第百十八段
【本文】
むかし、男、久しく音もせで、「忘るる心もなし。参り来む」と言へりければ、
玉かづら はふ木あまたに なりぬれば 絶えぬ心の うれしげもなし
【注】
〇音もせで=おとづれもせず。たよりもせず。『竹取物語』「遣はしし人は、夜昼待ち給ふに、年越ゆるまで音もせず。「で」は、打消し接続助詞。打消し助動詞「ず」に接続助詞「て」がついて縮約したものという。かの民謡「さんさ時雨」に「さんさ時雨か萱野の雨か、音もせで来てぬれかかる」とある。もとより、時雨が音もなく降ってきてチガヤの葉に濡れて降りかかる意であろうが、仙台では結婚式で必ず歌われるというところをみると、「たよりもせずに、いきなりやってきて、色事をしかける」という両意があるのであろう。
〇参り来=うかがう。参上する。
〇玉かづら=つたなどの、つる草の美称。「はふ」は、「かづら」の縁語。
〇はふ木=女性のたとえ。
〇あまた=数多く。
〇~になりぬれば=~になってしまったので。「ぬれ」は、完了の助動詞「ぬ」の已然形。
【訳】
むかし、男が、長いことたよりもせずにいて、「忘れる気持ちもない。これからお伺いしよう」と言ってきたので、女が作って贈った歌。
みごとなつる草が、延びてからみつく木(あなたが関係を持つ女性)が数多くなったので、私への思いが途切れることがないとお聞きしても、ちっとも嬉しいとも思いません。