが、あれよあれよという間に。。。でも少し調べたら、大洲市では地元の市民ガイドさんの案内で街歩きや施設見学ができるとわかったので申し込み、ちょっと遅かったのですが、親切にもOKしていただけました。それを調べている過程で、すぐ近くにある内子町にもガイドツアーがあるとわかり、これも申し込んでみたら大丈夫でした。松山は、申し込み期限が過ぎているとのことでガイドツアーはダメでしたので、着いてからホテルの方に相談して考えようと思います。出発は明後日です。なのに、自分の旅支度も、留守中の夫のあれこれもまだなにもしていないのです。今回は3泊4日なのですけど、明日1日で準備が間に合うでしょうか?不安ですが、まあ、なるようになるでしょう。
2024.05.08
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今日は連休最終日。思えば、前半3連休のあと1日出社し、後半は6連休で、なんと9日もお休みしてました。その間にできたことといえば、初日に整体に行き、後半は血液検査のために採血に行き。。。5連休くらいだったらそれで終わりだったでしょうが、今回は違いました。そのあと一旦ぐだぐだしたものの、四日には昭和記念公園に行き、五日はベッドを動かして模様替えをし、今日六日はずっと溜めていた大物の洗濯をしにコインランドリーに行き、来週旅行に行くのでその下調べを(今ごろ!💦)しました。なんて盛りだくさんなんでしょうと自画自賛。特に、模様替えついでに2階の部屋の床をかなり徹底的にお掃除が出来たことが素晴らしいと実に清々しい気分で自画自賛中です。今日、コインランドリーと自宅で並行して大量のお洗濯をやっつけながらスマホで色々情報集めをした旅行の行き先は愛媛県です。今年も息子がマイルをくれたのでセールの時にチケットを予約したのです。松山市と大洲市を訪ねる予定で、松山は道後温泉、萬翠荘、松山城。できたら坊っちゃん列車にも乗りたいというくらい。大洲は街並みと大洲城を訪ねてみようかという感じの実に大雑把なスケジュールしか出来ていないので、もし、ご存知の方がいらしたら、ぜひ良いコース、素敵なお店、一推しスポットなどご教示くださいませ。よろしくお願いいたします。
2024.05.06
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今の家に引っ越してきたのは2017年7月末のことでした。その時は1階と3階の半分を仕事で使い、2階と3階の半分が住まいということになっていました。でも住み始めて数ヶ月で3階を仕事に使う具合の悪さにわたしが耐えられなくなり、その仕事が本業とは違うものだったこともあってお断りすることにしてを、仕事場は1階だけで、2、3階を住まいとして使うようになりました。60代半ば、まだまだ体力もしっかりあって、2階と3階を行ったり来たりするのもさほど苦になりませんでした。けれど、年を追うごとに3階に行くのが億劫になってきて、ここ2年ほどは3階はすっかり物置です。息子も結婚以来わたしたちの家に来ることはほとんどなくなり、家族で会う時は息子の家かお店に行くようになりましたので、近頃は部屋の用途も、引っ越し当初に考えていたのとはすっかり違ってしまいました。それに、ここ何年かは夫のアレルギーが酷くなってかぶれた皮膚が剥がれるので掃除もすごく大変で、というより家具が壁に押し付けてあったり、隙間なくあった置いてあったりすると掃除がしづらくて、時間がかかるばかりできれいにならず、困っていました。そんなこんなで、このゴールデンウィーク中に模様替えをしたいと思っていて、少なくともベッドの移動だけでもしたいと思っていました。でも、洗濯機の廃棄の時にも階段の造りが悪くて人力で下ろすことができないと書きましたが、実は造りが悪いのは階段だけではなく、この家全体がそうなのです。