第百五段
【本文】
むかし、男、「かくては死ぬべし」と言ひやりたりければ、女、
白露は 消なば消ななむ 消えずとて 玉にぬくべき 人もあらじを
と言へりければ、いとなめしと思ひけれど、心ざしはいやまさりけり。
【注】
〇かくて=こうして。このままで。
〇べし=当然の意を表わす助動詞。きっと~だろう。~にちがいない。
〇言ひやる=手紙や使者を通して、こちらから相手に言ってやる。
〇白露=白く光る露。また、露が消えるようにはかない命を「露命」という。
〇消ゆ=「露」の縁語。なくなる。ここでは、「死ぬ」の意を掛ける。
〇消ななむ=「消(け)」は下二段動詞「消(く)」の連用形。「な」は、完了の助動詞「ぬ」の未然形。「なむ」は、他に対してあつらえ望む意を表す終助詞。~てほしい。『伊勢物語』八十二段「おしなべて峰も平らになりななむ山の端なくは月も入らじを」。
〇なめし=無礼だ。『枕草子』二四七段「文ことばなめき人こそ、いとにくけれ」。
〇心ざし=愛情。
〇いやまさる=ますます多くなる。
【訳】
むかし、ある男が、「こうしてこのまま恋がかなわなかったら、きっと死んでしまう死んでしまうだろう」と言ってやったところ、女が、
白露のようにもろいあなたはこの世から消えてしまうのならば、いっそのこと消えてほしい。消えないからといって真珠のように糸で通して飾りにするような人もいないでしょうから。