趣味の漢詩と日本文学

趣味の漢詩と日本文学

February 16, 2011
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カテゴリ: 国漢文
【本文】中興の近江の介がむすめ、物のけにわづらひて、上ざうだいとくを験者にしけるほどに、人とかくいひけり。
【注】
・中興の近江の介=右大弁平季長の子、平中興。平安中期の人。近江の国の国府の次官を務めた。(生年不祥……930年没)。
・上ざうだいとく=浄蔵大徳。諌議太夫殿中監、三善清行(きよつら)の子。比叡山で密教を学び、不動明王の眷族である護法童子を自在にあやつったり、死の直後の父を祈祷で蘇生させたり、平将門の乱を調伏したりして、霊験あらたかだったという伝説が残っている。
・験者=祈祷師。
【訳】近江の介、中興の娘が、モノノケに苦しんで、浄蔵大徳を験者にしとところ、人々があれこれとうわさしたとさ。

【本文】猶しもはたあらざりけり。しのびてあり経て、人の物いひなどもうたてあり、なほ世に経じとおもひ言ひて失せにけり。鞍馬といふところにこもりていみじう行ひをり。
【注】
・鞍馬=京都市左京区。毘沙門天を本尊として祭る天台宗の鞍馬寺があり、修験道の霊地としても知られる。


【本文】さすがにいとこひしうおぼえけり。京を思ひやりつつ、よろづのこといとあはれにおぼえて行ひけり。なくなくうちふして、かたはらをみければ文なむみえける。なぞの文ぞとおもひてとりてみれば、このわが思ふ人の文なり。書けることは、

すみぞめのくらまのやまにいる人はたどるたどるもかへり来(き)ななむ

と書けり。
【訳】それでもやはり、中興の娘のことが恋しく思われたとさ。京にいる娘のことを想像しながら、さまざまなことを非常にしみじみと感じながら修行していたとさ。泣く泣く臥して、わきを見ると、手紙が目にはいった。なんの手紙だろうと思って、手にとって見てみたところ、この、いつも自分が思っている娘の手紙であった。その手紙に書いてあったことは、

墨染めのように暗い鞍馬の山に入っていった人は、足元も暗くてよく見えないでしょうが、それでも入っていった道をたどって引き返しながら京の私の所へやって来てほしい。

と書いてあったとさ。

【本文】いとあやしく誰してをこせつらんとおもひをり。もて来(く)べきたよりもおぼえず、いとあやしかりければ、またひとりまどひ来にけり。かくて又山にいりにけり。さてをこせたりける。

からくして おもひわするる 恋しさを うたてなきつる 鴬の声
【訳】非常に不思議で、中興の娘は誰を使いにして手紙をよこしたのだろうか、と浄蔵は考えていた。こんな山奥に持ってくることができる手段も考えつかず、非常に不思議だったので、再び独りで心を乱して京に来てしまったとさ。こうして、また山に入ってしまったとさ。そうして、中興の娘の所に手紙をよこしたとさ。

やっとのことで、忘れた恋しい思いを、いやなことに、また鳴いて恋しさを思い出させるウグイスの声だよ。

【本文】かへし、



となむいへりける。
【訳】それに対する娘の返歌、
それにしてもあなたは、忘れてしまっていたのですねえ、ウグイスが鳴く時にだけ、思い出すものでしょうか。

【本文】又、上ざうだいとく、

わがために つらき人をば おきながら 何の罪なき 世をやうらみむ


【注】
・「おき」(沖)に対して「うら」(浦)は縁語。
【訳】再び浄蔵大徳が、
わたくしにとって、冷たい人を、海の沖のように遠くはなれた京に置きながら、沖から浦を見るように、どうして罪のない世間を恨んだりできましょうか。
とも作って贈ったとさ。この女は、親がこのうえなく大事に養育して、皇子や上達部たちが求婚なさったが、天皇に妃として差し上げようと親が考えて、結婚させなかったけれども、この浄蔵大徳との一件が起きてから、親も面倒を見なくなってしまったとさ。





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Last updated  February 16, 2011 02:12:25 PM
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