寝室として使っている部屋は安いビジネスホテル並みの広さで開口部の幅も狭く、家全体が柱ではなく壁で強度を保持する構造だということで、リビングの変なところに壁があったりして、家具の移動も簡単ではありません。夫にも声をかけて頼んであったのですが、ゴールデンウィーク中も仕事があるとかで待っていてもどうやら当てにはならないことがわかったので、最終日目前の今日、1人でできるところまでやってみようと、取り掛かりました。まずはビジネスホテルの部屋より狭い寝室に、ぎゅうぎゅうに2台並べてあったベッドを1台ずつ別の部屋に置くというミッションです。1台は置き場所はそのままで方向を変えます。2台目はリビングに移動、それに伴って他の家具も多少移動しないとなりません。動かすのは、引っ越しの時大工さんに頼んで狭い寝室に合わせて作ってもらった特製の狭小ベッドですが、木製のため重いし、間取りのおかしい家なので、動かしたいものを動かしたい場所に動かすためには、パズルみたいにいろんなものを少しずつずらして、動かしていかなくてはならず、ぎゅう詰めになっていたためきちんと掃除ができていなかった場所が姿を現したら掃除機をかけて水拭きして綺麗にしてから次を動かすなんていうのを繰り返しながらジリジリと家具の場所を変えていくのですから、まさに持久戦です。細々した家具を動かしては、掃除機やら雑巾掛けやらをし、綺麗になったらベッドをずらし、また小さい家具を動かしてスペースを作りを繰り返してベッド2台を移動するのはI日がかりで、終わった時はもうクタクタでした。実は昨日、流石に歩き疲れたようで、今日は膝に湿布を貼っていたのですが、うんとこどっこいしょと重いものを押したり引いたりしていた時には感じなかった痛みが、あー、疲れた!と座った途端に襲ってきました。でも、模様替完了後のお部屋は。。。ビジネスホテルより狭い寝室も、ベッド一台だけなら余裕です。もう一台はリビングに。リビングが無くなっってしまったけど、どうせほとんど使ったことがなくてほぼ通路になってたから、なくても大丈夫じゃないかと思います。使い勝手がどうかは、この状態でしばらく過ごして様子を見ないとわからないけど、少なくともベッド周りが広々しましたので、気持ちはいいです。今夜から気持ちよく寝られるでしょうか?気分よく休めば膝の痛みもどこかへ飛んでいっちゃうかなと思っています。
2024.05.05
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ずいぶん前から行きたいと思ってなかなか行けなかった東京立川市の昭和記念公園にネモフィラを見に行ってきました。ブロ友のnaominさんにお願いして付き合っていただいて、2人で。JR中央線の立川駅の改札口で待ち合わせ、お弁当を買ってから入園。それはそれは広い公園なのですけれど、さすが国営、入園料はわたしたちはシニア割引でなんと210円(一般の大人は450円)でした。安近短のゴールデンウィークを楽しもうという人たちで早くもごった返していました。無事ゲートを潜り、真夏のような日差しと気温の中、てくてくとそれはそれはよく歩きました。よく歩いた証拠写真、今日の歩数は14,898歩、普段の3日分くらいですね。お目当てのネモフィラは本当はもっと人がいっぱいでしたが、なかなかいい感じに撮れました。本当はこんな、いいえ、もっと人がいっぱいでした。ベストショットはこのアップの写真かな。ネモフィラを堪能したあとはお昼です。こちらはnaominさんの釜揚げしらす弁当。こちらはmamatamの牛しぐれ飯弁当。そしてお弁当のお供はもちろんこれ!さらにデザートの抹茶かき氷。のんびりご飯もおしゃべりも満喫して、帰りは疲れたので(ホームページより)名乗ってあんなか。半周しながら帰ってきました。最後に、おまけの画像立川市のマンホール蓋です。辛夷の花でしょうか?
