第百十七段
【本文】
むかし、帝、住吉に行幸したまひけり。
われ見ても 久しくなりぬ 住吉の 岸の姫松 いく世経ぬらむ
大御神、現形し給ひて、
むつましと 君はしらなみ みづがきの 久しき世より いはひそめてき
【注】
〇住吉=摂津の国の最南部、東成郡、今の大阪市住吉区を中心とする一帯。古くからの港があり、海上交通の要地。海浜景勝の地で松の名所。もと「すみのえ」といったが、漢字表記の「住吉」を「すみよし」と読むようになり、今に至る。この地に鎮座まします住吉神社の祭神は、古くから国家鎮護・航海安全・和歌の神・武神として信仰をあつめてきた。その本殿の特殊な建築様式は住吉造という。
〇行幸=お出まし。天皇の外出を敬って言う語。
〇姫松=ふつうは、小さく、若々しい松をいう。姫小松。ただし、それでは短歌の中身と矛盾するというので、「めまつ」の美称とする説もある。『古今和歌集』一一〇〇番「ちはやぶる賀茂の社の姫小松よろづ世経とも色は変はらじ」。
〇世を経=御代を過ごす。
〇大御神=神様。『万葉集』四二四五番「住吉のわが大御神船(ふな)の舳(へ)に鎮(うしは)き坐(いま)し」。
〇現形=げんぎょう。神仏が姿を現わすこと。
〇むつまし=親密である。
〇しらなみ=「知ら無み」に住吉海岸の「白波」を言い掛ける。
〇みづかきの=いつまでもみずみずしい神社の垣根。「久し」にかかる枕詞。
〇いはふ=将来の幸福・安全がまもられるようにする。
【訳】
むかし、帝が、住吉大社にお出ましになった。その時に帝に代わって作った歌。
わたしがこの前見たときからでももう長き年月がながれたこの住吉の海岸の小さく、若々しい松は、何世代めになったのだろうか。
住吉の明神が、姿をお現わしになって、お作りになった返歌。
わたしと天皇家とが親密だということをそなたは知らぬのだろうが、神社の垣根が築かれた創建当時から幸福・安全を守ってきたのだ。