第百十二段
【本文】
むかし、男、ねむごろに言ひ契りける女の、ことざまになりにければ、
須磨の海人の 潮焼く煙風をいたみ、思わぬ方にたなびきにけり
【注】
〇ねむごろに=心をこめて。
〇言ひ契る=口に出して将来を誓う。
〇ことざまになる=変わったようすになる。自分のことを愛していたのに、心変わりする。
〇須磨=兵庫県神戸市の西南、須磨区の海岸。白砂青松、月の名所として知られる。
〇塩焼く煙=海藻に潮水を注いだのち、焼いて水に溶かし、その上澄みを釡で煮詰めて製塩するが、その海藻を焼くときに出る煙。
〇風をいたみ=風が激しいので。「風」は、恋の妨害。恋敵のさそい。『詞花和歌集』二一一番「風をいたみ岩うつ波のおのれのみくだけてものを思ふころかな」。
〇思はぬ方=それまでは愛していなかった人。自分以外の相手。
〇たなびく=横に長く引く。女(煙)が恋敵のほうへ心を寄せる見立て。
【訳】
むかし、男が、心をこめて言葉にだして将来を誓った女が、ほかの男に心を移してしまったので、作った歌。