2024.05.04
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昨日アップしたスマホで楽天ブログのアップがしづらい問題、コメントでいただいたアドバイスを見て、早速パソコン版を確認してみました。残念ながら、パソコン版に表示を変えても起きることは同じでした。昨日の追記にも書きましたが、結局同じアプリなので、変わるのは表示形式だけということかなと思います。しかも、パソコン版だと文字がやたらに小さくて、とてもじゃないけれど老眼で読めるサイズではありませんでした。わたしの老眼、急速に進んでいるのかしら?読み易い大きさまで文字を拡大したら、今度は1行の文字数が少なくて書いている文章の全体が読めず、使い勝手最悪でした。それならと横向き表示にすると、文字は大きくなるものの、1行の文字数が多すぎていくら横スクロールしても終わらず、表示される行数は少なすぎて、こちらも使いづらいことこの上なし。結論→スマホ版の方がまだマシ、なのでした。で、今朝、落ち着いて、スマホ版で入力の時に起きることを確かめてみました。『文字を入力していて、前の方に入力ミスを見つけた時、以前は変換前でも打ち直したい文字をタップするとカーソル?がそこに動いて打ち込んだ文字の訂正ができたのですが、今は変換し終わっていない文字列でそれをすると入力した未変換の文字列全部がひらがなのまま固まってしまいます。ひらがなに未変換を表すブルーの下線が付いてカーソルも末尾で点滅する「入力未完了」状態のまま固まって、カーソルの移動もできなくなります。できるのは入力中の文字列を✖️で末尾から削除していくことだけです。それなら、一旦全部ひらがなのまま確定させ、その後で訂正する方が早いかと「完了」をタップしたら、あらら、ひらがなで表示されていた文字列が全て消えてしまいました。』おそらくこれが事件の全貌です。対策は、細切れに一言ずつ入力して変換していくことでしょうか。こうすればほぼ問題はなさそうですが、うっかりして長文を一気に入力したりしてしまうと、もう最悪です。しかもこのうっかりがとても多くて、常に意識してこまめに変換してないと、あらら!の直後にまたアララ!、その連続になります。一番困るのは、以前は長い文章を一気に打ち込んでから一区切りずつ変換できたのに、それができなくなったことですかね。すごく面倒です。LINEとかメールとか、他のアプリではこういうことないと思うのですけど。。。これは、「ブログは短く簡潔に。ダラダラ長く書かないでください。」という、楽天ブログからのメッセージなのでしょうか?ちなみに、コメントをスマホで書くときは、↑とは違っていました。本文と同様、入力途中の文字列をバックスペースの要領で修正することはできませんし、打ち込んだ文字列を細かく一区切りずつ変換することもできなくなってしまいましたが、前の方の文字をタップしても固まったり消えたりはしませんでした。同じアプリなのに、本文とコメント欄では挙動が少し違っているようです。
2024.05.03
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ブロ友さんはご存知のことですが、わたしはスマホでブログを更新しています。楽天ブログアプリを使って日記を書くのですが、ここ1ヶ月くらいかな?文字変換がうまく行きません。それだけならいいのですが、うまく変換できなかった文字列が消えてしまうという事件が頻発しています。それ以前と入力の仕方を変えた記憶はないし、変わってはいないはずです。でも、事件が現場で起きています。困ったことに、何をしたからそうなるのかという法則?規則性?が全然わからないのです。もう、ほんとにストレスです。わたし以外にスマホで更新をするという方は、わたしのブログ界隈にはほとんどいらっしゃらないようなので、ここにこんなことを書いてアップしてもただの愚痴にになってしまって、あまり意味はないかもしれませんが、もし何か思い当たることがあったら教えていただけると、大変嬉しいです。お心当たりのある方、どうぞよろしくお願いいたします。追記パソコン版でもやってみましたが、同じ症状でした。パソコンタイプなのは見え方だけで、動かしているのはアプリだから、そうなるってことでしょうか?このままスマホ仕様で、慣れるまで使って行くのがいいのかしら?
