趣味の漢詩と日本文学

趣味の漢詩と日本文学

September 4, 2016
XML
カテゴリ: 学習・教育
【本文】今の左の大臣、少将に物したまうける時に、式部卿の宮に常にまゐりたまひけり。
【訳】現在左大臣でいらっしゃる藤原実頼様が、少将でいらっしゃった時に、式部卿の宮様のところに常に参上なさっていた。
【注】
「今の左の大臣」=藤原実頼。九十六段に既出。
「式部卿の宮」=敦慶親王。十七段および百七十段に既出。

【本文】かの宮に大和といふ人さぶらひけるを、物などのたまひければ、いとわりなく色好む人にて、女いとをかしうめでたしとおもひけり。
【訳】式敦慶親王の御屋敷に大和という人がお仕えしていたが、彼女に対し藤原実頼様が、恋心を告白なさったところ、女は非常に色恋というものがわかっている人だったので、実頼様を非常に魅力的ですばらしいかただと思った。
【注】
「ものいふ」=恋愛関係にある。男女が情を通わせる。「のたまふ」は「いふ」の尊敬語。


【本文】されど、あふことかたかりけり。大和、
人しれぬ心のうちに燃ゆる火は煙は立たでくゆりこそすれ
といひやりければ、
【訳】けれども、対面することはなかなかできなかった。そこで、大和が作った歌、
人に知られず心の中でひそかに燃えている恋の炎は煙は立たないのでうわべからは目立たないでしょうが、くすぶっております。
【注】
「あふ」=対面する。男女が知り合う。結婚する。
「燃ゆる」に対し「火」「煙」「くゆる」は縁語。
「くゆる」=くすぶる。恋愛の相手とめったに会えないため、煙がくすぶるように、気が晴れずに思い悩んでいるということ。

【本文】返し、
ふじのねの絶えぬおもひもある物をくゆるはつらき心なりけり

【訳】それに対する実頼の返事の歌、
富士の嶺から立ち上り続けている噴煙のようにあなたのことを絶えず思い続け燃え続けている思いという情熱が私にはあるのに、あなたのほうは目立たずくゆる程度というのでは、あなたは冷たいお心だなあ。
と書いてあった。
【注】
「おもひ(思ひ)」と「ひ(火)」の掛詞。「火」に対し「くゆる」は縁語。


【本文】かくて久しう参りたまはざりけるころ、女いといたう待ちわびにけり。
【訳】こうして長いこと式部卿の宮の御屋敷に参上なさらなかったころに、大和はとてもつらい思いで長いこと待つはめになってしまった。
【注】
「待ちわぶ」=待ちあぐむ。つらい思いで長い間待つ。

【本文】いかなる心ちのしければか、さるわざはしけむ。人にも知らせで車にのりて内にまゐりにけり。
【訳】どんな気持ちがして、そんな行動をとったのだろうか、周囲の人にも知らせずに牛車に乗って宮中に参内してしまった。
【注】
「わざ」=行動。
「車」=牛車。中古(平安時代)には車といえば、ふつう牛車を指す。
「内」=宮中。内裏。

【本文】左衛門の陣に車を立てて、わたる人をよびよせて、「いかで少将の君に物きこえむ」といひければ、「あやしきことかな。誰ときこゆる人の、かかることはしたまふぞ」などいひすさびていりぬ。
【訳】左衛門の陣に車をとめて、通りかかった人を呼び寄せて、「なんとかして少将の君に連絡がとりたい」と言ったところ、「ふしぎなことだなあ。何と申し上げるおかたが、このようなぶしつけな行動をなさるのか」などと言って無視して中へ入ってしまった。
【注】
「左衛門の陣」=衛門府(内裏の外郭門内の警護にあたる役所)の役人の待機所。
「立つ」=止める。
「わたる」=通る。
「物きこゆ」=お知らせ申し上げる。

【本文】又わたればおなじことといへば、「いさ、殿上などにやおはしますらむ、いかでかきこえん」などいひていりぬる人もあり。
【訳】また、別の人がとおりかかったので、同様のことを言ったところ、「さあ、どうだろうか。少将様は殿上の間などにいらっしゃるのだろうか、もしそうならどうしてそんな恐れ多い場に行って申し上げることができようか、いや、とてもできない」などと言って、中に入ってしまう人もいた。
【注】

【本文】袍きたるもののいりけるを、しひてよびければ、あやしとおもひてきたりけり。
【訳】うえのきぬを着ている人が郭内にはいったところを、強引に呼び止めたところ、ふしぎだなとは思いながらも近づいてきた。
【注】
「袍」=うえのきぬ。男性が衣冠・束帯の正装をするとき、いちばん上に着る衣服。文官・武官の別、位階によって、ぬいかたや色に差がある。

【本文】「少将の君やおはします」と問ひけり。
【訳】「少将様はいらっしゃいますか」と質問した。
【注】
「おはします」=いらっしゃる。おいでになる。「あり」「をり」の尊敬語。

