第百二十段
【本文】
むかし、男、女のまだ世経ずとおぼえたるが、人の御もとに忍びてもの聞こえてのち、ほど経て、
近江なる 筑摩の祭 とくせなむ つれなき人の 鍋の数見む
【注】
〇世経ず=男女関係の経験がない。
〇もの聞こゆ=情を交わす意の「ものいふ」の謙譲語。
〇ほどふ=月日が経つ。時間が経過する
〇近江=旧国名。東山道十三か国の一。今の滋賀県。江州。
〇筑摩=滋賀県米原市朝妻筑摩。琵琶湖畔の地。古くは「つくま」、現在は「ちくま」という。
〇筑摩の祭=滋賀県米原市の筑摩神社の鍋祭。陰暦四月の一日(のちには八日)に行われた鍋祭。
未婚の女がひそかに自分が過去に情を交わした男の数だけ土鍋をかぶって参詣し奉納する奇祭があった。
【訳】
むかし、男が、女でまだ男女関係が無いと思われた女が、あるかたの所で人目を避けて情をお交わしするようになってのち、だいぶ月日がたってから、次のような歌を贈った。
「近江の国にある筑摩神社の鍋祭をはやくしないかなあ。そうすれば、薄情なあなたの鍋の数をこの目で見て、今まで何人の男と関係していたのか確かめてやろう」。