2024.05.02
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mamatam社は町工場だと思ってたとコメントをいただきましたが、そういえば最近の日記では、仕事の内容に触れることが少なくなっていましたね。 東京の下町の製造業で零細な会社といえば、京葉工業地帯のど真ん中ですから、下請け?孫請け?孫孫請け?の金属加工の町工場が思い浮かびますよね。とはいえ、ウチも金属関係(鉄工所)ではないというだけで、町工場であることに変わりはありません。町工場の中でも狭い部類に入る2箇所の小さな工場でささやかにサプリメントの製造をしています。 起業して今年18年目になりましたが、その間には何度か、大小さまざまの危機に見舞われたともありました。 リーマンショックとか、東日本大震災とか、コロナ禍のような誰もが影響を受けたものはもちろん漏れなくひどい目に遭いましたし、それ以外にも、コップの中の大嵐よろしく業界関係者しか知らない危機もありましたし、取り込み詐欺の被害者になりかけたことも、払い渋りで経営が危うくなりかけたこともありました。 そんな中でも、今回の紅麹騒動はちょっと特殊と感じます。 実際にはこの製品のために健康被害を受けた当事者と、被害には至らなくても摂取したことのある人達の問題で、その全責任はこの製品を製造販売した特定の企業が負うべきことなのに、国民のほとんどが我が事のように関心を寄せ、心を痛め、そのためにほんの少し関わりがあるどころか、近隣の業界に属しているというだけで実際には何の関わりもない企業までが影響を受けています。 そうなってしまった理由の一つは小林製薬の対応だったと思います。 もっと早く被害を公表して被害の拡大を防ぐ対策を取るべきだったと思うし、事態の解明と原因の究明に向けて、もっと早くに行政や研究機関などあらゆる方向に協力を求めるべきだったと思うのです。 問題が公表され、原料を分析した結果、製品の一部ロットに、有毒のプベルル酸を生成する青黴か発生したことが原因だったとわかりました。そのロットにそのカビがなぜ発生したのかはまだ発表されていないみたいですが、原因がわかったことで、紅麹自体に問題があるわけではないということもわかり、他社の製造した紅麹はもちろん、小林製薬の紅麹でもロットの違うものは大丈夫ともいわれています。 それがもっと早くわかっていれば、多くの企業はとばっちりの被害を受けないで済んだのじゃないかと思うからです。けれども、小林製薬の紅麹は自社で販売しているサプリメントに含まれているだけでなく、他社製品の原料としても使われています。他社製品というのは、サプリメントだけでなく、パン、味噌、酒、漬物等多種類にわたっていて、その製品名、製造会社名はすでに公表されているようです。 健康に害があるのなら回収は当然だし売上減も仕方ないですが、損害額もその責任もはっきりしているのですから賠償請求もできるのじゃないでしょうか。でも、紅麹のベの字にかすりもしてないのに、買い控えとか風評とかの「巻き込まれ」でがっくり注文が減った会社(mamatam社もです)とか、有害どころか有益な紅麹を作ったり販売したりしていたのにぱったり注文が止まってしまった会社などは、どこにもなんの苦情も持って行きようがなく、もちろん賠償請求だってする相手がなく、いわば泣き寝入りするしかありません。災難だったとぼやきながら、嵐が最小で収まり、最速で過ぎ去ってくれることを祈るしかないのです。それってやはり小林製薬のしたことが原因だし、問題がわかった時の対応を間違えたことが原因なのです。 小林製薬って、もし自社の製品で健康被害が起きたらどうするかとか、そういうの決まってなかったのじゃないかなあって思うのです。だから一大事が起きてから右往左往して、こんなことになってしまったのかなあって。初めの頃の記者会見など見ていても、一生懸命だし、真剣に謝ってるのだけど、心の中はどうしたらいいのかわからなくて、もう泣きそうって感じしませんでした?やはり、万が一のことって、手始めに考えてみるだけでもしてみた方がいいんだなと思います。製造した製品に何かのトラブルがあった場合、どこにどんな影響が現れる可能性があるか、どんな事態だったらどこに連絡や届出をするべきか、一度考える機会を持つだけでも、実際に何か起きた時に違うのじゃないかなと思います。社員7人の零細企業と大企業を同列にいうのはおかしいですが、こんな時代ですから、何が起きるかわからないし、その波紋がどこまでどう広がるかもわからないのですから、わたしたちも、小規模なりに危機管理マニュアルみたいなものを、まあ、そんなご大層なものでなくて良いので、作った方がいいなあって、そんな気持ちになりました。
