第百十六段
【本文】
むかし、男、すずろに陸奥までまどひいにけり。京に、思ふ人に言ひやる。
浪間より 見ゆる小島の はまびさし 久しくなりぬ 君にあひ見で
「なにごとも、みなよくなりにけり」となむ言ひやりける。
【注】
〇すずろに=特別の目的や理由もなしに、何かをしたり、ある状態になったりなったりすることをいう。
〇陸奥=今の青森・岩手・宮城・福島の諸県と秋田県の一部にあたる。奥州。
〇言ひやる=使者や手紙に託して言い送る。言ってやる。
〇思ふ人=愛する人。または、気の合う友人。『伊勢物語』九段「京に思ふ人なきにしもあらず」。
〇はまびさし=『例解古語辞典』(三省堂)によれば、『万葉集』の「浜久木(はまひさぎ)」を誤読してできた平安時代の語形という。「はまひさぎ」は、浜辺に生えるヒサギ(キササゲまたはアカメガシワのことという)。「ひさぎ」から同音の「久し」の序詞。『万葉集』二七五三番「波の間ゆ見ゆる小島のはまひさぎ久しくなりぬ君に逢はずして」。
〇あひ見る=対面する。
【訳】
むかし、男が、なんとなく思い立って陸奥までうろうろとさまよい出かけていった。京の、愛する人のもとへ詠み送った歌。
浪間から見える小島の浜べのヒサギではないが、久しくなったなあ、あなたに逢わないで。
「何事も、万事うまくいきました」と手紙でいってやった。