第百二十一段
【本文】
むかし、男、梅壷より雨に濡れて人のまかりいづるを見て、
うぐひすの 花を縫ふてふ 笠もがな 濡るめる人に 着せてかへさむ
返し、
うぐひすの 花を縫ふてふ 笠はいな 思ひをつけよ ほしてかへさむ
【注】
〇梅壷=内裏の後宮の建物の一。凝花舎の別名。女御・更衣など后妃の増加に伴い、嵯峨天皇の代に作られたとされる。壷(中庭)に梅が植えてあることからの名。
〇まかりいづ=貴人のいる所から退出する。
〇うぐひす=ヒタキ科の小鳥。背は緑褐色。早春に美しい声で鳴き始めるので「春告げ鳥」ともいう。梅の花とともに春を告げる景物として古くから愛され、歌にもよく詠まれた。
『万葉集』八二四番「梅の花散らまく惜しみわが園の竹の林にうぐひす鳴くも」。
〇うめのはながさ=梅の花を笠に見立てた語。『古今和歌集』神あそびの歌「うぐひすの縫ふてふ笠は梅の花笠」。
〇もがな=~があればなあ。願望の意を表す。上代の「もがも」に代わって中古(平安時代)以後に用いられた。
〇思ひ=愛情。「ひ」に「火」を言い掛けてある。
【訳】
むかし、男が、梅壷から雨に濡れて人が退出するのを見て、
「うぐいすが梅の花を縫って作るという笠があればいいのになあ。それがあれば雨に濡れているように見える人に着せて帰らせるのに」。
この歌を贈られた人の返事の歌、
「うぐいすが花を縫って作るという笠は不要です。それよりも私に思いの火をつけて愛してください。そうすればその火で濡れた着物を乾かして、その「思ひ」の「ひ」をお返ししましょう。お返しにあなたのことを愛しましょう」。