2024.04.30
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いつもだと、4月半ばくらいの時点で連休前後の予定が穴だらけ、今年は大型連休かも?なんて言っていても、連休直前になるとお馴染みの駆け込み注文がバタバタと入って、結局お休みはカレンダー通り、連休前後の仕事もギュウギュウの大忙しということになるのが、ゴールデンウィークあるあるでした。あまつさえ、今年はコロナが明けたせいか注文が混み合って、2月3月と取引先にご迷惑をかけるほどの忙しさだったので、ゴールデンウィークはどうなることかと心配する程でした。ところが4月に入る頃から目に見えて受注に勢いがなくなってきて、あの超多忙な日々が嘘みたいに、この1ヶ月はとてもゆったりと仕事をすることができました。ゴールデンウィーク前後もそのペースは変わらず、予定表もスカスカなまま連休前夜を迎えました。前半の三連休明けの今日4月30日は仕事がありましたが、明日、明後日の予定表は真っ白でしたので、5月1日から7日までmamatam社をお休みにすることにしました。いきなりそんな話になったので社員さんたちはびっくり、そして大喜びでした。こういうことになったのは、おそらく、3月22日のアレが原因だろうと思います。3月22日のアレとは、そう、小林製薬のあれのことです。サプリ業界の極ごく隅っこに居所を構えさせてもらっているmamatam社、どうなることやらと様子を窺っていましたが、その原料を扱ったこともないのに、思いの外早く風評被害の列に連なることになったわけです。こんなにのんびりな日々もたまにはいいですが、こんな状態が続いてもらっては困ります。コロナの日々の悪夢が蘇りそうです。でも、本当にちょっと先が見えないんですよね。ウチみたいなところにも先日保健所が立ち入りにやってきました。おそらく上(上級省庁)が何か言い出しそう or しそうという雰囲気が漂っているのでしょうね。それが、消費者保護や安心安全のためにほんとに有益な、必要なことだったらもちろん協力は惜しみませんけれど、点数稼ぎや、カッコつけのためのカッコつけなのだったら、迷惑以外の何者でもありません。mamatam社の先行きも、業界の雲行きも、そしてお役所の動向も、色々と気がもめることです。
2024.04.30
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いきなりですが、ただ今ここ↑で洗濯しながら、久しぶりの日記を書いております。またまたすっかりご無沙汰してしまいましたが、実は2週間ほど前に、洗濯機が壊れてしまったのがこのご無沙汰の原因でした。壊れたのは洗濯機のドアで、洗濯が終わって洗濯物を取り出そうとしたら、ドアが開かなくなったのです。 夫がなんとかロックを外してその日の洗濯物は取り出してくれたのですが、それ以来このコインランドリーで週に3-4回お世話になっています。普通なら洗濯機を買い換えればいいという、割に簡単なハナシのはずなのですが、現実はハナシの通りには行きません。壊れた洗濯機は、我が家の二階においてあります。通常は2階くらいなら階段での搬入搬出は特に問題ないのですけど、今の我が家は階段の造りがおかしくて、引っ越しの時、家電の中でも重くて分解できない冷蔵庫と洗濯機はクレーン付きのトラック(ユニック車)を頼んで窓から搬入しなくてはならなかったのです。その時は洗濯機も冷蔵庫も買ってまだ3-4年しか経っていなかったし、廃棄する時にまた運び出すのだということには全く思い至りませんでした。