【本文】「おはします」といひければ、「いと切にきこえさすべきことありて、殿より人なむまゐりたると聞こえたまへ」とありければ、「いとやすきことなり。そもそも、かくきこえつきたらむ人をば忘れたまふまじや。いとあはれに夜ふけて人少なにて物し給ふかな」といひていりて、いと久しかりければ、無期にまちたてりける。
【訳】「いらっしゃいますよ」と言ったので、「そうしても申し上げなければならないことがあって、お屋敷から使者が参上しておりますと申し上げてください」と申し上げたところ、「おやすい御用だ。いったい、こんなふうに取り次ぎ申し上げてあなたのために骨を折る私をお忘れにはなるまいね。非常に殊勝にも夜がふけてから人も少ない状態でいらっしゃったのですねえ」と言って郭内に入って、非常に長い時間が経過し、大和は、いつ返事があるかもわからぬ状況で立って待っていた。
【注】
「いと切に」=どうしても。
「きこえさす」=申し上げる。「いふ」の謙譲語。
「殿」=御殿。貴人の邸宅。
「聞こゆ」=申し上げる。「いふ」の謙譲語。
「物す」=ここでは「来」の謙譲語「まゐる」の代用。

【本文】辛うして、これもいひつがでやいでぬらむ、いかさまにせむとおもふ程になむいできたりける。
【訳】この最後の男も、取り次がないで退出してしまったのだろうか、これからどうしようかと思っている時分に、やっとのことで出てきた。
【注】
「いひつぐ」=言い伝える。
「いかさまにせむ」=どうしたらよいだろう。

【本文】さて、いふやう、「御前に御あそびなどし給ひつるを、辛うしてなむきこえつれば、『たが物したまふならむ。いとあやしきこと。たしかにとひたてまつりて来』となむのたまひつる」といへば、
【訳】そうして、言うことには、「帝の前で音楽会などなさっていたが、タイミングを見計らってやっとのことで申し上げたところ、『いったい誰がいらっしゃったのだろう。とても不思議だ。しっかり質問申し上げて確認してこい』とおっしゃった」と言ったので、
【注】
「御前」=貴人の前。
「あそび」=もと、日常的な生活を忘れて、心の楽しいことに熱中することをいい、上代には山野で狩りをし、酒宴を開き、音楽や歌舞を演じるのが一番のたのしみであった。中古(平安時代)には、音楽や詩歌を楽しむことを指す場合が多い。
「たしかに」=しかと。まちがいなく。
「のたまふ」=「いふ」の尊敬語。

【本文】「真実には、下つ方よりなり。身づから聞こえむとを聞こえたまへ」といひければ、「さなむ申す」ときこえければ、「さにやあらむ」とおもふに、いとあやしうもをかしうもおぼえ給ひけり。
【訳】「じつは、下々の者からの連絡だ。自身で申し上げようといっているむね、申し上げてください」といったところ、取り次ぎの者が「お屋敷からの使者はそんなふうに申しております」と少将に申し上げたところ、「ひょっとすると使者というのは大和であろうか」と思いあたるにつけても、少将は大和の行動を奇怪だとも興味深いやつだともお感じになった。
【注】
「真実(シンジチ)」=本当のこと。まこと。
「下(しも)つ方(かた)」=身分の低いほうの者。
「あやし」=奇怪だ。異常だ。
「をかし」=興味深い。
「おぼゆ」=思われる。感じられる。

【本文】「しばし」といはせてたちいでて、広幡の中納言の侍従に物したまひける時、「かかることなむあるをいかがすべき」とたばかりたまひけり。
【訳】「ちょっと待っておれ」と伝言させて立って外へ出て、侍従を務めていた広幡の中納言に、「このように女性が宮中まで訪ねて参ったのをいかがいたしましょう」と相談なさった。
【注】
「しばし」=少しのあいだ。
「広幡の中納言の侍従」=源の庶明(もろあき)。宇多天皇の皇子であった斎世親王の息子。九二五年~九二九年まで侍従を務めた。
「たばかる」=相談する。

【本文】さて、左衛門の陣に、宿直所なりける屏風・畳など持ていきて、そこになむおろし給ひける。
【訳】そうして、左衛門の陣に、とのいどころにあった屏風や畳などを持ち込んで、そこに下ろしなさった。
【注】
「宿直所(とのゐどころ)」=宮中で大臣・納言・蔵人の頭・近衛の大将・兵衛の督などが、宿直をするときの詰所。

【本文】「いかでかくは」とのたまひければ、「なにかは、いとあさましう物のおぼゆれば」、
【訳】「どうしてこんな夜更けに宮中まで訪ねてきたのか」とおしゃったところ、大和は「ほかになんの理由がございましょう、ただ、あなたさまが一向に会いにきてくださらず、あまりにもひどいと思われたので、こうして参ったのです」と答えた。
【注】
「なにかは」=どうしてどうして。
「あさまし」=あきれるほどひどい。

【本文】敦慶のみこの家に大和といふ人に、左大臣、
今さらに思ひいでじとしのぶるを恋しきにこそ忘れわびぬれ
【訳】敦慶親王の家の大和といふ人にあてて、左大臣が作った歌、
今さら思い出すまいとなるべくあなたのことを考えないように我慢していたが、あまりにも恋しいのでたやすく忘れられなかったっよ。
【注】
「敦慶のみこの家に大和といふ人に」=敦慶親王の家の大和といふ人のところにあてて。「~に~に」は、『伊勢物語』九段に「京にその人のもとにとて文書きてつく」とあるのと同様の表現。
「~わぶ」=「~しかねる」。「たやすく~できない」。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  September 4, 2016 12:37:20 PM
コメント(0) | コメントを書く
[学習・教育] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: