古代のロマンをたずねてpart.2

古代のロマンをたずねてpart.2

熊野6 徐福公園・阿須賀神社



公園の中には「徐福の墓」もありました。

徐福は、紀元前3世紀の中国・秦(しん)の始皇帝に仕えた方士(神仙思想の行者)です。


いまから2200年くらい前(日本でいえば弥生時代初期)の人物です。
始皇帝の命により、東方海上に不老不死の仙薬を求めて三千人の少年年少女とさまざまな分野の技術者を引き連れて船出し、この熊野に上陸したと伝えられています。


徐福一行は新宮の地に上陸すると、熊野川河口付近にある孤丘・蓬莱山(ほうらいさん)の麓に住み着き、里人に農耕や漁法、捕鯨、造船、紙すきなどの技術を伝えたのだといわれています。




徐福公園



公園の中に徐福の像もありました。



徐福




蓬莱山の麓に鎮座する阿須賀神社の境内からは、戦後の発掘調査により、徐福が暮らした跡かどうかはもちろんわかりませんが、弥生時代の竪穴式住居趾や土器類などが出土しています。


また、現在でも阿須賀神社には「徐福の宮」が祭られていて、徐福伝説に多少の信憑性を与えています。



阿須賀神社・鳥居





徐福公園で案内をしてくださった地元の方のお話ですと、速玉神、夫須美神、家津御子神の三神は天から神倉神社に降臨し、その後この阿須賀神社まで来て、ここで熊野速玉大社、熊野那智大社、熊野本宮大社へと別れて行ったのだそうです。




新宮(熊野速玉大社)というのは本宮に対しての新宮ではなくて、神倉神社に対しての新しい宮、つまり新宮だということなのだそうです。






阿須賀神社・拝殿






この阿須賀神社で、速玉神、夫須美神、家津御子神の三神は何をお話しされたのでしょうね。






ここには、竪穴式住居もあります。
旧石器時代の住居跡や、弥生時代の住居跡も残されています。
本当に古い時代にここで人々は住み、神様にお祈りしていたのでしょうね。





竪穴式住居




さて、新宮はここまでです。
新宮ではおいしい鈴焼を買って、それを食べながら熊野市の方へ車を走らせたのでした。








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