でも、買い換え?と思ったとき、すぐに頭に浮かんだのは、それにはまたユニック車が必要ということでした。引っ越しの総額に紛れていた時にはそこまでの金額と感じなかったその費用ですが、洗濯機の価格に上載せされると思うと、ちょっと待って!で、そうそう簡単に買い替えには踏み切れません。というわけで、結論を先延ばしにしつつ、コインランドリー通いをしている今日この頃なのです。一度に十数キロ分纏めて洗うと、1時間とちょっとかかります。洗濯機が動いている間じっと待っているわけではありませんが、大量の洗濯物を畳んでこんな、自転車のカゴに載せやすいバッグに詰めてコインランドリーまで運び(って、自転車で2-3分なのですけど)洗濯機に入れて家に帰り、1時間して乾燥が終わった頃に戻ってまた畳んで詰めて帰ります。帰ったら、シワだらけにならないように袋から出しておかないとなりません。24時間を一杯いっぱいに使って日々をやり過ごしているわたしには、なかなかにヘビーな作業です。おかげで、すっかり心身のペースが崩れてしまい、食事も手抜きなら家の中もグチャグチャだし、仕事でまで変なミスが出て、正直なハナシ、ブログどころではありませんでした。あ、乾燥まで終わったようです。中途半端ですが、続きはまた後で。続きです。と言っても、もう付け足すこともあまりありません。故障箇所ですが、ドアのロック機構の部品が経年劣化したらしく、市販の部品を買ってきて付け替えることもできないそうで、あれから夜や休日に夫が根気良く工作してくれて、先ほど、とりあえずドアの開け閉めは出来るようになりました。我が家の洗濯機、写真と同じドラム型なので、ドアが閉まらないと水が漏れて、というかそもそもドアロックができないとスイッチが入りません。夫がドアを直してくれたので2週間ぶりに洗濯ができるようになりましたが、大物が残っていることもあり、コインランドリー通いはまだしばらく続きそうです。ドアのロックの噛み合いの部分も純正の部品で取り替えが出来たわけではなか、夫の自作なので、早晩また壊れるでしょうし、洗濯機自体もだいぶ老化が進んでいるので、ドアより前に本体が壊れる可能性も低くはありません。猶予期間がどれくらいあるか分かりませんが、次に壊れたときにはどうするか考えて、対応を決めておかないといけないと思っています。
2024.04.28
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お昼休みにお茶休憩のお供のお菓子を買いに、近くない最寄り近くのスーパーに行きました。その往き帰りの道で、とってもきれいに咲いているたくさんの春のお花たちから次々と声をかけられました。みんな、今が一番綺麗な時よ〜〜って、声高々に誘ってくるみたいでした。春たけなわとか、春爛漫とか、いろんな言い方がありますが、まさに春が来たんだなあと感じました。桜並木も2-3日前と比べると、まさに爛漫と咲き誇っていて、風に舞う花弁がカーテンみたいでした。右の方にも左の方にも桜です。こちらの畑には赤い木蓮、こちらのお庭の中には源平咲の枝垂れ梅。幼稚園の塀際には赤いトキワマンサクと海棠が交互に植わっていました。親水緑道では満開の桜とハナモモの競演。そして気の早い子もいましたよ。白いハナミズキです。まだこんなに遠慮がちですが、やる気は満々のようでした。忙しくて、なかなかゆっくり見て歩く時間は取れませんが、本当はこの季節、数日と言えども見逃したらもったいない、美しさと輝きに溢れていますよね。なるべくサボってパトロールの時間を作りたいです。追記です。いわどんさんへお神酒徳利っていつも決まったペアでいる人たちのことそういいませんか?1人でいると、「あれ?今日は○○ちゃんは?」とか言われちゃうみたいな。古い言い回しなのでしょうね。さっき調べてみたら、お神酒を入れる徳利は2本一組なので、そういう言い方が生まれたそうです。わたしには、桜にはユキヤナギがつきものみたいな気がするので、そんな風に書いてしまいました。
2024.04.11
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我が家の、道路を隔てた向かい側に小さな公園があります。実はこの公園、隠れた桜の名所です(って言ってるのはわたしだけですが)。本当に小さい公園なので桜はまだ若いし、本数もそれ程なく、種類もソメイヨシノだけです。でも、日当たりが良くて一斉に咲くので、満開になるととても綺麗です。なので桜の時期に思い出すと1人でサクッとお花見をしに行くのですけれど、うっかりしていたり忙しかったりして思い出すことを忘れてしまうこともあり、引っ越して来てから8回あった春のうち、お花見ができたのは半分程かもしれません。今年は桜が長く咲いてくれたので思い出すのが間に合って、今日「ちょこっと花見」をして来ました。ちょっと気取って撮ってみた一枚です。枝の輪っかから、お花たちがこちらを覗いている見たいじゃないですか?少し風の吹いていた今日は、桜吹雪というほどではなくひらひらと花弁が舞っていました。絨毯を敷き詰める前の地面です。 枝の影絵が、素敵な柄の敷物を敷いたみたいですね。青空をバックに満開の小枝をアップにしてみました。こちらはまだ若いひこばえの枝の咲いたばかりの若いお花たち。お花の中心、蕊の周りがまだあかくなっていません。こちらは赤くなってもう満開。葉桜になりかけています。葉っぱは出ていても、蕾もまだ多いです。桜の下のユキヤナギ。御神酒徳利ともいうべき組み合わせ。また、来年、会えますようにと、手を振ってお別れして来ました。
2024.04.10
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昨日は入学式日和の良いお天気だったのに、今日は一転凄い雨です。自転車で出社したら合羽を着ていたのに10分足らずの間に髪なんかびしょびしょでした。一日降り続くみたいですけど、退社の頃には小降りになっていて欲しいです。長々書き綴ってきたベトナム旅日記もようやく最終回、とうとう日本へ帰る日になりました。前夜、豪華ディナー(笑)から戻ってホテルのお部屋で荷物を片付け、準備万端整えて寝ました。お土産が壊れたり失くされたりするとイヤなので機内に持ち込むことにして、来る時は機内持ち込みにしたキャリーバッグを預けることにしました。虫除けスプレーは開封してあるけどガスは入っていないので預け用なキャリーバッグに入れて大丈夫。未開封のペットボトルやビールはホテルに残して行っちゃう。気圧で溢れてしまいそうな生ローヤルゼリーも手荷物に。などなど、一生懸命考えて荷造りをして、午前3時には起きないとならないので、頑張って早寝しました。翌日はアラームと共にしっかり起き出し、着替えもそこそこにロビーへ。みんなしゃっきりした顔で集まり、送迎バスで空港へ。ここでもEちゃんはバスには乗れず別行動。この度は来る時とは違ってWKくんがボディガードです。ホテルで手配してもらったタクシーで空港を目指します。数十分後には無事空港で全員勢揃い、そこからだいぶ待たされましたが揃って滞りなくチェックインも完了し、出入国管理(イミグレーション)です。手荷物検査を受け、パスポート検査へ。そこも何の問題もなく通過、のはずでしたが、わたしだけが列を離れて別のところで待つようにと指示されたのです。え、何??ちゃんと日本は出国できたし、ベトナムにも入国できたし、みんなと違うものを買ってもいないのだから、特におかしなものは持っていないはず。そんなところで止められるような心当たりはひとつもありません。なので、最初はさほど心配もせずボーっと立っていましたが、見張りみたいな人はいないものの何の説明もなく、だだっ広いイミグレーションの隅に立って待たされること10分。。。15分?だんだん不安になり、大丈夫かしら、飛行機に間に合うのかしらとそれも心配になり始めた頃、ようやく男性職員がやって来て、自分の後についてくるようにと言いました。これから検査を受ける人たちの長い長い列の脇を延々と歩いて反対側の隅の小さな部屋に連れて行かれ、わたしのキャリーバッグが目の前のカウンターに置かれたのです。一瞬パニックになりかけ、えー、何?何かあった?そんなはずないんだけど!!!と、心の中で叫ぶも、それが大間違い。そんなはずがあったのです。ぱっくり開かれたバッグの隅っこ、女性職員が指差す先にあったのは・・・モバイルバッテリーでした。あっちゃー!迂闊!旅先でスマホが電池切れにならないように大容量のバッテリーを持って来たのは良いけれど、大容量だけにかなりの重さだったので、荷造りした時に「これは重いから。。。」とわざわざ機内預けのキャリーバッグに入れたのです。モバイルバッテリーは預ける荷物には入れられないことなど百も承知、だから機内持ち込み(carry on)にしないといけないことは分かっていたのに、わたしったら、まあ、本当にバカ!ニコリともせずにCarry on!と言われて、もうグーの音も出ず、ごめんなさい!と最敬礼で謝って、返してもらったバッテリーをリュックに押し込み、また男性職員の後について手荷物検査場へ、そこはもうすんなり通れて、そのあとすぐ無事に仲間の元に戻ることが出来たのでした。みんな、「こう見えて、ベトナムは社会主義の国だしなあ。」と、心配してくれていたそうで、わたしの顔を見るや、どうしたの?なんだった?何やらかしたんだよ!もう大丈夫?と口々に聞いてくれたのですが、わたしが訳を説明すると、手のひらを返したように、ばーか!何やってんの!!でした。でも、おかげさまで乗り遅れることもなく、無事搭乗完了、日本に帰ってくることができたのでしたとさ。めでたし、めでたし?ベトナム旅日記はこれで完了です。長いことお付き合いいただき、ありがとうございました。
2024.04.09
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昨日は毎月恒例の友のお墓参り兼会食でした。石川県在住の部活仲間も参加してくれることになったので、東京の桜が見頃ということで、早めに集まってお墓参りを先に済ませてから、深川 大横川の桜見物をしました。この友人はわたしにとっては小学校、中学校、高校を通しての友達で、高校では部活も一緒でした。高校には同じ中学校から男子1人女子2人の3人しか入学せず、それぞれ別のクラスになったのに、オリエンテーションの後希望の部活室に行ってみたら3人ともそこにいたという、なんともおかしな成り行きでした。1人は男子で、彼とは卒業後音信不通ですが、昨日会った彼女とはずっと付き合いが続いています。彼女は、結婚後、夫君が出身地の石川県庁に就職されていたのでそちらに移り、会うことも少なくなっていますが、60年以上もの間、途切れることなく繋がれているのは、高校で偶然同じ部活を選んだから。本当に不思議なご縁です。さて昨日のお出かけですが、肌寒かった一昨日よりかなり暖かいと言う気象予報は知っていましたが、さほど薄着にはしないで出かけたの出すが、家を出た途端に暑っとなって、羽織っていた単のコートを脱ぎました。門前仲町に着き、まずお墓参りをしてから、大横川を跨ぐ黒船橋へ。西の、隅田川の方へ向かって桜のアーチの下を歩きます。川の両岸が遊歩道になっています。満開まであと一歩という感じ。空は真っ青だし、お花見には最高のタイミングになったねと言いながらみんなでブラブラ。水門の向こうが隅田川になるのかしら?大横川は江戸の町を縦横に走って江戸の物流を支えていた運河の一つです。他の運河沿いには、今も東京港から船で原料を運び入れるため、荷揚げ場のある工場などもあるのですよ。この川を今も走るのは、観光船や屋形船だけですが。江戸情緒を誇った深川の町も、今や川縁はビルだらけ。でも、足元にはたくさんのナズナたち。もう少し早く来ていたらきっといっぱいのつくしんぼうに出会えたのだろうと思いました。スマホの万歩計を見たら歩数は6000歩を超えていました。普段たくさん歩いておいでの方には別に驚くこともない数字でしょうが、わたしにとってはよく歩きましたと、花丸な歩数です。この辺りでそろそろ予約の時間になりました。良いお天気というか汗ばむほどの気温で喉も乾いたので、らUターンして、ビールビールと連呼しながいつものしか野さんに向かいました。
2024.04.08
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